萎むエコ・ブーム
エコ・ブームに息切れが見られます。 洞爺湖サミットの直前辺りまでは、異様な盛り上がりを見せていましたが、その後、急速に萎みました。 いや、萎んだと言うより、どこかへ消えてしまったと言うべきでしょうか。 サミットの結果によってそうなったわけではなく、ちょうど、サミットを境に猛暑が到来し、エアコンを全開にしなければ生き延びられないような日々が続いた為、みなさん俄かに、エコどころではなくなったのでしょう。 家や職場で、ガンガンこれでもかってくらいエアコン回しといて、「温暖化防止のために、省エネを!」なんて叫ぶのは、さすがに恥かしかったんでしょうなあ。 人間なんて、ゆとりがある時にしか、大言壮語は吐かないものですよ。
エコ・ブームが衰えただけでなく、反エコを口にする連中が反撃に出たのも、この夏の特徴です。 反エコというのは、「レジ袋を廃止すると、却ってCO2が増える」とか、「ハイブリッド車は、全く省エネになっていない」とか、「風力発電や太陽光発電は、資源の浪費に過ぎない」とか、もっと根本的なところでは、「温暖化の原因はCO2の増加ではない」とか、そういう論説です。 実は、この種の指摘は、何年も前から存在し、図書館に行くと、いかにも闘志剥き出しの題名をつけた本を何冊も見る事が出来ます。 なんで、今まで注目されなかったのかというと、エコ・ブーム自体が低調だったので、その揺り返しである反エコにも興味が持たれなかったんでしょう。 それが、ここへ来て、エコ・ブームの急激な盛り上がりに恐れをなした浪費家達が、「これぞ、わがバイブル!」とばかりに、反エコ本に飛びついたというわけです。
エコ・ブームそのものが極端で軽薄だと思いますが、反エコ・ブームも同じくらい低次元ですな。 感覚的に分かる事ですが、反エコを唱えているやつらが、屁理屈レベルで立論しているのは、疑いないところです。 屁理屈というのは、無敵でして、白でも黒と言い変える事が自在に出来ます。 屁理屈を並べるのに必要なのは、論理的思考でも科学的根拠でもなく、汲めども尽きぬ底無しの≪悪意≫だけです。 悪意さえ維持できれば、全世界の学者が認めている定説が相手でも、ボロクソにケチをつける事は容易です。
どんなに理路整然とした理論にも、必ず弱点というのはあります。 たとえば、物理学のような、計算で綺麗に結果が出るような分野でも、「原子は小さ過ぎて、目で見る事が出来ないから、原子理論は信用できない」といった言い方をすれば、原子物理学の成果全てを否定する事も不可能ではありません。 実際の所、現在の科学力では、原子を見る事はもちろん、写真に撮る事も、「これは確実」と言い切れる想像図を描く事さえ出来ないのですからね。 ≪紐理論≫だの、≪膜理論≫だの、次々に新説が登場し、一見順調に解明が進捗しているように見えますが、理論物理学はすべて、≪矛盾が起こらない仮説≫に過ぎませんから、後々、目に見える形で微小世界の構造が解明されれば、今唱えられている説がすべて覆るという事も起こりうるわけです。 危ういですなあ、科学技術も。
まして、エコ・ブームでは、そもそも温暖化にしてからが、「地球の気候変動史のスパンで見れば、一時的な現象に過ぎず、人間活動との因果関係は立証できない」と全否定する事も出来るほどあやふやな事ですから、屁理屈の付け入る隙は無数にあります。 実際、地球の気候史に何度も到来している、≪氷河期≫ですが、「どんなに温暖化しても、氷河期が一度来れば、冷えるんじゃないの?」と言われてしまえば、エコ・ブーマーは、一言も返せますまい。 そもそも、エコ・ブーマーの方々、ブームに乗るのに夢中で、氷河期の事なんて、知っていたくせに、思い出しもしなかったのです。 「温暖化が進むと、生態環境に甚大な影響が出る」と言っていますが、そんな事を言い出したら、氷河期が生態系に与えた影響は、二℃三℃の上昇くらいのものではありますまい。 生物種にしてからが、どれだけ絶滅し、どれだけ新しい種を生み出したか分かりません。
エコ・ブーマーの言う通りに温暖化が進んだとしても、当座、絶滅の危機に曝されるのは、極寒地に住んでいる動物だけです。 他の生物は、順送りに寒冷地へ移動するか、温暖環境に適応するように変化していく事になります。 エコ・ブームの最盛期には、まるで全地球の生物が滅びるかのような言い方をする馬鹿者がうじゃうじゃいましたが、よくも、そんな大嘘が言えるものだと呆れ返りました。 目を血走らせて、「地球の為!」と叫んでいながら、科学知識は限り無くゼロに近いのです。 一体、何なんだ、おまいらは? そういえば、白熊がイの一番絶滅するというので、白熊を温暖化防止のイメージ・キャラに使うのが流行りましたが、白熊を本当に守りたかったら、出来るか出来ないか大いに怪しいCO2削減に取り組むより、白熊が棲息できる人工環境を作った方が、遥かに確実で、しかも安上がりです。
エコ・ブームの息切れですが、強力にバックアップしていた新聞やテレビが、洞爺湖サミット以降、さりげなく手を引いてしまったのも大きな理由だと思います。 ブームたけなわの頃は、「温暖化対策は、待った無し!」とか、「今できる事をしなければ、子供の世代にツケを残す」とか、威勢ばかりいい見出しが、ピョンピョコ躍っていたものですよ。 何だか、笑ってしまいますな。 何がおかしいって、それを書いている新聞記者達が、全員ズルベタの文系で、科学技術なんぞ、まるっきり分からないカテゴリーに属する人種だったからです。 つまりその、記者などといっても、ただのブーマーだったんですな。
しかし、さすがに機を見るに敏でなければ、報道の仕事は勤まらないらしく、ブーム最盛期の頃すでに、解説員クラスの書く文には、エコ・ブームを後押しする事へのためらいがチラホラ現れて来ました。 「専門の学者ですら意見が割れているのに、俺みたいな門外漢がブームを煽っていいのかな? 部数があるから、書けば確実に世の中に影響を与えてしまうわけだけど、事に因ったら、えらい間違いをしでかしているのかもしれんぞ」という具合に、腰が引け始めたのです。 そりゃそうだよねえ。 下手をすれば、産業社会を崩壊させてしまうようなブームを、オピニオン・リーダーが先導してるんだから、己の仕業に危惧を感じない方が後生がいいというものです。
テレビのエコ番組が馬鹿をやって、比較的良心的なブーマーに呆れられたのも要因の一つだと思います。 自転車を漕いで発電したり、太陽光で料理をしたり、廃油燃料でバイクを走らせたり。 これら、すべて、エコとは全く正反対の、エネルギーの浪費&環境汚染そのものです。 だからねー、ふだんバラエティー番組で芸人に馬鹿な事をやらせて、笑いを取る事を仕事にしているプロデューサーやディレクターが、エコ番組なんて作れるわけないんですよ。 どんな素人でも、「これがエコか?」と脂汗流してたじろぐようなイベントを、次から次へバカバカ並べられたら、「こんな連中と一緒にされてはかなわん」と、逃げ出したくなるのが人情というもの。
また、真面目な討論番組でも、集められた論者が問題。 学者でも業界関係者でもなく、ただのド素人がしゃしゃり出て、正確な知識も無いくせに、≪エコの使徒≫ぶって、エコに熱心でない人達を糾弾する事にのみ生き甲斐を見出していると思しき罵詈雑言の披露宴を繰り広げたものですから、これまた、良心的なブーマーが、恐れをなして逃げて行ってしまいました。 何事も極端というのは、よくないものですな。
ブームというのは、水物の最たるものですが、一度萎んでしまうと、なかなか復活しにくいものです。 おそらく、今後もエコを唱える人達は今までと変わらず唱え続けると思いますが、今年の春ほどの盛り上がりには、もうならないと思います。 特に民主社会では、民衆に飽きられたら、その時点でその活動は停滞すると見て間違いありません。 ブームが去ったのに、しつこく、「温暖化対策は、待った無し!」のような脅迫めいた主張を続けていると、暗にキチガイ扱いされ、鼻を摘ままれてしまいます。
で、結局の所、エコはやった方がいいのか、やらなくてもいいのか、というと、あまり極端にならないよう、按配を加減しながら、ちょぼちょぼ実行するのが良いと思います。 具体的な目安としては、
・ レジ袋は、いらない時は断って良いでしょう。
・ エコ・バッグをコレクションするのは本末転倒です。
・ 健康に自信があれば、車通勤をバイク通勤や自転車通勤に変えるのは良いと思います。
・ ハイブリッド・カーなど買う必要はありません。
・ 自転車で行ける近場に売っているものを、車で遠くまで買いに行くのは、馬鹿馬鹿しいのでやめた方がいいでしょう。
・ 家の屋根に減価償却できない太陽光発電を設置するのは資源の浪費にしかなりませんから、やめた方がいいです。
・ 扇風機だけでも涼しいと思ったら、エアコンはつけなくても何ら問題はありません。
・ すぐ使わなくなると分かっている電気製品は買わない方がよいです。
・ 電球やエアコンを、わざわざ、≪エコ製品≫に買い換える必要はありません。 企業のCMは、一つの例外も無く、自社の利益の為に作られていて、良心や、社会に対する責務などとは無縁ですから、騙されないように注意しましょう。
とまあ、こんな所でしょうか。 エコ活動だと思わず、個人的な倹約だと思って行なうくらいがちょうどいいです。 将来、エコが間違っていた事がわかっても、自分の損にはなりませんし、社会に悪影響も及ぼしませんから。 身近に反エコの人がいて、傍若無人にエネルギーを使い捲っているのを見ても、「まあ、人は人だから」と、さして腹も立たない程度の心構えが望ましいです。 くれぐれも、エコの為に他人を糾弾するような、分を超えた真似はすべきではありません。
そうそう、何か勘違いしていて、ゴミ拾いなどもエコの内だと見做している人もいるようですが、汚染物質でもない限り、環境保全とは関係ないので、しっかり区別したほうが良いと思います。 山や海岸に空き缶がどんなに落ちていようが、それは美観の問題に過ぎず、環境に影響はありません。 意外なようですが、タバコの吸殻なども、山火事の原因になる危険性を除けば、いずれ分解してしまうので、環境負荷の低いゴミだと言えます。 ブームになるような事は、とかく、イメージが先行しがちですが、美化は人間社会の為に行う事、環境保全は生態系全体の為に行う事で、別物ですから、ご注意あれ。
ちなみに私、以前、空き缶拾いをやっていた事があるんですが、あれは、精神衛生に悪いですな。 「拾えば拾うほど綺麗になる」と思って励みにするわけですが、一方で捨てる奴らがいるわけでして、そういう奴らに限って、ろくでなしのクズに決まってますから、チマチマ拾っている内に、「どうして、そんなクソ野郎どもの為に、俺が苦労しなきゃならないんだ?」と、ムッカムカしてくるのです。 浜の真砂は尽きるともクズの種は尽きませんから、永久に空き缶は無くならないわけですな。 それに気付いて、スパッとやめました。
エコ・ブームが衰えただけでなく、反エコを口にする連中が反撃に出たのも、この夏の特徴です。 反エコというのは、「レジ袋を廃止すると、却ってCO2が増える」とか、「ハイブリッド車は、全く省エネになっていない」とか、「風力発電や太陽光発電は、資源の浪費に過ぎない」とか、もっと根本的なところでは、「温暖化の原因はCO2の増加ではない」とか、そういう論説です。 実は、この種の指摘は、何年も前から存在し、図書館に行くと、いかにも闘志剥き出しの題名をつけた本を何冊も見る事が出来ます。 なんで、今まで注目されなかったのかというと、エコ・ブーム自体が低調だったので、その揺り返しである反エコにも興味が持たれなかったんでしょう。 それが、ここへ来て、エコ・ブームの急激な盛り上がりに恐れをなした浪費家達が、「これぞ、わがバイブル!」とばかりに、反エコ本に飛びついたというわけです。
エコ・ブームそのものが極端で軽薄だと思いますが、反エコ・ブームも同じくらい低次元ですな。 感覚的に分かる事ですが、反エコを唱えているやつらが、屁理屈レベルで立論しているのは、疑いないところです。 屁理屈というのは、無敵でして、白でも黒と言い変える事が自在に出来ます。 屁理屈を並べるのに必要なのは、論理的思考でも科学的根拠でもなく、汲めども尽きぬ底無しの≪悪意≫だけです。 悪意さえ維持できれば、全世界の学者が認めている定説が相手でも、ボロクソにケチをつける事は容易です。
どんなに理路整然とした理論にも、必ず弱点というのはあります。 たとえば、物理学のような、計算で綺麗に結果が出るような分野でも、「原子は小さ過ぎて、目で見る事が出来ないから、原子理論は信用できない」といった言い方をすれば、原子物理学の成果全てを否定する事も不可能ではありません。 実際の所、現在の科学力では、原子を見る事はもちろん、写真に撮る事も、「これは確実」と言い切れる想像図を描く事さえ出来ないのですからね。 ≪紐理論≫だの、≪膜理論≫だの、次々に新説が登場し、一見順調に解明が進捗しているように見えますが、理論物理学はすべて、≪矛盾が起こらない仮説≫に過ぎませんから、後々、目に見える形で微小世界の構造が解明されれば、今唱えられている説がすべて覆るという事も起こりうるわけです。 危ういですなあ、科学技術も。
まして、エコ・ブームでは、そもそも温暖化にしてからが、「地球の気候変動史のスパンで見れば、一時的な現象に過ぎず、人間活動との因果関係は立証できない」と全否定する事も出来るほどあやふやな事ですから、屁理屈の付け入る隙は無数にあります。 実際、地球の気候史に何度も到来している、≪氷河期≫ですが、「どんなに温暖化しても、氷河期が一度来れば、冷えるんじゃないの?」と言われてしまえば、エコ・ブーマーは、一言も返せますまい。 そもそも、エコ・ブーマーの方々、ブームに乗るのに夢中で、氷河期の事なんて、知っていたくせに、思い出しもしなかったのです。 「温暖化が進むと、生態環境に甚大な影響が出る」と言っていますが、そんな事を言い出したら、氷河期が生態系に与えた影響は、二℃三℃の上昇くらいのものではありますまい。 生物種にしてからが、どれだけ絶滅し、どれだけ新しい種を生み出したか分かりません。
エコ・ブーマーの言う通りに温暖化が進んだとしても、当座、絶滅の危機に曝されるのは、極寒地に住んでいる動物だけです。 他の生物は、順送りに寒冷地へ移動するか、温暖環境に適応するように変化していく事になります。 エコ・ブームの最盛期には、まるで全地球の生物が滅びるかのような言い方をする馬鹿者がうじゃうじゃいましたが、よくも、そんな大嘘が言えるものだと呆れ返りました。 目を血走らせて、「地球の為!」と叫んでいながら、科学知識は限り無くゼロに近いのです。 一体、何なんだ、おまいらは? そういえば、白熊がイの一番絶滅するというので、白熊を温暖化防止のイメージ・キャラに使うのが流行りましたが、白熊を本当に守りたかったら、出来るか出来ないか大いに怪しいCO2削減に取り組むより、白熊が棲息できる人工環境を作った方が、遥かに確実で、しかも安上がりです。
エコ・ブームの息切れですが、強力にバックアップしていた新聞やテレビが、洞爺湖サミット以降、さりげなく手を引いてしまったのも大きな理由だと思います。 ブームたけなわの頃は、「温暖化対策は、待った無し!」とか、「今できる事をしなければ、子供の世代にツケを残す」とか、威勢ばかりいい見出しが、ピョンピョコ躍っていたものですよ。 何だか、笑ってしまいますな。 何がおかしいって、それを書いている新聞記者達が、全員ズルベタの文系で、科学技術なんぞ、まるっきり分からないカテゴリーに属する人種だったからです。 つまりその、記者などといっても、ただのブーマーだったんですな。
しかし、さすがに機を見るに敏でなければ、報道の仕事は勤まらないらしく、ブーム最盛期の頃すでに、解説員クラスの書く文には、エコ・ブームを後押しする事へのためらいがチラホラ現れて来ました。 「専門の学者ですら意見が割れているのに、俺みたいな門外漢がブームを煽っていいのかな? 部数があるから、書けば確実に世の中に影響を与えてしまうわけだけど、事に因ったら、えらい間違いをしでかしているのかもしれんぞ」という具合に、腰が引け始めたのです。 そりゃそうだよねえ。 下手をすれば、産業社会を崩壊させてしまうようなブームを、オピニオン・リーダーが先導してるんだから、己の仕業に危惧を感じない方が後生がいいというものです。
テレビのエコ番組が馬鹿をやって、比較的良心的なブーマーに呆れられたのも要因の一つだと思います。 自転車を漕いで発電したり、太陽光で料理をしたり、廃油燃料でバイクを走らせたり。 これら、すべて、エコとは全く正反対の、エネルギーの浪費&環境汚染そのものです。 だからねー、ふだんバラエティー番組で芸人に馬鹿な事をやらせて、笑いを取る事を仕事にしているプロデューサーやディレクターが、エコ番組なんて作れるわけないんですよ。 どんな素人でも、「これがエコか?」と脂汗流してたじろぐようなイベントを、次から次へバカバカ並べられたら、「こんな連中と一緒にされてはかなわん」と、逃げ出したくなるのが人情というもの。
また、真面目な討論番組でも、集められた論者が問題。 学者でも業界関係者でもなく、ただのド素人がしゃしゃり出て、正確な知識も無いくせに、≪エコの使徒≫ぶって、エコに熱心でない人達を糾弾する事にのみ生き甲斐を見出していると思しき罵詈雑言の披露宴を繰り広げたものですから、これまた、良心的なブーマーが、恐れをなして逃げて行ってしまいました。 何事も極端というのは、よくないものですな。
ブームというのは、水物の最たるものですが、一度萎んでしまうと、なかなか復活しにくいものです。 おそらく、今後もエコを唱える人達は今までと変わらず唱え続けると思いますが、今年の春ほどの盛り上がりには、もうならないと思います。 特に民主社会では、民衆に飽きられたら、その時点でその活動は停滞すると見て間違いありません。 ブームが去ったのに、しつこく、「温暖化対策は、待った無し!」のような脅迫めいた主張を続けていると、暗にキチガイ扱いされ、鼻を摘ままれてしまいます。
で、結局の所、エコはやった方がいいのか、やらなくてもいいのか、というと、あまり極端にならないよう、按配を加減しながら、ちょぼちょぼ実行するのが良いと思います。 具体的な目安としては、
・ レジ袋は、いらない時は断って良いでしょう。
・ エコ・バッグをコレクションするのは本末転倒です。
・ 健康に自信があれば、車通勤をバイク通勤や自転車通勤に変えるのは良いと思います。
・ ハイブリッド・カーなど買う必要はありません。
・ 自転車で行ける近場に売っているものを、車で遠くまで買いに行くのは、馬鹿馬鹿しいのでやめた方がいいでしょう。
・ 家の屋根に減価償却できない太陽光発電を設置するのは資源の浪費にしかなりませんから、やめた方がいいです。
・ 扇風機だけでも涼しいと思ったら、エアコンはつけなくても何ら問題はありません。
・ すぐ使わなくなると分かっている電気製品は買わない方がよいです。
・ 電球やエアコンを、わざわざ、≪エコ製品≫に買い換える必要はありません。 企業のCMは、一つの例外も無く、自社の利益の為に作られていて、良心や、社会に対する責務などとは無縁ですから、騙されないように注意しましょう。
とまあ、こんな所でしょうか。 エコ活動だと思わず、個人的な倹約だと思って行なうくらいがちょうどいいです。 将来、エコが間違っていた事がわかっても、自分の損にはなりませんし、社会に悪影響も及ぼしませんから。 身近に反エコの人がいて、傍若無人にエネルギーを使い捲っているのを見ても、「まあ、人は人だから」と、さして腹も立たない程度の心構えが望ましいです。 くれぐれも、エコの為に他人を糾弾するような、分を超えた真似はすべきではありません。
そうそう、何か勘違いしていて、ゴミ拾いなどもエコの内だと見做している人もいるようですが、汚染物質でもない限り、環境保全とは関係ないので、しっかり区別したほうが良いと思います。 山や海岸に空き缶がどんなに落ちていようが、それは美観の問題に過ぎず、環境に影響はありません。 意外なようですが、タバコの吸殻なども、山火事の原因になる危険性を除けば、いずれ分解してしまうので、環境負荷の低いゴミだと言えます。 ブームになるような事は、とかく、イメージが先行しがちですが、美化は人間社会の為に行う事、環境保全は生態系全体の為に行う事で、別物ですから、ご注意あれ。
ちなみに私、以前、空き缶拾いをやっていた事があるんですが、あれは、精神衛生に悪いですな。 「拾えば拾うほど綺麗になる」と思って励みにするわけですが、一方で捨てる奴らがいるわけでして、そういう奴らに限って、ろくでなしのクズに決まってますから、チマチマ拾っている内に、「どうして、そんなクソ野郎どもの為に、俺が苦労しなきゃならないんだ?」と、ムッカムカしてくるのです。 浜の真砂は尽きるともクズの種は尽きませんから、永久に空き缶は無くならないわけですな。 それに気付いて、スパッとやめました。
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