2016/06/19

生きたいと思う者の為に

  6月7日(火)に、吐血して、救急車で運ばれ、そのまま入院した父ですが、12日経った現在、まだ、退院していません。 目立った病変がないのに、この回復の遅さは、弥が上にも、家族の不安を盛り上げてくれます。 当人は、半ボケ状態で、さほど、気にしていない様子。

  毎日、見舞いに行っている私は、父と、噛み合わない会話を交わすたびに、消化器系の問題で入院したのに、認知不全で入院したかのような錯覚に陥っているのですが、それも、当人は分かっていない様子。 入院のショックで、認知機能の低下が一気に進んでしまったのは、間違いないと思います。




≪2016/06/12 (日)≫
  父が入院している病院の面会時間は、平日は、午後1時から、8時まで。 日曜・祝日が、午前10時から、午後8時まで。 で、今日は、食事の様子を見るために、昼前に出かけていきました。 父は、ナース・センター隣の部屋から、一般の大部屋に移っていました。 四人部屋。 男性老人ばかり。 この部屋に限らず、この階全体が、高齢者専用のようです。

  母が、どういうつもりなのか、10時過ぎには家を出てしまい、私も後から追いかけたのですが、早く着き過ぎて、1時間近く、待つ事になりました。 面会時間は30分なのに、こんなのが許されるのかどうか。 何時間もつききりの人もいるようなので、家族なら、目こぼしされるのかも知れません。

  今日の父は、横になっている間、ほとんど、眠っていました。 点滴は外れ、今は酸素だけですが、それでも、快適なのか、夜も眠っているくせに、よくもまあ、こんなに眠れるものです。 カード式のテレビがありましたが、見たいか訊いたら、要らないというので、カードは買いませんでした。

  ようやく、昼になり、その場で食べるのかと思ったら、移動できる人は、待合所のような所へ集まって、テーブルを囲んで食べるようです。 看護師さんの介助で、車椅子に乗るのですが、それまで、死んだように眠りこけていた父が、起き上がったら、異様にしっかりしているので、驚きました。 空使っとるんとちゃうか? 食事の時も、スプーンや割り箸を使って、割と危なげなく、食べていました。

  メニューは、ちょっと固めのお粥、なめ茸入り大根おろし、魚の切り身の煮物、肉じゃが、洋梨のサイコロ切り、他に、お茶。 洋梨は、最初、リンゴかと思ったのですが、メニューの紙を見て、洋梨と分かり、驚いた次第。 父は、いきなり、そればかり食べていましたが、たぶん、喉が渇いていたのでしょう。

  病院から出た後も、別々に帰り、母は買い物、私は、シュンの寺に墓参へ行きました。 父が入院した事を、シュンに報告しておきました。 さんざん、介護して見送った犬に、「じいちゃんを見守ってやってくれ」と頼むのも、変な話ですけど。



≪2016/06/13 (月)≫
  午後、父の病院へ見舞い。 腹の方は、問題ないようですが、頭の方が、まだ、はっきりしません。 横になっていると、眠っていなくても、夢を見ているような感じで、わけの分からない事ばかり口にします。 上半身を起こし、ベッドの端にかけると、次第に言う事が、まともになって来ます。 起きてから、5分くらいは、安定しない、家での症状と同じですな。

  未だに、酸素チューブがついていて、ベッドから離れられないから、寝ているしかなく、ボケボケになってしまうのではないかと思うのです。 病院のせいとは言いませんが、入院が長引くほど、手遅れになって行くような気がします。 胃腸だけが問題なら、点滴を外した時に、酸素もやめて、運動できるようにしてくれれば良かったのに。



≪2016/06/14 (火)≫
  午後から、病院の見舞い。 兄夫婦が車で来たので、母ともども、乗せて行ってもらいました。 父は、今日は、ずっと、座っていましたが、酸素はまだ外せず、バイタル・クリップまでつけており、むしろ、調子が悪くなっているようでした。 昨夜、食べた物を戻したとの事。 もしかしたら、入院してから食べた物が、ずっと胃の中に留まっていて、先に進んでいないのかも知れません。 で、満杯になったから、戻したのではないかと・・・。 少しずつ、医師が信用できなくなりつつあります。

  私達が着いてすぐに、兄嫁の御両親が見舞いに来て、驚きました。 報せなくても良かったのに。 親戚にも報せてないのに、姻戚に来て貰ったのでは、恐縮してしまうではありませんか。 兄嫁の御両親と、うちの両親は、顔を合わせる事など滅多にないので、挨拶が済めば、それ以上、話などあるわけもなく、いても、気まずいだけです。 あまり、見舞い客が多いと、肝心の容態を父から訊き出す機会が減るのも困る。

  親戚と言えば、東京に住んでいる、父のすぐ下の弟、つまり、私の叔父ですが、その人から電話があり、父の様子を訊いて来ました。 うちからは、報せていなかったのですが、どうやら、父が救急車に乗せられたところを、近所に住んでいる遠い親戚が目撃し、勝手に電話したらしいのです。 まったく、ろくでもない。 どうして、そういう余計な事をしやがるかな。 これだから、親戚なんぞ、百害あって一利ないというのです。

  その叔父さんも、もう、80歳を超えているので、たぶん、見舞いには来ないと思いますが、昔生まれの人だから、「行くのが礼儀」と考えるかも知れず、油断なりません。 80歳過ぎて、親戚に、律儀さをアピールしても、何の得にもなりゃしないんですがね。 大体、来たって、ほとんど、話が通じないよ。 また、遠くから親戚が来れば、うちに寄る事になり、それでなくても、父の入院で、異常状態が続いているのに、親戚をもてなすゆとりなんか、ありゃしません。 勘弁してくださいよ、まったく。

  ちなみに、その叔父さん、私が若い頃に、胆石の手術で入院した時にも、見舞い来ているのですが、その時は、うちの母が電話して、わざわざ報せたので、いやいやながら、やって来たのです。 ところが、来たのが遅過ぎて、私はもう退院しており、普通に生活していたものだから、そんな奴の見舞いに来させられたのが、気に喰わなくて仕方ない。 そう、顔に書いてありました。 あまつさえ、退院したばかりの私に向かって、「灰皿を出して来い」などと命令したのには、呆れ返りました。 一体、何しに来たんだよ。

  そういう苦々しい経験をしていると、親戚なんて、ろくなもんじゃないと、くっきりはっきり悟るわけですな。 



≪2016/06/15 (水)≫
  午後、自転車で、父の見舞い。 体に着けているものは、昨日までと変わりませんでした。 今日は、リハビリ療法士の女性が来て、その指示に従い、ベッドから起き上がったり、その場で立って、足踏みしたりしていました。 当人は、「ふらつく」と言っていましたが、つい、十日前まで、自力で階段を上り下りし、自転車に乗っていた人ですから、筋力が、そんなに急激に衰えるとは思えません。

  家に戻れたとしても、階段を上がれるようになるまでは、一階で寝起きするしかありませんな。 ほぼ、介護状態になってしまいます。 やれやれ。 見通しは暗い。 当人に、早く良くなりたいという、強い意志がないのが、最大の問題です。 父の本音としては、いられるものなら、ずっと、病院にいたいのではないかと思います。



≪2016/06/16 (木)≫
  昼過ぎから、雨になりそうだったので、父の見舞いをどうするかという話になったのですが、タクシー代がもったいないので、私だけが、バイクで行く事にしました。 ところが、出かける前に降り出してしまい、バイクや合羽を濡らすに忍びず、長靴を履き、傘を差して、徒歩で行って来ました。 片道、40分。 結構な運動です。

  父は、昨夜、便が出たそうで、その点は、進展があったのですが、一度外していた葡萄糖の点滴が再開されていて、よくなっているのかいないのか、分かりません。 ほとんど、眠っていて、会話しても、分かっているんだか、いないんだか・・・。 私と兄の区別がつかないのも、困ったもんだ。

  45分ほどいて、引き揚げて来ました。 病院から出ると、雨が上がっていました。 蛇松線跡の散策路を通っていったのですが、緑に挟まれているので、普通の道路を歩くより、気持ちが良かったです。



≪2016/06/17 (金)≫
  朝方まで雨で、その後、曇っていたのが、昼頃から快晴になり、猛暑となりました。 こんなに暑くなってしまったのでは、父の病院までの道中、母が持たないだろうと思い、今日も、私一人で、出かけました。 よせばいいのに、二日連続で徒歩で行けば、腹が凹むかと思って、軽い気持ちで出かけたのが命取り。 すっごい、日射し! も、すっごいの! 日陰を選んで歩いても、気温の高さは如何ともしがたく、よーく、頭をやられてしまいました。

  父は、昨日と変わらず。 今日は、家から、昨日の新聞を持って行ったのですが、読むかと思いきや、老眼鏡をかけて、一面の見出しを見ただけで、興味を失ったらしく、それっきりになりました。 「新聞を読むなんて、何ヵ月ぶりだ」などと言っていましたが、入院前、新聞を取りに行くのは父の役目だったので、その言葉が本当かどうかは分かりません。

  相変わらず、夢と現つの狭間を行き来していて、どう考えても、幻想としか思えないような事ばかり口にしています。 点滴、酸素、横になりっぱなしと、頭をはっきりさせるのに障碍になる要素が、三セット揃っているせいか、夢の世界から出て来れない様子。 特に、時間の感覚の混濁が甚だしく、大昔の話を、今起きている事のように話します。

  こうなってしまうと、父本人から、治療の進捗具合を聞きだすのは、無理・無意味と考えるべきでしょう。 で、帰りがけに、看護師さんを捉まえて、容態を訊いてみたら、数日前に、食べた物を戻した時、誤嚥して、肺の機能が落ちてしまったので、それで、点滴を再開したとの事。 結構、重大な事だと思うのですが、こちらは、毎日顔を出しているのだから、翌日に説明してもらいたかったものです。

  更に、一昨晩、便が出たというのは、自然に出たのではなく、腸内に溜まっているようだったので、「出させた」との事。 方法まで聞きませんでしたが、下剤か浣腸を使ったのでしょう。 それも、翌日に教えて欲しかったです。 自然に出たのなら、順調に回復しているわけですが、出させたのでは、胃腸が正常に機能していない事になり、元の木阿弥。 もう、十日も入院しているのに、担ぎ込まれた日と、容態は何も変わっていない事になります。

  回復が遅れるのは、父の体の問題だから、仕方ないにしても、なぜ、それを家族に伝えないのか、そこが分からん。 父は、何を言っているのか分からない有様なのですから、病院側が家族に、直接伝えなければ、何がどうなっているのか、分からないではありませんか。 看護師の交代が激し過ぎるのが、そもそも、問題で、患者は大勢いるのに、担当看護師が、こんなに頻繁に変わったのでは、引き継ぎが追い付くわけがありません。 よく、こんな体制でやっとるのう?

  と、腹が立って仕方なかったのですが、どうも、私自身が熱中症で頭が痛くて、普段より怒りっぽくなっているような感じがしたので、その事は、一切口にせず、「分かりました」と言って、帰って来ました。 だけど、やっぱり、おかしいと思いますよ。 治療を進めてこそ、病院なのであって、介護施設じゃないんだから、対処療法的な世話だけ続けていればいいというわけではないでしょうに。 世話が大変なのは、こちらも承知していますが、だからと言って、治療が進まないのでは、病院にいる意味がありません。



≪2016/06/18 (土)≫
  父の入院以来、晴れた日には、庭の盆栽に水をやるのも、私の仕事になっています。 当初、一時的な代行のつもりで、気軽にやっていたんですが、そう早くは出て来れそうにないと分かってからは、気が重くなりました。 水やりくらいはできますが、盆栽の手入れとなると、お手上げです。 盆栽は、植木以上に、好きな人でなければ、世話ができないのです。

  午後、暑い最中に、母と二人で、自転車で出かけ、父の見舞いに向かいました。 日陰を探そうと、蛇松線跡に沿っている道を探したのですが、分断が激しく、日陰に入れないばかりか、逆に、時間を喰ってしまいしました。 暑くて暑くて、入院している方より、見舞いに行く方が、先に死にそうです。

  父は、食事スペースで、車椅子に座っていました。 寝ている時より、頭がはっきりしているのは、いつもの事。 体に着けているのは、昨日と変わらず、点滴、バイタル、酸素の三点セット。 便は出たか訊いたら、今夜、下剤を飲んで、入院後二回目の便を出すとの事。 一回目も、下剤を使ったと言っていました。

  父が言うには、「会社の人が、家族に話があると言っていたが、今日は家族は来ないと言ってしまった」との事。 私が毎日来ていても、分かっていないわけで、がっくり来てしまいます。 会社の人というから、事務員が、お金の事で話があるのかと思ったら、そうではないらしく、看護師のような服の人だったと言います。 看護師が、お金の話をするとは思えません。

  病室のベッドに戻った後、今日の担当らしき看護師に、「昨日の昼頃から、今までの間に、何か変化はありましたか?」と訊いたら、父が自分で言った通り、今夜、下剤を飲んで、明日、便を出すとの事。 下剤で出しても仕方ないと思うのですがね。 これからずっと、下剤に頼り続けるわけにも行きますまい。 入院12日目だというのに、まだ、こんな事でもたついているのは、たまげた話で、退院まで、何日かかるかと思うと、頭がクラクラして来ます。

  他に、水だと誤嚥してしまうので、トロミ薬というのを混ぜて飲ませているらしいのですが、それは患者の家族負担で、最初に病院から出した分がなくなったから、買って来てくれとの事。 そんなのは、初耳です。 なぜ、最初に説明しない? いい加減な病院である証拠が次々と露見するのは、困ったものです。

  このトロミ薬を飲ませるのは看護助手の仕事らしく、どうも、父が言った「会社の人」とは、その看護助手の事ではないかと思われます。 事務員ではなかったのでしょう。 母が売店でトロミ薬を買って来ましたが、1620円だったとの事。 担当看護師の情報では、ドラッグ・ストアの方が安いのだそうです。

  今日も今日とて、治療の進展は、全くなかったわけで、またまた、腹が立った状態で帰る事になりました。 帰りは、別々に走り、母は、スーパーへ買い物に。 私は、シュンの寺へ、墓参に。 シュンに、「じいちゃんを助けてくれ」と泣きつきましたが、たぶん、何の効能もないと思います。




  日記はここまでです。 まあ、こんなわけで、治療の進展は、全く見られません。 若い人間なら、病気になっても、治って行く過程というものが、大体決まっていて、「この病気なら、何日くらい」と、入院期間が予測できるのですが、父のような高齢者の場合、体のあちこちが機能不全寸前になっていて、一度、バランスが狂うと、総崩れになって行くのではないかと思われます。

  父本人に、治す気がないという疑いも、濃厚に漂っています。 入院生活は不自由なものですから、普通ならば、早く退院したいと願うわけですが、父の場合、家でも、もはや、何の楽しみもなしに生きていた状態でしたから、早く帰りたいと思う動機がないのです。 ここ数年の父は、やらなければいけない事は、ほとんどなく、やりたい事は、全くないという生き方をしていました。 人間、そういう状態になると、生きる理由を見失ってしまうんですな。

  こればっかりは、家族には、どうにもならない事で、私が、あれをやったら、これをやったらと薦めても、当人がその気にならなければ、無理やりやらせるわけにも行きません。 父を見ていて、つくづく思うのは、「この世は、生きたいと思っている者の為にある」という事です。 自分が生きている理由を忘れてしまった人間には、もう、生きる意味がないのです。

  病気というのは、なりたくてなれるものではないですが、治す気がないと治らないというのも事実でして、今の父が、正に、それなのです。 入院していれば、看護師さん達が、あれこれ世話してくれるので、家にいて、私だけと話しているより、ずっと、楽しいのでしょう。 だけど、タダじゃないんだから・・・。 父は、過去に入院経験がないので、支払いシステムが分かっておらず、後払いだけど、日々、お金がかかっているのだという事が、ピンと来ていないのかも知れません。

  とにかく、困った・・・。 今後、入院費やら、在宅介護やら、背負いきれないほどの厄介事を背負い込むくらいなら、私の方が、先に死にたいです。 いや、実際問題、老老介護家庭では、「先に死んだ者勝ち」なのです。 自分以外の人間を、みんな見送ってしまえば、楽になるかと思いきや、独居になって、結局、惨めな生活に陥るのであって、最後まで生き残っても、いい事なんか、何もありません。