2007/04/01

敵は本能にあり

  なぜ世界から戦争が無くならないかについて、ちょっと根本原因を探ってみましょう。 ただし、この種の文章は、極端な意見に影響を受け易い人が読むと、誤解を与える危険性が非常に高いので、「自分はまだ若い」と思っている人は、読まないで下さい。

  平和を構築・維持する努力が多くの人々によって、真剣に且つ絶え間なく続けられているにも拘らず、なぜか世界から戦争が消える気配は一向に感じられません。 今でも毎年少なくとも数万の人々が戦争によって死亡し、その数倍の人々が人生をめちゃめちゃにさせられています。 これだけ多くの被害を出す行為なのに、なぜやめられないのでしょう?

  「戦争は好戦的な君主や独裁者が起こすもので、それらを倒せば戦争はなくなる」と思っている人は多いと思いますが、現実をよく見てみれば、そんな事は全くありません。 たとえば、アメリカですが、世界で最も進んだ民主主義国であるにも拘らず、戦争ばかり起こしています。 時の大統領が悪いせいではありません。 その大統領を選んだのは国民ですから、国民が戦争を起こしているわけです。

  アメリカだけを悪し様に言うのは不公平ですな。 戦前の日本でもドイツでも、戦争を起こした国では、国民の圧倒的多数が、その戦争を支持していました。 異論を唱えれば迫害されるからという理由で支持した者もいましたが、本心から、「やれ!やれ! ぶっ殺せ!」と血をたぎらせて応援していた者が大多数だったからこそ、反戦運動が力を持てなかったのだといえます。 戦争は、国の指導者だけでは起こせません。 国民の支持があって初めて実行に移せるのです。

  さて、人間はなぜ、戦争を支持するのでしょう? 考えられる答えは一つ。 ≪戦争が好きだから≫です。 本能的に他人が死ぬ事を願っているのです。 「そんな事はない! 何を言い出すんだ、お前は!」と頭に血が登った方は極めて正常。 それを承知の上で話を進めます。

  日常生活に於いて、恨みや憎しみがある相手を、「死ねばいい」と思う気持ちは誰にでもあると思いますが、別段恨み憎しみがなくても、自分に利益を齎さない人間であれば、「死んでも構わない」と思っているのではないでしょうか。 ニュースで殺人事件が報道されると、「ああ、殺された人はかわいそうに・・・」と思いますが、それは、自分が同じように被害者の立場になったら困るから言っているだけで、どこまで本気で同情しているかは大変疑わしいです。 それが証拠に、悲惨なニュースを聞いた直後に、バラエティー番組を見てゲタゲタ笑っているではありませんか。 つまりね、腹の底では、「他人なんざ、いくら死んでも構やしない」と思っているわけですよ。

  話を戦争に戻します。 外国同士が戦っている戦争の場合、何の良心の呵責も感じず、「好きにしろ」、「いくらでも殺しあえ」と思っている者がほとんどですが、人間には、自分の人生と関わりのない他人の死を喜ぶ本能があるのだと考えれば、この態度はすんなり納得できます。 実際問題として、一人の人間が一生の内に関わる他人の数は、数百人からせいぜい数千人ですから、それ以外の60億人余の人類は、自分にとって別にいなくても困らない存在だと考えたとしても不思議はありません。

  人間は蜂や蟻と同様、社会集団を作る動物ですが、その集団は、あくまで生きていく上で必要な範囲に限られます。 たとえば、蜂であっても、他の群の存続についてあれこれ気を配ったりはしません。 むしろ、他の群は生存競争のライバルであって、いない方が都合がいいのです。 人間が外国や異民族に対して取る態度と同じですな。 もっとも、蜂には他の群を襲うという本能はありませんが、それは、全体の個体数が自然界の法則により一定に保たれていて、争う必要が無いからでしょう。 天候不順などで食料が足りない年には、直接戦わないまでも、食料の取り合いによる生き残り競争が行なわれていると思われます。

  ここまでは、人間の本能について述べました。 いたいけな子供がテレビの戦争アニメを見て兵器に憧れる事に眉を顰めたり、温厚なお年寄りが時代劇の斬り合いを見て溜飲を下げる事に不可解さを感じたりする人は多いと思いますが、他人の死を望むのは人間の本能だと思えば、それらは何の不思議もない事と言えます。 しかし、それはあくまで本能の話。 人間は本能だけで生きているわけではありません。 たとえば、性欲は人間の本能ですが、誰でも普通は抑えて生活しています。 他人の死を望む本能も同じ事。 当然、抑えられるはずです。

  人類全体という大きな集団ではなく、国や民族程度の小さな集団内でなら、構成員同士の何らかの合意により、紛争を抑えるシステムが作られ、実際にそれが機能します。 たとえば、日本国内でも、戦国時代には各地域ごとにブロック化して戦争を繰り返していましたか、江戸幕府が成立すると、パタリと治まりました。 幕藩体制というシステムが出来て、戦争を起こさないという合意が成立したわけですな。 同じような例は、世界中にいくらでも見られます。 現代では、EUの統合がいい例です。 原理的には、この合意の枠をどんどん大きくしていけば、戦争は無くせるはずです。

  現実がなかなかその方向に進まないのは、「是が非でも戦争は避けなければならない」と考える者より、「妥協するよりは戦争をした方が良い」と考える者の方が多いからでしょう。 本能と理性がぶつかり合っていて、まだ本能を抑えきれない段階なんですな。 また、戦争が起こると得をする者も、軍人や兵器産業界などに非常に多く存在し、戦争根絶の大きな障碍になっています。 軍人や政治家は、よく≪大義≫を掲げて戦争を起こしたがりますが、大義など表向きの化けの皮に過ぎず、その中身は、他人の死を望む本能です。 もう、殺したくて殺したくてしょうがないのよ。 本能丸出しではガキと思われるので、意味も分からんくせに言葉で飾りをつけて目くらましを掛けるわけです。 また、あっさり騙されて、「やれ!やれ! ぶっ殺せ!」になってしまう愚か者が多いんですわ。

  「いつか戦争はなくなるのか?」と聞かれると、正直な所、返答に窮します。 強烈な本能を抑えるには、強力な理性が必要ですが、民衆の理性の向上には、どうしても限界があります。 みんながみんな知性的な人間にはなれないでしょう。 民衆が欲するのは、むしろ本能の開放の方です。 現在のアメリカを見れば分かるように、民主主義国家が力を持っている間は、理性が優位に立つ事は難しいと思われます。