2008/12/21

車の売り方

  なぜ、突然、自動車が売れなくなったのか? 今年の前半には、「トヨタが販売台数でGMを抜いて世界一になる」などと言って騒いでいたのに、リーマン・ショックを境に、クビ切り、リストラ、工場閉鎖の地獄街道まっしぐら。 急転直下とは、こういう状況を指す為に作られた言葉だったんだなあと、つくづく感じ入る今日この頃。

  正確に言えば、日本市場では、とうの昔から自動車は売れなくなっていたのであって、今に始まった事ではありません。 いつからかというと、1990年代初頭の日本のバブル崩壊からこっちです。 トヨタの販売台数が増えていたというのは、ほとんどが輸出と海外生産分でした。 今回の経済危機では、それまで好調だった海外販売が大コケし、輸出・海外生産ともに大幅減少しただけでなく、もともと冷え切っていた国内販売も更に落ち込んで、自動車メーカーの経営を直撃し、大破させました。 人に譬えれば、今年前半まで、体力漲り気力溢れ、人生の素晴らしさを謳歌していた人物が、9月15日に車にはねられ、一気に重態に陥って、もはや気息奄々といったところでしょうか。 譬えが悪いか。


  車が売れなくなる理由はいくつか考えられます。

≪バブル崩壊による景気の悪化≫
  何と言ってもこれが一番大きいでしょう。 日本のバブル崩壊でも、今回のアメリカのバブル崩壊でも、打てば響くように販売不振が発生しました。 景気が悪くなって一番最初に買物リストから外されるのは、やはり値段が高いものなんですな。 「そうやって、みんなが物を買わなくなるから、ますます景気が悪くなるんだ。 世の中にお金を回す為には、消費を進めなければ駄目だ」なんて事を言う自称エコノミストもいますが、無責任な事を言ってんじゃないよ。 いつ職を失うか分からず、先行きどうなるか不安で一杯なのに、車なんか買えるものかね! いくらすると思ってんのさ?


≪もともと金が無い≫
  日本のバブル時代はねえ、貧乏人でも車を買っていたんですよ。 大抵の人間は職についていましたから、収入さえ安定していれば、ローンが組めます。 それで、食う物にも困るような素寒貧な若僧でも、車だけは持っていたのです。 ところが、バブル崩壊以降、正社員として職に就けない若者が急造し、それが十年以上続いた為に、≪失われた世代≫が出来てしまいました。 よく、「小泉政権のせいで、格差社会になってしまった」と言われますが、的外れな分析もいい所で、日本の首相には社会を変革させる影響力などありません。 格差社会になった原因は、バブル崩壊にあるのは明白です。 「日本はバブル崩壊を乗り越えた」などという言い草も笑止千万、この非正規社員の分厚い世代層がバブルの遺産でなかったら、一体何だというのだね?

  正社員である親の年収は一千万円近いのに、派遣社員やフリーターをやっている子供のそれは200万円以下で、しかも何歳になっても増える事がなく、差が縮まりません。 この世代間格差には、驚嘆すべきものがあります。 年収200万円以下では、支出は生活費を最優先せざるを得ませんし、いつ襲ってくるか分からない失業に備えて貯金もしておかなければなりませんから、車のローンなど以ての外という事になってしまいます。 買いたくても買えないわけですな。 車は、家電などと違って、買った後も、保険やら税金やら車検・点検やらで、毎年十万円以上飛んでいきますから、「中古ならいいかな・・・」という妥協さえ許されない性質があります。


≪車に飽きた≫
  これは、以前、≪車に飽きた人々≫という文章で詳しく書きました。 そう、車という道具が、飽きられてしまっているんですな。 これまた、家電と違って、新しい物に買い換えれば機能が増えているという物ではなく、使い方は全く同じなので、台所事情が苦しい時に何もわざわざ買い換える必要性を感じないのです。 性能に関しては、それなりの物を選べば、前の車より上がる場合もありますが、車は自分勝手に乗り回せるものではなく、交通の流れに合わせて使うものなので、その高い性能を引き出す機会がありません。 走り屋でもないくせに、カッコで選んでスポーツ・カーを買ってしまった人が、アクセルを思いっきり踏み込む事が一度も無いまま終わるケースは、珍しくないです。

  余談ですが、スポーツ・カーは値段が高い為に、「あらゆる点で普通の乗用車より良く出来ているはずだ」と信じ込んでいるオーナーが多いのですが、実際には、車室は狭い、乗り心地は硬い、視界は悪いと、使い勝手は軽のボンバンにも遠く及びません。 そういう人が、たまに他人の乗用車に乗せてもらって、あまりにも乗り心地がいい事にショックを受け、それまで宝物だった自分の車が、突如としてガラクタに見えてくるという体験をします。 車がオモチャではないという事を、ようやく知ったわけですな。

  私が若い頃と比較すると、車がステイタス・シンボルでなくなった事は、社会の大きな変化です。 以前は、「その車を所有している事によって、その人の社会的地位が分かる」という雰囲気だったので、みんな背伸びして、良い車を買おうと血道を上げていたのですが、バブル崩壊以降、その考え方は消滅してしまいました。 そもそも車以前に、社会的地位という概念が揺らいで、価値を失ってしまったのです。 ≪オヤジ狩り≫などという現象が始まったのもその頃から。 今では信じられませんが、バブル時代までは、中年・壮年の男性は、社会的に尊敬と憧憬を受ける存在でした。 ≪ロマンス・グレイ≫なんていう言葉もありましたねえ。 つくづく隔世の感あり。 ≪ちょい悪オヤジ≫などという、揶揄が混じった呼び方とは全く違ったものでした。

  今、二十代の人達は、クラウンに乗りたがる親の世代の感覚が全く理解できないと思いますが、あれは、社会の価値観の変化についていけず、未だに車が身分を表すと思い込んでいる世代の哀しい性なのです。 いまや、ベンツでさえ、ありがたがる者などほとんどいません。 ≪ベンツ=ヤクザの車≫というイメージすら無くなってしまったのは、凄まじい限り。


≪エコ・ブームの影響≫
  エコ・ブームは、既に民衆レベルでは萎んでしまいましたが、一時期、熱病のように騒がれただけに、大きな爪痕を残していきました。 「車の使用は、エコに反する」というイメージです。 いや、イメージだけではなく、実際にその通りなんですが、以前は何の意識もせずに使っていた車という道具の問題点が、エコ・ブームで炙り出されてしまった為、もはや、良心の呵責を感ぜずに使う事が出来なくなってしまったんですな。 「ちょっと、そこまで・・・」と乗っただけでも、「俺は楽をしたいが為に、地球を汚している」と自責してしまうようになったのです。

  仕事で使っているのなら割り切る事も出来ますが、大概の人は、買物だの観光だの、ただの気晴らしだの、私用としか言いようが無い目的で乗っているので、後ろめたさから逃れる事が出来ません。 実際の所、山奥に住んでいるのでもない限り、買い物は自転車で十分間に合いますし、観光はどうしてもしなければならないわけではありませんし、気晴らしドライブに至っては、今や社会に対する敵対行為と取られても致し方ない有様。 車で気晴らし? ふざけた事をお言いでないよ! 押入れの布団に頭でも突っ込んで、絶叫でもしとれ! 大体、事故が怖くないのかね? 気晴らしで運転してて人をはねたなんて、顔色真っ青、背筋に氷くらいじゃ済まんで。


≪交通法規が厳しくなった≫
  法律が厳しくなっただけでは、車の販売数が減る事は無いと思いますが、逮捕される人間が増えたのは確実で、免停やら取り消しやらを喰らうと、どうしても、車に対する思い入れが冷めます。 しょっちゅう酒を飲みに出掛ける人達などは、自分で運転するより、人に乗せてもらう方を選びがちになり、「自分の車なんて、いらないかな」と思い切ってしまうきっかけになります。

  高齢者に義務付けられた≪落ち葉マーク≫も少なからぬ影響があると思います。 彼らは、言わば、車をステイタス・シンボルと捉えていた中心世代ですから、「せっかく高い車を買っても、年寄りマークなんか貼ったのでは台無しだ」と落胆し、車格なんぞどうでもよくなってしまいます。 そういえば、最近は、軽に乗る老人が異様に増えました。 ついこないだまで存在した≪軽ブーム≫は、高齢者が担っていたのではありますまいか。


  とまあ、ざっと見て、こんな所でしょうか。 車の未来は暗いっすねー。 単に車の量が減るだけなら、社会的にはむしろ良い傾向と言えますが、自動車産業という日本経済の屋台骨が折れるのは、大いにまずいですな。 このまま行ったら、ほんとに江戸時代の経済水準までズルズル落ちて行きかねません。 「私は自動車関係の仕事じゃないから大丈夫」なんて安心していたら大間違い。 外国から日本に富を齎しているのは、自動車産業だけなんですから、それがコケたら、他の産業もみんなコケます。 遅いか早いかというだけの違い。

  それに、こうと失業者が増えてくると、世の中が不穏でいけません。 金がなくなって、今日の食い物も無いとなれば、人間どんな事でもやるようになります。 犯罪が増えるのは自然の成り行き。 おちおち往来も歩けなくなったのでは敵いません。 その内、市中に追い剥ぎが出没するようになり、銀行なんぞ行けなくなってしまいます。 箱根の雲助も復活か? 何とかして、この急激な変化のスピードを緩められないものでしょうか。


  で、私にしては珍しく、前向きな提案ですが、アメリカ市場は外国の事とて仕方ないから成り行きを見守るとして、国内市場だけでも、少し販売が持ち直すように工夫してみたらどうですかねえ。

  とりわけ、トヨタに言いたいのですが、エコ番組のスポンサーは、もうやめた方がいいでしょう。 ≪素敵な宇宙船地球号≫は典型です。 あの番組自体は、非常に良質な番組だと思いますが、これ以上、エコ意識を煽るのは、自動車の販売に悪影響しか及ぼしません。 トヨタとしては、「うちの会社は、車という反エコ商品を売っていますが、エコについて考えていないわけではないんですよ。 むしろ、積極的にエコ社会をサポートしようとしているんですよ」とアピールする為に、あの番組を立ち上げたわけですが、今や、そんなお為ごかしを真に受ける消費者などいやしません。

  「エコ替え」などというコピーのCMもやっていますが、あれも有害です。 消費者から見ると、「騙して、車を買わせようとしている」としか映りません。 新車に買い換えるとなれば、下取り分を引いても百万円以上飛んでいくわけで、燃費が少々良いくらいで元が取れるわけがない事は、よほど間抜けな消費者でも分かっています。 ≪すぐバレる嘘≫ほど、言う側のイメージを悪くするものも無いです。 「エコを推進すれば、低燃費車が売れるだろう」と算盤を弾いているのは見え見えですが、エコ意識が徹底した消費者は、「低燃費車に買い替えよう」と思う前に、「車に乗るのをやめよう」と思い切ってしまいます。

  そもそも、エコをダシにして、拡販しようという考え方が、倒錯しているのです。 もはや、≪車=反エコ≫のイメージはしっかり定着してしまい、エコを唱えれば唱えるほど、車離れが進むという流れになっています。 自分で自分の首を絞めているのです。 企業イメージが悪くなるので、エコを攻撃する必要はありませんが、自ら進めて、自滅する必要もありますまい。

  それと、これは、全自動車会社宛てですが、ドラマのスポンサーになる時は、テレビ局を通して、製作会社に註文をつけるべきでしょう。 何をって、「主人公達に、車を所有させ、移動は車でさせるように」と条件をつけるのです。 テレビ・ドラマが生活様式に与える影響には、実に大きな物があります。 服装でも持ち物でも、若者はみんなアホですから、世の中で流行っているものを真似るのが普通です。 ところが、今のドラマを見ていると、車を所有し、移動に使っている主人公は、皆無に近いです。 これじゃあ、誰も、車生活に憧れたりしないわなあ。

  ドラマの舞台が、ほとんど東京や横浜で、しかも都心部ばかり出るために、車の使いようが無いのが問題。 地方都市を舞台にしたドラマが出来ないわけはないのですが、ドラマの制作関係者が、ほぼ全員、地方を捨てて上京した経歴を持つ為に、地方を忌み嫌い、「地方の生活など、ドラマにするに値しない」と見做す傾向が強く、それが回りまわって、車の冷遇に繋がっていると思われます。 スポンサーの発言力は強いのですから、「地方を舞台にして、車を頻繁に使うのでなければ、お金は出しません」と言ってやればいいのです。 確実に勝てます。

  やっぱりねえ、物を売りたかったら、まずイメージをよくしなければダメですよ。 値段がリーズナブルとか、品質がいいとか、そういうのは、買う気にさせた後で効いて来る事であって、まず車に興味を持たせなければ、始まりますまい。 頭使わにゃいかんで。