読破・森見登美彦作品①
岩手に行く前ですから、もう去年の夏頃の事になりますが、フジテレビの深夜アニメで、≪四畳半神話大系≫というのをやってました。 これが、かなり変わった作品で、いろいろと賞も獲ったらしいのですが、私の好みにも合致し、今でも、録画したものを時折見返しています。
原作者は、森見登美彦さんで、当代の人気作家だとの事。 で、沼津の図書館にも一通り、著作が揃っていたものですから、借りて来て読んでみました。 今風の小説で、大変読み易く、一気に読破したという感じです。 人気作家だけあって、常にどれかが借りられており、発刊順に読むというわけには行きませんでした。 私が読んだ順の紹介になる点は、あしからず。
≪四畳半神話大系≫
京都、下鴨神社に程近い、≪幽水荘≫の四畳半に下宿し、京都大学農学部に通う当年三回生の青年が主人公。 サークル選びに失敗した上に、不気味な友人に付き纏われて、二年間を棒に振っては、後悔する話。
SFアイデアの、パラレル・ワールドの仕掛けが施してあって、二年前の入学直後に戻って、サークル選びからやり直すパターンが、章ごとに4回繰り返されます。 ちなみに、アニメの方では、10回くらい繰り返されます。 といって、べたべたのSF小説というわけではなく、それぞれの章に於ける主人公の物語は独立しており、一章ごとに読めば、純粋な青春小説としか言いようがありません。
最終章で、それらの物語がパラレル・ワールドである事が明かされ、全ての章に共通して出て来る、≪蛾の大群≫の謎が解けて、話全体が一つになります。 実に鮮やかな纏め方で、作者の力量が高さに感服します。 青春小説で、こういう複雑な構成を取っている作品は、滅多に無いのではありますまいか。
400ページもありますが、実際のボリュームは、160ページ分くらいしかありません。 なぜかというと、各章の物語が、多くのエピソードを共有しているからで、大体8割くらいは同じ事が書いてあるので、第一章だけ100ページ通して読んでしまえば、残りの三章で新たに読まなければならない部分は、それぞれ20ページ分に過ぎず、全部足すと160ページ分にしかならないという計算。 その上、文章のノリがいいので、読書人なら、あっという間に読み終わります。
京都ローカルのネタが満載されていて、その雰囲気を味わうだけでも、楽しい気分になります。 シャーロック・ホームズのロンドンみたいに、小説の舞台になっている土地への憧れが湧いて来るのです。 作者は奈良県出身だそうですが、大学時代以来、京都在住だそうで、もう心底、京都に惚れ込んでいるという感じ。 これだけ、京都色の濃厚な小説を書く人も他にいないでしょう。 そういえば、アニメの方は、京都府や下鴨神社が制作協力していました。
写真の本は図書館から借りて来たので、旧版なのですが、アニメ化に伴い、カバー・イラストが、中村佑介さんの絵に変更されました。 中村佑介さんは、アニメの方のキャラクター原案者です。 今、本屋へ行くと、旧版と新版が入り混じっています。
≪【新釈】走れメロス 他四篇≫
森見登美彦さんの短編小説集。 なんですが、完全オリジナルではなく、日本の過去の名作短編を元にして、森見さん風に書き換えたもの。 元になっている短編は、
≪山月記≫ 中島敦
≪藪の中≫ 芥川龍之介
≪走れメロス≫ 太宰治
≪桜の森の満開の下≫ 坂口安吾
≪百物語≫ 森鴎外
の、五編です。 私は、≪桜の森の満開の下≫と≪百物語≫を読んだ事が無かったので、家にある日本文学全集から、坂口安吾と森鴎外を引っ張り出して、読んでみました。 元の作品が分からないと、どういう風に書き換えたかも分かりませんからのう。 ちなみに、書き換えた作品も、題名は全く同じなので、紛らわしいです。 題名の前に、【新釈】を入れて、区別する事にします。
すべての【新釈】版に共通する特徴として、舞台は現代の京都に、登場人物は、京都大学の学生と、その卒業生に置き換えられています。 ≪四畳半神話大系≫に出て来たのと、ほぼ同じ人物も多数登場します。 ただし、名前は変わっていますし、役所も違うので、作品ごとに、新しいキャラとして、リセットして読む必要があります。
【新釈・山月記】
自分を天才小説家と見做し、常に、「大作を執筆中」と言って、周囲の者達を凡人扱いししつつ、それなりの尊敬も受けていた男が、大学に何年も留年した挙句、自分の才能に疑問を抱いて、何も書けなくなってしまい、山に入って天狗となる話。 パロディーではなく、原作のテーマはそのまま、現代風に書き換えたものですな。
【新釈・藪の中】
映画サークルに属する天才肌の男が、自分の彼女と、その元彼を起用して、別れた恋人同士がよりを戻す映画を撮る話。 ≪藪の中≫の書き換えなので、多くの人間が、いろいろな証言をして、映画を作った三人がそれぞれどういうつもりだったかを語って行くのですが、別に誰が死ぬというわけでもないせいか、≪藪の中≫ほど緊張感も無ければ、事件の焦点もはっきりしません。 読んでいて、ちょっと恥ずかしくなるような話です。
【新釈・走れメロス】
表題作になっているだけあって、これが最も面白いです。 この一遍だけは、原典の完璧なパロディーになっています。 ≪詭弁論部≫に属する男が、各サークルに隠然たる支配権を持つ組織、≪図書館警察≫に反発した結果、ピンクのブリーフを穿いて公衆の面前で踊らなければならなくなります。 「姉の結婚式に出席したい」と言って、身代わりに友人を差し出し、一日の猶予を貰うものの、もとより姉などいないのであって、戻るつもりはさらさら無く、何とか連れ戻そうとする図書館警察一味と、京都の街を追いかけっこして回る話。
逃げる男の屈折した心理もさる事ながら、追いかける側の張り巡らす罠が巧妙にして馬鹿馬鹿しく、借り物競争の女とか、昔惚れていた女とか、あっと驚く仕掛けが施されていて、大いに笑えます。
【新釈・桜の森の満開の下】
これは、知らない人の方が多いと思うので、原典の方から説明しましょう。 平安時代、桜の森に恐怖を感じていた山賊の男が、ある美しい女をさらって以降、その女の言いなりになってしまいます。 都に引っ越して、強盗殺人を繰り返しては、女の遊び道具として人間の生首を持ち帰るものの、やがて、そんな生活に嫌気が差し、桜の森を見たくなって、故郷の山に帰って行くという話です。
【新釈】の方は、これを現代の京都に住む小説家志望の大学生に置き換えています。 ある女と出会って、その女のアドバイスに従う事で、小説が売れ出し、東京へ引っ越して、成功を手にするものの、自分のために書いているのか、女のために書いているのか分からなくなり、結局、京都へ帰って行くという話。 原典の殺伐とした所が無くなっているため、むしろ、テーマがはっきりしたように感じられます。
【新釈・百物語】
これは、原典とほとんど変わりません。 ただ、時代と場所を置き換えただけ。 原典にしてからが、題名から期待されるような怪談話ではなく、単に、百物語の催しに出かけて行った主人公が、興が乗らず、飯だけ食って帰って来るという話なんですが、【新釈】の方も、全く同じです。
全部で216ページですが、文章のノリがいいため、一日あれば読めます。 どうも、最近の小説は、読み易くなければ買って貰えないようですな。 私だったら、一日で読めてしまうものに、1400円は払いませんが。 だけど、図書館で借りて読む分には、面白い本だと思います。
≪きつねのはなし≫
森見登美彦さんの短編小説集。 四話収録されています。 例によって、現代の京都が舞台で、大学生が主人公ですが、パロディーでもコメディーでもなく、古風な雰囲気に満ちた奇譚です。 奇譚と言われてもピンと来ないと思いますが、怪談というには、怖さを追求しているわけではないので、結局、奇譚としか表現しようがありません。 芥川龍之介の短編に、どことなく似ています。 四話それぞれ独立した話ですが、胴の長い獣や、骨董屋に関る登場人物など、モチーフの一部を共有しています。
【きつねのはなし】
表題作。 若い女主人が経営する骨董屋でバイトをしている青年が、大きな屋敷に住む得体の知れぬ客に、小さな借りを作ってしまった事から、いわくのある狐の面を始め、自分の大切な物を、次第に奪われて行く話。
雰囲気主導の話でして、ストーリーの構成は、お世辞にも緻密とは言えません。 伏線を張ってあるように見えて、結局活かさずじまいになる、≪伏線もどき≫も多く見られ、作者が行き当たりばったりで、話を継ぎ足して行ったのが分かります。 ただ、それが、謎めいた雰囲気を増幅している面もあり、必ずしも、欠点というわけではないです。
【果実の中の龍】
風変わりな経験談を魅力的に語るのが巧い先輩と、彼に傾倒した青年の交友記。 途中で先輩の秘密が明かされて、「あっ! そういう話なのか!」と、青年よりも、読者の方がショックを受けます。 どういう秘密か書いてしまうと面白さが半減するので、書きたいけれど、やめておきます。 気になったら、作品を読むべし。
これは、構成主導です。 森見さんの作品には、行き当たりばったりで書いたような話が多いですが、決して、物語の構成能力が低いわけではなく、その気になれば、いくらでも読者を驚かす話を作れるようです。 能ある鷹は爪を隠しているんですな。
【魔】
夜な夜な、通りで人を襲う正体不明の獣を、幼い頃からその獣と因縁のある高校生三人が退治しようする話。 ・・・なんですが、主人公は、その三人ではなく、その中の一人の、弟の、家庭教師に来ている大学生という、何とも凝った設定。 森見作品特有の、間接的に事の経緯を語らせる手法を取るために、このような設定になっている模様。 推理小説でよく使われる、≪叙述トリック≫も用いられています。
「いずれ飼えなくなる生き物だから、小さい内に殺してしまおう」という三人の発想は、道徳的に感心しませんが、この三人は主人公ではないため、善悪バランスが辛うじて保たれています。 もし、ラストの後に、謎解きのような場面を入れてしまったら、そのバランスは、あえなく崩れてしまったでしょう。 どちらが善とも、どちらが悪とも決めずに終わらせてあるところは、よく言えば、巧み、悪く言えば、綱渡り的に危ういです。
文弱イメージが強い森見作品の中では珍しく、剣道のアクションが見せ場になっており、迫力あるクライマックスを作る事に成功しています。 中程に、高校生同士の剣道の試合場面が入っていますが、ラストでの戦いが唐突にならないよう、前座のような役割を担わせているんですな。 見事な構成力だと思います。
【水神】
祖父の通夜に参列するため、古い屋敷にやって来た青年が、父や伯父達の昔語りを聞きながら、一族の開祖から曽祖父まで伝わっていた、屋敷の秘密に近づいていく話。 琵琶湖疎水の開鑿工事と水神を絡めてあるのですが、近代と鬼神伝承の組み合わせには、荒俣宏さんの≪帝都物語≫のような、独特の不気味さがあります。
真夜中になって、骨董屋が祖父からの預かり物を届けに来る辺りまでは、ぞくぞくするほど怖いのですが、ラストの水の暴れ方が、少々大人し過ぎで、どうせやるなら、屋敷を谷合いにある設定にしておいて、全部水の底にしてしまった方が面白くなったような気がせんでもなし。
≪美女と竹林≫
これは、小説というより、連続物のエッセイなんですが、一部にフィクションも含まれており、全体としては、創作作品に近くなっています。 作者当人は、≪妄想エッセイ≫と書いていますが、さすが、的確に言い当ててますな。
雑誌にエッセイを連載する話が決まったものの、何を書いていいか分からない作者が、「とにかく、自分の好きな物を挙げてみよう」と思って書いたのが、≪美女≫と≪竹林≫の二つだった。 というきっかけから始まり、取材のために、職場の先輩の家が所有している竹林の整備をさせて貰う事にしたものの、作家と勤め人の二足の草鞋を履く作者の事とて、なかなか竹林に足を運ぶ時間が取れず、悪戦苦闘する話。
竹切りの助っ人を頼んだ友人が、よりによって、司法試験の勉強中の身というところが、すでに笑えます。 いくら忙しいからといって、自分よりも忙しい人に、なぜ頼む? 案の定、その友人は途中から来れなくなってしまうのですが、その代わりに、雑誌の編集者をわざわざ東京から呼びつけて、竹を切らせる無体な作戦が、また凄い。 編集者というのは、原稿を書かせるためなら、竹まで切るんですねえ。
時折行なう竹林の整備だけではネタが足りないので、作者のこれまでの人生に於ける竹との関わりや、竹林整備事業の将来に対する大風呂敷な夢想などが織り交ぜられて、肉付けされています。 ただし、あくまで、≪妄想エッセイ≫なので、どれが本当で、どれが嘘なのか、読者サイドからは、全く見分けがつきません。
こういう作品形式があっても別に問題は無いと思う反面、エッセイに創作を混ぜ過ぎると、作者の人間としての信用が損なわれるのではないかと、心配にならぬでもなし。 恐らく、森見さんが将来、自伝のようなものを書いたとしても、誰も真実が書いてあるとは思ってくれないのではありますまいか。 狼少年現象ですな。
一方、美女の方ですが、これは看板倒れというか、羊頭狗肉でして、先に題名を決めてから書いたものの、何せ、基本的にはエッセイなので、そうそう都合よく、竹林に関わる形で美女が現れてくれるはずもなく、うっちゃらかしになります。 強いて言うなら、連載中に作者が対談した本上まなみさんが、美女といえば確かに美女ですが、対談内容が書かれているわけではないので、あまり期待しないように。
本上さんは作者が学生時代から憧れていた人だそうで、「いつか、直接会えるだろうか・・・」と淡く仄かに願っていたのに、作者があまりにも急激に有名になってしまったために、早々と対談が実現してしまい、心の準備が整わずに恐れ戦く様子が面白いです。
そういえば、もう一人、美女が登場します。 竹林の所有者の奥様で、時によって硬さの違うケーキを焼いて、竹林整備隊に差し入れをします。 この方が、雑誌に掲載されたイラストに対して、苦情を述べるのですが、その件りが、この作品の中で一番笑えます。 しっかし、描き直しても下手な絵ですな。
行き当たりばったりの展開で、一つの作品としての纏まりには欠けますが、文章のノリがいいので、退屈せずに、すいすい読み進められます。 ただし、「森見作品を、面白い順に薦めろ」と言われたら、この本はかなり後になると思います。 他が面白すぎるからです。
今回は、以上、四冊まで。 ≪四畳半神話大系≫を除けば、比較的地味な短編集ばかり、三冊続いてしまいましたが、なぜかというと、つまり、人気作品は、借り手が多くて、なかなか空かないからです。
原作者は、森見登美彦さんで、当代の人気作家だとの事。 で、沼津の図書館にも一通り、著作が揃っていたものですから、借りて来て読んでみました。 今風の小説で、大変読み易く、一気に読破したという感じです。 人気作家だけあって、常にどれかが借りられており、発刊順に読むというわけには行きませんでした。 私が読んだ順の紹介になる点は、あしからず。
≪四畳半神話大系≫
京都、下鴨神社に程近い、≪幽水荘≫の四畳半に下宿し、京都大学農学部に通う当年三回生の青年が主人公。 サークル選びに失敗した上に、不気味な友人に付き纏われて、二年間を棒に振っては、後悔する話。
SFアイデアの、パラレル・ワールドの仕掛けが施してあって、二年前の入学直後に戻って、サークル選びからやり直すパターンが、章ごとに4回繰り返されます。 ちなみに、アニメの方では、10回くらい繰り返されます。 といって、べたべたのSF小説というわけではなく、それぞれの章に於ける主人公の物語は独立しており、一章ごとに読めば、純粋な青春小説としか言いようがありません。
最終章で、それらの物語がパラレル・ワールドである事が明かされ、全ての章に共通して出て来る、≪蛾の大群≫の謎が解けて、話全体が一つになります。 実に鮮やかな纏め方で、作者の力量が高さに感服します。 青春小説で、こういう複雑な構成を取っている作品は、滅多に無いのではありますまいか。
400ページもありますが、実際のボリュームは、160ページ分くらいしかありません。 なぜかというと、各章の物語が、多くのエピソードを共有しているからで、大体8割くらいは同じ事が書いてあるので、第一章だけ100ページ通して読んでしまえば、残りの三章で新たに読まなければならない部分は、それぞれ20ページ分に過ぎず、全部足すと160ページ分にしかならないという計算。 その上、文章のノリがいいので、読書人なら、あっという間に読み終わります。
京都ローカルのネタが満載されていて、その雰囲気を味わうだけでも、楽しい気分になります。 シャーロック・ホームズのロンドンみたいに、小説の舞台になっている土地への憧れが湧いて来るのです。 作者は奈良県出身だそうですが、大学時代以来、京都在住だそうで、もう心底、京都に惚れ込んでいるという感じ。 これだけ、京都色の濃厚な小説を書く人も他にいないでしょう。 そういえば、アニメの方は、京都府や下鴨神社が制作協力していました。
写真の本は図書館から借りて来たので、旧版なのですが、アニメ化に伴い、カバー・イラストが、中村佑介さんの絵に変更されました。 中村佑介さんは、アニメの方のキャラクター原案者です。 今、本屋へ行くと、旧版と新版が入り混じっています。
≪【新釈】走れメロス 他四篇≫
森見登美彦さんの短編小説集。 なんですが、完全オリジナルではなく、日本の過去の名作短編を元にして、森見さん風に書き換えたもの。 元になっている短編は、
≪山月記≫ 中島敦
≪藪の中≫ 芥川龍之介
≪走れメロス≫ 太宰治
≪桜の森の満開の下≫ 坂口安吾
≪百物語≫ 森鴎外
の、五編です。 私は、≪桜の森の満開の下≫と≪百物語≫を読んだ事が無かったので、家にある日本文学全集から、坂口安吾と森鴎外を引っ張り出して、読んでみました。 元の作品が分からないと、どういう風に書き換えたかも分かりませんからのう。 ちなみに、書き換えた作品も、題名は全く同じなので、紛らわしいです。 題名の前に、【新釈】を入れて、区別する事にします。
すべての【新釈】版に共通する特徴として、舞台は現代の京都に、登場人物は、京都大学の学生と、その卒業生に置き換えられています。 ≪四畳半神話大系≫に出て来たのと、ほぼ同じ人物も多数登場します。 ただし、名前は変わっていますし、役所も違うので、作品ごとに、新しいキャラとして、リセットして読む必要があります。
【新釈・山月記】
自分を天才小説家と見做し、常に、「大作を執筆中」と言って、周囲の者達を凡人扱いししつつ、それなりの尊敬も受けていた男が、大学に何年も留年した挙句、自分の才能に疑問を抱いて、何も書けなくなってしまい、山に入って天狗となる話。 パロディーではなく、原作のテーマはそのまま、現代風に書き換えたものですな。
【新釈・藪の中】
映画サークルに属する天才肌の男が、自分の彼女と、その元彼を起用して、別れた恋人同士がよりを戻す映画を撮る話。 ≪藪の中≫の書き換えなので、多くの人間が、いろいろな証言をして、映画を作った三人がそれぞれどういうつもりだったかを語って行くのですが、別に誰が死ぬというわけでもないせいか、≪藪の中≫ほど緊張感も無ければ、事件の焦点もはっきりしません。 読んでいて、ちょっと恥ずかしくなるような話です。
【新釈・走れメロス】
表題作になっているだけあって、これが最も面白いです。 この一遍だけは、原典の完璧なパロディーになっています。 ≪詭弁論部≫に属する男が、各サークルに隠然たる支配権を持つ組織、≪図書館警察≫に反発した結果、ピンクのブリーフを穿いて公衆の面前で踊らなければならなくなります。 「姉の結婚式に出席したい」と言って、身代わりに友人を差し出し、一日の猶予を貰うものの、もとより姉などいないのであって、戻るつもりはさらさら無く、何とか連れ戻そうとする図書館警察一味と、京都の街を追いかけっこして回る話。
逃げる男の屈折した心理もさる事ながら、追いかける側の張り巡らす罠が巧妙にして馬鹿馬鹿しく、借り物競争の女とか、昔惚れていた女とか、あっと驚く仕掛けが施されていて、大いに笑えます。
【新釈・桜の森の満開の下】
これは、知らない人の方が多いと思うので、原典の方から説明しましょう。 平安時代、桜の森に恐怖を感じていた山賊の男が、ある美しい女をさらって以降、その女の言いなりになってしまいます。 都に引っ越して、強盗殺人を繰り返しては、女の遊び道具として人間の生首を持ち帰るものの、やがて、そんな生活に嫌気が差し、桜の森を見たくなって、故郷の山に帰って行くという話です。
【新釈】の方は、これを現代の京都に住む小説家志望の大学生に置き換えています。 ある女と出会って、その女のアドバイスに従う事で、小説が売れ出し、東京へ引っ越して、成功を手にするものの、自分のために書いているのか、女のために書いているのか分からなくなり、結局、京都へ帰って行くという話。 原典の殺伐とした所が無くなっているため、むしろ、テーマがはっきりしたように感じられます。
【新釈・百物語】
これは、原典とほとんど変わりません。 ただ、時代と場所を置き換えただけ。 原典にしてからが、題名から期待されるような怪談話ではなく、単に、百物語の催しに出かけて行った主人公が、興が乗らず、飯だけ食って帰って来るという話なんですが、【新釈】の方も、全く同じです。
全部で216ページですが、文章のノリがいいため、一日あれば読めます。 どうも、最近の小説は、読み易くなければ買って貰えないようですな。 私だったら、一日で読めてしまうものに、1400円は払いませんが。 だけど、図書館で借りて読む分には、面白い本だと思います。
≪きつねのはなし≫
森見登美彦さんの短編小説集。 四話収録されています。 例によって、現代の京都が舞台で、大学生が主人公ですが、パロディーでもコメディーでもなく、古風な雰囲気に満ちた奇譚です。 奇譚と言われてもピンと来ないと思いますが、怪談というには、怖さを追求しているわけではないので、結局、奇譚としか表現しようがありません。 芥川龍之介の短編に、どことなく似ています。 四話それぞれ独立した話ですが、胴の長い獣や、骨董屋に関る登場人物など、モチーフの一部を共有しています。
【きつねのはなし】
表題作。 若い女主人が経営する骨董屋でバイトをしている青年が、大きな屋敷に住む得体の知れぬ客に、小さな借りを作ってしまった事から、いわくのある狐の面を始め、自分の大切な物を、次第に奪われて行く話。
雰囲気主導の話でして、ストーリーの構成は、お世辞にも緻密とは言えません。 伏線を張ってあるように見えて、結局活かさずじまいになる、≪伏線もどき≫も多く見られ、作者が行き当たりばったりで、話を継ぎ足して行ったのが分かります。 ただ、それが、謎めいた雰囲気を増幅している面もあり、必ずしも、欠点というわけではないです。
【果実の中の龍】
風変わりな経験談を魅力的に語るのが巧い先輩と、彼に傾倒した青年の交友記。 途中で先輩の秘密が明かされて、「あっ! そういう話なのか!」と、青年よりも、読者の方がショックを受けます。 どういう秘密か書いてしまうと面白さが半減するので、書きたいけれど、やめておきます。 気になったら、作品を読むべし。
これは、構成主導です。 森見さんの作品には、行き当たりばったりで書いたような話が多いですが、決して、物語の構成能力が低いわけではなく、その気になれば、いくらでも読者を驚かす話を作れるようです。 能ある鷹は爪を隠しているんですな。
【魔】
夜な夜な、通りで人を襲う正体不明の獣を、幼い頃からその獣と因縁のある高校生三人が退治しようする話。 ・・・なんですが、主人公は、その三人ではなく、その中の一人の、弟の、家庭教師に来ている大学生という、何とも凝った設定。 森見作品特有の、間接的に事の経緯を語らせる手法を取るために、このような設定になっている模様。 推理小説でよく使われる、≪叙述トリック≫も用いられています。
「いずれ飼えなくなる生き物だから、小さい内に殺してしまおう」という三人の発想は、道徳的に感心しませんが、この三人は主人公ではないため、善悪バランスが辛うじて保たれています。 もし、ラストの後に、謎解きのような場面を入れてしまったら、そのバランスは、あえなく崩れてしまったでしょう。 どちらが善とも、どちらが悪とも決めずに終わらせてあるところは、よく言えば、巧み、悪く言えば、綱渡り的に危ういです。
文弱イメージが強い森見作品の中では珍しく、剣道のアクションが見せ場になっており、迫力あるクライマックスを作る事に成功しています。 中程に、高校生同士の剣道の試合場面が入っていますが、ラストでの戦いが唐突にならないよう、前座のような役割を担わせているんですな。 見事な構成力だと思います。
【水神】
祖父の通夜に参列するため、古い屋敷にやって来た青年が、父や伯父達の昔語りを聞きながら、一族の開祖から曽祖父まで伝わっていた、屋敷の秘密に近づいていく話。 琵琶湖疎水の開鑿工事と水神を絡めてあるのですが、近代と鬼神伝承の組み合わせには、荒俣宏さんの≪帝都物語≫のような、独特の不気味さがあります。
真夜中になって、骨董屋が祖父からの預かり物を届けに来る辺りまでは、ぞくぞくするほど怖いのですが、ラストの水の暴れ方が、少々大人し過ぎで、どうせやるなら、屋敷を谷合いにある設定にしておいて、全部水の底にしてしまった方が面白くなったような気がせんでもなし。
≪美女と竹林≫
これは、小説というより、連続物のエッセイなんですが、一部にフィクションも含まれており、全体としては、創作作品に近くなっています。 作者当人は、≪妄想エッセイ≫と書いていますが、さすが、的確に言い当ててますな。
雑誌にエッセイを連載する話が決まったものの、何を書いていいか分からない作者が、「とにかく、自分の好きな物を挙げてみよう」と思って書いたのが、≪美女≫と≪竹林≫の二つだった。 というきっかけから始まり、取材のために、職場の先輩の家が所有している竹林の整備をさせて貰う事にしたものの、作家と勤め人の二足の草鞋を履く作者の事とて、なかなか竹林に足を運ぶ時間が取れず、悪戦苦闘する話。
竹切りの助っ人を頼んだ友人が、よりによって、司法試験の勉強中の身というところが、すでに笑えます。 いくら忙しいからといって、自分よりも忙しい人に、なぜ頼む? 案の定、その友人は途中から来れなくなってしまうのですが、その代わりに、雑誌の編集者をわざわざ東京から呼びつけて、竹を切らせる無体な作戦が、また凄い。 編集者というのは、原稿を書かせるためなら、竹まで切るんですねえ。
時折行なう竹林の整備だけではネタが足りないので、作者のこれまでの人生に於ける竹との関わりや、竹林整備事業の将来に対する大風呂敷な夢想などが織り交ぜられて、肉付けされています。 ただし、あくまで、≪妄想エッセイ≫なので、どれが本当で、どれが嘘なのか、読者サイドからは、全く見分けがつきません。
こういう作品形式があっても別に問題は無いと思う反面、エッセイに創作を混ぜ過ぎると、作者の人間としての信用が損なわれるのではないかと、心配にならぬでもなし。 恐らく、森見さんが将来、自伝のようなものを書いたとしても、誰も真実が書いてあるとは思ってくれないのではありますまいか。 狼少年現象ですな。
一方、美女の方ですが、これは看板倒れというか、羊頭狗肉でして、先に題名を決めてから書いたものの、何せ、基本的にはエッセイなので、そうそう都合よく、竹林に関わる形で美女が現れてくれるはずもなく、うっちゃらかしになります。 強いて言うなら、連載中に作者が対談した本上まなみさんが、美女といえば確かに美女ですが、対談内容が書かれているわけではないので、あまり期待しないように。
本上さんは作者が学生時代から憧れていた人だそうで、「いつか、直接会えるだろうか・・・」と淡く仄かに願っていたのに、作者があまりにも急激に有名になってしまったために、早々と対談が実現してしまい、心の準備が整わずに恐れ戦く様子が面白いです。
そういえば、もう一人、美女が登場します。 竹林の所有者の奥様で、時によって硬さの違うケーキを焼いて、竹林整備隊に差し入れをします。 この方が、雑誌に掲載されたイラストに対して、苦情を述べるのですが、その件りが、この作品の中で一番笑えます。 しっかし、描き直しても下手な絵ですな。
行き当たりばったりの展開で、一つの作品としての纏まりには欠けますが、文章のノリがいいので、退屈せずに、すいすい読み進められます。 ただし、「森見作品を、面白い順に薦めろ」と言われたら、この本はかなり後になると思います。 他が面白すぎるからです。
今回は、以上、四冊まで。 ≪四畳半神話大系≫を除けば、比較的地味な短編集ばかり、三冊続いてしまいましたが、なぜかというと、つまり、人気作品は、借り手が多くて、なかなか空かないからです。
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