2010/02/07

ポニョ鑑賞

  今回は、珍しく、映画評を。 というか、≪崖の上のポニョ≫をテレビで見た後、個人サイトの日記で映画評を書いていたら、思った以上に長くなってしまったので、勿体無くなって、こちら用に移植したという次第です。


  社会現象的に騒がれた作品の批評は気が重いっすねー。 そこを敢えて言わせて貰えば、成功作か失敗作かという以前に、「話ができていない」と言わざるを得ません。 この作品を「面白い!」と感じる人は、≪部分≫を見ているのであって、映像作品でも小説でも漫画でも、物語の基本展開というものを知っている人なら、「なんか変じゃない?」と違和感を覚えるはずです。

  アンデルセンの≪人魚姫≫が元になっている事は、すぐに分かりますが、≪人魚姫≫が片思いの悲劇として構成されているのに対し、こちらでは、相思相愛のハッピーエンドにしようとした為に、後半がどうしてもおかしくなり、物語展開のセオリーを見失ってしまったものと推測されます。

  普通なら、宗介達が住んでいるリアルな世界に、ポニョという異世界の要素が入って来た事で引き起こされる、カルチャー・ギャップ的エピソードをテーマにすべきところなんですが、後半の纏め方に悩み過ぎたあまり、リアルな世界を壊して、舞台全体を異世界の方の色に塗り替えてしまいました。 これでは、ギャップが出ないので、前半部のリアル世界の描写が水の泡になってしまいます。

  この後半が苦肉の策で継ぎ足されたのは明白で、おそらく監督もスタッフも、何となくすっきりしないまま、締め切りに追われてゴーサインを出してしまったんじゃないかと思います。 こういう、お茶を濁すような纏め方は、創作活動をしているとよくある事ですが、注目度が高い作品だけに、お粗末さが際立ってしまいました。

  残念なのは、監督が、「大人は批判するかもしれないけど、子供は物語構成なんて分からないから、これでも行けるだろう」と判断したと見られる点です。 おそらく、100%子供向けとして作っているつもりだったんでしょう。 しかし、随分昔から言われているように、「大人が見ても面白い話でなければ、良い子供向け作品とは言えない」のでして、まして、老若男女、日本全国が注目しているとなれば尚更で、「これはないだろう・・・」と落胆しないわけにはいきません。

  では、どうすればよくなったか? とにかく、リアル世界を壊すのは以ての外です。 最後までリアル世界を主な舞台にしなければなりません。 嵐の海から突然現れた女の子がポニョである事に、宗介がすぐに気づいてしまうからいけないのであって、最後の最後まで気づかなくすればいいのです。 つまり、「あ! 君は、ポニョだったのか!」と驚き、二人で大喜びする場面をラストに持って来て、その間を、細々した、カルチャー・ギャップ的エピソードで埋めて行けばいいのです。

  ポニョの父や母はいらないのであって、原作通り、魔法使いだけ用意すればOK。 妹達は面白いので残して、ポニョがポニョである事を宗介に気づかせる応援をさせればよいでしょう。 ポニョは、原作通り、手足を貰う代わりに声を奪われる事にし、そのせいで自分が誰なのか伝える事が出来ず四苦八苦するけれど、宗介がポニョである事に気づけば、声が戻るという設定にしておけば、よりハッピーエンド度が高まります。 こういうストーリーにすると、話がかなり小粒になりますが、一般常識的に考えれば、まあ100倍は面白くなると思います。

  だけどねえ、今私が書いたようなストーリー展開は、物語を考えた事がある人なら、誰でも思いつくと思うんですよ。 なぜ、宮崎監督が、そちらを選ばなかったのかが解せません。 月並み、もしくは、安直だと思ったんでしょうか? ≪ハウルの動く城≫が、「分かり難い」と不評だったので、その反省に立って、分かり易い話として≪崖の上のポニョ≫を作ったと聞きましたが、どうして、より分かり易いストーリー展開を嫌ったのかが理解できないのです。


  ここまで貶しておいて、更に重箱の隅を突付くのは酷だと思うのですが、細部にも、黙って見過ごせないほど気になった事がいくつかあります。

  まず、宗介が、母親のリサを名前で呼び捨てにしている点。 まだ喋り始めの頃なら、父親が母親を呼ぶのを真似して、そうする事がありますが、幼稚園程度の年齢では、普通ありえません。 敬語を使わない言語圏であっても、父母を名前で呼び捨てするのは、相当稀だと思います。 「そういう教育方針の家庭なのだ」と言われてしまえば、納得せざるを得ませんが、そうなると、かなりいい加減な子育てをしている夫婦という事になり、物語の中心家庭として相応しくないでしょう。

  次に、嵐の場面で、リサが、船の引き上げ場を、無理やり突破する点。 すでに波が道路を洗っている状態で、「危険だから」と言って、係員が止めているのに、結局、突っ切って行きます。 子供を乗せているというのに、こんな無茶な事をやるのは、明らかに母親失格でしょう。 車が水にどれだけ弱いか分かっていない、科学技術の常識に欠けた愚か者とも取れます。

  そうそう、ちなみに、車が完全防水だと思っている女性は、実際に、結構いるようです。 「1万円程度の腕時計でさえ防水が当たり前なのだから、100万円以上する車なら、完全防水に決まっている」と勝手に思い込んでいるのだとか。 馬鹿か? 車は3000万円しても、日常生活防水じゃい。 大雨で冠水したガードに突っ込んで行って、身動き取れなくなる車がよくありますが、そういう運転手が車の防水性能をどう認識していたか、アンケートを取ってみると面白いでしょう。

  話を戻しますが、この場面、監督としては、リサの思い切りの良い性格を表現したかったのだと思います。 しかし、私が連想したのは、数年前、川の中州でキャンプをしていて、増水で流されて死者を出したグループの事件でした。 役所の人間が、「避難してください」と言いに来たのに、「子供がいるから、夜中に移動するのは却って危険だ」と、一聞もっともらしい理屈を並べて追い返してしまいました。 ところが、明るくなる頃には、岸に戻れなくなるほど増水してしまい、結局、何人も流されるという悲惨な結果を招きました。 大人は自業自得としても、子供は、大人の判断ミスの犠牲になったわけです。 さて、リサの取った行動は感心するようなものでしょうか。 私は、ただの軽率な人物としか思いませんでしたが。

  三つ目、リサが、宗介とポニョを家に残して、老人ホームへ様子を見に行く点。 これは不自然でしょう。 自分の家が確実に安全と分かっているならともかく、この時点でリサは、起こっている現象の原因について何も知らないのであって、家が水没する可能性もあったわけです。 そんな状況で、子供を放って、職場へ向かう母親がいるとは、とてもとても、到底到底、思えません。 行ったところで、何が出来るとも思えませんし、どうしても行くなら、宗介とポニョも連れて行けばいいのです。 なぜ、置いて行く必要があるのか、説明がつきません。 家が灯台代わりになっているから、明かりを点けておかなければならないと言っていますが、それは、子供が残っていなければいけない理由にはなりますまい。

  四つ目、ポニョの性格。 主人公というより、ヒロイン扱いですが、それにしても、キャラクターの描き込みが希薄だと思います。 宗介とハムと赤ん坊が好きという以外に、何も考えていないようで、3歳くらいなら、そんなものかと思いますが、5歳ともなれば、思いついた事をベラベラ喋って、周囲の大人を辟易させるくらいが普通ですから、ポニョの人格の極端な単純さには、違和感を覚えざるを得ません。 ヒロインとしての愛すべきキャラを感じないのです。

  五つ目、題名ですが、≪ポニョ≫は分かるとしても、なんで、≪崖の上≫なのか、今一つ分かりません。 確かに、崖の上の家に行きますが、一晩泊まっただけで、あとは別の場所で話が進むわけで、崖の上と深い関係があるとは思えないのです。 他にしっくり来る修飾語が思いつかなかったのなら、単に、≪ポニョ≫だけで良かったんじゃないでしょうか?

  六つ目、ストーリーではなく、アニメーションとしての出来ですが、ジブリ作品にしては、絵が雑な感じがしました。 いや、絵ではなく、色彩が雑なんでしょうか。 一つの画面で、それぞれの色が、バラバラになっていて、統一感に欠けているのです。 手描きで、結構お金をかけているのに、この絵柄の安っぽさはどうした事でしょう。 どうも、この作品は、粗ばかり目立ちますなあ。


  欠点が多過ぎて、今更バランスの取りようがありませんが、最後に良い点を上げますと、嵐の場面で、巨大な魚が波になってドシドシ押し寄せて来る所は、素晴らしかったです。 アニメでなければ出来ぬ、ど迫力映像ですな。 よく、ああいうイメージを思いつくものです。

  ベスト・キャラは、ストーリーから切り離して単独で見れば、ポニョの父のフジモトが面白かったです。 明らかに、中途半端な設定で、出来かけ半生でテーブルに供された料理みたいなキャラですが、そこが珍しくて、面白かったという意味。 全く同じ理由で、半魚人ポニョのキャラも珍しいっつやー珍しいですな。 ストーリー上は、なんで、半魚人段階が必要なのか、さっぱり分かりませんが・・・。 しかし、三本指というのは、半魚人というより、半鳥人っぽいですな。

  あと、良かった点と言うと、主題歌ですか。 これは、文句なしに、2008年の日本の歌を代表する曲になりました。 この曲だけなら、100点です。