実話風小説⑨ 【恩師の葬儀】
「実話風小説」の九作目です。 普通の小説との違いは、情景描写や心理描写を最小限にして、文字通り、新聞や雑誌の記事のような、実話風の文体で書いてあるという事です。
【恩師の葬儀】
A(男)は、小学5・6年生の時に担任だった教師B(男)と、同じ町内に住んでいた。 教師Bは、Aが35歳の時に、定年退職し、町内にあった空き家に、引っ越して来たのだ。 近くの畑を借りて、家庭菜園をやっていた。 Aの家にも、収穫物を分けてくれる事があった。 不恰好な野菜ばかりだったが、Aの方では、もらうたびに、お礼の菓子折りを届けていた。 まあ、その程度の付き合いだったわけだ。
Aが、55歳になった時、元教師Bは、80歳で、死去した。 すでに、町内の人間が、葬儀に関わる風習はなくなっていたが、Aは教え子なので、そうも行かないと思い、通夜と葬式に出る事にした。 通夜は、二日後、葬式が、三日後である。 大急ぎで、同級生に連絡しなければならない、と思った。
メール・アドレスを知っているのは、数人に過ぎないので、電話を使うしかないが、一人で全員にかけるのでは、効率が悪い。 とりあえず、地元に住んでいる者や、仲が良かった者、5人くらいにかけて、そこから、めいめい、他の者に連絡してもらう事にした。
一人目、C(男)。
「ああ、C? 俺、Aだけど、久しぶり」
「おお。 何? 電話して来るなんて、中学校以来だな」
「うん。 あのさあ。 B先生が、亡くなったんだよ」
「B先生? ああ・・・、小学5・6年で、担任だった人?」
「それで、明後日が通夜で、次の日が葬式なんだけど・・・」
「ああん? いや、俺は出ないから」
「えっ? なんで?」
「何でって言われても・・・、なあ。 えーと・・・、つまりその、出たくないんだよ」
「だけど、担任だった人だからさあ」
「いやあ・・・、俺は別に世話になってなかったからな。 正直言って、いい思い出がないんだわ」
「そうかな。 いい先生だったと思うけど」
「お前は、割と成績が良かったからな。 俺は、一番良かった時でも、中の下くらいで、担任教師からは、無視されてた口だ」
「そうだったか? 同じ扱いだと思ったけどな」
「そりゃ、お前らと一緒にいた時の話だ。 俺一人だと、わざと気づかないフリして、通り過ぎるって人だったよ」
「そうか。 それじゃあ、仕方ないな。 とりあえず、俺が5人くらいに電話して、手分けして、他の人に連絡してもらおうと思ってたんだけど、Cが出ないって言うんじゃ、連絡を頼むのも変な話だな」
「いや。 電話をかけるだけなら、やるよ。 誰にかければいいの? 番号は分かる?」
「うん。 昔の名簿があるから。 ありがとうな」
二人目、D(男)。
「B先生? 誰?」
「5・6年の時の、担任」
「ああ・・・、アレかあ」
「アレってなあ・・・」
「もしかしたら、通夜とか葬式に出ろっていう話?」
「そう」
「他のやつらも、出るって?」
「いや。 電話をかけたのは、Dが二人目で、最初にかけたCは、出ないって」
「理由は?」
「世話になってなかったからだって」
「俺も、それでいいや」
「だけど、担任だった人だからさあ」
「それを言うなら、1・2年の時や、3・4年の時の担任は、どうなるんだよ。 Aは、同じ町内に住んでるから、たまたま、Bが死んだのが分かったんだろうけど、誰も分からなければ、それまでじゃないか」
「そりゃそうだな」
「俺は、劣等生だったから、Bっていうと、怒られた記憶しかないんだわ。 あの野郎、俺の事を目の敵にしやがって」
「Dって、劣等生だったっけか? 結構、成績良かったと思うけど」
「そりゃ、中学に入ってからだ。 中1の時の担任が、いい人で、勉強の仕方を教えてくれたんだよ。 それから、成績が上がったんだ」
さすがに、Dに、連絡係を頼むのは気が引けて、それは、口にしなかった。
三人目、E(女)。
「あー、行かない行かない!」
「なんで?」
「今年は、年末まで、お金が苦しくて、香典代なんて、とても、捻り出せないんだわ」
「3千円くらいでいいんだよ」
「3千円? そんなにあったら、食費に回す。 A君が出してくれるなら、お通夜くらい、行ってもいいけど」
「なんで、俺が・・・」
「だったら、私は、パスね」
「他の女子に、連絡はしてもらえる?」
「それは、いいよ」
四人目、F(女)。
「ごめんなさい。 Aさんて、覚えてないんだけど。 ごめんなさいね。 うふふふふ」
「B先生の事は、分かりますか」
「それはもう。 大変、お世話になりましたから」
「明後日が、お通夜で、その次の日が、お葬式です」
「分かりました。 必ず出席させていただきます」
Fも、他の者への連絡を、快く、引き受けてくれた。
五人目、G(男)。 Gを後回しにしたのは、大学進学で、都会に出た組だったからだ。 もちろん、成績は良くて、優等生。 学級委員の常連だった。 当然、出席すると思われたから、安心していた。 ところが、
「ああ、死んだの。 そのくらいの歳だろうなあ」
「明後日が通夜で・・・」
「出ないよ。 こないだ、お盆で帰省したばかりなのに、そう何度も、帰れないわ」
「だけど、Gは、B先生に、だいぶ、世話になっていたんだろ?」
「世話ねえ・・・。 いやいや、世話にはなってないな」
「だって、いつも、誉められてたじゃないか。 優等生だったから」
「そりゃそうだけど、それと、世話になっていたかどうかは、関係ないよ。 むしろ、俺らが、クラス内にいたお陰で、あの人の虚栄心を満たしてやっていた面があるなあ」
「どういう事?」
「Hや、Iは、どうするって?」
「いや、まだ、電話かけてないけど」
「あいつらも、行かないと思うよ」
「みんな、優等生だったのに?」
「おお。 成績が良かった子供は、別に、学校で教師に勉強を教わってたんじゃないんだよ。 親とか、家庭教師とか、塾とか、授業より先に、他で習っちゃってたんだわ。 学校の教師なんて、もう知っている事を、くどくど喋っているだけの、つまらん存在だったのさ」
「うーん・・・、そんなものかねえ」
Hと、Iに、電話をかけると、Gが言った通り、二人とも、出る気はないとの答えだった。 「一年に何度も帰省できない」という、同じ言い訳をした。 教師Bが死んだ事には、まるで興味がないようだった。 それでも、Hと、Iは、都会組への連絡を引き受けてくれた。
八人目、J(男)。 彼を最後にしたのは、柄が悪い奴だったからだ。 小学生の頃から、粗暴・乱暴で、人に怪我をさせたり、物を壊したり、教師Bに怒られてばかりいた。 すでに、地元には家がなくなっていて、近くの地方都市に引っ越していたが、数年前に、たまたま、街で出会って、その時、名刺をもらっていた。 名前を聞いた事がない、小さな不動産会社の社員をしているようだった。
「ああ、そう。 死んだのか、あいつ」
「明後日が通夜で、その次の日が、葬式なんだけど」
「出るわけないだろ」
「そう。 やっぱり?」
「あいつは、俺を、人間扱いしてなかったんだぜ。 それは、知ってるだろ」
「うん。 でも、ある意味、縁が深かったとも言えるかと思って・・・」
「学園物ドラマの見過ぎだな。 そりゃ、あいつが、俺を立ち直らせてくれたとかいうなら、話は別だが、ブチ切れて、叱り飛ばしてただけなんだぜ。 怒鳴ったり、見下したり、憐れんだり、そんな事しかできない奴だったんだわ」
「いや、すまない。 不愉快な気分にさせてしまって」
2時間ほどかかって、C、E、F、H、Iの5人が、連絡の結果を報告して来た。 同級生40人中、連絡が取れたのは、33人。 その内、出席は、Aと、Fを含めて、たった6人だった。 連絡さえすれば、ほとんどが出ると思っていたAは、愕然とした。
卒業アルバムの写真と照らし合わせながら、出席者の事を思い出して行くと、6人全員が、成績的には、中の上。 テストで言うと、70点台が普通で、たまに、80点台を取ると、大喜びで親に見せに行く、そんな面々ばかりだった。
優等生が、出席を拒否した理由は、Gが言った通りなのだろう。 意外だったが、説明されれば、理解できる。 劣等生や、問題児、不良が、教師Bを憎んでいたのも、納得できる。 しかし、中の中や、中の下の成績帯の者が、教師Bを、毛嫌いしていたのには、本当に意外だった。
思うに、中の上の者は、教師に気に入られれば、優等生と同じ扱いをしてもらえると期待して、教師になつこうとするのに対し、中の中以下の者は、その位置に遠くて、教師に近づく努力など、早い段階で、諦めてしまうのではなかろうか。 Aは、55歳にして、人の心の闇を覗き込み、暗い気分になった。 Aが恩師だと思っていたB先生は、他の者には、憎むべき仇敵だったのである。
最後の最後に、同じ町内に住んでいる従兄に電話をした。 確実に出席すると思われる人と、B先生の思い出話を交わしたかったのだ。 従兄は、Aより、6歳年上だったが、やはり、小学5・6年の時に、教師Bが担任で、その関係で、家庭菜園用の農地を、Bに貸していた人である。
「おお、お前か。 何だい?」
「B先生の、お通夜と葬式は、出るでしょ?」
「出ないよ」
「ええっ?」
「そんなに驚かなくてもいいだろう」
「だって、畑を貸してたんでしょ?」
「おお。 脅されてな」
「脅されて? 脅迫?」
「いや、脅迫されたってわけじゃないけど、ゴリ押しで捻じ込んで来たんだよ。 定年後は、土弄りがしたいから、土地を貸せって。 恩師ヅラしてさ。 うちが農家だって知ってたから、俺が小学生の頃から、目ぇつけてたんだろうな。 恐ろしい爺さんだよ。 その上、しょっちゅう、俺んちにやって来て、こっちが恥ずかしくなるような、昔話ばかりしちゃあ、タダ酒飲みやがって・・・」
「畑の貸し賃はとってなかったの?」
「おお。 言ったけど、断られたな。 『どうせ、休耕してる土地だから、金を取るなんて、おかしいだろう』って、屁理屈、捏ねやがって」
「・・・・・」
「だけどなあ。 あいつだけじゃないぜ。 他にも、家庭菜園やるから、土地を貸せって言って来た教師が、二人もいたからな。 家を建てたいから、遊んでいる土地を、安く売れって奴もいたな。 しかも、頼むんじゃなくて、命令して来るから、呆れる。 教師なんて、大抵、そんなもんなのさ。 学校を卒業して、学校に就職したような奴らだから、世間知らずで、常識がないんだ。 そのくせ、自分らは、一般人より、教養があって、偉いと思い込んでいるんだから、救いようがない」
Aは、困ってしまった。 ほんの3時間ほどで、40年以上、保っていた、B先生のイメージが、ガラリと変わってしまったのだ。 「家庭菜園で作った野菜を届けてくれたのも、お返しの菓子折りが目当てだったのでは?」と、疑わしくなって来た。 不恰好な野菜ばかりだったのは、作り方が下手というより、出来の悪い物だけ選んだのかも知れない。 「いい先生」の印象が、「ろくでなし」に、180度、転換しつつあった。
A自身、葬儀に行く気が、大いに失せた。 しかし、自分が発信元で、同級生に連絡したのに、今更、行きませんとも言えない。 そこへ、町内会の会長から、電話がかかって来た。
「Bさんの葬儀ですが」
「はい・・・」
「御遺族と、御親族の方で話し合った結果、家族・親族葬でやる事になったので、それ以外の方の出席は、御遠慮願いたいとの事です」
「そそそそうですか。 分かりました。 承りました。 どどどうも、御連絡、ありがとうございます」
冷や汗、掻いた。 でも、ホッとした。 出席する予定だった同級生5人に、大急ぎで、中止を連絡した。
この問題の肝は、Bが、決して、特殊な教師ではなかったという点である。 暴力教師とか、破廉恥教師とか、手が後ろに回るような事は、何もしていなかった。 法律は犯さないが、役得は拒まないという、どこにでもいる、普通の教師だったのだ。 そして、平均的な、一人の教師であっても、教え子によって、受ける印象が全く違うのである。 Aは、成績が中の上だったばかりに、教師の本性が、最も見え難い位置にいたわけだ。
【恩師の葬儀】
A(男)は、小学5・6年生の時に担任だった教師B(男)と、同じ町内に住んでいた。 教師Bは、Aが35歳の時に、定年退職し、町内にあった空き家に、引っ越して来たのだ。 近くの畑を借りて、家庭菜園をやっていた。 Aの家にも、収穫物を分けてくれる事があった。 不恰好な野菜ばかりだったが、Aの方では、もらうたびに、お礼の菓子折りを届けていた。 まあ、その程度の付き合いだったわけだ。
Aが、55歳になった時、元教師Bは、80歳で、死去した。 すでに、町内の人間が、葬儀に関わる風習はなくなっていたが、Aは教え子なので、そうも行かないと思い、通夜と葬式に出る事にした。 通夜は、二日後、葬式が、三日後である。 大急ぎで、同級生に連絡しなければならない、と思った。
メール・アドレスを知っているのは、数人に過ぎないので、電話を使うしかないが、一人で全員にかけるのでは、効率が悪い。 とりあえず、地元に住んでいる者や、仲が良かった者、5人くらいにかけて、そこから、めいめい、他の者に連絡してもらう事にした。
一人目、C(男)。
「ああ、C? 俺、Aだけど、久しぶり」
「おお。 何? 電話して来るなんて、中学校以来だな」
「うん。 あのさあ。 B先生が、亡くなったんだよ」
「B先生? ああ・・・、小学5・6年で、担任だった人?」
「それで、明後日が通夜で、次の日が葬式なんだけど・・・」
「ああん? いや、俺は出ないから」
「えっ? なんで?」
「何でって言われても・・・、なあ。 えーと・・・、つまりその、出たくないんだよ」
「だけど、担任だった人だからさあ」
「いやあ・・・、俺は別に世話になってなかったからな。 正直言って、いい思い出がないんだわ」
「そうかな。 いい先生だったと思うけど」
「お前は、割と成績が良かったからな。 俺は、一番良かった時でも、中の下くらいで、担任教師からは、無視されてた口だ」
「そうだったか? 同じ扱いだと思ったけどな」
「そりゃ、お前らと一緒にいた時の話だ。 俺一人だと、わざと気づかないフリして、通り過ぎるって人だったよ」
「そうか。 それじゃあ、仕方ないな。 とりあえず、俺が5人くらいに電話して、手分けして、他の人に連絡してもらおうと思ってたんだけど、Cが出ないって言うんじゃ、連絡を頼むのも変な話だな」
「いや。 電話をかけるだけなら、やるよ。 誰にかければいいの? 番号は分かる?」
「うん。 昔の名簿があるから。 ありがとうな」
二人目、D(男)。
「B先生? 誰?」
「5・6年の時の、担任」
「ああ・・・、アレかあ」
「アレってなあ・・・」
「もしかしたら、通夜とか葬式に出ろっていう話?」
「そう」
「他のやつらも、出るって?」
「いや。 電話をかけたのは、Dが二人目で、最初にかけたCは、出ないって」
「理由は?」
「世話になってなかったからだって」
「俺も、それでいいや」
「だけど、担任だった人だからさあ」
「それを言うなら、1・2年の時や、3・4年の時の担任は、どうなるんだよ。 Aは、同じ町内に住んでるから、たまたま、Bが死んだのが分かったんだろうけど、誰も分からなければ、それまでじゃないか」
「そりゃそうだな」
「俺は、劣等生だったから、Bっていうと、怒られた記憶しかないんだわ。 あの野郎、俺の事を目の敵にしやがって」
「Dって、劣等生だったっけか? 結構、成績良かったと思うけど」
「そりゃ、中学に入ってからだ。 中1の時の担任が、いい人で、勉強の仕方を教えてくれたんだよ。 それから、成績が上がったんだ」
さすがに、Dに、連絡係を頼むのは気が引けて、それは、口にしなかった。
三人目、E(女)。
「あー、行かない行かない!」
「なんで?」
「今年は、年末まで、お金が苦しくて、香典代なんて、とても、捻り出せないんだわ」
「3千円くらいでいいんだよ」
「3千円? そんなにあったら、食費に回す。 A君が出してくれるなら、お通夜くらい、行ってもいいけど」
「なんで、俺が・・・」
「だったら、私は、パスね」
「他の女子に、連絡はしてもらえる?」
「それは、いいよ」
四人目、F(女)。
「ごめんなさい。 Aさんて、覚えてないんだけど。 ごめんなさいね。 うふふふふ」
「B先生の事は、分かりますか」
「それはもう。 大変、お世話になりましたから」
「明後日が、お通夜で、その次の日が、お葬式です」
「分かりました。 必ず出席させていただきます」
Fも、他の者への連絡を、快く、引き受けてくれた。
五人目、G(男)。 Gを後回しにしたのは、大学進学で、都会に出た組だったからだ。 もちろん、成績は良くて、優等生。 学級委員の常連だった。 当然、出席すると思われたから、安心していた。 ところが、
「ああ、死んだの。 そのくらいの歳だろうなあ」
「明後日が通夜で・・・」
「出ないよ。 こないだ、お盆で帰省したばかりなのに、そう何度も、帰れないわ」
「だけど、Gは、B先生に、だいぶ、世話になっていたんだろ?」
「世話ねえ・・・。 いやいや、世話にはなってないな」
「だって、いつも、誉められてたじゃないか。 優等生だったから」
「そりゃそうだけど、それと、世話になっていたかどうかは、関係ないよ。 むしろ、俺らが、クラス内にいたお陰で、あの人の虚栄心を満たしてやっていた面があるなあ」
「どういう事?」
「Hや、Iは、どうするって?」
「いや、まだ、電話かけてないけど」
「あいつらも、行かないと思うよ」
「みんな、優等生だったのに?」
「おお。 成績が良かった子供は、別に、学校で教師に勉強を教わってたんじゃないんだよ。 親とか、家庭教師とか、塾とか、授業より先に、他で習っちゃってたんだわ。 学校の教師なんて、もう知っている事を、くどくど喋っているだけの、つまらん存在だったのさ」
「うーん・・・、そんなものかねえ」
Hと、Iに、電話をかけると、Gが言った通り、二人とも、出る気はないとの答えだった。 「一年に何度も帰省できない」という、同じ言い訳をした。 教師Bが死んだ事には、まるで興味がないようだった。 それでも、Hと、Iは、都会組への連絡を引き受けてくれた。
八人目、J(男)。 彼を最後にしたのは、柄が悪い奴だったからだ。 小学生の頃から、粗暴・乱暴で、人に怪我をさせたり、物を壊したり、教師Bに怒られてばかりいた。 すでに、地元には家がなくなっていて、近くの地方都市に引っ越していたが、数年前に、たまたま、街で出会って、その時、名刺をもらっていた。 名前を聞いた事がない、小さな不動産会社の社員をしているようだった。
「ああ、そう。 死んだのか、あいつ」
「明後日が通夜で、その次の日が、葬式なんだけど」
「出るわけないだろ」
「そう。 やっぱり?」
「あいつは、俺を、人間扱いしてなかったんだぜ。 それは、知ってるだろ」
「うん。 でも、ある意味、縁が深かったとも言えるかと思って・・・」
「学園物ドラマの見過ぎだな。 そりゃ、あいつが、俺を立ち直らせてくれたとかいうなら、話は別だが、ブチ切れて、叱り飛ばしてただけなんだぜ。 怒鳴ったり、見下したり、憐れんだり、そんな事しかできない奴だったんだわ」
「いや、すまない。 不愉快な気分にさせてしまって」
2時間ほどかかって、C、E、F、H、Iの5人が、連絡の結果を報告して来た。 同級生40人中、連絡が取れたのは、33人。 その内、出席は、Aと、Fを含めて、たった6人だった。 連絡さえすれば、ほとんどが出ると思っていたAは、愕然とした。
卒業アルバムの写真と照らし合わせながら、出席者の事を思い出して行くと、6人全員が、成績的には、中の上。 テストで言うと、70点台が普通で、たまに、80点台を取ると、大喜びで親に見せに行く、そんな面々ばかりだった。
優等生が、出席を拒否した理由は、Gが言った通りなのだろう。 意外だったが、説明されれば、理解できる。 劣等生や、問題児、不良が、教師Bを憎んでいたのも、納得できる。 しかし、中の中や、中の下の成績帯の者が、教師Bを、毛嫌いしていたのには、本当に意外だった。
思うに、中の上の者は、教師に気に入られれば、優等生と同じ扱いをしてもらえると期待して、教師になつこうとするのに対し、中の中以下の者は、その位置に遠くて、教師に近づく努力など、早い段階で、諦めてしまうのではなかろうか。 Aは、55歳にして、人の心の闇を覗き込み、暗い気分になった。 Aが恩師だと思っていたB先生は、他の者には、憎むべき仇敵だったのである。
最後の最後に、同じ町内に住んでいる従兄に電話をした。 確実に出席すると思われる人と、B先生の思い出話を交わしたかったのだ。 従兄は、Aより、6歳年上だったが、やはり、小学5・6年の時に、教師Bが担任で、その関係で、家庭菜園用の農地を、Bに貸していた人である。
「おお、お前か。 何だい?」
「B先生の、お通夜と葬式は、出るでしょ?」
「出ないよ」
「ええっ?」
「そんなに驚かなくてもいいだろう」
「だって、畑を貸してたんでしょ?」
「おお。 脅されてな」
「脅されて? 脅迫?」
「いや、脅迫されたってわけじゃないけど、ゴリ押しで捻じ込んで来たんだよ。 定年後は、土弄りがしたいから、土地を貸せって。 恩師ヅラしてさ。 うちが農家だって知ってたから、俺が小学生の頃から、目ぇつけてたんだろうな。 恐ろしい爺さんだよ。 その上、しょっちゅう、俺んちにやって来て、こっちが恥ずかしくなるような、昔話ばかりしちゃあ、タダ酒飲みやがって・・・」
「畑の貸し賃はとってなかったの?」
「おお。 言ったけど、断られたな。 『どうせ、休耕してる土地だから、金を取るなんて、おかしいだろう』って、屁理屈、捏ねやがって」
「・・・・・」
「だけどなあ。 あいつだけじゃないぜ。 他にも、家庭菜園やるから、土地を貸せって言って来た教師が、二人もいたからな。 家を建てたいから、遊んでいる土地を、安く売れって奴もいたな。 しかも、頼むんじゃなくて、命令して来るから、呆れる。 教師なんて、大抵、そんなもんなのさ。 学校を卒業して、学校に就職したような奴らだから、世間知らずで、常識がないんだ。 そのくせ、自分らは、一般人より、教養があって、偉いと思い込んでいるんだから、救いようがない」
Aは、困ってしまった。 ほんの3時間ほどで、40年以上、保っていた、B先生のイメージが、ガラリと変わってしまったのだ。 「家庭菜園で作った野菜を届けてくれたのも、お返しの菓子折りが目当てだったのでは?」と、疑わしくなって来た。 不恰好な野菜ばかりだったのは、作り方が下手というより、出来の悪い物だけ選んだのかも知れない。 「いい先生」の印象が、「ろくでなし」に、180度、転換しつつあった。
A自身、葬儀に行く気が、大いに失せた。 しかし、自分が発信元で、同級生に連絡したのに、今更、行きませんとも言えない。 そこへ、町内会の会長から、電話がかかって来た。
「Bさんの葬儀ですが」
「はい・・・」
「御遺族と、御親族の方で話し合った結果、家族・親族葬でやる事になったので、それ以外の方の出席は、御遠慮願いたいとの事です」
「そそそそうですか。 分かりました。 承りました。 どどどうも、御連絡、ありがとうございます」
冷や汗、掻いた。 でも、ホッとした。 出席する予定だった同級生5人に、大急ぎで、中止を連絡した。
この問題の肝は、Bが、決して、特殊な教師ではなかったという点である。 暴力教師とか、破廉恥教師とか、手が後ろに回るような事は、何もしていなかった。 法律は犯さないが、役得は拒まないという、どこにでもいる、普通の教師だったのだ。 そして、平均的な、一人の教師であっても、教え子によって、受ける印象が全く違うのである。 Aは、成績が中の上だったばかりに、教師の本性が、最も見え難い位置にいたわけだ。
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