2011/03/17

楽観癖のある人達

  大震災の影響で、会社が休みになり、日がな一日、テレビを見て暮らしています。 これは、カタストロフですな。 高校の時、古典の先生が、「地獄は、あの世にあるんじゃないよ。 今生きている、この世にあるんだ」と言っていたのを思い出しました。

  福島第一原発・・・・、 正に、泣きっ面に蜂。 最悪の情況まで、首の皮一枚しか残っていないという感じで、ぞーっとします。

  相次ぐ爆発・火災で、続々と原子炉が破損していますが、洒落になりませんな、あれは。 爆発時の映像や、ボロボロ・グジャグジャになった建屋の写真を見て、「原発は安全です」と言われても、説得力ゼロです。 おそらく、世界中の原子力関係者が、顔面蒼白、背中びっしょりになっている事と思われます。 ビジュアル的には、スリーマイル島はもちろん、チェルノブイリよりも恐ろしい。

  あれだけの爆発があって、格納容器や配管が正常に機能しているというのは、俄かには信じ難いです。 格納容器の鋼鉄の厚さは、3センチでしたっけ? 装甲車レベルですが、鉄コンの建屋が消し飛ぶような爆発で、無傷という事は無いでしょう。 それとも、素人の感覚では想像もつかないような強度を持たせてあるのか。 そうであって貰わないと困りますが。


  今回の事故について、テレビで、いろんな人がいろんな事を言っています。 純然たる素人に過ぎないアナウンサーなどの報道関係者や、全く畑違いのコメンテーターの言う事は、単なる雑音ですから、一切真に受けないとして、原発関係者や学者などであっても、こういう事故が起こると、必ず見られる傾向として、意見が二つに分かれます。

「予断を許さない。 大惨事になる前に、避難など、できる限りの手を打つべきだ」
  という人と、

「そんなに大騒ぎするような事態ではない。 むしろ、パニックになる方が怖い」
  という人に。

  前者は、事態を重く見ており、後者は軽く見ています。 パターンとしては、事故直後には、雨後の筍のように前者が現れ、それにブレーキをかける形で、後者が登場して来ます。 福島第一原発の場合、目下、後者が続々と出て来ている局面ですな。

  後者は、「落ち着け。 冷静になれ」と言っているわけですが、一見、訳知り顔の大人の態度のように見えて、実は、この人達も事態がよく分かっておらず、単なる天邪鬼で、前者を批判しているだけである可能性が高いので、注意が必要だと思います。


「チェルノブイリとは、全く異なる事故だ」
  それは、あくまでも、現状の話であって、今後、臨界が起こり、さらに、火災が重なれば、ほとんど同じ状態になる危険性はあります。 どうも、こういう事を言う時の学者の口ぶりを見ていると、科学的見地から物を言っているというより、単にソ連の原発技術を扱き下ろしたいだけのようで、「こいつら、本当に科学者か?」と、額に縦線が入ってしまいます。


「スリーマイル島よりも、深刻な事故ではない」
  それも、現状の話に過ぎません。 圧力容器と格納容器の両方が壊れる炉が出て来れば、あっさりと、スリーマイル島のレベルを超えてしまいます。 怖いのは、「どちらが深刻か」といった、下らない競争意識ばかり働かせていて、今後の展開を想像しようという気がまるで感じられない事です。 楽観視ばかりしていたのでは、止められる臨界も止められますまい。


「現場の職員は、必死で働いている」
  そんなの当然です。 自分達が作った原発なんだから。 首相のセリフじゃありませんが、他に誰がやるんですか? 「命懸けで働いているんだから、感謝して欲しい」とでも言う気ですかね? そもそも、そんな危ない物を作ったのは、一体、誰なんですか?

  現場で人手が足りない場合、電力会社幹部でも、政治家でも、学者でも、土建屋でも、地元の名士でも、「原発? 私は賛成ですよ。 だって、電気が無くちゃ暮らせないでしょ」と、澄まし顔でコメントしていたインテリ婆あでも、元刑事のタクシー・ドライバーでも、原発推進に尽力、もしくは賛成して来た人間を、一人残らず駆り集めて、有無を言わせずドシドシ送り込むべきでしょう。 だって、「原発は安全」なんだろう? 致死量の放射線なんて出てるわけないよな。 安全なんだから。 原子力の原理も知らんド素人でも、バルブを閉めてくる事くらいできるだろう。 ほれ、行け。

  ちなみに私は、原発という物の恐ろしさを知った砌から、かれこれ30年以上、原発には反対して来たので、現場に行く義理など毛頭ありません。 もちろん、「原発があるから、電気のある生活を享受してこれたんじゃないか」などという輩には、ごまかされも、言い負かされもしません。 原発の分、発電量が減るというのなら、停電させてくれて、結構。 電気に頼らない生活に戻る方が、放射能で死ぬより、遥かにマシです。 何なら、勝負してみますか? 私は、電気を使わない生活をする。 あなたは、電気を使うと同時に放射能を浴びる生活をする。 期限を決める必要は無いでしょう。 あなたが先に死んで、勝負は終わります。


「水を入れて、冷やし続けていれば、大丈夫」
  んなこた、全員分かっとるわ、ボケ。 それがうまく行かないから、こんな事故になっているんだろうが。 アメリカから戻ったばかりという学者が、まさに、このセリフを口にして、「まだまだ、打つ手はあります」などと、お気楽な事を言っていましたが、現場の人間を、赤ん坊並みの知能しかない馬鹿だと思ってるんじゃないんですか? やってるよ、そんな事は。 その水が入って行かないんだよ。 そんなに自信たっぷりだったら、お前が行って、指揮しろよ。


「検出されている放射線量は、健康に全く影響を及ぼさない」
  だからよー、今はそうでも、今後のなりゆきによっては、健康を及ぼす量が出る可能性が高いんだよ。 どっぷり浴びてから逃げても遅いでしょ? 「慌てて避難する必要は無い」なんて無責任な事を、よく言えるな。 どの口が言うんだ。 この口か? それとも、こっちの口か? えー、おいこら、ああん?


「日本の原子力技術は、世界的に見ても高い」
  初耳ですな。 そうだったんですか? 普通か、平均以下だと思いますけど。 なぜ、平均以下だと思うかというと、過去に事故を起こしているからです。 ≪バケツ事件≫は、まだ記憶に新しいですが、あの事件を思い出すにつけ、日本人には、原子力のような、失敗が許されない、≪ビッグ・サイエンス≫は手に余ると痛感します。

  日本の技術は、科学的技術というよりは、「小さな工夫の積み重ね」であって、「失敗したら、条件を変えてやり直し、それを繰り返して、最終的にうまく行けば、それで良し」といったパターンで、ここまで来たのです。 「失敗したら、それまで」という危険性が高い分野では、目立った成果を上げていないばかりか、無残な失敗例を積み重ねています。

  原子力に限ってみても、原子力船≪むつ≫の失敗は、その代表例です。 面白いから、「日本の原子力技術は高い」という人達に、「なんで、日本には原子力船が無いんですか?」と訊いてみましょう。 鉛でも呑まされたような顔をするから。 ふふふ、作れないんだよ。 事故が怖くて。 もっとも、日本に原子力船が無い事すら知らず、不安げに視線をさまよわせながら、「いやあ、あるだろう」なんて、トンデモな答えを返して来るかもしれませんが。


  どんな結果になるにせよ、今後、原発建設の推進を主張する声は鈍るでしょうな。 感覚的に、「怖い・・・」という体験をしてしまったわけですから。 「津波対策を取ります」くらいでは、自治体も住民も説得できなくなるでしょう。

  ところで、首相や官房長官の記者会見は、不要なんじゃないでしょうか。 原発の事について発表するのなら、専門知識を持った人に限って貰いたいです。 素人では、技術的な事を質問されても、答えられんでしょうが。 答えられるのに、深刻な情況を報告したくないために答えないというのも怖いですが、元々知識が無くて答えられないのに、体裁を繕おうとして、適当な事を答えてしまっているのも、同じくらい怖いです。