2025/02/02

読書感想文・蔵出し (121)

  読書感想文です。 闘病生活が続き、読書は、どんどん、負担度が高くなっています。 2024年の12月末から、一度に借りる本を、1冊に減らしました。 それでも、読み始めるのが、億劫なのだから、困ったもんだ。 とりあえず、今回は、まだ、4冊分、出します。





≪銀河の壺なおし 〔新訳版〕≫

ハヤカワ文庫 SF 2150
早川書房 2017年10月25日 発行
フィリップ・K・ディック 著
大森望 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 264ページ。 コピー・ライトは、1969年。 ディックさんの長編としては、短い部類。


     父親の代から、割れた陶磁器の壺を直す仕事をしている男。 7ヵ月も仕事がなく、自殺を考えるほど追い詰められていたところへ、銀河の果てから、高額報酬の仕事が舞い込む。 ある惑星の海に、大昔に沈んだ大聖堂を引き揚げる事業で、その聖堂には、無数の割れた壺があるとの事。 様々な技能を持つ者たちが、銀河の各地から集められて、その惑星に連れて行かれるが・・・、という話。

  SF的に始まりますが、これは、SF風ファンタジーに分類すべきなのでは? 大聖堂引き揚げの依頼者である巨大生物が、ほとんど、神のような能力を持っており、何でもアリの大盤振る舞い。 これでは、SFとしては、面白くなりません。 巨大生物には、敵がいて、そちらとの戦いで、能力の限界が示されますが、科学技術的な限界ではなく、鬼や天狗の弱点と同類のもの。 やはり、SFになっていないなあ。

  ディックさんの作品は、必ずしも、科学的にハードではなくても、奇抜なアイデアで、それを感じさせないところに魅力があるのですが、この作品では、ファンタジーに傾き過ぎて、ディックさんらしくない話になっています。 解説によると、これを、ディック作品の上位に挙げている批評家もいるようですが、奇を衒っているとしか思えません。 黒澤明作品で、≪どですかでん≫を筆頭に挙げるような。

  主人公の壺直しが、ただの人過ぎて、何を考えているのか、何を望んでいるのか、よく分からないところが、また、ストーリーをつまらなくしています。 地球に帰っても、食い詰めるだけだから、大聖堂引き揚げを手伝うというのは、あまりにも、後ろ向きなのでは。 ディックさんの小説では、そういう、情けない主人公が多いですが、この作品では、各別に、パッとしない人物になっています。

  それにしても、壺直しという職業が、アメリカにもあるんですかね? 金継ぎの事らしいですが、中国と、その周辺にしかないと思ってました。




≪ティモシー・アーチャーの転生 〔新訳版〕≫

ハヤカワ文庫 SF 2150
早川書房 2015年11月25日 発行
フィリップ・K・ディック 著
山形浩生 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 382ページ。 コピー・ライトは、1982年。 ディックさんの遺作だそうです。 それで、この発表年か。


     キリスト教・聖公会の地方支部司教、ティモシー・アーチャー氏の、息子の妻が、ジョン・レノンが死んだ日に、すでに他界した、司教、その息子で自分の夫、司教の愛人、そして、まだ生きている愛人の息子との、ここ数年の出来事を回想する話。

  主な登場人物は、5人だけで、長い割には、シンプルな人物相関です。 そうそう、ディック作品ではありますが、この小説は、SFではないです。 オカルトが、少し入っていますが、オカルトとして捉えなくても、成り立つ話なので、一般小説の部類に入れるべきでしょう。 アメリカのSF作家の代表格みたいな人が、最後の作品で、SFを書かなかったというのは、興味深い。 もう、うんざりしていたんでしょうかね?

  薬中からは、完全に立ち直っていたようで、大変、しっかりした話になっています。 書き方も、地に足がついている感じ。 女性の一人称なので、日本語に訳すと、女言葉になってしまい、今となっては、「~だわ」どか、「~のよ」が、些か鬱陶しいですが、1982年頃なら、日本でも、まだ、そういう喋り方をする女性は、かなりいたと思うので、必ずしも、リアリティーを損なっているわけではないです。 そもそも、元は、英語ですし。 むしろ、下品で卑猥な言葉が頻出する事の方が、問題か。 しかし、それは、原文に忠実だからでしょう。

  テーマは、宗教。 他の宗教も出て来ますが、99パーセントは、キリスト教に関するもの。 「三つ子の魂、百まで」とは、よく言った。 物心ついた時から、キリスト教を刷り込まれて来た人間は、一生、その影響から、逃れられないんですな。 ユダヤ教、ゾロアスター教、仏教などからも、引用がありますが、上っ面もいいところで、作者が、ほとんど、理解していない、いや、ほとんど、興味がなかった事が、ありあり見て取れます。

  キリスト教がテーマといっても、イエスの、神の子としての資格を否定する内容でして、キリスト教徒なら、目を剥いて憤るような事。 しかし、キリスト教の知識がない者からすると、当然以前以前に、どーでもいーよーな事です。 イエスより前に、イエスの教えを説いていた文書があろうがあるまいが、そんな事、どーでもいーではありませんか。 そういう事を、大問題と捉えてしまう点が、キリスト教徒ならではでして、作者が、キリスト教の影響に、ガッチリ絡め取られている証明なのです。

  どーでもいーよーな事をテーマにしている小説を、面白いと感じられるわけがなく、キリスト教徒以外は、読んでも、時間の無駄にしかなりません。 いや、この本を読んで、生半可な知識を頭に入れ、キリスト教徒に論戦を吹っかけて、揉め事を起こす輩も出て来そうだから、却って、有害かも知れません。 私の経験から言って、宗教に関して、他人と話をする事は、決して、人生にプラスになりません。 用心深く避けて、口にしない方がいい事なのです。

  とはいえ、テーマを無視して、ただのお話として読むなら、普通に読めます。 耐えられないほど、つまらないという事はないです。 アメリカの一般小説としては、むしろ、面白い方。 それにしても、人様に薦めるような本ではないですなあ。 読まなくてもいい、というか、読まない方がいいというか。 作者が、薬中から脱しているのは確かだと思いますが、登場人物は、軒並み、薬中ですし、薬中を擁護する表現も多くて、薬中時代の自分を全て否定できない、作者の弱い心が見て取れます。 

  この作品を、高く評価している人もいるようですが、どうですかねえ? もし、ディックさんが、SFを一切書かず、こういう作品だけ書いた作家だとしたら、評価されましたかね? それは、アガサ・クリスティーさんが、推理小説を一切書かず、叙情小説だけ書いたとしたら、一流の作家と見做されたかどうか、それと同じ事ですが、さあ、どう思います?


  作品の評価とは、全く関係ないですが、日本車が出て来ます。 そして、「こういう小型車は、簡単に、横倒しになってしまう」といった評価をされています。 日本人なら、日本車を、横倒しになり易い車だとは、誰も思わないと思うので、奇妙だと感じるかも知れませんが、これは、アメリカ車と比較した場合の話でしょう。 背の高さが同じくらいでも、アメリカ車は、日本車より、長さも幅もあるので、よほど、急ハンドルで振り回しても、横倒しにはなりません。 それに比べたら、長さ・幅が小さい日本車が、倒れ易いのは、当然の事。

  ただし、それは、先にアメリカ車に乗って、ガンガン振り回していた人が、日本車に乗った場合の話でして、この作品の主人公のように、最初から、シビックに乗っているような人は、そもそも、振り回すような荒い運転をしませんから、横倒しになるような事はないです。 レーサーのように、普段、高性能な車やバイクに乗っている人が、公道で一般車に乗ると、よほど慎重に走らないと、すぐに事故ってしまうのも、同じ理由です。




≪ザップ・ガン≫

ハヤカワ文庫 SF 1997
早川書房 2015年3月15日 発行
フィリップ・K・ディック 著
大森望 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 367ページ。 コピー・ライトは、1965年。 解説によると、作者、20作目の長編で、大量に書き飛ばしていた頃らしいです。


  東西両陣営の対立が続く、2004年の地球。 双方に、兵器デザイナーが一人ずついて、架空の兵器を発表し合う事で、それぞれの国民に安心感を与え、平和を維持していた。 ところが、他の恒星系から来た異星人が、奴隷にする為に、地球人を都市ごと誘拐し始めたせいで、東西の兵器デザイナーが協力して、異星人を撃退できる兵器の考案を始めたが・・・、という話。

  「ザップ・ガン」というのは、ヒーロー物のSFに出て来る、強力な光線銃の事らしいですが、この作品の主人公達が開発しようとしているのは、その種の物ではありません。 先に、出版社から、「『ザップ・ガン』というタイトルで、SF長編を書いてくれ」と言われて、全然 関係ない内容の作品を書いたのだとか。 ディックさんらしいと言えば、実に、らしい。

  前半は、ほとんど、スパイ物の趣きで、SFとしては、面白くありません。 デザイナーの、兵器の考案の仕方が、薬物でトランス状態に入り、無意識にスケッチした絵から発想する、というもので、ディックさんらしいアイデアですが、ほとんど、オカルトすれすれですな。 超能力物の一類に入れるのなら、SFと言えますが、この作品のテーマは、超能力ではないから、困ります。

  異星人が攻めて来たあたりから、少し面白くなりますが、地球人と異星人の戦いを、細かく描いたりはせず、間接的に触れるだけなので、そちらに期待するのは、御法度。 ディックさんには、大掛かりな戦争を描写する才能はないです。 個々の戦闘の描写なら、うまいですが、この作品には、それも出て来ません。

  タイム・マシンも絡んで来ますが、それが、異星人を撃退する兵器になるわけではないです。 ちょっと、SF的な味を濃くする為に、強引に挟み込んだという態。 「共感」をテーマにした迷路ゲームから、兵器が作られるわけですが、説明はされているものの、そんなにうまく行くのか、読んでいるこちらが不安になる、いい加減さが感じられます。 作品を量産していたから、細部まで詰めるゆとりがなかったのかも知れませんな。

  この作品の最大の欠点は、東側のデザイナーである、若い女性を、どう活躍させていいか、作者が持て余している事です。 鳴り物入りで登場させたにも拘らず、これといった役もこなさず、ただ、主人公と恋愛関係になるだけ。 東西のデザイナーの協力が、最も重要なテーマになるはずなのに、不発で終わってしまったんですな。




≪去年を待ちながら≫

ハヤカワ文庫 SF 2145
早川書房 2017年9月25日 発行
フィリップ・K・ディック 著
山形浩生 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 377ページ。 コピー・ライトは、1966年。 解説によると、実際に書かれたのは、63年か64年で、玉石混交・量産期の作品だとの事。


  2055年の地球は、人類と祖先を同じくする、リリスター星人と同盟して、昆虫型生物のリーグ星人と戦争を続けていたが、敗色が濃厚だった。 地球人の代表である国連事務総長の担当医師になった男が、薬中の妻によって、新型の薬を飲まされ、タイム・スリップで未来に行くと・・・、という話。

  もっと、複雑ですが、壮大な構想を背景とした複雑さではなく、時間を行ったり来たりするタイプの細々した複雑さなので、梗概に書いても仕方がないです。 リリスター星人には、別の呼び方があるから、最初の内は、どの呼び方が、どの星人の事なのか、混乱します。 その内、分かって来ますが。

  薬の力で、タイム・スリップするわけですが、「個人の頭の中で、過去や未来を見たつもりになる」というわけではなく、実際に、過去や未来に行きます。 その辺の理屈が、理解し難いですが、他のディック作品にも、同じようなアイデアが使われているので、そこは、軽くスルーしておいた方がいいでしょう。

  未来や過去に行って、影響を与えるので、当然、タイム・パラドックスが発生するのですが、そこから、並行世界に発展し、なんとも、グラグラと足場の安定しない話になって行きます。 並行世界なんていったら、もう、何でもアリになってしまうわけで、ストーリーになりません。 で、作者が、御都合主義的に、取捨選択する事になり、読者は、それを受け入れるしかない、という事になります。 どうも、違和感が強い話だな。

  大枠としては、星間戦争の、政治的な面だけを描いているのですが、その一方で、主人公である医師の、薬中の妻との、泥沼化した対立も描いていて、作者が、どちらを主に描きたいのかが、分からなくなります。 この、しょーもない妻は、ディックさんの当時の妻がモデルだとの事。 大変な浪費家で、亭主が稼ぐ端から、買い物依存症的に使いまくっていたらしいです。 デイックさん、妻の事が気になって、小説の中に書き込む事で、何とか、精神のバランスを取っていたのかも知れませんな。 

  こう書いて来ると、バラバラな話のようですが、実際に読んでみると、異質なモチーフを、巧妙に絡めてあって、意外と一体感のある話になっています。 ここが、ディック作品の不思議なところです。 一言で言うと、話を纏めるのが、巧いんでしょうな。 おそらく、特技的に。 テケトーなアイデアで書き始めていても、書いている内に、それらしい話になって行くタイプの作家なんでしょう。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2024年の、

≪銀河の壺なおし≫が、10月23日から、25日。
≪ティモシー・アーチャーの転生≫が、10月27日から、29日。
≪ザップ・ガン≫が、11月4日から、6日。
≪去年を待ちながら≫が、11月7・8日。

  今回は、4冊とも、ディック作品になりました。 ≪ティモシー・アーチャーの転生≫だけ、宗教系の一般小説で、他の三冊は、SFです。 ディックさんには、宗教系の作品が、他にもあるらしいのですが、一冊だけで、充分という感じ。 作者に関係なく、宗教系の小説で、面白いというのは、稀ですな。