2016/07/24

カー連読③

  ディクスン・カー作品の感想文、三回目です。 一回に、6作品分も出していると、書き溜めた感想文が、どんどん、捌けて行きますなあ。 書く時には、結構、苦労しているんですがねえ。 特に、あらすじの段落なんか・・・。 あらすじを書かなくていいのなら、もっと、スイスイッと書けるのですが、それだと、本を読んでいない人が、何の話をしているのか、まるで分からなくなってしまいますけんのう。

  いや、あらすじがあってもなくても、読んでいない人には、何の興味も湧かないかな。 といって、カーを読めとは言いませんが。 やっぱり、ちょっと変わった人だよねえ、カーの読者というのは。 変わり者扱いされて、喜んでいるようでは、まともな大人にゃなれませんが。




≪殺人者と恐喝者≫

ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ
原書房 2004年
カーター・ディクスン 著
森英俊 訳

  これは、文庫や新書サイズ・シリーズではなく、ハード・カバーの単行本です。 原作は、1941年の発表。 H.Mが探偵役の話としては、22作中、12作目です。 これも、戦争中の発表ですな。 例によって、戦争に触れている箇所はありません。 ヒトラーとムッソリーニの名前が出て来ますが、皮肉で使われているだけで、話の内容とは全く関係なし。


  夫が、不倫相手の女を殺した件で、夫の叔父から恐喝されていると知った妻が、夫に死んでもらいたいと思っていた矢先、屋敷で行なわれた催眠術実験の試験台をやらされる事になり、ゴムのナイフで夫を刺すように命じられ、実行するが、いつのまにか、本物のナイフとすり替わっていて、本当に刺してしまい、その場にいた全員が、「ナイフをすり替えた人間はいない」という証言する中、H.Mが謎解きに乗り出す話。

  梗概とは思えないほど、いろいろ書いてしまいましたが、これだけ書いても、まだ、さわり程度なので、ネタバレにはなっていません。 全体の印象としては、面白いです。 カーの作品には、時折、「本当に同じ作者か?」と訝るほど、読み難いものがありますが、この作品は、そうではない方で、言わば、ノリのいい話です。

  催眠術実験と言っても、学術的なものではなく、元医師が、ホーム・パーティーに招かれて行って、その家の奥さんに催眠術をかけ、旦那を殺す真似事をさせるという、ただの余興なんですが、この、些か不謹慎で軽率な余興が、妙に、読者をワクワクさせるのです。 カーは、こういう人の興味を惹きつける設定を思いつくのが、得意だったんですなあ。 戦時中であっても。

  トリックや謎解きの方は、大した事はなく、特に、トリックの方は、噴飯物と言ったら言い過ぎですが、限りなく、それに近い、ちゃちなものです。 「不可能犯罪」と呼ぶには、あまりにも、しょぼい。 しょぼ過ぎて、誰もこんな手を使うとは思わないから、却って、現実的なのかな? だけど、そんな事が気にならないくらい、読んで楽しい小説になっています。

  カーの作品には、探偵役とは別に、「視点人物」とでも言うべき、中心人物がいるのが普通で、この作品では、H.Mの自伝を口述筆記するライターの青年が、それに当たっています。 で、H.Mが、彼に、自分の幼少時からの、悪戯の武勲を、事細かに、延々と語るのですが、その内容はさておき、そういう、お遊びがふんだんに盛り込まれているところが、この作品を豊かな雰囲気にするのに一役買っています。



≪仮面劇場の殺人≫

原書房 1997年
ジョン・ディクスン・カー 著
田口俊樹 訳

  原書房のハード・カバー単行本。 一段組みで、360ページ。 結構、長いです。 原作の発表年は、1966年。 フェル博士が探偵役の話としては、23作中、22作目。 つまり、この作品の後には、翌年の≪月明かりの闇≫しかなくて、フェル博士的には、もう、末期の仕事という事になるわけだ。


  アメリカからイギリスに渡り、舞台女優として成功したばかりか、貴族と再婚して、莫大な遺産を手に入れた女が、アメリカに戻り、最初の結婚相手だった男が作った劇団と劇場を再生する事になるが、劇団の主として、最初の公演のリハーサルを、ボックス席で観ている最中に、背中を石弓で射られて殺害され、アメリカに戻る船に同乗していたフェル博士が、謎解きに乗り出す話。

  密室物ではなく、強いて分類するなら、「不可能犯罪物」という事になりますが、ボックス席は、舞台側に向けて、オープンになっているわけで、不可能犯罪というには、あまり、それっぽさが感じられません。 どうにでも、やりようがあるような気がしてしまうのです。 提示された謎に、鮮やかさが欠けているとでも言いましょうか。

  事件直後でさえ、そんな有様なのですが、謎が解けて行くと、ますます、しょぼい話になり、犯人が誰か分かっても、「あ、そう。 ありがちだねえ」と、何の驚きも感じません。 ≪月明かりの闇≫も、似たような感じでしたが、60年代になると、もう、カーは、推理物に飽きていたんじゃないかと思います。 そうでなければ、新しいアイデアを思いつかなくなっていたか。

  とにかく、この作品の殺害方法は、あまりにも、貧相。 被害者が、ボックス席から身を乗り出してくれなければ、犯行が行なえないわけですが、そんな、相手任せの危うい計画では、リアリティーも何もあったもんじゃありません。 落ちて行く宝石を見て、一瞬で、盗まれた自分の物だと思いますかね?

  これも、≪月明かりの闇≫と同じ問題点ですが、教養のひけらかしが、この作品でも凄まじいです。 本筋とは無関係な、野球トリビアまで出て来ますが、鬱陶しいだけで、何の面白さも感じません。 作者が自己満足したいが為に書き込んでいるのか、枚数を指定されて、それに合わせる為に、水増しのつもりで入れたのか、いずれにせよ、作品の質を更に落としているとしか思えません。

  単行本には珍しく、巻末に、日本の推理作家による解説がついていて、誉められるところを誉めていますが、この作品を誉めること自体が、かなり危ういです。 「カーが、好き」という人の気持ちは良く分かるのですが、「どの作品も、全て良い」というわけでもありますまいに。



≪黒死荘の殺人≫

世界推理小説大系22 収録
東都書房 1963年
ジョン・ディクスン・カー 著
平井呈一 訳

  沼津の図書館には、カーの本が少なくて、文庫も新書も単行本も、すぐに読み尽くして、とうとう、全集にまで到達してしまったのですが、カーの全集ではなく、推理小説全体の全集なので、私が沼津の図書館で読めるカーは、これが、最後の作品になります。 三島の図書館には、カーの全作品が揃っているようなので、今後は、そちらへ借りに行く事になります。

  ≪黒死荘≫の発表は、1934年で、H.Mが探偵役の話としては、22作品中の第1作。 H.Mが出て来るという事は、ディクスン・カーではなく、カーター・ディクスン名義で書かれた系列なのですが、なぜか、本全集での作者名は、「カー」になっています。 二つ名を使い分けられると、何かと不便が発生するものですなあ。


  ある夜、「黒死荘(プレーグ・コート)」という幽霊屋敷の敷地内にある、石室と呼ばれる離屋で、心霊実験をしていた心霊研究家が殺される。 石室は完全な密室で、凶器は、18世紀初頭に、その屋敷で死んだ死刑執行人の短刀。 その晩、屋敷内にいた者達が容疑者となり、警察に泣きつかれた、陸軍省情報局のヌシ、ヘンリー・メルベール卿が、密室殺人の謎と、犯人の正体を解いて行く話。

  H.M登場の第1作なので、キャラについて、細かい描写がなされています。 役所の中で、「マイクロフト」という渾名があると書いてありますが、私が読んだ、他の作品では、そんな渾名で呼ばれている場面がなく、初期設定だけしたものの、その後、作者が忘れてしまったのではないかと思います。

  全体の半分くらいが、事件の夜の描写で、心霊実験に至る経緯の説明、殺人の発生、容疑者の取り調べで埋められています。 屋敷を舞台にした部分が、とにかく、陰々滅々で、鬱病患者が読んだら、自殺しそうな暗さです。 これは、幽霊屋敷を通り越して、墓の中の雰囲気ですな。 読んでいるだけで、悪霊にとりつかれたような気分になるから、ある意味、凄い文章です。

  後半は、H.Mの推理と、ちょっとした捜査、容疑者を集めた謎解きの順で進みます。 H.Mは、役所の自分の部屋にいながら、報告書を読んだだけで、事件の大体の流れを推理してしまいます。 そこが、シャーロック・ホームズの兄である、マイクロフトと似ているというわけですが、これはおかしな話でして、実際には、報告書だけで分かる事など知れていると思います。 まず、観察者が優れていないと、勘所を掴んだ報告書が作られないからです。 観察がピント外れなら、その報告を元にした推理も、やはり、ピント外れになるはず。

  犯人の正体は、意外という以前に、情報の後出しが多くて、ズルい感じがします。 つまり、H.Mの最後の説明がなされるまで、読者は、犯人の目星をつけようがないのです。 すり替わり物で、これをやられると、「実は、こいつの正体は、こいつだった」という調子で、何でもアリになってしまいます。 極端に言えば、登場人物の誰でも、最後で、犯人にできるわけです。

  因縁話も、捻り過ぎで、説明を読むのが、面倒になってしまいます。 前半の怪奇風味と、合理的謎解きを両立させる為に、捻りに捻ったのだと思いますが、あまりにも、ややこしいので、強引な辻褄合わせに見えてしまうんですな。 どんな名探偵でも、こんなに複雑な人物相関を、他人が作った報告書と、ちょっとした捜査だけで見抜くのは、不可能ではありますまいか?

  私は、この作品を読む前に、横溝正史さんの、≪蝶々殺人事件≫を読んでいたのですが、謎解きが、終わりの方に、ダマになっている点が、よく似ています。 横溝さんは、戦中戦後に掛けて、カーに心酔していたそうで、「なるほど、これを参考にして書けば、あれになるんだな」と、納得させられます。

  この作品の読みどころは、犯人が誰かという事ではなく、密室トリックの方ですな。 物質的トリックとしては、非常によく出来ていて、「あああ、なるほど! それは、盲点だった」と感服つかまつる、鮮やかな仕掛けが施されています。 この手は、今でも、使えるんじゃないでしょうかね? もっとも、わざわざ、密室にする理由がないですけど。



≪帽子収集狂事件≫

創元推理文庫
東京創元社 2011年
ジョン・ディクスン・カー 著
三角和代 訳

  ≪黒死荘殺人事件≫を最後に、沼津市立図書館のカー作品を読み尽くし、いよいよ、三島市立図書館へ遠征しなければならなくなりました。 バイクで、往復一時間。 三島の中心市街を通り抜けなければならないから、信号に捉まってばかりで、時間がかかるんですわ。 でも、自転車で行ったら、往復二時間かかってしまいます。

  有効期限切れになっていた貸し出しカードを、再登録してもらい、最初に借りて来た二冊の内の一冊が、≪帽子収集狂事件≫です。 このタイトル、カー作品を読み始めてから、何度も目にしたのですが、沼津の図書館にはなくて、フラストレーションが溜まっていたもの。 三島の図書館に行ったら、惜し気もなく、開架に並んでいたので、小躍りしてしまいました。 いや、ほんとに、躍ったわけではありませんけど。

  発表は、1933年。 ギデオン・フェル博士が探偵役を務める作品としては、23作中、2作目。 カーが、イギリスに住み始めたのが、1932年だそうですから、時期的にも、ごく初期の頃ですな。 ただし、フェル博士の登場が2作目であるせいか、フェル博士の素性に関する解説は、間接的なものが、僅かに見られる程度です。 この人の本業が何なのか、私は未だに、はっきり認識できていません。


  ロンドンで、帽子が盗まれる事件が相次ぐ中、ロンドン塔の逆賊門の中で、新聞記者の殺害死体が発見される。 被害者の伯父は、アメリカの、エドガー・アラン・ポーの旧宅で発見した、未公表の小説原稿を、最近、盗まれたばかりで、その上、帽子の盗難にも立て続けに遭っていた。 一見、無関係に思える三つの事件を、警視庁のハドリー警部と、フェル博士が、結びつけ、謎を解いて行く話。

  カーと言えば、密室物か、密室の変形物で有名なのですが、この作品は、そのどちらとも無縁で、一応、濃い霧の中で死体が発見されるものの、霧が密室の代わりに使われているわけではありません。 私は、密室物のつもりで読んでいたのですが、現場の状況の詳細な説明がいつまでたっても出て来ないので、よーく、肩透かしを喰ってしまいました。 それならそうと、先に書いてくれれば・・・、というのは、無理か。

  「帽子連続盗難事件」というのが、ホームズ物の≪赤毛組合≫に似たユーモアを感じさせますし、主な現場が、ロンドン塔という、ロンドンに、ほとんど興味がない人でも知っている、超有名なランド・マークであるせいで、設定だけで、ワクワク・ゾクゾクさせてくれるのですが、肝心の事件の方は、そんなに面白いものではないです。

  取り調べの場面が長いのには、参りますなあ。 推理小説で、取り調べ場面に多大な枚数を割いてしまうと、読み物としての面白さが、著しく損なわれてしまうのです。 特に、一つの部屋で、一人一人、関係者が呼ばれて、話を訊かれるというパターンが最悪。 せめて、捜査側が移動して、証言を集めて回るようにすれば、舞台が切り替わるから、変化が出るのですがね。

  更に、ラスト近くに、ドンデン返しがあり、その前に、ほぼ解決していた事件が、ガラリと塗り替えられてしまうのも、物語の構成として、誉められません。 引っ繰り返す為の伏線は、充分に張ってあって、「こりゃ、このままじゃ、終わらないだろう」と、読者に分かるようにしてあるのですが、それでも尚、不自然さを感じてしまうのです。

  そう感じる一番の原因は、倫理的に、おかしな裁定を下しているという事でして、しかも、その理由が、「この家では、悲劇が続き過ぎたから、これ以上は必要ない」というものなのですから、フェル博士の主観丸出しにも、程があろうというもの。 よしんば、博士が許しても、ハドリー警部は警察官なのですから、立場上、許せるはずがありますまい。 ましてや、真犯人のやった事が、そこそこ計画的で、金欲しさも絡んでいたとなれば、情状酌量の余地など、全くないと思うのですがねえ。




≪ユダの窓≫

創元推理文庫
東京創元社 2015年
カーター・ディクスン 著
高沢治 訳

  ≪帽子収集狂事件≫と一緒に、三島市立図書館で借りてきたもの。 貸し出し期間は、2週間で、それだけあれば、3冊くらいは読めると思うのですが、最初だから、ゆとりを見て、2冊にした次第。 だけど、どちらも、カーの作品の中では有名なものだったからか、面白くて、2冊を5日間で読んでしまいました。 で、「次は、一気に、5冊くらい借りて来よう!」とか、調子に乗ると、つまらんのが混じっていて、ページが進まず、えらい目に遭うんだわ。

  私のバイクには、通勤していた頃のまま、荷台を付けてあるから、そちらに縛れば、10冊くらい借りられない事はないです。 ガソリン代を節約するなら、一遍に多く借りて、往復回数を減らした方が、お得。 だけど、そういうのも、何だか、追い立てられているようで、気が進みませんな。 もうちょっと、近ければ、自転車で行くんですけど。 ・・・おっと、これは、感想文でも何でもないな。


  発表は、1938年。 H.M(ヘンリー・メリベール卿)が探偵役を務める作品としては、22作中、7作目。 ≪パンチとジュディ≫が5作目ですから、その後に書かれた事になりますが、それが、俄かには信じられん。 普通、シリーズ物は、後ろに行くに従って、アイデアが涸れて行って、つまらなくなるものですが、7作目で、こんな凄いのが出て来るものですかね?


  ある女性と婚約した青年が、彼女の父親に挨拶する為に、その屋敷を訪ねる。 父親の書斎に案内され、酒を勧められたが、それを飲んだ途端、意識がなくなり、目が覚めた時には、密室状態になった部屋の中で、父親が殺されていた。 殺人犯として裁判にかけられた青年に、H.Mが弁護士につき、法廷で、密室の謎を解いて、青年の無実を証明しようとする話。

  面白いです。 私が今までに読んだカー作品の中で、最も面白いだけでなく、あれこれ、重箱の隅をつつこうとしても、つつきようがないくらい、完成度が高いです。 読書習慣を持つ者が、ごく稀に当たる、「作者の力量に圧倒される感じ」を、味わいました。 もし、この≪ユダの窓≫を、カー作品の最初の一冊として読んだ人がいたら、その人は、一遍に、カーの虜になってしまって、他の作品を貶す気がなくなる事でしょう。

  H.Mは、陸軍情報局に籍を置く役人ですが、医師資格と、弁護士資格も持っている事になっていて、この作品では、その弁護士資格の設定を利用しています。 密室物の謎を、法廷物の形式で解いて行ったら、とてつもない傑作になったというわけです。 密室トリックも、≪黒死荘の殺人≫のそれと同じくらい、よく出来ていますが、もし普通に、捜査物の形式で語って行ったら、こんなに面白くはならなかったと思います。

  半ばを越えた辺りから先は、もう、ページをめくる手が止まりませんな。 他に、重大な用事でもない限り、一気に、最後まで、読まされてしまいます。 裁判の行方だけでも、充分に面白いので、真犯人が誰かに、あまり興味が湧かないと言ったら、「大げさな事を言うな」と思うでしょうが、いや、ちっとも、大袈裟ではないです。

  これねえ。 こんな感想文を読んでいるより、現物を読んだ方がいいですな。 面白さだけなら、アガサ・クリスティーの、≪そして誰もいなくなった≫と比肩できるレベルです。 こーれ、貶す人、いねーだろー。 貶せるところがないもんねー。 凄いな、こりゃ。



  作品の感想ではないですけど、この本、巻末に、「ジョン・ディクスン・カーの魅力」と題した付録が付いています。 司会を含め、5人の人間が座談会をやった記録なんですが、なんでまた、よりによって、作者の最高傑作ではないかと思う作品の巻末に、こんな、しょーもない、興醒めな物をくっつけたのか、編集者の気が知れません。

  面子も面子で、SF作家一名を除いて、名前も知らんような人ばかりですが、誰やねん、こんしらは? 何を偉そうに、上から目線で、カーについて語っているのか。 カーは外国の作家ですから、この面子の中に、作者と懇意だった人間など一人もいないわけで、そんなのは、ただの一読者と同じではないですか。 勝手に、読者を代表するなというのよ。 個人の感想なら、個人の感想として、ブログにでも書けというのよ。 文庫本の巻末という、「公」の場を、私物化しているとしか思えません。




  今回は、以上、5冊までです。 途中で、沼津図書館のカー作品を読み尽くしてしまい、三島図書館の蔵書に切り替えたのですが、気軽に返しに行けない遠さなので、3冊借りると、二週間では読みきれないかと思い、最初は、2冊にしたのです。 その関係で、数が半端になりました。

  1月下旬から、4月上旬にかけて読んだ本。 2月上旬に、≪仮面劇場の殺人≫を読み終えた後、自転車のレストアを優先して、3月下旬まで、図書館に行かなかったので、間がかなり開いています。 一度、読まなくなると、そのまま、離れてしまいがちですが、カー作品に関しては、そうはなりませんでした。