2011/03/17

命の価値

  福島第一原発の放水。 警察と自衛隊が引っ張り出されましたが、本来なら、原発関係者が負うべき危険を押し付けられたわけで、同情に耐えません。 幹部の方は、「苦渋の決断」をすればそれで済みますが、実際に作業に当たる人間の方は、被曝を避けられないわけで、「死んでくれ」とまでは行かなくても、「健康被害を覚悟してくれ」と言われているのと大差無いです。

  自分達の責任で引き受けたのなら、警察庁長官や防衛相が、自分で行けばいいのに。 それが嫌なら、部下の命を預かる責任者として、はっきり断るべきでしょう。 総理や官房長官が、「どうしても、行かせろ」と言うのなら、「あなたが行って下さい」と、きっぱり、言い返してやればいいのです。 肩書きや立場に関係なく、命の価値に違いは無いのですから。

  警官や自衛隊員は、行けと言われれば行くでしょうが、それは、「誰かがやらなければ、大惨事になってしまう」という犠牲的精神や、義務感・使命感だけではありますまい。 特攻隊員の立場と全く同じで、断ったら世間から非難されるので、「臆病者扱いされるくらいなら、一か八か行って、英雄扱いされた方がいい」と、究極の選択を迫られるのだと思います。

  しかし、本来、彼らには、原発に対して、命を危険に曝さねばならないような責任はありません。 特攻隊のような、理不尽な死を強要されない社会を、戦後の日本は目指して来たんじゃないですかね? 66年間かけて、営々と積み上げてきた価値観を、ここで捨てるんですか?

  「それじゃあ、誰がやるんだ?」とは、誰でも思うと思いますが、東電の幹部や原発推進派の政治家など、原発に対して責任がある人達に、放水車の操作方法を教えて、やって貰うのが一番だと思います。 皮肉や嫌味で言っているのではなく、命が掛かっている以上、責任者が最初に犠牲になるのが、当然の筋だと思うのです。

  一般から志願者を募ったら、結構、手を挙げる人がいるかもしれませんな。 何の為に生きているのか分からない若者など、「自分の存在に何か意味を与えられるのなら」と考えて、出て来る可能性があります。 もっとも、彼らが犠牲になって死んだ後で、生き残った人々は、一ヶ月もしない内に、そんな事は忘れて、のうのうと日常生活を生きていくわけで、それを考えると、馬鹿馬鹿しくも割に合わない献身だと思いますが。

  そういえば、チェルノブイリ事故の時は、爆発した原子炉に砂をかけるために、ヘリコプターが何度も上空まで往復しましたが、パイロットは死を覚悟して任務に当たったそうです。 そして、実際に、ほとんどのパイロットは、大量被曝し、その後、死んだのだとか。 こう書くと、「犠牲は尊いな」と思いますが、今、どれだけの人が、彼らの犠牲に感謝して生きているかと考えると、ほとんど思い出す事さえ無いと思うのです。 それでは、ただの死に損になってしまうではありませんか。