2008/04/20

源氏サイト

  で、先週に引き続き、擬古文に凝っているわけです。 そういえば、≪擬≫という字と、≪凝≫という字は似ている・・・というか、紛らわしいですな。 まあ、そんな事はどうでもよいですが。

  擬古文は、書くだけでも結構面白いのですが、書いていると、人様にも見せたくなるのが人情というもの。 だけど、擬古文は書くだけでなく、読むのにも相応の技能が要ります。 誰彼構わず、「見て見て見て!」と見せるわけには行きません。 人間というのは、読めない文章には、興味を示さないものだからです。 そこで、私は考えた。 古典サイトを持っている人達なら、みなさん、古文を読みつけているから、擬古文も読めるのではないかと。

  でねー、久しぶりに、サイト巡りしましたよ。 二年前に写真サイト巡りをして以来ですな。 サイト巡りという奴、目を通すだけでも不愉快な思いをする事が多いので、あまりやりたくないんですが、何かに夢中になっている時には、多少の危険は視野の外に出てしまうもののようです。 ≪君子危うきに近寄らず≫と言いますが、≪虎穴に入らずんば、虎児を得ず≫とも言いますし。 まったく、故事・諺というのは、その時々の都合に合わせて使えるように、意味が正反対のものまで揃っているから便利です。

  さて、≪古典文学≫で検索すると、引っ掛かってくるものの大半が、≪源氏物語≫関連のサイトです。 比率的には、源氏が七割、≪枕草子≫が二割、他の作品を全部あわせて一割といった所でしょうか。 古典作品はいくらもあるのに、こうも源氏に人気が集中するのは、ファン達がミーハーな証拠ではないかと思います。 この比率を見ただけで、嫌な予感がしていたんですが、一つ一つ見て行ったところ、やはりそれは的中していました。

  ミーハーの特徴は、物事に深入りできないという点に尽きます。 源氏をテーマにしてサイトを作ろうと思ったら、原文と現代語訳の掲載は当然の事、各場面・登場人物・時代背景・当時の風俗習慣、などの解説を、コンテンツとして揃えておかなければならないと思うのですが、 これらの条件を満たしているのは、ほんの数えるほどです。 その他は、看板だけ出して、中身はスッカラカンという所がほとんど。

  ≪私家版現代語訳≫に挑む人は多いようですが、大概は、≪桐壺≫を終えるのがやっとで、しぶとい人でも、≪空蝉≫あたりまで行くと力尽きます。 たった、三帖目で死んでしまっているのだから、全54帖の語訳など、夢のまた夢ですな。 だからよー、最初から長いって事は分かっているわけだから、現代語訳なんて、手を出さなければいいんですよ。 せいぜい、≪私の好きな場面≫くらいに抑えて、つまみ食い程度に触れておけば、まだ格好がつくのにね。

  気になったのは、源氏ファンなのに、原文を読んでいない人がいるらしいという点です。 私の感覚では、古典を読むという事は、すなわち、原文で読むという事を意味しているのですが、そういう考え方の持ち主は少数派のようで、現代語訳で読んで、「源氏を読んだ」と称している人が非常にたくさんいるのです。 ≪源氏ファンに聞く100の質問≫というのを、コンテンツとして公開している所がかなりあるのですが、その質問の中に、≪もしかしたら、原文で読んだ?≫という項目があって、その答えが、「滅相も無い! でも、いつか読もうと思っています」などと書いてあるから、ぶったまげずにはいられないというもの。 をゐをゐ、現代語訳なら、そりゃ誰でも読めるがな。 自慢にもならんではないか!

  もっと凄いのは、現代語訳ですら読んでいない輩。 それなのに、源氏ファンとはこれ如何に? と思うでしょうが、なんと、≪あさきゆめみし≫を読んだというのです。 ほれ、少女漫画のアレでんがな。 ああ、熱が出る・・・・・少し横にならして下さいまし・・・・

  ・・・・失敬失敬。 あのなあ、≪あさきゆめみし≫は、≪あさきゆめみし≫という独立した作品であってだなあ、≪あさきゆめみし≫を読んだからって、≪源氏物語≫を読んだとは言わんのだ! そんな事も分からんか、この馬鹿垂れ木瓜茄子土手南瓜どもが! 作るなら、≪あさきゆめみし≫のファン・サイトを作らんか!

  ちなみに、古典サイトを持っている人の95%は女性です。 ガチガチあからさま、抜き難い女尊男卑主義者の私としては、女性の方々に向かって、アホとかタコとかナマコとか、荒々しい言葉を使いたくないのですが、さすがに、この無学ぶりには、呆れ果ててしまった格好です。 大方、これと言って趣味もないけれど、何かサイトを作りたいなあと思っていた人が、他人が作っている源氏サイトを見て、「こういうのを私もやりたい! ≪あさきゆめみし≫なら全部読んだから、話は大体分かるし、いざとなったら、現代語訳で調べられるから大丈夫! オッケー、オッケー、てっへへへっ!」とかいったノリで、安直に舟出してしまったのでしょう。 池の貸しボートどころの話ではなく、浮き輪で太平洋横断に挑んだようなものですな。

  その結果、ほとんどの源氏サイトが、開設以後ものの数年で行き詰まり、更新停止、掲示板廃墟、サイト自体閉鎖の憂き目を見たようです。 更新停止と掲示板廃墟は見れば分かりますが、閉鎖した事がなぜ分かるかというと、他のサイトのリンク・ページにバナーと紹介文だけが残っているからです。 これは、どのカテゴリーでも同じですが、閉鎖する事を、相互リンク先に通知しない人がほとんどなんですよね。 閉鎖に至る前に、交友が途切れてしまっているのが普通なので、「今更、閉鎖の通知に行くのも、カッコがつかないか・・・」と考えるのでしょう。 いや、その気持ちはよく分かる。 だからねえ、リンクしている方で、時々リンク先を見て回って、閉鎖しているようなら、リンクを外せばいいんですよ。 バナーと紹介文だけ残していても、死体を押入れに隠しているようなドス黒い後ろめたさが増幅するだけではありませんか。

  更新停止も、最終更新日が、≪2003年10月≫なんて書いてあると、頭がクラクラして来ますな。 よくもまあ、五年もそのまま保存してきたもんです。 ある意味、すごい。 よほど、コンテンツに愛着があるのか、生来の無精者なのか。 ネット上には、常にそのカテゴリーの新規参入者というのが存在するので、そういう人達の訪問が細々と続いていて、閉鎖する踏ん切りがつないのかもしれません。 しかし、新規参入者の方も、五年前に放棄されたサイトに来てしまったら、ちいっと引きますぜ。

  掲示板も凄い。 書き込みが一年に二三件なんていうのはざらです。 そりゃ、サイト本体が放棄されているんだから、書き込む人もいないわなあ。 レスがまた凄くて、半年に一度まとめレスなど、掟破りの破天荒な管理が堂々罷り通っています。 面白いのは、そういう死に体サイトの管理人が、なぜかブログを別に持っていて、そちらはこまめに更新しているんですわ。 ブログの名称には大抵、平安時代を感じさせるような雅やかな言葉を使ってあるのですが、中身は単なる身辺雑記に堕していて、源氏のゲの字、平安のへの字も見当たりません。 たまに、サイトの方から入ってきた人が、源氏関連のコメントなど書いて来ると、「源氏に興味があったのは、もう随分昔の事でして・・・・」などと、門前払いを食らわしている始末。 だったら、サイトを閉めんかい!


  おっ・・・・何だか、悪口ばかりになってしまいましたな。 いや、誉めようがない有様なので、何か書こうと思ったら、自然と悪口ばかりになってしまうのですよ。 とどめに、とっておきの悪口を書いておきましょう。 私ね、試しに、何ヶ所か、まだ更新が続いているサイトの掲示板に、擬古文で書き込みをしてみたんですよ。 文の内容は、そのサイトのコンテンツの感想です。 たくさんあるサイトの中から、誉めるに値する所だけをピックアップして、賞賛する文を書き、それを擬古文に訳して、投稿してみたというわけ。 そしたらねえ、返事はすぐに返って来たものの、それが現代文なんですわ。

 「古典サイトの管理人としては、擬古文で書き込みがあったら、レスも擬古文で返さないと、沽券に関わる」と思うのが普通だと思うのですが、実際の返事は現代文なんですよ。 書き込みの方は三四行くらいなので、レスも同じくらいの行数なんですが、たったそれだけの文を擬古文に変換する事が出来ないらしいのです。 これはかなりの、≪恥≫ではありますまいか? 私としては、擬古文仲間が欲しいだけで、相手に恥を掻かせる腹など小指の爪の先ほども無かったので、それ以上の書き込みは打ち切ったのですが、この結果には心底がっかりしました。 私が書きこみをしたのは、源氏サイトの中でも上澄みに相当するような、しっかりした所でしたから、それらの管理人さん達でさえ擬古文を書けないという事は、他は推して知るべしでしょう。

  もう、この実験だけで、ネット上には擬古文を書ける人がほとんどいないのではないかと思えて来ました。 書ければ、何か書いて、公開していると思うのですよ。 それが見つからないという事は、書かれていないとしか考えられません。 ちなみに、≪擬古文≫で検索をかけると、擬古文コンテンツがいくつか、引っ掛かる事は引っ掛かります。 でも、大抵はほんの一ページ、短い文章を擬古文に変換してあるくらいで、手慰みに遊んでみただけと思われる物ばかり。 日常的に擬古文を書いているという人はいないんですな。 古文を専門にしている学者や教師の方々は、たぶん書けると思いますが、そういう人達は仕事にしている事なので、ネット上でその種の技を披瀝する事はないようです。

  自分で擬古文を書き始める前は、「ネット上では、古典サイトのどこかに、擬古文専門の掲示板とかあって、擬古文で会話を交わしている雅やかな人達がいるんだろうなあ」と想像して、憧れ、羨んでいたのですが、現実を知って、白けに白けました。 大丈夫か、日本文化よ。