2009/10/04

誘致騒動

  「リオで、じゃねーだろ!」ではなく、リオ・デ・ジャネイロに決まったようですな、2016年の五輪開催地。 ちなみに、≪Rio de Janeiro≫とは、≪一月の川≫という意味のポルトガル語だそうです。 1502年の1月1日に、ポルトガル人航海者がここに到着し、細長い入り江を川と間違えて、こういう名前をつけたのだとか。 うーむ、十数年前に古本屋で衝動買いした≪世界地名ルーツ辞典≫が、今頃役に立つとは思わなかった。 もっとも、ネットで調べても、そのくらいの事はすぐ分かるんでしょうけど。

  それさておき、ブラジルの都市になって良かったですな。 ブラジル初であると同時に、南米大陸発であるというのは、大変意義のある事です。 というより、今まで一度もやっていなかったというのが不思議。 よくもまあ、こんな地域差別、不均衡を放置して来たものです。 ライバル都市が落ちたのは当然という気もします。

  マドリードなんて、スペインでしょう? こないだ、バルセロナでやったばっかじゃん。 なに、カタルーニャとカスティーリャは違う? そりゃ、違うでしょうけど、スペインとブラジルほどには違いますまい。 ヨーロッパと南米ほどには異なりますまい。 よく、立候補したと、そっちにびっくりします。 バルセロナ五輪は、ソウル五輪よりも最近なんですよ。 もし、韓国が、釜山で立候補していたら、スペイン人だって、「こないだ、ソウルでやったばっかりじゃないか!」と思うでしょうが。 「京畿道と、慶尚南道は違う」って言われても、「そりゃ、違うでしょうけど、韓国とブラジルほどには違いますまい。 東アジアと南米ほどには異なりますまい」と言うでしょうが。

  シカゴお? アメリカ人よ、えー加減にしなさい。 一体、何回やれば気が済むんだよ。 「アトランタ以来、20年ぶりの開催を目指して」と聞くと、「ほーお、20年も経つのか・・・・」と、一瞬感慨に耽ってしまいますが、オリンピックの開催頻度から考えれば、20年前なんて、たかだか5回前に過ぎず、 ちっとも時間なんて経っちゃいません。 危ない危ない、すんでに騙されるところだった。 やりすぎだよ、アメリカは。 何でも金でカタが着くと思ったら大間違いですぜ。 そもそも、今のアメリカには、その金が無いじゃありませんか。 借金だらけの国が、金で五輪を誘致しようなんざ、分際を弁えないにも程があります。

  そういえば、夫人を派遣するだけでは役者不足と思ってか、オバマ大統領当人まで最終プレゼンに乗り込んで来たそうですが、いつもの名調子で、ハッタリぶっこいて、「どうだ、それでなくても最有力候補と見做されているシカゴだ。 私の歴史に残るスピーチで、否が応でも駄目押しだろう!」と御満悦の笑みを浮かべていたのも束の間、いの一番に落選して、アメリカ国民一同、目が点の唖然呆然、言葉を失うとは、あの状態の事を言うんでしょうな。 いやはや、まさか、あのIOCがオバマ氏に水をぶっかけてくれるとは思いもしませんでした。 「調子に乗んなよ。 こちとら、スターは、スポーツ選手で間に合ってるぜ」ってなところですかね?

  さて、東京だ。 落選した今でも不思議でならないのは、「そもそも、どうして立候補したのか?」という、これ以上無いくらいに根源的な、その点です。 「東京で? 前にやったじゃん。 何回、同じ所でやるのよ?」と思うだけでなく、良識的日本人の感覚として、「夏は一回、冬は二回もやってるんだから、もう、日本でやる必要は無いんじゃないの?」という、遠慮を感じていたと思うのです。 一度も開催していない国々が無数にあり、しかも、実行するだけの経済力を備える所が出て来ているのですから、そちらが優先だと思うのは、至って自然な感覚でしょう。 なぜ、今、日本なのか? しかも、前に一度やっている東京なのか? 飛び交う疑問符で、背景が埋まりそうでした。

  現都知事が、自分の功績として、誘致を置き土産にしたいと考えていたのは明白で、まあ、政治家ですから、それはそれで批難されるような事ではないですが、盛んに笛を吹いたにも拘らず、東京都民をすら踊らせるに至らなかったのは、オリンピックの必要性に対する、民衆との感覚のズレを埋めきれなかったからでしょう。 現都知事を選挙で選んだのは、現東京都民ですが、他の候補者がパッとしなかったために、消去法で選んだという傾きが強く、現都知事に、何か目立った業績を挙げて欲しいと願っていたわけではないんですな。 故に、彼の花道や置き土産には、何の興味も無かったのではありますまいか。

  どうも、バブル崩壊以降の東京には輝きが見られず、地方から見ると、もはや現代日本の文化の中心ではなくなってしまっているわけですが、東京都民自身も輝くのにうんざりしているような嫌いがあり、「お祭り騒ぎはもういいよ。 静かに暮らさせてくれんか」と、冷め切った目で五輪誘致運動を見ていたように思えます。 「是非、もう一度、東京で!」と願う人達が、ある線を越えて増えて行かなかったのです。 一部の人が騒げば騒ぐほど、残りの大多数は冷めるという、シラケた雰囲気が隠せませんでした。

  むしろ、リオが最終候補に残った時点で、「南米から出るのなら、東京の立候補は取り止めて、譲ります」と言えば、滅茶苦茶カッコよかったと思いますが、「誘致誘致!」で血道を上げて来た人達に、そういう発想を期待するのが無理というもので、結局、落とされるまで、食い下がってしまったわけですな。 「シカゴには勝った」などと言っている人もいましたが、恥かしいから、そういう事を言うなって、全くもー。 選挙と同じで、落選すりゃ皆同じよ。 次点も三点も四点あるものかね。

  「誘致活動の仕方が悪かった」という意見もあるようですが、的外れな分析だと思いますねえ。 むしろ、東京のように全くセールス・ポイントが無い都市で、よくぞ、あれだけ、それらしい誘致理由をこじつけたと、感心するほどです。 現代の東京と、スポーツの祭典が、どうしても結びつかないものだから、環境問題にすりかえを図ったのは、実に日本人らしい屁理屈全開の発想でした。 屁理屈も論理の内だと思ってますからのう。 ただ、論理を理解できる外国人から見ると、スポーツと環境問題には何の関係も無いのは明白で、「何を言っとんじゃ、日本人は?」と、首を傾げていたのは疑いないところです。

  「前の東京オリンピックの時の施設を再利用する」といった計画も、「セコい」、または、「しょぼい」と見做されて、疎まれた可能性が高いです。 スポーツ関係者にとって、オリンピックは、四年に一度の盛大なお祭りなわけでして、「環境に遠慮して、華やかさを削られては、何の為にやるのか分からなくなってしまう」と思われたのではありますまいか。 上杉鷹山に三社祭や祇園祭の企画を任せるわけにはいかないわけだ。 東京の誘致計画は、根本的な所で、ピントずれを起こしていたものと思われます。

  本当に環境を最優先するのなら、オリンピックなど、やらないのが一番宜しい。 人が国境を越えて、うじゃうじゃ移動すれば、それだけで膨大な量のエネルギーを費やしてしまうのであり、その点、オリンピックは最悪の行事でしょう。 それでも、やるわけですから、「お祭りの時くらい、環境だなんだと、野暮な事は言うな」と思うのが人情というものです。

  「オバマ大統領や、鳩山首相が、最終プレゼンになって、取って付けたように参加したから、却って顰蹙を買った」という見方は、当たっている面もあると思います。 何事も一夜漬けは、メッキが剥がれ易いもの。 しかし、たとえ、彼らが、それをやらなかったとしても、結果は同じだったと思います。 やはり、未開催国がライバルに残った時点で、潔く諦めて身を引き、進んで譲るべきだったのです。

  とにかくねえ、もう、一度開催した国は、手を挙げない方がいいですよ。 まだ、アフリカ、中東、南アジア、東南アジア、東欧、中央アジア、太平洋諸国、カリブ海諸国と、開催していない地域は、いくらもあります。 そういう所でやった方が、絶対面白いですって。 そんなに金を出したきゃ、未開催国に資金提供してやれって言うのよ。 「俺が俺が!」と目を血走らせているより、その方が、ずっとカッコいいから。 もっとも、そういう、金に物を言わせて来た国々が、今や軒並み借金地獄に嵌まっており、外国への援助資金も借金で賄うという、奇妙奇天烈な事をやっているわけで、「一番いいのは、何もしない事だ」という気もしますが。

  最後に、日本の最終プレゼンの秘密兵器だった、15歳の少女。 オバマ大統領対策として用意されたらしいですが、結果的には、とんだ茶番になってしまいましたな。 未だに素性も正体もよく分からんのですが、一体、誰だったのよ? 未来の新体操選手? そんなの、いくらでもいるんじゃないの? IOC委員も、反応に困ったろうねえ。 「誰? 知ってる? え? 誰よ、あの子?」 日本人も知らないんだから、IOC委員が知ってるわけないわなあ。 あのプレゼン企画、一体、誰が立てたんですかね? あんまり、奇を衒って、世界に恥を晒すような真似をするなよ。 その子の将来の為にも気の毒だろうが。 必ず、オリンピック選手になれるって、保証できるか? そんな予測がつくほど、甘い世界じゃあるまいに。