遠い演説
1月9日火曜日の深夜、遅番の仕事から帰宅したら、たまたまテレビで、アメリカ大統領就任式の中継をやっていました。 今まで、こういうのを見た事が無かったんですが、オバマ氏が何を言うのか、ちょっと興味が湧いて、就任演説を聞いてみました。
内容以前に、同時通訳と、字幕の翻訳があまりにも違うのにびっくり! 字幕の方は事前に手に入れた原稿を流しているものと思われますから、同時通訳の方が、ズレているのでしょう。 オバマ氏が原稿をそのまま読んでいるのではなく、その場の感覚で表現を変えているのかとも思いましたが、その後知った新聞の情報によると、この演説原稿は、何ヶ月もかけて、字句や表現を入念に選んで構成されたもので、その場の都合で変えられるようなものではなかったようです。 すると、やはり、同時通訳がテケトーだったんでしょう。 同時通訳という技能、普段、全面的に信用して聞いていますが、実際には、どんなごまかしをやられているか分かったもんじゃなかったわけですな。 怖い怖い。
それはさておき、演説の内容です。 実を言うと、結構長い話だったので、最初聞いた時には、あまり頭に入りませんでした。 印象としては、「アメリカの自慢話ばっかりだなあ……」と、それだけ記憶しています。 その後、新聞に全文が掲載されたので、今それを読みながら、これを書いているわけですが………、うーん、やっぱり、自慢話が八割ですな。 今までのアメリカ歴代大統領の就任演説を聞いた事が無いので、比較が出来ないんですが、「チェインジ」を期待されて登場したオバマ氏でさえ、こんなに自慢ばかりしているという事は、今まではもっと自慢が多かったのかもしれませんな。
ちょっと脱線しますと、オバマ氏のキャッチ・フレーズの一つ、「Change」ですが、日本人がこれをカタカナ語化する時、「チェインジ」と、「イ」を入れているのは、興味深い現象です。 習慣に従えば、野球用語などに使われている、「チェンジ」と同じになりそうなものですが、なぜか、猫も杓子も「チェインジ」と発音しています。 もちろん、原音は「チェインジ」の方が近いです。 とうとう日本人も原音主義に目覚めたか!? いやいや、一方で、もう一つのキャッチ・フレーズ、「Yes We can !」の方は、「イェス、ウィ、ケン!」にならず、相変わらず、「イエス、ウイ、キャン!」と言っているところを見ると、「チェインジ」は、単なる気紛れと流行の結果なんでしょう。 原音主義は、まだまだ眠り続けるわけだ。
話を元に戻します。 演説の内容ですよ。 この演説の目的は、アメリカ国民をおだてて、いい気分にさせ、これから行なう政策に進んで協力するように呼びかけているものと見ました。 「アメリカは素晴らしい国で、素晴らしい先祖を持つ、素晴らしい国民がいる。 そんなに素晴らしいんだから、現在置かれている苦難も乗り越えられるはずだ。 みんな頑張ろう!」という論理展開ですな。 その、≪おだて≫の部分が、異様に長いので、「自慢ばっかり」に聞こえたわけです。
いかに世界中の注目を集めていようと、アメリカ大統領は、アメリカ一国の大統領なのだから、就任演説でアメリカの自慢をベラベラ喋っていけないという法はありませんが、私個人の感想としては、21世紀のこの時点で、現状世界最大の国力を持っている国の大統領が、自分の国の事しか視野に入れていないというのは、些かならず、残念です。 アメリカは今が絶頂期で、今後は二流国に転落して行くという予測の証明のように見えてしまうのです。 私自身はアメリカ国民ではないですし、今後もアメリカ国民になる予定が無いので、どうでもいいって言えばいいんですが、なんだか、世界の統一は遠い気がして、明るい気分になれません。 やっぱり、アメリカでは駄目か………。
テレビや新聞の解説を見聞きしていると、今回の演説を誉めている意見が多いようなので、私は貶してみようと思います。 別に、天邪鬼を気取ろうというわけではなく、聞き捨てならない部分を指摘しておきたいのです。 いや、結構ありますよ。
≪我が国は暴力と憎悪の大規模なネットワークに対する戦争状態にある≫
その言葉は、そのままそっくりアメリカに返します。 現在、世界中で、最も大規模な暴力と憎悪のネットワークを形作っているのは、アメリカです。 暴力は、アメリカ軍事力そのものですし、憎悪は、9.11後、ブッシュ政権の報復政策を全面的に支持したアメリカの民意のほとんど全てを埋めていました。 暴力・憎悪と戦争するなら、まず、自国内のそれと戦うべきでしょう。
≪聖書の言葉を借りれば……≫
就任式の宣誓の時にも聖書が使われましたが、それは、オバマ氏がキリスト教徒だからで、その点は、一応問題ないです。 信じていないものに対して誓っても、それは誓いになりませんから。 もしイスラム教徒の大統領が就任する時には、当然コーランが用いられるわけで、政教分離の原則には抵触していません。 しかし、演説の中で、聖書の言葉を持ち出す事には、問題があります。 アメリカ国民の中には、聖書とは全く関係ない宗教の信者もいるからです。 どうも、「子供じみたことはやめる時が来た」という一句を引用したいが為だけに、「聖書の言葉を借りれば」と前置きしたようですが、こんな普通の物言いをする為に、わざわざ、政教分離の原則を揺るがしてまで、特定宗教の経典を引用する必要はありますまい。
余談ですが、神も仏も、どんな物も信じていない場合、宣誓は成り立ちません。 高校野球の≪選手宣誓≫など、笑止千万。 おまいら一体、何に対して誓っとるんじゃい? 現代日本人に於いては、≪誓う≫という言葉の意味すら分かっていない者が圧倒的多数です。 信じていればこそ、裏切る事が出来ないから、それに対して誓う事が出来るわけです。 何も信じていなければ、裏切る事に抵抗など微塵も感じないのですから、いくらでも嘘が言えます。 日本の裁判所では、「良心に誓って」と言わせますが、良心なんぞ薬にしたくも持ち合わせていない輩には、お笑い種でしかありませんな。
≪アメリカの偉大さを再確認する上で……≫
いや、それほど、偉大ではありませんよ。 トップと言っても、経済規模で言えば、EUや中国と、ほとんど変わりませんし、人口はずっと少ないし、人類史に対する貢献も、特別大きいわけではありません。 エジソン氏やフォード氏を個別に偉大と言う事は出来ても、それが即、アメリカが偉大だという事にはなりますまい。 そもそも、百歩譲って、アメリカ程度でも偉大な国だと仮定するとしても、自分の口から自分の事を、「偉大」って言いますかね? 「大日本帝国」だの、「大英帝国」だのという誇大妄想狂的呼称と、どこが違うのよ。
≪私達の為に、彼らは僅かな財産を荷物にまとめ、新しい生活を求めて海を越えた≫
この部分は、ヨーロッパ人がアメリカに渡って来た時の事を指しています。 完璧な思い違いですな。 子孫の為に移民したのではなく、自分の為に移民したに決まっているではありませんか。 「子孫の為にもなった」という程度の意味なら、そんなのは、人間の営みすべてについて言える事であって、移民という行為ばかりを取り立て誉めそやす事ではないでしょう。 そもそも、「移民」といえば、ニュートラルな表現ですが、ヨーロッパからアメリカへの移民は、≪侵略≫なのであって、自慢するような事ではありません。
≪私達の為に、彼らは汗を流して懸命に働き、西部を開拓した。 鞭打ちに耐え、硬い土を耕した≫
これも、西部開発が偉業のように言われていますが、やはり、先住民の生活を破壊し、土地という財産を奪った蛮行以外の何ものでもありません。 ついでに、今風の価値観を重ねれば、≪開拓≫とは、≪環境破壊≫そのものです。 それを今この時に、自慢する神経が分かりません。
≪私達の為に、彼らはコンコードやゲティズバーグ、ノルマンディーやケサンで戦い、命を落とした≫
前の三箇所はともかくとして、ケサンは、ベトナムの地名ですが、これはまずいでしょう。 ベトナム戦争は、アメリカが南ベトナム政府を操って行なった侵略戦争であって、ベトナムにとっては大災厄、アメリカにとっては、しなくてもよかった戦争です。 別に米軍がケサンで戦ったから、今のアメリカがあるというわけではありません。 まるで、ベトナム戦争が、アメリカの為になったかのように聞こえますが、するとつまり、アメリカはベトナム戦争に対して、何の反省もしていないという事なんでしょうか? そう取られても仕方がないような表現です。 実際、平気でイラク戦争を起こしたところを見ると、何の反省もしていないのかもしれませんが。
≪今回の経済危機は、市場は注意深く見ていないと、制御不能になる恐れがある事を、私達に思い起こさせた≫
分かってないようですけど、資本主義国では、たとえ注意深く見ていたとしても、市場が制御不能になることがあります。 バブルというのは、そういう性質を持っているんですよ。 たとえ誰かが、「これはバブルだぞ! 気をつけろ!」と叫んでも、バブルで大儲けしている連中は、そんな声に耳を貸しません。 資本主義国では、政府も、市場の中の一部として機能しているので、市場を外から監督する事が出来ません。 つまり、一定のサイクルで、バブル崩壊が襲ってくるのは避けられないのです。 ちなみに、現在、資本主義を取り入れている国で、政府が市場の外にいて、監督が出来る余地を残しているのは中国だけです。 ただし、その余地もどんどん狭まりつつあります。
≪アメリカは、将来の平和と尊厳を求める、全ての国家、男性、女性、子供の友人であり、再び主導する役割を果たす用意がある≫
そんな役割は、果たしてくれなくてもいいです。 現在世界で起きている大規模な紛争の半分以上は、アメリカが関わっている事が原因になっています。 アメリカが政治的・軍事的干渉をやめれば、雲散霧消する国際問題がうじゃうじゃあるのです。 本気で、平和と尊厳を求めるのなら、自分の国の中でだけ、好きな事をやっていて下さい。 あなた方さえ来なければ、平穏な暮らしが出来る人間が、何十億といる事を、一生の内に一度くらい想像してみる事ですな。
≪先人達が、ファシズムと、共産主義を屈服させたのは……≫
ファシズムはともかく、共産主義は、別にアメリカやその同盟国に屈服したわけではありません。 ソ連を崩壊させたのは、ソ連国民です。 ソ連国民が自ら未来を選んだというだけの話であって、アメリカとは関係ありません。 現に、ソ連より遥かに規模が小さい、朝鮮やキューバには、さんざん嫌がらせを浴びせているにも拘らず、何の影響力も及ぼせないではありませんか。 自分の力に自惚れるのも大概にすべきでしょう。
≪私達は、責任ある形で、イラクをその国民の手に委ねる過程を開始し、アフガニスタンの平和構築を始める≫
まず、イラク国民に謝罪しなさい。 膨大な数のイラク人を殺しておいて、何が責任ある形だね? まだ、カッコがつけられると思っているのかね? アメリカは、イラクに対して責任を負う資格すらありません。 ただの侵略者です。 まったく自覚していない所が末恐ろしい。 アフガニスタンに至っては、平和構築などと、よくもまあ言えたものです。 タリバン政権で、何とか治まっていたのを滅茶苦茶にしてしまったのは誰やねん? タリバン政権を非人道的と言うなら、アメリカやヨーロッパの占領軍は非人道的ではないのかね? 言葉も通じない外国の軍隊が、武装して遊弋している方が、よっぽど恐ろしいです。
≪私達の生き方を曲げる事は無く、それを守る事に迷いもしない≫
一体、あなたは、どういうつもりで、「Change」という言葉を使っていたのかな? 言っている事が、矛盾しているではありませんか。 間違っていたと思うなら、生き方を曲げてくださいよ。 それを守る事に、一瞬でもいいから迷って下さいよ。
≪自分達の目的を進める為に、テロを引き起こし、罪の無い人々を虐殺しようとする者に対し、私達は言おう。 今、私達の精神は一層強固であり、くじける事は無い。 先に倒れるのは君達だ 私達は君達を打ち負かす≫
この前半の一文ですが、「テロ」という言葉を「侵略戦争」に置き換えれば、アメリカの事を指しているとしか思えませんな。 よく、こういう言葉を使えるなあ。 自分の国が何をやっているのか、世界からどういう目で見られているのか、全然知らないのかも知れませんなあ。 つくづく恐ろしい事だて……。
≪世界のあらゆる所から集められたすべての言語と文化に形作られたのが私達だ≫
嘘、というのが不適当なら、事実誤認です。 言語は基本的に、英語しか通じないじゃありませんか。 カリフォルニアがスペイン語化しつつあるだけで、眉を顰めているくせに、理想的な多言語社会のように言いふらすのはやめるべきでしょう。 文化もしかり。 アメリカ映画で、神話・伝説物というと、ほとんどイギリスのそればかりではありませんか。 ≪西遊記≫すら知らないくせに、多文化社会が聞いて呆れます。
≪南北戦争と人種隔離という苦い経験をし、その暗い歴史の一章から、より強くより結束した形で抜け出した。 それがゆえに、我々は信じる。 古い憎悪はいつか過ぎ去る事を。 種族的な境界は間もなく消え去る事を≫
まだ抜け出してません。 まるで、逆上がりが出来ないくせに、「もうすぐ出来そうだから」という楽観的見通しを元に、「出来るよ」と言ってしまう子供のようです。 言葉を弄ばず、きちんと抜け出してから、こういう事は言いましょうね。 人種差別問題について、アメリカ社会が絶望的に見えるのは、すぐ近くに、ブラジルという全く正反対の例が実在するからです。 アメリカでは二百年以上かかっても消せない人種差別が、ブラジルでは最初から無かったのですから。 どちらが、未来の人類社会像として相応しいかと聞かれたら、ブラジルと答えざるを得ますまい。
≪イスラム世界に対して、共通の利益と相互の尊敬に基づき、新たな道を模索する。 紛争の種を蒔き、自分の社会の責任を西洋のせいにする国々の指導者に対しては、国民は、破壊するものではなく、築き上げるものであなた達を判断するという事を知るべきだと言いたい≫
後半の一文、「西洋」を「イスラム社会」に入れ替えれば、そっくり、アメリカに対して言える事でしょう。 よく、こういう言葉が使えるねえ。 呆れ果てます。 本当に自分の国が外で何をやっているか、自覚してないんでしょうか?
≪腐敗と謀略、反対者の抑圧によって権力にしがみついている者達は、歴史の誤まった側にいる事に気付くべきだ≫
そういう見方に、最大の問題点があります。 常に、自分の国は正しい側だと思い込んでいる事が、アメリカの対外方針から、客観的な分析力・判断力を奪っているのです。 そもそもあなたにしてからが、謀略の限りを尽くして、大統領になったのではないのかな?
≪握り締めたその拳を開くなら、私達が手を差し伸べる事を知るべきだ≫
どういう性格から、こういう高飛車な態度が出てくるのかねえ? 最初から、上から目線なのです。 自分がそう言われたら、はいはいと素直に受け入れますかね? どんな国でも、国際社会では、対等が原則です。 あなたの国に、「手を差し伸べて欲しい」などと思っているのは、腰巾着の同盟国だけですよ。 いいから、来ないでくれ。 あなたの国さえ、ちょっかい出して来なければ、みんな幸せなんです。 大体、自分が原因で敵を作り、その敵が憎いからと言って、握り締めた拳を開けずに、プルプル震えているのは、あなたの国でしょうが。
≪私達はもはや、国外の苦難に無関心でいる事は許されないし……≫
無関心でいて下さい! あなたの国が関わって来ると、苦難でない事まで、苦難になってしまうのです!
≪また、影響を考えずに、世界の資源を消費する事も許されない≫
ほんとにそう思ってますか? この呼びかけは、≪アメリカ同様に、比較的豊かな国々≫に向かって発せられたものですが、はっきり言わせて貰って、その条件に該当する国々の中で、最も資源を浪費しているのは、お宅のアメリカであって、「まず、己を正せ」と言いたいです。 もっとも、一方で、≪景気の回復≫を唱え、一方で、≪環境保護≫を訴えるのは、明らかに矛盾した態度ですが。
オバマ氏と言えば、≪グリーン・ニューディール政策≫ですが、いくら、環境に良い物を作る事で人々に職を与えても、その職で稼いだ人達が、今まで通りの大量消費を続ければ、焼け石に水です。 これは、資本主義システムが環境問題とぶつかった時に起こる、根本的な矛盾と言えます。 どちらかを捨てるか、どっちつかずのまま、ごまかして進むかの、三つしか選べる道がありません。
≪アーリントン国立墓地に眠る戦死した英雄達の……(中略)……私達が彼らに敬意を表するのは、彼らが私達の自由の守護者だからというだけでなく、彼らが奉仕の精神の体現者、つまり、自分自身より大切なものに意味を見出そうとしているからだ≫
戦死者を一緒くたにしていますが、外国から仕掛けられた戦争への反撃の際に戦死した者と、自国が仕掛けた戦争で戦死した者では、その死の意味が、まるで違います。 仕掛けられた戦争で戦死した者なら、このような敬意を払われる資格がありますが、自国が仕掛けた戦争で戦死した者の場合、彼らは国家の手先になって外国へ攻めて行った侵略者であり、地球上の誰からも、またたとえ、小指の爪の先ほどであっても、敬意と名のつく感情など抱かれる資格がありません。
侵略戦争に兵士を送り出したのは、アメリカ政府の責任ですが、アメリカは民主主義国家であり、政府を選んだのは国民です。 自分の息子が戦死したという報告を受ける瞬間まで、侵略戦争大賛成で、胸に湧くのは、息子を戦場へ送り出した事への誇りだけ、という母親がたくさんいるそうですが、その現実が、平和主義からあまりにも遠く隔たっているので、頭がクラクラして来ます。 日本の靖国問題も全く同じテーマですが、たとえ自分の国の兵士であっても、自ら起こした侵略戦争の戦死者に敬意を払っている間は、決して平和主義には近づけないでしょう。 それは、どんなに遠回しな言い方をして、ごまかそうとしても、結局の所、自ら起こす侵略戦争そのものを是認する事になるからです。
≪今、私達に求められているのは、新たな責任の時代だ。 それは一人一人のアメリカ人が、私達自身や、我が国、世界に対する責務があると認識する事だ≫
重大な事を混同しています。 アメリカ人が、アメリカ人自身や、アメリカという国に責務を持つのは当然ですが、外国に対しては、責務などありません。 むしろ、「何かをしてやろう」などと思い立たれては、困るのです。 はっきり言って、迷惑なのです。 もし、アメリカに、外国に対する責務があるとするなら、今まで、余計な手出しをしてグチャグチャにしてしまった外国に対して、謝罪、賠償、旧状回復をする事でしょうが、実際問題として考えると、それですらも、更に余計な手出しの上塗りになる可能性が極めて高く、最も良い道としては、何もしないで放っておいてくれるのが一番良いのです。 もういい! 責任など無い! だから、国の外にはちょっかいを出さないでくれ! 威張りたければ、腰巾着の同盟国だけを相手にしていなさい。
≪これが、不確かな行き先をはっきりさせる事を神が私達に求めているという、私達の自信の源でもある≫
おやおや、終わりの方へ来て、とうとう、≪神≫という言葉が、剥き出しで出て来てしまいました。 続けて、「アメリカには、あらゆる種類の信仰がある」という事も言っていますが、ここにも矛盾があります。 一体、その、≪神≫とは、どの宗教の、どの神の事なのか? 仏教には、神が存在しない事を承知の上で、神の概念を使っているのか? もしかしたら、キリスト教以外の宗教について、基礎知識を持ち合わせていないのではないのか? 疑念は尽きません。
≪60年足らず前だったら、地元のレストランで食事をさせて貰えなかったかも知れない父を持つ男が、神聖な宣誓の為に、あなた達の前に立つ事が……≫
別に大した事ではありますまい。 アメリカ大統領という職業をありがたがり過ぎています。 それは、父親を引き合いに出すより、前任の大統領と比べてみれば、すぐに分かる事です。 ただの戦争キチガイ老人ですら、なれるのが、アメリカ大統領なのです。 そういえば、演説の冒頭部で、簡単ながら、その前任者の業績を讃え、謝辞まで述べていましたが、社交辞令といえども、相手によりけりでしょう。 前任者がグジャグジャにしてしまったから、あなたが登板する事になったわけで、グジャグジャにした張本人に感謝していてどうする?
≪自由という偉大な贈り物を受け継ぎ、未来の世代にそれを確実に引き継いだ、と語られるようにしよう≫
ソ連が崩壊してからこっち、≪自由≫という言葉の価値は、最安値まで暴落したまま、今日に至っています。 こんな黴臭い価値観で動く者など、アメリカ国内ですら、一人もいますまい。 大体、あなたがこれからやろうとしている政策は、社会主義的な色合いの強い物で、自由を束縛する方向に進むのは明らかではありませんか。 株や不動産取引で儲けて、何十年も享楽の限りを尽くして来た民衆が、たとえ、失業して素寒貧になったとしても、道路工事に引っ張り出されて、自由を感じるとは到底思えません。
以上、難癖、おしまい。
それにしても不可思議なのは、これだけ突っ込みどころ満載な演説を、誉める者が多いという事実です。 この文章を考えた人間は、世界の歴史に対しても、世界の現状に対しても、客観的視点を全く欠いています。 自分の国の位置づけすら出来ておらず、自国中心主義から脱却するには程遠い所にいます。
オバマ氏と、専属の若いスピーチ・ライターが共同で作文したらしいですが、若いと言っても、まさか中学生ではありますまい。 なに、27歳? うーん………、27歳で、こんなに考えが浅いかねえ? これでは、今後一生かかっても、コスモポリタニズムの端緒にすら辿り着かないでしょうなあ。 気の毒ですが……。 言葉を飾る事を作文だと思い違いしているのか、これでは、主肝心な、≪知の世界≫への鍵を捨てているも同然です。
また、この文章を誉めている連中も、アメリカの立場にどっぷり偏っているか、ブームに流されて、オバマ氏に対し軽薄に心酔しているかのどちらかで、カチンと引っ掛かる所が一箇所も無いんでしょうなあ。 前任者の政策に対する批判が、数える程度含まれている点を挙げて、それを、「Change」だと指摘している人もいますが、前任者の失策は、その程度の批判で済まされるような事ではないと思いませんかね? 私は、この演説文を読んでも、「Change」の気配など、全く感じません。 あんた方、一体、世界にどうなって欲しいのよ? この演説の世界観で、ほんとにいいのかい? 何も変わらんよ。
内容以前に、同時通訳と、字幕の翻訳があまりにも違うのにびっくり! 字幕の方は事前に手に入れた原稿を流しているものと思われますから、同時通訳の方が、ズレているのでしょう。 オバマ氏が原稿をそのまま読んでいるのではなく、その場の感覚で表現を変えているのかとも思いましたが、その後知った新聞の情報によると、この演説原稿は、何ヶ月もかけて、字句や表現を入念に選んで構成されたもので、その場の都合で変えられるようなものではなかったようです。 すると、やはり、同時通訳がテケトーだったんでしょう。 同時通訳という技能、普段、全面的に信用して聞いていますが、実際には、どんなごまかしをやられているか分かったもんじゃなかったわけですな。 怖い怖い。
それはさておき、演説の内容です。 実を言うと、結構長い話だったので、最初聞いた時には、あまり頭に入りませんでした。 印象としては、「アメリカの自慢話ばっかりだなあ……」と、それだけ記憶しています。 その後、新聞に全文が掲載されたので、今それを読みながら、これを書いているわけですが………、うーん、やっぱり、自慢話が八割ですな。 今までのアメリカ歴代大統領の就任演説を聞いた事が無いので、比較が出来ないんですが、「チェインジ」を期待されて登場したオバマ氏でさえ、こんなに自慢ばかりしているという事は、今まではもっと自慢が多かったのかもしれませんな。
ちょっと脱線しますと、オバマ氏のキャッチ・フレーズの一つ、「Change」ですが、日本人がこれをカタカナ語化する時、「チェインジ」と、「イ」を入れているのは、興味深い現象です。 習慣に従えば、野球用語などに使われている、「チェンジ」と同じになりそうなものですが、なぜか、猫も杓子も「チェインジ」と発音しています。 もちろん、原音は「チェインジ」の方が近いです。 とうとう日本人も原音主義に目覚めたか!? いやいや、一方で、もう一つのキャッチ・フレーズ、「Yes We can !」の方は、「イェス、ウィ、ケン!」にならず、相変わらず、「イエス、ウイ、キャン!」と言っているところを見ると、「チェインジ」は、単なる気紛れと流行の結果なんでしょう。 原音主義は、まだまだ眠り続けるわけだ。
話を元に戻します。 演説の内容ですよ。 この演説の目的は、アメリカ国民をおだてて、いい気分にさせ、これから行なう政策に進んで協力するように呼びかけているものと見ました。 「アメリカは素晴らしい国で、素晴らしい先祖を持つ、素晴らしい国民がいる。 そんなに素晴らしいんだから、現在置かれている苦難も乗り越えられるはずだ。 みんな頑張ろう!」という論理展開ですな。 その、≪おだて≫の部分が、異様に長いので、「自慢ばっかり」に聞こえたわけです。
いかに世界中の注目を集めていようと、アメリカ大統領は、アメリカ一国の大統領なのだから、就任演説でアメリカの自慢をベラベラ喋っていけないという法はありませんが、私個人の感想としては、21世紀のこの時点で、現状世界最大の国力を持っている国の大統領が、自分の国の事しか視野に入れていないというのは、些かならず、残念です。 アメリカは今が絶頂期で、今後は二流国に転落して行くという予測の証明のように見えてしまうのです。 私自身はアメリカ国民ではないですし、今後もアメリカ国民になる予定が無いので、どうでもいいって言えばいいんですが、なんだか、世界の統一は遠い気がして、明るい気分になれません。 やっぱり、アメリカでは駄目か………。
テレビや新聞の解説を見聞きしていると、今回の演説を誉めている意見が多いようなので、私は貶してみようと思います。 別に、天邪鬼を気取ろうというわけではなく、聞き捨てならない部分を指摘しておきたいのです。 いや、結構ありますよ。
≪我が国は暴力と憎悪の大規模なネットワークに対する戦争状態にある≫
その言葉は、そのままそっくりアメリカに返します。 現在、世界中で、最も大規模な暴力と憎悪のネットワークを形作っているのは、アメリカです。 暴力は、アメリカ軍事力そのものですし、憎悪は、9.11後、ブッシュ政権の報復政策を全面的に支持したアメリカの民意のほとんど全てを埋めていました。 暴力・憎悪と戦争するなら、まず、自国内のそれと戦うべきでしょう。
≪聖書の言葉を借りれば……≫
就任式の宣誓の時にも聖書が使われましたが、それは、オバマ氏がキリスト教徒だからで、その点は、一応問題ないです。 信じていないものに対して誓っても、それは誓いになりませんから。 もしイスラム教徒の大統領が就任する時には、当然コーランが用いられるわけで、政教分離の原則には抵触していません。 しかし、演説の中で、聖書の言葉を持ち出す事には、問題があります。 アメリカ国民の中には、聖書とは全く関係ない宗教の信者もいるからです。 どうも、「子供じみたことはやめる時が来た」という一句を引用したいが為だけに、「聖書の言葉を借りれば」と前置きしたようですが、こんな普通の物言いをする為に、わざわざ、政教分離の原則を揺るがしてまで、特定宗教の経典を引用する必要はありますまい。
余談ですが、神も仏も、どんな物も信じていない場合、宣誓は成り立ちません。 高校野球の≪選手宣誓≫など、笑止千万。 おまいら一体、何に対して誓っとるんじゃい? 現代日本人に於いては、≪誓う≫という言葉の意味すら分かっていない者が圧倒的多数です。 信じていればこそ、裏切る事が出来ないから、それに対して誓う事が出来るわけです。 何も信じていなければ、裏切る事に抵抗など微塵も感じないのですから、いくらでも嘘が言えます。 日本の裁判所では、「良心に誓って」と言わせますが、良心なんぞ薬にしたくも持ち合わせていない輩には、お笑い種でしかありませんな。
≪アメリカの偉大さを再確認する上で……≫
いや、それほど、偉大ではありませんよ。 トップと言っても、経済規模で言えば、EUや中国と、ほとんど変わりませんし、人口はずっと少ないし、人類史に対する貢献も、特別大きいわけではありません。 エジソン氏やフォード氏を個別に偉大と言う事は出来ても、それが即、アメリカが偉大だという事にはなりますまい。 そもそも、百歩譲って、アメリカ程度でも偉大な国だと仮定するとしても、自分の口から自分の事を、「偉大」って言いますかね? 「大日本帝国」だの、「大英帝国」だのという誇大妄想狂的呼称と、どこが違うのよ。
≪私達の為に、彼らは僅かな財産を荷物にまとめ、新しい生活を求めて海を越えた≫
この部分は、ヨーロッパ人がアメリカに渡って来た時の事を指しています。 完璧な思い違いですな。 子孫の為に移民したのではなく、自分の為に移民したに決まっているではありませんか。 「子孫の為にもなった」という程度の意味なら、そんなのは、人間の営みすべてについて言える事であって、移民という行為ばかりを取り立て誉めそやす事ではないでしょう。 そもそも、「移民」といえば、ニュートラルな表現ですが、ヨーロッパからアメリカへの移民は、≪侵略≫なのであって、自慢するような事ではありません。
≪私達の為に、彼らは汗を流して懸命に働き、西部を開拓した。 鞭打ちに耐え、硬い土を耕した≫
これも、西部開発が偉業のように言われていますが、やはり、先住民の生活を破壊し、土地という財産を奪った蛮行以外の何ものでもありません。 ついでに、今風の価値観を重ねれば、≪開拓≫とは、≪環境破壊≫そのものです。 それを今この時に、自慢する神経が分かりません。
≪私達の為に、彼らはコンコードやゲティズバーグ、ノルマンディーやケサンで戦い、命を落とした≫
前の三箇所はともかくとして、ケサンは、ベトナムの地名ですが、これはまずいでしょう。 ベトナム戦争は、アメリカが南ベトナム政府を操って行なった侵略戦争であって、ベトナムにとっては大災厄、アメリカにとっては、しなくてもよかった戦争です。 別に米軍がケサンで戦ったから、今のアメリカがあるというわけではありません。 まるで、ベトナム戦争が、アメリカの為になったかのように聞こえますが、するとつまり、アメリカはベトナム戦争に対して、何の反省もしていないという事なんでしょうか? そう取られても仕方がないような表現です。 実際、平気でイラク戦争を起こしたところを見ると、何の反省もしていないのかもしれませんが。
≪今回の経済危機は、市場は注意深く見ていないと、制御不能になる恐れがある事を、私達に思い起こさせた≫
分かってないようですけど、資本主義国では、たとえ注意深く見ていたとしても、市場が制御不能になることがあります。 バブルというのは、そういう性質を持っているんですよ。 たとえ誰かが、「これはバブルだぞ! 気をつけろ!」と叫んでも、バブルで大儲けしている連中は、そんな声に耳を貸しません。 資本主義国では、政府も、市場の中の一部として機能しているので、市場を外から監督する事が出来ません。 つまり、一定のサイクルで、バブル崩壊が襲ってくるのは避けられないのです。 ちなみに、現在、資本主義を取り入れている国で、政府が市場の外にいて、監督が出来る余地を残しているのは中国だけです。 ただし、その余地もどんどん狭まりつつあります。
≪アメリカは、将来の平和と尊厳を求める、全ての国家、男性、女性、子供の友人であり、再び主導する役割を果たす用意がある≫
そんな役割は、果たしてくれなくてもいいです。 現在世界で起きている大規模な紛争の半分以上は、アメリカが関わっている事が原因になっています。 アメリカが政治的・軍事的干渉をやめれば、雲散霧消する国際問題がうじゃうじゃあるのです。 本気で、平和と尊厳を求めるのなら、自分の国の中でだけ、好きな事をやっていて下さい。 あなた方さえ来なければ、平穏な暮らしが出来る人間が、何十億といる事を、一生の内に一度くらい想像してみる事ですな。
≪先人達が、ファシズムと、共産主義を屈服させたのは……≫
ファシズムはともかく、共産主義は、別にアメリカやその同盟国に屈服したわけではありません。 ソ連を崩壊させたのは、ソ連国民です。 ソ連国民が自ら未来を選んだというだけの話であって、アメリカとは関係ありません。 現に、ソ連より遥かに規模が小さい、朝鮮やキューバには、さんざん嫌がらせを浴びせているにも拘らず、何の影響力も及ぼせないではありませんか。 自分の力に自惚れるのも大概にすべきでしょう。
≪私達は、責任ある形で、イラクをその国民の手に委ねる過程を開始し、アフガニスタンの平和構築を始める≫
まず、イラク国民に謝罪しなさい。 膨大な数のイラク人を殺しておいて、何が責任ある形だね? まだ、カッコがつけられると思っているのかね? アメリカは、イラクに対して責任を負う資格すらありません。 ただの侵略者です。 まったく自覚していない所が末恐ろしい。 アフガニスタンに至っては、平和構築などと、よくもまあ言えたものです。 タリバン政権で、何とか治まっていたのを滅茶苦茶にしてしまったのは誰やねん? タリバン政権を非人道的と言うなら、アメリカやヨーロッパの占領軍は非人道的ではないのかね? 言葉も通じない外国の軍隊が、武装して遊弋している方が、よっぽど恐ろしいです。
≪私達の生き方を曲げる事は無く、それを守る事に迷いもしない≫
一体、あなたは、どういうつもりで、「Change」という言葉を使っていたのかな? 言っている事が、矛盾しているではありませんか。 間違っていたと思うなら、生き方を曲げてくださいよ。 それを守る事に、一瞬でもいいから迷って下さいよ。
≪自分達の目的を進める為に、テロを引き起こし、罪の無い人々を虐殺しようとする者に対し、私達は言おう。 今、私達の精神は一層強固であり、くじける事は無い。 先に倒れるのは君達だ 私達は君達を打ち負かす≫
この前半の一文ですが、「テロ」という言葉を「侵略戦争」に置き換えれば、アメリカの事を指しているとしか思えませんな。 よく、こういう言葉を使えるなあ。 自分の国が何をやっているのか、世界からどういう目で見られているのか、全然知らないのかも知れませんなあ。 つくづく恐ろしい事だて……。
≪世界のあらゆる所から集められたすべての言語と文化に形作られたのが私達だ≫
嘘、というのが不適当なら、事実誤認です。 言語は基本的に、英語しか通じないじゃありませんか。 カリフォルニアがスペイン語化しつつあるだけで、眉を顰めているくせに、理想的な多言語社会のように言いふらすのはやめるべきでしょう。 文化もしかり。 アメリカ映画で、神話・伝説物というと、ほとんどイギリスのそればかりではありませんか。 ≪西遊記≫すら知らないくせに、多文化社会が聞いて呆れます。
≪南北戦争と人種隔離という苦い経験をし、その暗い歴史の一章から、より強くより結束した形で抜け出した。 それがゆえに、我々は信じる。 古い憎悪はいつか過ぎ去る事を。 種族的な境界は間もなく消え去る事を≫
まだ抜け出してません。 まるで、逆上がりが出来ないくせに、「もうすぐ出来そうだから」という楽観的見通しを元に、「出来るよ」と言ってしまう子供のようです。 言葉を弄ばず、きちんと抜け出してから、こういう事は言いましょうね。 人種差別問題について、アメリカ社会が絶望的に見えるのは、すぐ近くに、ブラジルという全く正反対の例が実在するからです。 アメリカでは二百年以上かかっても消せない人種差別が、ブラジルでは最初から無かったのですから。 どちらが、未来の人類社会像として相応しいかと聞かれたら、ブラジルと答えざるを得ますまい。
≪イスラム世界に対して、共通の利益と相互の尊敬に基づき、新たな道を模索する。 紛争の種を蒔き、自分の社会の責任を西洋のせいにする国々の指導者に対しては、国民は、破壊するものではなく、築き上げるものであなた達を判断するという事を知るべきだと言いたい≫
後半の一文、「西洋」を「イスラム社会」に入れ替えれば、そっくり、アメリカに対して言える事でしょう。 よく、こういう言葉が使えるねえ。 呆れ果てます。 本当に自分の国が外で何をやっているか、自覚してないんでしょうか?
≪腐敗と謀略、反対者の抑圧によって権力にしがみついている者達は、歴史の誤まった側にいる事に気付くべきだ≫
そういう見方に、最大の問題点があります。 常に、自分の国は正しい側だと思い込んでいる事が、アメリカの対外方針から、客観的な分析力・判断力を奪っているのです。 そもそもあなたにしてからが、謀略の限りを尽くして、大統領になったのではないのかな?
≪握り締めたその拳を開くなら、私達が手を差し伸べる事を知るべきだ≫
どういう性格から、こういう高飛車な態度が出てくるのかねえ? 最初から、上から目線なのです。 自分がそう言われたら、はいはいと素直に受け入れますかね? どんな国でも、国際社会では、対等が原則です。 あなたの国に、「手を差し伸べて欲しい」などと思っているのは、腰巾着の同盟国だけですよ。 いいから、来ないでくれ。 あなたの国さえ、ちょっかい出して来なければ、みんな幸せなんです。 大体、自分が原因で敵を作り、その敵が憎いからと言って、握り締めた拳を開けずに、プルプル震えているのは、あなたの国でしょうが。
≪私達はもはや、国外の苦難に無関心でいる事は許されないし……≫
無関心でいて下さい! あなたの国が関わって来ると、苦難でない事まで、苦難になってしまうのです!
≪また、影響を考えずに、世界の資源を消費する事も許されない≫
ほんとにそう思ってますか? この呼びかけは、≪アメリカ同様に、比較的豊かな国々≫に向かって発せられたものですが、はっきり言わせて貰って、その条件に該当する国々の中で、最も資源を浪費しているのは、お宅のアメリカであって、「まず、己を正せ」と言いたいです。 もっとも、一方で、≪景気の回復≫を唱え、一方で、≪環境保護≫を訴えるのは、明らかに矛盾した態度ですが。
オバマ氏と言えば、≪グリーン・ニューディール政策≫ですが、いくら、環境に良い物を作る事で人々に職を与えても、その職で稼いだ人達が、今まで通りの大量消費を続ければ、焼け石に水です。 これは、資本主義システムが環境問題とぶつかった時に起こる、根本的な矛盾と言えます。 どちらかを捨てるか、どっちつかずのまま、ごまかして進むかの、三つしか選べる道がありません。
≪アーリントン国立墓地に眠る戦死した英雄達の……(中略)……私達が彼らに敬意を表するのは、彼らが私達の自由の守護者だからというだけでなく、彼らが奉仕の精神の体現者、つまり、自分自身より大切なものに意味を見出そうとしているからだ≫
戦死者を一緒くたにしていますが、外国から仕掛けられた戦争への反撃の際に戦死した者と、自国が仕掛けた戦争で戦死した者では、その死の意味が、まるで違います。 仕掛けられた戦争で戦死した者なら、このような敬意を払われる資格がありますが、自国が仕掛けた戦争で戦死した者の場合、彼らは国家の手先になって外国へ攻めて行った侵略者であり、地球上の誰からも、またたとえ、小指の爪の先ほどであっても、敬意と名のつく感情など抱かれる資格がありません。
侵略戦争に兵士を送り出したのは、アメリカ政府の責任ですが、アメリカは民主主義国家であり、政府を選んだのは国民です。 自分の息子が戦死したという報告を受ける瞬間まで、侵略戦争大賛成で、胸に湧くのは、息子を戦場へ送り出した事への誇りだけ、という母親がたくさんいるそうですが、その現実が、平和主義からあまりにも遠く隔たっているので、頭がクラクラして来ます。 日本の靖国問題も全く同じテーマですが、たとえ自分の国の兵士であっても、自ら起こした侵略戦争の戦死者に敬意を払っている間は、決して平和主義には近づけないでしょう。 それは、どんなに遠回しな言い方をして、ごまかそうとしても、結局の所、自ら起こす侵略戦争そのものを是認する事になるからです。
≪今、私達に求められているのは、新たな責任の時代だ。 それは一人一人のアメリカ人が、私達自身や、我が国、世界に対する責務があると認識する事だ≫
重大な事を混同しています。 アメリカ人が、アメリカ人自身や、アメリカという国に責務を持つのは当然ですが、外国に対しては、責務などありません。 むしろ、「何かをしてやろう」などと思い立たれては、困るのです。 はっきり言って、迷惑なのです。 もし、アメリカに、外国に対する責務があるとするなら、今まで、余計な手出しをしてグチャグチャにしてしまった外国に対して、謝罪、賠償、旧状回復をする事でしょうが、実際問題として考えると、それですらも、更に余計な手出しの上塗りになる可能性が極めて高く、最も良い道としては、何もしないで放っておいてくれるのが一番良いのです。 もういい! 責任など無い! だから、国の外にはちょっかいを出さないでくれ! 威張りたければ、腰巾着の同盟国だけを相手にしていなさい。
≪これが、不確かな行き先をはっきりさせる事を神が私達に求めているという、私達の自信の源でもある≫
おやおや、終わりの方へ来て、とうとう、≪神≫という言葉が、剥き出しで出て来てしまいました。 続けて、「アメリカには、あらゆる種類の信仰がある」という事も言っていますが、ここにも矛盾があります。 一体、その、≪神≫とは、どの宗教の、どの神の事なのか? 仏教には、神が存在しない事を承知の上で、神の概念を使っているのか? もしかしたら、キリスト教以外の宗教について、基礎知識を持ち合わせていないのではないのか? 疑念は尽きません。
≪60年足らず前だったら、地元のレストランで食事をさせて貰えなかったかも知れない父を持つ男が、神聖な宣誓の為に、あなた達の前に立つ事が……≫
別に大した事ではありますまい。 アメリカ大統領という職業をありがたがり過ぎています。 それは、父親を引き合いに出すより、前任の大統領と比べてみれば、すぐに分かる事です。 ただの戦争キチガイ老人ですら、なれるのが、アメリカ大統領なのです。 そういえば、演説の冒頭部で、簡単ながら、その前任者の業績を讃え、謝辞まで述べていましたが、社交辞令といえども、相手によりけりでしょう。 前任者がグジャグジャにしてしまったから、あなたが登板する事になったわけで、グジャグジャにした張本人に感謝していてどうする?
≪自由という偉大な贈り物を受け継ぎ、未来の世代にそれを確実に引き継いだ、と語られるようにしよう≫
ソ連が崩壊してからこっち、≪自由≫という言葉の価値は、最安値まで暴落したまま、今日に至っています。 こんな黴臭い価値観で動く者など、アメリカ国内ですら、一人もいますまい。 大体、あなたがこれからやろうとしている政策は、社会主義的な色合いの強い物で、自由を束縛する方向に進むのは明らかではありませんか。 株や不動産取引で儲けて、何十年も享楽の限りを尽くして来た民衆が、たとえ、失業して素寒貧になったとしても、道路工事に引っ張り出されて、自由を感じるとは到底思えません。
以上、難癖、おしまい。
それにしても不可思議なのは、これだけ突っ込みどころ満載な演説を、誉める者が多いという事実です。 この文章を考えた人間は、世界の歴史に対しても、世界の現状に対しても、客観的視点を全く欠いています。 自分の国の位置づけすら出来ておらず、自国中心主義から脱却するには程遠い所にいます。
オバマ氏と、専属の若いスピーチ・ライターが共同で作文したらしいですが、若いと言っても、まさか中学生ではありますまい。 なに、27歳? うーん………、27歳で、こんなに考えが浅いかねえ? これでは、今後一生かかっても、コスモポリタニズムの端緒にすら辿り着かないでしょうなあ。 気の毒ですが……。 言葉を飾る事を作文だと思い違いしているのか、これでは、主肝心な、≪知の世界≫への鍵を捨てているも同然です。
また、この文章を誉めている連中も、アメリカの立場にどっぷり偏っているか、ブームに流されて、オバマ氏に対し軽薄に心酔しているかのどちらかで、カチンと引っ掛かる所が一箇所も無いんでしょうなあ。 前任者の政策に対する批判が、数える程度含まれている点を挙げて、それを、「Change」だと指摘している人もいますが、前任者の失策は、その程度の批判で済まされるような事ではないと思いませんかね? 私は、この演説文を読んでも、「Change」の気配など、全く感じません。 あんた方、一体、世界にどうなって欲しいのよ? この演説の世界観で、ほんとにいいのかい? 何も変わらんよ。
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