読書感想文・蔵出し⑱
別に、記事を書く暇がないわけではないのですが、閑なせいで、読書が進み、読書感想文が溜まる一方なので、ここらで、出しておきます。 ルルーを読んでいたのは、去年(2015年)の10月半ば頃です。 その前に、自分で所有している横溝正史さんの文庫を読み返していたんですが、どこかに、ルルーの名前が出て来て、興味を覚え、借りてきたもの。
≪世界推理小説大系 第7巻 ルルー≫
東都書房 1962年
ガストン・ルルー 著
石川湧 訳
著者の、ガストン・ルルーは、フランスの記者・小説家で、1868年生・1927年没。 小説を書き始めたのは、1907年からで、当時、フランスでは、モーリス・ルブランの、アルセーヌ・ルパン物が大受けしていて、それを横目に見て、推理小説を書き始めたらしいです。 同時期に、イギリスでは、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物が発表され続けていて、そちらの影響も強く受けていたようです。
【黄色い部屋】
最初の長編推理小説。 3段組で、138ページもあるので、文庫にしたら、一冊では、かなりの厚さになると思います。 発表は、1908年。 大人向けに訳された、ルパン物を読んだ事がある人なら、思い当たるかも知れませんが、この時期のフランスの小説に共通した特徴として、決して、読み易い文章ではないです。 話の持って行き方が、遠回りで、勿体ぶっているように感じられます。 大デュマや、バルザックの頃の小説と比べると、時代が変わってしまった事が良く分かるのですが、進化したという感じはしません。
1892年、パリ近郊の田舎、ル・グランディエに建つ科学者宅の、離れ家の中にある「黄色い部屋」で、娘が何者かに襲われて、重傷を負う事件が起こり、完全な密室で起こった事件に、警察の捜査がお手上げになった後、ロンドンに出張していた、警官探偵のフレデリック・ラルサンが呼び戻され、矛盾のない説明で、密室の謎を解いてみせるが、同時に捜査を開始した、弱冠18歳の新聞記者、ジョゼフ・ルールタビーユの見解は、別のところにあり、二人とも、屋敷に住み込んで、捜査を進める内に、第二・第三の犯人消失事件が起こる話。
【黄色い部屋】は、機械的・物理的トリックに頼らない、密室物の代表とされていて、その点に関しては、謎が解けると、「なるほどなあ」と、思わされます。 だけど、犯人の意図とは無関係の、偶然の要素が、かなり多く絡んでいて、犯罪トリックになっていないようにも思われ、巧みに、ピントをズラして、読者を煙に巻いたようなところが、なきにしもあらず。
この頃になると、謎の解明だけで、長編が埋まるほど、推理小説が発達して来ていたんですな。 因縁話だけで、半分、水増していた、ガボリオや、ドイルとは、同じ長編でも、書き方が、全く異なっています。 逆に言うと、因縁話を、最小限に抑えて、犯人消失の謎にばかり、ページ数を割いているせいで、小説というより、数学の証明を読んでいるような、無味乾燥な感じもします。
そもそも、密室で殺人事件が起こった場合、合理的な解釈は、自殺しかないので、犯人がいるとしたら、「自殺に見せかけたかった」という事になります。 ところが、【黄色い部屋】の密室では、被害者は死んでおらず、意識も回復しますから、自傷に見せかけるなんて事はできないわけで、そうなると、「犯人は室内にいなかった」という、ルールタビーユの結論は、自明の理という事になり、謎というほどの謎ではなくなってしまいます。
とはいえ、この作品が、つまらないかと言うと、そんな事はないのであって、前半こそ、語り口が遠回しなのに、イライラさせられますが、第二の犯人消失事件が起こった辺りから、面白くなり、後は、一気に、最後まで、引っ張って行かれます。 密室のアイデアだけでなく、「人物の描写に頼らない、謎解きの要素だけで構成した小説でも、面白く書く事はできる」という証明をした点で、この作品は、高く評価できるのです。
ただし、それはあくまで、推理小説としての評価でして、文学としては、全く、相手にされないと思います。 誉め過ぎると、誤解する人もいると思うので、念の為に、書き添えておくわけですが・・・。 この辺りから、推理小説が、他の小説と、袂を分かって行ったんでしょうねえ。
被害者である、科学者の娘は、「嬢」と書いてあるものの、年齢は、35歳くらいで、過去に、結婚・出産の経験があるというのが、探偵ルールタビーユの、不自然なほどの若さと関係があるのですが、【黄色い部屋】だけを読む場合、そこら辺のキャラ設定には、無理があり、「嬢」が、そんなに高齢でなければならない、理由がありません。 それらは、続編である、【黒衣夫人の香り】の為に張られた伏線なのです。
【黒衣夫人の香り】
二番目に書かれた長編推理小説。 3段組で、144ページあり、≪黄色い部屋≫と、ほとんど、同じ長さです。 発表は、1909年。 主要登場人物のほとんどを、【黄色い部屋】と共有しています。 犯人まで同じ人物で、一応、別の作品という事になっていますが、【黄色い部屋】の続編というより、【黄色い部屋】と【黒衣夫人の香り】は、一つの小説の、第一部と第二部の関係にあると言った方が適当です。
【黄色い部屋】の事件が解決した後、科学者の娘は、婚約者と結婚し、新婚旅行に出かけるが、すでに死んだはずの、犯人の姿が目撃された事で、地中海に面したイタリア領の古城に逃げ込み、呼び寄せられたルールタビーユの指揮の元に、防御を固めるものの、再び、犯人の襲撃を許してしまう話。
これ以上、書けませんな。 こちらは、「一人二役」と「入れ替わり」のトリックが使われているのですが、【黄色い部屋】より、更に、複雑に入り組んでおり、書くとなると、ネタバレしてしまいます。 というか、複雑過ぎて、梗概に要約するのは、不可能です。 無理に書いても、何がなんだか、分からなくなってしまうでしょう。
いやはや、よくもまあ、こんな、ややこしいアイデアを、思いついたものですな。 小説というより、トリックを捏ね回す遊びを楽しんでいる感じです。 「一人二役」や「入れ替わり」というのは、推理小説では、よく使われますが、こんなに入り組んだのは、初めて読みました。 推理小説とは言い条、こんなのを推理しながら読むのは、まず、無理でしょう。 コリン・デクスターの作品と同じで、作者に引っ張り回されるままに、ついて行くしかありません。
本来、妻や、友人・知人が周囲にいる中で、特定の人物に、別の人物が入れ替わるというのは、無理があると思うのですが、それは、作者も承知していて、無理が無理に見えないように、いろいろと、工夫を凝らしています。 しかし、実際には、やはり、無理な感じがしますねえ。 外見だけ似せても、体臭や、仕草、癖などで、すぐに、バレてしまうでしょう。 だけど、推理小説だと、それは、「アリ」という、お約束になっているんですな。
解説によると、ルルーという人は、ルールタビーユを探偵役にした作品を、いくつも書いたけれど、最初の二作、【黄色い部屋】と【黒衣夫人の香り】だけが、推理小説史に残り、他の作品は、忘れ去られてしまったのだそうです。 この二作が、図抜けて、優れていて、これらを外すと、推理小説の全集が組めないくらいなのだとか。 その事は、読んでみると、すんなり、納得できます。
以上、今回の感想文は、一冊、二作品です。 少ないですが、実は、この後、私の読書は、ディクスン・カーの世界に入ってしまい、カーについては、数が多くなりそうなので、「読書感想文・蔵出し」ではなく、別のシリーズを設けるつもりでいまして、今回、中途半端に出してしまうわけにはいかないのです。
ルルーは、フランスの作家で、推理小説の草創期には、フランス人作家も、気を吐いていたんですが、その後、英語圏で、クリスティーや、クイーン、カーなどが、膨大な数の作品を発表するようになると、すっかり、影が薄くなってしまいます。 もしかしたら、似たような話が多くなるのを、フランス人作家が嫌ったのかも知れません。
でもねえ、私の好みなだけかもしれませんが、推理小説の舞台には、フランスを始め、ヨーロッパ大陸の方が、似合うと思うんですよ。 歴史の層の厚さが、不気味な雰囲気を、自然に醸し出してくれるんですな。 ウンベルト・エーコの、≪薔薇の名前≫なんか、トリックとしては、子供騙しもいいところですが、単に中世イタリアの修道院が舞台だというだけで、どれだけ、得をしていることか。
英語圏でも、イギリスは、まだいいんですが、アメリカになると、もう、全然、駄目でして、クイーンなんて、雰囲気が軽過ぎて、読めたもんじゃありません。 いや、≪X≫、≪Y≫、≪Z≫は、一応、読みましたがね。 いつ読んだんだろう? おやおや、高校の時ですよ! 学校の図書館で借りて読んだのです。 大昔ですな。
アメリカの作家でも、ポーの、デュパン・シリーズのように、ヨーロッパを舞台にした作品は、面白いのです。 アメリカが舞台だと、みんな、テレビ・ドラマの刑事物みたいに、軽くなってしまうんですな。 ゾクゾクしないのでは、推理小説の最低要件も満たさないと思うのですがねえ。
≪世界推理小説大系 第7巻 ルルー≫
東都書房 1962年
ガストン・ルルー 著
石川湧 訳
著者の、ガストン・ルルーは、フランスの記者・小説家で、1868年生・1927年没。 小説を書き始めたのは、1907年からで、当時、フランスでは、モーリス・ルブランの、アルセーヌ・ルパン物が大受けしていて、それを横目に見て、推理小説を書き始めたらしいです。 同時期に、イギリスでは、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物が発表され続けていて、そちらの影響も強く受けていたようです。
【黄色い部屋】
最初の長編推理小説。 3段組で、138ページもあるので、文庫にしたら、一冊では、かなりの厚さになると思います。 発表は、1908年。 大人向けに訳された、ルパン物を読んだ事がある人なら、思い当たるかも知れませんが、この時期のフランスの小説に共通した特徴として、決して、読み易い文章ではないです。 話の持って行き方が、遠回りで、勿体ぶっているように感じられます。 大デュマや、バルザックの頃の小説と比べると、時代が変わってしまった事が良く分かるのですが、進化したという感じはしません。
1892年、パリ近郊の田舎、ル・グランディエに建つ科学者宅の、離れ家の中にある「黄色い部屋」で、娘が何者かに襲われて、重傷を負う事件が起こり、完全な密室で起こった事件に、警察の捜査がお手上げになった後、ロンドンに出張していた、警官探偵のフレデリック・ラルサンが呼び戻され、矛盾のない説明で、密室の謎を解いてみせるが、同時に捜査を開始した、弱冠18歳の新聞記者、ジョゼフ・ルールタビーユの見解は、別のところにあり、二人とも、屋敷に住み込んで、捜査を進める内に、第二・第三の犯人消失事件が起こる話。
【黄色い部屋】は、機械的・物理的トリックに頼らない、密室物の代表とされていて、その点に関しては、謎が解けると、「なるほどなあ」と、思わされます。 だけど、犯人の意図とは無関係の、偶然の要素が、かなり多く絡んでいて、犯罪トリックになっていないようにも思われ、巧みに、ピントをズラして、読者を煙に巻いたようなところが、なきにしもあらず。
この頃になると、謎の解明だけで、長編が埋まるほど、推理小説が発達して来ていたんですな。 因縁話だけで、半分、水増していた、ガボリオや、ドイルとは、同じ長編でも、書き方が、全く異なっています。 逆に言うと、因縁話を、最小限に抑えて、犯人消失の謎にばかり、ページ数を割いているせいで、小説というより、数学の証明を読んでいるような、無味乾燥な感じもします。
そもそも、密室で殺人事件が起こった場合、合理的な解釈は、自殺しかないので、犯人がいるとしたら、「自殺に見せかけたかった」という事になります。 ところが、【黄色い部屋】の密室では、被害者は死んでおらず、意識も回復しますから、自傷に見せかけるなんて事はできないわけで、そうなると、「犯人は室内にいなかった」という、ルールタビーユの結論は、自明の理という事になり、謎というほどの謎ではなくなってしまいます。
とはいえ、この作品が、つまらないかと言うと、そんな事はないのであって、前半こそ、語り口が遠回しなのに、イライラさせられますが、第二の犯人消失事件が起こった辺りから、面白くなり、後は、一気に、最後まで、引っ張って行かれます。 密室のアイデアだけでなく、「人物の描写に頼らない、謎解きの要素だけで構成した小説でも、面白く書く事はできる」という証明をした点で、この作品は、高く評価できるのです。
ただし、それはあくまで、推理小説としての評価でして、文学としては、全く、相手にされないと思います。 誉め過ぎると、誤解する人もいると思うので、念の為に、書き添えておくわけですが・・・。 この辺りから、推理小説が、他の小説と、袂を分かって行ったんでしょうねえ。
被害者である、科学者の娘は、「嬢」と書いてあるものの、年齢は、35歳くらいで、過去に、結婚・出産の経験があるというのが、探偵ルールタビーユの、不自然なほどの若さと関係があるのですが、【黄色い部屋】だけを読む場合、そこら辺のキャラ設定には、無理があり、「嬢」が、そんなに高齢でなければならない、理由がありません。 それらは、続編である、【黒衣夫人の香り】の為に張られた伏線なのです。
【黒衣夫人の香り】
二番目に書かれた長編推理小説。 3段組で、144ページあり、≪黄色い部屋≫と、ほとんど、同じ長さです。 発表は、1909年。 主要登場人物のほとんどを、【黄色い部屋】と共有しています。 犯人まで同じ人物で、一応、別の作品という事になっていますが、【黄色い部屋】の続編というより、【黄色い部屋】と【黒衣夫人の香り】は、一つの小説の、第一部と第二部の関係にあると言った方が適当です。
【黄色い部屋】の事件が解決した後、科学者の娘は、婚約者と結婚し、新婚旅行に出かけるが、すでに死んだはずの、犯人の姿が目撃された事で、地中海に面したイタリア領の古城に逃げ込み、呼び寄せられたルールタビーユの指揮の元に、防御を固めるものの、再び、犯人の襲撃を許してしまう話。
これ以上、書けませんな。 こちらは、「一人二役」と「入れ替わり」のトリックが使われているのですが、【黄色い部屋】より、更に、複雑に入り組んでおり、書くとなると、ネタバレしてしまいます。 というか、複雑過ぎて、梗概に要約するのは、不可能です。 無理に書いても、何がなんだか、分からなくなってしまうでしょう。
いやはや、よくもまあ、こんな、ややこしいアイデアを、思いついたものですな。 小説というより、トリックを捏ね回す遊びを楽しんでいる感じです。 「一人二役」や「入れ替わり」というのは、推理小説では、よく使われますが、こんなに入り組んだのは、初めて読みました。 推理小説とは言い条、こんなのを推理しながら読むのは、まず、無理でしょう。 コリン・デクスターの作品と同じで、作者に引っ張り回されるままに、ついて行くしかありません。
本来、妻や、友人・知人が周囲にいる中で、特定の人物に、別の人物が入れ替わるというのは、無理があると思うのですが、それは、作者も承知していて、無理が無理に見えないように、いろいろと、工夫を凝らしています。 しかし、実際には、やはり、無理な感じがしますねえ。 外見だけ似せても、体臭や、仕草、癖などで、すぐに、バレてしまうでしょう。 だけど、推理小説だと、それは、「アリ」という、お約束になっているんですな。
解説によると、ルルーという人は、ルールタビーユを探偵役にした作品を、いくつも書いたけれど、最初の二作、【黄色い部屋】と【黒衣夫人の香り】だけが、推理小説史に残り、他の作品は、忘れ去られてしまったのだそうです。 この二作が、図抜けて、優れていて、これらを外すと、推理小説の全集が組めないくらいなのだとか。 その事は、読んでみると、すんなり、納得できます。
以上、今回の感想文は、一冊、二作品です。 少ないですが、実は、この後、私の読書は、ディクスン・カーの世界に入ってしまい、カーについては、数が多くなりそうなので、「読書感想文・蔵出し」ではなく、別のシリーズを設けるつもりでいまして、今回、中途半端に出してしまうわけにはいかないのです。
ルルーは、フランスの作家で、推理小説の草創期には、フランス人作家も、気を吐いていたんですが、その後、英語圏で、クリスティーや、クイーン、カーなどが、膨大な数の作品を発表するようになると、すっかり、影が薄くなってしまいます。 もしかしたら、似たような話が多くなるのを、フランス人作家が嫌ったのかも知れません。
でもねえ、私の好みなだけかもしれませんが、推理小説の舞台には、フランスを始め、ヨーロッパ大陸の方が、似合うと思うんですよ。 歴史の層の厚さが、不気味な雰囲気を、自然に醸し出してくれるんですな。 ウンベルト・エーコの、≪薔薇の名前≫なんか、トリックとしては、子供騙しもいいところですが、単に中世イタリアの修道院が舞台だというだけで、どれだけ、得をしていることか。
英語圏でも、イギリスは、まだいいんですが、アメリカになると、もう、全然、駄目でして、クイーンなんて、雰囲気が軽過ぎて、読めたもんじゃありません。 いや、≪X≫、≪Y≫、≪Z≫は、一応、読みましたがね。 いつ読んだんだろう? おやおや、高校の時ですよ! 学校の図書館で借りて読んだのです。 大昔ですな。
アメリカの作家でも、ポーの、デュパン・シリーズのように、ヨーロッパを舞台にした作品は、面白いのです。 アメリカが舞台だと、みんな、テレビ・ドラマの刑事物みたいに、軽くなってしまうんですな。 ゾクゾクしないのでは、推理小説の最低要件も満たさないと思うのですがねえ。
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