Justice L3
≪ハーバード 白熱教室≫、マイケル・サンデル教授の講義、≪Justice(正義)≫の、第三回です。
ところで、この講義、24コマあるわけですが、もしこのブログで、週に1コマずつ取り上げていくとすると、24週間かかるわけで、半年近く埋まってしまう事になりますな。 「いいのか、これで?」と、思わんでもなし。 最初は、「自分でテーマを探さなくても済むから、楽でいいわ」などと思っておったのですが、いざ始めてみると、録画を見直すのに結構時間がかかるし、分かり易く噛み砕かれているといっても、やはり、哲学関係の話は頭にかかる負担が大きいのです。 事によったら、いい加減かったるくなった所で打ち切るかもしれませんが、そうなっても悪しからず。
さて、レクチャー3は、【ある企業のあやまち】です。 ベンサムの功利主義が正しいかどうかを検討し始めるわけですが、講義の誘導の方向を見るに、サンデル教授が、功利主義を間違っていると捉えているのは明白で、功利主義的な考え方の特徴が見られる血も涙も無い事例をいくつか挙げて、「さあ、これでも、功利主義は正しいと思うか?」と、学生達に問いかけます。
槍玉に上がるのは、損失を回避するために企業が行なう、極端な、≪費用便益分析≫です。 ≪費用便益分析≫とは、ある事を行なおうとする時、かかる費用と、それによって得られる便益を天秤にかけ、やるかやらぬか決めるという判断方法で、それだけならば、一般的にも用いられています。 個人でも、何かを買う時に、この種の計算をしている人は多いと思います。 くれぐれも、≪費用便益分析≫自体が悪いわけではありません。 ここで、教授が取り上げているのは、それが、人命を軽視するほど、極端な方向へ振れてしまった場合の話です。 以下、要点だけ纏めた引用。
≪≪≪≪≪
最近、チェコ共和国で、タバコの消費税率を上げようという提案があった。 そこで、チェコで大規模な事業展開をしている、アメリカのあるタバコ会社が、チェコに於ける喫煙の費用便益分析を行なった。 その結果、「チェコ政府は、国民の喫煙によって、得をする」という事が明らかになった。 喫煙により病気になる人々への医療費の負担は増えるが、タバコ関連商品の販売による税収と、喫煙者が早死にした場合に政府が節約できる、医療費、年金、住宅費用などを足すと、便益の方が高くなる。 人々が喫煙した場合、チェコ政府の純収入は、1億4700万ドル増加する。 その内、喫煙で早死にした場合、節約できる金額は、一人当たり、1227ドルである。
≫≫≫≫
この例は、人間の命を計算に入れていないので、もう一つ別に、命に値段をつけた例が挙げられます。
≪≪≪≪≪
70年代に、アメリカの自動車会社が発売した、≪ピント≫という車があった。 小型車で、とても人気があったが、燃料タンクが後方にあり、後ろから追突されると、炎上するという問題点があった。 事故で亡くなった人もいれば、重傷を負った人もいた。 被害者達は、このメーカーを訴えた。 その訴訟の中で、メーカーが随分前から、燃料タンクの弱点を認識していた事が明らかになった。 タンクの周りに保護シートをつける事を考え、それを実行する価値があるかどうか判断するために、費用便益分析を実施していたのだ。 車の安全性を向上させるためにかかる費用を一台当たり、11ドルとすると、1250万台の車の安全を向上させるには、1億3700万ドルかかる。 一方、それを行なった時に得られる便益は、死者が180人で、一人当たりの価値を20万ドル、負傷者も180人で、一人当たり、6万7000ドル、事故を起こして炎上する車は2000台で、一台当たり、700ドル。 これらを合計すると、便益は、4950万ドルにしかならなかった。 そこで、メーカーは、車を直さなかった。
≫≫≫≫≫
前者の例では、世論の批判を受けて、タバコ会社は謝罪し、後者の例では、裁判で陪審員達が、巨額の和解金の支払いをメーカーに命じたそうです。
教授は、二つの例を挙げた上で、学生達に、この極端な費用便益分析を弁護する意見が無いか訊きます。 ところが、ここで何を聞いていやがったんだか、ある女子学生が、「このメーカーは、遺族の苦痛や喪失感を考慮していない。 それは20万ドル程度のものではない」と、弁護どころか、反対意見を口にします。 だからよー、教授の話をよく聞けよ。 弁護する意見を求めているのに、なぜ、批判意見を言うかな? ボケとんのけ?
この女子学生、教授から、「では、いくらなら妥当だと思うか?」と問われて、「数字で表せるものではない。 人の命をこの種の分析に利用すべきではない」と、保険会社の人が聞いたら、仰天するような事を、平気で言います。 ただの世間知らずか? そんな事を言い出したら、すでに何百年もの歴史がある、生命保険制度そのものが成り立たたんではないか。
この後、男子学生から、「インフレを考慮しないと」という意見が出て、会場が大ウケします。 頓珍漢な提案だと思われたんでしょう。 しかし、インフレを考慮して、金額を今の価値に換算するのは、マジな話、大変重要な事でして、その男子学生が教授から、「今なら、いくらになると思う?」と訊かれ、「200万ドル」と答えると、会場の雰囲気は、だいぶ変わります。 今のレートで、日本円にすると、2億円弱ですか。 その程度なら、大概の遺族が、少なくとも、補償金額としては、納得すると思います。 一人の人間が、一生稼いでも、普通、2億円まで達しませんからのう。
この後、別の男子学生が、命の値段を、「100万ドル」と言いますが、それでも、理不尽と感じる額ではありませんな。 問題は、こういう、現代の感覚で計れる金額が出て来ると、それまで、命の金額換算に反発していた学生達も、「そのくらいなら、妥当か・・・」と思い始めるという事です。 数字の魔力が発揮されているわけです。
教授が、極端な費用便益分析の弁護意見を更に求めると、ある男子学生が、「もし、費用便益分析をしていなかったら、どの自動車メーカーも利益を出せず、倒産してしまうだろう。 そうなれば、何百万もの人達が、車に乗れなくなり、生活に支障を来たし、より多くの幸福が犠牲になっていた」と、ようやく、それらしい弁護意見を述べます。
ここで、教授が、運転中の携帯電話に関して、「それが引き起こす事故による損失と、運転中に電話を使える事による便益を比較したら、ほぼ同じである事が分かった」と言い、それについて、同じ学生に意見を求めると、やはり、「満足には犠牲がつきものだから、仕方が無い」と答えます。 この学生は、教授から、「君は、完全な功利主義者だ」と言われ、少し照れながら、自分でもそれを認めますが、教授は功利主義を批判する立場ですから、別に誉められたわけではありません。
この後、教授が、費用便益分析も含めた功利主義の問題点を指摘するよう、学生達に求めると、ある女子学生が、「少数派が蔑ろにされている点が問題だ」と言います。 これは、かなりテーマから外れているような気がします。 命に値段をつけられるかという話をしているのであって、「なんで、ここで、少数派問題やねん?」と首を傾げてしまうのですが、教授は、「面白い意見だ」と、一応、評価します。 それは、たぶん、後々の講義で、少数派問題が大きなウエイトを占めるようになるので、ここで邪険にしないように配慮したのでしょう。
この学生、事によったら、教授の著書を読んでいたか、前年の講義内容を知っていて、先回りして教授の自説に近い意見を述べ、気を引いて、≪いい子ちゃん≫になろうとしたのかもしれません。 もし、そうだとしたら、こういうズルい学生は、いつどこにでもいるものですが、そのズルさ故に、≪正義≫を語る資格があるかどうかは、大いに疑問です。
ここで教授は、功利主義を弁護する学生に向かって、「古代ローマでは、娯楽のために、キリスト教徒をライオンと戦わせていた。 これを功利主義の理論に当てはめると、キリスト教徒の痛みや苦しみと、大勢のローマ人の集合的なエクスタシーでは、どっちが大きいだろう」と、問います。 これに対する学生の答えは、「それは昔の話で、今の為政者は、そんな事はしない」というものでした。 しかし、これでは答えになっておらず、この場合、時代は関係ありません。 教授に問い詰められて、この学生はそれ以上の答えに詰まってしまいます。
この後、教授が、一つの調査を紹介します。 「1930年代に、ソーンダイクという心理学者が、人間が関る全ての行為を一律な基準で表す事は可能だと考え、それを証明しようとした。 政府から生活保護を受けている若い人達を対象に調査を行なった。 不愉快な行為のリストを渡して、いくら貰えば、それをしてもいいかを訊いたのだ。 たとえば、
・ 上の前歯を一本抜く。
・ 片方の足の小指を切断する。
・ 15センチのミミズを生きたまま食べる。
・ カンザス州の農場で残りの人生を送る。
・ 素手で野良猫を窒息死させる。
などだった。 この中で最も高い金額が付いたのはどれだと思う?」
答えは、カンザス州の農場で、30万ドル。 二番目は、15センチのミミズで、10万ドル。 一番安かったのは、前歯だったとか。 ソーンダイクは、この調査から、「人間の行為は、すべて、一律の価値基準で表せる」という結論を出したらしいのですが、サンデル教授は、どうもこの結論に懐疑的なようで、「馬鹿げた例を挙げて調査を行なった事で、それとは正反対の事が示されたのかもしれない」と言って、講義を締めくくります。
で、以下は、私の意見ですが、
まず、タバコ会社の費用便益分析ですが、「早死にするから、国の費用は却って少なくなる」という結果には、目から鱗が落ちる思いがしました。 なるほど、そうか。 それなら、悪い話ではありませんな。 私のように、喫煙者を心から恨んでいる者にとっては、非常に小気味よい話です。 ただ、タバコの規制を一切やめて、逆に奨励するような事になれば、受動喫煙で、非喫煙者も早死にするわけで、喜んでばかりもいられません。 もし、自分に火の粉が降りかからないのであれば、文句は無いんですが。
いや、個人的な都合はさておき、一般常識で考えるなら、このタバコ会社の計算は、批判されて当然でしょうな。 基本的に、この世の中は、人命を最も尊いものとして成り立っています。 人命より尊いのは、人命だけなわけです。 それを軽んじているのは明白で、人類の普遍的価値観に対して、不適な挑戦をしていると言っても良いです。 理屈以前に、こういう考え方で商売をしている会社のタバコを、喫煙者が買わないでしょう。 費用便益分析で、チェコ政府は得をしても、この会社はイメージ・ダウンで損をするわけですな。 費用便益分析が有効だとしても、このケースでは、その効用を活かせていない事になります。
燃料タンクを直さなかった自動車メーカーも、同じです。 誰が聞いても背筋が凍るような、冷血な計算をして、それで、陪審員や原告を納得させようというのが、土台、無理なのです。 結果的には、和解金の支払命令や、企業イメージのダウンにより、莫大な損失を出すのであって、これでは、ちっとも、得になっていません。 費用便益分析に問題があるというより、考慮に入れるべき範囲が狭すぎて、近視眼的な結論を出してしまっているだけなんじゃないでしょうか。 もし、裁判や企業イメージの事まで含めて、費用便益分析をしていたら、違う結果になっていたろうと思います。
ローマ人が、キリスト教徒をライオンと戦わせていた話ですが、人命が失われる恐れが極めて高い場合、上に述べたように、人命の尊重は人類の普遍的価値観ですから、それに比較できる価値は人命以外に存在しないという事になり、ローマ人達の集合的なエクスタシーなど、端から天秤にかけられません。 なんで、ズバッと、そう答えてやらんのかのう? 簡単な答えだと思いますが。
ソーンダイクの調査も面白いですな。 ≪カンザス州の農場≫がトップというのは、若者だから、そういう結果になったのでしょう。 私だったら、挙げられている例の内、唯一受け入れてもいいのは、そのカンザスです。 それ以外は、金の事など一切気にしなくて良い左団扇の生活と引き換えでも、御免被ります。 自分の体を傷つけるのは、問題外。 猫を殺すなど、以ての外。 ミミズはそれほど良心が痛みませんが、自分の健康の方が心配です。 カンザスの農場は、行った事も見た事も無いから、どんな所か分かりませんが、体力相応の仕事を割り振ってくれるのであれば、別に文句はありません。
そういえば、最も嫌がられたのが、カンザスの農場であると教授が言った時、学生達が大爆笑しましたが、講堂の中には、カンザス出身の学生もいたと思われ、彼らの気持ちを考えると、この講義自体が、≪正義≫を語るに値しないような気がせんでもないです。 なぜ、笑う? カンザス州を田舎視しているからに決まってますが、カンザス州側にしてみれば、笑われる筋合いは微塵もありますまい。 サンデル教授、一緒になって笑ってましたが、一体、どういうつもりなのか? このネット時代、マサチューセッツにいようが、カンザスにいようが、知的活動に差が出るとは思えませんから、いっそ、ハーバード大学ごと、カンザス州に引っ越したらいかが?
サンデル教授は、何とかして、功利主義の欠点を学生に印象づけようとしているようですが、私としては、功利主義そのものが間違っているのか、効用を判定する範囲の設定が間違っているだけなのか、今のところ判断しかねています。 もし、使い方を間違えているのだとしたら、ベンサムが草葉の陰で黙っちゃいますまいて。
ところで、この講義、24コマあるわけですが、もしこのブログで、週に1コマずつ取り上げていくとすると、24週間かかるわけで、半年近く埋まってしまう事になりますな。 「いいのか、これで?」と、思わんでもなし。 最初は、「自分でテーマを探さなくても済むから、楽でいいわ」などと思っておったのですが、いざ始めてみると、録画を見直すのに結構時間がかかるし、分かり易く噛み砕かれているといっても、やはり、哲学関係の話は頭にかかる負担が大きいのです。 事によったら、いい加減かったるくなった所で打ち切るかもしれませんが、そうなっても悪しからず。
さて、レクチャー3は、【ある企業のあやまち】です。 ベンサムの功利主義が正しいかどうかを検討し始めるわけですが、講義の誘導の方向を見るに、サンデル教授が、功利主義を間違っていると捉えているのは明白で、功利主義的な考え方の特徴が見られる血も涙も無い事例をいくつか挙げて、「さあ、これでも、功利主義は正しいと思うか?」と、学生達に問いかけます。
槍玉に上がるのは、損失を回避するために企業が行なう、極端な、≪費用便益分析≫です。 ≪費用便益分析≫とは、ある事を行なおうとする時、かかる費用と、それによって得られる便益を天秤にかけ、やるかやらぬか決めるという判断方法で、それだけならば、一般的にも用いられています。 個人でも、何かを買う時に、この種の計算をしている人は多いと思います。 くれぐれも、≪費用便益分析≫自体が悪いわけではありません。 ここで、教授が取り上げているのは、それが、人命を軽視するほど、極端な方向へ振れてしまった場合の話です。 以下、要点だけ纏めた引用。
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最近、チェコ共和国で、タバコの消費税率を上げようという提案があった。 そこで、チェコで大規模な事業展開をしている、アメリカのあるタバコ会社が、チェコに於ける喫煙の費用便益分析を行なった。 その結果、「チェコ政府は、国民の喫煙によって、得をする」という事が明らかになった。 喫煙により病気になる人々への医療費の負担は増えるが、タバコ関連商品の販売による税収と、喫煙者が早死にした場合に政府が節約できる、医療費、年金、住宅費用などを足すと、便益の方が高くなる。 人々が喫煙した場合、チェコ政府の純収入は、1億4700万ドル増加する。 その内、喫煙で早死にした場合、節約できる金額は、一人当たり、1227ドルである。
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この例は、人間の命を計算に入れていないので、もう一つ別に、命に値段をつけた例が挙げられます。
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70年代に、アメリカの自動車会社が発売した、≪ピント≫という車があった。 小型車で、とても人気があったが、燃料タンクが後方にあり、後ろから追突されると、炎上するという問題点があった。 事故で亡くなった人もいれば、重傷を負った人もいた。 被害者達は、このメーカーを訴えた。 その訴訟の中で、メーカーが随分前から、燃料タンクの弱点を認識していた事が明らかになった。 タンクの周りに保護シートをつける事を考え、それを実行する価値があるかどうか判断するために、費用便益分析を実施していたのだ。 車の安全性を向上させるためにかかる費用を一台当たり、11ドルとすると、1250万台の車の安全を向上させるには、1億3700万ドルかかる。 一方、それを行なった時に得られる便益は、死者が180人で、一人当たりの価値を20万ドル、負傷者も180人で、一人当たり、6万7000ドル、事故を起こして炎上する車は2000台で、一台当たり、700ドル。 これらを合計すると、便益は、4950万ドルにしかならなかった。 そこで、メーカーは、車を直さなかった。
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前者の例では、世論の批判を受けて、タバコ会社は謝罪し、後者の例では、裁判で陪審員達が、巨額の和解金の支払いをメーカーに命じたそうです。
教授は、二つの例を挙げた上で、学生達に、この極端な費用便益分析を弁護する意見が無いか訊きます。 ところが、ここで何を聞いていやがったんだか、ある女子学生が、「このメーカーは、遺族の苦痛や喪失感を考慮していない。 それは20万ドル程度のものではない」と、弁護どころか、反対意見を口にします。 だからよー、教授の話をよく聞けよ。 弁護する意見を求めているのに、なぜ、批判意見を言うかな? ボケとんのけ?
この女子学生、教授から、「では、いくらなら妥当だと思うか?」と問われて、「数字で表せるものではない。 人の命をこの種の分析に利用すべきではない」と、保険会社の人が聞いたら、仰天するような事を、平気で言います。 ただの世間知らずか? そんな事を言い出したら、すでに何百年もの歴史がある、生命保険制度そのものが成り立たたんではないか。
この後、男子学生から、「インフレを考慮しないと」という意見が出て、会場が大ウケします。 頓珍漢な提案だと思われたんでしょう。 しかし、インフレを考慮して、金額を今の価値に換算するのは、マジな話、大変重要な事でして、その男子学生が教授から、「今なら、いくらになると思う?」と訊かれ、「200万ドル」と答えると、会場の雰囲気は、だいぶ変わります。 今のレートで、日本円にすると、2億円弱ですか。 その程度なら、大概の遺族が、少なくとも、補償金額としては、納得すると思います。 一人の人間が、一生稼いでも、普通、2億円まで達しませんからのう。
この後、別の男子学生が、命の値段を、「100万ドル」と言いますが、それでも、理不尽と感じる額ではありませんな。 問題は、こういう、現代の感覚で計れる金額が出て来ると、それまで、命の金額換算に反発していた学生達も、「そのくらいなら、妥当か・・・」と思い始めるという事です。 数字の魔力が発揮されているわけです。
教授が、極端な費用便益分析の弁護意見を更に求めると、ある男子学生が、「もし、費用便益分析をしていなかったら、どの自動車メーカーも利益を出せず、倒産してしまうだろう。 そうなれば、何百万もの人達が、車に乗れなくなり、生活に支障を来たし、より多くの幸福が犠牲になっていた」と、ようやく、それらしい弁護意見を述べます。
ここで、教授が、運転中の携帯電話に関して、「それが引き起こす事故による損失と、運転中に電話を使える事による便益を比較したら、ほぼ同じである事が分かった」と言い、それについて、同じ学生に意見を求めると、やはり、「満足には犠牲がつきものだから、仕方が無い」と答えます。 この学生は、教授から、「君は、完全な功利主義者だ」と言われ、少し照れながら、自分でもそれを認めますが、教授は功利主義を批判する立場ですから、別に誉められたわけではありません。
この後、教授が、費用便益分析も含めた功利主義の問題点を指摘するよう、学生達に求めると、ある女子学生が、「少数派が蔑ろにされている点が問題だ」と言います。 これは、かなりテーマから外れているような気がします。 命に値段をつけられるかという話をしているのであって、「なんで、ここで、少数派問題やねん?」と首を傾げてしまうのですが、教授は、「面白い意見だ」と、一応、評価します。 それは、たぶん、後々の講義で、少数派問題が大きなウエイトを占めるようになるので、ここで邪険にしないように配慮したのでしょう。
この学生、事によったら、教授の著書を読んでいたか、前年の講義内容を知っていて、先回りして教授の自説に近い意見を述べ、気を引いて、≪いい子ちゃん≫になろうとしたのかもしれません。 もし、そうだとしたら、こういうズルい学生は、いつどこにでもいるものですが、そのズルさ故に、≪正義≫を語る資格があるかどうかは、大いに疑問です。
ここで教授は、功利主義を弁護する学生に向かって、「古代ローマでは、娯楽のために、キリスト教徒をライオンと戦わせていた。 これを功利主義の理論に当てはめると、キリスト教徒の痛みや苦しみと、大勢のローマ人の集合的なエクスタシーでは、どっちが大きいだろう」と、問います。 これに対する学生の答えは、「それは昔の話で、今の為政者は、そんな事はしない」というものでした。 しかし、これでは答えになっておらず、この場合、時代は関係ありません。 教授に問い詰められて、この学生はそれ以上の答えに詰まってしまいます。
この後、教授が、一つの調査を紹介します。 「1930年代に、ソーンダイクという心理学者が、人間が関る全ての行為を一律な基準で表す事は可能だと考え、それを証明しようとした。 政府から生活保護を受けている若い人達を対象に調査を行なった。 不愉快な行為のリストを渡して、いくら貰えば、それをしてもいいかを訊いたのだ。 たとえば、
・ 上の前歯を一本抜く。
・ 片方の足の小指を切断する。
・ 15センチのミミズを生きたまま食べる。
・ カンザス州の農場で残りの人生を送る。
・ 素手で野良猫を窒息死させる。
などだった。 この中で最も高い金額が付いたのはどれだと思う?」
答えは、カンザス州の農場で、30万ドル。 二番目は、15センチのミミズで、10万ドル。 一番安かったのは、前歯だったとか。 ソーンダイクは、この調査から、「人間の行為は、すべて、一律の価値基準で表せる」という結論を出したらしいのですが、サンデル教授は、どうもこの結論に懐疑的なようで、「馬鹿げた例を挙げて調査を行なった事で、それとは正反対の事が示されたのかもしれない」と言って、講義を締めくくります。
で、以下は、私の意見ですが、
まず、タバコ会社の費用便益分析ですが、「早死にするから、国の費用は却って少なくなる」という結果には、目から鱗が落ちる思いがしました。 なるほど、そうか。 それなら、悪い話ではありませんな。 私のように、喫煙者を心から恨んでいる者にとっては、非常に小気味よい話です。 ただ、タバコの規制を一切やめて、逆に奨励するような事になれば、受動喫煙で、非喫煙者も早死にするわけで、喜んでばかりもいられません。 もし、自分に火の粉が降りかからないのであれば、文句は無いんですが。
いや、個人的な都合はさておき、一般常識で考えるなら、このタバコ会社の計算は、批判されて当然でしょうな。 基本的に、この世の中は、人命を最も尊いものとして成り立っています。 人命より尊いのは、人命だけなわけです。 それを軽んじているのは明白で、人類の普遍的価値観に対して、不適な挑戦をしていると言っても良いです。 理屈以前に、こういう考え方で商売をしている会社のタバコを、喫煙者が買わないでしょう。 費用便益分析で、チェコ政府は得をしても、この会社はイメージ・ダウンで損をするわけですな。 費用便益分析が有効だとしても、このケースでは、その効用を活かせていない事になります。
燃料タンクを直さなかった自動車メーカーも、同じです。 誰が聞いても背筋が凍るような、冷血な計算をして、それで、陪審員や原告を納得させようというのが、土台、無理なのです。 結果的には、和解金の支払命令や、企業イメージのダウンにより、莫大な損失を出すのであって、これでは、ちっとも、得になっていません。 費用便益分析に問題があるというより、考慮に入れるべき範囲が狭すぎて、近視眼的な結論を出してしまっているだけなんじゃないでしょうか。 もし、裁判や企業イメージの事まで含めて、費用便益分析をしていたら、違う結果になっていたろうと思います。
ローマ人が、キリスト教徒をライオンと戦わせていた話ですが、人命が失われる恐れが極めて高い場合、上に述べたように、人命の尊重は人類の普遍的価値観ですから、それに比較できる価値は人命以外に存在しないという事になり、ローマ人達の集合的なエクスタシーなど、端から天秤にかけられません。 なんで、ズバッと、そう答えてやらんのかのう? 簡単な答えだと思いますが。
ソーンダイクの調査も面白いですな。 ≪カンザス州の農場≫がトップというのは、若者だから、そういう結果になったのでしょう。 私だったら、挙げられている例の内、唯一受け入れてもいいのは、そのカンザスです。 それ以外は、金の事など一切気にしなくて良い左団扇の生活と引き換えでも、御免被ります。 自分の体を傷つけるのは、問題外。 猫を殺すなど、以ての外。 ミミズはそれほど良心が痛みませんが、自分の健康の方が心配です。 カンザスの農場は、行った事も見た事も無いから、どんな所か分かりませんが、体力相応の仕事を割り振ってくれるのであれば、別に文句はありません。
そういえば、最も嫌がられたのが、カンザスの農場であると教授が言った時、学生達が大爆笑しましたが、講堂の中には、カンザス出身の学生もいたと思われ、彼らの気持ちを考えると、この講義自体が、≪正義≫を語るに値しないような気がせんでもないです。 なぜ、笑う? カンザス州を田舎視しているからに決まってますが、カンザス州側にしてみれば、笑われる筋合いは微塵もありますまい。 サンデル教授、一緒になって笑ってましたが、一体、どういうつもりなのか? このネット時代、マサチューセッツにいようが、カンザスにいようが、知的活動に差が出るとは思えませんから、いっそ、ハーバード大学ごと、カンザス州に引っ越したらいかが?
サンデル教授は、何とかして、功利主義の欠点を学生に印象づけようとしているようですが、私としては、功利主義そのものが間違っているのか、効用を判定する範囲の設定が間違っているだけなのか、今のところ判断しかねています。 もし、使い方を間違えているのだとしたら、ベンサムが草葉の陰で黙っちゃいますまいて。
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