戦争適性ゼロ
まったく野党は何をやってんだか、いつの間にか防衛庁が防衛省になってしまい、その上、海外活動が自衛隊の通常業務になってしまいました。 こじつけを含むありとあらゆる理由に関わらず、≪軍事組織の海外派遣≫と≪侵略≫は同じ方向性を持つ行為の程度の差に過ぎません。 ドイツを見なさい。 あれほど深いナチスへの反省を示しながら、平和維持の名目でアフガニスタンに駐留部隊を出したばっかりに、今タリバン相手にやっている事は戦争以外の何ものでもありません。 外国の土地で地元の人間と戦争をするという事が、≪侵略≫とどう違うのか、屁理屈でもいいから申し開きを聞いてみたいものです。
何度も言うように、軍隊の本来の仕事は、殺害と破壊であって、人命救助だの災害復旧だのは、全くの副業に過ぎません。 それらの活動は軍隊でなくても出来るもので、尚且つ、専用の組織があればその方がずっと効率よくやってのけられる活動です。 実際に土砂崩れで家の下敷きになったと思ってみなさい。 そこへ助けにやって来たのが、消防隊員だった場合と、自衛隊員だった場合の安心度の差は容易に想像できるでしょうが。 片や救助のプロ、片や単なる頭数で引っ張り出された人足です。 さあ、どっちが頼りになる? 困った時に助けてくれるなら誰でもいいと思うのは人情ですが、それが行き過ぎて、軍隊の本質について思い違いをしていると、必ずしっぺ返しが来ます。
軍隊というのは思いの外馬鹿な集団です。 軍隊の賢さを探すのは至難の業ですが、愚かな所なら、いくらでも見つかります。 清朝以前の中国文明では、「兵隊は体を動かす以外に能がない馬鹿が就く職業」と決まっていたほどです。 どの国でも軍隊は馬鹿者の集団なんですが、日本では特にその度合いが強いです。 なぜかというと、日本人は、古来≪尚武の国≫などと自称して、戦争が大好きであるにも拘らず、戦争がド下手で、特にあらゆる局面で合理的判断力を必要される近代戦には全く向かない民族だからです。 今回は、日本人がいかに近代戦が不得手かを論じてみましょう。
まず何よりも重大な欠陥は、日本人には兵器の使い方が分からないという事です。 これは、旧日本軍も自衛隊も、江戸時代以前の武士団もみんな同じです。 戦争は根性でやるものだと思っているので、敵よりも優れた武器を装備しようという発想が出て来ないのです。 火縄銃が伝来から廃止までほとんど進化しなかった事は有名ですが、もっと身近な例として、太平洋戦争の期間中に新開発された兵器が非常に少ない点を見てもこれは歴然と分かります。
太平洋戦争中の日本軍の優れた兵器というと、アホでも知っていていの一番に口に出すのが≪ゼロ戦≫ですが、実はゼロ戦そのものはさほど戦果を上げたわけではありません。 真珠湾攻撃やマレー沖海戦など、初期の勝ち戦に加わっていたので、圧倒的に強かったかのように思われていますが、その実、攻撃自体は攻撃機や爆撃機が行なったのであり、ゼロ戦は護衛についていただけです。 しかも真珠湾では、辛うじて離陸して来たほんの数機の米軍戦闘機に撃墜されるゼロ戦も出ていて、日本人が抱いている無敵のイメージとは大きく掛け離れています。 初期でもそんな有様ですから、負けが続くミッドウェー海戦以降はほとんどいい所がなく、消耗戦でベテラン・パイロットが戦死し始めると総崩れになって、後はただただ押されまくるていたらくとなります。
「日本の戦闘機は、量で負けたが質では勝っていた」などと言う日本人が大変多いですが、戯言もいい所で、初期でも米軍機に対する優位は僅かなものでしたし、中期以降、米軍が2000馬力級の戦闘機を出して来てからは、全く手も足も出ない有様でした。 日本軍機にベテランが乗っていても、素人同然のパイロットが乗った米軍機を追いかけるスピードが出ないのですから、勝てるわけがありません。 ゼロ戦のスピード向上計画は何度も出たのですが、スピードを速くすると運動性や航続距離が落ちるので、結局どう弄っても改悪にしかなりませんでした。 技術者が、「運動性か速度か、どちらかに特化する事しか出来ないから、優先順位を決めてくれ」といっても、馬鹿な軍人は技術の限界というものが理解できず、「まあ、精一杯いい物を作ってくれ。 我々も死ぬ気で頑張るから」などと曖昧な返答をして、精神論で終わらせてしまったそうです。 ちなみに、現在の日本企業でも、こういう精神主義を実践している管理職は無数にいます。 本来、戦争のプロであれば、自国の兵器が敵国の兵器に敵わない事が分かった時点で、戦争の中止を政治指導者に具申すべきですが、「武器が劣っていても、根性があれば勝てる」と思っているから、破滅するまでやめられないのです。
そういえば、「日本のパイロットは腕が良かった」などと思っている日本人も多いですが、これまた何の根拠もない妄想です。 日本人パイロットはほぼ全員、軍隊に入隊してから初めて飛行機に触れるわけですが、生活の中に飛行機が溶け込んでいるアメリカでは、子供の頃から飛行機に乗っている者が航空部隊に入ってくるわけで、慣れの度合いが段違いです。 初陣に至るまでの飛行時間は何倍も違うのであって、日本人がアメリカ人に飛行機の操縦で敵うはずがないのです。 これは昔だけでなく、今後も全く同じです。 民間のパイロットでも事情は同じなので、航空会社を選ぶ時は飛行機の普及度が高い国の会社にした方が安全度は高いといえます。
武器に関する事をもう一つ。 バスーカ砲です。 歩兵が肩に担いで撃つ対戦車ロケットで、太平洋戦争でも中期以降、盛んに使われました。 日本軍の戦車は、開戦から敗戦まで歩兵支援戦車の域を出ず、装甲がぺらぺらだったので、バズーカ砲を喰らうとイチコロでした。 非常に興味深いのは、日本軍がバズーカ砲の簡便性と威力を知っていたにも拘らず、同様の兵器を作らずに終わった事です。 対戦車ロケットはそんなに難しい技術ではなく、成型炸薬弾の原理さえ知っていれば、日本にある材料でも簡単に作れたはずなのですが、全く作っていないのです。 そればかりか、バズーカ砲を鹵獲して本国に送りコピー兵器を作ってもらうという事もしていません。 どの国でも歩兵の能力には大差がないのであって、日本軍と米英軍の決定的な差は、戦車や装甲車の強さだったわけですから、バズーカ砲があれば、歩兵部隊だけでも相当有利な戦闘が出来たはずなんですが、なぜコピーしなかったんでしょう?
私は兵器マニアだった少年時代に、この事が不思議で仕方なかったんですが、大人になって日本人の性向が分かって来ると、無理もないと思うようになりました。 日本人は、合理的な思考が出来ないのです。 そもそも論理的に物を考える事が出来ません。 命が掛かっているような重大な局面でも、その場限りの感情だの、伝統だのしきたりだのが優先され、合理的判断は脇に追いやられます。 大方、陸軍の上層部の中に、「敵の兵器を真似るなど、帝国軍人のする事ではない」などと言う奴がいて、それが軍隊内の力関係で、そのまま通ってしまったのでしょう。 日本人社会では、よくある話です。 ≪和の心≫という奴で、上の人間がこうと決めると、下の人間は、間違っていると思っても言う事を聞かざるを得ないのです。
次に、作戦立案能力について見てましょう。 これも日本人には決定的に欠けています。 ビルマ戦線で日本軍と戦ったあるイギリス人将校の体験談によると、日本人は作戦らしい作戦を全く使わないのだそうです。 日本人の戦法は常に一つしかなく、それは、敵と遭遇すると味方を二手に分け、一方を敵の背後に回らせるというものなのだそうです。 英軍側から見ると、日本軍とぶつかったら、必ず背後に回る一隊が出てくるので、それを待ち伏せして潰してしまえば、日本軍は一遍に半数に減るという、非常に対応し易い敵だったらしいです。 つまり、馬鹿の一つ覚えだという事ですが。
「味方を二手に分けて、一方を敵の背後に回らせる」という戦法は、ヤクザの出入りや、警察のガサ入れで使われるものです。 正面と背後から撃ち合ったら、同士討ちを起こしてしまいますから、相手が飛び道具をもっていない事を前提にした戦法であり、近代戦に使えるものではありません。 しかし、論理思考が出来ない日本人には、こんな簡単な理屈すら分からないのです。 作戦といったら、二手に分ける事しか知らないのですから、もう情けないを通り越して憐れになって来ます。 私はこの事を知って以来、映画や実話で、日本人が考える作戦というものを注意深く観察してきたんですが、本当に「二手に分かれて」が多いので、びっくりしてしまいました。 「そんな事はない。 極端な事を言うのはよせ」とお怒りのあなた、その内日本が戦争をやらかして、兵隊に取られる機会があったら、自分の目で確かめてみるのが良いでしょう。 敵と遭遇した時、上官がきっとこう言います。 「よし、作戦を説明する。 二手に分かれて・・・・」 断言します。 絶対言います。
映画 ≪硫黄島からの手紙≫が話題になったせいで、栗林中将を英雄視する風潮が出ていますが、とんでもない話です。 自分が預かった兵士を全滅させてしまうなどというのは、指揮官として完全な失格です。 近代戦においては、「勝つか、全滅か」などという二択はありえません。 栗林は戦力の半数を失った時点で降伏する事も出来たはずです。 降伏が恥だというなら、その汚名は自分一人が背負えば良かったのです。 そうすれば、一万人は生きて戦後を迎えられたではありませんか。 一万人が自分一人の判断によって死んでしまうという事がどれほど重大か、よーく考えてから栗林を英雄扱いすべきですな。 また、「5日で陥落すると言われた島を36日間守った」というフレーズに感動している人も多い事でしょうが、硫黄島での戦闘が31日間延びたという事は、つまり戦争終結までの時間がそれだけ延びたという事で、その31日の間に爆撃・砲撃等で死んだ人達が何というかよく考えてから、感動するようにしましょう。
≪男たちの大和≫などという推戦映画もありましたが、あれも大馬鹿な作戦でねえ。 ただ、敵の中に突っ込んでいくだけなんですが、それでも一応、≪作戦≫だと言うんですよ。 よく、「陸軍に比べて海軍は世界情勢が分かっていた」なんて言う人がいますが、所詮同じ日本人ですから、オツムの出来は大差ありません。 また、快晴なら主砲で対空攻撃が出来るのに、わざわざ曇りの日に出撃させているのもキチガイ沙汰です。 一度日取りを決めてしまうと、決定的に不利になる天候条件であっても出撃を取り止めないその頑迷さは、もはや救いようがありません。
沈められると分かっているのに出撃させる超人命軽視にも恐れ入りますが、乏しい資源の有効利用に対する認識の無さにも呆れざるを得ません。 大和一隻作るのに、どれだけの鉄を使ったと思います? 一方で、一般家庭の鍋釜や寺の梵鐘を供出させてまで、鉄を掻き集めていたんですぜ。 そんなに鉄が欲しいなら、糞の役にも立たない戦艦を解体すれば、山ほど余剰が出たではありませんか。 戦略レベルでも、判断力ゼロなんですよ。 ここまで馬鹿だと、その馬鹿さ加減が研究対象になります。
日本人が如何に近代戦に向かないか、ネタはまだまだいくらでもあるんですが、キリが無いので、ここら辺にしておきます。 上に書いたような日本民族の性向は、過去の話ではなく、現在の未来も全く変わりません。 日本人が日本人である限り、何度戦争をやっても、同じ結果になります。
何度も言うように、軍隊の本来の仕事は、殺害と破壊であって、人命救助だの災害復旧だのは、全くの副業に過ぎません。 それらの活動は軍隊でなくても出来るもので、尚且つ、専用の組織があればその方がずっと効率よくやってのけられる活動です。 実際に土砂崩れで家の下敷きになったと思ってみなさい。 そこへ助けにやって来たのが、消防隊員だった場合と、自衛隊員だった場合の安心度の差は容易に想像できるでしょうが。 片や救助のプロ、片や単なる頭数で引っ張り出された人足です。 さあ、どっちが頼りになる? 困った時に助けてくれるなら誰でもいいと思うのは人情ですが、それが行き過ぎて、軍隊の本質について思い違いをしていると、必ずしっぺ返しが来ます。
軍隊というのは思いの外馬鹿な集団です。 軍隊の賢さを探すのは至難の業ですが、愚かな所なら、いくらでも見つかります。 清朝以前の中国文明では、「兵隊は体を動かす以外に能がない馬鹿が就く職業」と決まっていたほどです。 どの国でも軍隊は馬鹿者の集団なんですが、日本では特にその度合いが強いです。 なぜかというと、日本人は、古来≪尚武の国≫などと自称して、戦争が大好きであるにも拘らず、戦争がド下手で、特にあらゆる局面で合理的判断力を必要される近代戦には全く向かない民族だからです。 今回は、日本人がいかに近代戦が不得手かを論じてみましょう。
まず何よりも重大な欠陥は、日本人には兵器の使い方が分からないという事です。 これは、旧日本軍も自衛隊も、江戸時代以前の武士団もみんな同じです。 戦争は根性でやるものだと思っているので、敵よりも優れた武器を装備しようという発想が出て来ないのです。 火縄銃が伝来から廃止までほとんど進化しなかった事は有名ですが、もっと身近な例として、太平洋戦争の期間中に新開発された兵器が非常に少ない点を見てもこれは歴然と分かります。
太平洋戦争中の日本軍の優れた兵器というと、アホでも知っていていの一番に口に出すのが≪ゼロ戦≫ですが、実はゼロ戦そのものはさほど戦果を上げたわけではありません。 真珠湾攻撃やマレー沖海戦など、初期の勝ち戦に加わっていたので、圧倒的に強かったかのように思われていますが、その実、攻撃自体は攻撃機や爆撃機が行なったのであり、ゼロ戦は護衛についていただけです。 しかも真珠湾では、辛うじて離陸して来たほんの数機の米軍戦闘機に撃墜されるゼロ戦も出ていて、日本人が抱いている無敵のイメージとは大きく掛け離れています。 初期でもそんな有様ですから、負けが続くミッドウェー海戦以降はほとんどいい所がなく、消耗戦でベテラン・パイロットが戦死し始めると総崩れになって、後はただただ押されまくるていたらくとなります。
「日本の戦闘機は、量で負けたが質では勝っていた」などと言う日本人が大変多いですが、戯言もいい所で、初期でも米軍機に対する優位は僅かなものでしたし、中期以降、米軍が2000馬力級の戦闘機を出して来てからは、全く手も足も出ない有様でした。 日本軍機にベテランが乗っていても、素人同然のパイロットが乗った米軍機を追いかけるスピードが出ないのですから、勝てるわけがありません。 ゼロ戦のスピード向上計画は何度も出たのですが、スピードを速くすると運動性や航続距離が落ちるので、結局どう弄っても改悪にしかなりませんでした。 技術者が、「運動性か速度か、どちらかに特化する事しか出来ないから、優先順位を決めてくれ」といっても、馬鹿な軍人は技術の限界というものが理解できず、「まあ、精一杯いい物を作ってくれ。 我々も死ぬ気で頑張るから」などと曖昧な返答をして、精神論で終わらせてしまったそうです。 ちなみに、現在の日本企業でも、こういう精神主義を実践している管理職は無数にいます。 本来、戦争のプロであれば、自国の兵器が敵国の兵器に敵わない事が分かった時点で、戦争の中止を政治指導者に具申すべきですが、「武器が劣っていても、根性があれば勝てる」と思っているから、破滅するまでやめられないのです。
そういえば、「日本のパイロットは腕が良かった」などと思っている日本人も多いですが、これまた何の根拠もない妄想です。 日本人パイロットはほぼ全員、軍隊に入隊してから初めて飛行機に触れるわけですが、生活の中に飛行機が溶け込んでいるアメリカでは、子供の頃から飛行機に乗っている者が航空部隊に入ってくるわけで、慣れの度合いが段違いです。 初陣に至るまでの飛行時間は何倍も違うのであって、日本人がアメリカ人に飛行機の操縦で敵うはずがないのです。 これは昔だけでなく、今後も全く同じです。 民間のパイロットでも事情は同じなので、航空会社を選ぶ時は飛行機の普及度が高い国の会社にした方が安全度は高いといえます。
武器に関する事をもう一つ。 バスーカ砲です。 歩兵が肩に担いで撃つ対戦車ロケットで、太平洋戦争でも中期以降、盛んに使われました。 日本軍の戦車は、開戦から敗戦まで歩兵支援戦車の域を出ず、装甲がぺらぺらだったので、バズーカ砲を喰らうとイチコロでした。 非常に興味深いのは、日本軍がバズーカ砲の簡便性と威力を知っていたにも拘らず、同様の兵器を作らずに終わった事です。 対戦車ロケットはそんなに難しい技術ではなく、成型炸薬弾の原理さえ知っていれば、日本にある材料でも簡単に作れたはずなのですが、全く作っていないのです。 そればかりか、バズーカ砲を鹵獲して本国に送りコピー兵器を作ってもらうという事もしていません。 どの国でも歩兵の能力には大差がないのであって、日本軍と米英軍の決定的な差は、戦車や装甲車の強さだったわけですから、バズーカ砲があれば、歩兵部隊だけでも相当有利な戦闘が出来たはずなんですが、なぜコピーしなかったんでしょう?
私は兵器マニアだった少年時代に、この事が不思議で仕方なかったんですが、大人になって日本人の性向が分かって来ると、無理もないと思うようになりました。 日本人は、合理的な思考が出来ないのです。 そもそも論理的に物を考える事が出来ません。 命が掛かっているような重大な局面でも、その場限りの感情だの、伝統だのしきたりだのが優先され、合理的判断は脇に追いやられます。 大方、陸軍の上層部の中に、「敵の兵器を真似るなど、帝国軍人のする事ではない」などと言う奴がいて、それが軍隊内の力関係で、そのまま通ってしまったのでしょう。 日本人社会では、よくある話です。 ≪和の心≫という奴で、上の人間がこうと決めると、下の人間は、間違っていると思っても言う事を聞かざるを得ないのです。
次に、作戦立案能力について見てましょう。 これも日本人には決定的に欠けています。 ビルマ戦線で日本軍と戦ったあるイギリス人将校の体験談によると、日本人は作戦らしい作戦を全く使わないのだそうです。 日本人の戦法は常に一つしかなく、それは、敵と遭遇すると味方を二手に分け、一方を敵の背後に回らせるというものなのだそうです。 英軍側から見ると、日本軍とぶつかったら、必ず背後に回る一隊が出てくるので、それを待ち伏せして潰してしまえば、日本軍は一遍に半数に減るという、非常に対応し易い敵だったらしいです。 つまり、馬鹿の一つ覚えだという事ですが。
「味方を二手に分けて、一方を敵の背後に回らせる」という戦法は、ヤクザの出入りや、警察のガサ入れで使われるものです。 正面と背後から撃ち合ったら、同士討ちを起こしてしまいますから、相手が飛び道具をもっていない事を前提にした戦法であり、近代戦に使えるものではありません。 しかし、論理思考が出来ない日本人には、こんな簡単な理屈すら分からないのです。 作戦といったら、二手に分ける事しか知らないのですから、もう情けないを通り越して憐れになって来ます。 私はこの事を知って以来、映画や実話で、日本人が考える作戦というものを注意深く観察してきたんですが、本当に「二手に分かれて」が多いので、びっくりしてしまいました。 「そんな事はない。 極端な事を言うのはよせ」とお怒りのあなた、その内日本が戦争をやらかして、兵隊に取られる機会があったら、自分の目で確かめてみるのが良いでしょう。 敵と遭遇した時、上官がきっとこう言います。 「よし、作戦を説明する。 二手に分かれて・・・・」 断言します。 絶対言います。
映画 ≪硫黄島からの手紙≫が話題になったせいで、栗林中将を英雄視する風潮が出ていますが、とんでもない話です。 自分が預かった兵士を全滅させてしまうなどというのは、指揮官として完全な失格です。 近代戦においては、「勝つか、全滅か」などという二択はありえません。 栗林は戦力の半数を失った時点で降伏する事も出来たはずです。 降伏が恥だというなら、その汚名は自分一人が背負えば良かったのです。 そうすれば、一万人は生きて戦後を迎えられたではありませんか。 一万人が自分一人の判断によって死んでしまうという事がどれほど重大か、よーく考えてから栗林を英雄扱いすべきですな。 また、「5日で陥落すると言われた島を36日間守った」というフレーズに感動している人も多い事でしょうが、硫黄島での戦闘が31日間延びたという事は、つまり戦争終結までの時間がそれだけ延びたという事で、その31日の間に爆撃・砲撃等で死んだ人達が何というかよく考えてから、感動するようにしましょう。
≪男たちの大和≫などという推戦映画もありましたが、あれも大馬鹿な作戦でねえ。 ただ、敵の中に突っ込んでいくだけなんですが、それでも一応、≪作戦≫だと言うんですよ。 よく、「陸軍に比べて海軍は世界情勢が分かっていた」なんて言う人がいますが、所詮同じ日本人ですから、オツムの出来は大差ありません。 また、快晴なら主砲で対空攻撃が出来るのに、わざわざ曇りの日に出撃させているのもキチガイ沙汰です。 一度日取りを決めてしまうと、決定的に不利になる天候条件であっても出撃を取り止めないその頑迷さは、もはや救いようがありません。
沈められると分かっているのに出撃させる超人命軽視にも恐れ入りますが、乏しい資源の有効利用に対する認識の無さにも呆れざるを得ません。 大和一隻作るのに、どれだけの鉄を使ったと思います? 一方で、一般家庭の鍋釜や寺の梵鐘を供出させてまで、鉄を掻き集めていたんですぜ。 そんなに鉄が欲しいなら、糞の役にも立たない戦艦を解体すれば、山ほど余剰が出たではありませんか。 戦略レベルでも、判断力ゼロなんですよ。 ここまで馬鹿だと、その馬鹿さ加減が研究対象になります。
日本人が如何に近代戦に向かないか、ネタはまだまだいくらでもあるんですが、キリが無いので、ここら辺にしておきます。 上に書いたような日本民族の性向は、過去の話ではなく、現在の未来も全く変わりません。 日本人が日本人である限り、何度戦争をやっても、同じ結果になります。
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