2016/10/30

カー連読⑧

  母の狭心症の手術があり、またぞろ、ゴタゴタしているので、読書感想文を出します。 カー作品の読書は、相互貸借で、他の図書館から取り寄せる段界に入っていて、取り寄せに、2週間くらいかかる関係で、立て続けに読むというわけには行きません。 感想の数も、あまり増えていませんが、それでも、まだ、2・3回分はあるんじゃないでしょうかね。




≪爬虫類館の殺人≫

創元推理文庫
東京創元社 1960年初版 1994年17版
カーター・ディクスン 著
中村能三 訳

  初版、1960年は、古いですなあ。 だけど、仮名遣いなどは、今と変わりません。 もしかしたら、途中、どこかで、修正してあるのかも。 今と違うのは、女性の喋り方で、「・・・ですわ」とか、「・・・じゃなくて?」と言った、いわゆる女性言葉を使っているのですが、今では、違和感が強いです。 そういう喋り方をする女性を、想像するのが難しくなって来ましたなあ。

  発表は、1944年。 H.M(ヘンリー・メリベール卿)が探偵役を務める作品としては、22作中、15作目。 44年と言えば、もはや、戦争も後半ですが、作中の事件は、1940年に起こった事になっていて、まだ、空襲が本格化していない頃です。 私が最初の頃に読んだカー作品の感想で、「戦時下の発表なのに、戦争に一切触れていないのは、不思議だ」と書いたのですが、別に、そういうわけでもなかったようですな。 作中の事件が起こった年と、作品の発表年に、いくらか、ズレがあるだけで。


  ロンドン市内にある動物園の園長が、園内にある自宅の一室で、ガス自殺に見せかけて殺される。 窓とドアには、内側から、紙テープと糊で目貼りがされ、完全な密室だったが、同じ室内で、園長が大事にしていた蛇が死んでいた事から、園長の娘が、「父が、蛇を殺すはずがない」と指摘し、他殺であると主張する。 たまたま、この事件に関わりを持った、H.Mと、若い奇術師の男女が、密室の謎を解き、犯人をつきとめる話。

  この≪爬虫類館の殺人≫は、他のカー作品の解説で、代表作として挙げられるものの中に、ちょこちょこと顔を出していて、読む前から、タイトルを覚えてしまっていたのですが、読んで納得。 確かに、これは、面白いです。 ただ単に、面白いだけでなく、「内側から目貼りされた密室から、どうやって、犯人か逃げたか」という、どう考えても不可能と思われる密室トリックが、実にあっさりと解決されているという点で、ストーリーなんかどうでもよくて、トリックだけに興味があるタイプの、推理小説研究家からも、評価されているわけですな。

  その上、H.Mが、トカゲに追いかけられて全力疾走したり、蛇に巻きつかれて、身動き取れなくなったりと、コミカルな場面もふんだんに盛り込まれ、大笑いできます。 更に、奇術師二人の、ロミオとジュリエット的な恋愛も書き込まれていて、サービス満点。 それでいて、くどいところや、理屈っぽいところが、ほとんどなくて、ページがどんどん進むのですから、これで、読後感が悪くなるはずがありません。 バランスの良さでは、カー作品中、トップに挙げてもいいのではないでしょうか 

  目貼りのトリックは、今なら、どの家庭にもある、家電製品を使うものなので、大したトリックではないと思うかも知れませんが、発表当時は、まだ、珍しい機械で、子供騙しとは見做されなかったと思います。 これを使えば、簡単に、目貼りした密室を作れるわけですが、そういう知能犯罪自体が珍しいですし、推理小説のファンなら、すぐに、「ああ、≪爬虫類館の殺人≫に出て来ますよ」と分かってしまうので、実際に使おうという人はいないと思います。

  カーの小説では、結婚適齢期の男女が、話の中心になる事が、大変、多いです。 そして、大抵の場合、その二人の中に犯人がいる事はないです。 つまり、事件と直接の関係がない人物なわけで、いなくても問題ないんですが、なぜか、登場頻度が高い。 その理由を推測すると、たぶん、カーが、物語の中に、「未来への希望」を入れておきたかったからではないかと思うのです。 殺人事件の話ですから、陰惨になるのは避けようがなく、それを中和する為に、「近い将来、結ばれて、幸せな家庭を築いて行くであろう」と、読者に予想させる、若い男女が必要だったんですな。

  ところで、≪爬虫類館の殺人≫というのは、邦題で、原題は、≪He Wouldn't Kill Patience≫。 「Patience(ペイシェンス)」というのは、蛇の名前なので、別の邦題に、≪彼が蛇を殺すはずはない≫という、直訳に近いものもあります。 「爬虫類館の殺人」という邦題は、変でして、殺人が行なわれるのは、園長の自宅であって、爬虫類館ではありません。 両者の間には、歩いて、2分くらいですが、距離があり、明らかに、別の場所です。 ミス・ディレクションどころか、完全に誤りでして、なんで、こんな邦題が罷り通ってしまったのか、首を傾げてしまいます。



≪時計の中の骸骨≫

ハヤカワ・ミステリ文庫
早川書房 1976年発行 1995年2刷
カーター・ディクスン 著
小倉多加志 訳

  発表は、1948年。 H.M(ヘンリー・メリベール卿)が探偵役を務める作品としては、22作中、18作目。 戦後の発表で、作品の中の時代も、戦後です。 登場人物に、復員軍人が多いですが、その事は、話の内容と、深い関係はありません。 冒頭の別れの場面に、戦時の混乱が少し関わっている程度です。


  骨董品のオークションで、昔馴染みの老婆と張り合う為だけに、機械や振り子の代わりに、骸骨が入っている大きな時計を、競り落としてしまったH.Mが、その時計と因縁が深い家で、20年前に起こった、当主の転落事故を再調査しに出向いたところ、近くにある廃刑務所で、胆試しをしていた若者達を巻き込んで、新たな殺人事件が起こる話。

  骸骨が入った時計は、メインの謎ではないんですが、一応、絡んでは来ます。 しかし、タイトルにするほど、密接な関係ではなくて、やはり、カーは、タイトルをつけるのが、苦手だったのかなと思わせます。 新たに起こる殺人事件の方で、被害者が殺される動機など、説得力が弱い部分があり、物語としても、推理物としても、あまり、出来はよくありません。

  廃刑務所での胆試しというと、フェル博士シリーズの第一作、≪魔女の隠れ家≫でも、同じモチーフが出て来て、焼き直しなのは明らか。 だけど、こちらは、カーター・ディクスン名義で発表されたものだから、問題ないと考えていたのかも知れません。 当時の読者も、ディクスン・カーと、カーター・ディクスンが、同一人物だと知っていたと思うので、読者に対しては、あまり、誠実だとは言えませんが。

  H.Mが、滑稽さを発揮する場面も、いくつか盛り込まれていますが、≪貴婦人として死す≫などと比べると、些か、パワー・ダウンしたような気がせんでもないです。 この作品では、中心人物になる青年の方に、描写が偏ってしまって、H.Mに割く文章量が割を喰っている感じがします。 電気自動車と馬車の追撃戦の場面なんか、伝聞体ではなく、普通に書けば、もっと面白くなったと思うのですが。

  全体的に見ると、カーの悪い癖が出て、いろいろな材料を集めてはいるけれど、バラバラな印象が強いです。 ただ、ストーリーは、非常に分かり易くて、読むのに難渋するようなところはありません。 概観するに、H.Mシリーズの後半の作品は、他に比べて、読み易いと思います。 コミカルな場面を除いても、尚。



≪墓場貸します≫

ハヤカワ・ミステリ文庫
早川書房 1980年発行 1995年2刷
カーター・ディクスン 著
斎藤数衛 訳

  発表は、1949年。 H.M(ヘンリー・メリベール卿)が探偵役を務める作品としては、22作中、19作目。 戦後4年にして、作品に戦争の影は、全く感じられなくなりました。 この作品では、H.Mが、アメリカのニューヨークとその近郊で活躍するのですが、どうやら、カーは、戦後のイギリスの政治状況が、大変、気に入らなかったようで、イギリスの官僚であるH.Mまで、アメリカに連れて来てしまったのは、それと、深く関係していると思われます。


  船でニューヨークに着いたばかりのH.Mが、昔の友人の家に招かれる。 その友人は、事業に失敗したという噂がある上に、情婦と駆け落ちする為に、姿を消すと公言し、実際に、白昼堂々、自宅のプールに飛び込んで、そのまま消えてしまう。 友人の人と為りを信じているH.Mが、地元の判事や警察を煙に巻きつつ、イギリス帰りの元新聞記者を助手代わりにして、消失トリックや、動機を解明して行く話。

  カーの作品のタイトルには、≪○○の殺人≫というパターンが多いのですが、この作品に限っては、誰も死にません。 ネタバレさせたわけではなく、人が死ななくても、別段、問題なく、成立する話なのです。 不可能犯罪のトリックは、最終的に、きっちり、解明されます。 ただ、割とありふれた、やり口なので、感動するほど、驚きはしません。

  この作品は、H.Mシリーズの後半に属するので、コミカルな場面が盛り込まれていますし、H.Mが、野球の腕前を披露する場面では、スポーツ物の作法を取り入れて、読者をワクワクさせる、凝った見せ場も用意されていて、ページがどんどん進みます。 ただ、そういう場面の部分的面白さと、メイン・ストーリーが、うまく溶け合っているかというと、かなり疑問で、またぞろ、カー作品の欠点である、「バラバラ」という言葉を持ち出さなくてはなりません。

  特に、悪いのは、H.Mの昔の友人が、なぜ、消失しなければならなかったのか、その動機の説明でして、一応、筋は通っているものの、「そういう目的だったら、もっと、直接的な方法が、いくらもあるんじゃないの?」と首を傾げてしまうのです。 ラストの、H.Mの謎解きも、そこに差し掛かると、理屈っぽくなり、どうにもこうにも、強弁に近くなります。

  だけど、欠点は多いものの、面白いか面白くないかと訊かれれば、面白いです。 面白く書いてある場面だけでも、充分、面白いからです。 作者自身も、問題があるのは承知の上で、他の部分でサービスして、読者に楽しんでもらおうと考えていたのかも知れません。



≪妖魔の森の家≫

創元推理文庫 カー短編全集2
東京創元社 1970年初版 1994年31版
ディクスン・カー 著
宇野利泰 訳

  これは、短編集です。 短編が4作と、中編が1作、収録されています。 各作品名の後ろは、発表年。


【妖魔の森の家】 1947年
  森の中にあるバンガローの、密室状態の部屋から姿を消し、その一週間後に、同じように、密室状態の部屋に戻って来た少女が、20年後になって、再び、同じバンガローで姿を消し、彼女の従姉と、その婚約者に誘われて、現場に来ていたH.Mが、謎解きに乗り出す話。

  この作品は、カーの短編の中では、傑作と見做されているそうです。 H.Mの他に、お馴染みのマスターズ警部も出て来ますが、45ページくらいしかない短編なので、活躍するほど尺がなく、単に、H.Mの推理の聞き役を務めているだけです。

  で、内容ですが、確かに、よく出来ていて、密室物としては、カー作品の中で、「あっ!」と思わされる意外性において、最も優れていると思います。 書きようによっては、長編に膨らませる事もできたと思いますが、短編で、さらっと使ったのが、また効果的で、読者を驚かす事に成功しています。 密室トリックそのものではなく、密室物の条件を利用して、一段階上のトリックを仕掛ける発想が、お見事。


【軽率だった夜盗】 1947年
  ある企業家が、自分の山荘に飾ってあった、レンブラントやバン・ダイクの絵画を、自分で盗み出そうとして、何者かに殺される事件が起こる。 前以て、その富豪から、盗難の恐れがあると言われて、屋敷に泊まり込んでいた警部補が、フェル博士に相談し、企業家がとった奇妙な行動の謎を解いてもらう話。

  「どこかで読んだ事があるような話だな」と思ったら、≪メッキの神像≫の中心事件が、同じアイデアでした。 ≪メッキの神像≫の発表は、1942年なので、先に、長編で使ったアイデアを、後から、短編に使った事になります。 ≪メッキの神像≫は、H.Mシリーズだったので、フェル博士シリーズの方でなら、同じアイデアを使っても構わないだろうという判断でしょうか? 

  私は先に、≪メッキの神像≫の方を読んでしまっていたので、こちらは、面白いとは感じませんでした。 だけど、アイデアは、優れていると思います。 保険をかけてあるわけでもないのに、自分で自分の物を盗むという、奇妙な行為が、謎めいた雰囲気を盛り上げるのに、絶大な効果を挙げているからです。


【ある密室】 1943年
  書籍収集家が、事務所を畳んで、アメリカへ行くと言い出した矢先、密室状態だった部屋で襲われて負傷し、金庫にあった大金を盗まれる事件が起こる。 解雇を通告されていた、秘書の女と、図書係の男が疑われる中、フェル博士が、密室内に置かれていたソーダ・サイフォンに着目し、謎を解く話。

  登場人物を少なくして、密室トリックの謎解きを話の中心に据えているので、フーダニット的に見ると、すぐに犯人が分かってしまいますが、ハウダニットの話ですから、それは、問題になりません。 密室トリックは鮮やかで、実際に使えそうなアイデアです。 短編に使うには惜しいような出来ですから、もしかしたら、私がまだ読んでいない長編で、使われているかも知れませんな。


【赤いカツラの手がかり】 1948年
  痩せる体操を発案して有名になった女が、公園で裸同然の死体となって発見される。 彼女がコラムを書いていた雑誌のライバル誌に、ごく最近雇われた、仏英混血の女性記者が、独特な思い切りの良さと、女性ならではの着眼で、捜査主任の警部にヒントを与え、協力して、謎を解決する話。

  別に、トリックがあるわけではなく、なぜ、裸同然で死んでいたのか、その謎解きが中心になります。 短編にしては、纏まりが悪く感じられるのは、女性記者のキャラを特徴的にし過ぎたせいで、2時間サスペンスの素人探偵物のような雰囲気になって、謎解きの方と、二重焦点になってしまっているからでしょう。

  謎の方は、些か、偶然が過ぎるような気がしますが、まあ、それはいいとして、この女性記者のキャラは、シリーズ化しても不思議ではないくらい、魅力的です。 ところが、カー作品をある程度の数、読んだ人なら分かると思いますが、カーの女性観には、女性の本質を見抜ききって、すっかり冷めてしまっているところがありまして、たぶん、そういうシリーズを書こうとしても、後が続かなかったと思います。


【第三の銃弾】 1947年
  これは、かなり長い短編で、中編というカテゴリーを認めるなら、中編です。 この本の半分くらいのページ数を占めています。 人物の書き込みが、少し手薄になっている点を除けば、長編と同じくらい、中身が充実しています。 いや、むしろ、尺を稼ぐ為に、二つの事件をくっつけるといった手管を使っていない分、長編よりも、充実度が高いといえるかも知れません。

  老判事が、以前、鞭打ち刑を言い渡した青年に恨まれて、自宅の離屋で射殺される。 ところが、青年の撃った弾は壁に当たっていて、もう一丁の銃が、部屋に置いてあった大きな花瓶の中から発見される。 更に、判事の遺体を解剖したところ、空気銃の弾で殺されていた事が分かり、容疑者が一人、銃が三丁という、奇妙な状況の下、ロンドン警視庁副総監マーキス大佐らが、謎を解いて行く話。

  面白い事は面白いんですが、証言者が嘘をついているので、犯人を推理しながら読む事はできません。 三人称ですから、語り手が嘘をついているわけではなく、叙述トリックのアンフェアには当たらないのですが、それとは別問題として、読者にとっては、関係者の証言が、唯一の判断材料ですから、その中に、嘘が含まれていると、お手上げになってしまうわけです。




  今回は、以上、4冊までです。 7月上旬から、中旬にかけて読んだ本。 普段は、6冊分なので、今回は少ないですが、出し渋っているわけではなく、短編集の感想が混じっているから、読む方々が、きついだろうと思って、減らした次第。 短編集は、本を読む時には、楽なんですが、感想を書くとなると、作品数が多いせいで、一冊分の量が、えらく長くなってしまうのです。 前にも、こんな事、書きましたっけ? 申し訳ないですが、たぶん、これからも、繰り返す事になると思います。