地方商店街
不景気になると、決まって地方の商店街の様子がテレビ・ニュースで映され、「シャッターが閉まった店が多いですねえ」などと、月並みな報道がなされます。 開いている店に入って、店主にインタビューすると、「皺寄せがみんな地方に来ちゃうんだよね。 政府にはしっかり景気対策をやってもらいたいね」などと抜かすのが、決まりきったパターン。
だけどねえ、地方の商店街が重態に陥ったのは、今に始まった事じゃありませんぜ。 90年代初頭のバブル崩壊からこっち、ずーっとですよ。 ニュース・リポーターも、シャッターが閉まっている店を見つけたら、そのシャッターが開かれなくなってから何年くらい経過しているか、一瞬で見抜くくらいの眼力を養わなきゃいけませんな。 もっとも、修辞の為なら、嘘でも誇張でも平気で口にするとは思いますが。
私も地方在住者ですが、市の中心部の商店街に足を向けなくなってから、もう久しいです。 わざわざ街へ行ってまで、買わなければならない物がないんですな。 基本的に、商店街の個人商店で売っている物は、すべて、郊外の大型店でも手に入ります。 例外として、特別な服飾品や手作りの雑貨などは、個人商店でしか置いてない物がありますが、それらは生活必需品ではありません。 無ければ無いで済む物です。
地方商店街の没落原因には、積極的に行く理由が無いという他に、利用し難いという面もあります。 その最大のものは、駐車場が無い事です。 都会の人は車社会に住んでいないのでピンと来ないと思いますが、地方では、大人の移動手段は、自動車が主です。 せいぜい、近場なら自転車を使うくらいで、徒歩で行けるような近い所には店がありません。 電車・バスは専ら通勤・通学用です。 そもそも、電車は幹線のみですから、買物には無関係ですし、バスで買物となると、車の運転が出来ない老人くらいしか使いません。 「車が無ければ生きて行けない」という形容こそ、よほど交通不便な地域を除けば大袈裟ですが、まあ、普通は車で動き回ります。
故に、商店に於いては、駐車場があるか無いか、何台停められるか、一台分のスペースが狭いか広いか、道路から入り易いか入り難いか、出易いか出難いか、有料か無料か、といった事が重要な要素になります。 これから店を始めるという時には、「店内ディスプレイをどうするか」などより、「お客の駐車場をどうするか」から検討した方が良いくらい重大です。 個人商店の場合、店の前に最少でも3台分のスペースと、他にも停められる場所を確保していないと、まず商売が成り立たないでしょう。
ところが、市街地の商店街というのは、見ての通り、車客を全く想定していません。 通りの天井をアーケードで覆って、歩行者天国にしているような所は尚の事。 私の住んでいる街でも、30年くらい前には人でごった返していて、親の手を離したら最後、人波に流されて親知らず子知らず、今生の別れだったような通りが、今はガラガラで、自転車で普通に通っても、誰にも文句を言われないという有様です。 いやはや、隔世の感あり、変われば変わるものですな。
歩行者天国でない通りには、車道の路肩に駐車スペースを設定して、有料で停めさせるシステムもあるんですが、私は一度しか使った事がありません。 だって、一時間で400円も取られては、ホイホイ停められないでしょう。 特に私の場合、ケチですから、買物には千円以下の物が多い。 いや、正直に白状しますと、ほとんど500円以下です。 500円の物を買いに来て、400円の駐車料金を払う気になる奴はいないでしょう。 いたら、アホじゃて。
商店街もさすがにまずいと思ったのか、それぞれの店で、有料駐車場と契約して、その店で買物をした客に限り無料で停められるという仕組みを作っていますが、そういう事は、常連客でなければ知りようがないわけです。 滅多に来ない客が、買い物が済んだ後で、店の者から、「なんだ、そんな所に停めたんですか。 うちの契約駐車場に停めれば、無料だったのに」などと言われても、客としては後の祭り、むしろ知らない方が幸せだったわけで、ムッと腹が立つだけです。 ≪駐車場有ります≫という矢印看板を立てて、路地の奥の奥へ誘導しようとする店もありますが、無理無理! 普通の客は、そんな所まで行かないって。 「もし入って行って、駐車場に空きが無かったらどうしよう」と思うと、怖いわ面倒臭いわで、いっそ他の所で買おうと考えてしまいます。
駅前の再開発で、高いビルを作り、その中に立体駐車場を設けて、「商店街をご利用のお客様は、30分無料です」などと書いている看板もよく見ます。 だけどねえ、入場してから時間を計るわけですから、ぐるぐる登って、停める場所を見つけ、車から下りて、その建物から出るまでに、15分くらいかかりますぜ。 帰りもまた同じ15分。 すると、駐車場からの出入りだけで、無料分は消えてしまいます。 30分が一時間であっても大差はありません。 なぜというに、商店街は二次元に広がっているので、目当ての店に着くまでに時間がかかってしまって、一時間くらいすぐに過ぎてしまうからです。
「商店街の店で買物をすれば無料」という決まりもえぐい。 店には来たけれど、目当ての品が無かった。 もしくは、現物を見たら気に入らなくて、何も買わずに出たというケースは、非常によくあるのであって、そういう場合は、駐車料金だけ払わされる事になります。 お客側にしてみれば、目当ての品は手に入らないわ、金は取られるわで、ただ損をしに来たようなものです。 そんなリスクを避けようとするのは当然の心理でしょう。 かくして、みんな、無料の大駐車場がある、郊外大型店に行ってしまうわけですな。
車だけではありません。 商店街の多くは、自転車まで締め出しています。 放置自転車が店の前の歩道を埋め尽くすのを避けるために、そういうルールを作るわけですが、本当にその店に買物に来る客にとっては大迷惑となります。 「ここは、駐輪禁止です。 商店街共用の駐輪場へ置いて来て下さい」などと書いたチラシを前籠に突っ込まれると、ムカっ腹が立ちます。 その手の駐輪場は大抵、駅前などにあり、店によっては、何百メートルも歩かなければなりません。 冗談じゃない。 店の前に置けると思うから、わざわざ自転車で来るのであって、そうでなければ何のメリットも無いではありませんか。 「いや、もう二度と来ませんから、結構です」と、チラシの裏に書いて、送り返してやりたい気分になります。
商店街の人間というのは、妙に団結心が強いようで、その種のルールをお気楽にホイホイ決め捲りますが、客を逃がす作用の方が大きい事にとんと気付いていません。 ≪一国一城の主≫などという言葉があるのがいけない。 ≪お客様は神様です≫という言葉も、客を増長させるという点で感心しませんが、それと同じくらい有害です。 商店というのは、店側と客側の利害が一致して、初めて立ち行くものなのであって、どちらか一方の都合で押し切れば、寂れるに決まっています。
アクセス関係以外にも、問題はあります。 個人商店の客に対する態度ですな。 これは、誰でも感じた事があると思いますが、初めて入った店で、妙に邪険な態度を取られる事があります。 同じ個人商店でも郊外の店ではそれほどではなく、市街地の商店街で、その傾向が強いです。 客を客とも思わないような、つっけんどんな応対をする店主や店員が大変多い。
客が入って来ると、面倒臭そうな、迷惑そうな顔をする。 敬語を使わない。 初対面で、しかも相手は客なのに、タメ口。 商品の説明はいい加減。 説明できない場合もあります。 取り寄せを頼むと、調べもせずに、「そんな品物は無い」などと抜かす。 馬鹿が! こっちは、雑誌やネットで調べてから店に来ているんだ、無いわけないだろうが。 カタログを出させて、探させると、ちゃんとあるのです。 そいつが知らないだけか、知っていても注文するのが面倒臭くて、しらばっくれているのです。 その上で、店に売れ残っているカタ落ち商品を売りつけようとする輩もいます。
「こやつ、いつもこんな調子で客と話しているのか?」と、マジマジ相手の顔を眺めてしまいますが、誰にでもというわけではないようで、常連客がやってくると、態度が豹変します。 「やあ、元気ぃ? 昨日どうしたの、電話したけど、いなかったじゃな~い」などと、満面スマイルで、大歓迎。 なんじゃ、この違いは? つまりねえ、商店街の個人商店というのは、常連客だけを相手にして、商売をしているのですよ。 一見さんお断り。 京都の御茶屋か? お断りならお断りと書いてあれば、こっちも最初から近づきませんが、建前上は誰でも入れるという事になっているので、こういう軋轢が生まれるわけです。
これは私の経験ではありませんが、親戚の農家のおばさんが、十数年ぶりに、よそ行き服を買おうと思って、若い頃に利用していた商店街の服飾店に行ったのだそうです。 すると、代替わりした若い店主から、ものの見事に、「あなたに売るような服は無い」と言われてしまったのだとか。 そのおばさんは、特別田舎っぽいわけではなく、ちょっと日焼けしているだけで、ごく普通の人なのですが、店主にしてみれば、自分が抱いている店のイメージに合わない客だと判断してたんでしょうな。
しかし、どんな客だろうが、店に来てくれれば、買い物をしたくなるように努力するのが小売業者の仕事というものでしょう。 「あなたに売るような服は無い」などと、よくも商人の口から出たものです。 恐ろしや恐ろしや、井原西鶴が化けて出る。 それだけは言ってはいけないセリフのベスト3に入るんじゃないの? いや、ワースト3か。 こんな事を平気で言うようじゃ、もう、客商売そのものをやめた方がいいでしょう。 全く向かないと思います。
なんで、こんなひどい接客をするようになったか、理由を想像する事は出来ます。 車社会になってから、客の絶対数が減り、慢性的に経営が苦しくなったのでしょう。 そういう状態では、一見の客に懇切丁寧に応対しても、また来てくれるかどうか、確かではないです。 実際に、一回来たらそれっきりで、愛想を振り撒くだけ無駄に終わる事が多かったのだと思います。 そんな客相手にエネルギーを使うくらいなら、確実に何度も来てくれる常連客と仲良くした方が得だと判断したのではないでしょうか。 もし、そうならば、それは一理ある事で、部外者が接客方針について、あれこれ口出しする事ではないですな。 怒って、二度とその店には行かない事以外に、対抗手段は無いです。
とまあ、そんな所が、利用者側から見た忌憚が無いところの、地方商店街のイメージです。 一方、商店の側が抱いている没落の原因は、「政府の景気対策」や、「政府の地方切り捨て方針」らしいのです。 うーむ、凄まじい認識のギャップですな。 少なくとも、私個人限っては、景気がどんなに回復しようが、国の地方支援がどんなに活発になろうが、今後とも商店街に足を運ぶ事は無いと思います。 別に偏見があって行かないのではなく、郊外大型店で全て間に合うし、そちらの方があらゆる点で便利だからです。
店の大きさ的には、個人商店と大差なくても、コンビニや百円ショップなどのチェーン店は、遥かに入り易いです。 まず、何が売っていて、何が売っていないか予め予想がつくので、店員と余計な接触をせずに済みます。 また、店員は大抵、店のオーナーではなく、雇われ人ですから、責任が軽く、客が店内を見て回っているだけでも、声をかけて来たりしません。 まして、「買え買え、なんか買え。 冷やかしだったら帰れ」などと、無言の圧力をかけて、緊張感を高めたりもしません。
よく、言葉の乱れの例として槍玉に挙げられる、「○○円から、お預かりいたします」は、その種のチェーン店の専売特許ですが、私はちっとも気になりません。 慣用表現が一般的な文法規則から外れるのはよくある事で、言語学的には何の問題も無い事です。 そんな枝葉末節な事に、いちいち目くじら立てて怒っている方が、気違っていると言うべきでしょう。 むしろ私は、彼ら店員の、標準化された接客態度の方を高く評価します。 彼らには、客への親しみが無い代わり、嫌悪感もありません。 そして、誰にでも差別無く、決められた通りの対応をする、最低限の、≪礼節≫があります。 客は買物をしに来ているのですから、親しみなど示してくれなくてもいいのです。 好悪いずれに限らず、感情など発してくれなくて結構。 やるべき事をやってくれれば、それで充分なのです。
さて、地方商店街の復活ですが、まず無理だと思います。 たとえ、個人商店主達が、客に対する態度を改める事が出来たとしても、駐車場の問題は、物理的に解決不能ですから、どうにもしようがありますまい。 経営が成り立たない所まで常連客が減ったら、店を畳むのが一番にして唯一の対応策ですな。
そういや、ドラマや映画では、商店街の再開発問題が、よく舞台背景として使われますよねえ。 大手ディベロッパーによる再開発計画が持ち上がって、俄かに団結した商店街の住人達が、土地の明け渡しに、あの手この手で抵抗するというパターン。 店主達はみな幼馴染で、互いに、「○○ちゃん」だの、「△坊」だのと呼び合って、鼻を摘みたくなるような臭い人情劇を繰り広げます。 必ず、ディベロッパーは悪者で、商店街の住人は被害者という描き方になっています。
こういう、ドラマ・映画を企画する人達というのは、都会の商店街と地方の商店街を混同しているんじゃないでしょうか。 都会の商店街は、電車・バスで移動する大人口のお蔭で、客が途切れた事がありませんから、車社会の脅威も関係ないですし、一見客と常連を差別する必要もありません。 人が寄り付かなくなってしまった地方商店街とは、全く事情が違うのです。
地方商店街に一見客として行った事がある者なら、ドラマ・映画のような人情味溢れるイメージは、決して持たないと思いますよ。 不快な思いをさせられた経験が無い人の方が少ないでしょう。 シャッターが閉まっている店が増えても、当然だと思いこそすれ、寂しいなどとは、金輪際感じません。 いっそ、全部潰してしまって、ショッピング・モールに作り替えた方がいいでしょう。 まあ、これからの御時世、それほど大掛かりな再開発ができるほど、景気が良くならないとは思いますけど。
だけどねえ、地方の商店街が重態に陥ったのは、今に始まった事じゃありませんぜ。 90年代初頭のバブル崩壊からこっち、ずーっとですよ。 ニュース・リポーターも、シャッターが閉まっている店を見つけたら、そのシャッターが開かれなくなってから何年くらい経過しているか、一瞬で見抜くくらいの眼力を養わなきゃいけませんな。 もっとも、修辞の為なら、嘘でも誇張でも平気で口にするとは思いますが。
私も地方在住者ですが、市の中心部の商店街に足を向けなくなってから、もう久しいです。 わざわざ街へ行ってまで、買わなければならない物がないんですな。 基本的に、商店街の個人商店で売っている物は、すべて、郊外の大型店でも手に入ります。 例外として、特別な服飾品や手作りの雑貨などは、個人商店でしか置いてない物がありますが、それらは生活必需品ではありません。 無ければ無いで済む物です。
地方商店街の没落原因には、積極的に行く理由が無いという他に、利用し難いという面もあります。 その最大のものは、駐車場が無い事です。 都会の人は車社会に住んでいないのでピンと来ないと思いますが、地方では、大人の移動手段は、自動車が主です。 せいぜい、近場なら自転車を使うくらいで、徒歩で行けるような近い所には店がありません。 電車・バスは専ら通勤・通学用です。 そもそも、電車は幹線のみですから、買物には無関係ですし、バスで買物となると、車の運転が出来ない老人くらいしか使いません。 「車が無ければ生きて行けない」という形容こそ、よほど交通不便な地域を除けば大袈裟ですが、まあ、普通は車で動き回ります。
故に、商店に於いては、駐車場があるか無いか、何台停められるか、一台分のスペースが狭いか広いか、道路から入り易いか入り難いか、出易いか出難いか、有料か無料か、といった事が重要な要素になります。 これから店を始めるという時には、「店内ディスプレイをどうするか」などより、「お客の駐車場をどうするか」から検討した方が良いくらい重大です。 個人商店の場合、店の前に最少でも3台分のスペースと、他にも停められる場所を確保していないと、まず商売が成り立たないでしょう。
ところが、市街地の商店街というのは、見ての通り、車客を全く想定していません。 通りの天井をアーケードで覆って、歩行者天国にしているような所は尚の事。 私の住んでいる街でも、30年くらい前には人でごった返していて、親の手を離したら最後、人波に流されて親知らず子知らず、今生の別れだったような通りが、今はガラガラで、自転車で普通に通っても、誰にも文句を言われないという有様です。 いやはや、隔世の感あり、変われば変わるものですな。
歩行者天国でない通りには、車道の路肩に駐車スペースを設定して、有料で停めさせるシステムもあるんですが、私は一度しか使った事がありません。 だって、一時間で400円も取られては、ホイホイ停められないでしょう。 特に私の場合、ケチですから、買物には千円以下の物が多い。 いや、正直に白状しますと、ほとんど500円以下です。 500円の物を買いに来て、400円の駐車料金を払う気になる奴はいないでしょう。 いたら、アホじゃて。
商店街もさすがにまずいと思ったのか、それぞれの店で、有料駐車場と契約して、その店で買物をした客に限り無料で停められるという仕組みを作っていますが、そういう事は、常連客でなければ知りようがないわけです。 滅多に来ない客が、買い物が済んだ後で、店の者から、「なんだ、そんな所に停めたんですか。 うちの契約駐車場に停めれば、無料だったのに」などと言われても、客としては後の祭り、むしろ知らない方が幸せだったわけで、ムッと腹が立つだけです。 ≪駐車場有ります≫という矢印看板を立てて、路地の奥の奥へ誘導しようとする店もありますが、無理無理! 普通の客は、そんな所まで行かないって。 「もし入って行って、駐車場に空きが無かったらどうしよう」と思うと、怖いわ面倒臭いわで、いっそ他の所で買おうと考えてしまいます。
駅前の再開発で、高いビルを作り、その中に立体駐車場を設けて、「商店街をご利用のお客様は、30分無料です」などと書いている看板もよく見ます。 だけどねえ、入場してから時間を計るわけですから、ぐるぐる登って、停める場所を見つけ、車から下りて、その建物から出るまでに、15分くらいかかりますぜ。 帰りもまた同じ15分。 すると、駐車場からの出入りだけで、無料分は消えてしまいます。 30分が一時間であっても大差はありません。 なぜというに、商店街は二次元に広がっているので、目当ての店に着くまでに時間がかかってしまって、一時間くらいすぐに過ぎてしまうからです。
「商店街の店で買物をすれば無料」という決まりもえぐい。 店には来たけれど、目当ての品が無かった。 もしくは、現物を見たら気に入らなくて、何も買わずに出たというケースは、非常によくあるのであって、そういう場合は、駐車料金だけ払わされる事になります。 お客側にしてみれば、目当ての品は手に入らないわ、金は取られるわで、ただ損をしに来たようなものです。 そんなリスクを避けようとするのは当然の心理でしょう。 かくして、みんな、無料の大駐車場がある、郊外大型店に行ってしまうわけですな。
車だけではありません。 商店街の多くは、自転車まで締め出しています。 放置自転車が店の前の歩道を埋め尽くすのを避けるために、そういうルールを作るわけですが、本当にその店に買物に来る客にとっては大迷惑となります。 「ここは、駐輪禁止です。 商店街共用の駐輪場へ置いて来て下さい」などと書いたチラシを前籠に突っ込まれると、ムカっ腹が立ちます。 その手の駐輪場は大抵、駅前などにあり、店によっては、何百メートルも歩かなければなりません。 冗談じゃない。 店の前に置けると思うから、わざわざ自転車で来るのであって、そうでなければ何のメリットも無いではありませんか。 「いや、もう二度と来ませんから、結構です」と、チラシの裏に書いて、送り返してやりたい気分になります。
商店街の人間というのは、妙に団結心が強いようで、その種のルールをお気楽にホイホイ決め捲りますが、客を逃がす作用の方が大きい事にとんと気付いていません。 ≪一国一城の主≫などという言葉があるのがいけない。 ≪お客様は神様です≫という言葉も、客を増長させるという点で感心しませんが、それと同じくらい有害です。 商店というのは、店側と客側の利害が一致して、初めて立ち行くものなのであって、どちらか一方の都合で押し切れば、寂れるに決まっています。
アクセス関係以外にも、問題はあります。 個人商店の客に対する態度ですな。 これは、誰でも感じた事があると思いますが、初めて入った店で、妙に邪険な態度を取られる事があります。 同じ個人商店でも郊外の店ではそれほどではなく、市街地の商店街で、その傾向が強いです。 客を客とも思わないような、つっけんどんな応対をする店主や店員が大変多い。
客が入って来ると、面倒臭そうな、迷惑そうな顔をする。 敬語を使わない。 初対面で、しかも相手は客なのに、タメ口。 商品の説明はいい加減。 説明できない場合もあります。 取り寄せを頼むと、調べもせずに、「そんな品物は無い」などと抜かす。 馬鹿が! こっちは、雑誌やネットで調べてから店に来ているんだ、無いわけないだろうが。 カタログを出させて、探させると、ちゃんとあるのです。 そいつが知らないだけか、知っていても注文するのが面倒臭くて、しらばっくれているのです。 その上で、店に売れ残っているカタ落ち商品を売りつけようとする輩もいます。
「こやつ、いつもこんな調子で客と話しているのか?」と、マジマジ相手の顔を眺めてしまいますが、誰にでもというわけではないようで、常連客がやってくると、態度が豹変します。 「やあ、元気ぃ? 昨日どうしたの、電話したけど、いなかったじゃな~い」などと、満面スマイルで、大歓迎。 なんじゃ、この違いは? つまりねえ、商店街の個人商店というのは、常連客だけを相手にして、商売をしているのですよ。 一見さんお断り。 京都の御茶屋か? お断りならお断りと書いてあれば、こっちも最初から近づきませんが、建前上は誰でも入れるという事になっているので、こういう軋轢が生まれるわけです。
これは私の経験ではありませんが、親戚の農家のおばさんが、十数年ぶりに、よそ行き服を買おうと思って、若い頃に利用していた商店街の服飾店に行ったのだそうです。 すると、代替わりした若い店主から、ものの見事に、「あなたに売るような服は無い」と言われてしまったのだとか。 そのおばさんは、特別田舎っぽいわけではなく、ちょっと日焼けしているだけで、ごく普通の人なのですが、店主にしてみれば、自分が抱いている店のイメージに合わない客だと判断してたんでしょうな。
しかし、どんな客だろうが、店に来てくれれば、買い物をしたくなるように努力するのが小売業者の仕事というものでしょう。 「あなたに売るような服は無い」などと、よくも商人の口から出たものです。 恐ろしや恐ろしや、井原西鶴が化けて出る。 それだけは言ってはいけないセリフのベスト3に入るんじゃないの? いや、ワースト3か。 こんな事を平気で言うようじゃ、もう、客商売そのものをやめた方がいいでしょう。 全く向かないと思います。
なんで、こんなひどい接客をするようになったか、理由を想像する事は出来ます。 車社会になってから、客の絶対数が減り、慢性的に経営が苦しくなったのでしょう。 そういう状態では、一見の客に懇切丁寧に応対しても、また来てくれるかどうか、確かではないです。 実際に、一回来たらそれっきりで、愛想を振り撒くだけ無駄に終わる事が多かったのだと思います。 そんな客相手にエネルギーを使うくらいなら、確実に何度も来てくれる常連客と仲良くした方が得だと判断したのではないでしょうか。 もし、そうならば、それは一理ある事で、部外者が接客方針について、あれこれ口出しする事ではないですな。 怒って、二度とその店には行かない事以外に、対抗手段は無いです。
とまあ、そんな所が、利用者側から見た忌憚が無いところの、地方商店街のイメージです。 一方、商店の側が抱いている没落の原因は、「政府の景気対策」や、「政府の地方切り捨て方針」らしいのです。 うーむ、凄まじい認識のギャップですな。 少なくとも、私個人限っては、景気がどんなに回復しようが、国の地方支援がどんなに活発になろうが、今後とも商店街に足を運ぶ事は無いと思います。 別に偏見があって行かないのではなく、郊外大型店で全て間に合うし、そちらの方があらゆる点で便利だからです。
店の大きさ的には、個人商店と大差なくても、コンビニや百円ショップなどのチェーン店は、遥かに入り易いです。 まず、何が売っていて、何が売っていないか予め予想がつくので、店員と余計な接触をせずに済みます。 また、店員は大抵、店のオーナーではなく、雇われ人ですから、責任が軽く、客が店内を見て回っているだけでも、声をかけて来たりしません。 まして、「買え買え、なんか買え。 冷やかしだったら帰れ」などと、無言の圧力をかけて、緊張感を高めたりもしません。
よく、言葉の乱れの例として槍玉に挙げられる、「○○円から、お預かりいたします」は、その種のチェーン店の専売特許ですが、私はちっとも気になりません。 慣用表現が一般的な文法規則から外れるのはよくある事で、言語学的には何の問題も無い事です。 そんな枝葉末節な事に、いちいち目くじら立てて怒っている方が、気違っていると言うべきでしょう。 むしろ私は、彼ら店員の、標準化された接客態度の方を高く評価します。 彼らには、客への親しみが無い代わり、嫌悪感もありません。 そして、誰にでも差別無く、決められた通りの対応をする、最低限の、≪礼節≫があります。 客は買物をしに来ているのですから、親しみなど示してくれなくてもいいのです。 好悪いずれに限らず、感情など発してくれなくて結構。 やるべき事をやってくれれば、それで充分なのです。
さて、地方商店街の復活ですが、まず無理だと思います。 たとえ、個人商店主達が、客に対する態度を改める事が出来たとしても、駐車場の問題は、物理的に解決不能ですから、どうにもしようがありますまい。 経営が成り立たない所まで常連客が減ったら、店を畳むのが一番にして唯一の対応策ですな。
そういや、ドラマや映画では、商店街の再開発問題が、よく舞台背景として使われますよねえ。 大手ディベロッパーによる再開発計画が持ち上がって、俄かに団結した商店街の住人達が、土地の明け渡しに、あの手この手で抵抗するというパターン。 店主達はみな幼馴染で、互いに、「○○ちゃん」だの、「△坊」だのと呼び合って、鼻を摘みたくなるような臭い人情劇を繰り広げます。 必ず、ディベロッパーは悪者で、商店街の住人は被害者という描き方になっています。
こういう、ドラマ・映画を企画する人達というのは、都会の商店街と地方の商店街を混同しているんじゃないでしょうか。 都会の商店街は、電車・バスで移動する大人口のお蔭で、客が途切れた事がありませんから、車社会の脅威も関係ないですし、一見客と常連を差別する必要もありません。 人が寄り付かなくなってしまった地方商店街とは、全く事情が違うのです。
地方商店街に一見客として行った事がある者なら、ドラマ・映画のような人情味溢れるイメージは、決して持たないと思いますよ。 不快な思いをさせられた経験が無い人の方が少ないでしょう。 シャッターが閉まっている店が増えても、当然だと思いこそすれ、寂しいなどとは、金輪際感じません。 いっそ、全部潰してしまって、ショッピング・モールに作り替えた方がいいでしょう。 まあ、これからの御時世、それほど大掛かりな再開発ができるほど、景気が良くならないとは思いますけど。
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