信用できぬ信用
バブル崩壊が起こっている時、世間を観察していてつくづく思うのは、市場経済システムというのが、大掛かりなネスミ講に過ぎないのではないかという事です。 マルチ商法と言ってもいい。 とにかく、その本質は、相当怪しげな代物だと思うのです。 ただ、あまりにも大規模なので、正体に気付かない人が圧倒的に多いというだけで。
バブル崩壊によって景気がどんどん悪化している状態の解説を求められると、エコノミストは決まって、「市場に対する信用が失われているからだ」と言います。 エコノミストの言う事は、あまり信用できないんですが、こういう状況の分析に関しては、多くの人の意見がほぼ一致しているので、そこそこ信頼性が高いです。
ちなみに、経済学というのは、内容正反対の理論がどちらも定説として罷り通っていたりする、相当いい加減な学問です。 ≪エコノミスト≫という言葉も、本来は、≪経済学者≫という意味であるにも拘らず、大学や研究機関に在籍している者だけでなく、企業に雇われている経営顧問や、経済誌に記事を書いている程度の一般研究者まで含む、この上なく便利な呼称です。
経済学がいい加減である事の単純な証拠は、経済動向の予測が出来ない点に明確に現れています。 過去の出来事を分析して、「こういう理由で、こうなったに違いない」と言う事なら出来ますが、未来の事となると、「こういう理由で、こうなるに違いない」と言う事が出来ないのです。 いや、単に言うだけなら出来ますが、それが当らないんですな。 大概のエコノミストが、予測を外します。 たまーに、当る場合があって、バブル崩壊のような大規模な変動を言い当てたりすると、預言者として持ち上げられ、ノーベル賞を貰ったりしますが、そんなのは、まぐれに決まっています。 賞をやるどころか、無責任な予測で世間を騒がした罪で逮捕するくらいが、妥当な扱いというものでしょう。 統一された学問理論が成立していないのに、未来予測なんて、出来るはずが無いのです。
話を戻しますが、バブル崩壊後の景気後退が、市場の信用失墜から起こる事だけは、確かなようです。 一般的な意味での、≪信用≫というと、そんなに大仰な事ではないような感じがしますが、経済の世界では、信用は極めて重要なんですな。 ほれ、人間、お金が絡んでくると、考え方がシビアになりますから。 明らかに、返済能力が無いと思われる人物に、お金を貸したりしないでしょう?
「そういう人間に貸す時には、返って来ない事を覚悟して貸すんだ」などという人もいますが、そんな利いた風な処世訓に頼るより、借金話を持ち出されたら、友情も信頼関係も御破算にして、鐚一文貸さない方が、ずっと賢明ですな。 お金の大切さが分かっていないんじゃないの? たとえば、稼ぐのに一年かかる金額だとして、それを、「返って来ない事を覚悟して貸す」という事は、すわなち、自分の人生を一年間捨ててしまった事になります。 では、借りる側が、相手の人生の中の一年間を借りるつもりで来ているのかというと、そんな事は全然無いわけで、ただの札束としか思っていません。 この感覚のズレが、いざ返済期日が来た時に、猛烈な軋轢を生むのです。 あんたねえ、たとえ、1万円くらいでも、踏み倒されたなんて事になったら、その記憶が一生頭から離れないよ。 一万円札を見るたびに、思い出して、死ぬまで憤激しながら暮らす事になるのです。
おっと、話を戻した途端に脱線しとりますな。 また戻しましょう。 基本的に、個人レベルでも、企業レベルでも、金融機関レベルでも、お金の貸し借りに関わる信用は、同じような働きをします。 「あの銀行、不良債権を処理できないらしい。 事によったら、潰れるかもしれないぞ」という噂が広まると、取引先や顧客の信用が無くなってしまって、ますますお金を集められなくなり、本当に倒産します。 潰れたら、貸した金が戻らないのですから、警戒するのは当たり前ですな。 ≪風評被害≫というのがありますが、噂の元が根も葉もないか根や葉はあるかの違いに過ぎず、信用失墜によって大損害を出したり倒産に至ったりする原理は変わりません。
金融機関ほどではありませんが、一般企業同士の取引も、かなりの程度、信用の上に成り立っています。 損をする危険性がある場合、担保を取っておいたり、取引先を変えたりするのは、普通の事です。 誰からも信用されなくなってしまったら、個人同様、金融機関や企業も、お金が入らなくなって、死ぬしかないんですな。
この、極めて重要な、≪信用≫が、社会全般で失われると、景気の悪化が起こります。 誰も他者を信用しなくなるので、物を買う人がいなくなって、経済活動が鈍ってしまうのです。 ちなみに、バブル経済というのは、信用が上がり過ぎた状態の事と言っていいです。 「これに投資すれば、必ず倍になって返って来る!」なんて話には、分厚い信用がなければ、とても乗れませんわなあ。 ところが、そんなうまい話がいつまでも続くわけは無く、常識のある人達が少し警戒して財布の紐を締め始めると、「あれ? もしかしたら、天井を打ったかな?」と、みんなが感じ始め、互いに与え合っていた信用がさーっと冷めて行き、バブルが弾けるというわけです。
信用が屋台骨を支えるシステムの典型例が、≪ネズミ講≫や、≪マルチ商法≫です。 どちらもほぼ同じですが、≪ネズミ講≫の方は、お金だけの話でして、≪マルチ商法≫は、何かしら商品が介在します。 ≪ネズミ講≫の方を例にして、仕組みを簡単に説明しますと、名目は何でもいいから、とにかく会を作ります。 そして、最初の一人が次の三人から、会費を千円ずつ集めます。 すると、最初の一人は三千円手に入り、次の三人は千円ずつ損をする事になります。 しかし、次の三人それぞれが、また別の三人から千円ずつ集金すれば、損を取り戻した上に二千円の得になります。 これを樹状図式に、どんどん広げていくのです。 実際には、もっと複雑な仕組みになっていて、初期の会員ほど得が大きくなるように作られています。
≪マルチ商法≫も、会費が商品代金に変わるだけで、全く同じです。 樹状図式に参加者が増えて行く点は、≪不幸の手紙≫にも似ていますが、ちょっと違うのは、≪不幸の手紙≫が、「不幸から逃れたい」という恐怖心を利用して広がって行くのに対し、≪ネズミ講≫や≪マルチ商法≫は、「会に参加していれば、どんどん金が入って来る」という、システムへの信用の上に乗っている事です。
もちろん、≪ネズミ講≫も、≪マルチ商法≫も違法です。 なぜ、違法になっているかというと、破綻する事が分かっているからです。 もし、こんなシステムが無限に広まって行けるのであれば、誰も損をしないわけですから、違法にする必要はないわけですが、駄目駄目! これには限界があるのですよ。 絶対確実に、破綻します。
世の中に生きている人間を、おおまかに三分割しましょう。 ≪騙され易い人≫、≪騙され難い人≫、そして、≪中間の人≫の三つ。 便宜的に、それぞれ、三分の一ずつの人数を占めるとします。 ≪ネズミ講システム≫にすぐに引っ掛かるのは、当然、≪騙され易い人≫です。 つまり、三分の一は、ほぼ無抵抗で入会してくるわけで、この期間に会は急成長して、口コミで世間の話題になるような大きな信用を築きます。
≪騙され易い人≫が全部入会してしまうと、今度は、≪中間の人≫へ触手を伸ばして行きますが、この層は、幾分用心深いので、成長速度が鈍ります。 鈍って来ると、お金の集まりが悪くなり、速度が遅いのを数でカバーしようと、≪騙され難い人≫にまで、声を掛け始めます。 ところが、何せ彼らは、騙され難い人達ですから、≪ネズミ講≫である事を一発で見抜いてしまい、入会しないどころか、「そんなの、破綻するに決まってるじゃん。 もし、人類全員が入会したら、最後に入った会員は、一体誰からお金を集めるのさ?」などと、鋭い指摘をバシバシ突きつけます。
すると、≪中間の人≫はもちろん、≪騙され易い人≫も、激しく動揺せずにはいられません。 なにせ心も頭も弱いので、筋の通った指摘には反論のしようがなく、もはや、新規の勧誘どころではなくなって、顔色真っ青。 一旦、システムへ信用が崩れると、脱会する者が続々と出始め、一気にピラミッドが崩れて行きます。 詐欺事件として、マスコミのニュース・ネタになるのは、大抵この頃ですな。
でねー、この、≪騙され易い人≫、≪騙され難い人≫、≪中間の人≫のパターンが、もっと大規模な、≪市場経済≫にも、そっくり適用できると思うのですよ。 バブル絶頂期には、≪騙され易い人≫がたくさん世間に露出してましたよねえ。 打ちっ放しにすら行かないくせにゴルフ会員権を買ったり、住みもしないマンションを投機目的で買って掃除婦代わりに愛人を囲ったり、乗りもしないフェラーリを倉庫に安置してプレミアが付くのを待っていたり、ズブの素人なのに近所の奥さんの真似をして株式取引に手を出したり、NTT株を一株だけ買って値段の上下に一喜一憂したり・・・・、今から考えると、アホ丸出しな人達が、うにょうにょ蠢いていました。
そういう、≪騙され易い人≫が急増殖するのが、バブル景気なんですな。 ところが、投資ブームが、少し慎重に物事を考えられる、≪中間の人≫層に波及すると、ブレーキが掛かり始めます。 おいそれとは、お金を出そうとしなくなるわけです。 そして、経済の拡大が止まる事を恐れて、≪騙され難い人≫にまで声を掛け始めると、何せ、騙され難い人達ですから、バブルである事を一発で見抜いてしまい、投資話に乗るどころか、「こんなの、崩壊するに決まってるじゃん。 もし、人類全員が金持ちになったら、誰が働くのさ?」などと、鋭い指摘をバシバシ突きつけます。
一度、不安が芽生えると、見る見る信用が失われて、バブルなんぞ、たちまち弾けてしまいます。 信用というのは、恐ろしいほどに、脆いものなんですな。 そして、市場経済は、その不安定極まりない、信用の上に乗っかっているわけです。 今回の世界経済危機も、全く同じ。
信用が失われるのは恐ろしいですが、過度に信用が上がるのも宜しくない。 本来、信用してはいけない相手にまで、お金を貸すようなもので、踏み倒されたり、不良債権化したりすると、始め信用が高かった分だけ、失墜の度合いも大きく、大損害が出ます。 騙された人間が多いほど、また、失なわれた資産の総額が大きいほど、経済活動の冷え込みも大きくなります。
と、ここで、こう思う人も多いでしょう。 「問題は、信用が失われた事なのだから、嘘でもハッタリでも、全員で、「儲かる、儲かる! 天井知らずだ!」と浮かれ騒げば、信用が戻って、景気が回復するんじゃなかろうか?」と・・・・。 実際に、アメリカを始め、世界の国々が現在行なっている景気刺激策は、そういう路線のものです。 金融機関や民間企業の経営を公的資金で支えて、経済規模の縮小を阻もうとしているわけです。 「いざとなったら、政府が金を出すから、大丈夫だ! どーんと信用してくれ!」と言いたいわけだ。
しかしねえ。 それは、結局、≪過度の信用≫を復活させようとしているだけなんじゃないですかねえ? 現在、公的資金で助けられている金融機関や民間企業は、もし市場原理に任されていたら、すでに倒産していた所ばかりです。 つまり、それらの会社に対する信用は、ゼロになっていたわけですな。 それを政府の力で、無理やり持ち上げて、健全な経営状態のように見せかけているだけであって、これは、≪過度の信用≫以外の、何ものでもありますまい。
今ごまかしていても、過度である限り、いつかまた、信用は失墜します。 大損をした経験が無い者は、騙されている事になかなか気付きませんが、一度経験すると、危険に敏感になりますから、次の信用失墜が、何十年も先という事は無いと思います。
バブル崩壊によって景気がどんどん悪化している状態の解説を求められると、エコノミストは決まって、「市場に対する信用が失われているからだ」と言います。 エコノミストの言う事は、あまり信用できないんですが、こういう状況の分析に関しては、多くの人の意見がほぼ一致しているので、そこそこ信頼性が高いです。
ちなみに、経済学というのは、内容正反対の理論がどちらも定説として罷り通っていたりする、相当いい加減な学問です。 ≪エコノミスト≫という言葉も、本来は、≪経済学者≫という意味であるにも拘らず、大学や研究機関に在籍している者だけでなく、企業に雇われている経営顧問や、経済誌に記事を書いている程度の一般研究者まで含む、この上なく便利な呼称です。
経済学がいい加減である事の単純な証拠は、経済動向の予測が出来ない点に明確に現れています。 過去の出来事を分析して、「こういう理由で、こうなったに違いない」と言う事なら出来ますが、未来の事となると、「こういう理由で、こうなるに違いない」と言う事が出来ないのです。 いや、単に言うだけなら出来ますが、それが当らないんですな。 大概のエコノミストが、予測を外します。 たまーに、当る場合があって、バブル崩壊のような大規模な変動を言い当てたりすると、預言者として持ち上げられ、ノーベル賞を貰ったりしますが、そんなのは、まぐれに決まっています。 賞をやるどころか、無責任な予測で世間を騒がした罪で逮捕するくらいが、妥当な扱いというものでしょう。 統一された学問理論が成立していないのに、未来予測なんて、出来るはずが無いのです。
話を戻しますが、バブル崩壊後の景気後退が、市場の信用失墜から起こる事だけは、確かなようです。 一般的な意味での、≪信用≫というと、そんなに大仰な事ではないような感じがしますが、経済の世界では、信用は極めて重要なんですな。 ほれ、人間、お金が絡んでくると、考え方がシビアになりますから。 明らかに、返済能力が無いと思われる人物に、お金を貸したりしないでしょう?
「そういう人間に貸す時には、返って来ない事を覚悟して貸すんだ」などという人もいますが、そんな利いた風な処世訓に頼るより、借金話を持ち出されたら、友情も信頼関係も御破算にして、鐚一文貸さない方が、ずっと賢明ですな。 お金の大切さが分かっていないんじゃないの? たとえば、稼ぐのに一年かかる金額だとして、それを、「返って来ない事を覚悟して貸す」という事は、すわなち、自分の人生を一年間捨ててしまった事になります。 では、借りる側が、相手の人生の中の一年間を借りるつもりで来ているのかというと、そんな事は全然無いわけで、ただの札束としか思っていません。 この感覚のズレが、いざ返済期日が来た時に、猛烈な軋轢を生むのです。 あんたねえ、たとえ、1万円くらいでも、踏み倒されたなんて事になったら、その記憶が一生頭から離れないよ。 一万円札を見るたびに、思い出して、死ぬまで憤激しながら暮らす事になるのです。
おっと、話を戻した途端に脱線しとりますな。 また戻しましょう。 基本的に、個人レベルでも、企業レベルでも、金融機関レベルでも、お金の貸し借りに関わる信用は、同じような働きをします。 「あの銀行、不良債権を処理できないらしい。 事によったら、潰れるかもしれないぞ」という噂が広まると、取引先や顧客の信用が無くなってしまって、ますますお金を集められなくなり、本当に倒産します。 潰れたら、貸した金が戻らないのですから、警戒するのは当たり前ですな。 ≪風評被害≫というのがありますが、噂の元が根も葉もないか根や葉はあるかの違いに過ぎず、信用失墜によって大損害を出したり倒産に至ったりする原理は変わりません。
金融機関ほどではありませんが、一般企業同士の取引も、かなりの程度、信用の上に成り立っています。 損をする危険性がある場合、担保を取っておいたり、取引先を変えたりするのは、普通の事です。 誰からも信用されなくなってしまったら、個人同様、金融機関や企業も、お金が入らなくなって、死ぬしかないんですな。
この、極めて重要な、≪信用≫が、社会全般で失われると、景気の悪化が起こります。 誰も他者を信用しなくなるので、物を買う人がいなくなって、経済活動が鈍ってしまうのです。 ちなみに、バブル経済というのは、信用が上がり過ぎた状態の事と言っていいです。 「これに投資すれば、必ず倍になって返って来る!」なんて話には、分厚い信用がなければ、とても乗れませんわなあ。 ところが、そんなうまい話がいつまでも続くわけは無く、常識のある人達が少し警戒して財布の紐を締め始めると、「あれ? もしかしたら、天井を打ったかな?」と、みんなが感じ始め、互いに与え合っていた信用がさーっと冷めて行き、バブルが弾けるというわけです。
信用が屋台骨を支えるシステムの典型例が、≪ネズミ講≫や、≪マルチ商法≫です。 どちらもほぼ同じですが、≪ネズミ講≫の方は、お金だけの話でして、≪マルチ商法≫は、何かしら商品が介在します。 ≪ネズミ講≫の方を例にして、仕組みを簡単に説明しますと、名目は何でもいいから、とにかく会を作ります。 そして、最初の一人が次の三人から、会費を千円ずつ集めます。 すると、最初の一人は三千円手に入り、次の三人は千円ずつ損をする事になります。 しかし、次の三人それぞれが、また別の三人から千円ずつ集金すれば、損を取り戻した上に二千円の得になります。 これを樹状図式に、どんどん広げていくのです。 実際には、もっと複雑な仕組みになっていて、初期の会員ほど得が大きくなるように作られています。
≪マルチ商法≫も、会費が商品代金に変わるだけで、全く同じです。 樹状図式に参加者が増えて行く点は、≪不幸の手紙≫にも似ていますが、ちょっと違うのは、≪不幸の手紙≫が、「不幸から逃れたい」という恐怖心を利用して広がって行くのに対し、≪ネズミ講≫や≪マルチ商法≫は、「会に参加していれば、どんどん金が入って来る」という、システムへの信用の上に乗っている事です。
もちろん、≪ネズミ講≫も、≪マルチ商法≫も違法です。 なぜ、違法になっているかというと、破綻する事が分かっているからです。 もし、こんなシステムが無限に広まって行けるのであれば、誰も損をしないわけですから、違法にする必要はないわけですが、駄目駄目! これには限界があるのですよ。 絶対確実に、破綻します。
世の中に生きている人間を、おおまかに三分割しましょう。 ≪騙され易い人≫、≪騙され難い人≫、そして、≪中間の人≫の三つ。 便宜的に、それぞれ、三分の一ずつの人数を占めるとします。 ≪ネズミ講システム≫にすぐに引っ掛かるのは、当然、≪騙され易い人≫です。 つまり、三分の一は、ほぼ無抵抗で入会してくるわけで、この期間に会は急成長して、口コミで世間の話題になるような大きな信用を築きます。
≪騙され易い人≫が全部入会してしまうと、今度は、≪中間の人≫へ触手を伸ばして行きますが、この層は、幾分用心深いので、成長速度が鈍ります。 鈍って来ると、お金の集まりが悪くなり、速度が遅いのを数でカバーしようと、≪騙され難い人≫にまで、声を掛け始めます。 ところが、何せ彼らは、騙され難い人達ですから、≪ネズミ講≫である事を一発で見抜いてしまい、入会しないどころか、「そんなの、破綻するに決まってるじゃん。 もし、人類全員が入会したら、最後に入った会員は、一体誰からお金を集めるのさ?」などと、鋭い指摘をバシバシ突きつけます。
すると、≪中間の人≫はもちろん、≪騙され易い人≫も、激しく動揺せずにはいられません。 なにせ心も頭も弱いので、筋の通った指摘には反論のしようがなく、もはや、新規の勧誘どころではなくなって、顔色真っ青。 一旦、システムへ信用が崩れると、脱会する者が続々と出始め、一気にピラミッドが崩れて行きます。 詐欺事件として、マスコミのニュース・ネタになるのは、大抵この頃ですな。
でねー、この、≪騙され易い人≫、≪騙され難い人≫、≪中間の人≫のパターンが、もっと大規模な、≪市場経済≫にも、そっくり適用できると思うのですよ。 バブル絶頂期には、≪騙され易い人≫がたくさん世間に露出してましたよねえ。 打ちっ放しにすら行かないくせにゴルフ会員権を買ったり、住みもしないマンションを投機目的で買って掃除婦代わりに愛人を囲ったり、乗りもしないフェラーリを倉庫に安置してプレミアが付くのを待っていたり、ズブの素人なのに近所の奥さんの真似をして株式取引に手を出したり、NTT株を一株だけ買って値段の上下に一喜一憂したり・・・・、今から考えると、アホ丸出しな人達が、うにょうにょ蠢いていました。
そういう、≪騙され易い人≫が急増殖するのが、バブル景気なんですな。 ところが、投資ブームが、少し慎重に物事を考えられる、≪中間の人≫層に波及すると、ブレーキが掛かり始めます。 おいそれとは、お金を出そうとしなくなるわけです。 そして、経済の拡大が止まる事を恐れて、≪騙され難い人≫にまで声を掛け始めると、何せ、騙され難い人達ですから、バブルである事を一発で見抜いてしまい、投資話に乗るどころか、「こんなの、崩壊するに決まってるじゃん。 もし、人類全員が金持ちになったら、誰が働くのさ?」などと、鋭い指摘をバシバシ突きつけます。
一度、不安が芽生えると、見る見る信用が失われて、バブルなんぞ、たちまち弾けてしまいます。 信用というのは、恐ろしいほどに、脆いものなんですな。 そして、市場経済は、その不安定極まりない、信用の上に乗っかっているわけです。 今回の世界経済危機も、全く同じ。
信用が失われるのは恐ろしいですが、過度に信用が上がるのも宜しくない。 本来、信用してはいけない相手にまで、お金を貸すようなもので、踏み倒されたり、不良債権化したりすると、始め信用が高かった分だけ、失墜の度合いも大きく、大損害が出ます。 騙された人間が多いほど、また、失なわれた資産の総額が大きいほど、経済活動の冷え込みも大きくなります。
と、ここで、こう思う人も多いでしょう。 「問題は、信用が失われた事なのだから、嘘でもハッタリでも、全員で、「儲かる、儲かる! 天井知らずだ!」と浮かれ騒げば、信用が戻って、景気が回復するんじゃなかろうか?」と・・・・。 実際に、アメリカを始め、世界の国々が現在行なっている景気刺激策は、そういう路線のものです。 金融機関や民間企業の経営を公的資金で支えて、経済規模の縮小を阻もうとしているわけです。 「いざとなったら、政府が金を出すから、大丈夫だ! どーんと信用してくれ!」と言いたいわけだ。
しかしねえ。 それは、結局、≪過度の信用≫を復活させようとしているだけなんじゃないですかねえ? 現在、公的資金で助けられている金融機関や民間企業は、もし市場原理に任されていたら、すでに倒産していた所ばかりです。 つまり、それらの会社に対する信用は、ゼロになっていたわけですな。 それを政府の力で、無理やり持ち上げて、健全な経営状態のように見せかけているだけであって、これは、≪過度の信用≫以外の、何ものでもありますまい。
今ごまかしていても、過度である限り、いつかまた、信用は失墜します。 大損をした経験が無い者は、騙されている事になかなか気付きませんが、一度経験すると、危険に敏感になりますから、次の信用失墜が、何十年も先という事は無いと思います。
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