2009/04/05

接続魔法

  口でなら、思った事を抵抗無くベラベラ喋る事が出来るのに、文章に書くとなると、急に筆が進まなくなってしまうという人がいます。 喋る事が出来るという事は、その内容について考えているという事で、概念はもちろん、使用すべき単語も分かっているわけです。 なのに、それを文章に書けないというのは不思議な話です。

  こういう人達に限って、「私には文才が無い」という言い方をします。 文章を書くには特別な才能が必要で、自分にはそれが欠けているのだという捉え方をしているわけですな。 しかし、それは程度の問題だと思います。 確かに、名文を物すとなれば、才能が関わって来ると思いますが、普通に考えている事を文章に書けないというのは、才能などという高次元な問題ではなく、単に、基本的な技法を知らないだけなのではないでしょうか。

  ≪書けない人≫の四苦八苦する様子を観察していると、わざと難しい言葉を使おうとしているのが見て取れます。 「文章というのは格調高い物で、普段口で喋っているような言葉はそぐわない」と思っているのかもしれません。 単語なら、漢字熟語や外来語を多く使いたがり、フレーズなら、諺や慣用句をありがたがります。 ところが、その種の言葉を使いたがる人ほど、その種の言葉をよく知らず、「言葉が思いつかないなあ・・・、ああ、俺は馬鹿だ!」となってしまうのです。 いやいや、馬鹿じゃないって。 勘違いしてるだけだって。 いつまでたっても勘違いに気づかないという点では確かに馬鹿ですが、耳慣れない単語や慣用句を知らなくても、それだけで馬鹿という事にはなりますまい。

  知らない言葉というのは、つまり知らない事なのであって、知らない事は誰でも書く事が出来ません。 対策は二つ。 知ってから書くか、知らない事は書かないようにするか、のどちらかです。 前者は即効性が無いので薦めません。 知識を増やす事は良い事だと思いますが、膨大な量の読書をしなければならず、今すぐに文章を書きたいという人には役に立たないからです。 ちなみに、膨大な量の読書をしただけでは、文章を書けるようにはならず、その基礎が出来るだけです。 文章を書くには、やはり、書く習慣を身に付ける努力が必要です。

  で、手っ取り早い方の対策ですが、「知らない事は書かないようにする」、逆に言えば、「今知っている事だけで、文章を書く」という事になります。 この場合でも、若干の努力は必要ですが、機械的な作業だけすればいいので、その日の内に書けるようになる点、至ってお手軽。 どうすればいいかというと、一旦、家族や友達を相手に喋るような調子で書いてみて、後から文章語風に修正するんですな。

「今日の午後さあ、車にワックス掛けようと思って、ホームセンターに行ったの。 近所の。 そしたらさあ、途中で、前走ってた車が、曲がろうとして対向車にぶつかって、事故っちゃってさあ。 びっくりしたよ、もう。 でさあ、道路狭くて通れないから、俺も停まっちゃってえ、車下りて見に行ったんだけど、運転手、両方ともぼーっとしちゃって、放心状態なわけ。 しょーがないから、俺が警察に電話してさあ、大変だったよ、もう」

  まあ、こんな文面なら、アホでも・・・いや、小学生程度でも、書けるでしょう。 喋ってる事そのまんまですから。 これを文章語っぽくするわけですな。 喋るのと書くのとでは何が違うかというと、最も異なるのは、相手がいるかいないかです。 喋る場合は、当然相手がいますから、話しかける形式で喋ります。 一方、書く場合には、あたかも、読み手の存在を無視して、独り言を呟くように書きます。 要点を挙げれば、

1. 間投詞や、語調を和らげるための助詞を切り落とす。
2. 省略されている格助詞を復活させる。
3. 言い忘れて、後で補足した形容詞句や副詞句を、本来入るべき位置に戻す。
4. 口語っぽい単語を、知っている範囲内で、文語っぽい単語に入れ替える。

「今日の午後、車にワックス掛けようと思って、近所のホームセンターに行った。 すると、途中で、前を走ってた車が、曲がろうとして対向車にぶつかり、事故を起こしてしまった。 大変驚いた。 道路が狭くて通れないので、私も停まってしまい、車を下りて見に行ったのだが、運転手は両方ともぼーっとしていて、放心状態だった。 しかたないので、私が警察に電話した。 大変な目に遭った」

  うーむ、いかにも、文章っぽい。 もっとも、私の場合、読み易さを慮って、ここまで硬くはしませんが。 とりあえず、基本的なパーツをほとんどそのまま使っても、口語文を文語文に直す事は可能だという事が分かって貰えれば宜しい。

  ≪独り言を呟くように≫と書きましたが、世の中には、精神健全で、独り言のような病的な習慣は一切持ち合わせておらぬという人もいると思うので、言葉を変えましょう。 ≪箇条書きのように≫書くのが宜しいと思います。 箇条書きなら、よほど、文章が苦手な人でも書けるでしょう。

・ 今日の午後、車にワックス掛けようと思って、近所のホームセンターに行った。
・ 途中で、前を走ってた車が、曲がろうとして対向車にぶつかり、事故を起こしてしまった。
・ 大変驚いた。
・ 道路が狭くて通れないので、私も停まってしまい、車を下りて見に行った。
・ 運転手は両方ともぼーっとしていて、放心状態だった。
・ しかたないので、私が警察に電話した。
・ 大変な目に遭った。

  ほーら、これなら、アホでも書けるじゃろ。 なあ、アホ。 いや、失敬失敬。 とにかく、こんな細切れ文なら、誰でも書けるわけだ。 しかし、箇条書きを羅列しただけでは、文章らしくなりません。 譬えれば、道路のあちこちに水溜りが点在しているようなものです。 これに、接続語を入れて、繋げてやると、初めて文章になるのです。 水溜りを溝で繋いで、流れを作り、川にするわけですな。

  接続語は、基本的に、五種類しかありません。 細かく分ければ、もっと数えられますが、話がややこしくなるので、便宜的に五種類にしてしまいましょう。 具体的な単語で言えば、「だから」、「しかし」、「そしたら」、「その為に」、「そして」ですな。 

≪天気が良い。 だから、散歩に行く≫
  「だから」の前の文は、後の文の原因・理由を表わします。

≪天気が良い。 しかし、散歩には行かない≫
  「しかし」の前の文も原因・理由ですが、後ろには、その原因・理由から自然に導き出される行為とは、食い違う行為が来ます。

≪もうすぐ雨が上がる。 そしたら、散歩に行く≫
  「そしたら」の前の文は、後の文の条件・仮定を表わします。

≪散歩に行く。 その為に、早起きする≫
  「その為に」の前の文は、後の文の目的を表わします。

≪散歩に行った。 そして、帰って来た≫
  「そして」は、単に行為の順序を表しているだけです。

  まあ、大概の接続語は、この五種類のどれかに入ると思います。

  「だから」と同じ意味の接続語は、「故に」とか、「なので」など、幾つも存在します。 接続の仕方が、前の文の末尾にくっつく、「~から」とか、「の故に」とか、「~ので」なども、働きは同じですな。 「しかし」にも、「けれども」、「だが」、「~が」、「~ものの」などの類語があります。 なぜ、同じ意味の接続語が幾つも用意されているかというと、それは、文章に変化をつけ、読み易くするためです。

≪彼はやって来た。 しかし、すぐに帰った。 彼女もやって来た。 しかし、やはり、すぐに帰った≫

  という風に、「しかし」を二回使うよりも、

≪彼はやって来た。 しかし、すぐに帰った。 彼女もやって来たけれども、やはり、すぐに帰った≫、

  と言った方が、単調さが破られて、語呂的に耳に聞き易いというわけですな。 ちなみに、普通、逆接の接続詞を、一つの文の中で二つ重ねると、論理が破綻します。

≪彼はやって来たが、すぐ帰ったが、またやって来た≫

  実際の状況としては、こういう事は起こりうるわけですが、文章道的には、邪道・外道です。 目にするのも、おぞましい。 どこに軸足があるのか分からぬではないか。 そこで、普通は、逆接を一つ外して、修正します。

≪彼はやって来て、すぐ帰ったが、またやって来た≫

  これなら、読めるでしょ? どうしても、逆接を二つ使いたい場合は、二つの文に分けます。

≪彼はやって来たが、すぐ帰った。 しかし、またやって来た≫

  これもオッケーですな。 ところが、逆接を二つ使っても、論理的破綻を首の皮一枚で救い、読める文にしてくれる接続語があります。

≪彼はやって来たものの、すぐ帰ったが、またやって来た≫

  ほーら、正しいんだか、変なんだか、よく分からないでしょう? 実は、「~ものの」という、少し曖昧な語感がある言葉を使って、読み手に目くらましを掛け、論理をごまかしているんですが、それはそれで、技法の内というもの。 事程左様に、接続語の類語は使いようなんですな。


  ところでぎっちょん、「そんな事は、わざわざ言われなくても、感覚的に分かっている。 文章作法なんてものは、量を読んで、量を書いて、自然に身につけるものであって、文法をチマチマ分析して覚えるような事じゃないだろう」とおっしゃる諸兄も、おありでしょう。 それは、その通りだと思います。 母語に限ってはね。

  ふふふ、私が言わんとする意味がお分かりかな? この、接続語による文の繋げ方の技法は、外国語で作文する時に、絶大な力を発揮するのです。 つまりー、中学一年生レベルの単純な英文しか作れない人でも、それらの単文を接続語で繋げば、複雑な内容を持つ複文を、簡単に作れるってーんですよ。 単文が接続語で繋がっているのが複文であって、複文より上は、もう存在しません。 すべて、その組み合わせに過ぎないのです。

  ほれ、もう頭に浮かんでますよね。 「だから」は「because」、「しかし」は「but」、「そしたら」は「if」、「その為に」は「for」、「そして」は「and」といった具合に、知っている英単語が頭にふわふわと浮かんで来たでしょう。 日本語と語順や用法が違うので、ちょっと注意が必要ですが、基本的には、そういう簡単な接続語で、すべての単文を繋ぐ事が出来るわけです。 という事は、あらゆる文章をこの方法で書く事が出来るという事を意味します。

  英語にも、「だから」と、「なので」に相当するような、同じ意味の類語がありますから、調べてみると良いと思います。 使い分けるのが面倒臭い場合は、「because」一本で押し通してしまいなさい。 「まずい文章だなあ」とは思われるけれど、少なくとも意味が通じないという事は無いから。

  英語に限らず、すべての言語で、この手は使えます。 外国語の作文が中一レベルで終わるか、そこから先に進めるかは、接続語が鍵を握っているんですな。