2009/11/22

続・2009読書の秋

先々週だけで終わらず、今週も6日出勤でした。 一ヶ月に二回も土曜出勤があると、「命に関わるのでは・・・?」と思うくらい、疲労困憊するのですが、そーゆー会社だから、しょーがねーですわなあ。 ちなみに、私の勤め先では、労働組合は会社の下部機関に過ぎないので、どんなに残業が増えようが、土曜が出勤になろうが、会社に対して何も言えません。

  それでも、10年以上前には、残業時間の限度を設けたり、一日の労働時間を減らしたりと、労組らしい交渉をしていたんですが、ここ数年は、そういう事をしている気配すら感じられません。 「世の中は、年月を経るに連れ、だんだん良くなって行くものだ」と思っている方には申し訳ないですが、私はその意見に、小指の爪の先ほども同調できません。 明らかに悪くなっていると思います。

  まあ、そんな話はどうでも宜しい。 というわけで、土曜出勤で、またまたこのコラムを書く時間が無かったので、読書感想文の続きです。 また10冊ですが、「たった二週間で、10冊も読めるわけがない!」なんて、つまらぬ疑念を抱かないように。 別に、この二週間で読んだわけではなく、9月頃からこつこつ読んで来たものを、ここで、一気に紹介しているだけです。




≪人間とヘビ≫
  前半は、ヘビにまつわる神話や伝承、民俗などを集めたもの。 「こういう本は、動物学じゃなくて、民俗学コーナーに置くべきじゃないの」と首を傾げながら読み進んでいったら、後半は、動物としてのヘビの解説になっていました。 つまり、ヘビの総合書を目指したんでしょうな。 後半は勉強になるのですが、前半は正直言って面白くないです。 人間の妄想がいかに非科学的かを思い知らされて、うんざりしてしまいます。




≪カモメ識別ハンドブック≫
  これは書物ではなく、図説です。 日本で見られるカモメを、種類ごとに、細密なイラストと簡潔な解説で紹介しています。 図書館で借りるものではなく、買ってフィールドへ持って行く本ですな。 どうやら、カモメ・ファンのバイブルになっている模様で、この本が無ければ、どれが何というカモメか、さっぱり見分けがつかないらしいです。



≪ニホンカモシカのたどった道≫
  九州に棲むニホンカモシカの頭数調査をした学者による、ニホンカモシカの生態や保護の歴史を記した本。 ニホンカモシカは、かつて狩猟の対象にされて数を減らし、天然記念物に指定されて今度は増え過ぎ、天然記念物なのに捕獲という名目の狩猟が再開されるという、数奇な運命に翻弄されて来たのだそうです。 自分の足でフィールド・ワークをしている著者ならではの、骨太な内容。



≪クモの糸のミステリー≫
  これも面白いです。 半分趣味で始めたクモの糸の研究にのめりこみ、科学誌の権威≪ネイチャー≫に論文が掲載される所まで究めてしまった著者の奮闘記。 「学究の徒とはかくあるべき!」と思わせる探究心と熱意です。 手製の糸巻き器で、クモからどんどん糸を取り出せるというのは、意外でした。 クモ合戦をやっている町へ出掛けて行って、クモの糸を採取する件りなど、その根性に敬服せずにいられません。 クモの糸もさる事ながら、こういう人がいる事自体が楽しいです。



≪オシドリは浮気をしないのか≫
  この書名は、内容の一部のテーマを代表させたもので、オシドリだけについて書かれた本ではありません。 託卵やヘルパー行為など、鳥の生態の興味深い所を的確に押さえています。 著者は、学校教師の傍ら、鳥のフィールド研究を続け、業績が認められて学者にまでなった人。 やはり、フィールドをやっている人の書く本は、話が面白いです。



≪戦う動物園≫
  今や知らない人でも知っている≪旭山動物園≫と、北九州市にある≪到津(いとうづ)の森公園≫の、苦難と再生の歴史を綴り、両園長の動物園運営哲学を対談形式で紹介したもの。 動物園について何も知らない白紙の状態で読むと、目から鱗が落ちます。 ただ単に、動物を飼って、客に見せているわけではないんですな。 旭山動物園そのものの記述は少なくて、到津の森公園の話がメインなので、前者を目当てに読むと肩透かしを食いますが、最後まで読めば、必ず得る所が多いと思います。



≪ミミズのいる地球≫
  かなり珍しいと思いますが、ミミズ専門の本です。 ただし、ミミズという生物について学術的解説を述べているわけではなく、著者が今までに経て来たミミズ研究の自分史のような内容です。 珍しいミミズを求めて、ポーランドや、パプア・ニューギニア、オーストラリアなどへフィールド調査へ出かけていく、恐ろしくタフな女性学者。 紀行文としても面白いです。 ただ、これを読んだからといって、ミミズについて詳しくなるわけではないので注意。



≪知床のアザラシ≫
  ほぼ、純粋な写真集です。 文章もちょこっと入っていますが、まあ、写真の邪魔にならない程度のささやかな分量です。 書名の通り、知床半島にやってくるゴマフアザラシの写真がたくさん載っています。 真っ白ふわふわの赤ちゃんの写真はとことん可愛く、親子ツーショットの写真には心和まされ、水中を泳ぐ成体の写真には、あまりの優美さに息を呑まずにはいられません。



≪鳥と人≫
  小松左京さんが、大阪花博の後に書いた、鳥の本。 ・・・・なんですが、これがちょっと曲者でして・・・。 取り上げられている鳥は、ニワトリ、ウズラ、カワウなど。 とりわけ、全体の半分以上がニワトリに割かれており、副題も、≪とくにニワトリへ感謝をこめて≫となっています。 つまりその、小松さんにとっての鳥とは、「どれだけ、人間の役に立つか」が興味の基準になっているんですな。 成長期に食糧難を経験した世代の、動物に対する見方が、モロに出てしまっている感あり。

  また、脱線も激しく、ニワトリを飼育して共同生活をする団体への訪問記などは、明らかに、テーマから逸脱しているように思えます。 鳥類と航空機の能力を比べて、人間が鳥を超えたか否かを論じる部分も、比較の基準がおかしいとしか思えません。 一冊の本にするには、著者の鳥への興味が薄過ぎるために、関連する雑知識を集めて、水増ししているように感じられるのです。

  小松さんの文章家としての衰えが見えてしまう、古いファンにとっては些か悲しい本です。



≪もの思う鳥たち≫
  鳥を対象にしていますが、著者が言わんとしているところは、「動物には、人間と同じように知能や意思がある」という事。 鳥の行動を観察すると、会話しているとしか思えない情景や、目的を達成するための合理的な行動などが見られるらしいです。

  セキセイインコが二羽いると、「グジュグジュグジュ・・・・」という感じの声を立てている光景が、普通に見られますが、よく聞くと、一方がグジュグジュ言っている時には、もう一方はそれを聞いているのだそうです。 つまり、会話しているのではないかというわけですな。

  また、人間の言葉を覚えた鳥を観察すると、状況に合わせて的確な言葉を選んでいるのが分かるのだとか。 必ずしも、≪オウム返し≫をしているわけではないのだそうです。 その他にも、鳥が見せる極めて人間的行動の事例が、いくつも紹介されています。

  鳥以外の動物も登場し、その中にゴリラの例が出て来るのですが、手話を覚えさせたゴリラに、「死とはどういう事か?」という質問をぶつける件りがあり、ゴリラの答えが、実に興味深いです。 ついでに、「神を信じるか?」とか、「自分の先祖の事を考える事はあるか?」とか、動物の宗教観も探ってみれば面白いのに。

  著者は、鳥から話を起こし、最終的には、アリやハチの取る人間的行動にまで対象を広げて、「動物は、今まで思われていたような自動機械ではない。 自然に対する見方を変えるべきだ」と主張します。 アリが、水溜りに橋を架けたり、他の群との戦いで様々な戦略を駆使する件りを読むと、確かに、動物全般に対する見方が変わります。 かれらは、すべて分かっているわけだ。

  ただ、この著者の専門は人間の心理学の方で、晩年になって始めた鳥の研究は、専ら文献を調べる方法を取ったらしく、鳥の学界からは、ほぼ無視されてしまったそうです。 アメリカの動物学界には、「動物を擬人化してはいけない」というタブーがあり、それを否定しようとすると、科学者として扱ってもらえなくなってしまうらしいのです。 つまり、この著者の主張は、科学的定説として認められているわけでないという事。 その点は、頭に入れておく必要があります。

  また、訳者が、ちょっと変わった人で、超常現象を科学的に研究している人らしいのですが、その点も、この本の信用性を些か損なってしまっています。 本文と、訳者あとがきの内容がはっきり違っているので、訳文そのものの正確度は高いと信じたいのですが、やはり、超常現象関係者が、科学書に関わるのは、不適切な感じがせんでもなし。 面白いと言えば、めちゃくちゃ面白い本なんですけどねえ。