2025/06/01

読書感想文・蔵出し (125)

  読書感想文です。 鼠蹊ヘルニアと糖尿病で通っていた病院ですが、半年経っても、鼠蹊ヘルニアの手術の目処が立たないので、行くのをやめてしまいました。 よって、身体的には、悪いままですが、精神的には、ゆとりが出来て、読書意欲が、幾分 復活しつつあります。





≪赤い霊柩車 葬儀屋探偵・明子≫

徳間文庫
株式会社 徳間書店 2009年9月15日 初刷
山村美紗 著

  沼津図書館にあった、文庫本です。 中編、3作を収録。 全体のページ数は、252ページ。 元は、1990年に、新潮社から刊行された本。 巻末に、2009年9月現在の、「山村美紗 著作リスト」が付いています。


【赤い霊柩車】 約84ページ

  著名な大学教授の妻が、自宅でなくなった。 医師により、病死として死亡診断書が書かれたが、親から会社を継いで、葬儀屋の社長となった石原明子が、遺体の首に、いつの間にか、絞殺痕が浮き出ているのを見つけ、警察に知らせた事で、他殺と判明する。 明子と、その婚約者である医師、黒沢秋彦が、密室殺人の謎を解いて行く話。

  言わずと知れた、2サスの名作シリーズの原作。 ドラマの方は、39作もありますが、原作は、ずっと少ないようです。 表題作は、ドラマ版でも、第1話として取り上げられています。 黒沢春彦は、原作では、秋彦です。 明子と、秋彦で、「あき」が重なるのを、ドラマの方では、避けたんでしょうか。 ちなみに、原作の黒沢先生は、まだ、インターン医である様子。

  石原葬儀社の秋山さんは、30代の設定で、ドラマ版より、遥かに若いです。 山村紅葉さんが演じている、良恵も、良子という名前で、出て来ます。 秋山さんと、掛け合い漫才はやりませんが。

  電気製品や、生活用品を使ったトリックが使われています。 ドラマ版でも、同じものを使っていました。 原作は中編ですが、割と忠実に、2時間の映像作品に仕立てていたんですな。 電気製品で、アリバイを作ったり、死亡推定時刻をズラすのは、山村作品では、よく出て来るトリックです。 ちなみに、明子は、専ら捜査担当で、謎を解くのは、黒沢先生の方です。

  コンビニやキオスクの文庫コーナーに並ぶような、軽~いノリの小説でして、通勤電車で暇潰しに読むのに最適な読み易さが、狙われています。 セリフが多く、地の文章は、ストーリーを進行させるのに、最低限必要な描写に留められているのです。 設定が、葬儀社なので、京都の葬儀習慣についての説明は、割と詳細なのが、この作品の特徴でしょうか。


【燃える棺】 約84ページ

  放火殺人事件の犠牲者である、妙齢女性の葬儀を引き受ける事になった石原葬儀社。 火葬された遺骨の中から、ダイヤモンドが出て来たが、故人のものではない。 故人の財産を狙っていた甥夫婦と、土地を狙っていた不動産業者、故人の愛人らが、容疑者として浮かぶ。 彼らのアリバイ崩しと、ダイヤの謎に、明子と黒沢の二人が挑む話。

  この話は、2サスでは、第8話です。 後回しにされたのか、そもそも、この小説が、このシリーズの2番目に書かれたわけではなく、たまたま、本にした時に、こうなってしまったのか、不詳。 もし、後回しにされたのなら、理由は、おかしな部分があるからでしょうか。

  おかしいと思うのは、火葬された遺体から、ダイヤが出て来たという点。 ダイヤは、炭素の塊ですから、火葬したら、真っ先に燃えてしまうでしょう。 ドラマ版では、どういう風に処理していたのか、忘れてしまいました。 推理作家の科学技術知識の限界ですかね。 山村さんが女性だから、特に、そちら方面に疎いというわけではなく、車の免許を持っていないのに、車を使ったトリックを用いて、稚拙な間違いをやらかし、馬脚を表わしてしまった男性の推理作家もいます。 大変、有名な人。

  ダイヤの問題は、スルーする事にして、それ以外の部分ですが、読み易いものの、そんなに面白いというわけでもありませんねえ。 アリバイ崩しの方は、しっかり考えられていて、決して、やっつけ作品ではないです。 中途段階での、間違った推理の展開も、すぐに訂正されるから、混乱するような事もありません。 まずまず、平均な出来なんじゃないでしょうか。


【黒衣の結婚式】 約84ページ

  本業より、ダイエット研究家として名が売れ始めた女優が、毒殺された。 容疑者は、婚約者の男、その男の元交際相手だった女、 女優の元交際相手の二人の男優、そして、女優の家政婦。 全員にアリバイがあったが、明子と黒沢先生が、被害者が発見された家の、エアコンの状態から、死亡推定時刻がズラされた可能性に気づき、アリバイを崩して行く話。

  この話は、2サスでは、第2話です。 原作の、「黒衣の結婚式」というのは、参列者の礼服の色を指しているだけですが、ドラマでは、黒いウェディング・ドレスを着た明子が登場したのが、記憶に焼きついています。 ドラマでは、黒沢先生が容疑者の一人になり、取調室で絞られますが、原作の方では、そういう事はないです。

  トリック・謎の類いは、原作に従った模様。 主に、アリバイ崩しで、その一番の要が、エアコンを使った、死亡推定時刻の操作です。 これは、その後のドラマ版で、現場にあった花粉の種類と並んで、繰り返し繰り返し、使われるネタです。 おそらく、原作が書かれた頃には、まだ目新しくて、アイデアが陳腐化していなかったのでしょう。

  ドラマの方を何度も見ているので、原作を読んでも、新鮮さは感じません。 まして、この作品の場合、犯人が誰かも、ドラマの記憶が、ぎんがり残っていたので、尚更です。 片平なぎささんの、黒いウェディング・ドレス姿が、印象深過ぎたか・・・。




≪不完全犯罪 鬼貫警部全事件-Ⅱ≫

株式会社 出版芸術社 1999年7月20日 第1刷
鮎川哲也 著

  沼津図書館にあった、全集の一冊です。 短編、12作を収録。 全体のページ数は、解説などを除いて、264ページ。 太地康雄さん主演の火曜サスペンスで人気だった、≪鬼貫警部シリーズ≫の原作です。


【五つの時計】 約25ページ
 「宝石」1957年8月

  他人を犯人に仕立てておき、自分は、妻を始め、複数の証人を用意して、完璧なアリバイを作っていた男。 鬼貫警部が、五つの時計を巧妙に操ったトリックを見破り、冤罪を防ぐ話。

  それぞれ、別の人間が管理している、五つの時計を細工して、アリバイを作ってあるのだから、大抵の刑事なら、いとも容易に騙されてしまうでしょう。 ただ単に、針をズラすという単純な話ではなく、心理的なトリックも用いていて、「はーっ!」と感服させられます。 この秀逸なアイデアを、短編に奢っているところが、また凄い。


【早春に死す】 約24ページ
 「宝石」1958年2月

  一人の女性を好きになった、二人の男。 その内の一人が殺される。 もう一人の男に容疑がかかるが、行方不明になっていたのを見つけて、署に連行して来たものの、完璧なアリバイがあって、どうにもならない。 殺された男が女性に書いた手紙の、筆跡の一部が乱れていた点から、きっかけを得て、鬼貫警部が、アリバイを崩して行く話。

  鉄道もの。 2サスの鬼貫シリーズでも、鉄道トリックが、チラッと出て来ましたが、原作でも使われていたんですな。 普通のレールより長くて、繋ぎ目の、「ガタン!」という振動の数が少ない、「長尺レール」というのが出て来て、それが、列車内で書いた手紙の筆跡に関係して来るというアイデア。 私も、若い頃、列車内で文字を書いた事がありますが、本当に、乱れまくります。 作者も、そういう経験があったのでしょう。

  二人の男で一人の女性を取り合っているわけではなく、二人とも、最初から、女性に相手にされていないという設定に、哀しいものがありますな。 殺人をするほど、意味のある恋愛活動ではなかったわけだ。 ちなみに、タイトルの、「早春に死す」は、話の内容と、ほとんど、関係がないです。


【愛に朽ちなん】 約24ページ
 「宝石」1958年3月

  運送会社から持ち逃げされた、高級家具が入った木箱。 トラックによる追跡戦の結果、取り返されたが、中を開けたら、女の死体が入っていた。 箱を発送した家具工房の話を訊くと、同じ時に、大小二つの木箱を発送したのが、なぜか、箱の行き先が入れ替わっていたと分かり、ますます、混迷する話。

  冒頭の追跡戦は、横溝正史さんの戦前物に出て来そうな、アクション・サービスで、鮎川作品らしくないです。 トリックは出来たが、ストーリーに嵌め込むのに手こずって、活劇で、ページ数を稼いだ観あり。 鬼貫警部が、若手刑事につきあって、買い物に入ったデパ地下で、謎解きのヒントを得るというのも、本格トリック物らしくありません。

  箱の大小が問題でして、運送会社の者にしてみると、箱の大きさを測ったわけではないから、大きい方の箱であっても、より大きな箱と比べれば、小さく感じられてしまうという錯覚を利用したトリック。 この着想は、面白い。 どうやって、より大きな箱を作らせたかというと、それは、単位の問題でして、作品が書かれた、1958年当時はともかく、今では、使えません。 


【見えない機関車】 約23ページ
 「宝石」1958年10月

  ある小説家が殺され、容疑者が逮捕された。 昔馴染みの商売女から、その男にアリバイがある事を知らされた記者が、自力で、真犯人にを捜そうと、調査を始める。 警察では、一旦、滞っていた捜査が、鬼貫警部が助っ人に付いた事で進展し、記者より先に、犯人に辿り着き、逮捕に至る話。

  この作品も、ストーリーとトリックの、こなれが悪いです。 はっきり言って、記者は出さなくてもいいと思うのですがねえ。 雑誌掲載作品ですから、おそらく、指定の枚数があって、それに合わせる為に、エピソードを水増ししたり、登場人物を増やして、書き方を複雑にしたりしていたのでしょう。

  トリックは、鉄道もの。 鬼貫シリーズ、鉄道ものが、意外と多いな。 本格トリックが得意な推理作家は、鉄道関係の事物に興味を抱くタイプが多いのかも知れません。 容疑者のアリバイを崩すには、容疑者が実行した偽装心中が、どこで行われたかが重要な鍵になるのですが、鉄道施設の特殊な場所で、心中相手の女の記憶を、錯覚させるというもの。 どえらりゃあ、回りくどい設定ですな。


【不完全犯罪】 約29ページ
 「宝石」1960年4月

  出版社を共同経営する社長に、使い込みがバレて、返済の期日を切られてしまったが、到底 返せそうにない男。 社長を殺害する事に決め、完全犯罪を計画する。 列車に乗った社長が、暴漢に襲われて殺され、走る列車から突き落とされた事にし、実際には、男の家で殺して、家の周辺でアリバイを作っておき、車で沿線の山中に運んで捨てるというもの。 計画そのものは、割とうまく行ったが、男が極度の吝嗇家だったせいで・・・、という話。

  死体を車で運んで、発見場所と殺害場所を変え、犯人のアリバイを成立させるというのは、今では、ありふれた手法ですが、もしかしたら、発表当時は、まだ、珍しかったのかも。 もちろん、前例はあったと思いますが。 犯人の男が吝嗇家である事が、繰り返し繰り返し強調されるので、「そのせいで、バレるのだな」と予想していたら、当たりました。

  警部が出て来ますが、鬼貫とは書いてありませんし、その警部が謎を解くわけでもないです。 鉄道会社の社員が、解きます。 もろに、鉄道ものなわけですな。 専門知識が必要なので、一般の読者では、推理しながら読むという事はできません。 時代も関係しており、鉄道ファンでも、若い世代では、分からないと思います。


【急行出雲】 約31ページ
 「宝石」1960年8月

  大阪で起きた殺人事件の容疑者として逮捕された男が、急行出雲の11号車両に乗ったというアリバイを主張したが、同じ席に乗っていた他の客は、その男を知らないという。 鬼貫警部は、男の義弟で、列車の切符を用意してやったという、旅行代理店を経営する人物を怪しいと見て、11号車の謎に挑む話。

  短編にしては、設定が複雑。 真犯人が、容疑者の無実を訴えていながら、実は、最初から陥れるつもりで、わざと疑いが向くように図ったというもの。 ちょっと、設定段階で、捻り過ぎか。 短編は、もっと、単純な設定でいいと思うのですが。

  11号車に乗っていた他の客が、別人ばかりだった謎は、謎解きをされると、面白いと感じます。 しかし、これも、時代性があり、今では、鉄道会社は、そういう業務を、やっていないでしょうな。 バス会社に頼む事になると思います。


【下り"はつかり"】 約17ページ
 「小説中央公論」 1962年1月

  殺人の容疑者が、アリバイの証拠として出して来た、鉄橋と列車を背景にした写真。 その列車が、その鉄橋を渡る時刻には、容疑者は絶対に、殺害現場にはいられないのだった。 「写真は、友人に、焼きつけてもらった」、「ネガは、火の粉が飛んで、焼けてしまった」、「写真の中で着ているセーターは、友人の細君に編んでもらったばかりのものだから、撮影日が、殺人の行なわれた日である事は間違いない」といった証言から、鬼貫警部が、アリバイに疑念を抱き、崩して行く話。

  なぜ、「下り」なのかが、味噌。 「上り」だったら、時刻が違うわけだ。 裏返すものが、二点 出て来るアイデアは、大変 面白いですが、現代では、成り立ち難いです。 「なんで、わざわざ、フィルム写真を?」と、逆に、疑いを濃くされてしまいます。 モノクロ写真は、趣味レベルで、個人でも、現像・プリントができるので、昔は、自分でやっている人が多かったんですな。 今では、フィルムそのものが、ほぼ、消えてしまいました。


【古銭】 約17ページ
 「エロティック・ミステリー」 1962年6月

  殺人事件で持ち去られた、大変 珍しいエラー古銭を、骨董品店に持ち込んだ男が逮捕され、誰から買ったのかを白状した。 ところが、殺人事件の容疑者には、犯行時刻、別の町に住む友人を自宅によんで、一緒に飲んでいたというアリバイがあった。 すでに、犯行から、月日が経っており、友人の記憶は曖昧になって、何日だったかは、容疑者が住む町の、商店街の定休日だった事しか覚えていなかった。 鬼貫警部が、ある事を思い出し、証人の記憶が捜査されている事に気づいて・・・、という話。

  定休日でない商店街を、定休日に見せかける方法は、面白い。 言われなければ、そんな簡単な手があるとは、気づきません。 そこまでは、いいんですが、それだけでは、憶測に過ぎず、証拠にならない。 で、追加されたのが、最後に出て来る、犯行当日の天気の件なんですが、安直過ぎて、感心しません。 そういう事は、警察の捜査では、真っ先に調べるのでは?

  ちなみに、この話。 盗まれたのが、古銭でなくても、成り立ちます。 小さいから、盗み易いと思って、古銭にしたんでしょうな。


【わるい風】 約10ページ
 「オール読物」 1964年5月

  ある歯科医院へ、歯科医の女優志望だった娘を、自殺に追い込んだ脚本家が、そういう関係があるとは知らぬまま、患者としてやって来た。 歯科医は、秘かに手に入れていた拳銃を、脚本家の口に突っ込み、娘の仇をとったが、死体を公園のベンチに捨てたせいで、警察から、容疑者にされてしまい・・・、という話。

  その歯科医院に、仇の男が、たまたま やって来る点は、偶然が過ぎますし、拳銃を用意している点は、リアリティーを欠きますが、このページ数ですから、あまり突つくのも、野暮というもの。

  ベンチに、一連の数字が悪戯書きされていて、死体がその上にあったから、何日の何時以降に、そこに置かれたかが判明した、というアイデア。 その数字が何なのかは、読んでのお楽しみ。 「なるほど!」と思わされます。 鮎川さんというのは、年中、こういった事を考えていたんでしょうな。 このアイデア、変形させた上で、2サスの第1話で、使われています。


【暗い穽】 約22ページ
 「オール読物」 1964年2月

  信用金庫の支店長をしているが、入り婿で立場が弱い男。 息抜きに浮気をしていたが、妻が依頼した興信所の探偵に知られて、妻に報告しない代わりにと、探偵から恐喝を請ける身になった。 探偵を殺す事に決め、自分のアリバイを用意して、いざ、決行となったが、思わぬところで、計画が狂い・・・、という話。

  中華料理店に誘って、シューマイ料理を食べさせておき、自分のアリバイを作った後で、今度は、シューマイ弁当を食べさせてから殺す。 解剖されても、胃の内容物は同じシューマイだから、犯行時刻をごまかせるという作戦。 なるほど、よく考えられている。 このトリックは、最後まで、解けません。

  鬼貫警部は前面に出て来ずに、部下の丹那刑事が解決しますが、シューマイのトリックではなく、別の点から解けます。 季節柄、犯行場所に暖房器具がないのは不自然だと思い、電気ストーブをかけておこうとしたが、火事になったら、せっかくのシューマイ・トリックが無駄になってしまう。 そこで、プラグが抜けたように偽装して、電気ストーブを消しておいたが、実は、その時刻に・・・、いや、これ以上は、ネタバレになってしまうので、書きません。

  解説によると、この作品の発表後、「謎解きのヒントを得る方法が、偶然に頼り過ぎている」という指摘を受けたそうですが、私も、そう思いました。 たまたま、犯行現場の近くに住んでいる同僚の刑事が、穴に落っこちたというのは、あまりにも、安直なのでは?


【死のある風景】 約42ページ
 「オール読物」 1961年11月

  個人で通信社をやっている記者の遺体が発見される。 記者は、豊胸手術の失敗で、胸を傷だらけにされてしまった若い女性が自殺した一件を調べていた。 女性の恋人だった青年と、記者から恐喝を受けていたと思われる美容整形医が容疑者となるが、警察からは、青年の方が、ホンボシと見られていた。 青年は、女性の妹と、独自の捜査を始め、美容整形医のアリバイを崩そうとする話。

  鉄道もの、且つ、なりすましもの。 クリスティー作品的と言うより、2サスでよく使われると言った方が、伝わり易いでしょうか。 そのくらい、多くの作家によって、繰り返し繰り返し使われているアイデアです。 なりすまし物を読み慣れている読者なら、特に反応しないでしょう。 「ああ、このパターンね」と思うだけ。

  2サスの、≪鬼貫警部シリーズ≫に、同じ副題をもった回がありますが、そちらは、この短編を改稿した、同名の長編が原作のようです。 ドラマはドラマで、大幅に翻案されているので、重なるところが、ほとんど、ありません。


【偽りの墳墓】 約31ページ
 「オール読物」 1962年8月

  保険金殺人の疑いがある男を訪ねに、浜松へ来ていた保険会社の女性調査員が、瓦焼きの窯で、下着姿の遺体となって発見される。 推定犯行時刻の後、被害者が着ていた、インクのシミがついた服が、質屋に持ち込まれていた。 病気で別居していた被害者の夫は、嫌疑の外。 保険金殺人の調査対象の男と、夫と共に身元確認にやって来た保険会社の同僚の男に容疑がかかるが・・・、という話。

  長さの割に、結構には、複雑な話で、梗概がうまく書けません。 この短編は、その後、長編に書き改められているそうです。 2サスの、≪鬼貫警部シリーズ≫では、第14作で、「表と裏」というタイトルになってます。 シリーズ中でも、三指とまでは言いませんが、五指に入る、印象的な話でした。 短編小説と、2時間のドラマでは、描き込まれているボリュームに、だいぶ、差がありますが、謎やトリックは、ほぼ、同じ物が使われていて、翻案度は低いです。



  この本の総括ですが、少なからぬ作品で、鬼貫警部本人ではなく、その部下が、捜査に当たります。 作者は、天才的探偵ではない、普通の刑事達を描きたかったようで、誰が捜査を担当するかは、別段、問題ではなかったのでしょう。 さりとて、クロフツ作のフレンチ警部ものほど、地道な捜査というわけではなく、2サスでよく使われる、「わざとらしいヒント」が元で、解決の糸口を掴む事も多いのですが。

  鮎川さんは、トリックのアイデアを思いつく点では、天与の才があったと思いますが、それを、ストーリーに嵌め込む技量は、さほどでもなかったようですな。 そもそも、ストーリーには、あまり、興味がなかったのかも知れません。 作品全体の雰囲気や、細部の描写も、やっつけ仕事を感じさせる点が多いです。 それでも、作家として名を残せるところが、推理小説界の特殊なところですが。




≪黄金を抱いて翔べ≫

新潮文庫 た-53-1
株式会社 新潮社 1994年1月25日 発行 2016年9月20日 39刷
高村薫 著

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 346ページ。 1990年の発表。 同年の日本推理サスペンス大賞受賞作。 2012年に、映画にもなったとの事。


  大阪のビルに入っている銀行の金庫から、金の延べ板を盗み出す計画を立てた二人の男。 爆発物や、エレベーター、ビルへの出入り業者など、専門知識や特殊な立場にある者達を仲間に引き込み、総勢6人で、下調べや準備を進めていたが、いずれも、ワケアリ過ぎる面子であったせいで、次々に障碍が発生する話。

  トリックの類は、なし。 謎は出て来ますが、推理小説ではないです。 強いて分類するなら、犯罪小説か、冒険小説ですが、視点人物を始め、中心的な登場人物が、全員 犯罪者なので、冒険小説的というのは、遠いかも。 さりとて、ピカレスクというほど、開き直っているわけではなく、バタバタと人が死んで行きます。 こういう人生を送っている人間達には、こういう死に方が似合っていると、作者も思っているのでしょう。

  窃盗計画の話ですから、今なら、2001年のアメリカ映画、≪オーシャンズ11≫と、そのシリーズを、類似物語として思い浮かべる人が多いと思います。 こちらの方が、発表が早いですが、この作品が、オーシャンズ・シリーズのヒントになったわけではなく、アメリカ映画では、昔から、窃盗計画や強奪計画の話はあり、一ジャンルになっている模様。

  大抵の窃盗計画物語は、小気味良いコメディーになっていて、犯罪の後ろめたさを相殺し、バランスを取っているものですが、この作品には、小気味良いところなど、微塵も感じられません。 その点では、犯罪小説そのものでして、それが、特徴といえば、特徴。 この雰囲気こそが、この作品の独自性なのかもしれません。

  計画が、ド派手で、電話を遮断する為に、あちこち爆破し、金庫自体も、爆薬で開けます。 こういう発想は、泥棒というより、テロリストのそれですな。 こういう発想そのものが、怖いです。 そして、通信システム、爆薬、エレベーターなどの技術的な解説が、異様なほどに、詳細。 恐らく、大抵の読者は、その点に圧倒され、舌を巻き、作者の知識量や情報収集能力に、脱帽せざるを得なくなると思います。

  私も、その一人で、こういう作者の作品は、細かい所にケチをつけたりするより、手放しで絶賛してしまった方が、ずっと利口だと思います。 読んだ人なら、全員、一人の例外もなく分かると思いますが、こんなに技術に詳しい小説、他に読んだ事がないでしょう? とても、書けないでしょう? なに? 自分は技術系だから、書ける? よしておきなさい。 テロリストだと思われて、公安の監視リストに載せられてしまいますよ。

  ネタバレを避ける為に、結末は暈しますが、まあ、思っていた通りの終わり方になりました。 「黄金を抱いて翔べ」というタイトルから、大体の情景を想像していましたが、ほぼ、その通りでした。 だけど、そんな事と、この小説の価値とは、関係ないのですよ。 ラストが、もっと悲惨なものであったとしても、この作品の価値が減じる事はありません。 どんな結末にしても、この作品の独自性は、揺るがないのです。

  それにしても、こういう作品こそを、「ハード・ボイルド」と言うべきなのではなかろうか? キザな探偵なんか出て来ませんし、恋愛も男色が少し出る程度ですが、ハード・ボイルドとしか言いようがない雰囲気が、全編に漲っています。 真の意味で、文句なしの傑作ですな。 こんな下らない感想なんか読んでいる暇があったら、作品そのものを読むべし。




≪マークスの山 上・下≫

新潮文庫 上・た-53-9 下・た-53-10
株式会社 新潮社
上・2011年8月1日 発行 2022年7月30日 3刷
下・2011年8月1日 発行 2023年4月30日 3刷
高村薫 著

  沼津図書館にあった、文庫本です。 上下巻二冊で、長編、1作を収録。 合計、788ページ。 1993年の発表で、直木賞受賞作。 1995年に、映画化。 私は、映画を先に見ていますが、テレビ放送した時なので、もう、20年以上経っていると思われ、断片的な場面しか、覚えていません。 渋いけれど、よく分からない話だったような・・・。


  両親の車内無理心中で、自身もガスを吸った水沢少年は、その後遺症で、精神に障碍が残った。 同じ頃、南アルプスで起こった殺人らしき事件について、成長してから、犯人の目星がついた水沢は、一億円を恐喝しようと目論むが、計画は容易には進まず、精神障碍の故か、いたずらに、死人ばかり増やしてしまう。 事件の経過を、捜査に当たる合田警部補を中心に描いた話。

  三人称で、時折り、水沢青年の頭の中が紹介されますが、全体の99%は、合田(ごうだ)警部補の視点で話が進みます。 事件そのものより、捜査員達の手柄争いの確執の方に、力点が置かれています。 じっくり読めば、その点こそが面白いと思うのですが、私のように、浅薄な気質の読者だと、どうしても、事件の経過を知りたくなって、どんどん先へ進んでしまうので、 この小説の醍醐味を味わいきれないところがあります。

  事件そのものは、2サスによくあるストーリーで、新味は感じません。 2サスによくあるどころか、コナン・ドイル作、シャーロック・ホームズ・シリーズの長編4作の内、【バスカビル家の犬】を除く3作に使われているパターンでして、古典も古典。 いやいや、もっと遡れば、実質的に、推理小説に於ける世界初の長編作品、エミール・ガボリオ作、【ルコック探偵】に、すでに使われており、古典の始祖と言ってもいいほど、基本的なパターンなのです。

  即ち、「かなり昔(当時の関係者が、まだ生きていなければならないので、せいぜい数十年前ですが)、ある事件が発生する。 その事件が遠因になって、現在時点で、新しい事件が起こる。 探偵役は、昔の事件を調べる事によって、現在の事件の謎を解いて行く」というもの。 そう聞くと、2サスに親しんでいる人なら、「多いな、そういうの」と思うでしょう? この【マークスの山】も、もろに、それなのです。

  で、事件だけでは、新味が出ないので、捜査陣の確執の方に拘って、じっくり、ねっとり、細々と書き込んでいったら、大変、読み応えがある小説に仕上がった、というわけですな。 はっきり言ってしまっていいと思いますが、伊達に、推理小説で直木賞を獲ったわけではないのであって、この作品は、面白いのです。 それは、間違いない。 この面白さを認められないなら、いっそ、読書習慣なんぞ捨ててしまった方がいいです。

  それにしても、警察組織よ。 こんな内輪の争いに血道をあげていたのでは、捜査がなかなか進展しないでしょうなあ。 手柄なんて立てたって、試験に受からなければ、昇進できないし、そもそも、キャリアでなければ、昇進の限界があるのですから、意味ないと思いますがねえ。 捜査員として有能な人物であればあるほど、虚しさを感じて、仕事に対する意欲が萎えてしまうのでは?


  小説を読み終わっても、映画のストーリーを、よく思い出せません。 相当な割合を、翻案してあったように思えます。 つくづく思うに、小説が面白かったら、下手に手を加えず、そのまんま映像化した方が、絶対に結果が良くなります。 これは、映画勃興期から、多くの人に言われて来た事です。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2025年の、

≪赤い霊柩車 葬儀屋探偵・明子≫が、3月4・5日。
≪不完全犯罪 鬼貫警部全事件-Ⅱ≫が、3月7日から、13日。
≪黄金を抱いて翔べ≫が、3月23日から、26日。
≪マークスの山 上・下≫が、3月28から、4月2日。

  何がきっかけで、高村薫さんの本を読んでみようと思ったのか、忘れてしまいました。 だいぶ前に見た、【マークスの山】の映画版を覚えていて、その雰囲気を面白いと感じていたのが、意識の底にあり、それが、読書意欲の復活で刺激されて、原作者が誰か調べたら、高村薫さんだった、というところでしょうか。

  今後しばらく、高村作品の感想が続く予定なので、先に断ってしまいますが、私には、高村さんの作品を正当に評価できるほどの、読書力がありません。 批評能力が、質的にも量的にも、全く足りていないのです。 それを承知の上で、無理に感想をでっち上げているのだと思っていて下さい。