EN125-2Aでプチ・ツーリング (67)

【沼津市中沢田・中沢田の湧水】
2025年3月9日。 沼津市・中沢田にある、「中沢田の湧水」へ行って来ました。 ネット地図に載っていた所。 根方街道から、少し南へ入った、「ベル歯科」の裏手にあります。
≪写真1≫
南東側から見ました。 後ろの建物は、ベル歯科。 複雑な形の屋根を載せてますねえ。 三角地で、三方全周を、道路に囲まれています。 その一角に、湧水が流れ込む川があります。 たぶん、農業用水。
≪写真2≫
北東側から見ました。 塩ビ・パイプから湧き水が、勢いよく、流れ出しています。 湧き水を、「飲ませる」という、設えではないようです。
≪写真3左≫
三角地の一角にある、水槽。 中で、金魚が飼われていました。 遠くて、分かりづらいですが。
≪写真3右≫
近くの家の庭で咲いていた、たぶん、薔薇の品種。
≪写真4≫
ベル歯科の裏手に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ここは、折自でも来れるような、近場。 うちから出て、永代橋で狩野川を渡って、幟道(のぼりみち)を北上し、大中寺の交差点で、根方街道に入って、西へ1分も走れば、ここに着きます。 ベル歯科の案内看板が出ているので、それを見逃しさえしなければ、間違える事はないです。
【沼津市東椎路・小屋敷バス停付近】
2025年3月14日。 沼津市・東椎路にある、「小屋敷バス停」へ行って来ました。 別に、バス停を見に行ったわけではなくて、住宅地図を見ていたら、バス停の向かい側に、神物・仏物マークが付いていたのです。
≪写真1≫
根方街道の、小屋敷バス停。 後ろは、小屋敷公会堂。 バス停の横に並んでいるのは、奥から、「千手観音の浮き彫り石塔」、「庚申塔」、「判別不明の浮き彫りがある石」。 しかし、住宅地図に載っていたのは、これらではありません。
≪写真2≫
道路を挟んで、向かい側にあるのが、この覆い。 コンクリート・ブロックの壁に、コンクリートの屋根が乗っています。
≪写真3左≫
中には、石製の坐像がありました。 暗くて、顔が見えませんな。
≪写真3右≫
露出を上げて、撮り直してみました。 お地蔵様のようです。
≪写真4≫
覆いの後ろに、駐車場があったので、そこに、バイクを停めました。 もしかしたら、個人の敷地かも知れませんが、ごく短時間だったからか、誰にも何も言われませんでした。
≪写真4右下≫
近くにあった、椿の木に咲いていた、花。 一重椿ですが、蘂の元が、赤くなっています。 こういう品種があるんでしょうねえ。
【沼津市中沢田・甲子塔】
2025年3月18日。 沼津市・中沢田にある、「甲子塔」を見に行って来ました。 住宅地図に、神物・仏物の記号が出ていたので、何かと思って行ってみたら、甲子塔だったというわけ。
≪写真1≫
あいにくの曇天、暗くて分かり難いですが、「とび出し注意」の看板の、向かって右下に、石塔があります。
≪写真2左≫
近づいて、露出を上げて撮りました。 「甲子塔」と、デカデカ彫ってあります。 「庚申塔」というのも良く見ますが、干支の組み合わせは幾らもあるのに、他のは見た事がありません。
≪写真2右≫
甲子塔があるのは、T字路、というか、Y字路です。 沖縄の、「石敢當」のように、魔除けの意味があるんでしょうか?
≪写真3≫
路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 家から、往復14キロ。 凄い近場です。 この日は、晴れの予報であったにも拘らず、ずっと曇りで、晴れ間は見えるが、日射しはないという、3月中旬としては、大変、寒い陽気でした。 承知の上で出かけたとはいえ、冬場のバイク・ツーリングは、厳しいです。
≪写真4左≫
近くの空き地で、自然に生えて来たと思われる草に、小さな花が咲いていました。 花が小さくても、密度が高ければ、園芸家に喜ばれるんですが、疎らだと、相手にされないようです。
≪写真4右≫
少し北へ行った所に、「沢田ゴルフ練習場」があるのですが、その入口の道路で咲いていた、寒緋桜。 まだ、ソメイヨシノ系が咲く時期ではないです。
【沼津市中沢田・三叉路の祠と道祖神】
2025年3月26日。 沼津市・中沢田にある、「三叉路の祠と道祖神」へ行って来ました。 こういう名前が付いているわけではありませんが、名前が分からないので、便宜的に、そう呼びます。 住宅地図に、神物・仏物記号があった所。
≪写真1≫
道祖神の石像を想像して行ったんですが、いざ着いてみたら、もっと格上で、祠規模の神社でした。 鎮守の杜まで付いています。 三叉路の一角にあります。 国道1号バイパスのすぐ北。 梅の名所で有名な、大中寺の南西。
≪写真2左≫
木製・銅板葺きの祠。 人間は入れないサイズですが、大変、凝った作りです。 ミニチュア社殿ですな。
≪写真2右≫
側面。 この祠そのものが、拝殿と本殿を兼ねているものと思われます。
≪写真3左≫
道祖神も置いてありました。 ポンと置かれた感じを見ると、他から持って来られたものかもしれません。
≪写真3右≫
近くの水路。 一点透視図法の見本みたいな眺め。
≪写真4≫
南を通る道路の向かい側に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ここが少し、広くなっていたのです。
そういや、先日、「レッドバロンの者」を名乗る男が、家の呼び鈴を押して、「処分するオートバイはありませんか?」と訊いて来たので、「ありません」と即答しました。 本当に、レッドバロンの者だったのか、詐欺師の下調べだったのかは、不明。 向こうからやって来る訪問販売の類いは、問答無用で片っ端から断っておいた方が、無難。
【沼津市足高・江藤浩蔵翁顕彰碑】
2025年3月30日。 沼津市・足高にある、「江藤浩蔵翁顕彰碑」を見に行って来ました。 住宅地図に出ていた所。 「愛鷹広域運動公園」の、すぐ北側の、山林の中にあります。 ちなみに、出かける前の時点で、江藤浩蔵氏に関する知識は、ゼロでした。
≪写真1≫
「愛鷹運動公園 配水池」の門前に、バイクを停めました。 邪魔にならないように、アコーディオン門扉の前を避けて。 向かって左端の階段を上がって行くと、顕彰碑がある場所に至ります。
≪写真2≫
3分くらい登ると、ここに着きます。 顕彰碑と、あずまや、ピクニック用の机やベンチがあります。 この平地は、造成した可能性もありますが、木が大きいところを見ると、元から、こうだったのかも知れません。
≪写真3≫
向かって右側の、自然石の方が、「江藤浩蔵翁顕彰碑」。 江藤浩蔵氏は、金岡村の村長だった人物で、愛鷹山御料地払い下げの為に、江原素六氏に最も近い協力者だったとの事。 昭和の初めに、この石碑の台座になっている石の下に、遺髪を埋めたそうです。 石碑自体は、昭和58年11月の建立。 1983年。
左側の白っぽい方は、「愛鷹山御料地○下げ 八十周年記念碑」。 「○」は、「払」の旁が、「弗」になっていました。
≪写真4左≫
車道からの登り口に立っていた、「愛鷹山御料地○下げ 八十周年記念碑」の解説板。 昭和54年に石碑を建立した経緯が書かれています。
≪写真4右≫
これも、登り口に立っていた、「愛鷹広域運動公園内散策エリア 案内図」。 石碑がある場所自体が、散策エリアに含まれているんですな。 「花と海の見える丘」、「工芸館」、「運動広場」などがあるようです。
≪写真5左≫
石碑の近くで、タンポポが幾つも咲いていました。
≪写真5右≫
車道を少し下って、愛鷹広域運動公園の駐車場まで来たら、桜が咲いていました。 バイクを停めて、撮影。 満開には、少し早いか。
この日は、天気は良かったのですが、寒の戻りがあって、ツーリングには、寒かったです。 目的地の標高が高かったから、尚の事。 平地に下りて来たら、少しは、マシになりました。
今回は、ここまで。 鼠蹊ヘルニアの手術が終わるまで、目的地は近場に限ろうと思っていたのですが、あれこれと問題が起きて、手術の目処が立たず、諦めなければならない可能性が高くなって来たので、プチ・ツーも、以前のように、近隣自治体まで、半径を広げようかと思っています。
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