しし親戚の虫
金曜の事ですが、朝から訃報。 うちの本家に当たる家、つまり、私の祖父が出た家ですが、その家のおばさんが亡くなったとの事。 医者から、「手遅れだから、手術をしても無駄」と言われた末期癌で、平日は入院し、週末だけ自宅療養をしていました。 おばさんと書きましたが、私の歳から見て、おばさんなのであり、享年は80歳ですから、客観的に見れば、おばあさんという事になります。
本家の血筋ではなく、嫁に来た人です。 長男が別の町で事業を始めた時、家族ごとそちらへ引っ越したのですが、やはり、住み慣れた所が良いらしく、年寄り夫婦だけ、本家に戻っていたのです。 数年前に当主だった旦那が死んだ後は、おばさん一人で本家に住んでいました。
どうも、長男の事業がうまく行っていないらしく、「私が死んだら、たぶん、本家の家屋敷は処分する事になると思う」と、私の父には漏らしていたらしいです。 旦那の代から、事業家肌で、親戚筋では最も羽振りのいい家だったのですが、事業というのは、一度傾き始めると、あっという間に借金が膨らんでしまうんですな。
噂によると、前の日までは、庭弄りをするほど元気だったのですが、そこへ、本家の懐事情を知らない旦那の弟の一人が金の無心に来て、おばさんは、かなりの剣幕で追い返したとの事。 たぶん、激昂したのがいけなかったんでしょう。 その夜に、血を吐いて倒れ、救急車で運ばれて、帰らぬ人となりました。
淡々と書いているのを見れば分かると思いますが、私は、このおばさんとは、会えば挨拶をする程度で、そんなに親しかったわけではありません。 嫌な記憶が無いというだけでも、親戚としてはありがたい人の部類に入れていたという程度。 ただ、このおばさんの旦那には、ある経緯から、腹に据えかねる因縁があり、その人が死んだ時には、清々しました。
で、今回の一件ですが、病死といえば病死ですが、その義弟が止めを刺したようなものとも言えぬではなし。 分家が本家に無心というのは、ドラマによくあるパターンですが、本当にあるんですねえ。 しっかし、その義弟もいい歳なのであって、金の事でいざこざを起こすなど、何とも情けない話です。
詳しい事は分からないのですが、その義弟にしてみれば、自分が生まれ育った家ですから、「義姉さんが死んだら、俺に屋敷を任せてくれ」とか何とか言ったのかもしれません。 いや、そういう事を言いそうな人なのですよ、その人が、また。 もっとも、たとえ、それが原因であったとしても、≪未必の故意≫にもならないので、事件性は無いわけですが。
ちなみに、おばさんの葬儀は、外国に行っている孫が帰るのを待ち、連休の後半になるとの事。 それまで、遺体はドライアイスでもたせるらしいです。 これもまた、どうかと思うのですよ。 確かに、孫にしてみれば、お祖母さんの葬儀に出たいと思うでしょうが、葬儀には親戚や知人も呼ぶのであって、喪家の都合だけで日程を決められたのでは、迷惑する人もいるでしょう。
まして、連休中であれば、すでに予定を組んでいる人もいると思われ、場合によっては、予約のキャンセルなどもしなければなりますまい。 死後すぐに、通夜と葬式をやるというなら、「仕方が無い」と諦めもつきますが、「孫が帰るのを待つ」という理由では、何となく、釈然としないのではないでしょうか。 「なんで、その孫一人のために、こちらが連休の予定を変えねばならんのか・・・」と思うと、ムカムカしてきて、夜も眠れないに違いない。
つくづく、親戚というのは、荷厄介なものだと思うのですよ。 うちの両親などは、「自分の葬式の時に来て貰えないと困るから、日頃から義理を欠かすわけにはいかない」と言うのですが、私に言わせれば、死んだ後の事など、どうせ自分には分からないのだから、どうでもいいのであって、よしんば、霊魂が残って、自分の葬式の様子を見るような事があったとしても、百害あって一利無かった親戚の連中に、迷惑面して参列して欲しいなどとは、小指の爪の先ほども思いません。
というか、葬式そのものをやって欲しくないです。 私は、あの世の存在を信じていないという点で、ある意味、仏教徒ですが、日本仏教の僧侶を、宗派に関係なく、一人の例外も無しに、仏教徒とは見做していないので、彼らの指図で葬式を挙げられても、困るのです。 迷惑なのです。 ケチな私としては、読経料などという、正真正銘の≪雑費≫に、お金が使われるのが、この上なく口惜しい。
大体、お経というもの、生きている時に、自らその内容を理解する事で、初めて意義が発生するのであって、死んでから唱えられても、何の御利益もありません。 そもそも、外国語では、一体何を言っているのか、生きている時でさえ分からないではありませんか。 あんなものをありがたがる在家も在家で、仏教に関する知識が足りないにも程がある。 馬鹿でねえの? 馬鹿だから、出家どもに、1500年も騙され続けておるのでしょう。
話を戻しますが、今日日、結婚式は、海外挙式などを選べば、家族だけでもできますから、親戚に出馬願わなければならないのは、葬式だけです。 もし、葬式も家族だけでやるというのなら、親戚とつきあいを維持しておく必要は、皆無になります。 昨今、≪家族葬≫などという概念も現れて来て、日本社会は、少しずつ、その方向へ進んでいるわけですが、私としては、その歩みの遅さがもどかしいです。 さっさと、「家が分かれたら、もう他人」という、サバサバした風習になりませんかねえ。
納骨した後で、個々に墓参りをして、線香を上げるというのなら、それは別にいいのですよ。 墓参者側の都合で、日時を決められますから。 ところが、通夜や葬式となると、否が応でも、その日に行かなければならないので、勤めは休まなければならない、予定は変更しなければならないで、少なからぬ迷惑を被る事になります。
どうしても都合が悪い者は行けないわけですが、通夜にも葬式にも出なければ、口喧しい、おじさん&おばさんから、ネチネチした電話が掛かって来て、しまいにゃ、ボロクソに貶されると来たもんだ。 親戚って、一体何よ? これでは、赤の他人より悪辣ではありませんか。
また、交通費は自分持ちになりますから、遠くに住んでいると、大変なんだわ。 時間を、良くて丸一日、悪ければ丸二日潰した上に、わざわざ、旅費を自腹切って、香典を出しに行くわけで、これを理不尽と言わずして、何を理不尽と言いましょう?
また、近くに住んでいるやつらほど、遠くに住んでいる親戚の事を、「不義理だ」とか言って、責めるんだわ。 てめえはいいよ、自分の車でも、タクシーでも来れるから。 新幹線や飛行機でなきゃ来れない人は、香典の何倍も交通費を使うんだぜ? 通夜・葬式、初七日、四十九日、百箇日、一周忌、三回忌・・・・、一体、何回、来なければならんのだ? それだけでは飽き足らず、「年に一度くらいは、墓参りに来い」ぃ? 寝ぼけるな! そっちの方から、墓背負って、出て来い!
でねー、義理を欠かさずに、親戚の葬式・法事に漏れなく出席していれば、それなりのリターンがあるかというと、あるわけ無いんですよ。 自分の家族の葬式は、多くても、せいぜい二三回でしょう? 親戚の葬式は、一生の内に、30回じゃ利きませんぜ。 うちの父なんて、50回くらい出てるんじゃないですか? 法事も入れれば、200回くらい、喪服を着てると思います。 そのつど、お金が出て行くわけで、どうして、元が取れるものかね? 取れるわけがありません!
まったくの、世間体と見栄だけでやっているのが、葬式という習慣なのですよ。 とりわけ、親戚の間で、恥を掻きたくないばかりに、必死になっているのです。 葬式を出すために、借金している人とか、破産している人とか、そんな例も、結構多いんじゃないでしょうか。 くくく…くっだらない! 親戚ごときがなんぼのもんじゃい!
そもそも、「困った時に、頼りにしよう」などという助兵衛根性を、心中密かに温めているから、弱味を衝かれるのです。 どうせ、今時の家族なんて、みんな核家族ですから、家計の余力などほとんど無いのであって、困った時に頼れる親戚なんて、ありゃしませんよ。 つまらん皮算用はやめて、独力で家を維持する事に励むべきですな。
本家の血筋ではなく、嫁に来た人です。 長男が別の町で事業を始めた時、家族ごとそちらへ引っ越したのですが、やはり、住み慣れた所が良いらしく、年寄り夫婦だけ、本家に戻っていたのです。 数年前に当主だった旦那が死んだ後は、おばさん一人で本家に住んでいました。
どうも、長男の事業がうまく行っていないらしく、「私が死んだら、たぶん、本家の家屋敷は処分する事になると思う」と、私の父には漏らしていたらしいです。 旦那の代から、事業家肌で、親戚筋では最も羽振りのいい家だったのですが、事業というのは、一度傾き始めると、あっという間に借金が膨らんでしまうんですな。
噂によると、前の日までは、庭弄りをするほど元気だったのですが、そこへ、本家の懐事情を知らない旦那の弟の一人が金の無心に来て、おばさんは、かなりの剣幕で追い返したとの事。 たぶん、激昂したのがいけなかったんでしょう。 その夜に、血を吐いて倒れ、救急車で運ばれて、帰らぬ人となりました。
淡々と書いているのを見れば分かると思いますが、私は、このおばさんとは、会えば挨拶をする程度で、そんなに親しかったわけではありません。 嫌な記憶が無いというだけでも、親戚としてはありがたい人の部類に入れていたという程度。 ただ、このおばさんの旦那には、ある経緯から、腹に据えかねる因縁があり、その人が死んだ時には、清々しました。
で、今回の一件ですが、病死といえば病死ですが、その義弟が止めを刺したようなものとも言えぬではなし。 分家が本家に無心というのは、ドラマによくあるパターンですが、本当にあるんですねえ。 しっかし、その義弟もいい歳なのであって、金の事でいざこざを起こすなど、何とも情けない話です。
詳しい事は分からないのですが、その義弟にしてみれば、自分が生まれ育った家ですから、「義姉さんが死んだら、俺に屋敷を任せてくれ」とか何とか言ったのかもしれません。 いや、そういう事を言いそうな人なのですよ、その人が、また。 もっとも、たとえ、それが原因であったとしても、≪未必の故意≫にもならないので、事件性は無いわけですが。
ちなみに、おばさんの葬儀は、外国に行っている孫が帰るのを待ち、連休の後半になるとの事。 それまで、遺体はドライアイスでもたせるらしいです。 これもまた、どうかと思うのですよ。 確かに、孫にしてみれば、お祖母さんの葬儀に出たいと思うでしょうが、葬儀には親戚や知人も呼ぶのであって、喪家の都合だけで日程を決められたのでは、迷惑する人もいるでしょう。
まして、連休中であれば、すでに予定を組んでいる人もいると思われ、場合によっては、予約のキャンセルなどもしなければなりますまい。 死後すぐに、通夜と葬式をやるというなら、「仕方が無い」と諦めもつきますが、「孫が帰るのを待つ」という理由では、何となく、釈然としないのではないでしょうか。 「なんで、その孫一人のために、こちらが連休の予定を変えねばならんのか・・・」と思うと、ムカムカしてきて、夜も眠れないに違いない。
つくづく、親戚というのは、荷厄介なものだと思うのですよ。 うちの両親などは、「自分の葬式の時に来て貰えないと困るから、日頃から義理を欠かすわけにはいかない」と言うのですが、私に言わせれば、死んだ後の事など、どうせ自分には分からないのだから、どうでもいいのであって、よしんば、霊魂が残って、自分の葬式の様子を見るような事があったとしても、百害あって一利無かった親戚の連中に、迷惑面して参列して欲しいなどとは、小指の爪の先ほども思いません。
というか、葬式そのものをやって欲しくないです。 私は、あの世の存在を信じていないという点で、ある意味、仏教徒ですが、日本仏教の僧侶を、宗派に関係なく、一人の例外も無しに、仏教徒とは見做していないので、彼らの指図で葬式を挙げられても、困るのです。 迷惑なのです。 ケチな私としては、読経料などという、正真正銘の≪雑費≫に、お金が使われるのが、この上なく口惜しい。
大体、お経というもの、生きている時に、自らその内容を理解する事で、初めて意義が発生するのであって、死んでから唱えられても、何の御利益もありません。 そもそも、外国語では、一体何を言っているのか、生きている時でさえ分からないではありませんか。 あんなものをありがたがる在家も在家で、仏教に関する知識が足りないにも程がある。 馬鹿でねえの? 馬鹿だから、出家どもに、1500年も騙され続けておるのでしょう。
話を戻しますが、今日日、結婚式は、海外挙式などを選べば、家族だけでもできますから、親戚に出馬願わなければならないのは、葬式だけです。 もし、葬式も家族だけでやるというのなら、親戚とつきあいを維持しておく必要は、皆無になります。 昨今、≪家族葬≫などという概念も現れて来て、日本社会は、少しずつ、その方向へ進んでいるわけですが、私としては、その歩みの遅さがもどかしいです。 さっさと、「家が分かれたら、もう他人」という、サバサバした風習になりませんかねえ。
納骨した後で、個々に墓参りをして、線香を上げるというのなら、それは別にいいのですよ。 墓参者側の都合で、日時を決められますから。 ところが、通夜や葬式となると、否が応でも、その日に行かなければならないので、勤めは休まなければならない、予定は変更しなければならないで、少なからぬ迷惑を被る事になります。
どうしても都合が悪い者は行けないわけですが、通夜にも葬式にも出なければ、口喧しい、おじさん&おばさんから、ネチネチした電話が掛かって来て、しまいにゃ、ボロクソに貶されると来たもんだ。 親戚って、一体何よ? これでは、赤の他人より悪辣ではありませんか。
また、交通費は自分持ちになりますから、遠くに住んでいると、大変なんだわ。 時間を、良くて丸一日、悪ければ丸二日潰した上に、わざわざ、旅費を自腹切って、香典を出しに行くわけで、これを理不尽と言わずして、何を理不尽と言いましょう?
また、近くに住んでいるやつらほど、遠くに住んでいる親戚の事を、「不義理だ」とか言って、責めるんだわ。 てめえはいいよ、自分の車でも、タクシーでも来れるから。 新幹線や飛行機でなきゃ来れない人は、香典の何倍も交通費を使うんだぜ? 通夜・葬式、初七日、四十九日、百箇日、一周忌、三回忌・・・・、一体、何回、来なければならんのだ? それだけでは飽き足らず、「年に一度くらいは、墓参りに来い」ぃ? 寝ぼけるな! そっちの方から、墓背負って、出て来い!
でねー、義理を欠かさずに、親戚の葬式・法事に漏れなく出席していれば、それなりのリターンがあるかというと、あるわけ無いんですよ。 自分の家族の葬式は、多くても、せいぜい二三回でしょう? 親戚の葬式は、一生の内に、30回じゃ利きませんぜ。 うちの父なんて、50回くらい出てるんじゃないですか? 法事も入れれば、200回くらい、喪服を着てると思います。 そのつど、お金が出て行くわけで、どうして、元が取れるものかね? 取れるわけがありません!
まったくの、世間体と見栄だけでやっているのが、葬式という習慣なのですよ。 とりわけ、親戚の間で、恥を掻きたくないばかりに、必死になっているのです。 葬式を出すために、借金している人とか、破産している人とか、そんな例も、結構多いんじゃないでしょうか。 くくく…くっだらない! 親戚ごときがなんぼのもんじゃい!
そもそも、「困った時に、頼りにしよう」などという助兵衛根性を、心中密かに温めているから、弱味を衝かれるのです。 どうせ、今時の家族なんて、みんな核家族ですから、家計の余力などほとんど無いのであって、困った時に頼れる親戚なんて、ありゃしませんよ。 つまらん皮算用はやめて、独力で家を維持する事に励むべきですな。
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