三敗地に塗れる
困ったなあ。 それでなくても、ここ最近、休日の天気が極悪で、気が晴れない事が多いというのに、その上更に困った事にぶちあたるというのは、ほとほと普段の行ないが良くないと思われる次第。 まあ、生きるの死ぬのといった大した問題では全然ないんですが……。
この夏頃から、コメントを打つようになったブログが、三軒ばかりあったんですが、まだ三ヶ月しか経っていないのに、すべて、ぽしゃってしまったのです。 別に喧嘩をしたわけではないんですが、コメントできなくなってしまったんですな。
一ヶ所は、季節の花の写真をテーマにしているブログで、まあ、そういう所はたくさんあるんですが、その中の一つです。 花の特徴や、育て方、花言葉など、植物辞典風に紹介した文を添えてあり、そこそこ年配の真面目そうな作者だった事と、八月に開設されたばかりで、コメントを打つ人がほとんどいなかったので、応援するつもりで、当たり障りの無いコメントを打ち始めました。
と・こ・ろ・が・だ~・・・・、三ヶ月間、私以外にまともな客が一人も来なかったのです。 「すいてて、いいじゃないか」という見方も出来ますが、それも最初の内に限った事、たった一人の常連を演じていると、月日が経つに連れて、だんだん≪重く≫なってくるんですな。 花ブログによくある、自分のブログを宣伝する為のコメントなら、時々入るんですが、そこの作者の人が、「宣伝コメントには、返礼をしない主義」のようで、レスを書いたらそれでおしまいにしてしまうものだから、後が続きません。 いや、そういう主義は立派だと思うけどー、まだ立ち上げたばかりなんだから、付き合いの範囲を広げる為にも、返礼くらいはした方がいいですって。 社交辞令のやり取りから始まって、徐々に親しくなって行くケースもあるんだから。
それと、そこのブログのシステムは、アクセス・ログ機能はもちろんの事、カウンターすら設置できないようで、私が初めて見に行った時など、作者自身が、「誰もコメントしてくれないけど、このブログ、見てくれてる人いるのかなあ?」などと、ボヤいていた始末。 だーからー、アクセス・ログを取らなければ、何人が見に来ているか、知りようがないでしょうが。 どーして、その事に気付いてくれんかなあ。 私の推測では、私以外、誰も来ていないと思うのですよ。 たまに入る宣伝コメントは、大方、単語検索で引っ掛かって来たものでしょう。
涙ぐましい事に、「ブログは、更新頻度を上げれば、閲覧者が増える」という教条を墨守していて、一日に5件も記事をアップしているのですが、そんな法則が生きていたのは、もう大昔の話ですって。 今は、ブログ・センターをうろついている連中なんていないんだから、いくら更新しても、気付く人なんていやしません。 一件あたり、写真+10行前後の文章を、一日5件となれば、並々ならぬ労力と時間を割いているに違いないのですが、無駄この下無いです。 更新なんて一日一件どころか、一週間に一件でもいいのであって、余った時間を巡回に回した方が、閲覧者もコメントも遥かに多く獲得できるでしょう。 もう、やきもきイライラしちゃって、見てられませんや。
だけど、こちらとしては、そういう事を指摘できないんですよ。 相手はネットを始めて間もない人ですが、年齢はかなり行っているようなので、差し出がましい口を利けんのです。 まして、サイトならいざ知らず、ブログでは、作者が書きたい事を書けるのが最大の特典ですから、他人があれこれ指図するのは、明らかに場違いな非礼行為となります。 サイトを≪店≫に譬えるなら、ブログは≪自室≫であって、自室の中をどう使おうが、当人の勝手ですからねえ。 コメントに、「それは違うと思いますね」なんて打たれただけでも、充分ムカッと来ますが、「ああしろこうしろ」と指図されたら、もうブチ切れるでしょう。 そんなのが何度もあるようなら、コメント機能オフにしますよ。
ああ、せめて、アクセス・ログ機能があるサービスに移ってくれれば、作者当人にも現状が分かって、アドバイスのきっかけが出来るんですがねえ。 このまま、コメント無しで半年も続ければ、自ずと誰も読んでくれていない事を悟るでしょうが、その頃には更新に疲れて、すっかりやる気をなくしているから、アドバイスなどしても、聞いてくれんでしょう。 なまじ、悪い人でないだけに気の毒だなあ。
次のブログ。 人形の服を作っている人の所です。 タカラ・トミーの≪ジェニー≫という着せ替え人形をモデルに、6分の1サイズの和風の服を仕立てて、ブログに公開していたのですが、その出来があまりにも素晴らしいので、私、人形趣味など全く無いにも拘らず、心惹かれて、賛美のコメントを打っていたのです。
そうこうする内、その作者、6分の1サイズに飽き足りなくなって、≪ミニ・スーパー・ドルフィー≫という、4分の1サイズの人形に乗り換えを計りました。 ちなみに、3万円くらいするらしいです。 顔が描いていない状態で売られているそうで、「自分では描けないから、有料で描いてくれる人に依頼する」と言ったり、「髪が短くて服に合わないから、韓国から長髪用のカツラを通販で買う」と言ったり、野越え山越え、艱難辛苦を乗り越えて、ようやく人形と一着目の服が完成し、写真が公開されました。
と・こ・ろ・が・だ~・・・・、その人形が、キモいのですわ、あ~た! まず、頭と胴体の比率が悪い。 頭ばかりドデかくて、まるで人間の体型をしていないのです。 3・4歳の子供なら、こういう体型もアリかもしれませんが、それにしても頭がでかすぎる。 それでいて、顔立ちは、やけに彫りが深く、日本人離れした立体造作。 しかも大人の女の化粧顔が描かれているわけですよ。 想像できますか? 3・4歳の子供の体に、25歳くらいの大人の女性の顔が載っている様子を。 キモい、キショい、グロテスク、怖気を振う、鳥肌立つ・・・、そんな形容しか思い浮かばぬ、途轍もなくひどい人形なのです。 いやあ、まいったなあ・・・。
そこそこ人気があったブログで、それまで、更新があれば必ず何人かがコメントを打っていたのですが、一度その人形の写真が公開されるや、誰も何も言わなくなりました。 あまりの気持ち悪さに、逃げてしまったのは疑いありません。 私なんか、その写真を見たくないばかりに、そのブログを開く事さえ出来なくなってしまったのだから、その甚だしさが想像できるでしょう。 ところが、作者当人は、その人形のひどさに気付かないのか、お金と労力を投入しているから認めたくないのか、「なかなか、いいんじゃないの?」などと書いている始末。 「これからは、この人形をモデルに、衣装を作って行きます」などと抱負まで語られては、もうお手上げです。
どーすりゃ、いいのよ、この私は! 「あなた、その人形は、キモいから、やめた方がいいですよ」と言ってやりたいんですが、上述したように、ブログとは個人の自室ですから、他人がどうこう言うのは掟破りです。 批判するくらいなら、コメントなど打たない方が良い。 「何でも言い合えるのが、本当の友人だ」などというのは、現実を知らぬ馬鹿の戯言で、どんな親友であっても、何でも言い合っていたら、果ては殺し合いの喧嘩になります。 況や、ネット交友で、しかも日も浅い相手では、何も言えないではありませんか。
そもそも、私がその人のブログに行くようになったのは、作品のセンスが良いと思ったからであって、他に理由は無いのです。 今回の騒ぎで、センスが良いどころか、≪気持ち悪い≫と≪可愛い≫の区別もつかない事が判明したのだから、これ以上、交友しても、得る所はありますまい。 ちなみに、その作者、未婚女性なので、客の中には、明らかにスケコマシ目当てでやって来ていた野郎もいましたが、そいつでさえも、人形のキモさに耐えかねて、逃げて行きました。 うーむ、目覚しき虫除け効果!
つまりその、私が最初、その人のセンスが良いと思い込んでいたのは、ほとんど、≪ジェニー≫という人形の完成度の高さに支えられていたんでしょうな。 ≪ジェニー≫は、顔は少女っぽいですが、体は完全に大人体型で、頭と胴体のバランスも、実際の人間と同じなのです。 リアルな服を着せて、後ろ姿を写真と撮ると、本物の人間と区別がつきません。 タカラ・トミーの研究レベルは高かったんですねえ。
さて、三軒目ですが、これは写真ブログです。 街なかをフィールドにして、普段人が見ないような角度から風景を切り取る人で、私もそういう写真を撮るのが好きなものですから、つい惹かれて、コメントを打ち始めたのです。 技術がしっかりしている上に、感性が研ぎ澄まされていて、「ほお、こんな人がいるんだねえ」と、日頃、写真作品にはシビアな私が、感服仕った次第。
と・こ・ろ・が・だ~・・・・、やはり、一人の人間が撮る写真というのは、パターンが決まってしまうんですな。 二週間ごとに繰り返される、夕飯のおかずみたいに……。 二ヶ月もしたら、コメントに書く事がなくなってしまったのです。 「この写真は、○○がいいですね」の、○○の部分のパターンを書き尽くしてしまうと、それ以上、話が発展しないのですよ。 また、その人が、写真オンリーで、文章を添えないから、雑談へ逃げるという事もできません。 厳しいな~。
ちなみに、そこのブログも、コメント客は私一人でして、日に日に責任が重くなって来て、もうトンヅラ寸前の心境です。 作者は悪い人じゃないので、応援してやりたいんですが、私一人ではどうにもなりません。 当人が巡回してくれればいいんですが、そういう変わった写真を撮っている人は絶対数が少ないので、なかなか付き合う相手が見つからないんでしょうねえ。
今のところ、人形の所以外は、まだ粘ってみようかなと思っているのですが、見通しは暗いです。 結局は、疎遠になって行きそうな予感がヒシヒシと感じ取れます。 やれやれ、ネット交友の難しさは、何年やっても克服できないものですな。 楽しみよりも苦労の方が多くなってしまったら、続ける意味はないですからねえ。
この夏頃から、コメントを打つようになったブログが、三軒ばかりあったんですが、まだ三ヶ月しか経っていないのに、すべて、ぽしゃってしまったのです。 別に喧嘩をしたわけではないんですが、コメントできなくなってしまったんですな。
一ヶ所は、季節の花の写真をテーマにしているブログで、まあ、そういう所はたくさんあるんですが、その中の一つです。 花の特徴や、育て方、花言葉など、植物辞典風に紹介した文を添えてあり、そこそこ年配の真面目そうな作者だった事と、八月に開設されたばかりで、コメントを打つ人がほとんどいなかったので、応援するつもりで、当たり障りの無いコメントを打ち始めました。
と・こ・ろ・が・だ~・・・・、三ヶ月間、私以外にまともな客が一人も来なかったのです。 「すいてて、いいじゃないか」という見方も出来ますが、それも最初の内に限った事、たった一人の常連を演じていると、月日が経つに連れて、だんだん≪重く≫なってくるんですな。 花ブログによくある、自分のブログを宣伝する為のコメントなら、時々入るんですが、そこの作者の人が、「宣伝コメントには、返礼をしない主義」のようで、レスを書いたらそれでおしまいにしてしまうものだから、後が続きません。 いや、そういう主義は立派だと思うけどー、まだ立ち上げたばかりなんだから、付き合いの範囲を広げる為にも、返礼くらいはした方がいいですって。 社交辞令のやり取りから始まって、徐々に親しくなって行くケースもあるんだから。
それと、そこのブログのシステムは、アクセス・ログ機能はもちろんの事、カウンターすら設置できないようで、私が初めて見に行った時など、作者自身が、「誰もコメントしてくれないけど、このブログ、見てくれてる人いるのかなあ?」などと、ボヤいていた始末。 だーからー、アクセス・ログを取らなければ、何人が見に来ているか、知りようがないでしょうが。 どーして、その事に気付いてくれんかなあ。 私の推測では、私以外、誰も来ていないと思うのですよ。 たまに入る宣伝コメントは、大方、単語検索で引っ掛かって来たものでしょう。
涙ぐましい事に、「ブログは、更新頻度を上げれば、閲覧者が増える」という教条を墨守していて、一日に5件も記事をアップしているのですが、そんな法則が生きていたのは、もう大昔の話ですって。 今は、ブログ・センターをうろついている連中なんていないんだから、いくら更新しても、気付く人なんていやしません。 一件あたり、写真+10行前後の文章を、一日5件となれば、並々ならぬ労力と時間を割いているに違いないのですが、無駄この下無いです。 更新なんて一日一件どころか、一週間に一件でもいいのであって、余った時間を巡回に回した方が、閲覧者もコメントも遥かに多く獲得できるでしょう。 もう、やきもきイライラしちゃって、見てられませんや。
だけど、こちらとしては、そういう事を指摘できないんですよ。 相手はネットを始めて間もない人ですが、年齢はかなり行っているようなので、差し出がましい口を利けんのです。 まして、サイトならいざ知らず、ブログでは、作者が書きたい事を書けるのが最大の特典ですから、他人があれこれ指図するのは、明らかに場違いな非礼行為となります。 サイトを≪店≫に譬えるなら、ブログは≪自室≫であって、自室の中をどう使おうが、当人の勝手ですからねえ。 コメントに、「それは違うと思いますね」なんて打たれただけでも、充分ムカッと来ますが、「ああしろこうしろ」と指図されたら、もうブチ切れるでしょう。 そんなのが何度もあるようなら、コメント機能オフにしますよ。
ああ、せめて、アクセス・ログ機能があるサービスに移ってくれれば、作者当人にも現状が分かって、アドバイスのきっかけが出来るんですがねえ。 このまま、コメント無しで半年も続ければ、自ずと誰も読んでくれていない事を悟るでしょうが、その頃には更新に疲れて、すっかりやる気をなくしているから、アドバイスなどしても、聞いてくれんでしょう。 なまじ、悪い人でないだけに気の毒だなあ。
次のブログ。 人形の服を作っている人の所です。 タカラ・トミーの≪ジェニー≫という着せ替え人形をモデルに、6分の1サイズの和風の服を仕立てて、ブログに公開していたのですが、その出来があまりにも素晴らしいので、私、人形趣味など全く無いにも拘らず、心惹かれて、賛美のコメントを打っていたのです。
そうこうする内、その作者、6分の1サイズに飽き足りなくなって、≪ミニ・スーパー・ドルフィー≫という、4分の1サイズの人形に乗り換えを計りました。 ちなみに、3万円くらいするらしいです。 顔が描いていない状態で売られているそうで、「自分では描けないから、有料で描いてくれる人に依頼する」と言ったり、「髪が短くて服に合わないから、韓国から長髪用のカツラを通販で買う」と言ったり、野越え山越え、艱難辛苦を乗り越えて、ようやく人形と一着目の服が完成し、写真が公開されました。
と・こ・ろ・が・だ~・・・・、その人形が、キモいのですわ、あ~た! まず、頭と胴体の比率が悪い。 頭ばかりドデかくて、まるで人間の体型をしていないのです。 3・4歳の子供なら、こういう体型もアリかもしれませんが、それにしても頭がでかすぎる。 それでいて、顔立ちは、やけに彫りが深く、日本人離れした立体造作。 しかも大人の女の化粧顔が描かれているわけですよ。 想像できますか? 3・4歳の子供の体に、25歳くらいの大人の女性の顔が載っている様子を。 キモい、キショい、グロテスク、怖気を振う、鳥肌立つ・・・、そんな形容しか思い浮かばぬ、途轍もなくひどい人形なのです。 いやあ、まいったなあ・・・。
そこそこ人気があったブログで、それまで、更新があれば必ず何人かがコメントを打っていたのですが、一度その人形の写真が公開されるや、誰も何も言わなくなりました。 あまりの気持ち悪さに、逃げてしまったのは疑いありません。 私なんか、その写真を見たくないばかりに、そのブログを開く事さえ出来なくなってしまったのだから、その甚だしさが想像できるでしょう。 ところが、作者当人は、その人形のひどさに気付かないのか、お金と労力を投入しているから認めたくないのか、「なかなか、いいんじゃないの?」などと書いている始末。 「これからは、この人形をモデルに、衣装を作って行きます」などと抱負まで語られては、もうお手上げです。
どーすりゃ、いいのよ、この私は! 「あなた、その人形は、キモいから、やめた方がいいですよ」と言ってやりたいんですが、上述したように、ブログとは個人の自室ですから、他人がどうこう言うのは掟破りです。 批判するくらいなら、コメントなど打たない方が良い。 「何でも言い合えるのが、本当の友人だ」などというのは、現実を知らぬ馬鹿の戯言で、どんな親友であっても、何でも言い合っていたら、果ては殺し合いの喧嘩になります。 況や、ネット交友で、しかも日も浅い相手では、何も言えないではありませんか。
そもそも、私がその人のブログに行くようになったのは、作品のセンスが良いと思ったからであって、他に理由は無いのです。 今回の騒ぎで、センスが良いどころか、≪気持ち悪い≫と≪可愛い≫の区別もつかない事が判明したのだから、これ以上、交友しても、得る所はありますまい。 ちなみに、その作者、未婚女性なので、客の中には、明らかにスケコマシ目当てでやって来ていた野郎もいましたが、そいつでさえも、人形のキモさに耐えかねて、逃げて行きました。 うーむ、目覚しき虫除け効果!
つまりその、私が最初、その人のセンスが良いと思い込んでいたのは、ほとんど、≪ジェニー≫という人形の完成度の高さに支えられていたんでしょうな。 ≪ジェニー≫は、顔は少女っぽいですが、体は完全に大人体型で、頭と胴体のバランスも、実際の人間と同じなのです。 リアルな服を着せて、後ろ姿を写真と撮ると、本物の人間と区別がつきません。 タカラ・トミーの研究レベルは高かったんですねえ。
さて、三軒目ですが、これは写真ブログです。 街なかをフィールドにして、普段人が見ないような角度から風景を切り取る人で、私もそういう写真を撮るのが好きなものですから、つい惹かれて、コメントを打ち始めたのです。 技術がしっかりしている上に、感性が研ぎ澄まされていて、「ほお、こんな人がいるんだねえ」と、日頃、写真作品にはシビアな私が、感服仕った次第。
と・こ・ろ・が・だ~・・・・、やはり、一人の人間が撮る写真というのは、パターンが決まってしまうんですな。 二週間ごとに繰り返される、夕飯のおかずみたいに……。 二ヶ月もしたら、コメントに書く事がなくなってしまったのです。 「この写真は、○○がいいですね」の、○○の部分のパターンを書き尽くしてしまうと、それ以上、話が発展しないのですよ。 また、その人が、写真オンリーで、文章を添えないから、雑談へ逃げるという事もできません。 厳しいな~。
ちなみに、そこのブログも、コメント客は私一人でして、日に日に責任が重くなって来て、もうトンヅラ寸前の心境です。 作者は悪い人じゃないので、応援してやりたいんですが、私一人ではどうにもなりません。 当人が巡回してくれればいいんですが、そういう変わった写真を撮っている人は絶対数が少ないので、なかなか付き合う相手が見つからないんでしょうねえ。
今のところ、人形の所以外は、まだ粘ってみようかなと思っているのですが、見通しは暗いです。 結局は、疎遠になって行きそうな予感がヒシヒシと感じ取れます。 やれやれ、ネット交友の難しさは、何年やっても克服できないものですな。 楽しみよりも苦労の方が多くなってしまったら、続ける意味はないですからねえ。
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