2014/07/13

ストーカー・サイド

  先日、NHKスペシャルで、≪ストーカー 殺意の深層≫という番組を見ました。 最近のNスペは、例の問題会長の影響なのか、とんと面白くなくなり、ほとんど見なくなっていたのですが、以前、このブログで、≪武士道ストーカー≫という文章を書いた事があり、ストーカー問題には、幾分、興味があったので、敢えて、見てみたという次第。

  番組の趣旨は、今まで、被害者の保護にばかり向いていたストーカー問題の対処に、加害者の心理を知って、根本的対策を立てようという考え方が出て来た事を、主に、NPOの活動を取材する事で紹介するものでした。 番組の予告編を見て、「おお、これは、新しいステージに入ったではないか」と思ったのですが、番組が始まるなりいきなり、NPOの男性が、男性ストーカーに向かって、電話でブチ切れている様子が映し出され、唖然としました。 会話内容を、引用しますと、

「あいつを殺して、俺も死ぬ」
「バカな事を言うな! なんで、急に、彼女を殺して、君も死ぬんや!」
「あいつがどこにおるのか、教えてくれへんやろ、おまえ」
「知って、どないすんねん!」
「あの子に、ダメージを与える」
「バカな事言うとんな。 もう、やめてくれ!」

  いやあ、ビックリしたなあ、もう。 このやりとりは、何よ? ストーカーによる犯罪を止めようとしているのか、それとも、もっと怒らせて、背中を押そうとしているのか・・・。 「バカな事を言うな」が、二回も出て来ましたが、このNPOの男性が、電話の相手の事を、馬鹿だと思っているのは明らかで、直截、馬鹿呼ばわりすると、いろいろ厄介な問題になりそうなので、言い方を換えて、「バカな事を言うな」と表現している事も、まず間違いないところ。 前にも、何かの文章で書きましたけど、怒っている相手を馬鹿呼ばわりして、相手の怒りが収まると思っているのだとしたら、馬鹿なのは、自分の方です。

  それ以前の問題として、このNPOの男性、相手を説得すべき立場にありながら、自分の方が冷静さを失ってしまっており、ミイラ捕りがミイラとは、正にこの事。 いや、ストーカー男性の方が、遥かに落ち着いている。 すぐ目の前に、カメラがいて、テレビの取材が入っていると分かっているのに、こういう言い方をしているという事は、普段から、ストーカーに対して、こういう態度で臨んでいて、それに問題があると思っていないのでしょう。 これは、怖いわ。 実際に、犯罪を起こすのは、ストーカーですが、それを後押ししている人間が、こんな所にいたとは、これが、驚かずにいられましょうか。

  ただし、この場面は、番組の枕に過ぎず、本体部分は、NPO代表の女性が、ストーカー事件加害者のカウンセリングをする様子を、密着取材したものです。 しかし、そちらも、なかなか・・・。 NPO代表の女性が、加害者達を、自宅のマンションに呼んだり、別の場所で会ったりして、話を聞き、加害者心理を探ろうするわけですが、その応対が、なんとも、危なっかしいのです。

  もともと、このNPOは、ストーカー被害者の相談に乗る事を目的に作られた組織だと思われるのですが、そのせいで、加害者側に対して、どういう姿勢でカウンセリングをしていいのか、自分達でも分かっていないように見受けられます。 加害者達は、「自分の言い分を聞いてくれるらしい」と期待して、やって来ているのですが、NPO代表の女性は、そういうつもりではないようで、加害者が自分の思いを語っている最中に、

「あなたが送ったメールとかが、相当彼女を怖がらせた事は、ちゃんと分かってるの?」

  とか、

「でも、法律違反を犯したって事は、理解してる?」

  といった、相手が目の前で語っている説明を、全否定してしまうような合いの手を差し挟んでいて、他人事ながら、ぞーっとします。 そんなツッコミを入れたら、相手は、「ああ、この人、こっちの言う事を全然、理解してないな。 ただ、説教したいだけなんだな」と受け取るだけなんじゃないですか? どうして、相手側の言い分を、一通り全部、聞いてやらないの? それに対する意見や説得は、後でもいいでしょうに。


  加害者の言い分だけを聞いていると、彼らが、被害者に対して怒っている理由が、非常によく分かります。 「電話をするなと言う前に、別れる理由を説明する方が先じゃないかと思う」と訴える、女性ストーカーの意見は、実にもっともです。 第三者にできる事があるとしたら、この女性に説教を垂れる事ではなく、まず、三者面談して、相手の男に、別れる理由を説明させる事ではないでしょうか。 ところが、そういう事は、やらんのですな。 どうも、「異常性格者の身勝手な言い訳に過ぎないから、まともに取り合ってはいけない」と思っているような節がある。

  もう一人、こちらは、男性の加害者ですが、高校時代に知り合った女性から、卒業後、悩み事を相談するメールが来て、頼られていると思うようになり、こちらから会いたいと言ったら、拒絶された。 その後、相手の親が出て来たり、警察から警告文が届いたりして、すっかり、ストーカーにされてしまったという経緯。 うーん・・・、そりゃ、怒るだろうよ。 その相手の女性ですが、一体、どういうつもりで、メールなんか送って来たんでしょう? 互いに恋愛適齢期にある異性に、相談を持ちかけるという行為の意味が、全く分かっていないんじゃないの?

  もっとも、人間関係のこじれに関する、当事者の証言には、常に、手前味噌に流れる傾向があるため、実際にどんなやり取りが交わされたのかは、他人には、非常に分かり難いです。 とりわけ、恋愛関係となると、嘘が入り込む余地が、大幅に広がります。 痴話喧嘩を警察が相手にしないのも、どちらの言っている事が正しいのか、判別できないのが、大きな理由の一つ。 ストーカー事件は、その大半が、痴話喧嘩の増幅・凶悪化版なので、問題の原因がどちらにあるか、被害者の意見も、加害者の意見も、信用できないという事になります。

  この種のNPOの姿勢に問題があるとしたら、本来、どちらの言っている事も信ずるに足りないのに、被害者側の報告は、全て真実として受け入れる一方で、加害者側の言い分は、「異常性格者の身勝手な言い訳」と切り捨ててしまう点にあると思います。 腹の底では、そう思っていながら、表面的に、「力になってやりたい」といった態度で、加害者と接触するのは、危険極まりないです。 ストーカー加害者は、ごく一部を除いて、人一倍、繊細な神経と、高い自尊心を持っている人が多いようなので、「嘘でおびき出されて、利用された」と思えば、怒りの矛先が、NPO関係者に向かって来る可能性は充分にあります。

  それにつけても、まずい風潮だと思うのは、ストーカー事件の代表例と見做されている、≪桶川ストーカー事件≫の犯人像が、日本社会全体に、未だに、大きな誤解を与え続けている事ですな。 ストーカーというと、「他人に殺人を依頼したり、それが発覚すると、逃亡して、自殺したりする、根性無しの卑怯者」というイメージが、いつまで経っても抜けません。 しかし、依頼殺人が絡んでいる点一つとっても、≪桶川ストーカー事件≫が、特殊なケースであって、典型的な事例にならない事は明白です。 「ストーカー = 卑怯者」としてしまったら、≪逗子ストーカー事件≫のように、相手を殺して、その直後、自分も自殺したような加害者の心理を、どう分析していいか、分からなくなってしまうではありませんか。

  ちなみに、この番組に出て来た、NPO代表の女性は、≪逗子ストーカー事件≫で、被害者の相談に乗っていた人だそうですが、その時点では、まだ、加害者のカウンセリングは始めていなかったようで、殺意を見抜けなかったのを後悔しているとの事。 しかし・・・、加害者に対する見方が、「ストーカー = 卑怯者」の図式に囚われている限り、当時、加害者カウンセリングをしていたとしても、武士道型の意識を持ったストーカーを止める事など、とてもできなかったでしょう。 結局、異常性格者としてしか見ていない事を見抜かれ、「侮辱された」と思われて、自分まで殺されていた可能性もあります。 まあ、最初から、相手を異常性格者扱いしているというのは、充分に侮辱している事になりますから、別に、誤解が介在したわけではないわけですが・・・。

  ただし、≪桶川ストーカー事件≫とは、全く逆の意味で、≪逗子ストーカー事件≫も、特殊な事例でして、普通、加害者は、被害者を殺しても、直後に自殺したりしません。 言い方を変えれば、自殺を覚悟した上で、殺人をしたりはしないのです。 自分は悪くないと思っているから、死ぬ理由が無い。 ≪逗子ストーカー事件≫の加害者は、自分の行為が法律に反する事を重々承知した上で、法に裁かれない決着方法を選んだという点で、特殊なのです。 他の加害者は、自殺を前提に犯行に及ばないから、世間から、「卑怯者だ」と思われるわけですが、自然な感情としては、自分が悪くないと思っていれば、自殺なんか考えもしない方が、普通でしょう。

  告白して、ふられたとか、恋愛関係にあると思っていた相手から一方的に、交際を打ち切られたとか、そういう経験がある人は、石を投げれば当たるほど、世の中にうじゃうじゃいると思いますが、そういう恋愛傷心者と、ストーカー事件加害者との違いは、どこにあるのか? なぜ、恋愛傷心者が、全員、ストーカーにならないのか? 答えは、割と簡単に思いつきます。 一般的な恋愛傷心者にとっては、恋愛よりも、法律の方が重要なのです。 「殺してやりたい!」と思っても、殺せば、殺人犯として、刑罰を受ける事になりますから、思い留まる。 恋愛のために、犯罪を行うなど、割に合わないと考えている。

  ところが、ストーカー事件加害者は、そうは考えません。 「恋愛は、法律の管轄外」だと思っている。 たとえ、別れ話が出る局面に至ったとしても、それに伴ういざこざは、あくまで、恋愛シーンの一部に過ぎず、相手の親とか、相手の友人といった、当事者以外の人間が口を出すのは、お門違いだと思っている。 「なぜ、恋愛という、超がつくほど、個人的な事柄に、他人がズカズカ、土足で踏み込んで来るのか!」と、激怒しないではいられない。 一対一の個人間の問題を、他人に漏らしたというだけでも、相手から、人格を否定されたと考えるでしょう。

  ましてや、ストーカー扱いされ、見も知らぬNPOの人間から電話がかかって来たり、犯罪者予備軍扱いされ、警察から、警告文が送られて来たり、警察署に出頭を強要されたり、しまいには、逮捕されたりした日には、これ以上の侮辱はない。 もはや、関係者全員から、自分は、まともな人間ではなく、おぞましい性格異常者にされてしまっているのです。 人格否定、ここに極まれり。 事の原因を作った、恋愛の相手を憎悪し、殺意を抱いたとしても、ちっとも不思議ではありません。

  単に、頭の中で考えるだけなら、自分を侮辱し、人格を否定した、元恋愛相手に対し、殺意を抱いた人は、いくらでもいると思います。 しかし、ただの恋愛傷心者は、法律の方を、恋愛より優先しているので、実際に殺人行為に及ぶ事はありません。 そんな事で、人生を棒に振ってたまるものか。 言うまでもなく、殺意があるのと、実際に殺すのとでは、全く違います。 悪魔のような心を持ち、生涯に出会った相手全員に対して殺意を抱いたものの、一人も殺さなかった人は、ただの人ですが、天使のような心を持ち、生涯に出会った相手全員から好感をもたれたものの、物の弾みであっても、一人でも殺してしまった人は、れっきとした殺人犯であって、法律上は、社会にとって有害な人物という事になります。

「法治社会で生きているのだから、法律が優先するのは当然で、考えるまでもないじゃないか」

  と、思う人は、まず、ストーカーにはならないでしょう。 しかし、あなた方とは、違う価値観を持った人もいるのです。 納得の行かない経緯で、ふられた恥を雪ぐためなら、相手を殺すのをためらわないという人達が、確実に存在している。

「ストーカーになる事の方が、大きな恥ではないか」

  と、思う人は、まず、ストーカーにはならないでしょう。 しかし、あなた方とは、違う価値観を持った人もいるのです。 他人の目よりも、自尊心の方を大事に思っている人達が、確実に存在している。 こういう人達は、自分の精神世界を破壊した相手を、決して、許す事ができないのです。 彼らにしてみれば、異常性格者扱い、犯罪者扱いされるという事は、生きる資格を奪われたに等しいわけであって、バランスを取るためには、相手に同じ思いをさせるか、殺すか、そのどちらかしか、考えられません。

  悪く言えば、世界が狭いわけですが、よく言えば、大変、繊細な心を持った人達だと言えます。 もし、私だったら、どうでしょうねえ。 恋愛に失敗して、相手から拒絶されたら、確かに傷つきますが、さほど、強い自尊心も無いですし、起こった事自体を、災難と捉えるので、「自分に災厄を齎した、こんな相手には、二度と近付かないようにしよう」と思い、ストーカーとは、真逆の方向に進むだけです。 自分に敵意を持っている人間には、近づかないのが一番ですな。 それが、つい数分前まで、心から愛していた相手であってもです。

  しかし、私が、ストーカーになる恐れがない性格であったとしても、私は、自分がまともで、ストーカーになるタイプがおかしいとは言えません。 その行為が、法律に触れるか触れないかという点を除けば、単なる、性格上の違いに過ぎないからです。 私のようなタイプも、他人から見れば、随分とおかしい方ではないでしょうか。


  話を、番組に戻しますが、三人目のストーカー事件加害者が、また、この問題の複雑さを再認識させてくれます。 すでに、40代後半の男性で、過去に三人の女性に対して、ストーカー行為をしたとの事。 この人の場合、恋愛関係にあって、その破綻がきっかけになったのではなく、自分の方から告白して、拒絶されたのが、ストーカーになった原因だとの事。

  もし、この番組を見た人達にアンケートをとって、登場した三人の加害者の内、誰が一番、悪質・重傷に見えたかを訊いたら、たぶん、この三人目の男性が、トップになると思います。 カウンセリングをしているNPO代表の女性に、メールの返事が来ないといって、一日100通も、罵詈雑言を含む催促メールを送ったという一事を見ても、「なるほど、これは、ストーカーならではだ」と、誰もが震え上がった事でしょう。

  だけどねえ・・・、私ねえ、私自身が、生涯独身決定者だから、この人の行為の、根本を為している衝動が、よく分かるんですよ。 これは、あくまで推測ですが、この人も、結婚相手が見つからないんだと思うんですわ。 外見、性格、資力、何が原因なのかまでは分かりませんが、とにかく、結婚相手が見つからない。 だから、断られても、諦めきれない。 ・・・切実だ。 切実としか、言いようがありません。 この人に限っては、ストーカー問題というより、結婚制度問題が、根源に横たわっていると考えるべきでしょう。

  恋愛結婚が、ほぼ唯一の、結婚方法になってしまった今、恋愛ができないせいで、結婚したくても、結婚できない人達というのが、洒落にならない割合で出て来ました。 私のように、諦めてしまった人間も多いと思いますが、これまた、私が諦めたからと言って、他の人にも諦めろとは言えません。 50歳近くになれば、子孫を残せないというのが、どれだけ、つらい事か、骨身に沁みて分かるから、この人達が、どうにもしようがない苦しみの中で、醜くもがくのが、痛い程よく分かるのです。 子孫がいない場合、自分が死ねば、もう、何もかも終わりです。 この絶望感に、誰が耐えられますかね? 

  こういう本能の衝動に突き動かされている人達が、焦りに焦るのは、無理も無いのであって、ストーカー行為が法律に違反しているかいないかなど、二の次三の次になってしまうのは、無理からぬ事。 相手を確保できなければ、自分の人生に意味がなくなってしまうのですよ。 もはや、生きるか死ぬかの選択と、大差ありません。 そういう瀬戸際に立っている人達に向かって、強いて説得を試みるなら・・・、

「だけどねえ、あなた。 ストーカーになって、相手の人が受け入れてくれたという例は、皆無ですよ。 結局、目的は達成できないんだから、犯罪者にされてしまうだけ、損ではありませんか」

  とでも言いましょうか。 だけど、ストーカーになるタイプの人は、損得では、ものを考えないんだよなあ。 結婚相手が見つからないという切実な事情と、強い自尊心がカップリングしていると、こんな説得でも、効果が期待できないかも知れませんねえ。 また、説得に当たる人の資格も難しい。 結婚して子供がいる者がやったら、説得力を持たないでしょうし、結婚を諦めていない人は、結婚を諦めてしまった者を、「負け犬」と見做して、軽蔑していますから、私のような人間にも、説得する資格はないわけだ。

  たぶん、こういうタイプの人は、親の世代が口にしていた、「一押し、二押し、三に押し」という、恋愛の極意が念頭にあると思うのですよ。 しかし、この極意、今となっては、完全に、死んだ概念です。 これはもう、ストーカーの発想そのものなのです。 全く、通用しません。 社会全体で、事あるごとに、この概念の無効を、啓発し続ける必要すら感じます。 この極意に従ったが最後、百害あって一利無し。 行き着く先は、身の破滅です。 割と有名な処世訓でありながら、ほんの数十年で、180度、考え方が変わった例も珍しい。 天動説と地動説くらいの違いがある。

  逆に考えると、「一押し、二押し、三に押し」が有効だった昔は、ストーカーがうじゃうじゃいた事になります。 娘のかどわかしとか、押しかけ女房とか。 でも、その頃は、親決め婚が普通で、結局、誰かと結婚しなければならなかったから、そんな無茶でも、許されていたんですな。 恋愛結婚の方が稀少だったので、好きでもない相手と結婚する事が、理不尽だと思われていなかったのです。 ストーカーという言葉も、概念も無いのは、当然の事。

  ところが、今のように、恋愛結婚オンリーの時代に於いては、相手を選ぶ際には、外見が優先しますから、異性から恋愛の対象とされるような人は、他の人にもモテるのであって、選択の幅がある。 そうなると、いくら押しが強くても、好きでもない相手とつきあってくれるなどという事はありません。 逆に、「しつこい奴」、「ストーカー的な性格」と見做されて、最初から、はねつけられます。 一押し二押しどころか、二分の一押しでも許さない。 昔とは、事情が、まるっきり、違うのです。


  番組は、この三人目の男性が、NPO代表女性のカウンセリングを受け続ける事で、落ち着きを取り戻し、自分を客観視できるようになったという方向で、纏められています。 しかし、私の目には、この男性の抱える問題が、一つでも解決したようには見えないのです。 NPO代表女性は、この男性に、子供の頃に受けた心的外傷があると考え、それを告白させる事で、カウンセリングを施したと思っているようですが、この種の残酷且つ理不尽な経験から来るトラウマは、誰にでもあるのであって、もし、トラウマが、ストーカー化の主原因だというのなら、この世は、ストーカーだらけになっているでしょう。

  男性が落ち着いた理由は、トラウマが解きほぐされたからではなく、この男性が、NPO代表女性を心理的依存対象に位置づける事で、ストーキング行為の代用にする事に成功したからではないでしょうか。 依存対象になってしまった以上、男性が他界するまで、カウンセリングを続けなければならない可能性が高いですが、NPO代表女性は、それが分かっているのかどうか・・・。 精神科医が、患者に依存されて、逆にノイローゼになる事は、よくある話ですが、同じような雰囲気が濃厚に漂っています。

「依存対象にされようが、もっと厄介な目に遭おうが、ストーカーによる被害を抑えられるなら、それで良い」

  とまで、覚悟しているのなら、それ以上、何も言う事はありませんが、そもそも、そんな悲壮な状態を望んで、NPOを立ち上げたわけではないのでは? 「加害者を罰する事で、被害者を守る」という発想から、「被害者を守るためには、加害者の心理を知らなければならない」という方向へ進んだのは、正しい道だと思いますが、そこから、一気に、「加害者の抱える問題を解決する事で、被害者を守る」へ飛ぶのは、無理があります。 もともとが、「被害者の相談に乗る」事を目的にした組織なのですから、「加害者の抱える問題を解決する」方面では、ノウハウの蓄積が全くありますまい。

  QC的に言うなら、まだ「現状調査」の段階にあるのであって、「要因解析」にすら踏み込んでおらず、そんな状態で、「対策」なんぞ、出て来るわけがない。 殺人を考えるほど重症化したストーカー加害者達を、カウンセリング程度の事で治せるとは、とても思えません。 もし、加害者の心の問題を解決するというのなら、精神科医による、本格的な治療が必要でしょう。 そういや、番組に出てきた、オーストラリアの専門家も、似たような事を言ってました。 「片手間で、できる事ではない」と。 「被害者を守る」事を目的に作られたNPOが、「加害者の抱える問題の解決」に関わるのは、片手間以外の何物でもないとは、思いませんか?

  今のままで、片手間の関与を続けた場合、データ収集に利用されている事に気づいた加害者は、もっと怒るでしょう。 中には、ストーキングの相手より、NPO関係者に対して、強い殺意を抱く人も出てくると思います。 そもそも、被害者側の立場に立ったままで、加害者に、味方のような顔をして接近するというのが、異常なのです。 被害者側の立場に立っていたのでは、加害者に対する、憎悪や嫌悪、侮蔑、憤怒といった感情を払拭できないでしょう? そんな状態で、どうやって、加害者の心の問題を解決できると言うんですか。

  さりとて、完全に、加害者側の立場に移ってしまったら、今度は、被害者側の信用を失い、相談して来る人がいなくなってしまいます。 これは、凄い光景になると思いますよ。 被害者が、全面的に自分の味方になってくれると期待して、相談に行ったら、加害者の肩を持つような事を言われた。 もう、号泣すると思いますね。 「誰も助けてくれない! 誰も信用できない!」と。 たとえ、中立を守るよう気をつけても、被害者側は、加害者以上に、自分には悪い点が一ヵ所も無いと思っているわけですから、中立的立場の人間を、相談者として、信用しないでしょう。

  もし、本気で、加害者側の問題解決に関わるのなら、加害者への対応を目的にした部門を作るか、別組織を立ち上げた方がいいと思いますが、元々、被害者側の立場にどっぷり浸かっているメンバーが大半だと思うので、加害者の立場に移れといっても、手を挙げる人間がいないかもしれませんなあ。 まず、決めなければいけない事は、「加害者を罰する事で、被害者を守る」という初期の方針を貫くのか、「加害者の抱える問題を解決する事で、被害者を守る」という方針に切り替え、ストーカー問題の根本的な解決を目指すのか、その選択でしょう。

  私個人の意見としては、これは、民間組織では手に余る問題だと思います。 厚労省に、麻薬Gメンという組織がありますが、警察以外のどこかの省庁に、同じような組織を作り、ストーカーの被害届が出されたら、被害者と加害者の言い分を聞き、加害者の治療が必要なら、精神科の医師に任せるようなシステムを作るのが、ベストだと思います。 だけど、日本の政治システムでは、そこまで行くのに、気が遠くなるほど、時間がかかるような気もします。


  とにかく、いきなり、犯罪者扱いは、ま、ず、い。 火に油を注ぐようなものです。 「怒鳴りつけてやれば、震え上がって、やめるに違いない」なんて思い込みも、ほとんどのケースで、逆効果だと思います。 憎い相手を自分の手で殺しに来るような人間が、そーんな、小心者であるわけがない。