2009/12/13

トランクスは倍穿け

  さて、≪パンツ考≫の続きです。 いやあ、この一週間というもの、「本当に、パンツの話題でええんかのう?」と、自分で決めた方針であるにも拘らず、疑念に囚われる事しばしば。 事業仕分けとか、アメリカのアフガン増派とか、普天間基地移設問題とか、オバマ氏のノーベル平和賞受賞とか、書くべきテーマは、他にいくらもあるような気がせんでもないのです。 しかし、更に一歩引いて眺めてみると、今挙げたような事は、論客ぶったブロガーどもが飛びついて食いついて書きまくっておるに決まっているのであって、そんな凡庸な奴らの真似をしてもつまらんので、やはり、ここはパンツで押し通す事にしましょう。 ・・・というような、堂々たる前置きをするようなテーマでもないとは思うんですがね。


  で、トランクスですが、私の場合、寿命は大体、一年くらいです。 100円ショップの品でも、郊外大型店の衣類コーナーで買った品でも、そんなに違いはありません。 靴下の場合は、布地が破れてくるのですが、トランクスの場合は、布地よりも先に、穿き口のゴムが伸び切って、ずり落ちてしまうようになります。 たぶん、トランクス愛用者の大半は、それが原因で廃棄していると思います。 実は、ゴムがゆるゆるになってきて、「もう限界です! これ以上は腰骨に引っ掛かっていられません!」と悲鳴を上げるくらいの時が、肌への圧迫が最小で一番穿き易いのですが、形ある物はいつかは壊れるように、パンツのゴムもいつかは伸び切るわけで、諦めざるを得ない時は来るわけですな。

  しかし、そこで捨ててはいけません。 まだ使えます。 布地が破れていないのに、どうして捨てるかなあ? 勿体ない勿体ない、マータイさんが殺しに来るぞ。 ゴムが伸びただけなんだから、ゴムだけ替えればいいんですよ。 「たった、100円で売っているものを、手間かけて、わざわざ直すかね?」って? 何言ってるんですか、そこがエコの醍醐味じゃありませんか! いや、それだけではない。 新品よりも、ゴムを替えた物の方が、優れていると思えばこそ、敢えて薦めるのです。 自分でゴムを替えれば、張り具合の調節が利くので、新品のきついゴムのように締め付けられずに済みます。 ほーら、何となく、替えてみたくなって来たでしょう?

  では、早速、始めましょう。 まず、トランクスの穿き口の内側を見て下さい。 大体、幅3センチくらいの、白いゴムが縫い付けてあると思います。 「えっ! これを替えるの? こんなの、ゴムだけでも、100円以上するんじゃないの?」と、心底馬鹿馬鹿しい気分になるのも分からないではない。 「しかも、ミシンで、びっしり四本も糸を使って縫ってあるじゃないか! こんなの素人に替えられるわけがない! 大体、ミシンなんて使い方知らないよ!」と、自暴自棄になるのも、大いに共感できる。 しかし、そこで投げてはいけません。 物事には必ず、解決方法という物があります。 国際政治の重大問題にさえ解決法があるのに、たかがパンツのゴム替えごときに解決方法が無いわけがないじゃありませんか。

  同じ3センチ幅のゴムを付けようとするから、素人には不可能事になってしまうのです。 要は、腰に引っ掛かる程度の張力があればいいのですから、幅7ミリくらいの、普通のゴム紐で充分です。 100円ショップに行けば、3メートル分くらいのが売っています。 「それにしたって、伸びるゴム紐を伸びない布地に縫い付けるのは難しいだろう」 いやいや、何も、ゴム紐を直接布に縫い付ける必要はありません。 布の方を折って、筒を作り、そこにゴムを通せばいいのです。 パジャマやトレーナーの穿き口のゴムと同じにするわけです。 これなら、特別な技術は要りませんし、ミシンを使えない人でも、手縫いで加工ができます。

  まず、元からついている幅3センチのゴムを取り外します。 4本の糸で縫い着けてありますから、それを握り鋏で切って行けば宜しい。 面倒臭いですが、手が疲れないように休み休みやっても、20分くらいで、全部外せます。 握り鋏というのは、裁縫箱に入っている、U字型の小さな鋏の事。 先が尖った鋏でないと、縫い目は切れません。

  どこでもいいから、切り始めの部分を一箇所決めて、まず、ゴム側の表面の縫い目を、4本それぞれ、5コマくらい切ります。 この時、絶対に布地の側から切ってはいけません。 布地そのものを切ってしまう恐れがあるからです。 5コマ切ったら、その部分の、ゴムと布地の間に指を入れて、隙間を広げます。 広げると、両端に、まだ切れていない縫い目の糸が開くのが見えますから、どちらか一方に決めて、そこを切って行きます。 広げては切り、広げては切り、倦まず弛まず、延々と続けます。 結構きつい作業なので、挫けそうになったら、日本刀の手入れをしながら、こちらを睨んでいるマータイさんの顔を思い浮かべると良いでしょう。

  一番後ろの部分に、洗い方を指示した布のプレートが縫い付けてあると思います。 ここは手強いので、最後に残ると思いますが、やり方としては、まず布のプレートの真ん中に鋏を入れ、切り開いてしまうと宜しい。 どうせ、そのプレートは使いませんから、遠慮は要りません。 すると、隠れていたゴムの表面が露出し、糸の縫い目が見えますから、それを全部切ってしまえば、否が応でも外れます。 これで、ゴムはすっきりすっかり取れてしまうはずです。

  次に、布地に残った糸の切れ端を丹念に取り除きます。 指先を使う細かい作業になるので、手が痺れて来て、「こんな事してて、時間の無駄じゃないかなあ・・・」と、ひとしお思う頃合ですが、そんな時は、日本刀を振りかざして近づいてくるマータイさんの怒気漲る面持ちを思い浮かべて乗り切りましょう。 「アナタ、ニッポンジンジャナイデスカ! モッタイナイデショウ! モッタイナクナイデスカッ! キッサマーッ! ソレデモ、ニッポンジンカーッ!」・・・とまでは言わないと思いますが。

  綺麗になったら、布地を折り返して、縫い始めます。 布地の端っこは、最初から折ってあるので、それはそのままにして、一段だけ折ります。 好都合な事に、ゴムを外した時の、一番下の縫い目の穴が残っていますから、そこまで折って、同じ縫い目をなぞる格好で縫っていけば宜しい。 縫い方は、普通の≪並縫い≫で充分です。 ≪本返し縫い≫や、≪半返し縫い≫ができれば、より綺麗に、より丈夫に仕上がりますが、たかがパンツに、そんな手間を掛ける事もありますまい。

  もし、ミシンを使えるなら、それに越した事はありませんが、奥さんやお母さんに頼むのだとしたら、それは、お勧めしません。 光景が目に浮かぶようです。 汚物でも渡されたように、トランクスを指二本で抓み、満面に軽蔑の表情を浮かべ、「新しいの、買ったら?」と言われるに決まっています。 マータイさんの怖さを知らぬ罰当たりな女どもめが。

  ぐるっと一周縫ったら、ゴムを入れる所を、2センチくらい残しておきます。 ゴムの長さは、予め、伸ばさない状態で自分の腰に当てて実測し、それをほんのちょっと短くしたくらいにすればいいわけです。 ただし、結び代、もしくは、縫い代の分が必要なので、長めに切っておきます。 たぶん、家の裁縫箱に、ゴムを通す為の器具が入っていると思うので、それにゴムをセットして、通して行きます。 この際、誤まってゴムが全部入ってしまわないように、もう一方の端の動向には目を光らせておかなければなりません。 ゴムを通し終わったら、長さを調節しつつ、ゴムの両端を、結ぶか、縫い合わせるかします。 普通は結んで終わりにしますが、重ねて縫ってしまった方が、結び目が無い分、肌への当たりは少ないです。

  ゴムの入れ口の2センチは、そのままにしておいても問題ありません。 その程度の開口部なら、布地にしても、ゴムにしても、端の部分がほつれてくるような事はないからです。 さて、これで完成。 マータイさんもニッコリです。 大体、45分くらいあれば、全工程終わらせる事ができると思います。 慣れてくれば、もっと手早くできると思うんですが、そもそも、ゴムの伸びたパンツが発生する頻度が低いので、この作業を慣れるほど経験するのは不可能だと思われます。

  穿き心地は、幅広ゴムの新品より、ずっと良いと思います。 「きついなあ」と思ったら、ゴムの長さを延ばせば宜しい。 調節に時間をかければ、体への負担が極めて少ないパンツが出来上がります。 こちらに慣れてしまうと、新品でも、わざわざ幅広ゴムを外して、紐ゴムに交換したくなるほどです。 私自身、腰が痛くて仕方がなかった頃、一度それをやった事があります。 今では、新品を壊すのも勿体ないので、少々我慢して、ゴムが伸びるまで穿いていますけど。

  寿命は、付け替え後、一年以上は楽勝ですな。 つまり、替えないで捨てる場合と比べて、倍穿けるわけです。 ゴムを替えて行けば、無限に使えるような気もしますが、それは話がうますぎるのであって、たぶん、二回目の交換をする前に、布地が薄くなって破れてくると思います。 そうなったら、もう捨ててもいいでしょう。 マータイさんも、深く頷いて、許してくれると思います。 靴下と同じように、当て布で補修する事も出来ないではありませんが、あまりにもみすぼらしくて、洗濯物を干すのに恥かしさを感じると思うので、あまり薦めません。 マータイさんにさえ、指二本で抓まれて、「モウ、ステタラ?」と言われてしまいかねませんからのう。


  いやあ、ただ、パンツを直して使うというだけの内容で、コラムを二本も書いてしまいましたよ。 人間、どんな下らない事でも、信念を持って取り組めば、完遂できるものですな。 わははは!

  それはさておき、あのマータイさんという人、どうしてまた、日本語の「モッタイナイ」を引っ張り出したんでしょうねえ? ≪勿体ない≫に相当する単語や表現は、当然の事ながら、どの言語にもあるわけで、人類に普遍の概念どころか、動物ですら使える物を使い切らない事を惜しむ感情は持っています。 なぜ、選りに選って日本語だったのか? 高度成長期以降、ここ半世紀の日本人といったら、≪勿体ない≫の感覚から最も遠く隔たってしまった民族ではありませんか。

  日本を全然知らないとしたら、わざわざ日本語を使う理由が分かりませんし、知っているのだとしたら、老若男女挙って物を捨てまくっている現代日本人の実態を目にしていないはずがありません。 もしかしたら、日本人を皮肉るつもりで、敢えて日本語を選んだんでしょうか? それなら、目的を果たす事には完全に失敗しましたねえ。 日本人の反応は、「日本語の単語が取り上げられた!」って喜んだだけで、自分達が世界でも一二を争うくらい勿体ない事をしている民族だなんて、微塵も自覚しなかったのですから。