下流謳歌
なんでも昨今、学生の間では、≪下流志向≫というのが流行っているらしいですな。 最初から人生に高望みをせず、自分の実力の範囲内で楽に生きて行ける学校や仕事を選び、出世よりも私生活の安定を優先し、平穏に一生を終えようとしたがるのだそうです。
「若い者が、そんな覇気の無い事でどうする! 人生、最初から諦めてしまったら、何も出来ないのだぞ! せっかくこの世に生まれて来たのに、目標も立てず、ただ生きるだけで終わったのでは、惜しいではないか! 少年よ、大志を抱け!」
などというつもりは、全く無いのであって、私としては、≪下流志向≫大賛成です。 なぜなら、私自身が、今までの人生を下流志向で生きて来たからです。 誤解を恐れずに自慢しますと、私は20年くらい早く生まれ過ぎた人間でして、今現在の若者達を取り巻いている危機的状況に、遙か以前からぶち当たって来ました。 ≪ひきこもり≫という言葉が生まれる前に、ひきこもってましたし、人材派遣にいて、≪派遣切り≫も喰らいました。 そんなこんなで得た教訓はといえば、
「人生は、生きているだけでも充分なのであって、金持ちになろうとしたり、高い地位に着こうとしたり、有名人になろうとしたり、社会に影響を与えようとしたり、そんな大それた望みは、百害あって一利無い病的欲望に過ぎないのだ。 安定第一。 平穏これすべて。 他人を蹴落とすなど以ての外! そんな生き方は、罪でこそあれ、誉れである事があろうか?(いや、あるはずがない) 飯が食えて、住む所があって、暑さ寒さを凌げるだけの服を持っていれば、それ以上何を望まん」
というものでした。 以来、それに従って生きて来た次第。 忘れもしないですね、24歳の年の2月の、ある土曜日です。 その頃、私は専門学校に通う身だったんですが、修学に二年かかる内の一年が過ぎようとしていた時で、勉強の成果が全く感じられず、もう一年続けるべきか、やめて就職すべきか大いに悩んでいました。 そんな時に、新聞の折込チラシに、今勤めている会社の中途社員募集の広告が出ていたのです。 バブルが始まりかけた頃でして、ほんの一・二年前なら絶対に中途採用などしなかった大手製造業が、人を掻き集めていたんですな。 高卒以上という以外に、何の条件もありませんでした。
その前日まで、勉強を続ける気でいた私ですが、その広告を見て、天啓を受けたような気分になりました。 神様が、いや、お天道様でもいいですが、私に向かって言っているように思えたのです。
「おまえは、何をやっているのだね。 いつまで、そんな学校に通っていても、都会で就職などできるわけがないではないか。 お前はもう、フラフラしていられるような年齢ではあるまい。 親だってどんどん歳を取って、いずれはお前の収入を頼らなければならなくなる時が来るだろう。 今のお前の様で、親を養えるのか? 生きていくのに必要なのは、お金なのだ。 夢や妄想など、何の役にも立たんのだよ」
と・・・。 で、ベッドに仰向けになって考えている内に、頭に血が集まるように、そわそわして来たのです。
「確かに、こんな事をしていてはいけない! 舟に乗り遅れた身なのに、岸で遊んでいる場合ではない。 今、偶然にも世の中の景気が良くなって、本来なら絶対に来ないはずの次の舟が来て、船着場に泊っているのだ。 これに乗らなければ、今後、俺が生きていく道は無い!」
広告を見てから、ほんの数時間。 更に細かく言うと、気が変わったのは、ほんの一瞬の事です。 あの土曜の午後の、ベットの上での一瞬が無ければ、私は今、生きていなかったでしょう。 「社会の上層に上がろう」という望みを捨て、下流志向に切り替えたわけです。 今私が生きているのは、そのおかげなのです。
今の会社に入ってからも、出世からは極力遠ざかって生きてきました。 出世という目標が、凄まじいまでに神経をすり減らし、私生活の時間を奪い、人間性を失わせてしまうものだと感じていたからです。 私が、大して適性が無いにも拘らず、今の会社で仕事を続けて来られたのは、欲を出さなかったからだと、自信を持って言えます。
会社勤めをしていると、「とにかく、上に上がりたくて仕方がない」というタイプの人間を、何人も見ます。 残業があれば必ずやる。 残業が無くても、いつまでも職場に残っている。 休日にまで出勤してくる。 呼ばれもしないのに、上役の会議に出席する。 上司に合わせて趣味を選び、休みの日にも行動を共にする。 中元・歳暮・年賀状・書中見舞いは欠かさず、正月の挨拶にまで出向く。 という具合に、出世に繋がる事なら、およそ何でもやるのです。 冗談じゃないですよ。 そんな思いをして、世間に名も知られていないような会社で少々出世したって、自慢にもなりゃしません。
出世が思うように行かなくて、辞めてしまう者も多く見て来ました。 自分と同期入社の同僚、もしくは後輩が、自分より先に出世してしまうと、そいつらに頭を下げるのが嫌で、会社を辞めてしまうのです。 くっだらない! そんな事でいちいち辞めていたのでは、長い人生、生きていけるわけがないでしょうが! 馬鹿でねーの? 第一、歳が行ってから、会社をやめてしまって、再就職なんかできるはずがないじゃありませんか。 何考えてんのよ?
だからさー、同期とか、先輩後輩とか、年上年下とか、そんな事に関係なく、誰とでも、ニュートラルにつきあっていればいいんですよ。 職場で、上下関係を利用して、威張ろうなんて考えているから、いざ後輩に抜かれた時に、立場を失ってしまうのです。 同僚は友達じゃないんだから、他人行儀でいいんです。 最初から全員に、≪さん付け≫しときなさい。 そうすりゃ、何があっても対応できるんだから。 そもそも、人脈を作って、他人よりうまい汁を吸おうなんて心がけが宜しくない。
下流志向の人生に必要なのは、そんなに多くの要素ではありません。 しかし、上流志向を諦めれば、自動的に得られるというほど、単純でもありません。 最低限の要素は、自分で確保しなければならないのです。 それは、≪住む所≫、≪収入を得る職業≫、≪私生活での生き甲斐≫の三つです。
≪住む所≫
ホームレスなんてのは、長続きしませんし、とにかく辛いですから、はなから問題外です。 どんなにボロい家でも、住む所は必要です。 親元にいて、相続できる立場にあるなら、そこに居続けるのが一番ですな。 私もそうしています。 実家を出なければならない立場の人は、家にいる間にお金を貯め、自分の家を買うしかありません。 賃貸は駄目です。 どんなに家賃が安くても、収入が細れば、払いきれなくなり、結局、追い出されて、ホームレスになってしまいます。 今、派遣切りや雇い止めを喰らって、援助団体や自治体に縋り付いている人達をよーく見ておく事です。 ああならない為には、自分の家が是が非でも必要なのです。
固定資産税が高いと、賃貸よりも維持費が高くなってしまいますから、少々交通の便が悪くても、安い物件を探すべきですな。 近くに別荘地などがあれば、一千万円前後で、ボロ家が売りに出ているはずです。 また、狭い家なら、古くからの住宅地でも、安い物件があります。
分譲マンションは、諸経費が賃貸アパートと同じくらいかかってしまうから、駄目です。 「マンション住まいは、都会的でカッコいい」という誘惑には決して乗らないように。 その種の欲望は、下流志向とは対極にあるものです。 カッコなんて、どうでもいいのですよ。 いや、カッコを気にするのは、下流志向者にとって、罪悪と知るべきでしょう。 そんな物、腹の足しにもなりません。
≪収入を得る職業≫
これは、どうしても必要です。 生きて行く為には、働くのは当然です。 ただし、何と言っても下流志向ですから、バイトでも問題はありません。 重要なのは、家から通える範囲内で、仕事を見つける事の方です。 「給料がいいから」という理由で、人材派遣会社に登録してしまうと、あっちこっち行かされる割に、生活費が嵩んで貯金が出来ず、今回の危機のような状況になると、一気にホームレス寸前まで落ちてしまうのです。 家は、本当に大事ですぜ。 生活の根拠地なのですから。 「根無し草の方が、飄々としていてカッコいい」なんて考え方は、今すぐ捨てておしまいなさい。 だから、カッコなんて、どうでもいいんだったら。
もっとも、正社員になれれば、それに越した事はありません。 家を買うにも、老後に備えて貯金をするにも、収入が多い方がいいに決まってます。 ただし、出世欲は駄目。 残業や休日出勤なども、断れるなら断った方が宜しい。 私生活の時間をしっかり確保するためです。 「出世もする。 私生活も楽しむ」という両面作戦は、時間の関係でも不可能です。 人生に許された時間というのは、無限ではないのです。 たとえば、勤め先で、毎日二時間残業したとすると、家では、風呂入って、飯食って、せいぜいテレビを一時間くらい見たら、後は寝る時間しか残りません。 ドラマの登場人物のように、仕事して、残業して、飲みに行って、彼女とデートして、うち帰って、テレビ見て、ネットやって、ゲームやって・・・・なんて時間があるわきゃないわな。 馬鹿馬鹿しい。
健康に気をつける上でも、仕事に割く時間とエネルギーを少なくする事は重要です。 体は消耗品でして、酷使すれば、必ず壊れます。 大きな病気や怪我をやったら、予定外の大出費になって、人生計画が大幅に狂う危険性があります。 人間の体って、肉体的・精神的に大きな負担を掛けなければ、そんなに簡単には壊れないものですよ。 仕事で頑張りすぎるのは、一番よくないです。 最も理想的なのは、バイトやパートで、一日四時間くらいだけ働いて、あまった時間は趣味に当てて、心身ともに悠々と暮らす事ですな。 なかなか、そういう所へ持って行くのが難しいのですが。
ところで、ひきこもりの諸君。 君らは、否も応も無く、下流志向を選ばなければならないわけだが、結局、いつかは働くしかないのだ。 一日も早く、今の生活に見切りをつけて、世に出たまえ。 無理は言わん。 御時世的にも、正社員として就職するのは不可能だから、バイトの口を探しなさい。 過度に恐れる必要はない。 バイト仕事なんてのは、体力さえあれば、中学生でも出来るような簡単な物がほとんどなのだ。 断言するが、能力的に君らに出来ないという事は、あ・り・え・な・い。 分からない事は、上司や先輩が教えてくれる。 仕事とは、そういうものなのだ。 最初から何をするか知っている新入りなど、いるはずがないのだから。 喋るのが苦手なら、黙っておればよい。 仕事さえやっていれば、人付き合いが悪いくらいで、クビになる事はない。 仕事と人付き合いは、全く別個の事なのだ。
バイトを始めると、親が喜ぶと思うが、油断してはいけない。 親の欲目というのは恐ろしいもので、「バイトが出来るなら、正社員として勤める事も出来るだろう」と、上を狙わせようとする。 そういう要求は、にべもなく無視する事だ。 君らの親は、君らを社会に船出させる事に失敗した、≪負け犬≫だ。 負け犬の言い草に説得力を感じてはいけない。 単に、自分達の世間体の為に、君らを操ろうとしているだけなのだ。 私の経験から言うと、ひきこもりの子供に対して、親ほど無力且つ無能な存在も無い。 糞の役にも立たないのだ。 能無し相手に相談など持ちかけてはいけない。 バイトであっても、とにかく、自分の食い扶持を稼げるようになりさえすれば、こっちのものだ。 誰憚る事無く、堂々と生きていけるのだ。
≪私生活での生き甲斐≫
これは、主に、趣味の事です。 仕事で頑張らない分、私生活に軸足を置く事になりますから、そちらを充実させる事は重要です。 趣味には個人の好みがありますから、何をやるべしと、ここで指定する事はナンセンスですが、強いてアドバイスできる観点を探すと、とにかく、お金をかけずに楽しめる趣味を開拓する事ですな。
高価な物のコレクションとか、会費がかかる団体に所属する趣味などは、最初から選ばない方が無難です。 それでなくても、収入が少ないのに、遊びにどしどし使ってしまったのでは、行き詰るのは目に見えています。 ゴルフや釣りなどは、金喰い趣味の典型でして、決して近づいてはいけません。 特に、友人や同僚との付き合いで始めるような趣味が宜しくない。 自分自身で夢中になっているように思えても、それは趣味に夢中になっているのではなく、付き合いに夢中になっているだけなのです。 「道具が増える事が楽しい」など感じるのは、目的を見失っている証拠ですな。 仲間に自慢したくて、新しい道具を次々に買わなければいられなくなってしまうのです。
齧っては飽き齧っては飽きで、ころころ変えるのもあまりよくありません。 趣味には必ず、初期費用がかかりますから、お金を使わないように注意していても、手を出す対象が増えれば、部屋の中にガラクタがどんどん増える事になります。 一度飽きたら、またいつか再開するという事は、ほとんどありません。 もし再開しても、その時はその時で新しい道具を揃え直すので、またまたガラクタが増える仕儀と相成ります。
何かを買い続けなければ満足できないというのは、趣味ではなく、買物依存症ですから、要注意。 「これは、買物依存症だな」と自分で思ったら、三ヶ月くらい、無理をしてでも、何も買わないように我慢していれば、いつのまにか執着が無くなって行きます。
金を使わない趣味の代表は、インターネットですな。 月額固定の通信費と電気代だけですから、どんなにのめりこんでも、出費が比例して増えるという事がありません。 ただし、ネット上で持続する楽しみを見出すのは、結構難しいです。 それは、私が言うまでもなく、これを読んでいる方々は、実体験として知っているでしょう。 たとえネット上でも、他人との付き合いが絡んで来れば、不愉快な事も多いです。 でも、付き合いばかりがネットの利用法ではありません。 工夫して楽しみを見出だす余地は、まだまだあると思います。
読書は、図書館を利用できる人にとっては無敵の趣味ですが、潔癖症などで、他人が大勢触れた本に抵抗があるという場合、逆に避けた方がよい趣味になります。 図書館が使えなければ、本屋や通販で買うしかありませんが、趣味に重点を置く生活様式で、読書趣味の為に、次々と本を買っていたら、あっという間に破産します。 文庫本でさえ、500円以上する時代ですぜ。 問題外ですな。
「仕事では出世を目指さないけど、社会には貢献している」などと、ボランティア活動などに首を突っ込む人も多いですが、全く薦めません。 身の程を知るべきです。 下流志向の基本原則は、「他人に迷惑をかけず、最小限のエネルギーだけ使って、人生を充実させる」という点にあるのであって、「他人の為に」、「社会の為に」などと、そんな余力が出るはずがないのです。 それは、ただの見栄です。 いやらしい虚栄心です。 もう、スケベだったらありゃしない!
人間、慎ましく、自分の人生の始末だけを考えていればいいのです。 他人の捨てたゴミを拾ったりしているから、毎日毎日ムカムカと腹が立ち、喧嘩だの裁判だの、しなくてもいいような争いに巻き込まれるのです。 自分がゴミを捨てないようにするだけで充分。 何の不都合やあらむ。 他人など放って置きなさい。
ちなみに、ボランティア団体の中にも、競争はあります。 人が二人以上集まれば、必ず上下の力関係が発生するのであって、団体と名の付く集団に、それが無いはずがありません。 ちょっと観察するだけでも、仕切り癖のあるオバサンとか、人に命令するのを自分の仕事だと思っているオヤジなどを、容易に見つける事が出来ると思います。 まったく、いやらしい。 会社と選ぶ所がないではありませんか。
一たび、下流人生を志したからには、孤独に耐える、否、孤独を愛する事を学ぶべきですな。 別に苦労しなくても、社会人になれば、次第に友人が減って、自然に孤独になって行きます。 30歳過ぎて、まだ、「友達がさあ・・・」なんて事を言ってる方が珍しい。 ちなみに、同僚というのは、友人とは別の種に属する生き物でして、どんなに仲が良くなっても、職場が変わると、瞬間的にただの知人に変わります。
孤独になるのが怖くて、無理に新しい友人を作ろうとしていると、往々にして、「ちょっと、金貸してくれないかなあ」、「どうして返してくれないんだよ!」といった、修羅場に落ちていくものです。 まあ、友人との別れ方で何が最低だと言って、金の貸し借りで喧嘩別れするほど嫌なものはありませんな。 だけど、そういうものなんですよ。 もし、老境に至るまで、節度がある友人関係を維持できているとしたら、それは、大変稀で、この上なく幸福な事です。
まあ、下流志向に必要な要素は、こんな所でしょうか。 下流志向は、世の流れであって、批判している方がおかしいです。 上流志向の邪魔をしようというわけではないのですから、放っといて欲しいものですな。 上流志向のあんたらだって、「出世したがるような奴は、強欲で高慢で、人格的に不良品だ」とか、言われたくないだろう? たとえ、それが否定しようが無い事実であっても。 そんなに下流志向を貶めたかったら、自分の子供にでも言っていなさい。 いずれ、子供に刺されて死ぬかもしれないけど。
あ、ちょっと待った。 子供で思い出しましたが、結婚して、子供を育てたいと思っている人は、若い内から下流志向を目指すのは、やめておいた方がいいと思います。 否が応でも、配偶者という他人と付き合いながら、人生ゲームの駒を進めなければならないので、自分一人の判断で生き方を決めるという事ができなくなってしまうんですな。 子供が出来れば、親としての責任も負う事になりますから、「収入なんて、生きていけるギリギリ分あればいい」というわけにも行かなくなります。
それと、独り身の下流志向だからといって、「ギリギリの収入でいい」というのも、かなり危険です。 これからの時代は、年金財政が破綻する事が予想されるので、年金無しでも暮らしていけるような備えをしておかなければなりません。 「いよいよ食えなくなったら、死ねばいい」なんて、簡単に思っているのは、そういう状況に追い込まれるまでに、まだまだ余裕がある段階の事でして、いざ、本当に死ななければならない瀬戸際まで来たら、ほい来たと死ねるものではありません。 公営老人ホームの六人部屋に詰め込まれて、養鶏所のブロイラーと大差ない末路を送るか、ホームレス化して野垂れ死にするかが関の山。 金の切れ目が、人間性との切れ目と言ってもいいでしょう。 そうならないためにも、働ける内に、老後の分まで貯金しておくのが正解なのです。
「若い者が、そんな覇気の無い事でどうする! 人生、最初から諦めてしまったら、何も出来ないのだぞ! せっかくこの世に生まれて来たのに、目標も立てず、ただ生きるだけで終わったのでは、惜しいではないか! 少年よ、大志を抱け!」
などというつもりは、全く無いのであって、私としては、≪下流志向≫大賛成です。 なぜなら、私自身が、今までの人生を下流志向で生きて来たからです。 誤解を恐れずに自慢しますと、私は20年くらい早く生まれ過ぎた人間でして、今現在の若者達を取り巻いている危機的状況に、遙か以前からぶち当たって来ました。 ≪ひきこもり≫という言葉が生まれる前に、ひきこもってましたし、人材派遣にいて、≪派遣切り≫も喰らいました。 そんなこんなで得た教訓はといえば、
「人生は、生きているだけでも充分なのであって、金持ちになろうとしたり、高い地位に着こうとしたり、有名人になろうとしたり、社会に影響を与えようとしたり、そんな大それた望みは、百害あって一利無い病的欲望に過ぎないのだ。 安定第一。 平穏これすべて。 他人を蹴落とすなど以ての外! そんな生き方は、罪でこそあれ、誉れである事があろうか?(いや、あるはずがない) 飯が食えて、住む所があって、暑さ寒さを凌げるだけの服を持っていれば、それ以上何を望まん」
というものでした。 以来、それに従って生きて来た次第。 忘れもしないですね、24歳の年の2月の、ある土曜日です。 その頃、私は専門学校に通う身だったんですが、修学に二年かかる内の一年が過ぎようとしていた時で、勉強の成果が全く感じられず、もう一年続けるべきか、やめて就職すべきか大いに悩んでいました。 そんな時に、新聞の折込チラシに、今勤めている会社の中途社員募集の広告が出ていたのです。 バブルが始まりかけた頃でして、ほんの一・二年前なら絶対に中途採用などしなかった大手製造業が、人を掻き集めていたんですな。 高卒以上という以外に、何の条件もありませんでした。
その前日まで、勉強を続ける気でいた私ですが、その広告を見て、天啓を受けたような気分になりました。 神様が、いや、お天道様でもいいですが、私に向かって言っているように思えたのです。
「おまえは、何をやっているのだね。 いつまで、そんな学校に通っていても、都会で就職などできるわけがないではないか。 お前はもう、フラフラしていられるような年齢ではあるまい。 親だってどんどん歳を取って、いずれはお前の収入を頼らなければならなくなる時が来るだろう。 今のお前の様で、親を養えるのか? 生きていくのに必要なのは、お金なのだ。 夢や妄想など、何の役にも立たんのだよ」
と・・・。 で、ベッドに仰向けになって考えている内に、頭に血が集まるように、そわそわして来たのです。
「確かに、こんな事をしていてはいけない! 舟に乗り遅れた身なのに、岸で遊んでいる場合ではない。 今、偶然にも世の中の景気が良くなって、本来なら絶対に来ないはずの次の舟が来て、船着場に泊っているのだ。 これに乗らなければ、今後、俺が生きていく道は無い!」
広告を見てから、ほんの数時間。 更に細かく言うと、気が変わったのは、ほんの一瞬の事です。 あの土曜の午後の、ベットの上での一瞬が無ければ、私は今、生きていなかったでしょう。 「社会の上層に上がろう」という望みを捨て、下流志向に切り替えたわけです。 今私が生きているのは、そのおかげなのです。
今の会社に入ってからも、出世からは極力遠ざかって生きてきました。 出世という目標が、凄まじいまでに神経をすり減らし、私生活の時間を奪い、人間性を失わせてしまうものだと感じていたからです。 私が、大して適性が無いにも拘らず、今の会社で仕事を続けて来られたのは、欲を出さなかったからだと、自信を持って言えます。
会社勤めをしていると、「とにかく、上に上がりたくて仕方がない」というタイプの人間を、何人も見ます。 残業があれば必ずやる。 残業が無くても、いつまでも職場に残っている。 休日にまで出勤してくる。 呼ばれもしないのに、上役の会議に出席する。 上司に合わせて趣味を選び、休みの日にも行動を共にする。 中元・歳暮・年賀状・書中見舞いは欠かさず、正月の挨拶にまで出向く。 という具合に、出世に繋がる事なら、およそ何でもやるのです。 冗談じゃないですよ。 そんな思いをして、世間に名も知られていないような会社で少々出世したって、自慢にもなりゃしません。
出世が思うように行かなくて、辞めてしまう者も多く見て来ました。 自分と同期入社の同僚、もしくは後輩が、自分より先に出世してしまうと、そいつらに頭を下げるのが嫌で、会社を辞めてしまうのです。 くっだらない! そんな事でいちいち辞めていたのでは、長い人生、生きていけるわけがないでしょうが! 馬鹿でねーの? 第一、歳が行ってから、会社をやめてしまって、再就職なんかできるはずがないじゃありませんか。 何考えてんのよ?
だからさー、同期とか、先輩後輩とか、年上年下とか、そんな事に関係なく、誰とでも、ニュートラルにつきあっていればいいんですよ。 職場で、上下関係を利用して、威張ろうなんて考えているから、いざ後輩に抜かれた時に、立場を失ってしまうのです。 同僚は友達じゃないんだから、他人行儀でいいんです。 最初から全員に、≪さん付け≫しときなさい。 そうすりゃ、何があっても対応できるんだから。 そもそも、人脈を作って、他人よりうまい汁を吸おうなんて心がけが宜しくない。
下流志向の人生に必要なのは、そんなに多くの要素ではありません。 しかし、上流志向を諦めれば、自動的に得られるというほど、単純でもありません。 最低限の要素は、自分で確保しなければならないのです。 それは、≪住む所≫、≪収入を得る職業≫、≪私生活での生き甲斐≫の三つです。
≪住む所≫
ホームレスなんてのは、長続きしませんし、とにかく辛いですから、はなから問題外です。 どんなにボロい家でも、住む所は必要です。 親元にいて、相続できる立場にあるなら、そこに居続けるのが一番ですな。 私もそうしています。 実家を出なければならない立場の人は、家にいる間にお金を貯め、自分の家を買うしかありません。 賃貸は駄目です。 どんなに家賃が安くても、収入が細れば、払いきれなくなり、結局、追い出されて、ホームレスになってしまいます。 今、派遣切りや雇い止めを喰らって、援助団体や自治体に縋り付いている人達をよーく見ておく事です。 ああならない為には、自分の家が是が非でも必要なのです。
固定資産税が高いと、賃貸よりも維持費が高くなってしまいますから、少々交通の便が悪くても、安い物件を探すべきですな。 近くに別荘地などがあれば、一千万円前後で、ボロ家が売りに出ているはずです。 また、狭い家なら、古くからの住宅地でも、安い物件があります。
分譲マンションは、諸経費が賃貸アパートと同じくらいかかってしまうから、駄目です。 「マンション住まいは、都会的でカッコいい」という誘惑には決して乗らないように。 その種の欲望は、下流志向とは対極にあるものです。 カッコなんて、どうでもいいのですよ。 いや、カッコを気にするのは、下流志向者にとって、罪悪と知るべきでしょう。 そんな物、腹の足しにもなりません。
≪収入を得る職業≫
これは、どうしても必要です。 生きて行く為には、働くのは当然です。 ただし、何と言っても下流志向ですから、バイトでも問題はありません。 重要なのは、家から通える範囲内で、仕事を見つける事の方です。 「給料がいいから」という理由で、人材派遣会社に登録してしまうと、あっちこっち行かされる割に、生活費が嵩んで貯金が出来ず、今回の危機のような状況になると、一気にホームレス寸前まで落ちてしまうのです。 家は、本当に大事ですぜ。 生活の根拠地なのですから。 「根無し草の方が、飄々としていてカッコいい」なんて考え方は、今すぐ捨てておしまいなさい。 だから、カッコなんて、どうでもいいんだったら。
もっとも、正社員になれれば、それに越した事はありません。 家を買うにも、老後に備えて貯金をするにも、収入が多い方がいいに決まってます。 ただし、出世欲は駄目。 残業や休日出勤なども、断れるなら断った方が宜しい。 私生活の時間をしっかり確保するためです。 「出世もする。 私生活も楽しむ」という両面作戦は、時間の関係でも不可能です。 人生に許された時間というのは、無限ではないのです。 たとえば、勤め先で、毎日二時間残業したとすると、家では、風呂入って、飯食って、せいぜいテレビを一時間くらい見たら、後は寝る時間しか残りません。 ドラマの登場人物のように、仕事して、残業して、飲みに行って、彼女とデートして、うち帰って、テレビ見て、ネットやって、ゲームやって・・・・なんて時間があるわきゃないわな。 馬鹿馬鹿しい。
健康に気をつける上でも、仕事に割く時間とエネルギーを少なくする事は重要です。 体は消耗品でして、酷使すれば、必ず壊れます。 大きな病気や怪我をやったら、予定外の大出費になって、人生計画が大幅に狂う危険性があります。 人間の体って、肉体的・精神的に大きな負担を掛けなければ、そんなに簡単には壊れないものですよ。 仕事で頑張りすぎるのは、一番よくないです。 最も理想的なのは、バイトやパートで、一日四時間くらいだけ働いて、あまった時間は趣味に当てて、心身ともに悠々と暮らす事ですな。 なかなか、そういう所へ持って行くのが難しいのですが。
ところで、ひきこもりの諸君。 君らは、否も応も無く、下流志向を選ばなければならないわけだが、結局、いつかは働くしかないのだ。 一日も早く、今の生活に見切りをつけて、世に出たまえ。 無理は言わん。 御時世的にも、正社員として就職するのは不可能だから、バイトの口を探しなさい。 過度に恐れる必要はない。 バイト仕事なんてのは、体力さえあれば、中学生でも出来るような簡単な物がほとんどなのだ。 断言するが、能力的に君らに出来ないという事は、あ・り・え・な・い。 分からない事は、上司や先輩が教えてくれる。 仕事とは、そういうものなのだ。 最初から何をするか知っている新入りなど、いるはずがないのだから。 喋るのが苦手なら、黙っておればよい。 仕事さえやっていれば、人付き合いが悪いくらいで、クビになる事はない。 仕事と人付き合いは、全く別個の事なのだ。
バイトを始めると、親が喜ぶと思うが、油断してはいけない。 親の欲目というのは恐ろしいもので、「バイトが出来るなら、正社員として勤める事も出来るだろう」と、上を狙わせようとする。 そういう要求は、にべもなく無視する事だ。 君らの親は、君らを社会に船出させる事に失敗した、≪負け犬≫だ。 負け犬の言い草に説得力を感じてはいけない。 単に、自分達の世間体の為に、君らを操ろうとしているだけなのだ。 私の経験から言うと、ひきこもりの子供に対して、親ほど無力且つ無能な存在も無い。 糞の役にも立たないのだ。 能無し相手に相談など持ちかけてはいけない。 バイトであっても、とにかく、自分の食い扶持を稼げるようになりさえすれば、こっちのものだ。 誰憚る事無く、堂々と生きていけるのだ。
≪私生活での生き甲斐≫
これは、主に、趣味の事です。 仕事で頑張らない分、私生活に軸足を置く事になりますから、そちらを充実させる事は重要です。 趣味には個人の好みがありますから、何をやるべしと、ここで指定する事はナンセンスですが、強いてアドバイスできる観点を探すと、とにかく、お金をかけずに楽しめる趣味を開拓する事ですな。
高価な物のコレクションとか、会費がかかる団体に所属する趣味などは、最初から選ばない方が無難です。 それでなくても、収入が少ないのに、遊びにどしどし使ってしまったのでは、行き詰るのは目に見えています。 ゴルフや釣りなどは、金喰い趣味の典型でして、決して近づいてはいけません。 特に、友人や同僚との付き合いで始めるような趣味が宜しくない。 自分自身で夢中になっているように思えても、それは趣味に夢中になっているのではなく、付き合いに夢中になっているだけなのです。 「道具が増える事が楽しい」など感じるのは、目的を見失っている証拠ですな。 仲間に自慢したくて、新しい道具を次々に買わなければいられなくなってしまうのです。
齧っては飽き齧っては飽きで、ころころ変えるのもあまりよくありません。 趣味には必ず、初期費用がかかりますから、お金を使わないように注意していても、手を出す対象が増えれば、部屋の中にガラクタがどんどん増える事になります。 一度飽きたら、またいつか再開するという事は、ほとんどありません。 もし再開しても、その時はその時で新しい道具を揃え直すので、またまたガラクタが増える仕儀と相成ります。
何かを買い続けなければ満足できないというのは、趣味ではなく、買物依存症ですから、要注意。 「これは、買物依存症だな」と自分で思ったら、三ヶ月くらい、無理をしてでも、何も買わないように我慢していれば、いつのまにか執着が無くなって行きます。
金を使わない趣味の代表は、インターネットですな。 月額固定の通信費と電気代だけですから、どんなにのめりこんでも、出費が比例して増えるという事がありません。 ただし、ネット上で持続する楽しみを見出すのは、結構難しいです。 それは、私が言うまでもなく、これを読んでいる方々は、実体験として知っているでしょう。 たとえネット上でも、他人との付き合いが絡んで来れば、不愉快な事も多いです。 でも、付き合いばかりがネットの利用法ではありません。 工夫して楽しみを見出だす余地は、まだまだあると思います。
読書は、図書館を利用できる人にとっては無敵の趣味ですが、潔癖症などで、他人が大勢触れた本に抵抗があるという場合、逆に避けた方がよい趣味になります。 図書館が使えなければ、本屋や通販で買うしかありませんが、趣味に重点を置く生活様式で、読書趣味の為に、次々と本を買っていたら、あっという間に破産します。 文庫本でさえ、500円以上する時代ですぜ。 問題外ですな。
「仕事では出世を目指さないけど、社会には貢献している」などと、ボランティア活動などに首を突っ込む人も多いですが、全く薦めません。 身の程を知るべきです。 下流志向の基本原則は、「他人に迷惑をかけず、最小限のエネルギーだけ使って、人生を充実させる」という点にあるのであって、「他人の為に」、「社会の為に」などと、そんな余力が出るはずがないのです。 それは、ただの見栄です。 いやらしい虚栄心です。 もう、スケベだったらありゃしない!
人間、慎ましく、自分の人生の始末だけを考えていればいいのです。 他人の捨てたゴミを拾ったりしているから、毎日毎日ムカムカと腹が立ち、喧嘩だの裁判だの、しなくてもいいような争いに巻き込まれるのです。 自分がゴミを捨てないようにするだけで充分。 何の不都合やあらむ。 他人など放って置きなさい。
ちなみに、ボランティア団体の中にも、競争はあります。 人が二人以上集まれば、必ず上下の力関係が発生するのであって、団体と名の付く集団に、それが無いはずがありません。 ちょっと観察するだけでも、仕切り癖のあるオバサンとか、人に命令するのを自分の仕事だと思っているオヤジなどを、容易に見つける事が出来ると思います。 まったく、いやらしい。 会社と選ぶ所がないではありませんか。
一たび、下流人生を志したからには、孤独に耐える、否、孤独を愛する事を学ぶべきですな。 別に苦労しなくても、社会人になれば、次第に友人が減って、自然に孤独になって行きます。 30歳過ぎて、まだ、「友達がさあ・・・」なんて事を言ってる方が珍しい。 ちなみに、同僚というのは、友人とは別の種に属する生き物でして、どんなに仲が良くなっても、職場が変わると、瞬間的にただの知人に変わります。
孤独になるのが怖くて、無理に新しい友人を作ろうとしていると、往々にして、「ちょっと、金貸してくれないかなあ」、「どうして返してくれないんだよ!」といった、修羅場に落ちていくものです。 まあ、友人との別れ方で何が最低だと言って、金の貸し借りで喧嘩別れするほど嫌なものはありませんな。 だけど、そういうものなんですよ。 もし、老境に至るまで、節度がある友人関係を維持できているとしたら、それは、大変稀で、この上なく幸福な事です。
まあ、下流志向に必要な要素は、こんな所でしょうか。 下流志向は、世の流れであって、批判している方がおかしいです。 上流志向の邪魔をしようというわけではないのですから、放っといて欲しいものですな。 上流志向のあんたらだって、「出世したがるような奴は、強欲で高慢で、人格的に不良品だ」とか、言われたくないだろう? たとえ、それが否定しようが無い事実であっても。 そんなに下流志向を貶めたかったら、自分の子供にでも言っていなさい。 いずれ、子供に刺されて死ぬかもしれないけど。
あ、ちょっと待った。 子供で思い出しましたが、結婚して、子供を育てたいと思っている人は、若い内から下流志向を目指すのは、やめておいた方がいいと思います。 否が応でも、配偶者という他人と付き合いながら、人生ゲームの駒を進めなければならないので、自分一人の判断で生き方を決めるという事ができなくなってしまうんですな。 子供が出来れば、親としての責任も負う事になりますから、「収入なんて、生きていけるギリギリ分あればいい」というわけにも行かなくなります。
それと、独り身の下流志向だからといって、「ギリギリの収入でいい」というのも、かなり危険です。 これからの時代は、年金財政が破綻する事が予想されるので、年金無しでも暮らしていけるような備えをしておかなければなりません。 「いよいよ食えなくなったら、死ねばいい」なんて、簡単に思っているのは、そういう状況に追い込まれるまでに、まだまだ余裕がある段階の事でして、いざ、本当に死ななければならない瀬戸際まで来たら、ほい来たと死ねるものではありません。 公営老人ホームの六人部屋に詰め込まれて、養鶏所のブロイラーと大差ない末路を送るか、ホームレス化して野垂れ死にするかが関の山。 金の切れ目が、人間性との切れ目と言ってもいいでしょう。 そうならないためにも、働ける内に、老後の分まで貯金しておくのが正解なのです。
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