スッキリ頭
このブログを読んでいる人の内、たまたま来たとか、意見や文章を盗みに来たとか、自分の考え方と相容れない奴の文を読んで怒りのエネルギーを喚起するために来たとか、そういう連中を除いた上で、更に上澄みの三分の一くらいの人達なら、≪加藤周一≫さんの名前を知っていると思います。 芸能人でもスポーツ選手でもなく、割とよくある苗字と、割とよくある名前の組み合わせなので、知らない人は全く知らず、知っている人だけが、そこそこ詳しく知っている、そんな人です。
職業は、広く言えば、作家。 狭く言うと、文芸評論家。 しかし、若い頃は医師をしていて、評論家として身を立てた後も、医師免許は持ち続けていたようです。 昨年(2008年)の12月5日に、89歳で世を去りました。 死因は多臓器不全だそうですが、いわゆる老衰でしょう。 亡くなるほんのちょっと前まで評論活動を続けていたようで、≪プラハの春≫の思い出を語りつつ、現代の青年層に対する観察を披露している姿を、没後、追悼番組になったテレビの特集で見ました。
一口で言って、どういう人だったかというと、現代日本人で、唯一、頭のスッキリした人だったのです。 いや、「唯一」と言うと、ちょっと語弊がありますな。 「最も」と言った方が的確でしょうか。 一億二千万人あまり雁首揃えている中で、頭のスッキリ度がトップだったわけです。 ただし、数値で表すと、トップの加藤さんを100とすれば、二番以下は80に達しない、それくらい抜きん出ていました。
ちなみに、加藤さんが単独トップになったのは、1973年以降でして、それ以前には、石橋湛山という大御所がいました。 他に日本人でスッキリ頭というと、歴史上の人物になってしまいますが、幕末の小栗上野介などもそうです。 他には・・・・おりませんな。 信じられない少なさですが、少ないからこそ価値があるわけです。
スッキリ頭というのは、具体的にどういう事かというと、該博は言うに及ばず、頭が切れるのは勿の論、論理的思考はプレインストール済、実際に合理的行動が取れるのは当たりき車力、その上で、世界全体の流れを読み取れる観察眼の持ち主の事を言います。 物知りや切れ者だけなら掃いて捨てるほどいますし、単に論理的思考だけなら理工系には珍しくありませんが、全て兼ね備えている人となると、砂漠で針を探すより難しいです。
なんで、亡くなって半年も経ってから、加藤さんの事を取り上げたのかというと、今まで、準備をしていたからです。 加藤さんほどの人をテーマに取り上げるとなれば、いい加減な事は書けませんから、昨年の暮れから図書館に通い、≪加藤周一著作集 全24冊≫を、半年かけてコツコツと読んで来たのです。 実はまだ、全部読んでいないのですが、15冊ほど読んで、大体の事は分かったので、「もう、いいでしょう」と、ゴーサインを出した次第。
加藤さんの著作は、「高尚な内容を、分かり易い文章で書いてある」と、よく言われますが、やはり、内容が難しければ、理解する上で抵抗になるのは避けられないわけで、「誰にでも、スイスイ読める」というような軽いものではなかったです。 特に若い頃の文章は、文語的な美文を意識している為に、今時の人間には、かなり厳しいと思います。 おっと、この、≪今時の人間≫というのは、40歳以上の読書階層を念頭に置いて言った事でして、それ以外の人達は、最初から手を出さぬ方がいいでしょう。 「これで、分かり易いのお?」と、劣等感に打ちのめされるだけです。 ただ、70年代以降に増える、講演内容を文章に起こした著作なら、口語体ですから、本当に分かり易いです。
本業は、文学、美術、音楽、演劇などの、文芸評論ですが、どちらかというと、副業的に発表して来た、国際政治・文化評論の方が、加藤さんの本領のような気がします。 文芸評論の方は、何となく、趣味の延長のような浅さを感じるのです。 世間では、≪日本文学史序説≫という作品が代表作と見られていますが、そんな、目から鱗というような面白い本ではなかったです。 古事記から始めて、日本で書かれた小説や歌、俳句、詩、歴史書、宗教・思想書などを網羅しており、「よくぞ、これだけ読んだもの!」と、まずそこで驚嘆するものの、対象が多過ぎる為か、分析の方はパターンが決まってしまっていて、「彼岸性より此岸性が重視される」、「全体から部分ではなく、部分から全体が作られている」の二点だけで切りまくっており、評論というより、単なる紹介に近くなっています。
もう一つ、加藤さんの著作で有名なものに、≪雑種文化≫という論文集があり、「フランスやイギリスの文化が外部の影響を受けていない純粋種であるのに対し、日本やドイツの文化は外国文化をいいとこ取りした雑種である」と論じています。 念の為に言い添えますと、別に、「純粋種と雑種のどちらが優れているか」といった低次元な事を言っているわけではないので、誤解しないように。 でねー、この、≪雑種文化論≫、分かるには分かるんですが、時代的にかなり古い時期の発表である為か、現代の世界に当て嵌めると、少々ズレを感じます。 特段、純粋種と雑種を分けて考えなくても、どこも雑種文化である事に変わりは無いと思うんですよ。 程度の差があるだけで。
たとえば、イギリスですが、英語の単語の語源を見れば分かるように、ゲルマン語、ケルト語、ノルマン・フレンチ語、ラテン語、ギリシャ語、と、さまざまな系統の雑居所帯でして、イギリス文化が、いかに多く外国からの影響を受けたかが分かろうというもの。 フランスでも、ガリア人、ゴート人、ローマ人の文化が重なったものを基層にしており、フランス独自の文化が花開いたのは、僅々数百年の間の事です。
加藤さん自身も、そういう事は当然知っていたわけですが、「それでも尚且つ、日本文化の特徴を述べれば、雑種である」と言わざるを得なかったのが苦しい所。 だけど、世界の情報が大量に日本に流れ込み始めたのは、テレビが普及した1970年代以降でして、≪雑種文化≫が発表された1956年の時点では、日本人の圧倒的多数は、80年間の大日本帝国政府の刷り込みを受けて、「日本の文化ほど、純粋な文化は無い」と信じ込んでいたので、「純粋どころか、典型的な雑種だ」と指摘する事に、大きな意義があったわけです。 戦後間もない頃にフランスに留学し、外の世界を具さに見て、日本の閉鎖性に危機感を抱いていたからこそ、日本人を世界に向かって目覚めさせる事が、その後のライフワークとなっていったんでしょう。
加藤さんは、日本語以外に、フランス語、ドイツ語、英語が喋れる、≪カトリンガル≫で、喋るだけでなく、それぞれの言語で読書も出来たそうです。 なんでも、ウンベルト・エーコさんの、≪薔薇の名前≫をフランス語で読んだと書いてありましたが、気が遠くなるような話ですな。 こちとら、≪シャーロック・ホームズ≫を英語で読むのにも、血の涙を流しているというのに・・・。 他に、漢文も好きだったそうですが、現代中国語はやっていなかった様子。
これだけ外国語通だったのですから、言語全般について知識が豊富だったかというと、そういうわけではないようで、結構、的外れな事も書いています。 例の、「日本文化は、部分から始めて、それが寄り集まって全体が構成される」という自論を展開するに当たり、「それは、後ろへ後ろへと、次々に言葉を継ぎ足していく事で構成される、日本語の文法的特徴とも通じるものがある」というような事を言ってしまっているのですが、おそらく、その一文を書いた時には、日本語ほとんど同じ文法特徴を持つ言語が他にもたくさんある事を知らなかったんでしょう。
もし、日本語の文法の特徴が日本文化を産んだと言うのなら、韓国、朝鮮、モンゴル、カザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタン、トルコ、フィンランド、エストニア、ハンガリーといった国々でも、日本そっくりの文化が形成されなければいけない事になりますが、勿論、そんな事はありません。 加藤さんが詳しかった外国は、ロシアを含むヨーロッパ全域、アメリカ、中国、インドといったところで、隣国であるにも拘らず、韓国・朝鮮への興味は薄かったようですな。 いかに加藤さんといえど、戦前に教育を受けた世代ですから、やむをえないと言えば言えますが。
加藤周一さんは、ほぼ、完璧と言っていい、コスモポリタンです。 実業家や学者には、コスモポリタンを自称している人が結構いますが、その中には世界を股にかけて差別意識と偏見を垂れ流している馬鹿者も混じっており、油断がなりません。 「コスモポリタンとは、どういう人か?」と訊かれたら、「加藤周一さんのような人」と言えば、最も的確な回答になります。 これほど偏見の無い人が、この夜郎自大の国にいて、しかも高名な知識人であったというのが、大変喜ばしい。 ほとんど、奇跡に近いです。 唯一の救いだったと言っても宜しい。
「国と国、民族と民族、文化と文化は、すべて対等であって、価値の上下など無い」という事が、頭の芯にしっかり納まっていないと、コスモポリタンには、絶対なれんのですよ。 「そんなの、公けの場で意見を述べているような人なら、大概、当て嵌まるんじゃないの?」などと、知識人の良識的雰囲気に惑わされているあなた! 試しに、新聞の社説でも、テレビ・ニュースの解説でも、言葉の端々に注意して、読み聞きして御覧なさい。 外国や異民族、異文化に対する偏見が、うじゃらうじゃら含まれていて、ちびまるこ並みに額に縦線入るから。 むしろ、差別意識が強い事を売りにしている低劣な輩の方が圧倒的に多い始末。 いないんですよ、本物のコスモポリタンというのは、滅多に。
ちょっと脱線しますが、この種の問題で難しいのは、合理主義者だからといって、必ずしも差別意識を持っていないわけではないという点です。 たとえば、ドイツ人は、合理主義者の典型のように言われていますが、一方で、外国人に対する猛烈な差別意識を持っている事でも有名です。 ユダヤ人虐殺に関しては、謝罪も賠償も反省もしているものの、それはあくまで、国家の公けの姿勢の事であって、一人一人のドイツ人の意識は、ナチス時代のドイツ人のそれと、根本的に変わってはいないでしょう。 根底にある差別意識はそのままで、ただ、それを公けの場で表明していい社会から、表明してはいけない社会に変わっただけなんですな。
科学的な態度で世界に向き合えば、人種差別にも民族差別にも、何の根拠も無い事はすぐに分かる事ですが、つまり、科学的であるという事と、合理的であるという事には、ダブらない部分がかなりあるという事なんでしょうな。 一見、合理主義の方が基本的・全般的で、科学的態度はその中に含まれるようなイメージがありますが、実際には、合理の≪理≫の性質によって、非科学的な結論に至ってしまう場合もあるわけだ。 「ドイツ人は、外国人より優れている」という考え方は、科学的には無根拠ですが、ドイツ人の理性には合致していているものと見えます。
ドイツ人ばかり責めるのも卑怯なので、日本人についても触れておきますが、おそらく、産業社会に至った民族の中では、最も非合理的なのが日本人です。 ≪武士道≫などを見れば分かるように、はなから理性よりも攻撃性の方が高く評価される野蛮な民族気質を持ち、糅てて加えて、論理を理解できないので、非合理なのも、当然と言えば当然。 過去に実行した外国侵略についても、国家レベルの謝罪ですら上辺だけで、賠償はごく一部の国に対してしか行なっておらず、反省に至っては、国家も個人も、全くしている形跡がありません。 合理的なドイツ人と、非合理的な日本人、両者に共通しているのは、外国に対する差別意識が強烈だという点です。
脱線し続けた挙句、成り行き任せで本題に戻って来ましたが、加藤周一さんは、そんなしょーもない日本人の中にあって、科学的な態度で世界を見る事が出来た、大変、稀有な存在なわけです。 加藤さんが亡くなった後、≪お別れの会≫という仰々しい催しが行なわれ、≪識者≫と呼ばれる人達が集まって、それぞれ弔辞を述べていましたが、あの中で、どれだけの人が、加藤さんと同レベルの意識を持ち合わせていた事やら、大いに怪しいです。
中には、加藤さんの事を、≪日本文化の擁護者≫と見做していた人もいましたが、それは、頓珍漢の極みというものでしょう。 加藤さんが、日本文化について詳しく調べ、多く書いたのは、「外国の優れた点を紹介するためには、まず日本の事をよく知って、客観的に比較できるようにならなければいけない」と考えていたからであって、別に日本文化を擁護していたわけではありません。 フランス留学を終えて、日本に帰ってくる航路上、船内放送で流される日本の歌謡曲に神経を逆撫でされ、終いにゃ、自分の船室のスピーカーを破壊したというエピソードが、加藤さんの日本文化に対する距離感をよく表しています。 加藤さんは、日本文化の中で、ヨーロッパや中国の文化との比較に耐える上層の部分だけを拾って評価したのであって、日本文化全般に関しては、むしろ否定的に捉えていたと見るべきでしょう。
加藤さんは、一貫して、反戦・反核の立場を取っていました。 東大医学部在籍中に占領軍のチームに加わり、原爆投下後の広島に入って医学調査を行なったという特異な経歴があるにも拘らず、日本の一般的な反核主義者が陥りがちな、ヒステリックな核保有国批難を行なわなかった点は、実に加藤さんらしいです。 まず基本に、反戦があり、その延長として、反核を置いていたわけです。 加藤さんの反戦意識の根本には、戦争で学友を失ったという辛い記憶が一方にあり、もう一方には、戦時中の日本軍部のあまりの馬鹿ぶり低能ぶりに呆れ果てていたという、現実観察の経験があって、極めて強固な基盤を形作っています。
護憲派で、晩年、≪九条の会≫の代表メンバーに名を連ねていましたが、他の面々が、名前こそ世間に知られているものの、さほど頭がスッキリしていない人達が多かったので、加藤さんが加わった事で、会の存在感が高まっていたのは、確実なところ。 ただし、基本的には一匹狼気質の人で、群を成すのは好まなかったようです。 加藤さんを失って、一番、「きっついなー」と思っているのは、≪九条の会≫の人達でしょう。 大江さんなんて、何言ってんだか、未だに分からんものなあ。
加藤さんは、サルトルの思想を擁護していた事でも特徴的で、著作集の中にも、サルトルに関する論文がたくさん出てきます。 実際に、サルトル本人に会って、フランス語で話をしていたそうで、そういう人も日本では珍しいと思います。 ただ、私自身が、サルトルの思想がよく分からない為に、加藤さんの解説を読んでも尚、今ひとつピンと来ません。 ≪嘔吐≫で、うんざりさせられてから、他の本を読む気にならんのですわ。
他に、加藤さんの考え方で重要な事というと、社会的平等を尊重していた点でしょうか。 60年代頃までは、社会主義に大きな期待をかけていたようで、ソ連や東欧、中国にも実際に赴いて、実情を観察していました。 「社会主義思想そのものと、スターリン主義を同一視するべきではない」という主張も、著作の中によく出てきます。 冷戦の最中に、「ソ連の日本に対する軍事侵攻など、目的の合理性から見て、ありえない」と、きっぱり言っていたのは、加藤さんだけでした。 ペレストロイカによるソ連の変化を最初に日本に伝えたのも、加藤さんだったと思います。
社会主義社会が、経済の効率性に於いて、資本主義社会に追いつかなくなるにつれ、加藤さんの社会主義への期待は萎んで行きます。 客観的に物事を見られるからこそ、現実を曲げてまで、≪社会主義の希望≫を口に出来なくなったのでしょう。 ただし、「資本主義をこのまま続けていけば、資源問題や環境問題で、いずれ人類は行き詰るだろう」とも予測していました。 もう半年、長生きしていたら、実際に到来した資本主義の行き詰まりをどう評したか、大いに興味があるところですが、残念な事となりました。
平等を尊重していたけれど、加藤さん自身は、最初から最後まで、自分の事を、知識人・エリートとして、大衆と区別していました。 医師の息子で、自分自身も東大出身の医師、その後、文筆業、通訳、文芸関連の研究など、肉体労働とは無縁の人生を送った人ですから、大衆と自己を結びつける部分が少なかったのは致し方ないところでしょうか。 そこが、弱点と言えば弱点で、社会主義についても、「命に関わるほど貧しいよりは、そこそこ飯が食える生活の方が、ずっと良いだろう」というスタンスで捉えていたフシが無いでも無いです。
さて、いろいろ書いて来ましたが、加藤周一さんの最も偉大な所は、この人が決して、≪天才≫ではなかったという点です。 加藤さんの物の考え方は、科学的・客観的である事を基礎にしているというだけで、別段、独創的な要素が豊富なわけではありません。 医師という面では、自然科学者ですが、名を成したのは文系の仕事であって、素人でも想像がつく通り、文系の研究は、資料を頭に入れる事が大半で、独創性とは縁が薄いものです。 加藤さんは小説や詩も書いていますが、そちらは世に知られるほどではなく、明らかに独創性とは遠い仕事の方が高い評価を受けているのです。
何が凄いと言って、天才的な独創性が無くても、これだけ質の高い仕事ができるというのが素晴らしいです。 たとえば、「筒井康隆さんになってみろ」と言われたら、熱狂的なファンでも、「そんなの不可能だ」と、挑む前から諦めるでしょう。 しかし、「加藤周一さんになってみろ」と言われた場合、これといった才能を持っていない普通の人であっても、諦める必要はありません。 ≪日本文学史序説≫を書くに当たって加藤さんが読んだ書物を、追い掛けて全て読めば、同じレベルの評論が書けると思います。 膨大な量なので、実行できる人は少ないでしょうが、少なくとも、質的な障碍は存在しないのです。
四カ国語を操った点や、外国で長く暮らした点は、ちょっと真似が出来ませんが、それは、加藤さんの特徴ではあっても、本質ではありません。 それに、いまやネット時代ですから、外国の情報をマメに集めていれば、国内にいながらにして、かなりの世界通になれると思います。 もし、昭和20年にインターネットが存在したら、加藤さんもたぶん、ヨーロッパへは行かなかったんじゃないでしょうか。
追悼ニュースの中で、≪知の巨人≫という形容を使っている人が少なからずいて、私としては、かなり違和感を覚えました。 そういう軽薄な称号は、時代錯誤の博物学者にでも贈ればいいのであって、加藤さんには、まるで当て嵌まりせん。 加藤さんの本質は、その基本的考え方の正しさにあるのであって、知識や智恵の量は問題ではありますまい。 もし、加藤さんの死因が多臓器不全ではなく、アルツハイマー病であったとして、どんどん記憶が失われていって、小学生レベルの知識しか残らなくなった場合でも、加藤さんはやはり、正しい事を言うでしょう。 大元が正しいから、どこを切っても正しいわけです。
加藤さんは、無宗教で、神も仏も、あの世も信じていなかったので、冥福は祈りません。 ただただ、この世に必要な人を失くした事を、心から惜しむだけです。
職業は、広く言えば、作家。 狭く言うと、文芸評論家。 しかし、若い頃は医師をしていて、評論家として身を立てた後も、医師免許は持ち続けていたようです。 昨年(2008年)の12月5日に、89歳で世を去りました。 死因は多臓器不全だそうですが、いわゆる老衰でしょう。 亡くなるほんのちょっと前まで評論活動を続けていたようで、≪プラハの春≫の思い出を語りつつ、現代の青年層に対する観察を披露している姿を、没後、追悼番組になったテレビの特集で見ました。
一口で言って、どういう人だったかというと、現代日本人で、唯一、頭のスッキリした人だったのです。 いや、「唯一」と言うと、ちょっと語弊がありますな。 「最も」と言った方が的確でしょうか。 一億二千万人あまり雁首揃えている中で、頭のスッキリ度がトップだったわけです。 ただし、数値で表すと、トップの加藤さんを100とすれば、二番以下は80に達しない、それくらい抜きん出ていました。
ちなみに、加藤さんが単独トップになったのは、1973年以降でして、それ以前には、石橋湛山という大御所がいました。 他に日本人でスッキリ頭というと、歴史上の人物になってしまいますが、幕末の小栗上野介などもそうです。 他には・・・・おりませんな。 信じられない少なさですが、少ないからこそ価値があるわけです。
スッキリ頭というのは、具体的にどういう事かというと、該博は言うに及ばず、頭が切れるのは勿の論、論理的思考はプレインストール済、実際に合理的行動が取れるのは当たりき車力、その上で、世界全体の流れを読み取れる観察眼の持ち主の事を言います。 物知りや切れ者だけなら掃いて捨てるほどいますし、単に論理的思考だけなら理工系には珍しくありませんが、全て兼ね備えている人となると、砂漠で針を探すより難しいです。
なんで、亡くなって半年も経ってから、加藤さんの事を取り上げたのかというと、今まで、準備をしていたからです。 加藤さんほどの人をテーマに取り上げるとなれば、いい加減な事は書けませんから、昨年の暮れから図書館に通い、≪加藤周一著作集 全24冊≫を、半年かけてコツコツと読んで来たのです。 実はまだ、全部読んでいないのですが、15冊ほど読んで、大体の事は分かったので、「もう、いいでしょう」と、ゴーサインを出した次第。
加藤さんの著作は、「高尚な内容を、分かり易い文章で書いてある」と、よく言われますが、やはり、内容が難しければ、理解する上で抵抗になるのは避けられないわけで、「誰にでも、スイスイ読める」というような軽いものではなかったです。 特に若い頃の文章は、文語的な美文を意識している為に、今時の人間には、かなり厳しいと思います。 おっと、この、≪今時の人間≫というのは、40歳以上の読書階層を念頭に置いて言った事でして、それ以外の人達は、最初から手を出さぬ方がいいでしょう。 「これで、分かり易いのお?」と、劣等感に打ちのめされるだけです。 ただ、70年代以降に増える、講演内容を文章に起こした著作なら、口語体ですから、本当に分かり易いです。
本業は、文学、美術、音楽、演劇などの、文芸評論ですが、どちらかというと、副業的に発表して来た、国際政治・文化評論の方が、加藤さんの本領のような気がします。 文芸評論の方は、何となく、趣味の延長のような浅さを感じるのです。 世間では、≪日本文学史序説≫という作品が代表作と見られていますが、そんな、目から鱗というような面白い本ではなかったです。 古事記から始めて、日本で書かれた小説や歌、俳句、詩、歴史書、宗教・思想書などを網羅しており、「よくぞ、これだけ読んだもの!」と、まずそこで驚嘆するものの、対象が多過ぎる為か、分析の方はパターンが決まってしまっていて、「彼岸性より此岸性が重視される」、「全体から部分ではなく、部分から全体が作られている」の二点だけで切りまくっており、評論というより、単なる紹介に近くなっています。
もう一つ、加藤さんの著作で有名なものに、≪雑種文化≫という論文集があり、「フランスやイギリスの文化が外部の影響を受けていない純粋種であるのに対し、日本やドイツの文化は外国文化をいいとこ取りした雑種である」と論じています。 念の為に言い添えますと、別に、「純粋種と雑種のどちらが優れているか」といった低次元な事を言っているわけではないので、誤解しないように。 でねー、この、≪雑種文化論≫、分かるには分かるんですが、時代的にかなり古い時期の発表である為か、現代の世界に当て嵌めると、少々ズレを感じます。 特段、純粋種と雑種を分けて考えなくても、どこも雑種文化である事に変わりは無いと思うんですよ。 程度の差があるだけで。
たとえば、イギリスですが、英語の単語の語源を見れば分かるように、ゲルマン語、ケルト語、ノルマン・フレンチ語、ラテン語、ギリシャ語、と、さまざまな系統の雑居所帯でして、イギリス文化が、いかに多く外国からの影響を受けたかが分かろうというもの。 フランスでも、ガリア人、ゴート人、ローマ人の文化が重なったものを基層にしており、フランス独自の文化が花開いたのは、僅々数百年の間の事です。
加藤さん自身も、そういう事は当然知っていたわけですが、「それでも尚且つ、日本文化の特徴を述べれば、雑種である」と言わざるを得なかったのが苦しい所。 だけど、世界の情報が大量に日本に流れ込み始めたのは、テレビが普及した1970年代以降でして、≪雑種文化≫が発表された1956年の時点では、日本人の圧倒的多数は、80年間の大日本帝国政府の刷り込みを受けて、「日本の文化ほど、純粋な文化は無い」と信じ込んでいたので、「純粋どころか、典型的な雑種だ」と指摘する事に、大きな意義があったわけです。 戦後間もない頃にフランスに留学し、外の世界を具さに見て、日本の閉鎖性に危機感を抱いていたからこそ、日本人を世界に向かって目覚めさせる事が、その後のライフワークとなっていったんでしょう。
加藤さんは、日本語以外に、フランス語、ドイツ語、英語が喋れる、≪カトリンガル≫で、喋るだけでなく、それぞれの言語で読書も出来たそうです。 なんでも、ウンベルト・エーコさんの、≪薔薇の名前≫をフランス語で読んだと書いてありましたが、気が遠くなるような話ですな。 こちとら、≪シャーロック・ホームズ≫を英語で読むのにも、血の涙を流しているというのに・・・。 他に、漢文も好きだったそうですが、現代中国語はやっていなかった様子。
これだけ外国語通だったのですから、言語全般について知識が豊富だったかというと、そういうわけではないようで、結構、的外れな事も書いています。 例の、「日本文化は、部分から始めて、それが寄り集まって全体が構成される」という自論を展開するに当たり、「それは、後ろへ後ろへと、次々に言葉を継ぎ足していく事で構成される、日本語の文法的特徴とも通じるものがある」というような事を言ってしまっているのですが、おそらく、その一文を書いた時には、日本語ほとんど同じ文法特徴を持つ言語が他にもたくさんある事を知らなかったんでしょう。
もし、日本語の文法の特徴が日本文化を産んだと言うのなら、韓国、朝鮮、モンゴル、カザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタン、トルコ、フィンランド、エストニア、ハンガリーといった国々でも、日本そっくりの文化が形成されなければいけない事になりますが、勿論、そんな事はありません。 加藤さんが詳しかった外国は、ロシアを含むヨーロッパ全域、アメリカ、中国、インドといったところで、隣国であるにも拘らず、韓国・朝鮮への興味は薄かったようですな。 いかに加藤さんといえど、戦前に教育を受けた世代ですから、やむをえないと言えば言えますが。
加藤周一さんは、ほぼ、完璧と言っていい、コスモポリタンです。 実業家や学者には、コスモポリタンを自称している人が結構いますが、その中には世界を股にかけて差別意識と偏見を垂れ流している馬鹿者も混じっており、油断がなりません。 「コスモポリタンとは、どういう人か?」と訊かれたら、「加藤周一さんのような人」と言えば、最も的確な回答になります。 これほど偏見の無い人が、この夜郎自大の国にいて、しかも高名な知識人であったというのが、大変喜ばしい。 ほとんど、奇跡に近いです。 唯一の救いだったと言っても宜しい。
「国と国、民族と民族、文化と文化は、すべて対等であって、価値の上下など無い」という事が、頭の芯にしっかり納まっていないと、コスモポリタンには、絶対なれんのですよ。 「そんなの、公けの場で意見を述べているような人なら、大概、当て嵌まるんじゃないの?」などと、知識人の良識的雰囲気に惑わされているあなた! 試しに、新聞の社説でも、テレビ・ニュースの解説でも、言葉の端々に注意して、読み聞きして御覧なさい。 外国や異民族、異文化に対する偏見が、うじゃらうじゃら含まれていて、ちびまるこ並みに額に縦線入るから。 むしろ、差別意識が強い事を売りにしている低劣な輩の方が圧倒的に多い始末。 いないんですよ、本物のコスモポリタンというのは、滅多に。
ちょっと脱線しますが、この種の問題で難しいのは、合理主義者だからといって、必ずしも差別意識を持っていないわけではないという点です。 たとえば、ドイツ人は、合理主義者の典型のように言われていますが、一方で、外国人に対する猛烈な差別意識を持っている事でも有名です。 ユダヤ人虐殺に関しては、謝罪も賠償も反省もしているものの、それはあくまで、国家の公けの姿勢の事であって、一人一人のドイツ人の意識は、ナチス時代のドイツ人のそれと、根本的に変わってはいないでしょう。 根底にある差別意識はそのままで、ただ、それを公けの場で表明していい社会から、表明してはいけない社会に変わっただけなんですな。
科学的な態度で世界に向き合えば、人種差別にも民族差別にも、何の根拠も無い事はすぐに分かる事ですが、つまり、科学的であるという事と、合理的であるという事には、ダブらない部分がかなりあるという事なんでしょうな。 一見、合理主義の方が基本的・全般的で、科学的態度はその中に含まれるようなイメージがありますが、実際には、合理の≪理≫の性質によって、非科学的な結論に至ってしまう場合もあるわけだ。 「ドイツ人は、外国人より優れている」という考え方は、科学的には無根拠ですが、ドイツ人の理性には合致していているものと見えます。
ドイツ人ばかり責めるのも卑怯なので、日本人についても触れておきますが、おそらく、産業社会に至った民族の中では、最も非合理的なのが日本人です。 ≪武士道≫などを見れば分かるように、はなから理性よりも攻撃性の方が高く評価される野蛮な民族気質を持ち、糅てて加えて、論理を理解できないので、非合理なのも、当然と言えば当然。 過去に実行した外国侵略についても、国家レベルの謝罪ですら上辺だけで、賠償はごく一部の国に対してしか行なっておらず、反省に至っては、国家も個人も、全くしている形跡がありません。 合理的なドイツ人と、非合理的な日本人、両者に共通しているのは、外国に対する差別意識が強烈だという点です。
脱線し続けた挙句、成り行き任せで本題に戻って来ましたが、加藤周一さんは、そんなしょーもない日本人の中にあって、科学的な態度で世界を見る事が出来た、大変、稀有な存在なわけです。 加藤さんが亡くなった後、≪お別れの会≫という仰々しい催しが行なわれ、≪識者≫と呼ばれる人達が集まって、それぞれ弔辞を述べていましたが、あの中で、どれだけの人が、加藤さんと同レベルの意識を持ち合わせていた事やら、大いに怪しいです。
中には、加藤さんの事を、≪日本文化の擁護者≫と見做していた人もいましたが、それは、頓珍漢の極みというものでしょう。 加藤さんが、日本文化について詳しく調べ、多く書いたのは、「外国の優れた点を紹介するためには、まず日本の事をよく知って、客観的に比較できるようにならなければいけない」と考えていたからであって、別に日本文化を擁護していたわけではありません。 フランス留学を終えて、日本に帰ってくる航路上、船内放送で流される日本の歌謡曲に神経を逆撫でされ、終いにゃ、自分の船室のスピーカーを破壊したというエピソードが、加藤さんの日本文化に対する距離感をよく表しています。 加藤さんは、日本文化の中で、ヨーロッパや中国の文化との比較に耐える上層の部分だけを拾って評価したのであって、日本文化全般に関しては、むしろ否定的に捉えていたと見るべきでしょう。
加藤さんは、一貫して、反戦・反核の立場を取っていました。 東大医学部在籍中に占領軍のチームに加わり、原爆投下後の広島に入って医学調査を行なったという特異な経歴があるにも拘らず、日本の一般的な反核主義者が陥りがちな、ヒステリックな核保有国批難を行なわなかった点は、実に加藤さんらしいです。 まず基本に、反戦があり、その延長として、反核を置いていたわけです。 加藤さんの反戦意識の根本には、戦争で学友を失ったという辛い記憶が一方にあり、もう一方には、戦時中の日本軍部のあまりの馬鹿ぶり低能ぶりに呆れ果てていたという、現実観察の経験があって、極めて強固な基盤を形作っています。
護憲派で、晩年、≪九条の会≫の代表メンバーに名を連ねていましたが、他の面々が、名前こそ世間に知られているものの、さほど頭がスッキリしていない人達が多かったので、加藤さんが加わった事で、会の存在感が高まっていたのは、確実なところ。 ただし、基本的には一匹狼気質の人で、群を成すのは好まなかったようです。 加藤さんを失って、一番、「きっついなー」と思っているのは、≪九条の会≫の人達でしょう。 大江さんなんて、何言ってんだか、未だに分からんものなあ。
加藤さんは、サルトルの思想を擁護していた事でも特徴的で、著作集の中にも、サルトルに関する論文がたくさん出てきます。 実際に、サルトル本人に会って、フランス語で話をしていたそうで、そういう人も日本では珍しいと思います。 ただ、私自身が、サルトルの思想がよく分からない為に、加藤さんの解説を読んでも尚、今ひとつピンと来ません。 ≪嘔吐≫で、うんざりさせられてから、他の本を読む気にならんのですわ。
他に、加藤さんの考え方で重要な事というと、社会的平等を尊重していた点でしょうか。 60年代頃までは、社会主義に大きな期待をかけていたようで、ソ連や東欧、中国にも実際に赴いて、実情を観察していました。 「社会主義思想そのものと、スターリン主義を同一視するべきではない」という主張も、著作の中によく出てきます。 冷戦の最中に、「ソ連の日本に対する軍事侵攻など、目的の合理性から見て、ありえない」と、きっぱり言っていたのは、加藤さんだけでした。 ペレストロイカによるソ連の変化を最初に日本に伝えたのも、加藤さんだったと思います。
社会主義社会が、経済の効率性に於いて、資本主義社会に追いつかなくなるにつれ、加藤さんの社会主義への期待は萎んで行きます。 客観的に物事を見られるからこそ、現実を曲げてまで、≪社会主義の希望≫を口に出来なくなったのでしょう。 ただし、「資本主義をこのまま続けていけば、資源問題や環境問題で、いずれ人類は行き詰るだろう」とも予測していました。 もう半年、長生きしていたら、実際に到来した資本主義の行き詰まりをどう評したか、大いに興味があるところですが、残念な事となりました。
平等を尊重していたけれど、加藤さん自身は、最初から最後まで、自分の事を、知識人・エリートとして、大衆と区別していました。 医師の息子で、自分自身も東大出身の医師、その後、文筆業、通訳、文芸関連の研究など、肉体労働とは無縁の人生を送った人ですから、大衆と自己を結びつける部分が少なかったのは致し方ないところでしょうか。 そこが、弱点と言えば弱点で、社会主義についても、「命に関わるほど貧しいよりは、そこそこ飯が食える生活の方が、ずっと良いだろう」というスタンスで捉えていたフシが無いでも無いです。
さて、いろいろ書いて来ましたが、加藤周一さんの最も偉大な所は、この人が決して、≪天才≫ではなかったという点です。 加藤さんの物の考え方は、科学的・客観的である事を基礎にしているというだけで、別段、独創的な要素が豊富なわけではありません。 医師という面では、自然科学者ですが、名を成したのは文系の仕事であって、素人でも想像がつく通り、文系の研究は、資料を頭に入れる事が大半で、独創性とは縁が薄いものです。 加藤さんは小説や詩も書いていますが、そちらは世に知られるほどではなく、明らかに独創性とは遠い仕事の方が高い評価を受けているのです。
何が凄いと言って、天才的な独創性が無くても、これだけ質の高い仕事ができるというのが素晴らしいです。 たとえば、「筒井康隆さんになってみろ」と言われたら、熱狂的なファンでも、「そんなの不可能だ」と、挑む前から諦めるでしょう。 しかし、「加藤周一さんになってみろ」と言われた場合、これといった才能を持っていない普通の人であっても、諦める必要はありません。 ≪日本文学史序説≫を書くに当たって加藤さんが読んだ書物を、追い掛けて全て読めば、同じレベルの評論が書けると思います。 膨大な量なので、実行できる人は少ないでしょうが、少なくとも、質的な障碍は存在しないのです。
四カ国語を操った点や、外国で長く暮らした点は、ちょっと真似が出来ませんが、それは、加藤さんの特徴ではあっても、本質ではありません。 それに、いまやネット時代ですから、外国の情報をマメに集めていれば、国内にいながらにして、かなりの世界通になれると思います。 もし、昭和20年にインターネットが存在したら、加藤さんもたぶん、ヨーロッパへは行かなかったんじゃないでしょうか。
追悼ニュースの中で、≪知の巨人≫という形容を使っている人が少なからずいて、私としては、かなり違和感を覚えました。 そういう軽薄な称号は、時代錯誤の博物学者にでも贈ればいいのであって、加藤さんには、まるで当て嵌まりせん。 加藤さんの本質は、その基本的考え方の正しさにあるのであって、知識や智恵の量は問題ではありますまい。 もし、加藤さんの死因が多臓器不全ではなく、アルツハイマー病であったとして、どんどん記憶が失われていって、小学生レベルの知識しか残らなくなった場合でも、加藤さんはやはり、正しい事を言うでしょう。 大元が正しいから、どこを切っても正しいわけです。
加藤さんは、無宗教で、神も仏も、あの世も信じていなかったので、冥福は祈りません。 ただただ、この世に必要な人を失くした事を、心から惜しむだけです。
<< Home