2007/05/13

  うちには犬が一匹いるのですが、犬を見ていると、動物の限界というものをつくづく感じます。 知能的には、人間の三歳児くらいの能力はあるはずなんですが、やはり犬は犬であって、人間ではないんですな。 「ああ、所詮こいつは動物なんだなあ・・・・」と痛感するのは、散歩に出かける前の挙動を見る時です。 犬は大喜びして、前足を上げてピョンピョン飛び跳ねるわけですが、それが毎回同じなのです。 人間であれば、同じ嬉しさの表現にしても、そのつど反応が違うと思うのですが、犬は毎回、全く同じ事をします。 まるでプログラムされた機械のように。

  犬に話しかける人はたくさんいます。 私も暇な時にはよくやります。 しかし、犬との間で会話が成立しているかというと、それは完璧な勘違いです。 犬は人間が発する言葉のうち、ある特定のものしか聞き取っていません。 「散歩に行こうか」とか、「チーズをあげようか」といった言葉には敏感に反応し、まるで言葉が通じているかのような錯覚を人間に齎しますが、試しに独り言のような事を犬の耳元で喋り続けて御覧なさい。 完全に無視されます。 たとえば、学校や会社での人間関係の愚痴を犬に聞かせてみるわけです。 犬は最初、人間の方を見ていますが、話の内容が自分に関係ない事だと分かると、横を向いてしまい、話が長引くと、「よっこらしょっ」と腹這いになって、居眠りを始めます。 犬を話し相手にしていると、最終的には虚しさが倍増するだけなので、要注意ですな。

  うちの犬は、芸をほとんどしません。 教えてないからです。 ≪お座り≫はしますが、それはエサで釣った時だけで、何も持っていない時に「お座り!」といっても、ほぼ無視されます。 ドッグ・スクールなどに連れて行けば芸を仕込めるのは分かっていますが、そんな気は毛頭ありません。 犬の芸というのは本来不自然なものだと思うからです。 人間の子供を「勉強が出来る」といって誉めるのと、犬を「芸が出来る」といって誉めるのは、似て非なる事柄です。 人間の学力は個人差が大きいですが、犬は心身に重大な欠陥が無い限り、どんな犬でも教えれば芸をするようになります。 芸が出来るか否かは、教えたか教えてないか、その一点で決まるのです。 「ならば教えた方がいい」と考える飼い主が多いわけですが、私の目から見ると、芸を仕込まれた犬は気の毒でなりません。 まさに、≪パブロフの犬≫そのもので、条件反射を刷り込まれているだけだからです。 パブロフ博士はあくまで学術的実験としてやったわけですが、それを普通の人間が飼い犬に押し付けるのは、残酷趣味の謗りを免れないでしょう。

  犬のしつけ方の本は無数に出版されており、そういう本を読むと、散歩の時の紐の持ち方まで事細かに指定してありますが、「よくもここまで型に嵌められるものだ」と、執筆者の精神構造に恐怖を感じないではいられません。 飼い主の左側にぴたりとついて、飼い主の歩調に合わせて歩く犬を見ると、犬は奴隷に見え、飼い主は鬼に見えます。 うちの犬は散歩の歩き方を全くしつけていないので、自然体の見本にしていいと思いますが、犬の歩く速度は人間の倍以上が普通です。 本当なら最も楽しいひと時であるはずの散歩の際に、わざと遅く歩かなければならない犬の苦痛は如何ばかりのものか。 そういうしつけを施された犬は、生きる喜びを99%奪われているといっても過言ではありません。 犬の散歩というのは、犬に勝手に歩かせて、人間はそれについて行くのが正しいのではありませんかね? 犬の為にやってるんですから。 犬を飼った事が無い人の為に申し添えれば、犬はオシッコの為に何度も立ち止まるので、勝手に歩かせても人間が追いつけないという事はありません。 足の弱い人でも、紐を長い物にすれば、充分対応できます。

  犬のしつけ方法に関する書物について、「あまりにも種類が多すぎ、あまりにも内容が違いすぎる。 中には全く正反対の事を書いてある本もあり、何が正しいのか分からない」といった指摘をよく聞きます。 これはどういう事かというと、これらのしつけ方は、すべて執筆者の個人的経験を元に考え出されたもので、科学的研究を経ていないという事です。 犬は本来、狩猟犬や牧羊犬など、人間の営みの補助をする≪道具≫として飼育されていました。 よって道具の使い方としてのしつけ方なら膨大な経験則が存在します。 しかし、愛玩動物としての歴史は浅く、また愛玩には個人の嗜好が強いので、一定の扱い方というのが決まっていません。 つまり、この種の指南書には、もともと存在に無理があるのです。 コーヒーの飲み方に喩えれば、無類の甘党に向かって、「コーヒーはブラックで飲まなければ味が分からない」と説教を垂れているようなものです。 甘党は甘さが欲しくてコーヒーを飲むのに、ブラックを勧められても苦笑いしか出来ますまい。 犬のしつけ本も同じです。 愛玩動物として飼っているのに、道具としての扱い方を指南されても困るではありませんか。

  犬を見ているとつくづく思うのは、家族として一緒に暮らしていても、やはり犬は≪お客≫なのだという事です。 ほんの数年滞在するだけで、いずれは去って行きます。 一期一会。 彼らの一生は長くても人間の七分の一しかありません。 他人に重大な迷惑でも掛けない限り、犬の好きなように暮らさせてやるのが良いと思います。 腹いっぱい食って、散歩を楽しんでいる幸せな犬には、芸もしつけも不要です。