2016/06/26

復活の光

  6月7日(火)に、入院した父ですが、まだ、入院しています。 というわけで、一日の内、三時間くらいは見舞いで潰れており、何かと忙しいので、今回も、日記からの移植で、お茶を濁させてもらいます。 前回までは、父の容態に関する事だけを抜き出していましたが、今回からは、まるごと出します。 その方が、この時期、どんな生活をしていたか分かって、臨場感がありそうなので。




≪2016/06/19 (日)≫
  今朝、カーの、「連続殺人事件」を読み終わりました。 まずまず、面白かったです。 これで、父が入院した日に借りて来た三冊は、全て読み終わりました。


  日曜日なので、病院の面会は、午前10時から可能です。 庭に水撒きをしてから、9時半頃、母と自転車で出かけました。 向こうに着いたのが、9時50分で、まだ面会時間になりません。 父も眠っているし、看護師の人が、台車に乗せた計測機器を持ち込んで、検査しているようなので、一旦、病院の外に出ました。

  母が、病院の近くにある、市の福祉施設を見たいと言い出し、それにつきあって、30分ばかり歩いて来ました。 その施設、名前は知っているのですが、具体的に何をやっているのかは知りません。 今日も、入口の前まで行っただけで、分からないまま、通り過ぎて来ました。

  母が喉が渇いたというので、一階の自販機でポカリスエットの500ペット・ボトルを150円で買いました。 私は、飲みたいわけではなかったのですが、母が何か買えと言うので、ココアを130円で買いました。 ココアを買うのは、岩手異動から撤退して来た時、深夜に、国道16号線の川越で、歩道の縁石に座って飲んで以来です。 あれから、ほぼ、2年経ちます。 父の病室がある階の食堂で一服。 時刻は、10時20分になっていました。

  病室の方で、台車に乗った機械が見えなくなったので、父の所へ行ってみると、昨日は一本だった点滴が、二本になっていました。 母に、「増えてるぞ」と言っていたら、そこへやって来た看護助手に、「増えてませんよ」と、ピシャリと否定されました。 午前中は、抗生剤を入れているから、二本なのだそうです。

  便は、出ていないと言います。 下剤を飲んでも出ないのでは、話になりませんな。 食事は、昨日は、出された量の半分くらいしか食べていなかったのが、今朝は、全部食べたようです。 食べなければ、便は出ないわけで、できれば、毎回、完食してもらいたいものです。 昨日、当人から聞いたところでは、「食べたくないから食べない」との事でしたが。

  父は、声をかければ目を開けますが、別に話す事はない様子。 「何で来た?」と訊かれたので、「自転車で来た」と答えました。 「庭に水を撒いてきた」と報告しましたが、返事はありません。 「今日は何日だ?」と訊かれたので、「19日の日曜日で、入院してから、13日目だ」と言い添えておきました。 見舞い客が病室で腰をかけたい場合、食堂から、丸椅子を持って来るのですが、今日は、持ち込まずに、11時前には、引き揚げました。


  午後、資源ゴミのダンボールを捨てに行った後、バイクを出し、三島図書館へ向かいました。 三冊返し、新たに、カーの、≪死者のノック≫、≪悪魔のひじの家≫、≪毒のたわむれ≫を、書庫から出してもらい、借りて来ました。 フェル博士が探偵役のシリーズで、三島図書館にある本は、これで全部借りた事になります。

  日曜日の事とて、三島市街は人出が多く、混みそうな道を回避しようとしたら、入った道の先で、お祭りの山車を移動していて、渋滞を起こしており、却って、時間を喰ってしまいました。 マーフィーが暴れまくっておるのう。 山車の移動なんて、夜か早朝にやった方がいいんじゃないですかね? いや、私はよそ者だから、余計な事を言う資格はないですけど。


  午後3時過ぎから、雨。 父の自転車は、プレハブ離屋にしまってしまいました。 当人が退院して来るまでは、用がないからです。 もしかしたら、持ち主に乗られる事は、もう、ないかもしれません。



≪2016/06/20 (月)≫
  今日も、母と二人で、自転車で見舞い。 薄曇りで、それほど暑くはならず、助かりました。

  ネットからダウンロードしたカレンダーを、6月分だけ印刷し、入院日に丸をつけて持って行きました。 父はテレビを見ていないのでテレビの前に貼って、横を向くだけで見えるようにしました。 何日、入院しているか、承知しておいてもらわなければ・・・。

  今日の父は、ちょうど、食堂から部屋に戻って、横になったばかりで、直前まで車椅子に座っていたせいか、入院以来、最もよく、話が通じました。 便は、昨日の夕方出たらしいのですが、トイレではなく、他の場所でしたとの事。 もしかしたら、浣腸したのかもしれません。 リハビリは、午前の時もあれば、午後の時もあり、立って歩いているが、ふらつくと言っていました。

  父が「自転車は、あそこにあるのか?」と訊くので、私はてっきり、家の自転車置場の事かと思い、「昨日、プレハブに入れた」と答えたのですが、考えてみれば、私が昨日、父自の場所を変えた事を、父が知っているわけがなく、もしかしたら、自転車をどこかに置いて来た夢を見て、その続きの話をしていたのかもしれません。

  私が、「便を出す為に、御飯は全部食べた方がいい」と言ったら、「まずくて、食べる気にならない」との事。 「家の飯だって、そんなにうまくないだろう」と言ったら、「家の方が、いろいろなおかずがあっていい」と言っていました。 御飯は、まだ、お粥で、ヨーグルトや牛乳も出ているらしいです。 父は自分のメニューだけ特別だと思っていたようですが、前の前の日曜に、私が、食事の様子を見た時には、メニューは一人一人、全部違っていました。

  帰る時、一階の売店の前で、掌に載るくらいのハムスターのぬいぐるみがあるのを母に見せたら、母は、ハムスターには興味を示さず、その隣の、犬のぬいぐるみを手に取りました。 柴犬もあったのですが、丸顔過ぎて、シュンとは似ても似つかないので、買うなと言っておきました。 値段は、324円だったかな? 割と、安いですな。



≪2016/06/21 (火)≫
  午前中は雨。 風はなくて、吹きかける事はありませんでしたが、何となく不安になって、雨戸を閉めたくなるくらい、一時期、多く降りました。


  9時半頃。 ガス会社の人が、ガス漏れ警報器の交換に来ました。 母とのやり取りを、二階で聞いていたら、ついでに、電気事業も始めたという売り込みをしている模様。 母が、ブレーカーが落ちないように、アンペア数を上げたいなどと訴えていたので、面倒な事にならない内に、私が出て行って、「たまにしか落ちないから、どうという事はないです」と言って、帰ってもらいました。 ガス屋に、電気の事を相談する母も、だいぶ、判断力が衰えています。


  午後は、見舞い。 今日は、兄の仕事が休みの日なので、車で家まで迎えに来てもらい、兄、兄嫁、母、私の四人で、病院まで行きました。

  今日の父は、病室のベッドで眠っていました。 看護師さんに、様子はどうか訊いたら、だいぶ、元気になって来たとの事。 小便も、トイレに車椅子で連れて行ってもらって、自分で座って、しているらしいです。 それは、大変、結構な事。 だけど、まだ自然に便が出ておらず、そちらが安定しない内は、とても退院できそうにありません。

  父は、昨日に引き続き、今日も、受け答えはまともでした。 兄夫婦に、病状を知っておいてもらう為に、私が、食事・便チェック・シートの見方を説明しました。 兄は、自分の入院の時、よほど、ベッドの角度で苦労したらしく、今日も、手動レバーを回して、最も楽な角度にしようとしていました。 兄嫁が、「楽な角度は、人によって違うのでは」と言ったのですが、兄が何かと言うと、黙ってしまいました。 どうも、この夫婦は、緩い主従関係にあるようですな。 兄嫁が引いているから、もっているように見えます。

  窓際に昨日入院した患者が、かなり元気な人で、自力で歩き回り、テレビの映りが悪いなどと、看護師に不平を漏らしたりしていたのですが、こちらが喋っていると、カーテンの向こうで、嫌がらせっぽい咳払いなどするので、早めに帰る事にしました。 兄は、見舞い時間が短過ぎると思ったようですが、父も、兄夫婦が来ていたのでは、緊張が続いて、負担になるでしょう。

  頭の方が、体調を崩す前の状態まで戻ったのは、喜ばしい事です。 ただ、肝心の胃腸の方が、うまく機能していないのでは、根本的解決になりません。 とにかく、食べなければ出ないのですから、まずくても、我慢して、完食してもらいたいものです。



≪2016/06/22 (水)≫
  終日、曇り。

  読書は、カーの≪毒のたわむれ≫を読み終わり、≪死者のノック≫を読み始めました。 よくもまあ、同じ作家の推理小説ばかり、こんなに読み続けられるものだと思います。 だけど、私のカー批評は、未だに辛いままです。 「だったら、読むな」と言われると、その通りなんですが、他に読みたいものがないのですよ。 乗りかかった舟だし、借りれる限り、読んでみようと思っています


  昼過ぎから、母と自転車で、父の見舞いへ。 曇りで、ちょうど良かったです。

  父は自分のベッドで、眠っていました。 酸素チューブが外されて、点滴だけになっており、かなり、軽くなった感じ。 点滴も、台車に吊ってあるので、自力での移動が可能になったわけです。 15分くらい待っていたら、父が起きたので、調子はどうか訊きました。 受け答えは、今日もまともでした。 完食率は、朝飯は、9割、昼飯は5割。 「食べなければ、便が出ないから、いつまで経っても退院できないぞ」と言っておきました。

  初めて会う男性のリハビリ療法士が来て、これまでの経過を説明されました。 掴り歩きはできるらしいです。 トイレも行くだけは行けるけれど、自分で呼ばずに、看護師に訊かれてから連れて行ってもらっているとの事。 そういう話を、看護師ではなく、リハビリ療法士から説明されるのが、また、この病院の奇妙な点です。

  午後からもリハビリをすると言っていましたが、すぐではないようなので、しばらく、父の所にいたのですが、帰り際に見たら、療法士の人が、まだいて、廊下で他の誰かと話をしていました。 どうやら、私達が帰るのを待っていたようです。 それならそうと言ってくれれば、すぐに帰ったのに。 それにしても、リハビリで筋力が戻っても、胃腸が回復しないのでは、話になりませんな。


  母はスーパーへ寄るというので、私は先に家へ戻りました。 今夜の雨に備えて、旧母自を物置へしまってから、靴を登山靴に履き換えて、横山へ運動登山へ。 昨夜の雨でぬかるんでいたもののが、滑るほどひどいわけではなかったです。 むしろ、久々に来たせいで、歩いても歩いても、横山峠に着く感じがしない方に参りました。 下り口がまた、前回以上に草が生い茂っていて、靴がびしょびしょ。 夏の山は、こんなものなのでしょう。



≪2016/06/23 (木)≫
  夜から、午前中にかけて、豪雨。 風が出なかったのは、幸いでした。 雨戸を閉めて、灯りを点けた部屋で、地味に読書。


  昼頃には晴れて来て、母と自転車で見舞いに行けました。 狩野川の土手を通ったのですが、水が黄土色に濁って、増水していました。 何かの工事で使うのか、河川敷に、砂を山にしていた所があるのですが、そこまでは水が来ていなくて、今日も重機が動いていました。 危なっかしい事に変わりはないのですが。

  父は、食堂にいました。 部屋に戻りたがっていて、看護師さんが来たので、私が車椅子を押して行きました。 もう、点滴しか体についていないし、点滴は台車に吊ってあるのだから、自分で歩かせた方が、絶対いいと思うのですがねえ。

  チェック・シートを見ると、今日の朝食と昼食は、3割しか食べていませんでした。 昨日、私が、「便を出す為に、まずくても、全部食べな」と言ったから、それに反発したのではないかと思います。 こうなったら、奥の手で、「入院は、タダじゃないんだよ。 お金がかかっているだよ。 後払いだけど、お金を払うんだよ。 大体、一日に、1万円かかっていると思えばいい」と言っておきました。 だけど、分かったんだか、分かってないんだか、分からない顔つきでした。

  父が突然、兄の名前を口にして、「ここまで、どうやって来てるんだ?」と訊くので、少し考えてしまったのですが、「自転車で、どこを通って来てる?」と付け足した事で、私の事を言っているのだと分かりました。 やれやれ、また、兄と私の区別が付いていないのです。 馬鹿馬鹿しい。 毎日の見舞いで、もう、げんなりしているのに、来る気もなくします。

  母はまた、スーパーに寄るというので、私は、蛇松線に入り、自転車を押して歩きました。 蛇松線に日陰があって涼しいからというより、今日は、山に登るつもりがないから、運動の為に、歩きたかったのです。 港大橋に出て、狩野川の右岸、上流の土手道を遡ってみましたが、まだ、永代橋まで行けるようにはなっていませんでした。


  去年は、6月18日に、市県民税の納付書が郵送されて来たのですが、今年は、同じ日を過ぎても届きません。 父と母の納付書は、もう来たとの事。 不安になって、市役所の担当課に電話してみたら、「昨年の所得がない人には、お送りしていません」との返事でした。 なるほど、市県民税は、所得に対してかかるので、収入がない私は、ゼロになるのです。 それなら、納付書が来るわけはないわなあ。

  お金を払わずに済むのは、ありがたいですが、何となく、寂しい気もしますねえ。 税金を払っていないのに、図書館なんか利用しちゃっていいんじゃろうか? もっとも、ここのところ、隣の自治体の、三島市立図書館しか使っていないのですが。



≪2016/06/24 (金)≫
  昨夜は降らず、今日は、明るい内は、ずっと、曇り。 夕方頃から、パラパラして来ました。

  午前中は、庭に水を撒く以外に、これと言ってやる事がなく、カーの、≪死者のノック≫を読んでいました。

  ここ数日、母が、私に食事の仕度をさせないのは、「ボケるのが嫌だから」だそうです。 母は、父が家にいる頃には、父がおかしな行動をとっても、「家族の気を引く為に、わざと、そんなフリをしているだけ」と決め付けていたのですが、入院後、まるで会話が通じない父を目の当たりにして、ようやく、本当に認知不全になっているのだと悟ったらしいです。 随分と遅い事よ。


  午後、いつものように、母と自転車で見舞いへ。 二人で、自転車を連ねて走って行くと、相手が気になって、却って危険なので、今日は、別々のコースで行きました。 私は、蛇松線の中を、自転車を押して行ったのですが、母より、少し遅れただけで、病院に着きました。

  私達が、エレベーターから出ると、ちょうど、父が、トイレから、病室に帰るところで、看護師さんに支えられながらも、自分の脚で歩いていました。 便も出たとの事。 ただし、自然に出たのではなく、下剤は毎日服用しているようです。 自分で、ベッドに横になり、会話しましたが、受け答えは、至って、まともで、もう、五日連続で、そんなですから、頭の方は、ほぼ、入院前の状態に戻ったと見ていいでしょう。

  食事は、昨日の夕食が7割、今日の朝食が8割、昼食が9割で、頑張って食べている様子。 たぶん、昨日、私が、入院費用の事について話したので、俄かに、早く出なければならないと思ったのではないでしょうか。 誰でも、一日一万円かかっていると思えば、のんびり滞在なんかできないはず。 もっと、早く言っておけば良かったです。

  更に、退院したい気持ちになるように、「もう、だいぶ、長くいるから、病院の方だって、退院させたがっているはずだ」と言っておきました。 これは、満更、はったりではなく、患者の回転が速い病院では、ほんとに、そう思っていると思います。 病院は患者を治療する所であって、介護施設のように、住む所ではないのですから。 父が、私の入院期間を訊いて来たので、胆石の時には半月、心臓の時には九日だったと答えました。 父は、今日で、18日目です。

  10分もいない内に、母が、腹の調子が悪いと言い出し、病院のトイレを使いたくないから、早く帰りたいと言います。 まったく、それなら、無理に来なくたって、私一人でも良かったのに。 先に帰るように言ったら、父が、私にも帰っていいと言ったので、それならという事で、私も一緒に病院を出ました。 ただし、母は家に直行したのに対して、私は、狩野川の土手道をぐるっと回って、運動して帰りました。

  午後4時頃、病院から電話があって、「明日、退院の事について話したい」と伝えて来ました。 病院側も、マジで、そろそろ、お引き取り願いたいのでしょう。



≪2016/06/25 (土)≫
  夜半から、予想外の嵐。 午前3時半頃、風雨の音で目覚め、慌てて、自室の雨戸を閉めました。 外に出て、自転車置場の雨除けにしている波板を外し、地面に伏せましたが、すでに手遅れで、波板が風に煽られて、植木鉢を一つ、引っ繰り返していました。 植えられていた草花の茎が折れていて、もう、助けようがありませんでした。 一台だけ、自転車置場に置いてあった母自を、玄関の中に避難させて、ようやく、眠り直しました。


  土曜日なので、掃除や、亀の水換えなど、週末作業。 9時半頃には、雨が上がって、晴れて来ました。 嵐で落ち葉だらけになった外回りを掃除したのですが、途中で昼になり、中断。


  午後は、いつものように、母と自転車で、父の病院へ。 昨日の夕方、退院について話があるという電話があったので、その内容を聞きに行ったわけですが、あいにく、病院の防災避難訓練の日で、しかも、ちょうど、その時間に当たってしまい、終わるまで、30分くらい待ちました。 まあ、仕方ないですな。 看護師さん達にしてからが、「ほんとに火事になったら、どうなるんだろうね?」などと話していましたが、どの組織でも、避難訓練が、訓練の為の訓練になっているのは、同じようですな。

  その内、訓練が終わって、看護師さんが説明に来ました。 もう、今落としている点滴が終われば、治療は全て終わるから、いつ退院してもいいとの事。 自然排便を待つものと思っていたので、ちょっと不安ですが、すでに、19日目で、長居し過ぎており、向こうが退院していいと言うのですから、素直に従っておくに越した事はありません。 退院後は、通院や、薬の服用も必要ないとの事。 それは、ありがたい。 家からの距離が遠いので、父が自転車に乗れたとしても、ここまでは来れない恐れがあるからです。

  退院日は、いつでもいいけれど、平日ならば、事務が開いているから、会計が一回で済むとの話。 今日は土曜日なので、今日・明日は外し、月曜にしたいところですが、火曜日なら、兄が休みになるので、車で迎えに来てもらえば、タクシーを頼まなくて済みます。 で、母や父と話し合った上で、火曜日の午後に決めました。

  面会時間と違い、退院の場合、午前中でもいいのに、なぜ、午後にしたかというと、兄夫婦が午前中に来た場合、うちで、昼飯を用意しなければならず、父の迎え入れで忙しいのに、そんな余裕がないと思ったからです。 迎えに来てもらうのだから、飯くらい出せと思うかもしれませんが、兄夫婦が来る時には、上寿司をとるのが常なので、タクシー代より高くついてしまいます。 そういう計算を一瞬でしたのですから、私の頭も、損得勘定能力だけは、まだ衰えていませんな。

  虫がいいのは、私達が、その事を、兄本人に一切相談せずに決めてしまった事です。 「まあ、どうせ、来週の火曜にも、見舞いに来るつもりだったろうから、断られる事はないだろう」と踏んだんですな。 恐ろしい家族だて・・・。

  とにかく、退院が決まって良かったです。 病院の帰りに、私だけ、シュンの寺に寄り、退院が決まった事を伝えて、礼を言っておきました。 家に戻って、外回りの掃除の続き。 今日は、暑かったです。




  日記はここまでです。 そんなこんなで、何とか、退院日が決まるところまで、やって来ました。 便を出さなければいけないのに、物を食べないという、悪循環に陥った時には、無限に入院が続くのではないかと恐れましたが、とりあえず、事態に変化が見られたのは、幸いでした。 何と言っても、父の頭は、すでに、健康人のそれとは違っているので、こちらの意思を伝えるのに、えらい苦労するのが、最大の問題です。

  退院できる事が分かっても、帰って来た後、家で、どんな生活をするかについて、先々、難問は山積しています。 自分で、トイレに行けるのか、それともオムツ生活になるのか。 自分で風呂に入れるのか、シャワーだけになるのか、介添えが必要なのか。 階段を上り下りして、自分の部屋に住めるのか、一階の旧居間に寝起きするのか。 入院前から、通院していた医院へは、自転車で行けるのか、車でなければ駄目なのか。 などなど。

  看護師さんから、介護認定について、世話をするという話が出ましたが、やはり、要介護度がつく状態なんでしょう。 その話も聞いて来なければなりません。 父が、入院前の生活に戻れるなら、しばらくは不要ですが、オムツ生活になってしまうのなら、介護認定を受けていれば、購入補助が出ると聞いた事があります。

  車を買うべきか否か、それが問題。 父が、自転車に乗れないと分かれば、否が応でも、車を買わなければ、父が今後、病院へ行くたびに、タクシー代を払う事になってしまいます。 もはや、免許を持っているのは、私だけなので、私の名義で買う事になりますが、私自身は、車を全く必要としていないので、心情的に、大きな抵抗がある次第。 やっと、車と無縁な生活になって、サバサバしていたのに、またかよ・・・。