2016/07/03

退院はしたものの

  入院していた父ですが、6月28日(火)に、何とか、退院しました。 22日間も病院にいたわけで、父も大変でしたが、毎日、自転車で見舞いに通った私と母や、毎週、車で見舞いに来た、兄と兄嫁も、大変でした。 以下、日記から移植しますが、前回に引き続き、父とは関係ない記述も、一緒に出します。 臨場感の為です。




≪2016/06/26 (日)≫
  前回の散髪から、4ヵ月経ったのですが、私の理髪師が入院しているので、やむなく、母にやってもらいました。 今の電動バリカンは、丸坊主にするなら、技能も経験も要らないので、頼める人がいれば、誰でもいいのです。 朝食の時に頼んだら、部屋を掃除する前にやってしまうというので、大急ぎで準備を整え、6時半から開始。 こんなに早い時間に散髪したのは、初めてです。

  母は、全く初めての経験で、最初はおっかなびっくりでしたが、どんなに強く当てても、絶対に傷がついたりしないと分かってからは、スイスイ進みました。 仕上がりは、初めてにしては、上々。 いくらか、長い髪が残ってしまったところもあったのですが、それは、父にやってもらっても同じでして、後で私が、鋏で整えればいい事です。 


  今日は日曜ですが、もう、急ぐ必要はないので、いつもと同じように、午後に病院へ行きました。 安全の為に、母とは、別々に走ります。 私の方が後から家を出ても、病院に到着するのは、大抵、早いです。

  父は、食堂にいました。 車椅子ではなく、普通の椅子に座っています。 点滴はもうしていないのですが、点滴の台車を、杖代わりにして歩いているとの話。 老眼鏡をかけていて、食堂に備え付けの雑誌をめくっていました。 ざっと見ているだけで、記事を読んでいるわけではないようです。 指をなめて、ページをめくっているので、「病院の雑誌は汚いから、やめな」と言ったのですが、やめません。 習慣が染み着いているんですな。

  ようよう、退屈を持て余す境地に至ったようで、「今日、帰してくれれば、こんな所にいなくて済んだのに」などと言います。 よく言うわ。 ついこないだまで、退院するつもりもなかったくせに。 「兄夫婦が、車二台で迎えに来るから、火曜まで待て」と言っておきました。 しかし、父にしてみれば、タクシー代を払ってでも、今日出てしまった方が、安く上がったかも知れません。 日曜だから、会計の方が困るのですが。

  下剤を、毎朝飲んでいるらしいのですが、便は、一昨日以来、出ていないとの事。 家に戻った後、自然排便が大丈夫なのか、少し心配です。

  まだ、来てから、5分もいないのに、母が、「元気そうだから、もう帰ろう」と言います。 母は、今日、スーパーの特売日で、買い物に寄るのが大事で、心ここにない様子。 私が、「いくら何でも、早すぎる」と言って、もう5分くらい粘り、それから、帰りました。 帰り際に、病室に寄り、そこに置いてあるチェック・シートを見たら、完食率は、昨夜の夕食が7割、今日の朝は9割、昼は5割でした。 しかし、もう、退院が決まっているから、どうでもよいです。

  帰りに、スーパーに寄り、老人用のオムツや、尿漏れシートなどを見ました。 父本人は、オムツは使わないつもりらしいので、参考までに調べただけ。 シートは、ペット用なら、半額くらいですが、尿の量が違うから、吸いきれない恐れがあります。 母が買った、米や、トイレット・ペーパーなどを積んで、先に帰りました。 今日も、暑かったです。 この地獄の見舞い行脚が、明日で終わるのが、とにかく、嬉しいです。

  今日の父の様子では、たぶん、帰って来たら、二階の自分の部屋に上がれると思います。 ひとまず、一階の旧居間で寝起きするようにしても、寝ていたのでは、体力が戻りませんから、結局、階段の上り下りの練習はするわけで、それなら、最初から、自室へ戻ってしまった方が、断然、住み心地がいいはず。 父は、入院前も、階下に下りて来るのは、一日に五回程度でしたから。

  家に戻ってすぐに、病院から電話があり、会計の概算が、65000円だと伝えて来ました。 22日も入院した割には、安いですが、これは、父が後期高齢者で、一割負担だからでしょう。 手術のような、金がかかる治療をしていない事も関係していると思います。 ただし、寝巻きや下着など、アメニティー類は、別勘定で、後で、請求が来るらしいです。

  ちなみに、私の場合、胆石の手術をした時には、15日間で、15万円。 岩手異動で、心臓を悪くして、検査入院した時には、9日間で、8万円くらいでした。 それに比べると、ずっと、安いでしょう?



≪2016/06/27 (月)≫
  天気予報が、明日から雨だと言うので、今日、布団を干しました。 正午前に取り込んでしまって、午後の見舞いに備えます。


  今日は、自転車による、最後の見舞いなので、カメラを持って行って、往路の各所と、病院の全景を撮影して来ました。 病院内は撮影禁止です。 明日はもう、退院ですから、父が帰りに着て来る服を持って行きました。 どうせ、兄の車で帰るから、めかしこむ必要はありません。 上は、ポロシャツ、下は、トレーナーのようなズボン。 他に下着類。

  今日の父は、病室のベッドに寝ていました。 着替えを見せて、これでいいかと訊いたら、良いとの事。 受け答えの感度は、まあまあでしたが、夢を見た直後らしく、「お寺が、61回忌の事について、文句を言って来て、何も書いてない卒塔婆をよこして、『こうなっちまうぞ!』と言った」などとと言ってました。

  61回忌って、誰の法事よ? 子供の頃に死んだ、叔父さん? まあ、どうせ、夢なんですけど。 心配しているようなので、「そんな、何十年もたった法事なんて、気にする事はない。 どうせ、坊主が儲けたくて、いい加減な事を言っているだけなんだから」と言っておきました。

  父は、仏の教えなんて、全く知らないんですが、祖先祭祀と在家仏教がごっちゃになっていて、寺関係の行事には、結構うるさいのです。 だけど、自分が動けなくなってしまったのでは、寺との関係も、見直さざるを得ますまい。 自分が長年続けて来た習慣だからと言って、何でも、子供に引き継がせられるわけではないという事が、最近、ようやく分かって来たようです。

  食事は、相変わらず、完食はしていないようですが、もう、退院が決まっているから、どうでもいいです。 まだ、お粥を食べているとの事。 朝は味噌汁が出ているらしいです。 リハビリは、午前中にやり、午後もやる予定だけれど、さすがに、明日はないのだとか。 そりゃそうですな。

  明日、病院の玄関まで歩けるか訊いたら、「家まではとても歩けない」という答え。 「兄貴が車で迎え来るから、歩くのは、玄関までだ」と言ったら、「なんだ、そういう事か」と納得していました。 「家に杖がある」と母が言うので、「持って来ようか?」と訊いたら、「持って来い」との返事。 なら、持って来ましょう。

  他に話す事もないので、30分くらいいて、帰りました。 やれやれ、これでもう、自転車でここまで来る事はありません。 連日の事で、疲れました・・・。


  母は、また、スーパーへ。 私は、街の方へ回って、銀行の用事を済ませ、その後、清水町の方まで、中古車を見に行きました。 三菱車が安くなっているかと思いきや、それほどでもない様子。 というか、相場がいくらか分からないから、安くなっているのかどうか、判断できないのです。

  初回登録から、13年過ぎているような車なら、30万円を切りますが、乗用軽だと、税金が、12800円になり、馬鹿になりません。 ボンバンなら、13年過ぎていても、6000円。 この差は、何なのだ? 13年過ぎてなくて、尚且つ、2015年より前に初回登録された車なら、乗用軽でも、税金は、7200円。 だけど、年式が新しい車は、車の値段が、50万を超してしまい、税金が少々安くなっても、元が取れません。

  父が、自転車に乗れるくらいまで、回復してくれれば、車なんて買わないで済むんですがねえ。 私ゃもう、契約とか、定期的な支払いとか、そういうのは、うんざりなんですわ。



≪2016/06/28 (火)≫
  父の退院日だと言うのに、朝から雨。 昼頃には、ポツポツ程度に弱まりましたが、それでも、明るい内は、ずっとやみませんでした。


  昼過ぎに、兄が車で迎えに来て、母と私が乗り込み、病院へ。 入院書類と保険証、診察券、他に、母が昔、中尊寺の土産に買って来た木の杖を持って行きました。 病院の玄関前で下ろしてもらい、母と上へ。 父は食堂にいて、服は、もう帰る為の物に着替えていました。 看護師さんに言われて、病室へ戻ります。 杖を渡しましたが、そんな物を使わなくても、かなり、危なげなく歩けるようです。

  病室で、靴下を穿き、靴に履き換えました。 私は、昨日、着替えを入れて持って来た指定袋に、荷物を片っ端から入れました。 髭剃り機、充電器、懐中電灯、眼鏡ケース、雑誌と新聞、カレンダー。 他に、病院側で用意した、蓋付きの青いコップ3つや、歯磨きセット、入れ歯ケースなど、父の名前が書き込まれた物は、全部持って帰ってよいというので、片っ端からブチ込みました。

  驚いた事に、看護師さんが、退院後、家で飲む薬を、ごそっと持って来ました。 そればかりか、一ヵ月後の、7月27日に、血液検査に来るようにとの事。 それまでの薬が、一ヵ月分出たわけです。 先週の土曜日には、薬も通院もないと聞いていたのに、そちらは、不確実な情報だったようですな。 どうも、この病院は、スタッフ間の連絡が宜しくない。

  「会計の者が来るから、病室で待つように」と言われて、後から、やって来た、兄嫁も加わって、五人で、ぼっと待ちました。 10分以上はかかったと思います。 ようやく、会計の人が、清算書を持ってやって来ました。 母が受け取り、「先に会計して来る」というので、保険証と診察券を渡そうとしたのですが、なぜか、「そんなの、要らないだろう」と言い張って、受け取りませんでした。

  母と兄は、会計に下り、兄嫁が荷物を持って、車を取りに行きました。 私が父について、エレベーターへ向かいましたが、支えるまでもなく、自分で歩いていました。 看護師さん達が、ナース・センターの前へ出て、5・6人で送ってくれました。 父は、「うまく喋れない」などと言っていた割には、自分でちゃんと、「お世話になりました」と挨拶していました。 私も、くどいくらい頭を下げて、病室のある階を後にしました。

  1階を通って、玄関から外に出たのは、父は初めてでしょう。 玄関の外のベンチに腰掛けて待っていたら、兄嫁の車が来ました。 軽のトール・ワゴンで、兄の車より背が高く、乗り込み易いので、そちらに父を乗せようという、兄夫婦の配慮なのです。 二台も出してもらって、実に申し訳ない。 父が助手席に、何とか乗り込むと、 兄嫁がベルトをしてやっていました。 私は、左後ろに乗ります。

  いつものコースで、家へ。 兄嫁は、来る時に道に迷ったとの事。 この人は、基本的に、ひっきりなしに喋る性質のようです。 当人が言い訳している通り、運転が荒っぽいのですが、これは、兄の運転の癖の影響ではないでしょうか。 車線変更の強引さが、そっくりです。 「ゆっくり、アクセルが踏めないんです」と言ってましたが、マジで、かなりのショックが来ます。 私の席からは見えませんでしたが、父も笑っていたらしいです。

  2時頃には、家に到着。 雨は、微微たるもの。 私が先に下りて、門扉と玄関を開け、荷物を下ろし、父に杖を渡し、玄関まで歩いてもらいました。 自力で靴を脱ぎ、廊下に上がりました。 段を上がれるという事は、そんなに衰えているわけではない証拠です。 とりあえず、台所の父の椅子に座らせましたが、すぐに母と兄が来て、母が促したので、父は、旧居間の布団に横になりました。

  旧居間のテレビを点けたら、父が、「入院中、一度もテレビを見なかった」と言いましたが、それは知っています。 父は、入院中、一円のお金も持っておらず、私が、「テレビを見るなら、カードを買って来るけど」と、何度か訊くたびに、「見ないから、いい」と答えるので、買わなかったのです。

  父が落ち着いたので、荷物を片付けました。 この時、母が、病院の会計で、診察券を再発行してもらっていた事がわかりました。 だから、一応、持って行けといったのに。 なんで、人の言う事を聞かないのか、気が知れません。 私が診察券を保険証と一緒に出した事にも気づいていなかったようです。

  薬を調べます。 兄嫁が言うには、ピロリ菌を殺す薬が入っているとの事。 兄嫁も飲んだ事があるらしいです。 よく、薬の形や色まで覚えているものです。  それにしても、よく喋る人だ。 兄が、ほとんど喋らない気持ちがよく分かる。 このテンションに対抗していたら、一日で燃え尽きてしまうでしょう。 薬は、朝食後が1錠、眠る前が3錠あります。

  母が兄夫婦にメロンや、菓子を出して、もてなしている間に、私は、裏から出て、兄嫁の車の大きさが、どの程度か見に行きました。 父の容態によっては、車を買わなければならないので、その参考にする為です。 軽ですが、やはり、現行規格は大きい。 母の二台目の車、ライフもそうだったのですが、背が高いと、尚更、大きく感じます。 カーポートの柱が邪魔で、幅の広い車を置けないという、馬鹿なジレンマが、実に恨めしい。

  3時頃には、兄夫婦が帰りました。 父は眠っていました。 22日ぶりに、変わった事をしたので、疲れたのでしょう。 もっとも、病院にいた時には、夜となく昼となく、眠り続けていたようですけど。


  夕飯は、しらす御飯、父は、おかゆ。 ほうれん草、シャウエッセン。 父の誕生日なのですが、特別なものは何もありません。 食後、父に、「歯磨きをするか」と訊いたら、「そこまで、病院の真似をしなくていい」との返事。 旧居間の布団だと、一人で立ち上がるのが難しくて、夜中にトイレに行けないので、やはり、二階の父の部屋に寝た方がいいだろうという事になりました。 私は、最初から、そうした方がいいと言っていたんですがね。

  私が後ろについて、階段を上がってもらいます。 少し、よたつきましが、何とか上がれました。 うちの階段は、元から手すりが付いているから、それに掴っていれば、危険はありません。 まだ、5時15分なので、座椅子をベッドの上に置き、座ってもらいます。 留守中に来た郵便物を説明。 さして重要な物は来ていません。

  母に、入院費の領収書を出してもらったところ、63120円でした。 父は、70歳以下ではないので、高額療養費限度額認定制度は使えません。 この他に、寝巻きや下着のレンタル代が、たぶん、2万円くらいになると思うのですが、それは、レンタル会社から、退院10日後に請求が来て、コンビニか郵便局で払い込むのだそうです。

  7時頃、また、父の部屋に行き、寝巻きに着替えてもらいました。 父が、「オムツは、洗えば、2・3回使えるのではないか?」などと言っていましたが、吸水シートなのに、そんな事ができるわけがありません。 それは、シュンのオムツで、経験済み。 着替えは、一人でできる模様。 座ってパンツをはくなど、器用なものです。 上半身は、長袖の下着だけで眠ると言います。 そちらも、入院前夜のように、腕を通す所を間違えるような事はなく、落ち着いていました。

  寝る前の薬を飲んでもらいます。 全て、錠剤。 ぬるま湯コップ8分目で、少しずつ飲んでいました。 入院中に一度やらかした、誤嚥を恐れているのでしょう。 しかし、夕食のお茶が、そのまま飲めて、ぬるま湯が飲めないはずがないです。 トロミ薬の残りはありますが、父自身も、使うつもりはないようです。

  座椅子を箪笥の上に戻し、布団を敷きましたが、これは、軽いから、父にもできそうです。 今夜から、パンツなので、念の為、シュン用に買って、残っていた、吸い取りシートを出して来たのですが、小さくて、3枚横に並べました。


  退院したこと自体は、良かったと思いますが、家で世話をしなければならない分、私と母の負担は増えたわけで、喜んでばかりはいられません。 父が、入院前の状態に戻ってくれればいいんですがねえ。



≪2016/06/29 (水)≫
  朝は雨が残っていましたが、9時頃には、上がりました。 父に頼まれて、銀行へ。 母が立て替えた入院費や、家に入れる月々のお金を下ろして来ました。 月の3分の2を家で暮らしていなくても、家に入れる金額は変わらないようです。 父と母の間で、そういう取り決めになっているのでしょう。

  母は、些か被害妄想的に、父の入院費を支払わなければならないと思っていたようですが、別に、父は母に扶養されているわけではないのですから、そりゃ、自分の入院費は、自分で払うでしょうよ。 もしかしたら、母は、入院費を払ってやって、父に対する支配欲や権勢欲を満足させたかったのかも知れません。


  今朝の未明に、目が覚めてしまい、本を読んだら、≪悪魔のひじの家≫を読み終わってしまいました。 読む物がなくなったので、午後一で、バイクを出し、三島図書館へ。 いつ降って来るか分からないような雰囲気でした。 三冊返して、カー(カーター・ディクスン)の、≪弓弦城殺人事件≫、≪九人と死で十人だ≫、≪貴婦人として死す≫を借りて来ました。


  父は、トイレは自力で行き、階段の上り下りも、問題なし。 だけど、入院前にしていた、朝飯の仕度や、茶碗洗い、布団の上げ下げは、まだ、やっていません。 とりあえず、夜中のトイレだけ、漏らす前に目覚めて、自分で行ってくれれば、世話がやけなくて済みます。 庭の水撒きも父が入院前にしていた事ですが、今日は雨で、必要なし。

  食べ物は、今朝から、普通の御飯を食べています。 入院中は、病院の食事を貶していたくせに、家の飯を食べても、別に、うまいとも何とも言いません。 張り合いのない事ですが、老人というのは、おしなべて、こういう、無感動なものなのです。 次のハードルは、風呂に一人では入れるかどうかですな。 階段を上れるのだから、浴槽に入る事もできると思うのですがね。



≪2016/06/30 (木)≫
  終日、雨か、雨寸前の状態。 家から出ませんでした。


  父は、家の仕事を一切していない以外は、入院前と同じような生活。 最後に便が出たのが、24日、先週の金曜日で、今日で6日目になります。 便秘体質なら、騒ぐような日数ではないのですが、父は、入院前は、毎日出ていた人なので、当人は、かなり気分が悪いと思います。

  今日は、庭で栽培しているアロエを食べていました。 「これを食べれば、確実に出る」と言っていましたが、一度、胃腸をおかしくしているから、どう転ぶか、心配です。 だけど、「食べるな」と止めるほど、私も、父の胃腸の具合に詳しいわけではないのです。



≪2016/07/01 (金)≫
  久しぶりに、晴れ。 そして、猛暑。

  父は、便通があったとの事。 下剤に頼っていても、出ているという事は、途中で停まっていないという事ですから、喜ぶべき事です。 腹の方は、まあいいとして、頭の方は、会話は通じるものの、またぞろ、夢と現実がごっちゃになっているような事を口にし始めました。 困った事です。

  そう言えば、父が病院で見た夢に出て来た、「お寺が、61回忌の事について、文句を言って来て、何も書いてない卒塔婆をよこして、『こうなっちまうぞ!』と言った」という件ですが、調べてみたら、61回忌などという法要は、存在しない事が分かりました。 普通は、33回忌までで、親が早死にしたとか、特殊なケースだけ、50回忌をやる場合があり、それ以降は、もう、個人の法要はしないのだそうです。

  一体、どーこから、61なんて数字を創りだしたものやら・・・? 「夢なら、何でもアリだろう」と思うでしょうが、問題は、父本人が、夢だと認めてくれない事です。 認知不全、恐るべし・・・。 ちなみに、うちでは、祖父母の法事は、33回忌まで、すでに終わっています。

  ところで、今日は、午前中に、自分でシャワーを浴びたとの事。 風呂場の低い椅子にも腰掛けられたそうで、結構な事です。 浴槽に入らなくても、体だけ洗っていれば、衛生的には充分です。 私も、もう、何十年も、そうしてますから。


  まだ、先の事ですが、7月28日に、入院していた病院へ、血液検査に行かなければならないので、バスで行く場合に備えて、乗り継ぎの停留所を調べて来ました。 一度、市街地まで行って、乗り換えなければ行けないのです。 指定された時間に行くには、バスの便が一本しかない事が分かりました。 厳しいなあ。

  乗り継ぎの合計運賃は、片道450円ですから、私も付き添って行くとしたら、バス代だけで、1800円も消える事になります。 それまでに、父が自転車に乗れるようになってくれればいいんですが、今現在の様子を見る限りでは、自転車に乗るなど、夢のまた夢という感じです。

  自分で、「衰え過ぎた」などと言っているから、妙に腹が立つ。 それが分かってるなら、自主リハビリするなり、自分で布団の上げ下ろしをするなり、努力すればいいのに。 子供が、病気になると優しくしてもらえるからと、仮病を使うのと、同じ心理なのではないでしょうか。




  日記はここまでです。 とりあえず、父の容態についての記事は、今回までにします。


  退院後の父の様子を見ると、入院前と比べて、歩き方が、より、ぎこちなくなり、とても、自転車に乗れるようになるような感じがしません。 私が車を買おうかとも思うのですが、父はもはや、病院以外に、出かける用事がなくて、定期通院しないのであれば、車を買うほどの事でもないような気がせんでもなし。

  一方、母について言えば、車は、ない方が、むしろ、健康に良いです。 自転車に乗れる間は、自転車を使っていた方が、心身ともに、衰えが進むのを防止できます。 だけど、母が、年齢相応に衰えている事は、息の荒さから見ても、明らかでして、「もう、買い物に行けない」と、いつ言い出しても、不思議ではないくらいです。 その時に備えて、車を買っておいた方が、転ばぬ先の杖になるとも思うのです。

  厄介なのは、車の置き場所なんですよ。 カー・ポートがあるんですが、幅が狭くて、車を置くと、人間が通り難くなります。 困った事に、その辺りが、母の園芸コーナーになっていまして、そこに車を置くとなれば、最初はともかく、その内、「邪魔だねえ」と言い出すに決まっているのです。 そういう人なのですよ。

  月極駐車場を借りてしまえば、母は何も言いませんが、月5千円として、年間6万円を払うのは、引退者の私としては、非常に厳しい。 とめようと思えば、家の敷地にとめられるのに、高いお金を出して、月極を借りるのは、理不尽千万ではありませんか。 園芸なんて、他でやりゃあいいんだよ。 カー・ポート以外にも、場所があるんだから。