読書感想文・蔵出し (131)
読書感想文です。 今回 出す分で、高村薫さんの作品は、おしまい。 まだ、短編で読んでいないものがありますが、アンソロジー収録だと、他の作家の作品も読まなければならないので、気が進まず、借りていません。 短編集は、感想を書くのが大変なんだわ。 特に好きでない作家の作品を読むのも、苦痛ですし。
≪筒井康隆コレクションⅢ 欠陥大百科≫
筒井康隆コレクション
株式会社 出版芸術社
2015年10月30日 第1刷発行
筒井康隆 著 日下三蔵 編
沼津市立図書館にあった、ハード・カバーのシリーズ本の一冊。 基本、二段組み、一部、一段組みで、約593ページ。 分厚いです。 <欠陥大百科>全部と、<発作的作品群>の一部を収録。 <欠陥大百科>は、1970年5月刊行で、ショートショート、論考型エッセイを、百科辞典形式で編んだもの。 <発作的作品群>は、1971年7月刊行で、ショートショート、短編、講談、戯曲、座談会などを、集めたもの。
どちらも、二段組み、300ページ近くもあるのに、<欠陥大百科>は、二日間で、<発作的作品群>に至っては、一日で読んでしまったわけですが、私の読書ペースは、そんなに速くないので、飛ばし読みした部分があるわけです。 特に、<発作的作品群>は、飛ばした飛ばした。
<欠陥大百科>と同じように、寄せ集め作品集なのですが、<発作的作品群>の方が、当時、押し寄せる注文を捌く為か、テケトーに、もしくは、ヤケクソで、もしくは、投げ遣りに、もしくは、やっつけで書いたと思われるものが多くて、そういう作品は、読もうとしても、目がついて行かなかった次第。 筒井さんには、申しわけないですが・・・。
<欠陥大百科>は、読むのは楽しかったものの、感想には困った。 収録作品が多過ぎて、一作ずつ書いていたのでは、一週間くらいかかってしまいます。 <発作的作品群>を読んで、ますます、困った。 ショートショートは、高いレベルなのですが、解題を読んだら、私がもっている文庫にも収録されている作品が多い事が分かり、ビックリ! 読んだのが大昔だから、忘れていただけだったんですな。
【駝鳥】は、絵本になったのが、図書館にあると知り、探したけれど見つけられず、悔しい思いをしたのが、一年半くらい前の事。 ところが、原作が、新潮文庫の、≪笑うな≫に入っていたんですな。 私の部屋にあったではないか! これだけの傑作を忘れてしまう、私の記憶力って、どんだけ、いい加減なのよ?
筒井作品でも、古いものの感想は書いていないので、≪筒井康隆コレクションⅢ≫に入っている作品の感想を書いてしまうと、他のものも書かなければならないような強迫観念に苛まれて、大ごとになってしまいます。 それは、怖い。 主だったものだけでも、一体、何百作あるのだろう? 感想を書いている途中で、私の寿命が尽きるのは、疑いなし。
ここは一つ、個別作品の感想は避けて、全体の印象だけにしておきましょうか。 もちろん、今回は例外で、新作掌編小説の作品集が出たら、一作ずつ、感想を書きますけど。
<欠陥大百科>も、<発作的作品群>も、筒井さんが売れっ子になった頃の刊行です。 出版社としては、本が出したくて仕方がない。 しかし、作品が足りない。 筒井さんが書いたものなら、小説でなくても、何でも売れると見た編集者が、雑誌に掲載された作品をジャンル構わず掻き集めた結果、この二冊が世に出たという流れ。 百科辞典の体裁をとっていたり、「発作的作品」という名前を付けたりしているのは、纏まりがないものを括る為の、苦肉のアイデアなんですな。
ショートショートは、押し並べて、レベルが高いです。 しかし、その為に、この本を買う/借りるのだとしたら、迂遠な話で、文庫に入っているのを読んだ方が、手軽です。 筒井さんほどの作家ですから、出版社が、面白い作品を、文庫に入れていないはずがないのであって、大抵、どれかに収録されています。
論考は、エッセイを長くしたようなもの。 ≪狂気の沙汰も金次第≫の各回に似た雰囲気がありますが、こちらは、長短まちまちなので、その点、些か、読み難いです。 ただし、中身は、分かり易いです。 学術的なものも多いですが、筒井さんは、自分が理解していない事は書かないので、衒学で素人を煙に巻こうとする傾向がある、学者・専門家が書いたものより、ずっと、分かり易くなるのだと思います。 取り上げられている題材が、1970年頃のもので、現代から見ると、応用が利かないくらい大きなズレが生じてしまっているのは、致し方ないところ。
<発作的作品群>の中に、「発作的戯曲」として、【荒唐無稽文化財奇ッ怪陋劣ドタバタ劇 ―― 冠婚葬祭葬儀編】というのがありますが、これだけは、分からん。 題名の通り、ゴッチャゴチャの、グッジャグジャ。 一つの話になっていないと思うのですが、奇ッ怪な事に、これを本気で上演する予定だったというから、驚きます。 結局、ポシャッたらしいですが、無理もない。
≪我らが少女A≫
毎日新聞出版
2019年7月30日 発行
高村薫 著
沼津市立図書館にあった、ハード・カバーの単行本。 なかなか戻らないので、予約を入れ、1ヵ月以上待って、ようやく借りる事ができました。 一段組みで、約527ページ。 毎日新聞で、2017年8月1日から、2018年7月31日まで、連載されたもの。
女優志望だったが叶わず、風俗で働いている27歳の女が、同棲していた男に、つまらない諍いで殺される。 逮捕された男の証言から、女が高校生だった頃、元美術教師の高齢女性が殺された事件の現場にいた可能性が出て来て、12年間止まっていた捜査が再び動き出す。 かつて、彼女と関わった者達が、埋もれた記憶を掘り起こそうとするが、新しい事実は、なかなか出て来ない。 そこへ、当時、ストーカー紛いの事をしていた少年が死蔵していたケータイから、600枚の写真が出て来て・・・、という話。
現在 起こった事件の方は、犯人がはっきりしていて、すでに逮捕されているので、何の謎もありません。 この小説で描かれるのは、昔 起こった事件の方です。 実際に、こういう再捜査が行なわれる事があるのかどうか知りませんが、12年も経っていると、関係者の記憶が、大幅に変容している危険性があり、不確かな捜査にならざるを得ないでしょうな。
昔の事件では、捜査指揮者、現在は、警察大学の講師という設定で、合田雄一郎が出て来ますが、群像劇の一キャラに過ぎず、彼が何か重要な役回りを演じるというわけではないです。 つくづく、この人物、推理・犯罪小説の主人公としては、異色。 名探偵的な特徴は、ほとんど、見当たりません。 さりとて、フレンチ警部的な、地道な捜査が得意というわけでもないのだから、何しに出て来ているのか分からない。 もっとも、嫌な感じもしませんが。
この作品の前の合田物というと、≪太陽を曳く馬≫ですが、そちらに比べると、ぐんと、推理小説度が高いです。 ≪マークスの山≫や、≪照柿≫が、犯罪小説だったのと比べても、この作品は、推理小説度が、ずっと高い。 合田物では、初めて、推理小説に近づいたにも拘らず、合田は、探偵役をしません。 何だか、捻くれた感じですが、高村さんらしい捻くり方と言えないでもなし。
三人称の群像劇で、合田も含めて、6人くらいが、視点人物になり、彼らの見たもの、考えた事が、順不同で並べられるという体裁。 ブツ切りなのは、新聞小説として、一回分の進行で、読者の興味を引っ張る手法として考えたものだと思います。 ところが、これが、一冊の本になり、連続して読むと、面白い効果を出すんですわ。 いつまでも読んでいたいという、「点滴的陶酔感」に浸らせてくれるのです。 うーむ、高村さんのこの文体は、マジックだな。
高村作品独特の、詳細な知識は、ゲームとSNSに関するもの。 ゲームはさておき、SNSの方は、ストーリー進行に果たす役割が大きいので、完全に溶け込んでいます。 他の高村作品のように、詳細知識の部分が、度が過ぎて、浮いてしまうような事はありません。 高村さん本人が、これほど、SNSを使っているとは思えないのですが、よくぞ、これだけ、調べたものです。 20歳前後の作家が書いているのかと錯覚を起こすくらい。 どっぷり浸かっている世代に取材するとしても、高齢になると、頭がついて行かないと思うのですが、高村さんは、それができるようなのです。
推理小説度が高い証拠として、終盤、600枚の写真が見れる状態になると、強烈なゾクゾク感を覚えます。 12年間、死蔵されていたケータイに保存されていた写真、という設定が、こたえられませんな。 考古学の発掘から、歴史の真相が判明するのに似た興奮を感じるのです。 ただし、高村作品ですから、犯人が指名され、謎が解かれ、因縁話が語られ・・・、という終わり方にはなりません。 犯人は分かりますが、はっきり書いてあるわけでもないです。
その点、明快な結末を望む推理小説ファンには、残念な事ですが、そもそも、推理小説の骨法を利用しているだけで、高村さんが描きたいのは、人間心理、人間模様なのだから、文句を言っても詮ない事です。 とはいえ、この作品に限れば、純文学ファンよりも、推理小説ファンの方が、馴染み易いとは言えるでしょうねえ。
ラストで、視点人物の内、二人が死にます。 子世代が一人と、親世代が一人。 子世代の一人は、実質的な主人公と言ってもいいほど出番が多いので、「せっかく、人生がいい方向に進み始めたのに、可哀想に・・・」と思います。 親世代の一人も、気の毒な事では負けておらず、結局、血筋が絶えてしまったわけだ。 どちらも、別に、犯人というわけではないのだから、死なさなくても良かったような気もしますが、敢えて、そうしたところに、作者の人間社会に対する、覚めた目線、乾いた感覚が覗えます。
そうそう、昔の事件の被害者については、小指の爪の先ほども、気の毒だとは感じません。 殺されるのに相応しいような人格だからでしょうか。 そんな事を言い出せば、該当する人物は、世に溢れているわけですが・・・。 元教師では無理もないかも知れませんが、60代後半で、まだ、他人に説教をくれている人間なんて、社会的に有害なだけです。
≪半眼訥訥≫
株式会社 文藝春秋
2000年1月30日 第1刷
高村薫 著
沼津市立図書館にあった、ハード・カバーの単行本。 主に、1990年代後半に、新聞や雑誌に掲載されたエッセイ、70作と、講演記録、1作を収録。 一段組みで、全体のページ数は、約270ページですが、余白が多いページもあり、正味の文章量は、200ページくらいだと思います。 読書習慣がある人で、閑なら、一日で読めます。
題材として取り上げている対象は、文化、社会、小説、音楽、介護、宗教、犯罪と、多岐に渡ります。 「多岐に渡る」というと、カッコいいですが、別の言い方をすると、バラバラ。 数年間に跨って、間歇的に掲載されたエッセイ群ですから、統一性がないのは、無理もない事です。 作者が誰であるかに関わらず、エッセイ集では、よくある事。
テーマを絞って連載されたと思われる、第5章、「家のつぶやき」、26作は、一番、読み応えがあります。 高村さん独特の観察眼が、充分に活かされていて、大変、面白いです。 第7章の、音楽がテーマの3作も、纏まっていますが、残念な事に、私の方に造詣が足りなさ過ぎて、目がついて行きませんでした。 興味がある向きには、面白いと思います。
それ以外の作品ですが、全体の印象としては、「かたい」ですかねえ。 文体も硬いし、考え方も堅い。 小説の方の印象から、風変わりな考え方をする人かと思っていたんですが、外れました。 特に、犯罪に関しては、大外れしまして、小説から想像していた、犯罪者への興味は、さほど強いものではない様子。
社会問題は取り上げても、それに関わる政治の話題は避けているように思えますが、これは、たぶん、知能が高い作家に見られる、用心でしょう。 特に強い興味がないのに、余計な事を書いて、お上に睨まれるリスクを避けようと図っているのでは? 下司の勘繰りかも知れませんが。
小説家としての高村さんは、特異な人物だと思うのですが、その印象は、このエッセイ集を読んだ後でも、変わっていません。 ただ、小説の方からイメージされるような突飛な考え方はしない、至って、堅実な人格の持ち主のようですな。 こういう人物が、ああいう小説を書くというのは、意外ですが、何か、私には窺い知れない、脳のメカニズムが働くのかも知れません。
「知能の高い人は、戦略的に嘘をつくので、小説の方が本物で、エッセイは、堅実な人格を装う為の嘘なのではないか?」とも疑えますが、そこまで穿つと、本当に、下司の勘繰りになってしまうので、やめておきます。
≪刺青殺人事件 新装版≫
光文社文庫
株式会社 光文社
2013年10月20日 初版1刷発行
2018年 8月10日 2刷発行
高木彬光 著
沼津市立図書館にあった、文庫本。 401ページ。 1947年に書かれたものの、新人の長編は、紙不足の時節柄、出版社から敬遠されたのが、江戸川乱歩の目にとまって、翌48年に刊行。 1953年に、改稿されて、2倍の長さになり、今に至るとの事。
名人彫師の父親によって、見事な大蛇の刺青を入れた女が、自宅の浴室で、首と手足だけの死体となって発見される。 胴体はなかったが、その浴室は、密室となっていた。 数名の容疑者が浮かぶが、完璧なアリバイがあったり、性格的に知能犯たり得なかったりと、絞り込む事ができない。 警察の捜査が行き詰る中、死体の発見者となった青年の大学の知人に、復員して来たばかりの名探偵がいて、彼に事件の情報を与えるや、たちまち・・・、という話。
高木彬光さんの処女作にして、神津恭介が初登場する作品。 2サスの、≪探偵・神津恭介の殺人推理≫シリーズの、第1話も、この話でしたが、力が入った作りだったので、見た事がある人なら、覚えているのでは? とりわけ、人間の体から剥がした刺青の皮が出て来た場面は、鮮明に記憶に焼きついている事でしょう。
本格トリック物。 浴室の密室トリックは、機械的なものですが、それが見せ場ではなく、密室物の発想を逆転したトリックが用意されています。 当時は、新規軸だったと思いますが、その後、このパターンは、様々な作家が、様々な作品でなぞったので、2サスを見ている人ほど、「ああ、この手か…」と、既視感を覚えると思います。
冒頭の、刺青文化に対する薀蓄は、硬いですが、ストーリーが語られ始めると、発話だけで進行する部分が多くなり、俄然、読み易くなります。 ラノベ級と言っても、あまり、外れていないでしょう。 400ページもあるのに、私が、二日で読んでしまったのも、その読み易さゆえです。 クライマックスからラストまで、犯人指名と謎解きに入ると、また、硬くなりますが、そこに至る前に、読者に対して、事件のあらましの説明が済んでしまっているので、頭を使わなくても、理解できます。
アイデアは良いと思いますが、ゾクゾク感は、あまり、強くありません。 何だか、理屈で押し切られて、煙に巻かれてしまったような読後感。 頭では理解できるのですが、面白いとは思わないのです。 探偵の神津恭介が、スマート過ぎるからでしょうか。 明智小五郎は、変格物の探偵だから、別扱いにするとして、同じ本格物の探偵、金田一耕助と比べると、欠点がなさ過ぎて、逆に、古さを感じてしまいます。
探偵を、天才的に頭が良い人物に設定する事は、割と容易でして、警察を愚かで無能な集団にしてしまえば、相対的に、探偵の賢くて有能なイメージが際立ち、推理小説として、格好がつくようになります。 しかし、この手は、推理小説を読み込んでいる読者には、すぐにバレてしまうので、アイデアが優れていないと、作品の評価は高くなりません。
神津恭介という人物、「名探偵は、スマートでなければいけない」と思っている向きには、こたえられない魅力があると思うのですが、「欠点もあって、初めて、人間的魅力が出る」と考えている向きには、気障というか、非人間的というか、リアリティーを欠くキャラに見えるんじゃないでしょうか。
以上、4冊です。 読んだ期間は、2025年の、
≪筒井康隆コレクションⅢ 欠陥大百科≫が、9月7日から、9日。
≪我らが少女A≫が、9月12日から、15日。
≪半眼訥訥≫が、9月17日から、19日。
≪刺青殺人事件 新装版≫が、9月20から、21日。
読書感想文のシリーズで、こういう告知をするのも、不適当なのですが、この、ブログ≪心中宵更新≫は、2025年一杯で、新規更新を終了するつもりでいます。 感想文シリーズは、月に一回だから、今回が最後という事になります。 131回も続いたとは、改めて、驚きました。 大抵、4冊ずつだから、500冊以上、読んで来た事になりますな。 それにしては、知識浅薄なままですが。
≪心中宵更新≫の、新規更新終了の理由は、「実話風小説シリーズ」を打ち切って以降、独自の書き下ろし記事がなくなり、ブログ≪換水録≫からの再編集移植ばかりになったので、独立したブログを維持している意味がなくなってしまったからです。
そもそもの原因は、私の健康状態が思わしくなくて、様々な事に取り組む意欲が減退した事にあるのですが、それは、現状では、解決できない事なので、致し方なし。 私も、もう還暦を過ぎた事ですし、つまらない欲を掻かずに、最低高度で、落ちない程度に、飛行を続けようと思うのです。
ブログ≪心中宵更新≫の新規更新終了に関しては、年末に、また、改めて、告知します。 ちなみに、私が本拠にして、毎日更新している、ブログ≪換水録≫のURLは、「https://kansuiroku.seesaa.net/」です。





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