2009/12/20

会葬始末

  水曜日、仕事を終えて、7時頃、帰宅したら、家が真っ暗でした。 嫌な予感。 父母ともに不在で、夕食の仕度はおろか、雨戸すら閉めてありません。 犬は在宅。 置き手紙の類は一切無し。 とりあえず、冷蔵庫にあるものだけで夕飯にし、犬には、さつま芋やら、ハムやら、配合飼料やら、やれるものをやり、たぶん午後の散歩にも行っていないのだろうと思って、夜の8時だというのに、パジャマにジャンパーを羽織って、散歩に行って来ました。 犬の野郎、何が気に食わないのか、歩きながら吠えまくり、近所迷惑この上無し。 ご丁寧に、ウ○チまでしてくれよる。 ついでに月極駐車場を見て来たところ、父の車はありませんでした。

  夜9時を過ぎましたが、電話一本ありません。 考えられる最も有力な可能性は、兄か、親戚の誰かが危篤にでもなり、二人して駆けつけたというもの。 しかし、それならば、電話があってもよさそうなもの。 次の可能性は、母が危篤になり、父が車で病院へ運んだというもの。 しかし、それでも、何かしら連絡がありそうなもの。 第三の可能性は、二人で何かの用事で車で出かけて、出先で事故に遭ったというもの。 しかし、父は免許を持って行ったはずで、二人とも連絡不能であっても、警察か病院関係者が家族に連絡を取りに来そうなもの。 さて、事の真相は如何に・・・・?

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  と、上の文章を書いた直後、父母が帰宅しました。 話を聞くと、私の母方の叔父、つまり、母の弟にあたる人が亡くなったとの事。 昼過ぎに警察から連絡があり、大いにうろたえて、メモも残さずに出掛けたのだそうです。 叔父さんは携帯電話しか持っておらず、家に固定電話は無し。 山の中なので、公衆電話もなく、家に電話できなかったのだとか。 「その叔父さんの携帯でかければいいじゃないか」と思うでしょうが、変死の場合、警察が携帯のデータを全部調べるので、すぐには返してもらえないらしいのです。

  死因は、心筋梗塞。 山の中の小さな集落に家を借りて、独りで暮らしていたのですが、そのために発見が遅れ、死後7日経過していたそうです。 その間、炬燵に入ったままだったので、下半身が腐敗してしまっていたとの事。 ああ、叔父さん、無残。 しかし、炬燵の電気が入りっぱなしだったのに、火事にならなかったのは不幸中の幸いでした。 享年70歳。 死因に不審な点が無いので、解剖はされないようです。

  もうだいぶ前に離婚した奥さんは、先に他界していて、息子、つまり、私の従兄弟ですが、それが二人いますが、弟の方は障害があって、施設に入っています。 兄の方は、私より一つ歳上で、独身。 叔父さん夫婦が離婚した時に、母親の方について行ったのですが、母親が亡くなった後も、叔父さんとは一緒に暮らしていませんでした。 叔父さんは、今年の三月に心臓を悪くして入院していたらしいのですが、それ以来、会っていなかったとの事。 「その時に同居していれば、こんな最期にはならなかったろうに・・・・」とも思うのですが、肉親の間には、他人には窺い知れない確執があるのでしょう。

  木曜が通夜で、金曜が葬儀の予定。 私は通夜は出られませんが、葬式は出ずばなりますまい。 母方の叔父は一人しかいませんから、パスというわけにはいきません。 有休を取るしかありませんな。


  金曜は一日休む事にしましたが、前日の木曜も定時で帰って来ました。 通夜には出ないのですが、やる事があるのです。 礼服が着れるかどうか確認しなければなりません。 最後に着たのは、5年以上前で、上着はともかく、ズボンのウエストが入るかどうか大いに疑問。

  4時半に帰宅すると、今日もいるのは犬だけ。 しかし、犬の夕飯は用意してありました。 私は、袋ラーメンと御飯で夕食。 それから、礼服を試してみると、ほーら見たことか! 予想通り、全然穿けません。 ファスナーが半分までしか上がらない! Oh,God ! まさか、こんなに太っていたとは!

  夕食を食べたばかりだったので、しばらく待てば少しはへっこむかと思ったんですが、6時半にもう一度トライしてみたら、やはり、全然駄目。 ここに至って、「こりゃあ、腹が空けばどうにかなる次元の問題ではないな」と悟り、意を決して、新しいのを買う事にしました。 礼服といえば、安物でも安くはないに決まっていますが、今後、父母の兄弟姉妹が続々と世を去る、≪他界ラッシュ≫に突入する可能性が高いので、ここで出費しておいても、損は無いでしょう。 というか、損とか得とか以前に、今買いに行かなきゃ、明日着て行く服が無いのよ。 迷う余地無し!

  6時40分頃から、自転車で3キロくらい離れた≪洋服の青○≫まで、宵のサイクリング。 なんで自転車かというと、車は父母が乗って行ってしまったし、バイクでは買った服を持って帰れません。 残るは自転車だけだったというわけ。 そんな日に限って、猛烈な寒風がビシバシ吹き荒れています。 寒い寒い! その上、退勤時間帯で、はちきれんばかりの交通量。 死ぬかと思った。 人の葬儀に出るために、自分が死んでりゃ世話ないで。

  命からがら、≪洋服の○山≫に到着。 一番安い、18800円のダブルを買いました。 今まで持っていたのがシングルだったので、最初はシングルを買うつもりだったのですが、セットになっているズボンの布地がほつれていて、同じ品の在庫が無く、同サイズだと、ダブルしか無かったのです。 「どっちでも、同じですか?」と、店員さんに訊くと、「むしろ、ダブルの方が正式です」と、(何を当然の事を訊く?)という顔で答えます。 あーそうですか。 でも、そんな事は私にゃどーでもいーんですよ。 とりあえず、葬式に出られる服が手に入ればいーの。

  で、買う物は決まったのですが、ズボンの裾上げは、時間が遅かったために、担当者が帰ってしまったとの事。 やむなく、裾上げテープだけ買って帰って、家で母にやってもらう事にしました。 またまた、死ぬほど寒い思いをして、帰宅。 7時45分。 何だか、胸がぜいぜいして、肺炎になりそうです。 なんで、こんなに苦労しなければならないのか。 通夜に出ないくせに、定時で帰って来た罰でしょうか。

  大人になってから葬儀に出るのは初めてです。 礼服は、兄の結婚式と、祖父母の法事でなら着た事があるのですが、それも各一度だけ。 服だけでも厄介なのに、ワイシャツ、ベルト、靴下、靴と、つまらない物を揃えなければならず、たまーに着る人間にとっては、面倒この上ないのです。 実は、ワイシャツも首がきつきつだったのですが、これは、何とかボタンが嵌まるので、一日だけ我慢するしかないですな。

  通夜に出ていた父母は、8時半頃帰宅。 母も疲れていると思うのですが、仕事をした上に、強風の夜に自転車で6キロ走った私の方が疲労度がより高いに決まっているので、そこは図々しく裾上げを頼み、先に眠る事にしました。 風邪を引いていない事を祈りつつ。


  さて、葬儀の日、金曜です。 朝起きてみると、風邪は引いていない模様。 やれやれ、助かった。

  で、母に頼んだ裾上げですが、目が悪いために、黒い布地の上に黒いテープを貼る作業がうまくできず、結局、私がアイロンで貼り付ける事になりました。 うーむ、母親も歳を取ると、頼める事が少なくなって行きますなあ。 テープの貼り付け自体は簡単で、ズボンを裏返し、濡らしたテープを継ぎ目に載せて、上からスチーム・アイロンを10秒押し付けるだけ。 穿いてみると、少々長い。 靴を履けば大丈夫ですが、靴下だと、踵に裾を踏みつけてしまいます。 店で測って貰った通りにやったのに、何たる事か。 シングルからダブルへ交換した時にズレが出たのかもしれません。 まあ、もう貼ってしまったものは仕方ないですな。

  父の運転で、10時頃に出発。 場所は隣町の葬祭場で、叔父さんの住んでいる所とも、長男の住んでいる所とも違う自治体にあるのですが、叔父さんの元奥さんの葬儀をそこでやったので、「できれば、同じ所で」という事で、そうなったらしいです。 葬儀というのは慣れるようなものではないので、喪主にしてみれば不安がいっぱいで、それを少しでも減らすために同じ葬儀社にしたのだと思います。 私の家から車で30分ほどですから、遠いという事はなかったです。

  道程の8割くらいが、私の通勤経路と重なるので、途中にある路上観察物件を紹介してやると、父母は大笑いしていました。 身近に、そんなものがあるとは思っていなかったのでしょう。 それにしても、母は、実の弟が死んだというのに、全く悲しむ様子がありません。 時々、頓珍漢な事を言い、混乱しているのは確かなようですが、平気でケタケタ笑っています。 歳が歳だから、悲しむような事だと思わないのでしょうか。

  家族と親戚が10人ほど、他の会葬者が10人ほどで、葬儀への出席経験が乏しい私の目から見ても、小さな式でした。 父母の話では、昨晩の通夜の方が、参列者が多かったそうです。 通夜なら仕事を休まなくても出られますが、葬式はそうはいかないので、どちらか一方なら、通夜に出る方を選ぶ人が多いようなのです。

  式の前に、棺桶に入った叔父さんの顔を見ましたが、綺麗に整えられていて、まるで生きているようでした。 私は、遺体といったら、父方の祖母しか見ていないのですが、その時も、生きているようだと感じた記憶があります。 これは、一種の錯覚で、死んだ人をほとんど見た事が無いので、死体と生体の区別がつかないだけなのだと思います。 腐敗していたという下半身は、衣で覆われていて、見えなくなってしました。 「顔が綺麗でよかったね」と、親戚の人達が言っていましたが、確かにその通りで、葬儀の式次第では、故人の顔を覗き込む場面が多いのです。

  私にとっては随分長い儀式でしたが、父が言うには、むしろ短い方だとの事。 僧侶も、今日は一人だけでしたが、普通は最少三人来るのだとか。 しかも、その僧侶は、菩提寺の住職ではなく、副住職でもなく、同宗派ながら、別の寺から臨時で出張して来た人でした。 住職は用事で遠くへ行っていて留守。 副住職は別の葬儀の予定が先に入っていたのだとか。

  最初にそれを聞いた時、漠然と、「急な事だから仕方がないんだろう」と思いましたが、よく考えてみれば、人の死というのは、大概は急に起こるものです。 つまり、こういう僧侶の相互扶助は、よくある事なのでしょう。 まあ、お経なんぞ、どうせ意味が分からないのですから、誰が読んでも同じですが、住職が不在のため、戒名がつけられず、仮の位牌に俗名だけが書かれていたのは、少し違和感がありました。

  くどくなるので、葬儀の細部は記すのはやめておきます。 故人の略歴が語られ、読経を聞き、焼香し、お棺に花を入れ、すぐ隣にある火葬場へ移動しました。 叔父さんの家族は二人だけで、その内の一人は体が不自由なので、最も縁が近い私の家族が、遺影や骨壷を運ぶ役を務めました。 他の何より、骨を見た時のショックが大きかったです。 腰骨に収まる大腿骨のボールが、まん丸のまま残っていて、目が釘付けになりました。 形がはっきり残っていればいるほど、生と死の境目を越えた事を、はっきり感じるような気がします。

  会葬者一同で二人一組になって大きな骨を拾い、それが一巡すると、残りの骨は火葬場の係の人が骨壷に納めます。 全部入れるために、頭蓋骨以外は短い木の棒で押し崩しながら詰めなければならず、その力の入れ方を後ろから見ていて、またショックを受けました。 慣れているから手際はいいですが、これは精神的に大変な仕事だと思いました。 大きな骨を崩すたびに合掌しますが、それが作法ではなく、心から自然に出る挙措に見えてきます。 合掌でもしなければ、人の骨を押し崩せませんわ。 まして、他人の骨を・・・・。

  喪主は、故人の長男、つまり、私の従兄ですが、その人が大変しっかりしており、万事卒なく取り仕切って、参列者一同、感心頻りでした。 しかし、もし意のままに出来るなら、他人の応接に気を使わなければならない葬式などやらずに、家族だけで、気が済むまで遺体のそばにいたいのではありますまいか。 葬式というのは、一体誰の為にやるのか、いまひとつ、よく分からないところがあります。

  これで、葬儀は無事に終了。 まだ戒名が無い為に、この日は火葬までで、納骨は四十九日に家族だけで行なうのだそうです。


  会葬者が少なかったので、精進落しが余ってしまい、三人分貰って帰りました。 昼にも食べたのですが、夕食も同じ物に。 母の話では、松竹梅の竹コースだったらしいのですが、まずくはないものの、うまくもなく、二回も食べる事になって、少々辟易しました。 葬祭場も、もしできるなら、暖かいものを出せば、もっと喜ばれると思いますが、結婚式と違って、葬式は出席人数が決まっていないので、難しいんでしょうねえ。

  無事には済みましたが、やはり、葬儀というのは、あまり出たいものではありませんなあ。 結婚式のアホらしさとは全く正反対ですが、やはり、その場に居たたまれない苦痛を感じます。 故人との縁が近ければ近いほど、その苦しみは大きいのでしょう。