2016/10/09

富士市・丸火自然公園

  まだ、父が普通に暮らしていた頃の出来事ですが、去年決めた、「月に一度は、日帰りツーリングに行く」という習慣を実行すべく、5月31日に、富士市にある「丸火自然公園」に行って来ました。 丸火は、「まるび」と読みます。 富士山の裾野のなだらかな斜面に出来た森の中に、ハイキング・コースを張り巡らせた所。

  以下、写真と解説で、進行します。 実は、今までのバイク・ツーリングの中でも、飛び抜けた近場で、半日でも行って帰って来れる所でして、そんなに大袈裟に、紀行文を書くような旅ではなかったのですが、まあ、それはそれとして、始めます。



≪写真1≫
  去年の11月末に行くつもりで、ネットからプリントした、丸火公園の園内マップと、書き出したルート・メモ。 ところが、予定していた頃になったら、寒くなってしまいまして、ツーリングどころではなくなって、今年の春に延期しました。 この園内マップとメモは、自室の机の片隅で、年越し・冬越ししたわけです。 ルートをすっかり忘れていて、出かける前の晩に、地図を見ながら、復習しました。

≪写真2≫
  朝9時に出発。 沼津市街地の北を、国道一号線と並行して、東西に通る、根方(ねがた)街道で西に向かいます。 根方街道というのは、昔からの通称で、県道22号線の事です。 私が、21歳の時、普通免許の教習で走らされた道でして、個人的には、馴染み深いのですが、幅が狭くて、車で来ると、ちと怖いです。 バイクなら、その心配はありません。

≪写真3≫
  富士市に入って間もない所にある、「富士岡」という交差点で右折して、北上。 この後、県道76号、24号と、富士山の裾野を登って行きます。 傾斜は、押し並べて、緩やかですが、軽のノン・ターボのような、非力な車だと、ちと、ベタ踏みっぽくなるのではないかと思うような所もあります。 バイクなら、どうという事はないです。

≪写真4≫
  坂を上り始めて、いくらも行かない、住宅街と言ってもいいような所に、なんと、猿がいました。 小猿というほど小さくないですが、成体にしては小柄で、たぶん、若い個体なのだと思います。 猿のような高等動物が、野生で普通に見られるのは、自然保護の観点からは、悪い事ではありません。 だけど、近所の人達は、困らされているのかも知れませんなあ。

≪写真5左≫
  24号の途中にあった、三叉路。 T字路ではなく、中心に三角形の緑地があり、大掛かりな三叉路になっていました。 周囲には、これといった物がないのに、なぜ、普通のT字路にしなかったのか、解せません。 土地に、高低差があるからでしょうか?

≪写真5右≫
  24号も、かなり上の方まで登って来た所で、道路の横に、そこそこ大きな木が数本あり、こんな花が咲いていました。 種類は分かりません。 ヤマボウシでしょうか?

≪写真6≫
  24号と、丸火公園に向かう道の、分岐点。 丸火公園は、有名らしく、自治体が立てたと思われる、案内標識が多かったので、迷う心配がなくて、助かりました。



≪写真1≫
  案内標識に従って進むと、突き当たりに、「富士市立 少年自然の家」がありました。 専ら、中学生に野外学習を体験させる為の施設。 どの自治体でも、似たようなものはあるんじゃないでしょうか。

  写真には写っていませんが、私がここへ来たら、お揃いのジャージで武装した中学生の一団が、この少年自然の家から、ぞろぞろと、丸火公園の方に出て来て、どうやら、一日、公園内で過ごす模様。 まずい時に来てしまった・・・。 平日なのに、というより、平日だからこそ、学生が利用している可能性が高かったわけですな。

≪写真2≫
  駐車場は、異様なくらい、広かったです。 ここだけでなく、何ヵ所かに分散しています。 全て満杯になるような事があるんでしょうか? 大きなイベントをやるにしては、大人数を収容できる広場がないと思うのですが。

  どうせ、帰りまで、ガラガラだろうとは思ったものの、万一という事があるので、バイクは、隅の方にとめました。 ヘルメットも、ホルダーにつけて、置いて行きます。 まず、盗まれるような事はないです。

≪写真3≫
  私がバイクをとめたのは、公園南端の駐車場で、そこから、北へ向けて歩き始めると、すぐの所に、「丸火自然館」がありました。 だけど、扉が閉まっていました。 休館日というわけではなく、閉鎖されているか、利用希望者がいる時だけ開けるという雰囲気でした。

  右側は、森の中にあった、ベンチ。 細い丸太を並べてあります。 これは、いかにも、座り心地が悪そうですなあ。 長居すると、痔になるのでは? 中学生諸君、痔を軽く見ていると、えらい事になりますぞ。

≪写真4≫
  「東グリーン・キャンプ場」の入口。 別に、キャンプ場に用はないのですが、北へ向かう道でもあるので、ここを潜って、先に進みました。 

  右側は、その、キャンプ場。 森林が切り開かれています。 キャンプ場と言っても、ここにテントを張るわけではなく、キャンプ・ファイヤーを行なう場所のようです。 新緑が美しいですが、晴れていれば、もっと気持ちが良かったでしょうな。

≪写真5≫
  遊歩道のところどころに、アスレチック遊具がありました。 この丸火公園は、全ての施設が、老朽化している感じでしたが、これらの遊具だけは、新しい物が据えてありました。 恐らく、安全上の基準があるんでしょうねえ。

  この辺までは、園内マップ通りに歩いていたのですが、この後、現在地が分からなくなり、ロストの嵐となります。



≪写真1≫
  公園内の道は、山道みたいなところもあり、左側の写真のように、砕石舗装のようなところもありました。 傾斜が緩いので、靴底がしっかりしていれば、いくら歩いても、体力の消耗で、へばるような事はないです。

  私としては、公園の中心部にある、「中央広場」を目指して歩いていたのですが。 いつのまにか、北部に入っていて、右側の写真の、アスファルト舗装の道路に出てしまいました。 「友情の桜並木」という道の端の方で、北も北、かなりの北です。 やむなく、近くにあった、「溶岩洞穴」の標識に従って、北北東へ向かいました。

≪写真2≫
  北部エリアの道は、「傾斜のない山道」みたいな感じでした。 しばらく歩いて、辿り着いた、「溶岩洞穴」というのが、これ。 何ヵ所かあります。 その一つに、朽ちかけた説明看板があって、一応、その写真も撮って来たのですが、暗かったせいで、ブレボケして、読めませんでした。 たぶん、溶岩が流れる過程で、何らかの現象で出来る、穴なのでしょう。 貫通して、向こうが見えるものもありました。

≪写真3≫
  公園内の道には、分岐がたくさんあるのですが、こういう標識が立っている所は、数える程で、次の分岐ではどちらに進めば分からなくなってしまうから、ほとんど、当てになりません。 たぶん、中学生に、オリエンテーリングをやらせる為に、わざと、現在位置を分かり難くしているのだと思います。 本来、一般客が、散策に来るような公園ではないんですな。

≪写真4≫
  これは、公園北東部にあった、「溶岩樹形」です。 溶岩に取り囲まれた後、木が焼けて、その形が残ったもの。 そう思うと、大変な巨木だったんですな。 この場所、園内マップには載っていなくて、偶然、辿り着きました。

  なんで、こんなに大きな写真で見せるのかと言いますと、ここが、丸火公園内にある、最も見応えがある場所だと思うからです。 丸火公園は、本来、観光地でも景勝地でもないので、何かを見に来るような所ではないのです。 そんなものを期待していた私が悪い。

  この後が、また大変で、藪の中で、道が見えなくなって、完全にロストしました。 来た道を引き返したり、また、迷ったり、10メートルくらい向こうに見える道へ行く為に、溶岩原の中を突破したりして、何とか、桜並木の舗装道路に戻りました。 方位磁石か、GPSが必要なところなのです。 だけど、公園の外周には、明らかにそれと分かる、舗装道路が通っていて、よしんば迷っても、公園内から出られないようにはなっていました。



  命からがらというか、遭難に片足突っ込んだ気分で、辛うじて、桜並木の舗装道路まで戻って来ました。 この後は、冒険を避け、この道で南下して、中央広場を目指しました。

≪写真1≫
  左側は、道に落ちていた、サクランボ。 桜並木の道だから、落ちていて、当然。 小さくて、食用ではないのが、一目で分かります。 だけど、鳥にとっては、結構な御馳走でしょう。

  右側は、ヤマボウシの花。 公園内の、そこかしこで見られました。 この写真の木の近くに、名前を書いた板があったから、これがヤマボウシである事は確実です。

≪写真2≫
  中央広場の手前にある、「富士見ヶ池」。 大きさは、大した事はありません。 畔にベンチがあって、少人数なら、座れます。 中島がありますが、渡れません。 この池から、富士が見えるのか、ちょっと疑問。 だけど、公園自体が、富士山の裾野にあるわけだから、晴れていれば、すぐ近くに見えるのかも知れません。 ちなみに、この池の周囲にも、溶岩洞穴がいくつかあります。

≪写真3≫
  ここが、「中央広場」です。 割と近くまで、車で来れる道があるので、何かイベントをやろうと思えば、できない事はないですが、 そーんなに広い所ではないです。

  右端に、白っぽい棒が三本立っていますが、これは、旗竿でして、これを見た時、「あれっ? この景色は前に見た事があるぞ!」と感じました。 私は、過去に、ここに来ている可能性が出て来ました。

≪写真4≫
  中央広場にあった、細丸太ベンチ。 なんと、今度は、横に並べてあります。 ますます、座り難い。 椅子の癖に、座られる事を拒否しているかのようです。 中学生諸君、くれぐれも、痔を侮ってはいかんぞ。

≪写真5≫
  中央広場の南東側は、土地が低くなっています。 下の方から見上げて撮ったのが、この写真。 左端の櫓は、弁当を広げる中学生達に占領されていて、近づく事もできませんでした。 私が弁当を食べる場所が見つかりません。



  中央広場を後にし、園内マップにあった、「ひょうたん池」を目指して、東へ歩いて行ったのですが、あっさり、ロスト。 割とちゃんとした道を通っているのに、迷うというのは、方向音痴でない私としては、不可解千万なのですが、曇天で森の中で、太陽の方角が分からないと、方向感覚が狂ってしまうようです。

≪写真1≫
  公園の東端は、ゴルフ場に隣接していました。 ここで、また、デジャビュに襲われました。 この、森の隣がゴルフ場という景色は、確かに、昔、見ています。 中学か高校の時に、遠足で来ているのは、間違いないと確信しました。 ただ、今となっては、調べる方法がありません。

  ロストして、うろうろしていたら、中学生のグループが通りかかりました。 彼らが、ひょうたん池がどこにあるかという話をしているのを、耳聡く聞きつけ、ようやく、その場所が分かりました。 ありがとう、中学生諸君。

  もう、慌てる事はないので、森の中の丸太に腰掛けて、12時20分に、遅い昼食を取りました。 家から持って来た、梅干入りのおにぎりと、水です。 母が朝飯の残りで握ったものだったのですが、御飯が古くて、ゴワゴワしており、まずかったです。 ますます、気が滅入る。

≪写真2≫
  これが、ひょうたん池。 池自体は元からあったのかも知れませんが、周囲が、石とコンクリートで固められていました。 写真だと、大きく見えますが、そんな事はないです。 畔には、ベンチ一つ置いてなくて、一服もできません。 つくづく、この公園は、観光地ではないのだと痛感しました。

≪写真3≫
  中央広場の近くまで戻って、そこから南へ向かい、バイクをとめてある駐車場の近くまで、下って来ました。 ここは、「西グリーン・キャンプ場」という所。 森の中に、写真のような、小さく整地した空間が、幾つも点在しています。 たぶん、ここにテントを張るのでしょう。

≪写真4≫
  西グリーン・キャンプ場の中心にあった、竈や水道がある施設。 綺麗に整備されています。 しかし、こういう場所であっても、飯盒で、うまく煮炊きするのは、難しいと思います。 こういう、学生向けの施設を見ると、自然に懐かしい気分になりますが、実際の私の学生時代は、懐かしく思い出すほど、楽しいものではありませんでした。

  この後、駐車場に戻り、バイクに乗って、1時過ぎには、丸火自然公園を後にしました。 家から割と近い所ですし、帰るには早過ぎる時刻ですが、これ以上、ここにいても、間が持ちません。



  丸火自然公園を後にし、往路を逆に辿って、帰ったのですが、途中、沼津市に入って間もない所で、「興国寺城跡」に立ち寄りました。 根方街道で、西から戻って来る時には、毎回、寄っています。 丸火公園では、ドス曇りだったのに、ここへ来たら、晴れて来ました。

≪写真1≫
  城跡の敷地は、根方街道に沿っているのですが、少し敷地内に入って行かないと、それらしきものは見えません。 この上の右手に、駐車場があります。 いつ行っても、人は、ちらほらしか見かけないので、車をとめる場所に困る事はないはず。   

≪写真2≫
  平山城みたいに見えますが、後背地は、丘になっていて、成り立ち的には、丘の突端部を城にした、山城という事になると思います。 これは、南を見た景色で、駿河湾や東海道が望めます。 眺めはいいですが、この城から、東海道をどうにかするには、遠過ぎでして、守るにも攻めるにも、あまり意味がないポイントなのではないかと思ってしまいます。

≪写真3≫
  山城なので、石垣は、ほんの一部にしかなくて、他の斜面は、元からの崖か、切り崩したものです。 元は、今川氏が作った城ですが、北条早雲に与えられ、早雲が、初めて持った城になりました。 戦国時代は、早雲の登場から始まるので、興国寺城は、戦国時代の始まりを象徴する城という見方もできます。

≪写真4≫
  割と最近、作られた、人工的な流れ。 街道に近い平地部分にあります。 興国寺城跡は、史跡公園になる予定で、のんびりしたペースで整備中で、いずれ、この辺りに、川か池が作られるのだと思います。 それにしても、現状では、趣きに欠ける。



  以上で、富士市・丸火自然公園ツーリングの紹介は、おしまいです。 家に帰ったのが、午後、2時半くらい。 日帰りツーリングは、風呂に入って、夕飯までに一眠りできるくらいの時間的余裕をもって帰って来るのが、望ましいですな。 走行距離は、60キロ。 往復、ほぼ、同じ道を通ったので、きっちり、30キロずつです。 日帰りツーリングとしては、記録的に短いですな。

  丸火公園は、学生の頃に遠足で行った事があると、今では確信しています。 中学だったか、高校だったかは、分かりません。 そもそも、「まるび」という名前は、かなり風変わりで、一度も行った事がなければ、記憶しているわけがないと思うのです。 絶対に、行っているはず。

  それはそれとして、丸火公園ですが、大人が一人で遊びに行くような所ではなかったです。 本来、学習施設なんですよ。 一般人にも開放されているというだけの話。 どこにでも、出かけて行けばいいってもんじゃないわけだ。 天気が悪かったのも、マイナス要因ですが、たとえ、天気が良かったとしても、楽しい方へ天秤が傾く事はなかったと思います。