働いていてこそ
星新一さんのショートショートに、≪明日は休日≫という作品がありました。 題名がうろ覚えですが、たぶんそんなだったと思います。 オートメーションやロボットの普及が進み、人間は誰一人働かなくてもよくなった時代なんですが、人々はそれでも毎日会社へ行き、自分のデスクに向かうのです。 椅子にスイッチがついていて、一日座っていると出勤した事になります。 別に何の仕事もないのですが、ただその椅子に座る為だけに会社に来るんですな。 なぜそんな事をするのかというと、週末に休日を楽しむ為なのです。 毎日何もやる事がなくてブラブラしていると面白くもなんともなく、精神的におかしくなってしまうので、それを防ぐ為に出勤する日と休日をわざわざ作って人生の楽しみを確保しているというわけ。
私がその作品を読んだのは中学生の時で、その時はあまりピンと来ませんでした。 「そんなものかなあ。 毎日休みでも退屈なんてしないと思うけどなあ」と感じた記憶があります。 しかし、実際に社会に出て働き始めてからは、この作品を思い出す事が非常に多いです。 確かに人間は働き続けていないと、精神衛生に宜しくありません。 「世間体上、家で遊んでばかりいると肩身が狭い」という事は別にしても、やはり、≪やらなければいけない事≫を持っていた方が日々がキチンキチンと過ぎて行きます。
私はひきこもっていた時期もあるのですが、あれは嫌なものでした。 ひきこもりという人種の哀しさは、自分の状況をこの下なく惨めだと分かっていながら、外の世界が怖くて出て行く事が出来ないという、≪行き場の無さ≫にあります。 「自分の部屋だけが居場所」なのではなく、自分の部屋なのに、そこがいてはいけない場所になっているのが問題なんですな。 その点、フリーターや学生は行く所があるだけまだましな生活をしていると言えます。 もう随分昔の事なので、ひきこもり時代に懐旧の情を覚える事はありますが、もしこれから同じ事をするとなったら、御免被ります。
私の両親は二人とももう仕事を辞めて年金生活に入っていますが、年を追う毎に生活が崩れていくのがありありと観察できて、唖然としてしまいます。
母はやる事がないので、ケーブルテレビのチャンネル数をば増やして、日がな一日コタツに寝転んで、映画やドラマばかり見ています。 その間菓子を食べ続けるので、ぶくぶく太り、現役時代と同一人物とは思えないような体形になってしまいました。 一応、家事はやっていますが、前と変わりないのは料理くらいのもので、以前は近所一番の綺麗好きだった人が、いまや廊下の隅が埃だらけでも気にもしなくなりました。 どうしょもないねえ。
父はもっとやる事がなくて、自分の衣類の洗濯の他は、犬の散歩しか日課がありません。 庭木の手入れはやりますが、それは季節によるので、毎日というわけではないです。 そうそう暇潰しに鋏を入れられては、木の方がたまりませんからな。 若い頃から健康には気をつけていた人なので、今でもこれといって悪い所はありませんが、やはりやる事がない人というのは、傍から見ると廃人のように見えてしまいます。
うちの隣に以前住んでいた夫婦の話なんですが、会社勤めをしていた旦那さんが定年退職し、ずっと家にいるようになりました。 その頃は、廃棄物処理法が緩かった時代で、庭でゴミを燃やす人がかなりいたんですが、隣のおじさんが退職したと聞いて私は嫌な予感に襲われました。 やる事がなくなった亭主は往々にして、ゴミ焼きをしたがるものだからです。 そして、この予感は的中。 2ヵ月ばかり経った頃、本当に庭でゴミを燃やし始めました。 奥さんに、「燃やせる物があったら、どんどん持って来て」と言っているのが聞こえて来ます。 隣家としては、そうそう煙に燻されたのではたまったものではありません。 しかし、ありがたい事に、このゴミ焼きはそんなに長く続きませんでした。 一軒の家で燃やすゴミなどそうそう大量に出るものではなく、毎日の日課にするのは土台無理だったのです。 早く気付いてくれてよかった。
ところが、このおじさん、とことんやる事がなくて絶望したのか、程なく病気になって寝込んでしまい、夫婦二人だけでは生活が出来なくなって、奥さんの出身地へ引っ越していきました。 そして、おじさんは、転地が裏目に出たのか、その年の内に亡くなりました。 退職してから半年もたたずに世を去ったわけです。 何て勿体ない老後でしょう。 やる事がなくなるというのは恐ろしい事なんですねえ。 このおじさんに限らず、定年退職した途端にあの世からお迎えが来るというケースは割と多いようです。 張り詰めていた気がふっと抜けて、生物として生命力を維持できなくなるのかもしれませんな。
「早く定年を迎えて、悠々自適で暮らしたい」と思っている人は無数にいると思いますが、現実にそういう状況になっている人達を観察すれば、悠々自適などという生活が実は存在しないのだという事が分かると思います。 よほど趣味の世界が充実している人でも、時間を持て余さないというわけには行かないでしょう。 そうそう、ゴルフだの車だのギャンブルだの、お金が掛かる趣味は、仕事を辞めたら実質的に出来なくなるので、働いている内に他の趣味にシフトしておく方が賢明です。 図書館で本を借りて読書なども、割と続きません。 歳を取って来ると、目が弱ってしまうんですな。 働いている間は、「趣味ならば、どんなに時間を費やしても飽きる事などない」と漠然と思っていますが、実際にやってみれば、やれる範囲の事はすぐにやりつくしてしまう事に気付くと思います。
傍から見ても、遊んでいる人間というのは、決して尊敬を受けられるような存在ではありません。 一日ほんの数時間でも働いている人の方が、偉く見えます。 江戸時代の大店のご隠居みたいな扱いを、現代でも受けられると思ったら大間違い。 現代人は、働いている内が花なんですな。
私がその作品を読んだのは中学生の時で、その時はあまりピンと来ませんでした。 「そんなものかなあ。 毎日休みでも退屈なんてしないと思うけどなあ」と感じた記憶があります。 しかし、実際に社会に出て働き始めてからは、この作品を思い出す事が非常に多いです。 確かに人間は働き続けていないと、精神衛生に宜しくありません。 「世間体上、家で遊んでばかりいると肩身が狭い」という事は別にしても、やはり、≪やらなければいけない事≫を持っていた方が日々がキチンキチンと過ぎて行きます。
私はひきこもっていた時期もあるのですが、あれは嫌なものでした。 ひきこもりという人種の哀しさは、自分の状況をこの下なく惨めだと分かっていながら、外の世界が怖くて出て行く事が出来ないという、≪行き場の無さ≫にあります。 「自分の部屋だけが居場所」なのではなく、自分の部屋なのに、そこがいてはいけない場所になっているのが問題なんですな。 その点、フリーターや学生は行く所があるだけまだましな生活をしていると言えます。 もう随分昔の事なので、ひきこもり時代に懐旧の情を覚える事はありますが、もしこれから同じ事をするとなったら、御免被ります。
私の両親は二人とももう仕事を辞めて年金生活に入っていますが、年を追う毎に生活が崩れていくのがありありと観察できて、唖然としてしまいます。
母はやる事がないので、ケーブルテレビのチャンネル数をば増やして、日がな一日コタツに寝転んで、映画やドラマばかり見ています。 その間菓子を食べ続けるので、ぶくぶく太り、現役時代と同一人物とは思えないような体形になってしまいました。 一応、家事はやっていますが、前と変わりないのは料理くらいのもので、以前は近所一番の綺麗好きだった人が、いまや廊下の隅が埃だらけでも気にもしなくなりました。 どうしょもないねえ。
父はもっとやる事がなくて、自分の衣類の洗濯の他は、犬の散歩しか日課がありません。 庭木の手入れはやりますが、それは季節によるので、毎日というわけではないです。 そうそう暇潰しに鋏を入れられては、木の方がたまりませんからな。 若い頃から健康には気をつけていた人なので、今でもこれといって悪い所はありませんが、やはりやる事がない人というのは、傍から見ると廃人のように見えてしまいます。
うちの隣に以前住んでいた夫婦の話なんですが、会社勤めをしていた旦那さんが定年退職し、ずっと家にいるようになりました。 その頃は、廃棄物処理法が緩かった時代で、庭でゴミを燃やす人がかなりいたんですが、隣のおじさんが退職したと聞いて私は嫌な予感に襲われました。 やる事がなくなった亭主は往々にして、ゴミ焼きをしたがるものだからです。 そして、この予感は的中。 2ヵ月ばかり経った頃、本当に庭でゴミを燃やし始めました。 奥さんに、「燃やせる物があったら、どんどん持って来て」と言っているのが聞こえて来ます。 隣家としては、そうそう煙に燻されたのではたまったものではありません。 しかし、ありがたい事に、このゴミ焼きはそんなに長く続きませんでした。 一軒の家で燃やすゴミなどそうそう大量に出るものではなく、毎日の日課にするのは土台無理だったのです。 早く気付いてくれてよかった。
ところが、このおじさん、とことんやる事がなくて絶望したのか、程なく病気になって寝込んでしまい、夫婦二人だけでは生活が出来なくなって、奥さんの出身地へ引っ越していきました。 そして、おじさんは、転地が裏目に出たのか、その年の内に亡くなりました。 退職してから半年もたたずに世を去ったわけです。 何て勿体ない老後でしょう。 やる事がなくなるというのは恐ろしい事なんですねえ。 このおじさんに限らず、定年退職した途端にあの世からお迎えが来るというケースは割と多いようです。 張り詰めていた気がふっと抜けて、生物として生命力を維持できなくなるのかもしれませんな。
「早く定年を迎えて、悠々自適で暮らしたい」と思っている人は無数にいると思いますが、現実にそういう状況になっている人達を観察すれば、悠々自適などという生活が実は存在しないのだという事が分かると思います。 よほど趣味の世界が充実している人でも、時間を持て余さないというわけには行かないでしょう。 そうそう、ゴルフだの車だのギャンブルだの、お金が掛かる趣味は、仕事を辞めたら実質的に出来なくなるので、働いている内に他の趣味にシフトしておく方が賢明です。 図書館で本を借りて読書なども、割と続きません。 歳を取って来ると、目が弱ってしまうんですな。 働いている間は、「趣味ならば、どんなに時間を費やしても飽きる事などない」と漠然と思っていますが、実際にやってみれば、やれる範囲の事はすぐにやりつくしてしまう事に気付くと思います。
傍から見ても、遊んでいる人間というのは、決して尊敬を受けられるような存在ではありません。 一日ほんの数時間でも働いている人の方が、偉く見えます。 江戸時代の大店のご隠居みたいな扱いを、現代でも受けられると思ったら大間違い。 現代人は、働いている内が花なんですな。
<< Home