イベント買い
例の、≪自転車買いたい病≫ですが、未だに治りません。 腕時計の時と全く同じパターンで、ああだこうだと、頭の中で議論百出、一向に方針が定まらないのです。 眠る前に、「よし、やっぱり、買うのはよそう」 と決心して目を閉じたのに、明け方に夢を見て、「そうだ、あれを買う事にしよう!」 と、興奮しつつ目覚めたりします。 元の木阿弥、理性の敗北、何やってんだよ、内面意識よ。 重症だ・・・。
私は、悩み過ぎると、胃に来る体質なので、長引けば長引くほど、胃が痛くなり、飯が不味いったらありゃしません。 「買い物は、買うまでが楽しい」 とはよく言いますが、それも程度によりけりでして、今の私にとって、自転車の事を考えるのは、苦楽相激突する、手に負えない厄介事になっているのです。
徹底して合理的に考えていくと、私は別に、新しい自転車など必要としていないのです。 現在、休みの日の移動手段として利用できるものは、
・ 父の車
・ 自分のオートバイ
・ 父の自転車
・ 自分の折り畳み自転車
・ 徒歩
と、すでに申し分なく揃っており、新しい自転車を買っても、どんな用途に使うか、そちらで悩んでしまうほどです。
買いたいと思っているのは、ロード・バイクかクロス・バイクなので、能力的には、自分のオートバイと、父の自転車の中間くらいに位置します。 父の自転車は、いわゆるママチャリですから、車体が重くて、スピードが出ず、遠出するにも限度があります。 また、同じく車重のせいで、山道を登るのは、拷問を通り越して、不可能事と言っても宜しい。 一方、オートバイなら、遠出もできますし、山道も問題無いのですが、オートバイというのは、うるさいですから、行った先で、ゆっくり辺りの様子を見て回るという事ができません。 観光地なり景勝地なり、もしくは、店舗なりイベント会場なり、目的地がはっきり決まっている時にしか、有効に使えないんですな。
というわけで、ママチャリとオートバイの間に、スピードが出て遠出が可能なスポーツ自転車を捻じ込もうという企みが発生するわけです。 大体の目的地域までは、全力で漕いで移動し、到着したら、低速でうろついて、物見遊山と洒落込もうという算段です。 しかし、こういう、≪ニッチ需要≫というのは、大いに怪しい。 当て込んでいると、大抵 期待外れに終わります。
そもそも私は、車歴もオートバイ歴も長いので、家を中心に、それらで行ける半径にある場所は、ほとんど行き尽くしています。 車やオートバイは、遠くばかりでなく、近くにも行けるので、空白地帯になっている部分など、もはや存在しないんですな。 現に、「スポーツ自転車を買ったら、どこへ行く?」 と自問してみても、候補が一個所も思いつきません。 まったく、歳は取りたくないし、経験は積みたくないものです。 新鮮な楽しみを得る機会が、みんな失われてしまいます。
もっとも、車やオートバイの場合、前述したように、目的地がはっきりしていないと使えないので、行った先で広範囲をうろつくのなら、自転車の方が都合が良いわけです。 しかし、そういう用途に使うのなら、すでに折り畳み自転車があるのですから、車に載せていって、車をどこかの無料駐車場に入れ、そこを拠点に折自でうろつくという事が可能なわけで、何も新しくスポーツ自転車を買う必要は無い、という事になってしまいます。 うぬぬ・・・、どうしても、私に、新しい自転車を買わせぬつもりなのか。
大体、「速い自転車に乗りたい」 と言っていても、自分で漕がなければならないのですから、決して、爽快なばかりではありません。 季節の問題もあるのであって、今は夏ですから、暑いだけで済みますが、これから寒くなって行ったら、果たして、自転車に乗って遠出しようなんて思うのかどうか。 今までの経験から見ると、冬場の外出は、自転車よりも車を選ぶ事の方が多いです。 ママチャリや折自ですら、そんなですから、遥かに速度が出て、寒風が身に突き刺さるスポーツ自転車では、尚の事、出かける気など失せるでしょう。
こう考えてくると、私が新しい自転車を買うのは、大変 非現実的で、利益よりも損失の方が多いような気がしてきます。 実際、買ってみれば、三ヶ月もせぬ内に、「うわ、使わねーなー」 という不様な事態に陥って、己の愚かさに絶句する可能性、甚だ大。
思うに、今私に新しい自転車を買わせたがっている衝動というのは、対象の物体とは無関係なのではありますまいか? たまたま、スポーツ自転車の本を読んだから、「お、これは買えるかも知れんぞ」 と飛びついただけで、本当は何でもよかったのではないかと思うのです。 それが証拠に、春に腕時計を買うか買わぬかで悪戦苦闘した時と、心理状態が全く同じです。 ちなみに、すったもんだの末、結局買った自動巻き腕時計ですが、今は何の興味も無くなり、机の隅で、ネジも巻かれず、放置状態です。 本来、冠婚葬祭用に買ったものですから、疵でもつけてはまずいと思い、普段使うに使えないというジレンマに陥っているんですな。
私は、物そのものではなく、≪イベント≫が欲しいのかもしれません。 ちょっと高い耐久消費財を買う事を、人生のイベントと捉えていて、≪晴れ≫のひと時を楽しむために、必要の有無に関係なく、何かを買おうと手薬煉引いている公算が高いです。 今回、その罠にまんまと嵌ったのが、スポーツ自転車だったというわけ。
この衝動、非常に低劣だと思うのですよ。 原始的、本能的だと思うのです。 とても、理性的な人間が深く関るような事ではないです。 街に行くたびに、アイスが食べたいだの、オモチャが欲しいだのと言って、公衆の面前で仰向けになり、「買って買って買ってーっ!」 と脚をばたつかせるクソガキと何ら選ぶところ無し。
高い物を買う事が、自分の人生を豊かにする、そういう考え方が、すでに間違っているんじゃないでしょうか。 極端な例で言うと、金持ちが、金の使い道が無くて、クルーザーやら、ヘリコプターやら、暇潰し以外に用途が無い物に、莫大な金額を投じるのと同じです。 当人は、「これで俺は満足している」 と思っているわけですが、傍から見れば、とんだアホウで、ドブに札束を投げ捨てているのと変わりません。
自分の心理を、更に突っ込んで分析すると、もっと刹那的なイベント性を求めている事が分かります。 通販で買うよりも、店で買いたいと思う欲求があるのですが、なぜ、店の方がいいかというと、対面して話す相手がいる方が、「どうだ、俺は高い物を買うんだぞ。 リッチなんだぞ。 お前の店で買ってやるんだぞ。 お客様は神様なんだぞ。 ありがたく思えよ」 と、そんな事をアピールできるからでしょう。 なんて、下品な欲望なんだ。 自分で書いていて、嫌悪感で眉間に皺が寄るのを禁じ得ません。
何の間違いも無い。 私が欲しがっているのは、自転車そのものではなく、自転車購入というイベントなのです。 そして、今までの苦い経験で、イベント目的で高い買い物をする事が、いかに虚しい結果を招くかも承知しているのです。 だから、金銭的には問題なく買えるものであっても、「買うまい、買うまい」 と抵抗する心が生まれ、「買いたい、買いたい、イベントが欲しい」 と望む心と葛藤し、頭の中で、気が変になりそうな、セルフ激論が戦わされるのです。 まったく、いい歳こいて、この様だよ。 醜いねえ・・・。
「自分でそこまで分かっているなら、自制できるんじゃないの?」 と思うでしょう。 いやいやいやいや、買いたい病をなめてはいけません。 分かっていても、買ってしまうまでは、心が落ち着かないのです。 その事も、経験上、嫌というほど身に染みています。 高い物の代わりに、安い物を買って、「とりあえず、買ったぞ」 と自分を騙す事に成功した例が一つだけありますが、今回は、それが利くかどうか。
本格的なスポーツ自転車の代わりに、自分専用の27インチ・6段変速のシティー・サイクルを買い、お茶を濁すという手も考えるには考えたのです。 それなら、17000円くらいで済みますし、重いながらも、一応、遠出も可能です。 何とか、それで、ごまかせないものか。
ロード・バイクなんか買ったって、どーせ、使えやしないんですよ。 胃が痛いなんて言ってる人間が、前傾姿勢で長距離走行なんて、できるわきゃありません。 で、遠出が駄目だから、近場で普段の足に使おうと思うと、籠も無い、スタンドも無い、ライトも無い、低速が不安定で歩道を走れない、停車のたびにサドルから下りなきゃなんない、と、無い無い尽しで、およそ実用性が低いと来たもんだ。 冷静に考えれば、一般人が買うような自転車じゃないんですな。 最低限、レースに出るくらいの覚悟がある人でなければ、ロード・バイクの性能を使いきれないでしょう。
と、ロード・バイクを扱き下ろしては、断念しようとするのですが、病気というのは恐ろしいものでして、何度 崖下に蹴落としても、繰り返し繰り返し、同じ妄念が這い上がって来ます。 非常にやばいのは、ごまかし用のシティー・サイクルを買った後で、「やっぱり、重いな・・・」 と感じてしまい、「せめて、クロス・バイクにしときゃ良かったかなあ」 とか、「素直に、最初からロード・バイクを買っておけば、無駄金使わずに済んだのに」 とか、悩みを更に増幅してしまうケースですな。
結局、この煩悩の輪廻から完全に逃れるためには、最終目標であるロード・バイクを買ってしまうしかないのでしょう。 置き場所も無く、乗る時間も無く、日常の足には全く使えないのが分かっていても・・・。
私は、悩み過ぎると、胃に来る体質なので、長引けば長引くほど、胃が痛くなり、飯が不味いったらありゃしません。 「買い物は、買うまでが楽しい」 とはよく言いますが、それも程度によりけりでして、今の私にとって、自転車の事を考えるのは、苦楽相激突する、手に負えない厄介事になっているのです。
徹底して合理的に考えていくと、私は別に、新しい自転車など必要としていないのです。 現在、休みの日の移動手段として利用できるものは、
・ 父の車
・ 自分のオートバイ
・ 父の自転車
・ 自分の折り畳み自転車
・ 徒歩
と、すでに申し分なく揃っており、新しい自転車を買っても、どんな用途に使うか、そちらで悩んでしまうほどです。
買いたいと思っているのは、ロード・バイクかクロス・バイクなので、能力的には、自分のオートバイと、父の自転車の中間くらいに位置します。 父の自転車は、いわゆるママチャリですから、車体が重くて、スピードが出ず、遠出するにも限度があります。 また、同じく車重のせいで、山道を登るのは、拷問を通り越して、不可能事と言っても宜しい。 一方、オートバイなら、遠出もできますし、山道も問題無いのですが、オートバイというのは、うるさいですから、行った先で、ゆっくり辺りの様子を見て回るという事ができません。 観光地なり景勝地なり、もしくは、店舗なりイベント会場なり、目的地がはっきり決まっている時にしか、有効に使えないんですな。
というわけで、ママチャリとオートバイの間に、スピードが出て遠出が可能なスポーツ自転車を捻じ込もうという企みが発生するわけです。 大体の目的地域までは、全力で漕いで移動し、到着したら、低速でうろついて、物見遊山と洒落込もうという算段です。 しかし、こういう、≪ニッチ需要≫というのは、大いに怪しい。 当て込んでいると、大抵 期待外れに終わります。
そもそも私は、車歴もオートバイ歴も長いので、家を中心に、それらで行ける半径にある場所は、ほとんど行き尽くしています。 車やオートバイは、遠くばかりでなく、近くにも行けるので、空白地帯になっている部分など、もはや存在しないんですな。 現に、「スポーツ自転車を買ったら、どこへ行く?」 と自問してみても、候補が一個所も思いつきません。 まったく、歳は取りたくないし、経験は積みたくないものです。 新鮮な楽しみを得る機会が、みんな失われてしまいます。
もっとも、車やオートバイの場合、前述したように、目的地がはっきりしていないと使えないので、行った先で広範囲をうろつくのなら、自転車の方が都合が良いわけです。 しかし、そういう用途に使うのなら、すでに折り畳み自転車があるのですから、車に載せていって、車をどこかの無料駐車場に入れ、そこを拠点に折自でうろつくという事が可能なわけで、何も新しくスポーツ自転車を買う必要は無い、という事になってしまいます。 うぬぬ・・・、どうしても、私に、新しい自転車を買わせぬつもりなのか。
大体、「速い自転車に乗りたい」 と言っていても、自分で漕がなければならないのですから、決して、爽快なばかりではありません。 季節の問題もあるのであって、今は夏ですから、暑いだけで済みますが、これから寒くなって行ったら、果たして、自転車に乗って遠出しようなんて思うのかどうか。 今までの経験から見ると、冬場の外出は、自転車よりも車を選ぶ事の方が多いです。 ママチャリや折自ですら、そんなですから、遥かに速度が出て、寒風が身に突き刺さるスポーツ自転車では、尚の事、出かける気など失せるでしょう。
こう考えてくると、私が新しい自転車を買うのは、大変 非現実的で、利益よりも損失の方が多いような気がしてきます。 実際、買ってみれば、三ヶ月もせぬ内に、「うわ、使わねーなー」 という不様な事態に陥って、己の愚かさに絶句する可能性、甚だ大。
思うに、今私に新しい自転車を買わせたがっている衝動というのは、対象の物体とは無関係なのではありますまいか? たまたま、スポーツ自転車の本を読んだから、「お、これは買えるかも知れんぞ」 と飛びついただけで、本当は何でもよかったのではないかと思うのです。 それが証拠に、春に腕時計を買うか買わぬかで悪戦苦闘した時と、心理状態が全く同じです。 ちなみに、すったもんだの末、結局買った自動巻き腕時計ですが、今は何の興味も無くなり、机の隅で、ネジも巻かれず、放置状態です。 本来、冠婚葬祭用に買ったものですから、疵でもつけてはまずいと思い、普段使うに使えないというジレンマに陥っているんですな。
私は、物そのものではなく、≪イベント≫が欲しいのかもしれません。 ちょっと高い耐久消費財を買う事を、人生のイベントと捉えていて、≪晴れ≫のひと時を楽しむために、必要の有無に関係なく、何かを買おうと手薬煉引いている公算が高いです。 今回、その罠にまんまと嵌ったのが、スポーツ自転車だったというわけ。
この衝動、非常に低劣だと思うのですよ。 原始的、本能的だと思うのです。 とても、理性的な人間が深く関るような事ではないです。 街に行くたびに、アイスが食べたいだの、オモチャが欲しいだのと言って、公衆の面前で仰向けになり、「買って買って買ってーっ!」 と脚をばたつかせるクソガキと何ら選ぶところ無し。
高い物を買う事が、自分の人生を豊かにする、そういう考え方が、すでに間違っているんじゃないでしょうか。 極端な例で言うと、金持ちが、金の使い道が無くて、クルーザーやら、ヘリコプターやら、暇潰し以外に用途が無い物に、莫大な金額を投じるのと同じです。 当人は、「これで俺は満足している」 と思っているわけですが、傍から見れば、とんだアホウで、ドブに札束を投げ捨てているのと変わりません。
自分の心理を、更に突っ込んで分析すると、もっと刹那的なイベント性を求めている事が分かります。 通販で買うよりも、店で買いたいと思う欲求があるのですが、なぜ、店の方がいいかというと、対面して話す相手がいる方が、「どうだ、俺は高い物を買うんだぞ。 リッチなんだぞ。 お前の店で買ってやるんだぞ。 お客様は神様なんだぞ。 ありがたく思えよ」 と、そんな事をアピールできるからでしょう。 なんて、下品な欲望なんだ。 自分で書いていて、嫌悪感で眉間に皺が寄るのを禁じ得ません。
何の間違いも無い。 私が欲しがっているのは、自転車そのものではなく、自転車購入というイベントなのです。 そして、今までの苦い経験で、イベント目的で高い買い物をする事が、いかに虚しい結果を招くかも承知しているのです。 だから、金銭的には問題なく買えるものであっても、「買うまい、買うまい」 と抵抗する心が生まれ、「買いたい、買いたい、イベントが欲しい」 と望む心と葛藤し、頭の中で、気が変になりそうな、セルフ激論が戦わされるのです。 まったく、いい歳こいて、この様だよ。 醜いねえ・・・。
「自分でそこまで分かっているなら、自制できるんじゃないの?」 と思うでしょう。 いやいやいやいや、買いたい病をなめてはいけません。 分かっていても、買ってしまうまでは、心が落ち着かないのです。 その事も、経験上、嫌というほど身に染みています。 高い物の代わりに、安い物を買って、「とりあえず、買ったぞ」 と自分を騙す事に成功した例が一つだけありますが、今回は、それが利くかどうか。
本格的なスポーツ自転車の代わりに、自分専用の27インチ・6段変速のシティー・サイクルを買い、お茶を濁すという手も考えるには考えたのです。 それなら、17000円くらいで済みますし、重いながらも、一応、遠出も可能です。 何とか、それで、ごまかせないものか。
ロード・バイクなんか買ったって、どーせ、使えやしないんですよ。 胃が痛いなんて言ってる人間が、前傾姿勢で長距離走行なんて、できるわきゃありません。 で、遠出が駄目だから、近場で普段の足に使おうと思うと、籠も無い、スタンドも無い、ライトも無い、低速が不安定で歩道を走れない、停車のたびにサドルから下りなきゃなんない、と、無い無い尽しで、およそ実用性が低いと来たもんだ。 冷静に考えれば、一般人が買うような自転車じゃないんですな。 最低限、レースに出るくらいの覚悟がある人でなければ、ロード・バイクの性能を使いきれないでしょう。
と、ロード・バイクを扱き下ろしては、断念しようとするのですが、病気というのは恐ろしいものでして、何度 崖下に蹴落としても、繰り返し繰り返し、同じ妄念が這い上がって来ます。 非常にやばいのは、ごまかし用のシティー・サイクルを買った後で、「やっぱり、重いな・・・」 と感じてしまい、「せめて、クロス・バイクにしときゃ良かったかなあ」 とか、「素直に、最初からロード・バイクを買っておけば、無駄金使わずに済んだのに」 とか、悩みを更に増幅してしまうケースですな。
結局、この煩悩の輪廻から完全に逃れるためには、最終目標であるロード・バイクを買ってしまうしかないのでしょう。 置き場所も無く、乗る時間も無く、日常の足には全く使えないのが分かっていても・・・。
<< Home