2010/03/28

国際村跡・葛山城址

さて、先週の続きです。 箱根の大涌谷を後にした私は、山道を芦ノ湖方面に下り、湖岸と平行して山の中腹を走る県道75号線に入って、元箱根の方へ向かいました。 かつて、≪箱根国際村≫があった場所を確認してみたかったからです。

  例によって、当時の日記から引き写します。


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  湖岸沿いの県道75号線を元箱根方面へ向かう途中、入口の地面に、ペンキで、≪樹木園≫と書かれた駐車場の前を通る。 もしかしたら、ここが、子供の頃に来た、≪箱根国際村≫の跡地かもしれないと思って、バイクを降り、鎖を乗り越えて中に入ってみた。 しかし、久しく放置されていると思われる、荒れた駐車場があるだけで、国際村の建物の痕跡は無い。 バイクに戻り、他に国際村の跡が無いかと、元箱根方面に向かったが、何も見つけられないまま、箱根園に着いてしまった。 やむなく、もと来た道を引き返す。

  再び、樹木園駐車場の前を通ったら、奥の方に湖岸へ下って行く道が見えた。 一縷の望みを託し、再びバイクを降りて、その道を歩いてみた。 しかし、背の高い樹林に挟まれた、ハイキング・コース風の山道が続くばかりである。 国際村は、こんな所ではなかったような気がするのだが…。 適当なところで諦め、バイクに戻った。 ≪樹木園≫というのは、現在も営業中で、ずーっと下の方にあるらしい。 ここは、その駐車場の一つだったものが、あまりに遠いために、閉鎖されたようだ。 ただし、これらは、全て推測だ。

  バイクに乗り、湖尻方面へ向かう。 湖尻を通過し、仙石原で、≪箱根湿性植物園≫という所に寄ったが、入園料が700円というので、門前で帰った。 冗談ではない金額である。 道を挟んだ向い側に、≪もののふ博物館≫という小さな建物があったが、どうせ金を取るに決まっているので、パス。 たぶん、甲冑や日本刀などが展示されているのだと思う。

  乙女峠を下って、御殿場に出る。 県道394号を裾野へ下る。 時間はもう2時過ぎである。 うちへ直行してしまってもよかったのだが、それでは、遠出の醍醐味が味わえないから、どこかで昼を食べていく事にした。 裾野のローソンでカレー・パン105円を買い、葛山へ向かった。

  葛山の麓に駐車場がある事を確認してから、一旦、須山街道に戻り、自販機でファンタ・グレープ120円を買って、もう一度行った。 お寺の本堂の裏から登るのをすっかり忘れていて、お墓の西の方から登った為、草だらけで難儀した。 思った通り、頂上には誰もいなかった。 ここへ来たのも10年ぶりだが、何も変わっていないように見える。 以前来たのは、会社の帰りで、何かの問題が発生して、半日で仕事が終わりになり、その帰りに寄り道して、弁当の握り飯かパンを食ったのだと思う。

  その後、景ヶ島に寄り道して、牛くぐり岩を探したが、崩れてしまったらしく、穴がある岩は見つからなかった。 お堂の壁板が新しいものに張り替えられていた。 部分的に新しいので、何となく変なのだが、全部やり直すとなると、技術的にも予算的にも無理だったのかもしれない。 まあその内、古くなって馴染むだろう。

  更に、普明寺という所に寄り、千福城址を見るつもりだったが、登り口が分からず、諦めて帰って来た。 この寺では屋根瓦の葺き替え工事をしていた。

  後は、真っ直ぐに家へ帰る。 3時40分頃に到着。 今日一日で、120キロくらい走った。 まあ、こんなものではなかろうか。 もうこれで、この連休に遠出する事は無いだろう。
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  補足しますと、≪県道75号線≫というのは、神奈川県の県道です。 先週も書いたように、箱根の大部分は神奈川県に属します。

  ≪箱根国際村≫というのは、私が子供の頃、つまり、1970年前後に、芦ノ湖の畔に存在した観光地です。 湖岸へ下る斜面に、世界各地の民家が再現されていました。 道路が一番高い所にあり、駐車場があって、湖へ下りて行くグネグネ曲がった道の脇に、家が点在しているのです。 具体的に、どの国の家があったかは覚えていません。 日本の家は水車小屋で、その中がトイレになっているのを見て、兄と二人で大ウケしていた事を覚えています。 それ以外の家は、中はがらんどうで、家具は入っていませんでした。

  私は、子供の頃、二回くらいここへ来たと思うのですが、両親に車で連れて来られたのか、学校の遠足でバスで来たのか、細部は全然覚えていません。 この村、いつのまにか無くなってしまいました。 無くなった事を知ったのは、割と最近です。 あると思っていた間は、別段気にもしませんでしたが、無くなったと知った途端、どこにあったのかが気になり始めました。 この時も、つきとめられず、家に戻ってから、両親に尋ねても、漠然とした位置しか分からない様子。 ネットで調べても、「1975年頃、閉鎖された」という以外、何も分かりません。

  地元では結構有名な観光地でしたから、静岡県東部や神奈川県西部に住んでいて、1970年頃に小学生だった人なら、誰でも一度は来た事があると思うのですが、なぜ、ネット上で情報が見つからないのか、不気味なくらい不思議です。 閉鎖された観光地の記憶とは、こんなにも早く消えてしまうものなのでしょうか。 誰か、知りませんか? 箱根国際村の事を!

  ≪湖尻≫、≪仙石原≫というのは、地名。 それぞれ、「こじり」、「せんごくばら」と読みます。 箱根は、元から人が住んでいた集落は元箱根くらいのもので、他に建物が集まっている所は、観光地か、企業の保養所かのどちらかです。 そして、それらが、大変多い。 一見、町の名前のような地名でも、町ではない場合があるので、注意が必要です。 居住人口が少ないため、普通の商店が少なく、「遊ぶには便利、暮らすには不便」という面があります。

  ≪入園料700円≫を高いと見るか安いと見るかは、人によって異なると思いますが、私の場合、湿原植物に興味津津というわけではないので、「高過ぎる」と感じたわけです。 ちなみに私は、料金が高いと、どんなに有名な観光施設でも、にべもなくパスするタイプです。 特に、そこを目的地として行ったわけではない場合は、決して入りません。

  ≪県道394号線≫、こちらは、静岡県の県道で、御殿場市から裾野市に下る細い道路です。 普通は、国道246号線を通りますが、この時は、246まで出るのが面倒臭くて、「なーに、南に下っていけば、どのみち、裾野に着くだろう」というノリで、手前にあった細い道を選んだのです。

  ≪葛山≫は、山の名前で、且つその麓にある集落の名前でもあります。 「かずらやま」と読みます。 山の上には、戦国時代の山城の跡があります。 城主は、≪葛山氏≫ですが、これは、地名を苗字にしたものでしょう。

  パンはローソンなのに、なぜジュースは自動販売機なのかというと、コンビニで缶飲料を買うと、レジの人に、飲み口を持たれてしまうからです。 中には、絆創膏を巻いた指で、飲み口をがっちり掴む輩もいて、不衛生この下無し! そういうわけで、私はコンビニでは、缶飲料は買わないのです。

  ≪景ヶ島≫というのは、裾野市の景勝地で、川の中に奇岩が集まっている所。 「けいがしま」と読みます。 中州の島に、お堂があり、その軒下に掛かっている案内地図に、≪牛くぐり岩≫というのが載っているのですが、何回か来ているのに、見つけられないでいたのです。

  ≪普明寺と千福城址≫、これは、帰りに近くを通ったら、道端に案内看板が出ていたので、その場の思いつきで、寄ってみようかと思ったまでの所。 結局、千福城址には辿り着かなかったわけで、今に至るも詳しい事は知らないままです。 


  またまた、補足が長くなってしまいました。 以下、写真でご案内。



  芦ノ湖畔を走る県道75号線の脇にあった、かつての観光地の駐車場跡です。 看板の類は一枚も残っておらず、アスファルトの上に直接、白ペンキで、≪樹木園≫と書いてありました。 そう書いてあるからには、そうなんでしょうが、この辺だったと思うのですよ、≪箱根国際村≫があった所は。 もしかしたら、 ≪国際村≫が閉園した後、≪樹木園≫が作られたのかもしれませんが、地形が記憶と一致しない所を見ると、全然違う場所なのかもしれません。 それにしても、≪国際村≫を訪れた人間は、少なく見ても、100万人くらいはいたと思うんですが、往時を偲ぶ痕跡が一つも無いとは驚きです。



  ≪樹木園≫の元駐車場の奥へ踏み込むと、こんな物が放置されていました。 兵どもが夢の跡。 しかし、もう使わないのなら、片付けた方がいいと思います。 マットレスなんて何に使っていたんでしょう?



  湖尻にある、≪箱根・湿生花園≫。 なんですが、立ち寄ろうと思って、門前まで来たものの、≪大人 700円≫という入場料にたじろぎ、パスしました。 しかし、後でネットで調べたところ、ここは、植物好きにとっては、かなり有名なスポットらしく、展示にもボリュームがあるとの事。 機会があったら、ここを第一目標にして、じっくり見に来ようと思っています。



  裾野市街から、北西へかなり行った所に、≪葛山≫という地域があります。 鎌倉から戦国時代にかけて、葛山氏が領地を構えていました。 元は藤原氏で、甲斐・駿河の国司だったのが土着化したらしいです。 ここは、その館跡です。 畑の中にポツンとあるんですが、周りの土地よりも少し高くなっているだけで、見るものは何もありません。



  館跡の近くに立っていた、≪葛山城案内図≫。 といっても、この写真のサイズでは、分かり難いですか。 赤い丸が現在地。 ちょっと離れた所に、葛山という小山があり、その頂上に城跡があります。 戦国大名にはよくある、普段は平地の館で暮らし、敵に攻め込まれると、山の上の城に立て篭もるというパターンですな。 そして、戦国時代の山城の常として、建物は一切残っていません。



   葛山城跡への登り口に鎮座しているお寺。 浄土宗・仙年寺。 ここの境内から山道が付けてあって、葛山に登れます。 そんなに高い山ではないので、10分もあれば、頂上に着きます。



  山道をしばらく登っていくと、疲れを感じる前に、早くも葛山城跡に差し掛かります。 一見、ただの谷にしか見えませんが、自然の地形を利用しつつ、掘るべき所を掘り、盛るべき所を盛って、険阻な城を築いてあるのです。 普通、この種の山城には、石垣はなくて、全部土で作られています。



  ここが本丸。 城といえば天守閣を思い浮かべますが、この種の小さな山城にはそんな綺麗な天主は無かったらしいです。 戦いの時に篭る為の城ですから、実用第一で、雨露を凌げる小屋や、兵糧を備蓄する倉庫があったものと思われます。 見るからに狭いですが、これでも山城の本丸としては広い方でして、中には5メートル四方くらいしかない城もあります。



  観光地によくある、顔出しパネルですが・・・・。 怖いよね、これ。 ≪もののふ≫っていうより、≪八つ墓村≫だっつーのよ。 逆に言うと、こういう物があるという事は、ここは確実に観光地として整備されていると思われるわけですが、ゴールデン・ウイークの真っ最中だというのに、私以外の訪問者は一人もいませんでした。



  葛山のすぐそばなので、景ヶ島に寄ってみたら、お堂の板壁が補修されていました。 なぜか、部分的で、ツートーンになってます。 全部直すと、お金がかかりすぎるのでしょうか? 裾野市も、いろいろと算盤を弾いとりますなあ。


  以上、≪箱根・大涌谷≫紀行の後編でした。 といっても、今回は、大涌谷の後に寄った、オマケの部分でしたから、紀行文というにはバラバラという感じがせんでもないですな。 お見苦しくて、申し訳ない。 写真のアップの面倒さえなければ、一回で全部出してしまえるんですがねえ。