殺さず増やさず
ここ一年ほど、人間がサルに見えて仕方ありません。 いや、幻覚が見えるという意味ではなく、人間に、知的生命体としての価値を感じられなくなったのです。 更に言えば、知的生命体の存在を、宇宙に於ける奇跡と思えなくなって来たのです。 自然の秩序を乱す、単なる有害生物なのではないかと思い始めたのです。
三年くらい前から、動物関連の本を読んで来たのですが、読めば読むほど、人間の活動が、野生生物を圧迫している事が分かって、げんなりしてしまいました。 もはや、保護とか愛護とか、そういうレベルで対応できる問題ではなく、人間の数の増加や、エネルギー使用量の増大そのものに原因があり、自然を残したかったら、人間を減らす以外に方法は無いと確信するに至りました。
言わずと知れた事ながら、「減らす」と言っても、「今生きている人間を、殺せ」などと過激な事を主張しているわけではないのであって、「これ以上、増やさない事で、結果的に減らす方向へ持っていくべきだ」と言っているのです。 頭の狂った連中に誤解されないように、くどく断っておきますが、「殺す」のには、全面的に反対です。
人類の人口は、そろそろ、70億の大台に乗るらしいですが、もう充分でしょう。 はっきり、きっぱり言って、多過ぎです。 種の維持という面からも、文明の発展に必要な規模という観点からも、こんなには要りません。 丼判断ですが、全世界で10億人くらいを仮目標にして、少しずつ減らしていくべきだと思います。 いや、無理は言わないとして、30億でも、50億でもいいです。 とにか、減らす方向へと舵を切ってもらいたい。
呆れ果てるのは、これだけ、環境破壊が重大問題化しているにも拘らず、未だに人口を増やそうと努力している国がある事です。 最も身近な所にも一国あって、≪少子化問題担当相≫などという肩書きを持った閣僚までいますが、どういうつもりで、まだ増やせるなどと考えているのか、全く気が知れません。
「経済成長を維持するために、人口の増加が必要」という考え方そのものが間違っているのであって、大方、高度経済成長時代の右肩上がりパターンを、永遠普遍の原理とでも信じ込んでいるのでしょう。 政治家のみならず、経済学者でも、そういう事を平気で口にする人がいますが、とんだ思い違いです。 永遠に成長し続けるものなど、全宇宙を探しても、存在しません。
これは速度と加速度の区別がつかないアホ中学生と同じです。 速度が必要とされているのに、加速度を維持しなければならないと思い込み、目を血走らせ、額に青筋立て、折れるくらい歯を食いしばって、必死に自転車を漕いでいる中学生の姿を思い浮かべてみるといいです。 説明するのも馬鹿馬鹿しい事ながら、一定速度を維持するのは可能ですが、一定加速度を維持し続けるのは、恒星間宇宙船でも不可能です。
北欧やフランス辺りでも、「少子化対策の努力の甲斐あって、人口増加率が上向いた」などと喜んでおり、また、日本の政治家や学者が、それを手本にするように主張したりしていますが、もう、豆っ頁痛くなって来ます。 だからよー、人間増やして、何かいい事があるのかよ? 破滅へ向かってまっしぐらなのが、分からんかなあ?
話を環境問題という高尚なレベルにまで上げなくても、日常感覚的に、ぞっとする事はありませんか? 私は、よく自転車で路上観察に出掛けますが、新興住宅地などに迷い込んだ時、一戸建て住宅がずらりと並んでいて、どこまで行っても、その景色が続くのを見ると、だんだん怖くなって来ます。 それらの家、一軒一軒に、2~4人程度の人間が住んでいて、それら全ての人々が、飯を食い、物を買い、車やら電車やらに乗り、資源とエネルギーをザブザブ使って暮らしているのです。 これだけの人間を生きさせるために、どれだけ、自然に負担を掛けてるかと思うと、頭がくらくらして来ます。
馬鹿な人間というのは、いつの時代にもいますが、現代において、最も憎むべき馬鹿というのは、子供を三人以上作っている夫婦でしょう。 単純計算して、二人までなら、人口は増えませんが、三人以上作れば、増えて行くのは、よほどのアホでも分かる事。 産婦人科医が減っている問題を取り上げた報道番組などで、そういう子沢山の母親がインタビューされたりすると、言う事が凄い。
「少子化が問題になっているので、たくさん産みたいと思っているんですが、そのためには、安心して産める環境を整えてもらわないと困りますね」
この馬鹿、少子化問題の解決に自分が貢献していると思って、≪社会の恩人≫にでもなったつもりでいやがるのです。 少子化などより、自然環境の破壊の方が、遥かに重大なのですが、そんなこと考えた事も無いのでしょう。 もう、馬鹿で、馬鹿で・・・。 傍から見れば、他人のガキが増えて、いい事なんて、何もありません。 ただ、喧しく、鬱陶しく、邪魔なだけ。 「子供をたくさん作りました。 誉めて下さい。 えへへへへ」 まったく、馬鹿面が目に浮かぶようだぜ。
テレビ東京の番組に、≪空から日本を見てみよう≫というのがあり、ヘリコプターで上空から見た景色が延々と映し出されますが、平地ばかりか、山の中にまで、住宅が喰い込んでいるのを見ると、人間の所業のあまりの醜さに、吐き気すら覚えます。 人口に対して、住宅数は余っているというのに、なんで、わざわざ、森林を切り開いてまで、山の中に住もうとするのか? ほんの数十坪の敷地であっても、森林や藪、草地ならば、数えきれないほどの生物を養っているのを知らないんですかね? 宅地にしてしまったら、ゴキブリとシロアリと人間しか棲めません。
国や自治体の態度も問題で、開発許可さえ出さなければ、そんな事にはならないと思うのですが、一体どういうつもりなんだか。 環境保全なんて、どこか遠くの国の希少生物が住んでいる地域の事だと思ってるんじゃないですか? そんなこた無いですよ。 あなたの家の近所の空き地ですら、無限に近い微生物、膨大な数の虫、数百羽の鳥、数十匹の哺乳類や爬虫類、両生類が棲んでいます。 見えないだけ。 見ようとしないだけ。
彼らは掛け値無しに、自然そのものです。 環境を維持している、掛け替えの無いパートです。 彼らの生息域が、どんなに広がっても、決して自然を破壊しませんが、人間はそうではありません。 極端な事を言うと、人間が何をしても、ほとんど全ての行為が、自然破壊につながります。 死ぬ事くらいですかね、自然なのは。 それすら、火葬という不自然な処理をして、空気を汚していますが。
よしんば、人類の文明に特殊な価値があるとしても、人間が山の中に家を建てる事に、何か、文明的にプラスの意味がありますかね? 「マイホームを手に入れて、ささやかな幸せを」? そんなの、平地にある既存の住宅地でもできる事でしょう。 「避暑用に別荘を」? たわけた事を抜かすな。 そんな下らない事のために、自然を破壊したというのか? 恥を知れ。 大体、別荘を手に入れて、お前、幸福を感じたか? 無くても何の問題無い物を欲しがる事自体、何を欲しがっているのか見失っている証拠ではないか。
そういえば、ゴルフ場も、どうしようもないねえ。 ネット地図を、写真に切り替えて、ゴルフ場を見てみると、自分の背中を、先の尖った熊手で、ざっくり引き裂かれたような痛みを感じます。 あれが、たかが遊びのために作られていると思うと、気が遠くなる。 おそらく、人間の営みの中で、最も自然破壊度が大きい所業でしょう。
私は、ゴルフというスポーツが、いずれ、全面禁止になると思っていますが、今夢中でやっている人達には、そんな予測は戯言としか思えないでしょうな。 だーから、一度、ネット地図の写真で見てみろって。 どれだけ広い面積の自然をぶち壊しているか分かるから。 そんなにまでしてやるような事なのかね、スポーツというのは? 根本的なところで、間違っているのではないかね?
こう見てくると、人間というのが、嫌になって来るでしょう? 全く、醜い。 時代劇ヒーローの決めセリフの中に、「この蛆虫どもが!」とか、「町のダニどもが!」といったフレーズが出て来ますが、あれは、蛆虫やダニに失礼というものでしょう。 どちらも、自然破壊のような破滅的悪行はしませんからねえ。 「この人間どもが!」と言われるのが、悪党にとっても、一番屈辱的なのでは?
もし私が、全知全能の神で、この世の造り主であれば、ノアに箱舟を作らせ、全ての動物を乗せさせた上で、ノア一家には乗らないように言いますが、神ならぬ人の身であれば、そうも行きません。 で、妥協の産物として出て来るのが、「人口を減らせ」という線なのです。
「死ね」と言われれば、「ふざけんな」と反発するのは、生物として当然ですが、「子供の数を二人以下にしろ」くらいなら、極端な馬鹿を除いて、大抵の人が実行できるでしょう。 その方が、あなた達の為でもあるし、あなた達の子供の為にもなります。 子供がたくさんいたって、食料の取り合いで命の遣り取りをするような世の中になってしまったのでは、元も子も無いではありませんか。
最後になりましたが、人間が嫌になった事と、人間がサルに見えて来た事に、どんな関係があるか、引っ掛かった人もいる事でしょう。 それは、私が個人的に、サルが嫌いだからです。 大概の動物は好きですが、サルだけは好きになれません。 人間に近いというのが、最大の理由です。 知的生命体の予備軍だという点も、油断なりません。 人類が滅びても、サルがすぐに進化して、次の人間になってしまったのでは、自然破壊は止まりませんからのう。
三年くらい前から、動物関連の本を読んで来たのですが、読めば読むほど、人間の活動が、野生生物を圧迫している事が分かって、げんなりしてしまいました。 もはや、保護とか愛護とか、そういうレベルで対応できる問題ではなく、人間の数の増加や、エネルギー使用量の増大そのものに原因があり、自然を残したかったら、人間を減らす以外に方法は無いと確信するに至りました。
言わずと知れた事ながら、「減らす」と言っても、「今生きている人間を、殺せ」などと過激な事を主張しているわけではないのであって、「これ以上、増やさない事で、結果的に減らす方向へ持っていくべきだ」と言っているのです。 頭の狂った連中に誤解されないように、くどく断っておきますが、「殺す」のには、全面的に反対です。
人類の人口は、そろそろ、70億の大台に乗るらしいですが、もう充分でしょう。 はっきり、きっぱり言って、多過ぎです。 種の維持という面からも、文明の発展に必要な規模という観点からも、こんなには要りません。 丼判断ですが、全世界で10億人くらいを仮目標にして、少しずつ減らしていくべきだと思います。 いや、無理は言わないとして、30億でも、50億でもいいです。 とにか、減らす方向へと舵を切ってもらいたい。
呆れ果てるのは、これだけ、環境破壊が重大問題化しているにも拘らず、未だに人口を増やそうと努力している国がある事です。 最も身近な所にも一国あって、≪少子化問題担当相≫などという肩書きを持った閣僚までいますが、どういうつもりで、まだ増やせるなどと考えているのか、全く気が知れません。
「経済成長を維持するために、人口の増加が必要」という考え方そのものが間違っているのであって、大方、高度経済成長時代の右肩上がりパターンを、永遠普遍の原理とでも信じ込んでいるのでしょう。 政治家のみならず、経済学者でも、そういう事を平気で口にする人がいますが、とんだ思い違いです。 永遠に成長し続けるものなど、全宇宙を探しても、存在しません。
これは速度と加速度の区別がつかないアホ中学生と同じです。 速度が必要とされているのに、加速度を維持しなければならないと思い込み、目を血走らせ、額に青筋立て、折れるくらい歯を食いしばって、必死に自転車を漕いでいる中学生の姿を思い浮かべてみるといいです。 説明するのも馬鹿馬鹿しい事ながら、一定速度を維持するのは可能ですが、一定加速度を維持し続けるのは、恒星間宇宙船でも不可能です。
北欧やフランス辺りでも、「少子化対策の努力の甲斐あって、人口増加率が上向いた」などと喜んでおり、また、日本の政治家や学者が、それを手本にするように主張したりしていますが、もう、豆っ頁痛くなって来ます。 だからよー、人間増やして、何かいい事があるのかよ? 破滅へ向かってまっしぐらなのが、分からんかなあ?
話を環境問題という高尚なレベルにまで上げなくても、日常感覚的に、ぞっとする事はありませんか? 私は、よく自転車で路上観察に出掛けますが、新興住宅地などに迷い込んだ時、一戸建て住宅がずらりと並んでいて、どこまで行っても、その景色が続くのを見ると、だんだん怖くなって来ます。 それらの家、一軒一軒に、2~4人程度の人間が住んでいて、それら全ての人々が、飯を食い、物を買い、車やら電車やらに乗り、資源とエネルギーをザブザブ使って暮らしているのです。 これだけの人間を生きさせるために、どれだけ、自然に負担を掛けてるかと思うと、頭がくらくらして来ます。
馬鹿な人間というのは、いつの時代にもいますが、現代において、最も憎むべき馬鹿というのは、子供を三人以上作っている夫婦でしょう。 単純計算して、二人までなら、人口は増えませんが、三人以上作れば、増えて行くのは、よほどのアホでも分かる事。 産婦人科医が減っている問題を取り上げた報道番組などで、そういう子沢山の母親がインタビューされたりすると、言う事が凄い。
「少子化が問題になっているので、たくさん産みたいと思っているんですが、そのためには、安心して産める環境を整えてもらわないと困りますね」
この馬鹿、少子化問題の解決に自分が貢献していると思って、≪社会の恩人≫にでもなったつもりでいやがるのです。 少子化などより、自然環境の破壊の方が、遥かに重大なのですが、そんなこと考えた事も無いのでしょう。 もう、馬鹿で、馬鹿で・・・。 傍から見れば、他人のガキが増えて、いい事なんて、何もありません。 ただ、喧しく、鬱陶しく、邪魔なだけ。 「子供をたくさん作りました。 誉めて下さい。 えへへへへ」 まったく、馬鹿面が目に浮かぶようだぜ。
テレビ東京の番組に、≪空から日本を見てみよう≫というのがあり、ヘリコプターで上空から見た景色が延々と映し出されますが、平地ばかりか、山の中にまで、住宅が喰い込んでいるのを見ると、人間の所業のあまりの醜さに、吐き気すら覚えます。 人口に対して、住宅数は余っているというのに、なんで、わざわざ、森林を切り開いてまで、山の中に住もうとするのか? ほんの数十坪の敷地であっても、森林や藪、草地ならば、数えきれないほどの生物を養っているのを知らないんですかね? 宅地にしてしまったら、ゴキブリとシロアリと人間しか棲めません。
国や自治体の態度も問題で、開発許可さえ出さなければ、そんな事にはならないと思うのですが、一体どういうつもりなんだか。 環境保全なんて、どこか遠くの国の希少生物が住んでいる地域の事だと思ってるんじゃないですか? そんなこた無いですよ。 あなたの家の近所の空き地ですら、無限に近い微生物、膨大な数の虫、数百羽の鳥、数十匹の哺乳類や爬虫類、両生類が棲んでいます。 見えないだけ。 見ようとしないだけ。
彼らは掛け値無しに、自然そのものです。 環境を維持している、掛け替えの無いパートです。 彼らの生息域が、どんなに広がっても、決して自然を破壊しませんが、人間はそうではありません。 極端な事を言うと、人間が何をしても、ほとんど全ての行為が、自然破壊につながります。 死ぬ事くらいですかね、自然なのは。 それすら、火葬という不自然な処理をして、空気を汚していますが。
よしんば、人類の文明に特殊な価値があるとしても、人間が山の中に家を建てる事に、何か、文明的にプラスの意味がありますかね? 「マイホームを手に入れて、ささやかな幸せを」? そんなの、平地にある既存の住宅地でもできる事でしょう。 「避暑用に別荘を」? たわけた事を抜かすな。 そんな下らない事のために、自然を破壊したというのか? 恥を知れ。 大体、別荘を手に入れて、お前、幸福を感じたか? 無くても何の問題無い物を欲しがる事自体、何を欲しがっているのか見失っている証拠ではないか。
そういえば、ゴルフ場も、どうしようもないねえ。 ネット地図を、写真に切り替えて、ゴルフ場を見てみると、自分の背中を、先の尖った熊手で、ざっくり引き裂かれたような痛みを感じます。 あれが、たかが遊びのために作られていると思うと、気が遠くなる。 おそらく、人間の営みの中で、最も自然破壊度が大きい所業でしょう。
私は、ゴルフというスポーツが、いずれ、全面禁止になると思っていますが、今夢中でやっている人達には、そんな予測は戯言としか思えないでしょうな。 だーから、一度、ネット地図の写真で見てみろって。 どれだけ広い面積の自然をぶち壊しているか分かるから。 そんなにまでしてやるような事なのかね、スポーツというのは? 根本的なところで、間違っているのではないかね?
こう見てくると、人間というのが、嫌になって来るでしょう? 全く、醜い。 時代劇ヒーローの決めセリフの中に、「この蛆虫どもが!」とか、「町のダニどもが!」といったフレーズが出て来ますが、あれは、蛆虫やダニに失礼というものでしょう。 どちらも、自然破壊のような破滅的悪行はしませんからねえ。 「この人間どもが!」と言われるのが、悪党にとっても、一番屈辱的なのでは?
もし私が、全知全能の神で、この世の造り主であれば、ノアに箱舟を作らせ、全ての動物を乗せさせた上で、ノア一家には乗らないように言いますが、神ならぬ人の身であれば、そうも行きません。 で、妥協の産物として出て来るのが、「人口を減らせ」という線なのです。
「死ね」と言われれば、「ふざけんな」と反発するのは、生物として当然ですが、「子供の数を二人以下にしろ」くらいなら、極端な馬鹿を除いて、大抵の人が実行できるでしょう。 その方が、あなた達の為でもあるし、あなた達の子供の為にもなります。 子供がたくさんいたって、食料の取り合いで命の遣り取りをするような世の中になってしまったのでは、元も子も無いではありませんか。
最後になりましたが、人間が嫌になった事と、人間がサルに見えて来た事に、どんな関係があるか、引っ掛かった人もいる事でしょう。 それは、私が個人的に、サルが嫌いだからです。 大概の動物は好きですが、サルだけは好きになれません。 人間に近いというのが、最大の理由です。 知的生命体の予備軍だという点も、油断なりません。 人類が滅びても、サルがすぐに進化して、次の人間になってしまったのでは、自然破壊は止まりませんからのう。
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