はなちん
参ったな。 12年も飼っていた亀が、水曜日の2月25日に死んでしまいました。 ハナガメという種類で、名前を≪葉菜(はな)≫と言います。 ここ二週間ばかり調子が悪かったんですが、まさか死んでしまうとまでは思っていませんでした。
ヌマ亀系統の亀は、生まれた年は抵抗力が弱くて死に易いのですが、最初の冬さえ越せば、事故でも無い限り、まず死ななくなる動物です。 飼い主より長生きして、遺族が処分に困るほど、丈夫になります。 葉菜は、もう甲長25センチもあるような大きさだったので、無敵だと信じていたのですが、とんだ思い違いでした。
二週間前、水換えの時に、目がカビに覆われているのを発見し、仰天しました。 今までにも目の周りにちょこちょこカビが着く事はありましたが、そういうのは、何もしなくてもすぐに治っていました。 しかし、今回のは、両目の眼球全体を覆ってしまっていたのです。 水換えは一週間に一度ですが、前の週には全然気付かなかったのが不思議です。 カビは目だけではなく、鼻先の方まで広がっていて、鼻の穴を幾分狭くしていました。 やばいなあ、やばいじゃん!
すぐに水温を25度から、30度に上げました。 カビは、高温に弱く、30度まで上げると、大抵治るからです。 一晩で、鼻の穴は一旦綺麗に通りましたが、目の方は依然白くなったまま。 時折、カビの塊が落ちますが、その下の眼球はまだ濁っていて、しばらく経つとまたカビが増えて来ます。 その内、鼻の穴も、また塞がるようになって、私を大いに焦らせました。 「温度を上げるだけでは駄目か」と思い、≪メチレンブルー≫という薬液を買って来て、ケージの水に入れました。 この薬で、首筋や手足についていたコケの類は全部落ちました。 ところが、肝心のカビが死にません。
主食にしていた、≪鯉の餌≫を全然食べなくなっていたので、種類を変えてみようかと思い、十数年ぶりに、亀専用フードの、≪テトラ・レプトミン≫を買って来て、やってみました。 ところが、それにも食いつきません。 エビの剥き身とか、菜の花などもやってみましたが、やはり食べません。 どうしたんだよ、葉菜。 目がはっきり見えなくても、匂いや触感でエサのありかは分かるだろうに。
温度も駄目、薬も駄目となれば、後は甲羅干ししかありませんが、冬場の太陽の光は弱々しく、頼りない事この下無し。 先週の日曜は、よく晴れて気温が上がったので、二時間ほど甲羅干しをさせる事が出来ましたが、今週はあいにく、私の仕事が遅番で、昼間亀をみてやれませんでした。 やむなく、帰宅してから、部屋の中でランプを当てて甲羅干しの代用をさせていました。 それを月火と続けましたが、弱っていく一方です。 「やはり、強制的に甲羅干しをさせるのは、亀にとっては辛いのか」と悩みましたが、他にいい手も思い浮かびません。 そして水曜日・・・・・
葉菜が自分の好きな時に甲羅干しが出来るように、ケージ内の陸場を広げようと思い、会社の帰りに寄り道して、プラスチック製の格子板を買って来ました。 ところが、家に帰って見ると、葉菜が動きません。 今朝出かける時には動いていたので、昼間私がいない間に、事切れたようです。
何とか回復させて、春を迎えさせたいと思っていたんですが、葉菜の容態の悪さは、私の想像を超えていたようです。 苦しんだ様子は無く、窓の外を見た格好のまま、大の字に手足を出して、そのまま固くなっていました。 残念とも、無念とも、言葉に言い尽くせない気分です。
死んでしまったとなれば、いろいろとやらなければならない事がありますが、とりあえず、その夜はヒーターもそのままにして、生きていた時と同じように過ごしました。 しかし、一度死んだら生き返る事などないのは承知していますし、葉菜の遺骸が腐敗して行くのを見るのも忍びないので、なるべく早く庭に穴を掘って埋葬しなければなりません。
葉菜、すまなかったな。 この二週間、いろいろやってみたが、結局お前に苦しい思いをさせただけだったんだろうな。 もうちょっとで、12歳だったか。 いい加減な飼い主に飼われていた割には、長生きしてくれたと思うべきか。 でも、寿命じゃなかったのは確かだし、やっぱり、飼育環境が悪かったんだろう。 ほんとに、すまなかったな。 買って来た時は、3センチくらいしかなかったのに、9倍くらいに育ってくれて、嬉しかったよ。 ありがとうな。 でも、こんなに大きくなってから、死んじゃうなんて、思いもしなかったよ。
私は、治療の間中、カビを病気の原因だと思っていましたが、もしかすると、原因ではなく、結果だったのかもしれません。 カビがついたから弱ったのではなく、どこか見えない所が病気になり、抵抗力が落ちた結果、カビがつくようになったのではないかと。 月曜の夜、室内で甲羅干しをした時、後ろ足の付け根の肉が膨らんで甲羅から食み出るようになっていましたが、あれはもしや、内臓がひどい事になっていた証拠だったのではありますまいか。 内臓が悪くなったために、エサを食べなくなり、抵抗力が落ち、その結果カビに負けてしまったと考えた方が、事の辻褄がよく合います。 もし、カビだけだったら、温度と薬だけで治るはずですから。
翌日の木曜日、午後四時頃に帰って来て、庭に穴を掘り、葉菜を埋葬しました。 体が大き過ぎて、棺桶を作っても、土の重みですぐに潰れてしまうと思い、じかに土をかけました。 埋めた後、土を叩いて、心の中で言いました。 「葉菜、これでさよならだ」 お前は、もう何日も前から私の顔を見れなかったが、これからは、私もお前の姿を見る事が出来ない。
葉菜の体は、カビにやられた目を除けば、とても綺麗で、まるで生きているようでした。 でも、もし生きていれば、持ち上げられて暴れないはずがないのです。 鼻先に触られて、首を引っ込めないはずがないのです。 葉菜は、確かに死んでいました。 こんな大きくて立派な亀が死んでしまうなど、いまだに悪い夢でも見ているような気分です。
部屋から持ち出す前に、遺骸の写真を何枚か撮りましたが、それはネット上に公開する予定がありません。 私自身も、撮っただけで、見る事はないでしょう。 ハムスターの金太や銅丸の時もそうでしたから。 でも、撮っておかなければ後悔するような気がして、いつも撮るのです。
動物を飼っていて、何が辛いといって、埋葬ほど嫌な作業もありません。
葉菜を買って来たのは、1997年の5月です。 その頃、私は、≪亀欲しい病≫に罹っていて、すでに五匹も亀を飼っていたにも拘らず、まだあちこちのペットショップを彷徨して、面白そうな亀がいないか物色していました。 ある時、老舗の熱帯魚店に入ったら、机の上に無造作に置かれた小さな水槽の中に、ハナガメの幼体が四匹入っていました。 一目でその年に生まれたばかりと分かる小ささで、甲長は3センチくらいしかありませんでした。 しかし、その甲羅は、今までに見た事がないような美しい幾何学模様で飾られていました。 ちなみに、ハナガメは、中国南部や台湾に棲息するヌマ亀で、日本には住んでいません。
値段は確か、1500円だったと思います。 四匹とも顔にカビが着いていて、一言で言えば、棺桶に片足突っ込んでいる状態でした。 熱帯魚店や金魚店は、亀の飼育方法に関しては門外漢なので、「水に入れて、エサをやっておけば充分だろう」とばかり、テキトーな扱いをしている所が多いのです。 その内の一匹だけが、まだカビの付着が少なく、目がはっきりしていて、元気を保っているように見えました。 「よし、このくらいのカビなら治療できる」と判断し、そやつを買って来たのです。 たぶん、他の三匹は、売れる前に、その店で死んだと思います。
名前は、同じ種類が何匹もいれば、それなりにつけるのですが、ハナガメは一匹しかいないので、自動的に、≪ハナ≫に決まりました。 その頃、ワープロで打っていた日記には、≪華≫という漢字を使っていましたが、その後、インターネットを始め、亀関連のサイトに出入りするようになってから、≪葉菜≫という字面に変えました。 家では、「ハナ」とか、「ハナちゃん」とか、「ハナチン」とか、その時の気分で、テキトーに呼んでいました。
予想通り、カビはすぐに退治する事に成功し、葉菜は丈夫な亀になって、すくすく育っていきました。 ほとんど、5キロ千円の≪鯉の餌≫だけで大きくなりました。 買って来てから四年後には、甲長が21センチになっていましたから、その急激な成長ぶりが分かると思います。 亀を飼った経験がない方にはピンと来ないかもしれませんが、ヌマ亀で、甲羅の長さが20センチを超えると、もう相当な大亀です。 片手ではとても持ち上がらず、両手で持っても、パワフルな腕を突っ張って大暴れするので、長距離は運べません。 体重がありすぎて、歩くにも腹をすりすり這って進む始末。
ただ、幼体の時に美しかった甲羅の幾何学模様は、10センチを超えた頃には、すっかり崩れてしまい、やがて、深緑の地にぼんやりと黄色い斑点が並ぶだけの地味な模様に変わってしまいました。 幼体の頃だけ甲羅が美しいのは、ミシシッピー・アカミミガメ(ミドリガメ)なども同じですな。 成体になると、見る影もなくなります。 しかし、ハナガメは、中国語で、≪斑亀≫と呼ばれるだけあって、首筋や前足に入った縞模様は、ずっと美しいままでした。 ちなみに、日本語名の ≪ハナガメ≫は、何でそう言うようになったのか、諸説あって、はっきりしないようです。 私の個人的意見としては、幼体の幾何学模様が花のように見えたからではないかと思っています。
私は、2001年の10月から、2005年の11月までの約四年間、ホームページの亀サイトで、≪亀小話≫という、会話形式の物語を書いていました。 全部で250話に及んだ長期連載で、今思い返すと、「よく、毎週あんな話を考えて書き続けたものだなあ」と、自分で自分に感心します。 登場人物は、ハナガメの葉菜と、マレーハコガメの稀枝(まれえ)、それと私自身の他に、架空のゲスト達で、ギャグ・マンガのような軽いストーリーでした。
葉菜は実質的な主役で、直情で単純、それでいて強欲という、分かり易いキャラにしていました。 ≪亀小話≫を始めた頃には、実際の葉菜も、そんな性格だったのです。 とにかく、エサをバクバク食べる、夜中に暴れて私の眠りを妨げる、ヒーターを持ち上げてボヤを起こしかける、出勤前の忙しい時にケージから脱走して走り回る、という、手のつけられない乱暴物だったのです。 ところが、その後、更に成長するに連れ、葉菜はおとなしくなっていきました。 ここ二三年は、すっかり静かなペットになって、私に迷惑を掛ける事はほとんどなくなりました。
同時に、私の生活の中での葉菜の存在感は、次第に薄くなって行きました。 これは、小動物の宿命のようなもので、長期間飼っていると、世話をする作業だけが習慣になってしまい、動物そのものに対する興味が徐々に失われて行くのです。 犬や猫でも、飽きられてしまうケースがありますが、亀のように、人間との間に生物種としての距離がある動物では尚更それが起きやすいです。 亀は、喜んだりしませんし、甘えても来ません。 触られると首を引っ込めて、警戒心を剥き出しにします。 甲羅を撫でてやっても、不快に感じるだけ。 しょっちゅう顔をつき合わせていると、警戒心が薄れますが、それ以上に近い関係にはなりません。
葉菜は非好戦的な性格でした。 マレーハコガメの稀枝と一緒にしても、自分の方からは決して向かって行ったりせず、いつも稀枝に追いかけられる側でした。 ≪亀小話≫では、オスという設定でしたし、私自身もオスのつもりで接していましたが、実際には、最後まで性別を確認しておらず、もしかしたら、メスだったのかもしれません。 特に晩年のおとなしさには、メスっぽい感じが漂っていました。
いい加減な話だと思うでしょうが、亀の性別判定は、種類によっては簡単に出来ない場合があるのです。 クサガメのように、「メスは茶色のまま大きくなるが、オスの成体は大きくならず、全身が黒くなる」という、はっきりした違いがある種類もありますが、ハナガメでは、そういう差異が見られません。
「頭を甲羅に押し込むと、総排泄口からペニスが飛び出す事でオスと分かる」という判定方法がありまして、稀枝の場合は、偶然それに似た状態になってオスだと分かったのですが、葉菜の場合、体が大きい事もあって、そういう荒っぽい確認方法が取れなかったのです。 身罷った今となっては、確認するつもりもありません。 遺体を損なってまで知らなければならない事ではないですから。
埋葬後二日経ちましたが、葉菜の墓は、埋めた時のまま、平穏を保っています。 穴掘りが好きな、犬のシュンも、墓である事が何となく分かるのか、掘り返したりしません。
今日は、葉菜の室内用ケージを洗って片付けました。 一昨年買った衣装ケースで、まだほとんど劣化していません。 さすがに服を入れる気にはなりませんが、天井裏にでも保存しておこうと思います。
葉菜よ、 すまなかったな。 長い間、本当にありがとう。 お前の事は、決して忘れないぞ。 もっとも、あまりにも付き合いが長かったから、忘れようったって忘れられないけどな。
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