最終走者
人間と他の生物との決定的な違いは何か? 「言葉でコミュニケーションできる事」、「道具を作れる事」・・・、いや、そういった意味ではなくて、人間が万物の霊長として、地球上に君臨し、他の生物を資源として好き勝手に利用している、その理由の事です。 「単なる弱肉強食の結果であって、理由など無い」と言ってしまえば、それはそれで筋が通った考え方でしょう。 ≪神の意思≫など持ち出すよりは、科学的です。 しかし、神の存在を前提にしなくても、「生物の進化には、何かしら目的がある」という見方は、成立するような気がします。
単に、環境の変化に対応する為だけの進化なら、何もこんなに複雑な生物になる必要はないのであって、むしろ、バクテリアなどの方が、生き残れる可能性は高いでしょう。 時間の経過とともに、複雑な方向へ進んで来たのには、何かしら理由があるはずです。 もっとも、進化論に従えば、進化は何も、複雑化の方向にだけ進んで来たのではなく、単純化の方向へも同じように可能性が開かれていて、見た目、複雑化した種ばかり多く目に付くのは、単純化した種が小さ過ぎて見えにくいとか、複雑化には無限の発展性があるのに対し、単純化の方は細胞の最小サイズに限界がある為に、出来る組み合わせが限られているに過ぎないとも言えます。
というわけで、厳密に考えれば、仮定の話になってしまうのですが、それを承知の上で、生物の複雑化、つまり、人間の登場には、何かしら理由があると考えたいのです。 実は、≪理由≫ではなく、≪目的≫と言った方が、私に表現したいニュアンスがよく伝わるのですが、≪目的≫と言ってしまうと、どこかに生物界の発展を制御している超越的存在がいるような言い方になってしまい、「それは、すなわち、神だろう」と解釈されてしまうので、不都合があるのです。 科学の話をする時には、神を持ち出さないのが鉄則ですので。
まあ、いいや、とりあえず、仮定の話としましょう。 さて、人間が他の生物種すべての上に君臨している理由は何なのか? 人間は、他の生物と、どこが違うのか? なぜ、地球の生態系を破壊してしまうほどの貪欲な増殖が許されるのか? もし、それらの問いに対する答えがあるとしたら、それは、人間が、生物種の進化の末端にいて、生物種の最終走者としての役割を担っているからだと思います。 地球上の生物は、今まで繰り返して来たのと同じ方法では、人間より先には進化せず、人間が最終完成形態という事になる、と思うのです。 パチンコ風に表現すると、ここで打ち止めですな。
では、人間の世の中がこれから永遠に続くのかというと、そんな事は全然無いのであって、永遠どころか、終わりがすぐそこまで迫っていると思います。 最後の走者は、ゴール・テープを切る寸前の所まで来ています。 それが、どういう意味かを説明しようというのが、今回の趣旨。
生物の進化は、自然淘汰に任せるよりも、人工的な品種改良の方が、ずっと速く進める事が出来ます。 犬や金魚の品種を見ていると、その変化の多種多様さに驚かない人はいないでしょう。 家畜やペットに限らず、人間自身に対しても、品種改良は不断に行なわれて来ました。 ただし、人間の場合、人間自身が当事者なので、≪人工的に≫という言葉は不適当で、≪自然に≫行なって来たと言うべきでしょうか。 結婚相手の学歴の高さに拘ったり、外見の良さを好悪の基準にするのは、その表れですな。 ≪自然に≫、良い子孫を残そうと、選択を行なっているわけです。
人類が地球上に登場してから、一体、何千世代、何万年、その改良が続けられて来たか分かりません。 背は高くなった。 力もある程度増した。 寿命も延びた。 しかし、人間の種として野同定性にとって、決定的に重要でありながら、ほとんど進化させる事が出来なかった能力もあります。 それが知能です。 頭の良さが、世代を経る内に徐々に向上して来たという形跡は、全く見られません。 識字率が上がったとか、平均学力が上がったとかいうのは、後天的に教え込む、≪知識≫の事を言っているのであって、知能とは関係ありません。
アリストテレスは、紀元前に生きていた人で、どこへ出しても恥かしくない、れっきとした古代人ですが、今に伝えられている著作を一つでも読んで御覧なさい。 人間の知能が、進化して来たどころか、むしろ退化して来たのではないかと訝ること請け合いだから。 ひひひ! 平均的日本人の知能では、ほとんど理解できんじゃろ。 なぜ、知能は進化しないのか、不思議といえば不思議ですが、現にそうなのだから仕方がないです。 もしかしたら、人間の脳が、生物の脳としての完成形態であって、原理的に、これ以上、進化できないのかもしれませんな。
今後、医学・生理学が発達して、脳の構造がよく分かるようになれば、≪人工的に≫、人間の知能を進化させる事が出来るようになるかもしれません。 現に、SFでは、そういう設定がよく見られます。 しかし、私は、そういう事は起こりにくいと思っています。 人間の脳を進化させるよりも、もっとお手軽に、高い知能を獲得する方法があるからです。 それは、機械、すなわち、コンピューターです。 これも、SFでは、ごくありふれた設定ですが、知能が進化した人間の出て来るSFと比べると、ずっと現実に近いように感じられませんか?
実際には、コンピューターと人間の知能は、得意分野を分業しているのが現状で、コンピューターが、人間の脳と同じ機能を獲得し、それを超えるには、まだまだ多くの壁が立ち塞がっているのだそうです。 コンピューターは、どんなに複雑な事をしていても、それは計算をしているのであって、考えているわけでも、思っているわけでもないのだとか。 前以て用意されているパターンから、その状況に最適な答えを選択する事は出来ても、自分で思いつく事は出来ないのだとか。 そして、最も欠けているのは、何をするかを自発的に決める、≪意志≫の存在なのだそうです。
ただ、私は、こういう問題は、あくまで技術的なもので、いずれは、すべて解決する事出来ると思っています。 どう考えても、人間の脳が、人工的に模造品が作れないほど複雑な物とは思えません。 一方、計算速度や、記憶の正確さ、記憶量の多さに於いては、コンピューターは、とうの昔に人間を凌駕しています。 もはや、コンピューターの助け無しには、人間社会が成立しないほどに。
たとえ、どんなに複雑な装置になろうとも、地球上のパソコンを全部繋がなければならないほど大掛かりな規模になろうとも、一基でも、人間の能力を超えるコンピューターが出来てしまえば、こっちのものです。 いや、「こっちのもの」という形容は変ですな。 私は人間なんだから、「あっちのもの」と言うべきか。 つまり、そのコンピューターは、人間以上の知能を持っているわけですから、人間が出来る事なら、すべて出来る上に、コンピューターにしか出来ない事も出来ます。 もちろん、自分を複製して、数を増やす事も出来ます。
現在、人間が、才能や努力という、あやふやな力に頼って行なっている研究開発の効率性が、そのコンピューター達によって、飛躍的に向上するのは目に見えています。 コンピューター自身が、質的にも量的にも、どんどん進化していく事になるわけです。 SFでは、コンピューターに支配された社会という設定がよく見られますが、それは、人間を登場させないと、ストーリーが面白くならないから、そうしているのであって、実際にそういうコンピューターが出現すれば、もう人間は用済みになりますから、わざわざ支配する必要すらありません。
またまた、SFでは、コンピューターが人類を抹殺しようとする話がよく見られますが、そんな荒っぽい事をしなくても、人間なんて、飯をたらふく食わせて、好きな服を着せて、適当に遊ばせておけば、それだけで、自然に減って行きます。 人間が生きる上で最も大切な動機は、≪生き甲斐≫ですが、飼われている状態になれば、そんなもの得られるわけがありませんから、放っていおいても、バタバタ死んで行くでしょう。 最終的には、原始的状態で、監視・保護されるような形になるんじゃないでしょうか。 確か、小松左京さんの短編に、そういうのがありました。
重要なのは、科学技術を発展させる為の、≪文明≫なのであって、その担い手は、機械でも人間でも構いません。 人間よりあらゆる面で優れた機械があるのなら、人間なんて、別にいなくたっていいんですよ。 むしろ、何十億人も食わせなければ、文明水準を維持できない生物種なんて、不効率過ぎて、地球にとって有害でしょう。 人口の増加が環境を破壊する事は、今や周知の事実。 その点、機械なら、遥かに小さな環境負荷で、地球文明を発展させていけます。
ここで、冒頭の問いに戻りますが、つまり、人間が地球に登場した理由は、生物種の手から、機械種の手に、進化のバトンを手渡す事なのではないかと思うです。 上述したように、≪目的≫という言葉は安易に使いたくないけれど、そういう目的があるからこそ、前代未聞の勝手放題が許されていたと考えれば、人間の生物種としての特殊な役割が、うまく説明できるんじゃないかと思います。
今後、地球文明は、否が応でも宇宙の探索に乗り出す事になると思いますが、宇宙へ出て行く事を考える時、人間と機械のどちらが相応しいかは、自明の事でしょう。 機械には、不様な宇宙服なんか要らないし、飯も食わなきゃ、大小便もしません。 人間を宇宙へ連れて行くには、莫大な金が掛かりますが、それでいて、出来る事はほとんどないのであって、機械の方が桁違いにコスト・パフォーマンスが高いです。 宇宙移民なんぞ、心底馬鹿げた話というもの。 人間なんぞを、宇宙にまで増やして、文明に何の得やあらむ。 宇宙を汚染するだけですな。
地球環境についても、同じ事。 人間が他の生物に強いている残虐極まりない犠牲を見るにつけ、人間社会が永久に存続すると思うと、悪夢のように感じられますが、もう終わりはすぐそこに迫っていると思えば、随分気が楽になります。 人間が減れば、地上を覆った醜い街や道路も、やがて自然に返って、他の生物種が穏やかに暮らす、楽園が回復するでしょう。 善き哉善き哉。
こう考えて来ると、科学技術の分野の中で、今後、最優先で取り組むべきは、人間を超えるコンピューターの開発という事になりますかねえ。 他の分野は、そういうコンピューターが出来てから、それに任せてしまえば宜しい。 人間が莫大なエネルギーを投入して悪戦苦闘するよりも、ずっと効率よく進められるはずです。
「人間が用済みになるようなコンピューターの開発など、以ての外だ」と思う人もいるでしょうが、別に、そいつに殺されるわけではないですから、ご安心あれ。 おそらく、人間の数が自然に減っていく間、人間の生活レベルが上がる事はあっても、下がる事はないでしょう。 それは、ちっとも面白くない生活だと思いますが、環境破壊で自滅するよりはずっと良いと思います。
単に、環境の変化に対応する為だけの進化なら、何もこんなに複雑な生物になる必要はないのであって、むしろ、バクテリアなどの方が、生き残れる可能性は高いでしょう。 時間の経過とともに、複雑な方向へ進んで来たのには、何かしら理由があるはずです。 もっとも、進化論に従えば、進化は何も、複雑化の方向にだけ進んで来たのではなく、単純化の方向へも同じように可能性が開かれていて、見た目、複雑化した種ばかり多く目に付くのは、単純化した種が小さ過ぎて見えにくいとか、複雑化には無限の発展性があるのに対し、単純化の方は細胞の最小サイズに限界がある為に、出来る組み合わせが限られているに過ぎないとも言えます。
というわけで、厳密に考えれば、仮定の話になってしまうのですが、それを承知の上で、生物の複雑化、つまり、人間の登場には、何かしら理由があると考えたいのです。 実は、≪理由≫ではなく、≪目的≫と言った方が、私に表現したいニュアンスがよく伝わるのですが、≪目的≫と言ってしまうと、どこかに生物界の発展を制御している超越的存在がいるような言い方になってしまい、「それは、すなわち、神だろう」と解釈されてしまうので、不都合があるのです。 科学の話をする時には、神を持ち出さないのが鉄則ですので。
まあ、いいや、とりあえず、仮定の話としましょう。 さて、人間が他の生物種すべての上に君臨している理由は何なのか? 人間は、他の生物と、どこが違うのか? なぜ、地球の生態系を破壊してしまうほどの貪欲な増殖が許されるのか? もし、それらの問いに対する答えがあるとしたら、それは、人間が、生物種の進化の末端にいて、生物種の最終走者としての役割を担っているからだと思います。 地球上の生物は、今まで繰り返して来たのと同じ方法では、人間より先には進化せず、人間が最終完成形態という事になる、と思うのです。 パチンコ風に表現すると、ここで打ち止めですな。
では、人間の世の中がこれから永遠に続くのかというと、そんな事は全然無いのであって、永遠どころか、終わりがすぐそこまで迫っていると思います。 最後の走者は、ゴール・テープを切る寸前の所まで来ています。 それが、どういう意味かを説明しようというのが、今回の趣旨。
生物の進化は、自然淘汰に任せるよりも、人工的な品種改良の方が、ずっと速く進める事が出来ます。 犬や金魚の品種を見ていると、その変化の多種多様さに驚かない人はいないでしょう。 家畜やペットに限らず、人間自身に対しても、品種改良は不断に行なわれて来ました。 ただし、人間の場合、人間自身が当事者なので、≪人工的に≫という言葉は不適当で、≪自然に≫行なって来たと言うべきでしょうか。 結婚相手の学歴の高さに拘ったり、外見の良さを好悪の基準にするのは、その表れですな。 ≪自然に≫、良い子孫を残そうと、選択を行なっているわけです。
人類が地球上に登場してから、一体、何千世代、何万年、その改良が続けられて来たか分かりません。 背は高くなった。 力もある程度増した。 寿命も延びた。 しかし、人間の種として野同定性にとって、決定的に重要でありながら、ほとんど進化させる事が出来なかった能力もあります。 それが知能です。 頭の良さが、世代を経る内に徐々に向上して来たという形跡は、全く見られません。 識字率が上がったとか、平均学力が上がったとかいうのは、後天的に教え込む、≪知識≫の事を言っているのであって、知能とは関係ありません。
アリストテレスは、紀元前に生きていた人で、どこへ出しても恥かしくない、れっきとした古代人ですが、今に伝えられている著作を一つでも読んで御覧なさい。 人間の知能が、進化して来たどころか、むしろ退化して来たのではないかと訝ること請け合いだから。 ひひひ! 平均的日本人の知能では、ほとんど理解できんじゃろ。 なぜ、知能は進化しないのか、不思議といえば不思議ですが、現にそうなのだから仕方がないです。 もしかしたら、人間の脳が、生物の脳としての完成形態であって、原理的に、これ以上、進化できないのかもしれませんな。
今後、医学・生理学が発達して、脳の構造がよく分かるようになれば、≪人工的に≫、人間の知能を進化させる事が出来るようになるかもしれません。 現に、SFでは、そういう設定がよく見られます。 しかし、私は、そういう事は起こりにくいと思っています。 人間の脳を進化させるよりも、もっとお手軽に、高い知能を獲得する方法があるからです。 それは、機械、すなわち、コンピューターです。 これも、SFでは、ごくありふれた設定ですが、知能が進化した人間の出て来るSFと比べると、ずっと現実に近いように感じられませんか?
実際には、コンピューターと人間の知能は、得意分野を分業しているのが現状で、コンピューターが、人間の脳と同じ機能を獲得し、それを超えるには、まだまだ多くの壁が立ち塞がっているのだそうです。 コンピューターは、どんなに複雑な事をしていても、それは計算をしているのであって、考えているわけでも、思っているわけでもないのだとか。 前以て用意されているパターンから、その状況に最適な答えを選択する事は出来ても、自分で思いつく事は出来ないのだとか。 そして、最も欠けているのは、何をするかを自発的に決める、≪意志≫の存在なのだそうです。
ただ、私は、こういう問題は、あくまで技術的なもので、いずれは、すべて解決する事出来ると思っています。 どう考えても、人間の脳が、人工的に模造品が作れないほど複雑な物とは思えません。 一方、計算速度や、記憶の正確さ、記憶量の多さに於いては、コンピューターは、とうの昔に人間を凌駕しています。 もはや、コンピューターの助け無しには、人間社会が成立しないほどに。
たとえ、どんなに複雑な装置になろうとも、地球上のパソコンを全部繋がなければならないほど大掛かりな規模になろうとも、一基でも、人間の能力を超えるコンピューターが出来てしまえば、こっちのものです。 いや、「こっちのもの」という形容は変ですな。 私は人間なんだから、「あっちのもの」と言うべきか。 つまり、そのコンピューターは、人間以上の知能を持っているわけですから、人間が出来る事なら、すべて出来る上に、コンピューターにしか出来ない事も出来ます。 もちろん、自分を複製して、数を増やす事も出来ます。
現在、人間が、才能や努力という、あやふやな力に頼って行なっている研究開発の効率性が、そのコンピューター達によって、飛躍的に向上するのは目に見えています。 コンピューター自身が、質的にも量的にも、どんどん進化していく事になるわけです。 SFでは、コンピューターに支配された社会という設定がよく見られますが、それは、人間を登場させないと、ストーリーが面白くならないから、そうしているのであって、実際にそういうコンピューターが出現すれば、もう人間は用済みになりますから、わざわざ支配する必要すらありません。
またまた、SFでは、コンピューターが人類を抹殺しようとする話がよく見られますが、そんな荒っぽい事をしなくても、人間なんて、飯をたらふく食わせて、好きな服を着せて、適当に遊ばせておけば、それだけで、自然に減って行きます。 人間が生きる上で最も大切な動機は、≪生き甲斐≫ですが、飼われている状態になれば、そんなもの得られるわけがありませんから、放っていおいても、バタバタ死んで行くでしょう。 最終的には、原始的状態で、監視・保護されるような形になるんじゃないでしょうか。 確か、小松左京さんの短編に、そういうのがありました。
重要なのは、科学技術を発展させる為の、≪文明≫なのであって、その担い手は、機械でも人間でも構いません。 人間よりあらゆる面で優れた機械があるのなら、人間なんて、別にいなくたっていいんですよ。 むしろ、何十億人も食わせなければ、文明水準を維持できない生物種なんて、不効率過ぎて、地球にとって有害でしょう。 人口の増加が環境を破壊する事は、今や周知の事実。 その点、機械なら、遥かに小さな環境負荷で、地球文明を発展させていけます。
ここで、冒頭の問いに戻りますが、つまり、人間が地球に登場した理由は、生物種の手から、機械種の手に、進化のバトンを手渡す事なのではないかと思うです。 上述したように、≪目的≫という言葉は安易に使いたくないけれど、そういう目的があるからこそ、前代未聞の勝手放題が許されていたと考えれば、人間の生物種としての特殊な役割が、うまく説明できるんじゃないかと思います。
今後、地球文明は、否が応でも宇宙の探索に乗り出す事になると思いますが、宇宙へ出て行く事を考える時、人間と機械のどちらが相応しいかは、自明の事でしょう。 機械には、不様な宇宙服なんか要らないし、飯も食わなきゃ、大小便もしません。 人間を宇宙へ連れて行くには、莫大な金が掛かりますが、それでいて、出来る事はほとんどないのであって、機械の方が桁違いにコスト・パフォーマンスが高いです。 宇宙移民なんぞ、心底馬鹿げた話というもの。 人間なんぞを、宇宙にまで増やして、文明に何の得やあらむ。 宇宙を汚染するだけですな。
地球環境についても、同じ事。 人間が他の生物に強いている残虐極まりない犠牲を見るにつけ、人間社会が永久に存続すると思うと、悪夢のように感じられますが、もう終わりはすぐそこに迫っていると思えば、随分気が楽になります。 人間が減れば、地上を覆った醜い街や道路も、やがて自然に返って、他の生物種が穏やかに暮らす、楽園が回復するでしょう。 善き哉善き哉。
こう考えて来ると、科学技術の分野の中で、今後、最優先で取り組むべきは、人間を超えるコンピューターの開発という事になりますかねえ。 他の分野は、そういうコンピューターが出来てから、それに任せてしまえば宜しい。 人間が莫大なエネルギーを投入して悪戦苦闘するよりも、ずっと効率よく進められるはずです。
「人間が用済みになるようなコンピューターの開発など、以ての外だ」と思う人もいるでしょうが、別に、そいつに殺されるわけではないですから、ご安心あれ。 おそらく、人間の数が自然に減っていく間、人間の生活レベルが上がる事はあっても、下がる事はないでしょう。 それは、ちっとも面白くない生活だと思いますが、環境破壊で自滅するよりはずっと良いと思います。
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