2009/07/26

出力より入力

  前々から考え続けている、インターネットの有効な使い方ですが、最近思っているのは、「基本的な方向性として、≪出力≫より、≪入力≫を多くした方がよいのではないか」、という事です。 つまりその、自分の方から他者に働きかけるより、他者が出している情報を取り入れる方に重きを置くべきではないかと思い始めたわけです。

  インターネットを始めると、最初の半年くらいは閲覧ばかりしていますが、その内、他人のやっている個人サイトの掲示板などに書き込むようになり、徐々に話し相手が増えるに連れ、「自分にもできるかな」と思い始め、個人サイトを立ち上げたり、ブログを開設したりと、入力から、出力へ移行していきます。 一旦、出力を始めると、他者の反応が返ってくるのが面白くて、「出力こそ、インターネットの本領だ!」と信じ込み、がむしゃらに情報発信を続けますが、一人の人間が持っている情報量には限界があるので、やがて枯渇し、大勢いた閲覧者も減って行きます。 個人サイトでも、ブログでも、こういう経過を辿っている所は、非常に多いですな。

  最終的には、閲覧者はゼロになり、作った当人さえ滅多に覗かなくなり、サイトやブログの残骸だけが無残に晒されます。 これを読んでいる方々の中にも、同じコースを経験して、思い出すだに、心の傷が疼き、苦笑いで平静を装う以外ない人も多い事でしょう。 しかし、必要以上に自己嫌悪に浸る事はありません。 一度でも繁盛を味わっていれば、まだ幸せな方です。 最近ネットを始めた人達などは、否が応でも、ブログから始めざるを得ないわけですが、昨今のブログは、利用者数の肥大化が原因で、ブログ・センターの更新紹介機能が働かなくなり、新しく立ち上げても一人も見に来ないという悲惨極まりない状態に陥っています。 誰も見てくれないのは、哀しくも悲しいよねえ。

  たまにコメントが入っても、記事に対する感想などそっちのけで、「初訪問です。 僕のブログも宜しくお願いします」とだけ書いてあったりするから、鶏冠に来る。 何が、初訪問だよ。 それで、恩でも着せてるつもりか? おまえ、馬鹿じゃないの? そんなコメント打たれて、「はいはい、ありがとうございます。 ただちに、お礼のコメントを書かせて頂きに参上致しますでげすよ」なんて、揉み手で応じる人間がこの世にいると思ってんのかよ。 全くの見ず知らず、紛う方無き赤の他人の、スケベ根性丸出しの宣伝コメントに付き合ってやる義理なんぞ、金輪際あるものかね! KYどころの話ではなく、他人の心理をまるで読もうとしていない所が怖い。

  また、「どんなコメントでも、数の内」と割り切っているのか、宣伝コメントに対し、ご丁寧に返礼に行く人も、気が知れません。 そんなコメントを書く奴に限って、知能の低い半端人間でないはずがないのであって、つきあったって、何のプラスにもなりません。 むしろ、頭が腐ります。 時間の無駄、エネルギーの無駄。 あー、やだやだ、勿体ない。 人生の貴重な時間を、そっただバカタレの相手に費やすなど、もはや、自分に対する背徳行為ですな。

  それに、そういうコメントを打って来る奴をテキトーにあしらって無視していると、全く同じ文面で、何度でもやって来るから、始末に負えません。 更に悪質になると、文面は同じで、名前だけ変えたあったりします。 名前が違うから、別人かと思って、ブログを開いてみると、同じ所なのです。 閲覧者数を増やすのだけが目的なのか、相手に迷惑を掛けようが、何と思われようが、一向に気にしないようなのです。 こういう輩は、馬鹿といったら馬鹿に失礼で、スバリ、キチガイと呼ぶのが適切な表現でしょう。 一旦、取り憑かれたら、無視し続けて向こうが飽きるのを待つか、コメント欄をオフにしてしまうか、どちらかを選ぶしかありません。

  ブログは、簡単に作れるので、一人で何軒もやっている人が多いと思いますが、テキトーな内容の更新しかしていない場合、まーあ、客が来ないでしょ? 隠しても駄目よ。 私もさんざんやったんだから。 「閲覧者は一週間に2・3人、コメントは冷やかし以外来た事が無い」なんて状態で運営しているなら、即刻やめた方がいいですな。 「せっかく作ったんだし。 愛着があるから」と、閉鎖をためらう気持ちは分からんでもないですが、手間対効果的に見て、マイナスになっているのは確実なので、続ければ続けるほど損をする事になります。 そのブログは、作者にとっては、「ささやかな人生の記録」でも、他人から見れば、「閲覧価値ゼロ」なのであって、だからこそ、お客が来ないのです。 他に理由がありますまい。 やめちゃえ、やめちゃえ。 スッと肩の荷が下りますぜ。

  個人サイト全盛期に作ったサイトを、閲覧者がほとんどいなくなったにも関わらず、維持・更新し続けている人も結構いると思いますが、それも閉めちゃった方がいいと思いますぜ。 個人サイトの場合、ブログと違って、コンテンツのページがあるわけですが、それを消すのが惜しいと思ったら、ブログのサイドバーに、リンクとして残しておけば宜しい。 基本的に、客が来なくなったら、そのサイトの価値はゼロになったと見るべきで、一人で頑張ってたって虚しいだけ、傍から見れば滑稽なだけです。 「全盛期を知っている人が見に来た時、閉鎖した事が分かったら、馬鹿にされそうで、悔しい」なんて心配は、一切せんで宜しい。 却って、残骸を放置しておく方が馬鹿にされますし、それ以前に、一度来なくなった人は、大抵、二度と来ませんから。

  「いや、今でも、閲覧者が日当たり5・6人はいるから、その人達の為に閉められない」というケースもあると思いますが、アクセス・ログで何人か来ている事がわかっても、掲示板やコメント欄に書き込みが無い場合、その客は常連ではなく、単語検索で引っ掛かった所をたまたま開いた可能性が高いです。 当然の事ながら、一度は見ても、二度は来ません。 その種の、≪行きずりの客≫の為に、少なからぬ手間をかけて更新を続けるのは、愚かな努力というものでしよう。

  もう、時代が時代ですから、個人サイトは全面的にやめてしまって、ブログを一本だけ出力用に残しておくようにすれば、それで充分だと思います。 どうせ、まともな客なんて、永久に復活しませんよ。 百年河清を俟って、待ちぼうけを喰らうのがオチ。 まともな人間がこの世にいないとは言いませんが、ネット初期にいた比較的まともな人達は、早々にネットのネガティブな面を見抜いて、距離を置くようになってしまったんですな。 まともだからこそ、関わらなくなったわけです。

  かつて、個人サイトの掲示板で、3分の1近い勢力を誇っていた、専業主婦の方々が、軒並み姿を消してしまった事は、大変な地殻変動を引き起こしました。 彼女らは、多少の幅はあれ、良識を備えていたので、学生・フリーター・ひきこもりといったネットのゴロツキどもを牽制するのに大きな役割を果たしていたのですが、悪貨が良貨を駆逐する法則には勝てず、「こんな頭のおかしい人達とは話が出来ない」と、眉を顰めて、ネットへの出力をやめてしまったのです。 全く、惜しい。

  ちなみに、私の経験では、ネット上で出会った女性の中で、独身でまとも、という人は皆無でした。 ただ、既婚なら必ずまともというわけでもなく、オタク系や、鬱病系は、やはり話が通じませんでした。 女性の特徴としては、これといった前触れもなく、突然、サイトを閉めてしまったり、急に掲示板に顔を出さなくなったり、そういうパターンが非常に多かったです。 女性のいい所は、相手を馬鹿にしたり、見下したり、そういう態度を取らない事ですかね。 ネット交友に於いては、極めて重要な資質だと思うんですが、それを備えた人達がいなくなってしまったのですから、損失は計り知れません。

  一方、男ですが、全く、ほとほと、ろっくでもないよねー。 年下は馬鹿ばっかり。 知識も教養もサランラップ並みにペラッペラのくせこいて、どこで覚えたんだか、屁理屈ばかり一人前。 とりわけ、学生・フリーター・ひきこもりの三馬鹿には、まともな人間を一人も知りません。 世の中についてああだこうだ御託を並べる前に、まず自分の人生をどーにかせーよ。 誰が、己の食い扶持も稼げないような人間を、対等に見てくれるのだね?

  年上は数がぐっと少ないですが、こちらもこちらで、態度ばかりでかいです。 えっらそーに、何様のつもりだよ。 表面的に敬語体で書いていても、年下の相手を見下し、どうにかして、コケにしてやれないかと虎視眈々、言葉の端々に嫌味を盛り込む事だけに余念が無い。 あのなあ、年長・年少以前に、他人様なんだから、とりあえず、対等関係からスタートしろよ。 礼儀のかけらも知らんのか? 何を親に教わった? 年下を見たら、馬鹿にしろと教わったか? 親子揃って、恥を知れ。

  自分と同じ世代の人とは、割と良好な関係を築けますが、ネット上で同年代を探すのは、結構な骨です。 もし見つけたら、少々意見に違いがあっても、論戦などは厳に謹んで、大切に交友を続ける事ですな。 一度失うと、なかなか代わりが見つかりませんから。 子供の頃、同じテレビ番組を見ていたとか、同じマンガを読んでいたとか、それだけでも、ダイヤモンドより貴重な共通点です。


  出力を、ブログ一ヶ所だけに絞るとして、更新頻度ですが、せいぜい、一週間に一度くらいで充分だと思うのですよ。 何といっても、ブログ・センターがもう死んでいるわけですから、頻繁に更新したところで、それで客が増えるという事はありえません。 また、客を増やす事自体に意味が無い。 なにせ、今時、ネット上を遊弋しているのは、馬鹿やキチガイばっかりなわけですから。 週に一回更新して、後はうっちゃらかしておきましょうや。 トラックバックは言うに及ばず、コメントも受け付けなくて宜しい。 断言しますが、どうせ、ろくなコメントは来やしません。

  最大の眼目は、出力の為に投入するエネルギーを、極力減らす事にあります。 一日に、パソコンの前に座る時間は決まっていると思うので、出力にかける時間が減れば、その分、入力にかける時間を増やせるという計算になります。 現在、自分のサイト・ブログや、よそへの書き込みで、毎日、何らかの出力に明け暮れている方々、その時間がそっくり浮くと思えば、どれだけ、あちこち見て回れるか、想像するだけでも、目の前が薔薇色に変わる心地がしませんか?

  出力をいくらやったって、所詮、自分の頭の中から出て来るものですから、それが自分を成長させてくれる事はありませんが、入力は、信憑性の高い発信元でありさえすれば、確実に自分の知識・情報力を高めてくれます。 入力と言っても、他人のブログなんか見ても愚にもつかないのであって、国内外のニュース・サイトや、公共機関、企業、研究団体などのサイトを見れば、得るものは膨大にあっても、失うものは何も無いと思います。

  ネット歴の浅い人は、「そんな所を見ても、他人と話ができるわけじゃないから、面白くない」と思うかもしれませんが、もううんざりするほど長くやっている人なら、「話なんかしても、所詮、他人は他人だ。 現実世界のような友人になれるわけじゃない」という事を知っているので、軸足を閲覧の方に置く事に、「一理ある」と、納得してもらえるんじゃないかと思います。

  まず、自分がネットに対して費やしている時間と労力を観察し、出力と入力の割合がどくらいになっているかを見極める事から始めるべきですな。 更新や巡回書き込みにうんざりしているようなら、それは出力が多過ぎるのですから、少しずつ減らしてみて、どの辺りで楽になるか、試してみればよいと思います。 ネットは、本来、誰にやれと言われたわけではなく、自発的に楽しむ為に始めたのですから、苦しさを我慢する必要などありません。 嫌な事はさっさとやめ、新たな楽しみを見つける旅に出るのが、本道ではありますまいか。