父倒れる
父が、85歳にして、生まれて初めて、入院しました。 ここ数年、認知不全が、じわじわと進んでいたものの、壮年期に健康オタクだったくらいの人で、体の方は丈夫だったので、家族としては、想定外の出来事に、大いにうろたえました。 以下、現在までの経過を、私の日記から、移植します。 尚、尾籠な描写が含まれているので、食欲を落としたくない人は、読まないで下さい。
≪2016/06/06 (月)≫
今朝から、父が腹が痛いと言い出し、昼食と夕食はお粥を作りました。 自力で動いていますから、そんなにひどい状態とは思わなかったのですが、それは、嵐の前の静けさに過ぎませんでした。
夜になると、何度も吐いたり、下痢をしたりを繰り返すようになりました。 8時台のは、ひどくて、廊下で、いつまでもガタガタやっているので、見に出たら、洗面所で、なにやら黒い液体を、大量に吐き出しています。 父が言うには、眠っている時に、吐き気が来て、トイレまでもたずに、ベッドの上で戻してしまったとの事。
一体、何を吐いたのか訊くと、弱々しい声で、「フキ」という返事。 見ると、排水溝の網に、確かに、フキのようなものが詰まっています。 このフキは、隣から貰ったのを、母が煮たもので、私や母も食べています。 それにしても、一緒に出て来ている、黒い液体は何なんでしょう?
服を着替えるのを手伝い、ベッドのマットレスから、汚れた敷きパッドを外し、代わりにタオルを何枚か敷いて、また、寝かせました。 私は、夜11時まで、洗濯を続けて、ようやく、眠りました。
≪2016/06/07 (火)≫
父ですが、夜中に、また戻したらしく、今朝になったら、もっとひどい事になっていて、ベッドのマットレスや、床まで、例の黒い液体で、べっとり汚れていました。 私が敷いたタオルは、真っ黒になって、ゴミ箱に詰め込んでありました。 捨てて、どうする? 病気だから仕方ないのですが、昨夜の努力が水の泡です。 一生懸命やっても報われないのが、老人の世話の特徴ですな。
朝の7時20分頃、洗面所の流しで、更に戻し、「これは、病院だろう」という事で、タクシーを呼びました。 車が来るまでの間に、極力、父の部屋の掃除と、汚れ物の洗濯を進めました。 そろそろ、出かける仕度をと思って、一階の旧居間で横になっていた父に、立つように言ったのですが、全く駄目で、返事もできないほど、弱っています。
「これは、救急車だろう」という事になり、タクシーをキャンセルして、119番を呼びました。 たとえ、私が背負って、タクシーまで運べたとしても、車内で戻す恐れがあり、乗せる方も嫌でしょう。 それに、自力で病院に行った場合、順番を待つ事になりますが、座っていられないような状態では、それも覚束ないです。 10分もしない内に、サイレンが聞こえて来て、救急車が家に到着。 女性一人、男性二人の三人で、女性は大きなバッグを持ち、男性二人は、ストレッチャーを運び入れました。
救急隊員に、父が戻した物を見せると、「吐血だろう」との事。 もしやと思ってはいたものの、やはり、驚きました。 吐いた量が多いので、たぶん、入院になるが、どこの病院がいいかと訊かれたので、「うちには車がないから、なるべく近い方がいいです」と答えたら、いくつか、候補が出て、結局、家から自転車で通える距離にある、割と小さな総合病院に決まりました。
今まで、私は、3回、救急車に乗った事がありますが、全て、患者の立場でした。 今回、初めて、付き添いの立場で乗りました。 どちらで乗っても、あまり居心地が良くない反面、出発してから病院に着くまでが早過ぎると感じるのは、不思議な事です。 10分もかからずに到着。
父は、救急搬送口から入り、私は、病院の受付へ案内されました。 そこで説明された、書類の山とも言うべき、煩雑な入院手続きに、たじろぎました。 えらい病院に来てしまった。 ほとんどが同意書です。 よほど、訴訟沙汰を恐れているんでしょう。 私が最後に入院した岩手の県立病院では、この種の書類は、書いた覚えがありません。
私が待ったり、医師に事情を訊かれたりしている間に、父は、いくつかの検査を受けました。 内視鏡の結果について、医師から説明されたところによると、すでに、胃の中は空っぽで、特に、悪いところはないとの事。 ポリプが一つと、凹凸がある部分があるので、そこの組織を採取して調べると言われただけ。
一安心と言いたいところですが、父の年齢と、認知不全に片足突っ込んでいる事を考えると、良かったんだか、悪かったんだか、分かりません。 看護現場では、認知不全の老人の扱いに悩まされているようで、父の場合、どのような症状が出ているか、細々と訊かれました。 自分が入院している事が分からなくなり、点滴の針を抜かれたりすると、大変、困るようなのです。 だけど、同じ部屋の、他の老人達と比べると、父は、騒がないだけ、マシなのではないかと思えました。
母が来て、着替えなども持って来たのですが、この病院では、アメニティー・サービスが、割と安い金額で受けられるそうで、使い慣れている物の方が、看護師さん達がやりやすかろうと思って、全部、向こうに頼む事にしました。 おむつを使った事がないと言ったら、パンツで対応する事になったのですが、その後、父が失禁してしまい、おむつを含んだコースを追加する事になりました。
昼に、一度、家に戻りました。 母は、自転車で来ていたので、それで帰り、救急車で来た私は、歩いて帰りました。 家まで、約40分。 だけど、普段、山歩きで、1時間以上歩いているので、そんなにきつくはなかったです。
昼飯を食べ、今度は、バイクを出して、三島図書館へ。 あいにくな事に、今日が返却期限だったのです。 雨が降っていなかったのが、せめてもの慰め。 カーの本を三冊、≪緑のカプセルの謎≫、≪死者はよみがえる≫、≪連続殺人事件≫を借りて来ました。 父の状態を考えると、読書どころではないような気もしますが、入院してしまった以上、家族は、面会に行くくらいの事しかできません。
家に戻って、午後3時。 休む間もなく、今度は、母と二人で自転車で出かけ、父の様子を見て来ました。 点滴で意識朦朧としており、会話は、ほとんどできず、夢と現の世界を彷徨っていました。 これで、認知不全が入っていなければ、むしろ、羨ましいと思うのですけど・・・。 たとえ、胃腸の調子が回復しても、今回のショックで、父の認知機能の衰えは、更に進む事でしょう。 行く末は暗い。
4時20分頃に、家に戻って来て、ようやく、一服できました。 家の中が、部屋干しの洗濯物で一杯です。 先日、蕎麦殻を出して洗ったばかりの、父の枕も、あっさり汚されてしまい、また、中身を出して、洗わなければなりません。 もう、げんなりです。 しかし、なんですな。 本格的に介護をしている人達の苦労は、こんなもんじゃないんでしょうねえ。 毎日毎晩。 そりゃ、殺人事件も、無理心中も起ころうってもんですよ。
母が、夜を待って、兄に電話したところ、ちょうど、今日が休みで、次の休みは一週間後だとの事。 つまり、見舞いには行けないというわけです。 最初から、期待していないから、何の問題もありませんけど。 病院の部屋番号も訊かないのだから、とことん、見舞う気がないんですな。
ただ、この件に関しては、兄が悪いというより、父の方に問題の根がありまして、父は、兄にせよ、私にせよ、子供にほとんど興味がなく、特別に可愛がったりしなかったのです。 一応、家計を半分支える事で、親としての義務を果たしているつもりでいたのだと思いますが、喰うに困らないというのと、家族を大切にしているというのは、また別問題なんですな。
父にしてみれば、他の人間が、結婚しているから、自分も結婚しただけ。 他の人間が、子供を作っているから、自分も作っただけ。 それ以上の出来事ではなかったのです。 父の世代の場合、そういう、父親意識の希薄な父親は、多数派だったわけですが、父親意識が希薄な父親の元で育った子供は、当然、子供意識が希薄になるわけで、父親が健康を害したり、死んだりしても、そんなに衝撃がないのです。
≪2016/06/08 (水)≫
朝から、父の部屋の浄化作業の続き。 濡れ雑巾で床を拭き直しましたが、やはり、全ては取れませんでした。 一日経ったら、吐血のにおいは、ほぼ消えましたが、念の為、目につく所にある布製品を、片っ端から洗濯しました。 蕎麦殻枕の中身を、また出して、袋を洗濯。 毛布は、汚れていませんでしたが、一応、干すだけ干しました。
それとは、別に、自分の部屋の布団を干し、カバーを洗濯。 これは、梅雨時で、晴れた日に干しておかないと、次はいつ干せるか分からないからです。 今日、晴れてくれて、助かりました。 どかっと洗った父の洗濯物が、全て乾いたからです。
午後、兄から電話があり、半日休みを取ったから、見舞いに行くとのこと。 おやおや、珍しい。 いやいや、来るというなら、結構な事で、文句はありません。 車で来るというので、家に寄ってもらい、私と母が乗って、三人で病院へ。 入り組んだ所にある病院なので、車で行く道を、私も母も把握しておらず、行き当たりばったりの、最悪の道案内となりました。 しまいにゃ、喧嘩ですわ。 血縁者は遠慮がなくて困る。
父は、昨日よりは、頭がはっきりしていましたが、案の定、自分がどこにいるのか分からないようでした。 一応、説明しましたが、どうせ、一眠りすれば、また忘れてしまうでしょう。 兄は、父に会うのは、10ヵ月ぶりくらいで、いきなり、会話が通じない父に対面したので、ショックを受けたものと思います。
看護師さんの話によると、今日は、担当の医師が往診に出ていて、何の検査もしなかったとの事。 総合病院の医師なのに、往診なんてあるんすか? 何だか、嫌な予感がします。 そう簡単には、出してくれない病院なのかも。 父は、早くも帰りたがっていますが、何せ、認知不全に片足突っ込んでいるので、帰りたい理由が、どうにも妄想的で、安直に、「気持ちは分かる」と共感できません。
兄が、差し入れに、スポーツ新聞と週刊誌を買って来ていました。 兄も、鼠径ヘルニアで、何回か入院経験があるので、その退屈さは分かっていて、気を利かせたわけです。 しかし、父は、とても、そういったものが読める状態ではないような気がします。 恐らく、兄自身も、父の様子を見て、そう思った事でしょう。
病院には、1時間ほどいて、家に帰って来ました。 兄は、一旦家に上がり、煙草を一本吸って帰って行きました。 まったく、それだけで、臭くて仕方がない。 なんで、一本、我慢できんかなあ?
昨日の昼から、母と二人で食事をしているのですが、三人と二人では、食事のレベルがまるで違っていて、あり合わせの物ばかりになっています。 これが、一人になると、もっとテキトーになるのは、応援や異動で経験済み。 食費で計算すると、一人と二人では、3倍くらいの差があり、一人と三人では、5倍くらい、差が開くと思います。
≪2016/06/09 (木)≫
昨日洗った父の枕袋に、蕎麦殻を詰めて、縫い直し、父の部屋の浄化は完了。 後は、当人が帰って来るのを待つだけになりました。
午後1時頃、母と二人で、自転車に乗り、病院へ、父の見舞い。 父は、同じ病室ながら、入り口に近い所へ、ベッドが移されていました。 まだ、点滴や酸素のチューブがついているのに、ベッドから下りようとしたとの事。 点滴のせいだと思いますが、頭がはっきりしないようで、会話が、ほとんど通じません。 「まだ、ベッドから離れられないんだよ」と、口で言っても、分からないのです。
喋る事も、まるで、要領を得ず、大昔の記憶を、一方的、且つ、断片的に口にするだけ。 憐れ、衰えたり・・・。 これが、つい三日前まで、自力で朝飯の支度をしていた人とは思えません。 全て、点滴の影響ならいいのですが、果たして、元の状態に戻れるかどうか・・・。 看護師さんの話では、土曜日から、食事を出すとの事。 それまでは点滴が外せないわけで、よーく、ボケボケになってしまいそうです。
今日は曇りでしたが、雨が降らなければいいというわけでもなく、距離が遠いから、自転車では、疲れます。 昨日、兄の車で来て、一度、楽をしているから、根性が挫けてしまっていて、尚悪い。 「誰か、車で乗せてってくれんななあ・・・」というのが、正直な気持ちでした。
≪2016/06/10 (金)≫
いい天気でした。 入梅後、晴れと曇りが一日交替しています。
午後、母と二人で、自転車に乗り、父の見舞いへ。 今日は、入院以来、最もマシな状態になっていました。 ピント外れながらも、一応、会話ができましたから。 熱が出たそうで、氷枕をしていたのですが、そのせいでしょうか。 熱が出て、頭がはっきりするというのは、理屈に合わないような気がしますが。
よりによって、炎天下の一番暑い時間帯に行ったので、私と母の方が、父より弱っていたと思います。 母も、ここのところ、ちょっと体を動かすと、息が、ゼイゼイ言うようになり、よくもまあ、往復7キロも走って、倒れないものです。 まったく、人間の体というのは、よう分からん。
戦場のジンクスに、「同じ所に、二度、爆弾は落ちない」というのがありますが、「夫婦が相次いで入院する」とか、「夫婦が相次いで死ぬ」というのは、割とアリでして、これは、それまでの生活パターンが崩れて、心身に不調を来すからだと思います。 「後を追うように死んでしまった」というのは、何も、仲がいい夫婦に限りませんが、精神的にも、経済的にも、相手への依存度が低ければ、確かに、ダメージは少ないでしょうなあ。
夜になって、兄から電話があり、母が、今日の父の様子を伝えました。 その一時間後に、今度は、兄嫁から電話があり、明日、見舞いに行きたいとの事。 兄嫁も車を持っているので、母が、うちに寄って乗せていってくれないかと訊いたら、あっさり、OK。 いや~、助かった。 これで、明日は天気に関係なく、疲れなくて済みそうです。
ちなみに、なぜ、兄と兄嫁が別々に電話して来たかというと、別に仲が悪いわけではなく、仕事の関係で、家に戻る時間が違うかららしいです。 兄と兄嫁は、子供がいない夫婦であるせいか、仲がいい方だと思います。 いや、どの家にも、外面・内面があるから、本当のところは分かりませんけど。
≪2016/06/11 (土)≫
今日は、兄嫁が見舞いに来たので、それにちゃっかり便乗し、車で往復しました。 いやあ、車で良かった。 今日の天気で、自転車を漕いだのでは、熱中症になりかねないところでした。 こういう時は、車を持っている人が、神の使いに見えますな。
父は、今日から、食事を食べる予定だと聞かされていたのですが、私らが、行ってみると、予定通り、朝・昼と食べ、しかも、完食したとの事。 別に、腹が痛くなったわけでもなく、今のところ、順調に回復しているようです。 点滴のチューブが外されて、腕が自由になっていました。 ただ、酸素のチューブは、まだ、ついたままで、ベッドを離れる事はできません。
腹は回復に向かっていますが、頭の方は、依然として、はっきりせず、私の事を兄だと思い込んでいたり、自分が入院している事を忘れていたりと、結構な混乱ぶりでした。 点滴さえ外せば、頭がはっきりすると思っていたんですが、そんなに簡単な話ではなかったか。 退院して、家に戻って来ても、果たして、元通りの生活ができるかどうか・・・。
家に戻って、兄嫁と、母と私の三人で、話をしたのですが、父の話題から逸脱し、その場にいない兄の事や、兄嫁の実家の事、犬の事、韓ドラの事など、午後2時半から、4時くらいまで話が続きました。 うちは、滅多に客が来ないので、外部の人と話すのは楽しいのですが、ちと、喋り過ぎて、疲れました。
とりあえず、日記はここまでです。 父の入院は、土曜までで、五日目ですが、この分だと、一週間では出られそうにないです。 十日、あるいは、もっとかかるのかも。 腹の方に関しては、病院にいる方が安心ですが、人任せの生活が続くと、頭の方が、よーく衰えてしまいそうで、怖いです。 父本人は、結構、居心地が良さそうですが、私としては、早く退院してくれた方がいいんですがねえ。
そもそも、腹の不調の原因は何かというと、病院では分からないとの事。 吐血した量が多い割には、出血場所が特定できず、医師も首を傾げていました。 黒い液体が、血だろうというのは、医師が確認したわけではなく、救急隊員が、見た目で判断しただけなので、もしかしたら、血ではないのかもしれませんが、では、一体何なのかとなると、それが分かりません。 何らかの原因で、胃腸が食べ物を受け付けなくなり、胃に物が溜まって、それが黒くなったんですかね?
吐いた物の中に、フキが入っていて、そのフキは、隣家の庭に生えたのを、貰った物だというのは、日記の中でも触れました。 その時、一緒にアシタバも貰ったのですが、そのアシタバを私が食べた時に、とても、植物の味とは思えない、化学薬品のような味がしたので、一口食べただけで、残りは捨ててしまいました。 あの味は、農薬ではないかと思ったのですが、同じ庭に生えたのなら、フキにも農薬がかかっていた可能性があります。
同じフキを、私も少し食べているのですが、父ほどではないものの、少し腹が渋る状態が続いていて、もしかしたら、中毒なのではないかと、疑えないではなし。 ただし、その件については、確たる証拠があるわけではないので、医師には伝えていません。 隣家が、わざと、農薬がかかった野菜をよこすとも思えませんから、大ごとになりかねない事は、避けねばなりません。
家庭菜園や庭で作った野菜を、近所に分けるのは、良くある事ですが、そういう作り方の場合、農家の畑と違って、管理しているのが一人とは限らないので、家人が農薬をかけた直後である事を知らずに、収穫して、人にやってしまう事もあるわけで、大変、危なっかしいです。
プロの農家がくれたものなら、あまり心配しなくてもいいですが、素人が作った物の場合、よくよく気をつけて、怖いと思ったら、食べない方がいいと思います。 食べるところまで、見られているわけではないですから、こっそり捨ててしまっても、分かりゃしません。 言うまでもなく、近所づきあいより、命の方が大事です。
≪2016/06/06 (月)≫
今朝から、父が腹が痛いと言い出し、昼食と夕食はお粥を作りました。 自力で動いていますから、そんなにひどい状態とは思わなかったのですが、それは、嵐の前の静けさに過ぎませんでした。
夜になると、何度も吐いたり、下痢をしたりを繰り返すようになりました。 8時台のは、ひどくて、廊下で、いつまでもガタガタやっているので、見に出たら、洗面所で、なにやら黒い液体を、大量に吐き出しています。 父が言うには、眠っている時に、吐き気が来て、トイレまでもたずに、ベッドの上で戻してしまったとの事。
一体、何を吐いたのか訊くと、弱々しい声で、「フキ」という返事。 見ると、排水溝の網に、確かに、フキのようなものが詰まっています。 このフキは、隣から貰ったのを、母が煮たもので、私や母も食べています。 それにしても、一緒に出て来ている、黒い液体は何なんでしょう?
服を着替えるのを手伝い、ベッドのマットレスから、汚れた敷きパッドを外し、代わりにタオルを何枚か敷いて、また、寝かせました。 私は、夜11時まで、洗濯を続けて、ようやく、眠りました。
≪2016/06/07 (火)≫
父ですが、夜中に、また戻したらしく、今朝になったら、もっとひどい事になっていて、ベッドのマットレスや、床まで、例の黒い液体で、べっとり汚れていました。 私が敷いたタオルは、真っ黒になって、ゴミ箱に詰め込んでありました。 捨てて、どうする? 病気だから仕方ないのですが、昨夜の努力が水の泡です。 一生懸命やっても報われないのが、老人の世話の特徴ですな。
朝の7時20分頃、洗面所の流しで、更に戻し、「これは、病院だろう」という事で、タクシーを呼びました。 車が来るまでの間に、極力、父の部屋の掃除と、汚れ物の洗濯を進めました。 そろそろ、出かける仕度をと思って、一階の旧居間で横になっていた父に、立つように言ったのですが、全く駄目で、返事もできないほど、弱っています。
「これは、救急車だろう」という事になり、タクシーをキャンセルして、119番を呼びました。 たとえ、私が背負って、タクシーまで運べたとしても、車内で戻す恐れがあり、乗せる方も嫌でしょう。 それに、自力で病院に行った場合、順番を待つ事になりますが、座っていられないような状態では、それも覚束ないです。 10分もしない内に、サイレンが聞こえて来て、救急車が家に到着。 女性一人、男性二人の三人で、女性は大きなバッグを持ち、男性二人は、ストレッチャーを運び入れました。
救急隊員に、父が戻した物を見せると、「吐血だろう」との事。 もしやと思ってはいたものの、やはり、驚きました。 吐いた量が多いので、たぶん、入院になるが、どこの病院がいいかと訊かれたので、「うちには車がないから、なるべく近い方がいいです」と答えたら、いくつか、候補が出て、結局、家から自転車で通える距離にある、割と小さな総合病院に決まりました。
今まで、私は、3回、救急車に乗った事がありますが、全て、患者の立場でした。 今回、初めて、付き添いの立場で乗りました。 どちらで乗っても、あまり居心地が良くない反面、出発してから病院に着くまでが早過ぎると感じるのは、不思議な事です。 10分もかからずに到着。
父は、救急搬送口から入り、私は、病院の受付へ案内されました。 そこで説明された、書類の山とも言うべき、煩雑な入院手続きに、たじろぎました。 えらい病院に来てしまった。 ほとんどが同意書です。 よほど、訴訟沙汰を恐れているんでしょう。 私が最後に入院した岩手の県立病院では、この種の書類は、書いた覚えがありません。
私が待ったり、医師に事情を訊かれたりしている間に、父は、いくつかの検査を受けました。 内視鏡の結果について、医師から説明されたところによると、すでに、胃の中は空っぽで、特に、悪いところはないとの事。 ポリプが一つと、凹凸がある部分があるので、そこの組織を採取して調べると言われただけ。
一安心と言いたいところですが、父の年齢と、認知不全に片足突っ込んでいる事を考えると、良かったんだか、悪かったんだか、分かりません。 看護現場では、認知不全の老人の扱いに悩まされているようで、父の場合、どのような症状が出ているか、細々と訊かれました。 自分が入院している事が分からなくなり、点滴の針を抜かれたりすると、大変、困るようなのです。 だけど、同じ部屋の、他の老人達と比べると、父は、騒がないだけ、マシなのではないかと思えました。
母が来て、着替えなども持って来たのですが、この病院では、アメニティー・サービスが、割と安い金額で受けられるそうで、使い慣れている物の方が、看護師さん達がやりやすかろうと思って、全部、向こうに頼む事にしました。 おむつを使った事がないと言ったら、パンツで対応する事になったのですが、その後、父が失禁してしまい、おむつを含んだコースを追加する事になりました。
昼に、一度、家に戻りました。 母は、自転車で来ていたので、それで帰り、救急車で来た私は、歩いて帰りました。 家まで、約40分。 だけど、普段、山歩きで、1時間以上歩いているので、そんなにきつくはなかったです。
昼飯を食べ、今度は、バイクを出して、三島図書館へ。 あいにくな事に、今日が返却期限だったのです。 雨が降っていなかったのが、せめてもの慰め。 カーの本を三冊、≪緑のカプセルの謎≫、≪死者はよみがえる≫、≪連続殺人事件≫を借りて来ました。 父の状態を考えると、読書どころではないような気もしますが、入院してしまった以上、家族は、面会に行くくらいの事しかできません。
家に戻って、午後3時。 休む間もなく、今度は、母と二人で自転車で出かけ、父の様子を見て来ました。 点滴で意識朦朧としており、会話は、ほとんどできず、夢と現の世界を彷徨っていました。 これで、認知不全が入っていなければ、むしろ、羨ましいと思うのですけど・・・。 たとえ、胃腸の調子が回復しても、今回のショックで、父の認知機能の衰えは、更に進む事でしょう。 行く末は暗い。
4時20分頃に、家に戻って来て、ようやく、一服できました。 家の中が、部屋干しの洗濯物で一杯です。 先日、蕎麦殻を出して洗ったばかりの、父の枕も、あっさり汚されてしまい、また、中身を出して、洗わなければなりません。 もう、げんなりです。 しかし、なんですな。 本格的に介護をしている人達の苦労は、こんなもんじゃないんでしょうねえ。 毎日毎晩。 そりゃ、殺人事件も、無理心中も起ころうってもんですよ。
母が、夜を待って、兄に電話したところ、ちょうど、今日が休みで、次の休みは一週間後だとの事。 つまり、見舞いには行けないというわけです。 最初から、期待していないから、何の問題もありませんけど。 病院の部屋番号も訊かないのだから、とことん、見舞う気がないんですな。
ただ、この件に関しては、兄が悪いというより、父の方に問題の根がありまして、父は、兄にせよ、私にせよ、子供にほとんど興味がなく、特別に可愛がったりしなかったのです。 一応、家計を半分支える事で、親としての義務を果たしているつもりでいたのだと思いますが、喰うに困らないというのと、家族を大切にしているというのは、また別問題なんですな。
父にしてみれば、他の人間が、結婚しているから、自分も結婚しただけ。 他の人間が、子供を作っているから、自分も作っただけ。 それ以上の出来事ではなかったのです。 父の世代の場合、そういう、父親意識の希薄な父親は、多数派だったわけですが、父親意識が希薄な父親の元で育った子供は、当然、子供意識が希薄になるわけで、父親が健康を害したり、死んだりしても、そんなに衝撃がないのです。
≪2016/06/08 (水)≫
朝から、父の部屋の浄化作業の続き。 濡れ雑巾で床を拭き直しましたが、やはり、全ては取れませんでした。 一日経ったら、吐血のにおいは、ほぼ消えましたが、念の為、目につく所にある布製品を、片っ端から洗濯しました。 蕎麦殻枕の中身を、また出して、袋を洗濯。 毛布は、汚れていませんでしたが、一応、干すだけ干しました。
それとは、別に、自分の部屋の布団を干し、カバーを洗濯。 これは、梅雨時で、晴れた日に干しておかないと、次はいつ干せるか分からないからです。 今日、晴れてくれて、助かりました。 どかっと洗った父の洗濯物が、全て乾いたからです。
午後、兄から電話があり、半日休みを取ったから、見舞いに行くとのこと。 おやおや、珍しい。 いやいや、来るというなら、結構な事で、文句はありません。 車で来るというので、家に寄ってもらい、私と母が乗って、三人で病院へ。 入り組んだ所にある病院なので、車で行く道を、私も母も把握しておらず、行き当たりばったりの、最悪の道案内となりました。 しまいにゃ、喧嘩ですわ。 血縁者は遠慮がなくて困る。
父は、昨日よりは、頭がはっきりしていましたが、案の定、自分がどこにいるのか分からないようでした。 一応、説明しましたが、どうせ、一眠りすれば、また忘れてしまうでしょう。 兄は、父に会うのは、10ヵ月ぶりくらいで、いきなり、会話が通じない父に対面したので、ショックを受けたものと思います。
看護師さんの話によると、今日は、担当の医師が往診に出ていて、何の検査もしなかったとの事。 総合病院の医師なのに、往診なんてあるんすか? 何だか、嫌な予感がします。 そう簡単には、出してくれない病院なのかも。 父は、早くも帰りたがっていますが、何せ、認知不全に片足突っ込んでいるので、帰りたい理由が、どうにも妄想的で、安直に、「気持ちは分かる」と共感できません。
兄が、差し入れに、スポーツ新聞と週刊誌を買って来ていました。 兄も、鼠径ヘルニアで、何回か入院経験があるので、その退屈さは分かっていて、気を利かせたわけです。 しかし、父は、とても、そういったものが読める状態ではないような気がします。 恐らく、兄自身も、父の様子を見て、そう思った事でしょう。
病院には、1時間ほどいて、家に帰って来ました。 兄は、一旦家に上がり、煙草を一本吸って帰って行きました。 まったく、それだけで、臭くて仕方がない。 なんで、一本、我慢できんかなあ?
昨日の昼から、母と二人で食事をしているのですが、三人と二人では、食事のレベルがまるで違っていて、あり合わせの物ばかりになっています。 これが、一人になると、もっとテキトーになるのは、応援や異動で経験済み。 食費で計算すると、一人と二人では、3倍くらいの差があり、一人と三人では、5倍くらい、差が開くと思います。
≪2016/06/09 (木)≫
昨日洗った父の枕袋に、蕎麦殻を詰めて、縫い直し、父の部屋の浄化は完了。 後は、当人が帰って来るのを待つだけになりました。
午後1時頃、母と二人で、自転車に乗り、病院へ、父の見舞い。 父は、同じ病室ながら、入り口に近い所へ、ベッドが移されていました。 まだ、点滴や酸素のチューブがついているのに、ベッドから下りようとしたとの事。 点滴のせいだと思いますが、頭がはっきりしないようで、会話が、ほとんど通じません。 「まだ、ベッドから離れられないんだよ」と、口で言っても、分からないのです。
喋る事も、まるで、要領を得ず、大昔の記憶を、一方的、且つ、断片的に口にするだけ。 憐れ、衰えたり・・・。 これが、つい三日前まで、自力で朝飯の支度をしていた人とは思えません。 全て、点滴の影響ならいいのですが、果たして、元の状態に戻れるかどうか・・・。 看護師さんの話では、土曜日から、食事を出すとの事。 それまでは点滴が外せないわけで、よーく、ボケボケになってしまいそうです。
今日は曇りでしたが、雨が降らなければいいというわけでもなく、距離が遠いから、自転車では、疲れます。 昨日、兄の車で来て、一度、楽をしているから、根性が挫けてしまっていて、尚悪い。 「誰か、車で乗せてってくれんななあ・・・」というのが、正直な気持ちでした。
≪2016/06/10 (金)≫
いい天気でした。 入梅後、晴れと曇りが一日交替しています。
午後、母と二人で、自転車に乗り、父の見舞いへ。 今日は、入院以来、最もマシな状態になっていました。 ピント外れながらも、一応、会話ができましたから。 熱が出たそうで、氷枕をしていたのですが、そのせいでしょうか。 熱が出て、頭がはっきりするというのは、理屈に合わないような気がしますが。
よりによって、炎天下の一番暑い時間帯に行ったので、私と母の方が、父より弱っていたと思います。 母も、ここのところ、ちょっと体を動かすと、息が、ゼイゼイ言うようになり、よくもまあ、往復7キロも走って、倒れないものです。 まったく、人間の体というのは、よう分からん。
戦場のジンクスに、「同じ所に、二度、爆弾は落ちない」というのがありますが、「夫婦が相次いで入院する」とか、「夫婦が相次いで死ぬ」というのは、割とアリでして、これは、それまでの生活パターンが崩れて、心身に不調を来すからだと思います。 「後を追うように死んでしまった」というのは、何も、仲がいい夫婦に限りませんが、精神的にも、経済的にも、相手への依存度が低ければ、確かに、ダメージは少ないでしょうなあ。
夜になって、兄から電話があり、母が、今日の父の様子を伝えました。 その一時間後に、今度は、兄嫁から電話があり、明日、見舞いに行きたいとの事。 兄嫁も車を持っているので、母が、うちに寄って乗せていってくれないかと訊いたら、あっさり、OK。 いや~、助かった。 これで、明日は天気に関係なく、疲れなくて済みそうです。
ちなみに、なぜ、兄と兄嫁が別々に電話して来たかというと、別に仲が悪いわけではなく、仕事の関係で、家に戻る時間が違うかららしいです。 兄と兄嫁は、子供がいない夫婦であるせいか、仲がいい方だと思います。 いや、どの家にも、外面・内面があるから、本当のところは分かりませんけど。
≪2016/06/11 (土)≫
今日は、兄嫁が見舞いに来たので、それにちゃっかり便乗し、車で往復しました。 いやあ、車で良かった。 今日の天気で、自転車を漕いだのでは、熱中症になりかねないところでした。 こういう時は、車を持っている人が、神の使いに見えますな。
父は、今日から、食事を食べる予定だと聞かされていたのですが、私らが、行ってみると、予定通り、朝・昼と食べ、しかも、完食したとの事。 別に、腹が痛くなったわけでもなく、今のところ、順調に回復しているようです。 点滴のチューブが外されて、腕が自由になっていました。 ただ、酸素のチューブは、まだ、ついたままで、ベッドを離れる事はできません。
腹は回復に向かっていますが、頭の方は、依然として、はっきりせず、私の事を兄だと思い込んでいたり、自分が入院している事を忘れていたりと、結構な混乱ぶりでした。 点滴さえ外せば、頭がはっきりすると思っていたんですが、そんなに簡単な話ではなかったか。 退院して、家に戻って来ても、果たして、元通りの生活ができるかどうか・・・。
家に戻って、兄嫁と、母と私の三人で、話をしたのですが、父の話題から逸脱し、その場にいない兄の事や、兄嫁の実家の事、犬の事、韓ドラの事など、午後2時半から、4時くらいまで話が続きました。 うちは、滅多に客が来ないので、外部の人と話すのは楽しいのですが、ちと、喋り過ぎて、疲れました。
とりあえず、日記はここまでです。 父の入院は、土曜までで、五日目ですが、この分だと、一週間では出られそうにないです。 十日、あるいは、もっとかかるのかも。 腹の方に関しては、病院にいる方が安心ですが、人任せの生活が続くと、頭の方が、よーく衰えてしまいそうで、怖いです。 父本人は、結構、居心地が良さそうですが、私としては、早く退院してくれた方がいいんですがねえ。
そもそも、腹の不調の原因は何かというと、病院では分からないとの事。 吐血した量が多い割には、出血場所が特定できず、医師も首を傾げていました。 黒い液体が、血だろうというのは、医師が確認したわけではなく、救急隊員が、見た目で判断しただけなので、もしかしたら、血ではないのかもしれませんが、では、一体何なのかとなると、それが分かりません。 何らかの原因で、胃腸が食べ物を受け付けなくなり、胃に物が溜まって、それが黒くなったんですかね?
吐いた物の中に、フキが入っていて、そのフキは、隣家の庭に生えたのを、貰った物だというのは、日記の中でも触れました。 その時、一緒にアシタバも貰ったのですが、そのアシタバを私が食べた時に、とても、植物の味とは思えない、化学薬品のような味がしたので、一口食べただけで、残りは捨ててしまいました。 あの味は、農薬ではないかと思ったのですが、同じ庭に生えたのなら、フキにも農薬がかかっていた可能性があります。
同じフキを、私も少し食べているのですが、父ほどではないものの、少し腹が渋る状態が続いていて、もしかしたら、中毒なのではないかと、疑えないではなし。 ただし、その件については、確たる証拠があるわけではないので、医師には伝えていません。 隣家が、わざと、農薬がかかった野菜をよこすとも思えませんから、大ごとになりかねない事は、避けねばなりません。
家庭菜園や庭で作った野菜を、近所に分けるのは、良くある事ですが、そういう作り方の場合、農家の畑と違って、管理しているのが一人とは限らないので、家人が農薬をかけた直後である事を知らずに、収穫して、人にやってしまう事もあるわけで、大変、危なっかしいです。
プロの農家がくれたものなら、あまり心配しなくてもいいですが、素人が作った物の場合、よくよく気をつけて、怖いと思ったら、食べない方がいいと思います。 食べるところまで、見られているわけではないですから、こっそり捨ててしまっても、分かりゃしません。 言うまでもなく、近所づきあいより、命の方が大事です。
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