2025/02/16

実話風小説 (37) 【いなくなる前に】

  「実話風小説」の37作目です。 12月の中ばに書いたもの。 闘病中の事とて、今回も、短いです。 短い方が、書く方も、読む方も、好都合という見方もありますが、どうも、書く方としては、好都合過ぎて、やっつけになってしまう傾向がありますな。




【いなくなる前に】

  男Aは、すでに、人生の半ばを過ぎた年配だが、時々、思い出す事がある。 亡き父が言っていた、祖父の事である。 A氏が生まれるより前に他界しているから、面識はないし、父から聞いた話というのも、祖父に関する、たった一つのエピソードだけである。

  祖父は、第二次世界大戦の末期、昭和20年7月に、21歳で、海軍に召集された。 国内の軍港で、南方へ送られる前の再訓練をしている途中で、敗戦となった。 しかし、外地からの復員事業の為に、船員として徴用されてしまい、家に戻れたのは、5年も経ってからだった。

  多くの復員者がそうであるように、家に戻った祖父も、半ば、廃人という態だったらしい。 家族とは、ほとんど、話をしない。 自分からは、全く話さないし、話しかけても、生返事ばかりで、会話にならない。 朝、親戚から紹介してもらった、引っ越し屋の手伝い仕事に出かけて行き、夕方、もしくは、夜に帰って来る。 母親が作った夕飯を、黙って食べ、風呂に入り、眠ってしまう。

  その内、縁談があり、結婚したが、妻に対しても、ほとんど、口を利かない夫だった。 家父長制が普通だった時代には、そういう男は、いくらでもいたのだが、祖父の場合、職場でも、最小限、必要な事しか喋らず、真面目だが、無愛想な男と見做されていたようだ。

  A氏の父親は、昭和30年に生まれたが、20歳の時、つまり、昭和50年に、祖父は、交通事故で死んでしまった。 運転していた引っ越し屋のトラックに、他のトラックが突っ込んで来て、運転席ごと押し潰されたのだ。 葬式では、「せっかく、戦争から生きて帰って来たのに・・・」と、惜しまれたが、すでに書いたように、祖父は、召集はされたものの、戦闘に参加したわけではない。

  A氏の父が言うには、「親父が話しているところを、見た事がなかったな」との事。 「喋れないわけじゃないんだが、一言、二言、そんなもんで、長い話なんか、一度も聞いた事がない」と言った後で、ふと思い出したように、「・・・あ! そういえば、一度だけ、少し長い言葉を喋ったぞ。 そうだ! あれは、親父が死んだ日の朝だ!」


  A氏の父親は、高校卒業後、その地方にある中堅の土建会社に就職していたが、その会社の社員はみな、現場が遠い時は、現地に泊まり込みになり、数ヵ月間、家に戻れない事があった。 A氏の父親にも、そういう仕事が回って来て、初めて、家から離れて暮らす事になった。

  出張が迫る中、A氏の父親は、一人暮らしの為の準備に忙しかったのだが、その最中に、彼の母親が、頼み事をして来た。 車で、自分の友人の家へ送って行ってくれと言うのだ。 何か、届け物があるらしい。 A氏の父親は、就職前に、車の免許を取っていて、家の車を運転して、自分の母親を、あちこちに、送ってやる事が多かった。 それを、この忙しい時にも、やれというのだ。 地方出張で息子がいなくなると、出かけるのに不便になるから、その前に、自分の用事を片付けてしまおうと考えたらしい。

  A氏の父親は、「この忙しい時に・・・」と、いい顔をしなかったが、何とか、時間をやりくりして、送って行ってやろうかと考えていた。 その時、一人で、遅い朝食を食べていた、A氏の祖父が、口を開いたのだ。

「これから、よそへ仕事へ行く息子に、そんな事を頼むんじゃない! 初めて、家から出て暮らすんだから、不安でいっぱいなんだ。 その気持ちを分かってやれ!」

  A氏の父親も、その母親も、ビックリした。 普段、滅多に口を利かない、魂が半分 抜けてしまっているような人が、長い言葉を、しかも、ピシャリと叱りつけるような、激しい口調で言ったからだ。

  A氏の父親は、思い出しながら、感想を述べた。

「親父って、あんなに長く喋れるんだって、その時、初めて、知ったな。 その日の内に、事故で死んじゃったんだがな」

「出張は、どうなったの?」

「親父の葬儀を済ませてから、一週間遅れで行ったよ」


  A氏が、祖父の言動について知っている事は、父親から聞いた、それだけである。 なんで、そういう事を口にしたのかは、深く考えなかった。 祖父の言葉の意味が分かったのは、A氏の父親が病気で他界して、数年経ってからだ。

  近所で、100歳になった男性がいて、自治会で、そのお祝いをするというので、A氏も参加した。 セレモニー・ホールを貸しきっていたが、割と小さな、立食パーティーだった。 100歳当人の家族・親戚が半数。 残りは、僅かな知人を除き、自治会の者だった。 年齢が年齢なので、友人はもう、一人もおらず、知人も、「昔、世話になった」という、当人より一回り以上若い世代ばかりだった。

  ホールのスタッフによる司会で、主だった者の挨拶が終わると、あとは、歓談という事になったが、家族・親戚以外は、さほど親しい間柄の面子ではない。 特に、自治会の者は、所在ない身となり、ごく自然に、一人ずつ、100歳老人の席に、お祝いを述べに行くようになった。 A氏も、それに倣った。

  A氏の順番が来た。 A氏が、近所に住んでいる、Aだと告げると、100歳老人の表情が変わった。 そして、割と、しっかりした喋り方で、こんな言葉が返って来た。

「すると、○○さんの、お孫さんに当たるのかい?」

  ○○というのは、祖父の名前だった。

「そうです。 祖父を、ご存知なんですか?」

「一緒に、船に乗っていたんだよ。 復員船にな。 といっても、俺たちは、船員の方だったんだが・・・」

「それは、父から聞いています」

「○○は、早死にだったな。 俺だけ、こんなに長生きしちまって、申しわけないくらいだ」

「いえいえ、そんな事はありません。 もっと、長生きして下さい」

  100歳老人は、少し間をおいてから、こう言った。

「お宅の物干し台は、まだ、あるかい?」

「えっ?」

「ああ、とっくに、家を建て替えたんだっけな。 それじゃあ、もう、ないだろうな」

「物干し台が、何か?」

「○○は、昔にしては、背が高かったからな」

  話が見えなくなってしまったが、なにせ、相手は、100歳だ。 こんなものだろうか。 ところが、100歳老人の話は、俄かに、筋が通り始めた。

「○○の奴、出征する前の日に、母親から言われたんだってよ。 『行く前に、物干し台の、上の段の腕木を直して行ってくれ』って」

  A氏、何か似たような話を聞いた事がある。

「どういう事ですか?」

「つまり、母親にしてみれば、背が高い息子が出征すると、物干し台の高い所に手が届く者がいなくなるから、その前に、修理させようって腹だったのさ」

「・・・・・・」

「○○の奴、何度も、その話をして、怒ってたな。 母親なのに、戦争に行く息子を心配するんじゃなくて、自分の都合で、便利に使おうとしたってな」

  ああ、そういう事だったのか。 だから、祖父は、自分の妻が、出張直前の息子、つまり、A氏の父親を、運転手として使おうとした時に、怒ったのだ。 自分の母親と、自分の妻がやった事が、オーバー・ラップして、怒り心頭に発したのだ。 あの話には、そういう裏事情があったのか。 もしかしたら、復員した祖父が、無口になったのも、母親に対する不信感が影響したのかも知れない、

  A氏が、父親から、その話を聞いてから、もう、40年にもなる。 特に、謎とも思っていなかったが、今頃になって、事情が分かった事に、何とも、不思議な気持ちになった。 このパーティーに参加しなかったら、一生、知らないままだったろう。

  しかし、ふと、自分の身に置き換えて考えてみると、A氏自身も、母親や妻から、似たような扱いを受けている事に気づいた。 何かにつけ、便利に使われているのである。 祖父がどうこうというより、女というものが、そういう現実的で、ドライな考え方をするものなのだろう。