2007/04/08

偉人とは

  4月7日土曜の夜の事ですが、TBSとフジテレビの二局で、それぞれ別個に、同じような企画の特別番組をやってました。 テーマは、≪歴史上の偉人≫。 一方は日本史のみなのに対し、もう一方は世界史全体を対象にしていましたが、日本の番組ですから、やはり日本の人物が多くなり、結果的にほぼ同じような顔ぶれが取り上げられていました。 いくら特番とはいえ、同じ時間帯に同じような番組をぶつけるとは、何となくお粗末ですな。 まあ、どちらも正味15分くらいしか見なかったので、あんまり文句を並べるのも図々しいですが。

  この種の番組は時折思い出したように作られますが、いつも感じるのは、「この人、本当に偉人なのか?」という疑念です。 ≪歴史上の有名人=偉人≫という事にしてしまっているようですが、この等式はもちろん間違いです。 大雑把過ぎ、というより、偉人とは正反対の人物が選に入る場合もありますから、完全な的外れというべきでしょう。 「歴史に名を残すくらいだから、当然、偉人なんだ」とは言えません。 極悪人でも名前は残ります。 ヒトラーは好例。

  偉人とは≪偉い人≫の事ですが、≪偉い人≫には自ずから定義が立てられます。 まず、何かしら人より優れた能力を持っている事。 次に、その能力を使って、世の中の役に立つような業績を残している事。 この二点をクリアしなければいけません。 人より優れた能力を持っている人はうじゃうじゃいますが、自分の利益の為だけに使っていたのでは、決して偉人とは言われません。 また、世の中の為になる業績を残していても、それが能力に因らず、偶然の成り行きでそうなったという場合、やはり偉人というのはおかしいと思います。 単に、その一件に関与していただけですな。

  ここで重要な事がもう一つあります。 ≪世の中の為になる業績≫の中身です。 本当に為になったのか、見究めが必要になるのです。 たとえば、≪明治維新≫ですが、ほとんどの日本人は、明治維新を偉業だと思い込んでいます。 故に、明治維新を成し遂げた維新志士や明治の元勲達に、例外無く偉人の称号を与えています。 しかし、その後の歴史を見てみれば、≪明治維新=偉業≫の等式は成り立たないのは明らかです。 明治維新によって作られた大日本帝国がどんな末路を辿ったかは、誰でも知っている事です。 侵略戦争を起こして滅亡してしまうような野蛮な国を作った連中が、偉人でありうるはずがありません。

  そもそも、明治政府の中心になった人物達は、幕末の攘夷主義者であり、攘夷主義とは、「外国人を皆殺しにせよ」という野蛮極まりない思想です。 明治維新のおかげで開国に成功したと思われていますが、それはとんでもない誤解で、開国しようと努力していたのは幕府の方です。 それを力ずくで止めようとしていた薩長土肥が、政権を取った途端に開国派に鞍替えしたのです。 もうむちゃくちゃ。 しかも、幕府が立てていた近代化メニューをパクって、一通りの近代化に成功すると、本来の自分達の目的である≪外国人皆殺し≫に着手し、身の程知らずの侵略戦争に乗り出します。 結果は不様な滅亡。 その間、たったの80年。 どう考えても、偉人が作った国とは言えないでしょう。

  業績が誤解されているというケースもあります。 たとえば、福沢諭吉ですが、ほとんどの日本人が、≪日本を代表する思想家≫だと思い込んでいます。 しかし、実際には、福沢が自分の頭で考えた思想というものは存在しません。 福沢は、欧米の近代思想を日本に紹介しただけです。 「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」は有名な言葉ですが、幕末の頃にヨーロッパで普通に聞かれた平等思想を受け売りしたに過ぎず、何ら特別な思想というわけではありません。 ちなみに、福沢当人は、娘の結婚相手の家柄に拘るような、当時日本のごく一般的な差別主義者だったらしいです。 強いて評価するなら、慶応大学を創立したので、≪教育家≫となら呼べますが、その程度の人物なら他にいくらでもいます。

  また、福沢が征韓論批判をした事を指して、反戦論者として肯定評価する学者もいますが、福沢は、「朝鮮は劣等な国で、征服する価値も無い」と言ったのであって、差別主義者でこそあれ、反戦思想など小指の先ほども持っていませんでした。 しかも、「朝鮮は劣等・・・」云々の言葉も、およそいい加減な知識に基づいて発しており、後年、朝鮮からの留学生に接した時には、その知性・教養の高さに驚嘆・感服したという記録が残っています。 つまり、最初は何も知らずに罵っていたわけで、そのあまりの軽薄さには、呆れてしまいます。 更に、朝鮮にも維新を起こさせようと目論んで、反政府組織に武器援助をするなど、今で言えば国際テロリストとしか思えないような行為もしています。 到底、偉人などという代物ではないのですが、実態を知らない人が多いので、文句無しの偉人と大誤解され、最高額紙幣の肖像にまで刷り込まれているわけです。

  豊臣秀吉に関しては、歴史ドラマでよく取り上げられるので、知識が広まり、「天下取りまではヒーロー。 晩年はキチガイジジイ」という評価がほぼ一般化しました。 現在、秀吉を偉人というと、人格を疑われる雰囲気があり、まずまず正確な評価がなされていると思います。 しかし、織田信長については、今でも≪日本史最大の偉人≫と考えている人が多いです。

  確かに、信長は他の戦国大名とは違っていましたが、スケールが大きかったというより、単なる≪新し物好き≫だったと見るべきでしょう。 天下統一の道筋をつけたと言いますが、信長存命中に手に入れた領土は、現在の東海三県と近畿北部だけです。 もともと京都に近い所に領地があった事が有利に働いたのは明らかで、他の大名より特別に強かったというわけではありません。 信長の関わった戦いで有名というと、桶狭間での今川討ちと、長篠での武田討ちくらいのもので、他は兵力差でゆとりがあった楽な戦いばかり。 名将などとはとても言えません。 まして途半ばで部下に殺されしまうなど、組織経営が出来ていない証拠で、むしろ無能をさらけ出していると言えるでしょう。

  その他、西洋かぶれ、キリスト教ミーハー、仏教徒虐殺など、マイナス・イメージを膨らませる要素はいくらでもありますが、信長に最も欠けているのは、統治者としての資質だと思います。 彼には、統一した天下をどう統治していくかに関して、ビジョンがありませんでした。 どんな国を作りたかったのかについては、一言さえも残していません。 ただただ、お山の大将になりたかっただけのようです。 もし信長が生き残って、天下統一を成し遂げたとしても、秀吉同様、キチガイジジイ化するのがオチだったんじゃないでしょうか。

  そもそも、人殺しの能力が高いというのは、ちっとも偉くはありません。 武将というのは、ただ強いだけでは、世の中の為に業績を残したとはいえないのであって、その後どうしたかが重要なのです。 源義経は、ヒーローとは言えても、偉人というのには違和感があるでしょう? その点、江戸時代260年の安寧の礎を築いた徳川家康は、完全に偉人の条件を満たしていますが、なぜか、あまり人気がありません。 晩年になってから活躍するので、年寄りのイメージがつきまとっているんでしょうか?

  政治家や武将を偉人と呼ぶのには、注意が必要です。 世界史では、アレキサンダーやチンギス・ハーンなどが最もいい例ですが、彼らがが征服戦争をしなくても、他の民族はちっとも困らなかった、むしろ征服戦争のおかげで被害だけ受けた事を考えると、むしろ極悪人と言った方がいいんじゃないでしょうか? まあ、きりがないので、政治家・武将の話はこのくらいにしておきましょう。


  画家や小説家、作曲家なども偉人の内に入れられています。 これは、スポーツ選手なども同じ事で、娯楽を提供する事は確かに世の中の為になります。 これらの人々は、マイナス評価になるような事はあまりしないので、偉人として取り上げやすいと思います。 芸術家には、人格的に欠陥があった人が少なくないですが、それをもって、芸術家として失格とは言いません。 むしろ、変人の方が優れた作品を残すという傾向があります。 ただ、社会に対する影響力が限られていますから、評価が小粒になるのは致し方ないところです。

  最後に、最も偉人らしいカテゴリーとして、科学者が挙げられます。 人類が他の動物と違う点は、ひとえに科学技術を発展させる能力の有無にあるので、科学の解明に貢献した人物が高い評価を得るのは当然の事ですな。 政治や戦争などは、誰がやろうが、やろうがやるまいが、何らかの形で自ずと経過していくものですが、科学技術の解明は、誰かがやらなければ先に進みません。 人類が人類である事にお墨付きを与えてくれる科学者達には、感謝しなければなりますまい。 ただ、芸術家同様、人格的には破綻した人が多いです。 ≪専門馬鹿≫などという言葉もあります。 そのくらい頭脳を特化しないと、科学の解明はできないという事なのでしょう。

  一方、私が全く偉人だと思っていないのは、宗教家です。 教祖・宗祖の類。 民衆の騙されやすい特性につけこんで、利用しているだけですな。 どんなに大宗教に膨らんだとしても、教祖の胡散臭さは消えません。 詐欺師でこそあれ、偉人などとは金輪際呼べません。 もっとも、当人達も、自分の事を≪人≫と言ってないので、偉人と呼ばれなくても、一向に気にしないと思いますが。