独ソ戦四冊
去年の12月半ばから、今年の3月にかけて、第二次世界大戦の、≪独ソ戦≫に関る本を四冊読みました。 その前に、動物関連本の流れで、ダーウィンの≪人類の起源≫という本を読んだのですが、その中に出てくる人種観が、≪社会ダーウィニズム≫という思想を生み、ヒトラーに影響を与えたというので、その関連で何か読み応えのある本は無いか調べていたら、≪独ソ戦≫の本が見つかったというわけ。 戦史を読んだのは久しぶりです。
日本では、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に関する知識というと、専らアメリカの映画やドラマの影響で、アメリカ軍とドイツ軍の戦いに関わるものに限られています。 まるで、それが全てであったかのように思っている人も多い事でしょう。 しかし、ナチス・ドイツと本当の意味で血みどろの死闘を繰り広げたのはソ連であって、米英軍対ドイツ軍の戦いなど、規模でも、凄惨さでも、独ソ戦とは比較の対象にならないのだそうです。
ナチス・ドイツは、スラブ人を劣等民族と見なしていたために、ソ連の捕虜を家畜のように扱い、占領した地域の住民に対しても、統治など二の次で、奴隷として扱き使う事しか考えなかったのだそうです。 そういう扱いを受けたソ連側も、それまで抱いていたドイツ文化への敬意などかなぐり捨てて、ドイツがソ連にしたのと同じ事を、そっくり仕返ししようとします。 これが、人道からかけ離れた凄まじいばかりの残虐行為を産み、互いにエスカレートさせて行ったらしいのです。 それに比べると、米英軍とドイツ軍の戦いは、米英軍の将軍達の言葉によれば、「合理的な行動を取る相手と行なう、ゲームのようなもの」だったらしいです。 映画から得られる印象とは、随分異なっていますな。
≪(詳解)独ソ戦全史≫
第二次世界大戦で、ナチス・ドイツがソ連に侵攻する直前の情勢から、ソ連軍によってベルリンが陥落するまでの流れを時系列に沿って記してあります。
著者は、アメリカの独ソ戦史研究家二人で、ソ連崩壊後に閲覧可能になったソ連側の資料を用いて、「なぜ、ソ連軍は緒戦で大敗したか」、「なぜ、ソ連軍はドイツ軍を押し返す事ができたか」を明らかにして行きます。 第三者である上に、ドイツ・ソ連のいずれかから直接被害を受けたヨーロッパ人でもないため、ほぼ完全といっていい客観的な分析がなされています。
掻い摘んで言うと、ドイツが攻め込んで来た時、ソ連軍は、スターリンの軍人粛清や戦術の改編で混乱しており、とても戦える状態ではなかったらしいです。 北はレニングラードとモスクワのすぐ手前で辛うじてドイツ軍を食い止め、南はスターリングラードで死体を山と積んで持ちこたえている間に、スターリンの考え方が変わり、軍人達を戦争の専門家として信頼するようになったため、以降、合理的な戦術が取れるようになり、反撃に転ずる事ができたのだとか。 ≪餅は餅屋≫という事でしょうか。
一方、ヒトラーの方は、スターリングラードで進撃が止まり、戦線が膠着してしまうと、次第に軍人を信用しなくなります。 素人のくせに、自分の思いついた作戦を強引に実行させるようになったため、ドイツ軍の戦術は乱れ、ソ連軍の反撃を食い止める事すら出来なくなって行きます。 ちょうど、スターリンのソ連とは、正反対の経過を辿ったわけですな。 やはり、≪餅は餅屋≫なのです。
この本、644ページと結構厚いんですが、1941年から1945年までの全期間を対象にしているので、戦闘の細部までは触れていません。 有名なスターリングラードの戦いも、ほんの1ページ分くらいしか割いていません。 血沸き肉踊る戦記物というわけではないので、ご注意。
≪スターリングラード≫
≪独ソ戦全史≫を読んだ後、独ソ戦の転換点になった、スターリングラードの戦いについて、もっと詳しい事を知りたくなり、この本を借りてみました。 532ページもあって、読むのに4週間もかかってしまいました。
イギリスの元軍人で戦史研究家の著者が、1990年代の終わり頃に書いたドキュメンタリーです。 「20世紀最高の戦争ドキュメンタリー」と言われているそうで、読んでみると確かに面白い内容で、そういう評価を受けても不思議は無いと思いました。 書かれた時期から分かるように、ソ連崩壊後に公開された資料を参考にしており、ソ連とドイツ双方の視点から、スターリングラード戦の詳細を明らかにして行きます。
この著者の作品の特徴は、公的資料の他に、軍人の伝記、将兵や報道関係者の日記、生存者へのインタビューなど、多方面からのアプローチを丹念に行なっている事でして、小説として読んでも違和感が無いくらい、当時の状況を生き生きと再現しています。 殺し合いの記録なので、「生き生き」というと語弊があるかもしれませんが、他に表現のしようが無い魅力ある文章なのです。 天才狙撃兵、ザイツェフを主人公にした映画、≪スターリングラード≫の場面を思い出しながら読むと、より味わい深いと思います。
記述内容は、ドイツがソ連に攻め込んでから、スターリングラード戦の直前までの経緯を大まかに記し、スターリングラードにドイツ軍が侵攻して以降は、一事例ごとの細かい描写に移ります。 砲爆撃で廃墟と化した市街地での、一進一退の激戦に多くのページを割いた後、大規模な反撃作戦を準備していたソ連側が、ドイツ第六軍の後方を遮断して、厳冬の雪の中に孤立させ、降伏に追い込むまでを描きます。
侵攻開始以来、怒涛の勢いで攻め続けて来たドイツ軍が、補給が途絶えた途端、見る見る痩せ細って、凍死者・餓死者が続出し、戦争どころではなくなっていく様子がありありと伝わって来ます。 ヒトラーが、スターリンの名前が付いた都市の攻略に拘って、撤退を許可しなかった事が大きな原因ですが、大きな目で見れば、ナチス・ドイツの軍事的拡大の限界が、ここまでだったという事でしょう。 スターリングラード戦以降、ドイツ軍の進撃は止まり、ソ連側が一方的に押し戻す流れに変わります。
印象に残ったエピソードを一つ挙げますと、「スターリングラードで最初にドイツ軍を迎え撃ったのは、高射砲部隊の女子高生だった」という話にはびっくりしました。 ソ連軍は性差別が無く、女性の戦闘機乗りがいた事は有名ですが、民間人の、しかも学生も同様だったんですね。 ちなみに、彼女らは義務感が極めて強く、全員殺されるまで戦ったそうです。
≪ベルリン陥落 1945≫
この本は647ページもあって、やはり読み終わるのに、4週間かかりました。 会社の休み時間にしか読まないので、なかなか捗らないんですわ。 沼津市の図書館は、2週間が貸し出し期限なので、一度延長して読み続けたわけですが、ほぼ一ヶ月も同じ本ばかり開いていると、内容に関係なく、うんざりして来ますな。
≪スターリングラード≫と同じ著者による戦史ドキュメンタリー。 ただ、続編というわけではありません。 スターリングラード戦は、1942年8月から1943年2月までですが、この本は、時間が少し飛んで、1944年末頃から1945年5月までが対象になっています。 ドイツ軍を押し戻して来たソ連軍が、現ポーランドの中央付近を流れるヴィスワ川を越えた辺りから始まり、ヒトラーが自殺して、ドイツが降伏したところで終わります。 ベルリン陥落が主なテーマなので、ドイツ軍とソ連軍の他に、西から進んで来る米英軍の動向にも触れますが、そちらはオマケ程度です。
ナチス・ドイツは、「アーリア人であるゲルマン民族は、他の民族よりも優れている。 スラブ人は劣等だから、ドイツ人に奴隷として従属させなければならない。 ユダヤ人は有害だから絶滅させなければならない」という考え方で、東欧・ソ連に侵攻したわけですが、この頃になると、ほとんどすべての戦闘で負けており、こと戦争の遂行能力だけ見れば、ドイツ人の方がスラブ人より劣等としか思えません。
ヒトラーやナチス党の幹部達が軍の指揮に関して全く無能だった事は間違いありませんが、原因はそれだけではなく、ドイツ国軍の将軍達も、結構自由に指揮権を行使しているにも拘らず、ソ連軍の進撃を止められないのです。 ちなみに、独ソ戦も後半に入ると、兵器の性能の違いは、ほとんどありません。 ソ連側の強さは、軍需物資の生産力、兵員の補充余力、兵站力、そして、行き届いた訓練、合理的な作戦、巧みな外交など、正に総合的な国力の優位から生まれていたんですな。
ところで、この本の真のテーマは、戦闘の経緯ではなく、ソ連軍がドイツ領内に入ってから起こり始める、ソ連兵の問題行為を暴く事にあるようです。 具体的に言うと、略奪と強姦です。 前作の、≪スターリングラード≫では、著者はソ連兵に対する批判をほとんどしていなかったのですが、この本では、くどいくらいに、ソ連兵による強姦の事例が取り上げられます。 あまり多いので、著者が前作を発表した後、何か政治的な圧力でもかかったのではないかと訝ってしまうほどです。
ドイツ人女性だけでなく、ドイツ軍に捕まって、ドイツの占領地域で働かされていたソ連人女性も、解放された後で、強姦の対象になったそうで、かなりショッキングな話。 もし、この本だけ読むと、ソ連側が悪で、ドイツ側が被害者だったと思い込んでしまう読者も多いのではありますまいか。 著者もそう思ったのか、はたまた、今度は逆方向からの圧力がかかったのか、この本の後に、≪赤軍記者グロースマン≫という本を出版して、ドイツ軍の蛮行を詳述し、バランスを取る事になります。
この本で印象に残った件りを一つ挙げますと、ドイツ領内に入ったソ連兵達は、ドイツ人の町や家が、整然としており、物に溢れている事に驚愕したのだそうです。 「こんなに豊かな生活をしているのに、どうして俺達の国に攻めて来たんだろう」と、理解に苦しんだのだとか。 なるほど、確かに奇妙な話ですな。
敢えて回答を探すなら、民族差別意識と、資源への欲求という事になりますが、前者には科学的根拠が無く、後者は貿易でも入手可能なわけで、数千万人の命を犠牲にしてまでやるような事とは思えません。 これが、ヒトラーという、たった一人の狂人が引き起こした結果かと思うと、人類の存在も、案外脆いような気がします。
≪赤軍記者グロースマン≫
これは、≪スターリングラード≫、≪ベルリン陥落 1945≫の著者が編集に当たった本。 ですが、こちらはドキュメンタリーではなく、伝記に近い内容です。 ヴァシーリィ・セミョーノヴィッチ・グロースマンは、ウクライナ生まれのユダヤ系ソ連人作家で、独ソ戦期間中は、ソ連軍の機関紙、≪クラースナヤ・ズヴェズダー≫の戦場特派員でした。 この本は、そのグロースマン氏が遺した戦場メモや手紙を中心にして編集したもの。
グロースマン氏は、ドイツが攻め込んでくると、すぐに戦場行きを志願して、1941年から1945年まで、独ソ戦のほぼ全期間に渡って、戦場と編集部のあるモスクワを車で行ったり来たりします。 ≪スターリングラード戦≫や、史上最大の戦車戦になった≪クルスク会戦≫、最後の戦闘、≪ベルリン攻防戦≫にも駆けつけて、指揮官から一般兵、土地の住民まで、満遍なく取材し、独ソ戦の全体を自らの目で見た作家の一人となりました。
この本の圧巻は、ポーランド領内で見た、ユダヤ人の抹殺施設、≪トレブリーンカ絶滅収容所≫の様子を描いた部分です。 アウシュビッツと同様の施設で、ポーランドを中心に集めて来たユダヤ人を、列車で搬入し、休む間も無く、荷物を取り上げ、裸にさせ、髪を刈り取り、ガス室へ送り込みます。 「入浴させる」と騙されている上に、ガス室が近づくと、看守達が恐ろしい剣幕で追い立てるので、立ち止まる事もできなかったのだとか。 集めた髪は、マットの充填材として、出荷していたらしいです。
こういう事情が分かったのは、ほんの僅かに生き残った人達から、証言が得られたからだそうです。 死体を片付ける作業員として使われていたユダヤ人男性達が、「どうせ自分達も殺されるのだから」と、反乱を起こし、看守を殺して逃亡したのだそうです。 ちなみに、ドイツ人の管理者はたった25人で、その下にウクライナ人の看守が100人ほどおり、彼らが殺したユダヤ人の数は、この施設だけで、80万人だそうです。
一応、≪収容所≫という名前が着いていますが、収容する宿舎などは最初から無くて、列車からガス室へ直行させていたため、施設の規模は驚くほど小さかったのだとか。 最初は、敷地内に大きな溝を掘って死体を埋めるのですが、ドイツ軍がスターリングラードで敗北したのを契機に、押し戻して来るソ連軍に発見されるのを恐れて、一度埋めた死体を掘り返し、焼却炉を作って燃やし始めます。 炉に押し込まれた死体が燃える様は、正に地獄絵図だったらしいです。
グロースマン氏自身もユダヤ系だったので、ショックは並大抵ではなかったようです。 故郷のウクライナの町もドイツ軍に占領されるのですが、そこでもユダヤ人虐殺が行なわれ、グロースマン氏の母親も殺されます。 モスクワへ呼び寄せる時間があったのに、母親を説得できずに、結局死なせてしまった事を、氏は死ぬまで後悔し続けたそうです。
独ソ戦全体の見聞記の一部として出て来るだけに、専門に書かれたアウシュビッツ関連の本よりも、真に迫った恐ろしさを感じさせます。 人間というのは、ここまで残虐になれるという証明なわけで、読者は暗澹たる気分に沈む事になります。
この本、520ページあり、かなり厚いのですが、メモや手紙といった細切れの文章が多いので、読むのにさほど負担は感じません。 ただ、その分、文章の流れが滞りがちになるので、読書のノリは悪いです。 この本にも、3週間かかりました。 そうそう、戦場で撮ったグロースマン氏の写真が多く掲載されているのは、面白い特徴です。 新聞の特派員だったので、カメラマンが同行しており、プロの腕で撮った写真がたくさん残っていたんでしょうな。 当時の戦場写真で、これだけ鮮明な物は珍しいのではないでしょうか。
以上、四冊、独ソ戦関連本でした。 この種の戦史を読むと、つくづく思うのですが、戦争が起こると、個々の兵士というのは、もはや個性を持った人間ではなく、ただの軍需物資になってしまうんですな。 しかも、消耗品の。 政治家や将軍達は、作戦を立てる時点で、予め、全体の何割かが死亡する事を想定しているのです。 死ぬか生きるかは、兵士達が選べる事ではなく、状況の偶然によって決まります。 兵隊にとられたら、もう死んだも同然なのです。 いやはや、平和は貴重だわ。
日本では、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に関する知識というと、専らアメリカの映画やドラマの影響で、アメリカ軍とドイツ軍の戦いに関わるものに限られています。 まるで、それが全てであったかのように思っている人も多い事でしょう。 しかし、ナチス・ドイツと本当の意味で血みどろの死闘を繰り広げたのはソ連であって、米英軍対ドイツ軍の戦いなど、規模でも、凄惨さでも、独ソ戦とは比較の対象にならないのだそうです。
ナチス・ドイツは、スラブ人を劣等民族と見なしていたために、ソ連の捕虜を家畜のように扱い、占領した地域の住民に対しても、統治など二の次で、奴隷として扱き使う事しか考えなかったのだそうです。 そういう扱いを受けたソ連側も、それまで抱いていたドイツ文化への敬意などかなぐり捨てて、ドイツがソ連にしたのと同じ事を、そっくり仕返ししようとします。 これが、人道からかけ離れた凄まじいばかりの残虐行為を産み、互いにエスカレートさせて行ったらしいのです。 それに比べると、米英軍とドイツ軍の戦いは、米英軍の将軍達の言葉によれば、「合理的な行動を取る相手と行なう、ゲームのようなもの」だったらしいです。 映画から得られる印象とは、随分異なっていますな。
≪(詳解)独ソ戦全史≫
第二次世界大戦で、ナチス・ドイツがソ連に侵攻する直前の情勢から、ソ連軍によってベルリンが陥落するまでの流れを時系列に沿って記してあります。
著者は、アメリカの独ソ戦史研究家二人で、ソ連崩壊後に閲覧可能になったソ連側の資料を用いて、「なぜ、ソ連軍は緒戦で大敗したか」、「なぜ、ソ連軍はドイツ軍を押し返す事ができたか」を明らかにして行きます。 第三者である上に、ドイツ・ソ連のいずれかから直接被害を受けたヨーロッパ人でもないため、ほぼ完全といっていい客観的な分析がなされています。
掻い摘んで言うと、ドイツが攻め込んで来た時、ソ連軍は、スターリンの軍人粛清や戦術の改編で混乱しており、とても戦える状態ではなかったらしいです。 北はレニングラードとモスクワのすぐ手前で辛うじてドイツ軍を食い止め、南はスターリングラードで死体を山と積んで持ちこたえている間に、スターリンの考え方が変わり、軍人達を戦争の専門家として信頼するようになったため、以降、合理的な戦術が取れるようになり、反撃に転ずる事ができたのだとか。 ≪餅は餅屋≫という事でしょうか。
一方、ヒトラーの方は、スターリングラードで進撃が止まり、戦線が膠着してしまうと、次第に軍人を信用しなくなります。 素人のくせに、自分の思いついた作戦を強引に実行させるようになったため、ドイツ軍の戦術は乱れ、ソ連軍の反撃を食い止める事すら出来なくなって行きます。 ちょうど、スターリンのソ連とは、正反対の経過を辿ったわけですな。 やはり、≪餅は餅屋≫なのです。
この本、644ページと結構厚いんですが、1941年から1945年までの全期間を対象にしているので、戦闘の細部までは触れていません。 有名なスターリングラードの戦いも、ほんの1ページ分くらいしか割いていません。 血沸き肉踊る戦記物というわけではないので、ご注意。
≪スターリングラード≫
≪独ソ戦全史≫を読んだ後、独ソ戦の転換点になった、スターリングラードの戦いについて、もっと詳しい事を知りたくなり、この本を借りてみました。 532ページもあって、読むのに4週間もかかってしまいました。
イギリスの元軍人で戦史研究家の著者が、1990年代の終わり頃に書いたドキュメンタリーです。 「20世紀最高の戦争ドキュメンタリー」と言われているそうで、読んでみると確かに面白い内容で、そういう評価を受けても不思議は無いと思いました。 書かれた時期から分かるように、ソ連崩壊後に公開された資料を参考にしており、ソ連とドイツ双方の視点から、スターリングラード戦の詳細を明らかにして行きます。
この著者の作品の特徴は、公的資料の他に、軍人の伝記、将兵や報道関係者の日記、生存者へのインタビューなど、多方面からのアプローチを丹念に行なっている事でして、小説として読んでも違和感が無いくらい、当時の状況を生き生きと再現しています。 殺し合いの記録なので、「生き生き」というと語弊があるかもしれませんが、他に表現のしようが無い魅力ある文章なのです。 天才狙撃兵、ザイツェフを主人公にした映画、≪スターリングラード≫の場面を思い出しながら読むと、より味わい深いと思います。
記述内容は、ドイツがソ連に攻め込んでから、スターリングラード戦の直前までの経緯を大まかに記し、スターリングラードにドイツ軍が侵攻して以降は、一事例ごとの細かい描写に移ります。 砲爆撃で廃墟と化した市街地での、一進一退の激戦に多くのページを割いた後、大規模な反撃作戦を準備していたソ連側が、ドイツ第六軍の後方を遮断して、厳冬の雪の中に孤立させ、降伏に追い込むまでを描きます。
侵攻開始以来、怒涛の勢いで攻め続けて来たドイツ軍が、補給が途絶えた途端、見る見る痩せ細って、凍死者・餓死者が続出し、戦争どころではなくなっていく様子がありありと伝わって来ます。 ヒトラーが、スターリンの名前が付いた都市の攻略に拘って、撤退を許可しなかった事が大きな原因ですが、大きな目で見れば、ナチス・ドイツの軍事的拡大の限界が、ここまでだったという事でしょう。 スターリングラード戦以降、ドイツ軍の進撃は止まり、ソ連側が一方的に押し戻す流れに変わります。
印象に残ったエピソードを一つ挙げますと、「スターリングラードで最初にドイツ軍を迎え撃ったのは、高射砲部隊の女子高生だった」という話にはびっくりしました。 ソ連軍は性差別が無く、女性の戦闘機乗りがいた事は有名ですが、民間人の、しかも学生も同様だったんですね。 ちなみに、彼女らは義務感が極めて強く、全員殺されるまで戦ったそうです。
≪ベルリン陥落 1945≫
この本は647ページもあって、やはり読み終わるのに、4週間かかりました。 会社の休み時間にしか読まないので、なかなか捗らないんですわ。 沼津市の図書館は、2週間が貸し出し期限なので、一度延長して読み続けたわけですが、ほぼ一ヶ月も同じ本ばかり開いていると、内容に関係なく、うんざりして来ますな。
≪スターリングラード≫と同じ著者による戦史ドキュメンタリー。 ただ、続編というわけではありません。 スターリングラード戦は、1942年8月から1943年2月までですが、この本は、時間が少し飛んで、1944年末頃から1945年5月までが対象になっています。 ドイツ軍を押し戻して来たソ連軍が、現ポーランドの中央付近を流れるヴィスワ川を越えた辺りから始まり、ヒトラーが自殺して、ドイツが降伏したところで終わります。 ベルリン陥落が主なテーマなので、ドイツ軍とソ連軍の他に、西から進んで来る米英軍の動向にも触れますが、そちらはオマケ程度です。
ナチス・ドイツは、「アーリア人であるゲルマン民族は、他の民族よりも優れている。 スラブ人は劣等だから、ドイツ人に奴隷として従属させなければならない。 ユダヤ人は有害だから絶滅させなければならない」という考え方で、東欧・ソ連に侵攻したわけですが、この頃になると、ほとんどすべての戦闘で負けており、こと戦争の遂行能力だけ見れば、ドイツ人の方がスラブ人より劣等としか思えません。
ヒトラーやナチス党の幹部達が軍の指揮に関して全く無能だった事は間違いありませんが、原因はそれだけではなく、ドイツ国軍の将軍達も、結構自由に指揮権を行使しているにも拘らず、ソ連軍の進撃を止められないのです。 ちなみに、独ソ戦も後半に入ると、兵器の性能の違いは、ほとんどありません。 ソ連側の強さは、軍需物資の生産力、兵員の補充余力、兵站力、そして、行き届いた訓練、合理的な作戦、巧みな外交など、正に総合的な国力の優位から生まれていたんですな。
ところで、この本の真のテーマは、戦闘の経緯ではなく、ソ連軍がドイツ領内に入ってから起こり始める、ソ連兵の問題行為を暴く事にあるようです。 具体的に言うと、略奪と強姦です。 前作の、≪スターリングラード≫では、著者はソ連兵に対する批判をほとんどしていなかったのですが、この本では、くどいくらいに、ソ連兵による強姦の事例が取り上げられます。 あまり多いので、著者が前作を発表した後、何か政治的な圧力でもかかったのではないかと訝ってしまうほどです。
ドイツ人女性だけでなく、ドイツ軍に捕まって、ドイツの占領地域で働かされていたソ連人女性も、解放された後で、強姦の対象になったそうで、かなりショッキングな話。 もし、この本だけ読むと、ソ連側が悪で、ドイツ側が被害者だったと思い込んでしまう読者も多いのではありますまいか。 著者もそう思ったのか、はたまた、今度は逆方向からの圧力がかかったのか、この本の後に、≪赤軍記者グロースマン≫という本を出版して、ドイツ軍の蛮行を詳述し、バランスを取る事になります。
この本で印象に残った件りを一つ挙げますと、ドイツ領内に入ったソ連兵達は、ドイツ人の町や家が、整然としており、物に溢れている事に驚愕したのだそうです。 「こんなに豊かな生活をしているのに、どうして俺達の国に攻めて来たんだろう」と、理解に苦しんだのだとか。 なるほど、確かに奇妙な話ですな。
敢えて回答を探すなら、民族差別意識と、資源への欲求という事になりますが、前者には科学的根拠が無く、後者は貿易でも入手可能なわけで、数千万人の命を犠牲にしてまでやるような事とは思えません。 これが、ヒトラーという、たった一人の狂人が引き起こした結果かと思うと、人類の存在も、案外脆いような気がします。
≪赤軍記者グロースマン≫
これは、≪スターリングラード≫、≪ベルリン陥落 1945≫の著者が編集に当たった本。 ですが、こちらはドキュメンタリーではなく、伝記に近い内容です。 ヴァシーリィ・セミョーノヴィッチ・グロースマンは、ウクライナ生まれのユダヤ系ソ連人作家で、独ソ戦期間中は、ソ連軍の機関紙、≪クラースナヤ・ズヴェズダー≫の戦場特派員でした。 この本は、そのグロースマン氏が遺した戦場メモや手紙を中心にして編集したもの。
グロースマン氏は、ドイツが攻め込んでくると、すぐに戦場行きを志願して、1941年から1945年まで、独ソ戦のほぼ全期間に渡って、戦場と編集部のあるモスクワを車で行ったり来たりします。 ≪スターリングラード戦≫や、史上最大の戦車戦になった≪クルスク会戦≫、最後の戦闘、≪ベルリン攻防戦≫にも駆けつけて、指揮官から一般兵、土地の住民まで、満遍なく取材し、独ソ戦の全体を自らの目で見た作家の一人となりました。
この本の圧巻は、ポーランド領内で見た、ユダヤ人の抹殺施設、≪トレブリーンカ絶滅収容所≫の様子を描いた部分です。 アウシュビッツと同様の施設で、ポーランドを中心に集めて来たユダヤ人を、列車で搬入し、休む間も無く、荷物を取り上げ、裸にさせ、髪を刈り取り、ガス室へ送り込みます。 「入浴させる」と騙されている上に、ガス室が近づくと、看守達が恐ろしい剣幕で追い立てるので、立ち止まる事もできなかったのだとか。 集めた髪は、マットの充填材として、出荷していたらしいです。
こういう事情が分かったのは、ほんの僅かに生き残った人達から、証言が得られたからだそうです。 死体を片付ける作業員として使われていたユダヤ人男性達が、「どうせ自分達も殺されるのだから」と、反乱を起こし、看守を殺して逃亡したのだそうです。 ちなみに、ドイツ人の管理者はたった25人で、その下にウクライナ人の看守が100人ほどおり、彼らが殺したユダヤ人の数は、この施設だけで、80万人だそうです。
一応、≪収容所≫という名前が着いていますが、収容する宿舎などは最初から無くて、列車からガス室へ直行させていたため、施設の規模は驚くほど小さかったのだとか。 最初は、敷地内に大きな溝を掘って死体を埋めるのですが、ドイツ軍がスターリングラードで敗北したのを契機に、押し戻して来るソ連軍に発見されるのを恐れて、一度埋めた死体を掘り返し、焼却炉を作って燃やし始めます。 炉に押し込まれた死体が燃える様は、正に地獄絵図だったらしいです。
グロースマン氏自身もユダヤ系だったので、ショックは並大抵ではなかったようです。 故郷のウクライナの町もドイツ軍に占領されるのですが、そこでもユダヤ人虐殺が行なわれ、グロースマン氏の母親も殺されます。 モスクワへ呼び寄せる時間があったのに、母親を説得できずに、結局死なせてしまった事を、氏は死ぬまで後悔し続けたそうです。
独ソ戦全体の見聞記の一部として出て来るだけに、専門に書かれたアウシュビッツ関連の本よりも、真に迫った恐ろしさを感じさせます。 人間というのは、ここまで残虐になれるという証明なわけで、読者は暗澹たる気分に沈む事になります。
この本、520ページあり、かなり厚いのですが、メモや手紙といった細切れの文章が多いので、読むのにさほど負担は感じません。 ただ、その分、文章の流れが滞りがちになるので、読書のノリは悪いです。 この本にも、3週間かかりました。 そうそう、戦場で撮ったグロースマン氏の写真が多く掲載されているのは、面白い特徴です。 新聞の特派員だったので、カメラマンが同行しており、プロの腕で撮った写真がたくさん残っていたんでしょうな。 当時の戦場写真で、これだけ鮮明な物は珍しいのではないでしょうか。
以上、四冊、独ソ戦関連本でした。 この種の戦史を読むと、つくづく思うのですが、戦争が起こると、個々の兵士というのは、もはや個性を持った人間ではなく、ただの軍需物資になってしまうんですな。 しかも、消耗品の。 政治家や将軍達は、作戦を立てる時点で、予め、全体の何割かが死亡する事を想定しているのです。 死ぬか生きるかは、兵士達が選べる事ではなく、状況の偶然によって決まります。 兵隊にとられたら、もう死んだも同然なのです。 いやはや、平和は貴重だわ。
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