続2010年・冬の読書
どうも、ここのところ、内容のある記事を書いていません。 主な理由は、ニュース日照りで、ここで取り上げるような出来事が起こらないからですが、私の方にも原因があって、ここ半年ほど、世の中に対する興味が減退しつつあるのです。 ちょっと、動物方面に入れ込み過ぎて、人間の存在を軽視するようになってしまったんですな。 ただ、私自身、所詮、人間の一人に過ぎませんから、世を儚んで首でも括らない限り、結局、人間への興味に戻って来ざるを得ないでしょう。 現在、態勢の立て直し中。
というわけで、今回は、読書感想文を。 読書だけは、相変わらず、ボチボチと進行しています。 会社に行っている限り、休み時間があり、休み時間がある限り、読書以外やる事が無いという理由で。
≪世界の名著 トマス・アクィナス 神学大全≫
トマス・アクィナスは、13世紀のイタリアの神学・哲学者。 ≪神学大全≫は、その代表的な著作です。 13世紀というと、キリスト教圏はまだ暗黒時代だったのですが、イスラム世界で研究が進んでいたアリストテレス哲学が流入して、一条の光明が差し込みます。 トマス氏が、聖書の記述とアリストテレスの神学を、矛盾が起こらないように解釈したのが、この本。
しかし、本来、全く根が違う二つの世界観を一つにできるはずがないのであって、ほとんどの説明は、屁理屈を捏ね上げたものです。 トマス氏の最大の弱味は、キリスト教神学者として、「聖書は神の言葉であるから、その記述に間違いは無い」という前提から逃れられなかった事です。 間違った前提に拠っていたのでは、どんなに論証が巧みでも、正しい結論には到達しないという典型例になってしまっています。
当時の神学者の間で、これ以上無いほど高い評価を受ける一方で、「これは、ただのこじつけではないのか?」と、疑念を抱いた人達が、この後、ルネサンスを経て、少しずつ聖書の真実性を崩して行きます。 ヨーロッパの科学は、聖書を否定する事によって、確立されていったんですな。
≪クマの畑をつくりました≫
ニホンツキノワグマの保護に携わっている人が書いた活動内容の報告。 日本のツキノワグマは、急速に数を減らしていて、九州ではもう絶滅してしまったらしいです。 理由はもちろん、害獣としてバンバン撃ち殺しているから。 全国で毎年2000頭も殺されているというから驚きですが、全部で何頭いるか、学術的調査は一度も行なわれておらず、殺した数から推測して、「大体、一万頭くらいなんじゃないの?」と言われているのだとか。 超いい加減ですな。
著者は、宮城県在住、本業は郵便局員。 九州のクマが絶滅したと知ってショックを受け、「このままでは、本州・四国のツキノワグマもいなくなってしまう!」という危機感に突き動かされて保護活動を始めたのだそうです。 題名の「クマの畑を作りました」とは、クマが人里の畑を荒らさないように、山裾の休耕地を借りてトウモロコシを作り、そこで満腹させてしまおうという作戦の事。 完璧ではないものの、まずまずの効果を上げているそうです。
この活動、「野生動物の餌付けだ」と、批判もされているらしいのですが、ここまで減っているとなると、手段を選んでいられないような気もします。 手厚く保護されているパンダは1600頭ですが、棲息範囲は日本の本州四国九州よりずっと狭いです。 それを考えると、ニホンツキノワグマの一万頭という数字は決して多くないにも拘らず、保護するどころか、行政が許可を出して殺し続けているのだから、そのグロテスクな現実には、じっとり脂汗を流さずにはいられません。
≪旭山動物園の奇跡≫
旭山動物園の改革の経緯を、外部の人間の目から見た本。 類似書がいくつも出ているので、個性を出しづらいところですが、この本の場合、関係者へのインタビュー内容を中心にして、間を編集者の説明で繋ぐという体裁を取っています。 著者名が無いのは、そのため。 開園当時のスタッフの顔ぶれが詳しく紹介されている点は、他の本には無い特色といえるでしょう。 後に絵本作家になった、あべ弘士さんへのインタビューも載っています。
≪世界の名著 ダーウィン 人類の起源≫
この≪世界の名著シリーズ≫ですが、図書館にある本は表紙に題名が書いてありません。 たぶん、カバーかケースがあって、そちらには書いてあるのでしょうけど、外されてしまっているんですな。 背表紙には著者名だけ書いてありますが、写真に撮りにくいので、中扉の方を撮影しました。
ダーウィンといえば、≪種の起源≫が有名ですが、この本には、≪人類の起源≫という著作が収められています。 ≪種の起源≫では、進化論に対する拒否反応を警戒して、人類の進化に言及するのを避けたため、進化論がある程度世の中に受け入れられた後、それを補足したのが、この≪人類の起源≫というわけ。 だけど、人類の進化について書いてあるのはほんの少しで、大部分は、鳥や蝶を例に、≪性淘汰≫について書かれています。
性淘汰というのは、自然淘汰とはちょっと違う現象です。 たとえば、大抵の鳥は、オスの方がメスよりも美しいですが、その理由を、「メスに配偶者として選ばれるために、より美しいオスが残って来たから」と解釈するのが性淘汰です。 自然淘汰では、環境によって適不適が決まりますが、性淘汰でそれを決めるのは、メスの好みなわけです。 まあ、それはいいとして、題名が≪人類の起源≫なのに、どうして半分以上のページを性淘汰に割いているのか、その理由が今一つ理解しにくいです。。
19世紀頃の生物学は、博物学から完全には分離していなかったためか、事例を多く並べなければ学説に説得力が与えられなかったようで、これでもかというくらい、鳥や蝶の種類が挙げられています。 「百年以上前に、こんな事までわかっていたのか!」と驚く事が一度や二度ではなく、ヨーロッパの博物学の真髄を見た心地がします。
人間の進化について書かれた部分の中に、「人種や民族の違いによって進化の程度に差がある」というような事が書かれていて、これがいわゆる、「自然淘汰の原理を人間の世界に持ち込み、植民地主義・帝国主義に科学的正当性を与えてしまった」と指摘される元になった説なのでしょう。 この本を読む限り、実際にダーウィンは、そう思っていたようです。 彼から見て、最も進化が進んでいるのは、もちろんイギリス人で、以下、近隣のヨーロッパ諸国人が続き、アジアやアフリカ、アメリカ先住民は、進化レベルが低いという事になっています。
今となっては、完全な間違いですが、ヒトラーなどは、この説を本気で信じていたわけですし、今でも、人種間・民族間の争いの陰には、この説の信望者が多く蠢いていると思われます。 なまじ、ダーウィンの名声が高かっただけに、その影響力も強かったわけですが、なんとも罪な本を書いてくれたものです。
≪オオカミ 【その行動・生態・神話】≫
スエーデン出身の動物学者が、ドイツに囲い地を設けて、オオカミの群を飼育し、生態を観察した記録。 囲い地というのは、森の中のかなり広い範囲を柵で囲った場所で、動物園のケージなどとは規模が全く異なり、自然状態に近いオオカミの振る舞いを知る事が出来るのだそうです。
オオカミというと、猛獣のイメージがありますが、基本的に人間を襲う事はなく、むしろ、人間が近づくとオオカミの方で避けるそうです。 その一方で、著者のように群の一員として認められると、順位争いに加わる事になり、トップを狙う下位のオオカミから挑戦を受ける事があるのだとか。 通りすがりの他人よりも、仲間になった人間の方が襲われやすいというのは、面白いですな。 もっとも、その場合でも、あくまで目的は順位争いですから、致命傷を負って喰われてしまうような事はないようです。
後半、イタリアに生き残っている野生のオオカミを調査した時の記録が出て来ます。 人間の居住地のすぐそばに住んでいて、夜になると街なかへゴミをあさりに出て来るらしいです。 土地の人達では、オオカミに縁が無い人ほどオオカミを恐れており、羊を連れて山へ行くような人は全然怖がっていないのだとか。 ただ、羊が襲われる事はあるので、嫌ってはいるそうですが。
西欧のオオカミは、英仏独では絶滅しており、スペインやイタリアでも、数十頭の生息地がちらほら残っている程度、北欧では、それが数頭にまで減りますが、それでも牧畜関係者から、「多すぎる」と言われているのだそうです。 環境保護に熱心に見える国の方が、オオカミには棲み難い地域になっている点は、興味深いですな。 ちなみに、東欧では、まだかなり多く残っており、ロシアになると、一万頭くらいはいるそうです。
≪狼 【その生態と歴史】≫
日本に於ける犬の研究で有名な、平岩米吉さんの著書。 本来は、イヌ科全般を対象にした長い論文だった中から、犬に関する部分を切り離して、≪犬の行動と心理≫という本にし、その残りの部分が、この本になったのだそうです。 オオカミに関する記述が多いので、こういう題名ですが、イヌとオオカミ以外のイヌ科動物の簡潔な解説も含まれています。 ジャッカルとか、リカオンとか、キツネとか、タヌキとか。
平岩米吉さんの研究は、動物学と民俗学の両面から行なわれるのが特徴で、この本でも、オオカミに対する日本の過去の記録がうじゃうじゃ出て来ます。 近代以降はもとより、江戸時代以前、古くは平安時代頃まで遡って文献を調べ、オオカミに関する記事を探しており、そういう珍しい知識が得られるのが、この本の最大の価値と言えるでしょう。
オオカミとイヌの違いを、頭骨の形の違いから見分ける方法を発見したのも、この著者。 頭骨に下顎骨をつけた状態で平らな所に置くと、頭骨の後端が底面に着くか着かないかで分かるのだとか。 肉食性のオオカミと雑食性のイヌとでは、食べている物が違うため、顎の形に違いが出るという、科学的な説明もついている、割と納得し易い説です。
ニホンオオカミの特徴について、他種のオオカミより頭骨の長さが短いという点を挙げていますが、他のニホンオオカミ本を読むと分かるように、ニホンオオカミという種が存在したかどうかすら、科学的に証明されているとは言い難いので、この点に関しては、鵜呑みには出来ません。
この本の弱さは、著者がオオカミの研究をしていた時代が、昭和中期以前と古いため、まだ動物学が博物学から脱却していない頃の影響が残っており、科学的な研究姿勢に徹しきれていない点にあります。 ただ、読み物としてなら、現在でも大変面白い本だと言えます。
≪オオカミと生きる≫
これは、ドイツで、オオカミの群を幾つも囲っている逞しいオッサンの書いた本。 この人、学者でも研究者でもなく、非常に変わった経歴を持っていいます。 子供の頃は、牧畜をやっている家で動物に囲まれて育つのですが、最初の就職先は、なぜか動植物園の園芸係員。 それが、ある時、動物園の方で暴れていた動物を、いとも容易に取り押さえて見せたのをきっかけに、飼育員としてスカウトされ、見る見る猛獣の扱いに才能を発揮するようになります。
ところが、才能があり過ぎて、猛獣使いレベルまで行ってしまったものだから、動物園の方針と相容れなくなって、退職。 その後、なぜか西ドイツ軍の国境警備隊に入り、部隊のマスコットとしてクマを飼育する傍ら、休暇を利用して世界中の未開地域へ冒険の旅を繰り返します。
そうこうしている内に、オオカミの飼育に手を染め、そちらにどっぷり嵌り込んでしまいます。 囲い地を幾つも作り、シンリンオオカミやホッキョクオオカミを養って、自分もそれらの群に加わり、オオカミになりきって暮らすようになります。 このなりきりぶりが半端ではなく、群を掛け持ちしながら、エサの肉を取り合ったり、毎夜オオカミ達と一緒に眠ったりします。
前半は、オオカミの群ごとの社会生態の記述で、繰り返しが多く、あまり興味を引かないのですが、後半、著者の経歴紹介になると、俄然面白くなり、最後まで一気に引っ張って行きます。 オオカミの本と言うより、オオカミになった人間について書かれた本という感じです。
以上、今回は、一冊ごとの感想が長かったので、7冊まで。 ≪トマス・アクィナス 神学大全≫と、≪ダーウィン 人類の起源≫は、二段組で、それぞれ、546ページと574ページもあり、読み終えるのに、うんざりするほど時間が掛かりました。 本来なら、この程度の感想文では全然足りないんですが、細かく書き始めるとキリがないので、ざっとやっつけた次第。
というわけで、今回は、読書感想文を。 読書だけは、相変わらず、ボチボチと進行しています。 会社に行っている限り、休み時間があり、休み時間がある限り、読書以外やる事が無いという理由で。
≪世界の名著 トマス・アクィナス 神学大全≫
トマス・アクィナスは、13世紀のイタリアの神学・哲学者。 ≪神学大全≫は、その代表的な著作です。 13世紀というと、キリスト教圏はまだ暗黒時代だったのですが、イスラム世界で研究が進んでいたアリストテレス哲学が流入して、一条の光明が差し込みます。 トマス氏が、聖書の記述とアリストテレスの神学を、矛盾が起こらないように解釈したのが、この本。
しかし、本来、全く根が違う二つの世界観を一つにできるはずがないのであって、ほとんどの説明は、屁理屈を捏ね上げたものです。 トマス氏の最大の弱味は、キリスト教神学者として、「聖書は神の言葉であるから、その記述に間違いは無い」という前提から逃れられなかった事です。 間違った前提に拠っていたのでは、どんなに論証が巧みでも、正しい結論には到達しないという典型例になってしまっています。
当時の神学者の間で、これ以上無いほど高い評価を受ける一方で、「これは、ただのこじつけではないのか?」と、疑念を抱いた人達が、この後、ルネサンスを経て、少しずつ聖書の真実性を崩して行きます。 ヨーロッパの科学は、聖書を否定する事によって、確立されていったんですな。
≪クマの畑をつくりました≫
ニホンツキノワグマの保護に携わっている人が書いた活動内容の報告。 日本のツキノワグマは、急速に数を減らしていて、九州ではもう絶滅してしまったらしいです。 理由はもちろん、害獣としてバンバン撃ち殺しているから。 全国で毎年2000頭も殺されているというから驚きですが、全部で何頭いるか、学術的調査は一度も行なわれておらず、殺した数から推測して、「大体、一万頭くらいなんじゃないの?」と言われているのだとか。 超いい加減ですな。
著者は、宮城県在住、本業は郵便局員。 九州のクマが絶滅したと知ってショックを受け、「このままでは、本州・四国のツキノワグマもいなくなってしまう!」という危機感に突き動かされて保護活動を始めたのだそうです。 題名の「クマの畑を作りました」とは、クマが人里の畑を荒らさないように、山裾の休耕地を借りてトウモロコシを作り、そこで満腹させてしまおうという作戦の事。 完璧ではないものの、まずまずの効果を上げているそうです。
この活動、「野生動物の餌付けだ」と、批判もされているらしいのですが、ここまで減っているとなると、手段を選んでいられないような気もします。 手厚く保護されているパンダは1600頭ですが、棲息範囲は日本の本州四国九州よりずっと狭いです。 それを考えると、ニホンツキノワグマの一万頭という数字は決して多くないにも拘らず、保護するどころか、行政が許可を出して殺し続けているのだから、そのグロテスクな現実には、じっとり脂汗を流さずにはいられません。
≪旭山動物園の奇跡≫
旭山動物園の改革の経緯を、外部の人間の目から見た本。 類似書がいくつも出ているので、個性を出しづらいところですが、この本の場合、関係者へのインタビュー内容を中心にして、間を編集者の説明で繋ぐという体裁を取っています。 著者名が無いのは、そのため。 開園当時のスタッフの顔ぶれが詳しく紹介されている点は、他の本には無い特色といえるでしょう。 後に絵本作家になった、あべ弘士さんへのインタビューも載っています。
≪世界の名著 ダーウィン 人類の起源≫
この≪世界の名著シリーズ≫ですが、図書館にある本は表紙に題名が書いてありません。 たぶん、カバーかケースがあって、そちらには書いてあるのでしょうけど、外されてしまっているんですな。 背表紙には著者名だけ書いてありますが、写真に撮りにくいので、中扉の方を撮影しました。
ダーウィンといえば、≪種の起源≫が有名ですが、この本には、≪人類の起源≫という著作が収められています。 ≪種の起源≫では、進化論に対する拒否反応を警戒して、人類の進化に言及するのを避けたため、進化論がある程度世の中に受け入れられた後、それを補足したのが、この≪人類の起源≫というわけ。 だけど、人類の進化について書いてあるのはほんの少しで、大部分は、鳥や蝶を例に、≪性淘汰≫について書かれています。
性淘汰というのは、自然淘汰とはちょっと違う現象です。 たとえば、大抵の鳥は、オスの方がメスよりも美しいですが、その理由を、「メスに配偶者として選ばれるために、より美しいオスが残って来たから」と解釈するのが性淘汰です。 自然淘汰では、環境によって適不適が決まりますが、性淘汰でそれを決めるのは、メスの好みなわけです。 まあ、それはいいとして、題名が≪人類の起源≫なのに、どうして半分以上のページを性淘汰に割いているのか、その理由が今一つ理解しにくいです。。
19世紀頃の生物学は、博物学から完全には分離していなかったためか、事例を多く並べなければ学説に説得力が与えられなかったようで、これでもかというくらい、鳥や蝶の種類が挙げられています。 「百年以上前に、こんな事までわかっていたのか!」と驚く事が一度や二度ではなく、ヨーロッパの博物学の真髄を見た心地がします。
人間の進化について書かれた部分の中に、「人種や民族の違いによって進化の程度に差がある」というような事が書かれていて、これがいわゆる、「自然淘汰の原理を人間の世界に持ち込み、植民地主義・帝国主義に科学的正当性を与えてしまった」と指摘される元になった説なのでしょう。 この本を読む限り、実際にダーウィンは、そう思っていたようです。 彼から見て、最も進化が進んでいるのは、もちろんイギリス人で、以下、近隣のヨーロッパ諸国人が続き、アジアやアフリカ、アメリカ先住民は、進化レベルが低いという事になっています。
今となっては、完全な間違いですが、ヒトラーなどは、この説を本気で信じていたわけですし、今でも、人種間・民族間の争いの陰には、この説の信望者が多く蠢いていると思われます。 なまじ、ダーウィンの名声が高かっただけに、その影響力も強かったわけですが、なんとも罪な本を書いてくれたものです。
≪オオカミ 【その行動・生態・神話】≫
スエーデン出身の動物学者が、ドイツに囲い地を設けて、オオカミの群を飼育し、生態を観察した記録。 囲い地というのは、森の中のかなり広い範囲を柵で囲った場所で、動物園のケージなどとは規模が全く異なり、自然状態に近いオオカミの振る舞いを知る事が出来るのだそうです。
オオカミというと、猛獣のイメージがありますが、基本的に人間を襲う事はなく、むしろ、人間が近づくとオオカミの方で避けるそうです。 その一方で、著者のように群の一員として認められると、順位争いに加わる事になり、トップを狙う下位のオオカミから挑戦を受ける事があるのだとか。 通りすがりの他人よりも、仲間になった人間の方が襲われやすいというのは、面白いですな。 もっとも、その場合でも、あくまで目的は順位争いですから、致命傷を負って喰われてしまうような事はないようです。
後半、イタリアに生き残っている野生のオオカミを調査した時の記録が出て来ます。 人間の居住地のすぐそばに住んでいて、夜になると街なかへゴミをあさりに出て来るらしいです。 土地の人達では、オオカミに縁が無い人ほどオオカミを恐れており、羊を連れて山へ行くような人は全然怖がっていないのだとか。 ただ、羊が襲われる事はあるので、嫌ってはいるそうですが。
西欧のオオカミは、英仏独では絶滅しており、スペインやイタリアでも、数十頭の生息地がちらほら残っている程度、北欧では、それが数頭にまで減りますが、それでも牧畜関係者から、「多すぎる」と言われているのだそうです。 環境保護に熱心に見える国の方が、オオカミには棲み難い地域になっている点は、興味深いですな。 ちなみに、東欧では、まだかなり多く残っており、ロシアになると、一万頭くらいはいるそうです。
≪狼 【その生態と歴史】≫
日本に於ける犬の研究で有名な、平岩米吉さんの著書。 本来は、イヌ科全般を対象にした長い論文だった中から、犬に関する部分を切り離して、≪犬の行動と心理≫という本にし、その残りの部分が、この本になったのだそうです。 オオカミに関する記述が多いので、こういう題名ですが、イヌとオオカミ以外のイヌ科動物の簡潔な解説も含まれています。 ジャッカルとか、リカオンとか、キツネとか、タヌキとか。
平岩米吉さんの研究は、動物学と民俗学の両面から行なわれるのが特徴で、この本でも、オオカミに対する日本の過去の記録がうじゃうじゃ出て来ます。 近代以降はもとより、江戸時代以前、古くは平安時代頃まで遡って文献を調べ、オオカミに関する記事を探しており、そういう珍しい知識が得られるのが、この本の最大の価値と言えるでしょう。
オオカミとイヌの違いを、頭骨の形の違いから見分ける方法を発見したのも、この著者。 頭骨に下顎骨をつけた状態で平らな所に置くと、頭骨の後端が底面に着くか着かないかで分かるのだとか。 肉食性のオオカミと雑食性のイヌとでは、食べている物が違うため、顎の形に違いが出るという、科学的な説明もついている、割と納得し易い説です。
ニホンオオカミの特徴について、他種のオオカミより頭骨の長さが短いという点を挙げていますが、他のニホンオオカミ本を読むと分かるように、ニホンオオカミという種が存在したかどうかすら、科学的に証明されているとは言い難いので、この点に関しては、鵜呑みには出来ません。
この本の弱さは、著者がオオカミの研究をしていた時代が、昭和中期以前と古いため、まだ動物学が博物学から脱却していない頃の影響が残っており、科学的な研究姿勢に徹しきれていない点にあります。 ただ、読み物としてなら、現在でも大変面白い本だと言えます。
≪オオカミと生きる≫
これは、ドイツで、オオカミの群を幾つも囲っている逞しいオッサンの書いた本。 この人、学者でも研究者でもなく、非常に変わった経歴を持っていいます。 子供の頃は、牧畜をやっている家で動物に囲まれて育つのですが、最初の就職先は、なぜか動植物園の園芸係員。 それが、ある時、動物園の方で暴れていた動物を、いとも容易に取り押さえて見せたのをきっかけに、飼育員としてスカウトされ、見る見る猛獣の扱いに才能を発揮するようになります。
ところが、才能があり過ぎて、猛獣使いレベルまで行ってしまったものだから、動物園の方針と相容れなくなって、退職。 その後、なぜか西ドイツ軍の国境警備隊に入り、部隊のマスコットとしてクマを飼育する傍ら、休暇を利用して世界中の未開地域へ冒険の旅を繰り返します。
そうこうしている内に、オオカミの飼育に手を染め、そちらにどっぷり嵌り込んでしまいます。 囲い地を幾つも作り、シンリンオオカミやホッキョクオオカミを養って、自分もそれらの群に加わり、オオカミになりきって暮らすようになります。 このなりきりぶりが半端ではなく、群を掛け持ちしながら、エサの肉を取り合ったり、毎夜オオカミ達と一緒に眠ったりします。
前半は、オオカミの群ごとの社会生態の記述で、繰り返しが多く、あまり興味を引かないのですが、後半、著者の経歴紹介になると、俄然面白くなり、最後まで一気に引っ張って行きます。 オオカミの本と言うより、オオカミになった人間について書かれた本という感じです。
以上、今回は、一冊ごとの感想が長かったので、7冊まで。 ≪トマス・アクィナス 神学大全≫と、≪ダーウィン 人類の起源≫は、二段組で、それぞれ、546ページと574ページもあり、読み終えるのに、うんざりするほど時間が掛かりました。 本来なら、この程度の感想文では全然足りないんですが、細かく書き始めるとキリがないので、ざっとやっつけた次第。
<< Home