2010/03/14

餞別作戦

  勤め先の同僚なんですが・・・。 22歳、男。 高校卒業後、正社員として入社し、4年間働きましたが、3月いっぱいで自主退職する事になりました。 理由は、「この会社が嫌だから」。 なぜ嫌かというと、「馬鹿ばっかりだから」。 具体的にどのように馬鹿かというと、「生産ラインを停めてばかりで、定時で終わる仕事量なのに、残業を2時間もやったりするから」とか、「下らない事で社員を集合させ、長いばかりで中身が無い演説をぶちたがるから」とか、「就業時だけでなく、通勤時の服装を指定したり、茶髪・ピアスを禁止したり、個人的な事に口を突っ込んでくるから」とか、その他さまざまな頭に来る事。

  そうそう、全ての不満のベースになっている問題として、富士市在住なので、裾野市にある会社まで通勤するのに、車で片道一時間以上かかるという障碍もありました。 行き帰りの時間だけでも、2時間かかるわけで、残業が2時間を超えると、一日の内、会社の為に費やす時間が、13時間を超えてしまい、家に帰ったら、テレビを見る時間も無いというわけ。 なるほど、それは辞めたくなりますわなあ。 よく、そんな生活を4年間も続けて来たものだと、そちらに感心します。

  入社当初は、隣の班にいたので、私とは無縁の存在でした。 外見が今風の若者そのままで、やたらうるさい車に乗っていたので、「不良・暴走族の類か」と思っていたんですが、2年くらい前から同じ班になり、他の人と話をしているのを聞いて、割と気さくな性格である事が分かりました。 私は社内で交友をしない方針なので、それでも話はしなかったんですが、半年くらい前から関係が変わり、仕事が終わった後、駐車場まで一緒に帰るようになりました。 向こうから近づいて来たのです。 どうも、それまで彼が一緒に帰っていた先輩と疎遠になり、一緒に帰る相手を私に乗り換えたらしいんですな。

  その先輩と疎遠になった理由というのが面白くて、それまでは、ベテランとして敬意を払っていたのが、ある時、担当工程の入れ替えで、自分のやっている仕事をその先輩に教える事になったのだそうです。 ところが、ベテランだから完璧にやってのけるかと思いきや、あまりにもミスが多いので、呆れてしまったのだとか。 「寝ながらやっても間違えないような事を、一日に何度も間違えるから、フォローしきれなくて、自分が上司から怒られた」との事。 なるほど、約1年半続いた先輩への尊敬も、正体が割れた途端、ものの一日で消滅したわけだ。

  で、乗り換えられた私ですが、普段、人付き合いをしないものの、他人の話を聞くのは嫌いではありません。 自分の事を喋るより、他人の話を聞く方が面白いので、割と聞き役はうまいのです。 で、この半年間、彼の話を聞いて聞いて聞きまくりましたよ。 私と彼の共通点は、出世欲ゼロで、勤め先を、「給料を貰う所」と割り切っていた事です。 自分達の会社をろくでもない所だと思っていて、まあ、ほとんど毎日、会社や上司の悪口で盛り上がっていました。

  それが、去年の12月に入った頃から、彼が、「本気で会社を辞めたい」と言い出しました。 一応、辞める気のない者の義務として、引き止めてみたものの、上述したような様々な理由を説明され、逆に納得させられてしまいました。 当人が、辞めた場合と続けた場合の損得をよく検討し、熟慮の末に決めた事のようなので、それ以上無責任に引き止めるのはやめました。

  まだ若いので、再就職先が見つけ易いという点も、送り出す側としては気楽でした。 頭がよく回り、「事務仕事も嫌いではない」と、自分で言うほどですから、デスク・ワークをしているとイライラして来る私とは、同じ基準で比べられません。 そういうタイプの人間もいるわけですな。 そういうタイプだからこそ、工場勤めの単調な仕事が我慢ならなかったのだとも言えます。

  で、今年になってから、上司に退職の意向を伝え、会社側の都合と調整して、3月いっぱいで退職と決まったのだそうです。 ただ、有休の残りがあるので、それを使う事にし、会社に来るのは、3月12日の金曜日までになるとの事。


  ・・・・と、≪出勤最後の日≫の正確な情報が、私の耳に入ったのは、3月8日の月曜日でした。 随分と長く書いて来ましたが、実は、ここまでは前置きです。 彼が辞めること自体は、私がどうこう言える事柄ではないので、テーマにはなりえません。 私にとって重大問題だったのは、≪餞別≫をやるべきか否かなのです。 「えっ! そんな下らない話だったの?」と驚くなかれ。 私のように、人付き合いの乏しい、筋金入りの吝嗇家にとっては、一生に何度も無いような局面なのです。 目の前にそそり立つ壁。 アイガー北壁に譬えても宜しい。 いや、関係ないか。

  ここ半年間、毎日、駐車場まで喋りながら帰っていたものの、それ以上の仲ではなく、また、向こうはまだ22歳で、餞別に拘るような歳でもなし。  しかし、班内の人間関係を見るに、他の者が餞別を出すとも思えず、「一人くらい出した方がいいかなあ」と、悩むわけです。 餞別という奴、祝儀や香典と違って、半ば廃れかかった風習のようで、渡そうとすると頑なに断る人がいるから厄介なのです。 せっかく袋を用意して行ったのに、受け取って貰えないのは、実に嫌なもの。

  もう十年くらい前ですが、一度そういう事があったのです。 そこそこ世話になった人で、遠くの別工場へ移籍する人が二人いたので、餞別を渡そうと持って行ったら、一人は抵抗無く納めてくれたのに、もう一人が受け取ってくれません。 悪徳商人から賄賂を差し出された時の潔癖な役人の如く、無表情に拒み続けます。 休み時間ごとに訪ねて行って、「用意して来た物を持って帰れないから、どうか受け取って下さい」と頭を下げて、ようやく納めてもらいましたが、まあ、疲れました。 その時の二の舞は御免です。

  また、金額も問題。 なにせ、廃れかかっている風習なので、相場がはっきりしません。 親しい人とか、世話になった人なら、ケチな私でも、5千円くらい包みますが、「単なる話し相手程度では、3千円くらいでいいのではないか」とか、「いや、確実に渡すためには、3千円ですら多いのであって、いっそ千円くらいにして、受け取り易くしてやった方がいいのではないか」とか、いろいろ考えるわけです。 考えている内に、煮詰まって、「面倒くさいから、別に出さなくてもいいか」と、そこへ戻ってしまいます。 この堂々巡りで、火水木と、三日間が過ぎ去りました。 私、金が絡むと、どうも判断力が鈍る傾向があります。

  そして迎えた金曜日の朝。 もう決断しなければなりません。 遅番の週なので、家を出るのは午後2時頃ですが、餞別を用意するためには、それなりの手間と時間がかかるからです。 悩みに悩み抜いた末、結局、やる事にしました。 多少の金をケチって、後で、「いや、出しときゃ良かったかな~」と悔むのも、精神衛生に悪いですけんのう。 一生に何度も無い局面だけに、失敗すると、後々、嫌な記憶になって残り易いと来たもんだ。

  金額は、受け取り易さを優先して、千円にしようかと思ったものの、「千円貰って嬉しい奴はいないだろう」と思い直し、2千円に変更しました。 貰う方の立場になってみると、千円の場合、「何だ、千円か」と、残念な反応になると思うのですが、2千円なら、「おっ、2枚入ってるじゃん!」と、ミクロ・サプライズして貰えるのではないかという目論見。

  午前10時頃に銀行へ行き、新札に換えてもらいました。 新札両替は初めてでしたが、まさかお札を取り替えるだけで、住所氏名を書かされるとは思いませんでした。 そんな大袈裟な事かいな。 偽札のロンダリングでも、警戒しているんでしょうか。 そういう用向きの輩は、そもそも銀行の窓口なんかに来ないと思いますけど。

  で、家に封筒形の簡易祝儀袋があったので、それに≪御餞別≫のスタンプを押し、ピンピカの千円札を2枚入れました。 問題は会社までどうやって運ぶかです。 バイク通勤用のナップ・ザックに直截入れたのでは、せっかくの新札が袋ごと曲がってしまいます。 そこで、空になったティッシュの箱の厚紙で、袋形のカバーを製作しました。 鋏で切って、適当に折り曲げて、粘着テープで貼るだけのやっつけ仕事を、ものの5分で済ませました。 要は折れなきゃいいのです。

  会社へ着いて、確認しましたが、折れてはいない様子。 よしよし。 帰りを待ち、いつものように、駐車場まで話しながら歩いて来て、いよいよ、これで最後というタイミングで、ナップ・ザックから出して手渡しました。 「一人くらいやった方がいいだろ」 「いやあ、悪いっすよ」 「いや、受け取ってもらわないと困るから」 「いいんすかあ」 「二千円しか入ってないから」と、社交辞令的やりとりがあったものの、割とすんなり受け取って貰えました。 やれやれ、面倒な押し付け合いにならなくて助かった。

  うちの会社は、大所帯なせいか、社員同士の付き合いは希薄で、とりわけ、辞めていく者に対しては淡白過ぎるところがあり、餞別をやる習慣そのものが見られません。 だけどねえ、4年勤めた会社を辞めるわけだから、餞別の一つくらい貰ってもいいと思うのですよ。 相手の様子を見るに、そういう物を貰えると期待していなかったらしく、満面の笑みで喜んでくれてました。 うん、良かった良かった。 これでこそ、新札と祝儀袋と厚紙カバーを用意した甲斐があったというもの。

  で、「じゃ、お元気で」 「お元気で」 「さよなら」で、お別れになりました。 彼の家は富士市で、私は沼津ですから、地理的な遠さから考えても、たぶん、もう二度と会う事は無いでしょう。 住所も電話番号も知らないし。 同僚というのは、そういうものです。 毎日、話をしていても、友人とは違うのです。


  というわけで、≪餞別作戦≫は、成功裏に終了しました。 まさか、彼も、私の頭の中が、餞別の問題で一杯で、別れの感傷など寄り付く島も無かったとは、想像もしなかったでしょう。 いや、とにかく、せっかく合わない会社から離れられたのですから、次は良い所に就職して、充実した人生を送ってもらいたいものです。