2011/06/12

読破・森見登美彦作品③

森見登美彦作品の感想の続き。 今回で、とりあえず、最後になります。




≪夜は短し歩けよ乙女≫
  森見登美彦さんが、≪山本周五郎賞≫を受賞した作品。 題名だけ見ると、青春小説のイメージしか湧かないので、山本周五郎とどうしても結びつかなかったんですが、いざ読んでみたら、やはり、青春小説でした。 なんで、この作品が山本周五郎賞なのか、皆目解せないわけですが、文学賞と作風の関係なんて、そんな緩いものなのかもしれません。

  たとえば、直木賞あたり、名前こそ超有名ですが、直木三十五がどんな小説を書いていたか知っている人は、甚だ稀でしょう。 誰も知らないという事は、つまり、読み継がれて来た作品が一つもないスカ作家である証明なのですが、なぜか、文学賞だけは残っています。

  おっと、いきなり脱線しましたな。 で、この作品ですが、短編を四部合わせて、一作品としたもので、登場人物と世界設定は共有していますが、それぞれ別の作品として読んでも、さほど問題が起きない独立性を持っています。 基本的に、全ての話が、≪彼女≫と≪先輩≫の一人称を交互に並べる形で進行します
。 つまり、主人公は二人いるわけですな。

  彼女は、大学の一回生。 先輩というのは、同じクラブにいる二回生で、彼女に片思いしているものの、なかなか近づけず、「外堀を埋める」と言いつつ、情報収集に尾行、意図的な≪偶然の出会い≫ばかりを繰り返している、情け無い青年です。 もちろん、舞台は京都。 こう書いて来ると、≪太陽の塔≫や、≪四畳半神話大系≫の世界を組み直している事が分かると思いますが、森見さんは、この頃、倦まず弛まず、そういう組み直しに精を出していたんですな。

  第一部は、夜の盛り場で、彼女が酒豪ぶりを発揮する話。 第二部は、下鴨神社の古本市で、彼女が子供の頃に読んでいた絵本を探す話。 第三部は、大学の学園祭で、演劇部のゲリラ上演のヒロインにされてしまう話。 第四部は、京都中に蔓延する風邪の流行を、唯一風邪を引いていない彼女が止める話。 ≪夜は短し・・・≫という題名は、本来、第一部につけられたものであり、後の三部は、夜とは関係ありません。 いずれも凝りに凝った書き込みで、大変面白いですが、第三部で盛り上がり過ぎるせいか、第四部の風邪の話では、ちょっとうら寂しい雰囲気になります。

  森見さんには、妹さんがいるらしいのですが、身内というのは女性観察の参考にはならないらしく、この作品に出て来る≪彼女≫は、およそ現実の女性像からは掛け離れています。 18・19歳の女性が、こんなにピュアでは、とても生きていられますまい。 腐女子になら存在するかも知れませんが、腐女子は、こんなに積極的に他者と関わったりしないでしょう。 思うに、≪彼女≫の精神年齢は、5歳くらいじゃないでしょうか。

  ただ、現代ファンタジーとして見るなら、そういう点はあまり厳しく取らなくても良いと思います。 彼女の現実離れしたピュアさが、この作品に高い品性を与えているのも事実です。 あまり現実的にすると、昨今の女性は正直ですから、吐き気を催すほど、下劣な話になってしまいます。 朝から晩まで、男の事しか考えていない≪乙女≫なんて、ありえないですからねえ。

  見事! と思うのは、学園祭を歩く時の彼女のスタイルでして、模擬店の射的で当てた大きな緋鯉のぬいぐるみを背負っている姿というのは、想像するだに愉快です。 よく、こういうイメージを思いつくものですなあ。




≪宵山万華鏡≫
  森見登美彦さんは、出版した作品を自分の子供と考えていて、性別まで別けているのですが、≪夜は短し歩けよ乙女≫が長女、この≪宵山万華鏡≫が次女で、他はみんな男だそうです。 ≪夜は短し…≫は、主人公が女性なので、すんなり納得できます。 一方、≪宵山…≫は、六つの章から成る内、三人称が三章、男の一人称が二章、女の一人称が一章で、特段、女性っぽい特徴はありませんが、最初と最後の章で、幼い姉妹が主人公になるので、その関係で、次女なのかもしれません。

  章と書きましたが、それぞれ、≪宵山姉妹≫、≪宵山金魚≫などと、作品名を持っており、独立した短編のような体裁になっています。 ただし、各編、人称や主人公こそ違うものの、内容は密接に関連しており、やはり、一つの作品の章と考えるべきでしょう。

  ある年の京都、祇園祭宵山の一夜に平行して起こった幾つかの出来事が描かれます。 ≪宵山姉妹≫、≪宵山回廊≫、≪宵山迷宮≫、≪宵山万華鏡≫の四章は、≪きつねのはなし≫と同類の怪奇譚。 ≪宵山金魚≫と、≪宵山劇場≫の二章は、森見さん十八番の、腐れ大学生物です。 両者、全く異質でありながら、配合が巧みなので、怪談風の暗い雰囲気になるのをうまく防止しています。 ただ、これが、計算なのか、行き当たりばったりに書き足した結果なのかは、見分けかねます。

  私個人として、一番面白かったのは、やはり、腐れ大学生がおよそ意義のない事に情熱を注ぐ、≪宵山金魚≫と≪宵山劇場≫の二章ですな。 先に結果を見せておいて、後で種明かしをする倒立手法の効果で、面白さがぐんと引き立っています。 森見さんは、物語を構成する上で、大技はあまり使わないけれど、小技をたくさん盛り込む傾向があり、ここでは、その小技が非常によく利いているのです。

  怪奇譚として秀逸なのは、最初の≪宵山姉妹≫です。 幼い姉妹の妹の方が、宵山の人混みの中で姉とはぐれ、赤い浴衣を着た幼女達に異界に連れ去られそうになる話ですが、妹の不安な心理が実にきめ細かく書き込まれていて、読んでいるこちらにまで、心細さが伝染してきます。 迷子になった経験がある人なら、胸のざわめき無くして読み進める事はできないでしょう。 この一章は、単独で、一級の純文学作品たりえます。

  最終章は、幼い姉妹の姉の方の話になりますが、彼女が迷い込む異界の案内役として、大坊主と舞妓が出て来ます。 面白い事に、腐れ大学生達がでっち上げた≪宵山劇場≫にも、大坊主と舞妓が出て来るのですが、そちらは偽者、こちらは本物で、読者は両者のイメージがダブって、「これは、本当の話なのか、それとも、大学生のドッキリ劇の続きなのか・・・」 と錯覚せずにはいられません。 うーむ、小技が利いてますなあ。 他の章にも、イメージのダブりを利用している所がいくつかあり、読者は常に、現実と幻想の合間を行ったり来たりさせられます。

  大学生のドッキリ劇は、≪夜は短し…≫の第三部と繋がっていて、そちらで演劇部の美術係を務めたという男女二人が、こちらでは、物語の中心人物になります。 森見さんの作品世界は、大脳のニューロンみたいに、妙な所で繋がり合っていて、壮大なネットワークを構成しているわけですな。 もっとも、外見が壮大だからといって、構想まで壮大とは限らず、行き当たりばったりで、使えそうなリンクを使っているだけなのかもしれませんが。




≪ペンギン・ハイウェイ≫
  森見登美彦さんの最新長編小説。 ですが、実際に書かれたのは、すでに数年前です。 森見さんの作品は、書き下ろしよりも、雑誌連載の方が多くて、複数の作品を平行して執筆している模様。 舞台が京都ではなく、不特定の郊外の町になるなど、この作品が、他の作品と著しく毛色が異なるため、「こっちの方向へ進んでいるのか」 と早合点してしまう読者もいるかもしれませんが、そんな事は無いと思います。 恐らく、「ちょっと、変わった趣向にチャレンジしてみた」という程度の事ではないでしょうか。

  小学四年生の、研究好きな少年が主人公。 彼の住む町に、たくさんのペンギン達が現われたのを皮切りに、異様な生物の出現、≪海≫と名付けられた正体不明の球体の膨張など、異世界からの干渉が徐々に強まっていく話。 オカルトよりは、SFに近いですが、科学的な裏付けがあるアイデアではなく、≪SF風≫とでもいうべきカテゴリーの作品です。 スタニスワフ・レムの、≪ソラリス≫を読みながら書いたそうですが、≪海≫の特徴などに、そんな雰囲気が感じられます。

  森見さんは、京大で農学をやっていた人で、一応、理系なんですが、理系らしいのは頭の良さだけで、気質的にはどっぷり文系であり、SFがどういう物なのか、どうすればSFの条件を満たせるのか、今一つ掴みきれていないように見受けられます。 SFファンに読ませれば、十人中十人が、「これはSFではありません」 と言うでしょう。

  もし、SFにするのならば、途中で日常と特異を逆転させ、少年の住んでいる世界の方を異世界にしてしまえば、面白くなったと思います。 少年の目線で、ごく日常的な生活風景を描写させておいて、実は、そんな世界は外部ではとっくに滅んでいて、ペンギン達や歯医者のお姉さんは、エアポケットのように残った少年の住む町を調査に来ていたのだ、という事にすれば、ぐんとSFらしくになると思います。

  では、純文学として読めばどうか、というと、そちらもちょっと・・・、という感じ。 せっかく、少年を出しているのに、成長物語になっていないところは惜しいですな。 主人公は、父親から科学的思考方法を伝授された大変聡明な少年なのですが、最初から聡明なので、もはや成長の余地がありません。 性格的にも落ち着きすぎていて、終わりの方で、それまで大切に思っていたものを失うにも拘らず、ほとんど動じません。 これでは、落差が生まれず、物語は面白くなりえません。

  かなり長い小説で、中だるみが見られるのも気になるところです。 なかなか話が進まず、同じような書き出しの段落が何度も出て来て、些か辟易します。 小学生が書いているという設定なので、森見さん独特の凝りに凝った形容も出番が無く、変化に欠けるのは痛いです。

  小学生が主人公と知って、「イジメ場面が出て来るのではないか」 と、嫌な予感がしていたんですが、案の定、ドカドカ出て来て、げんなりしてしまいました。 ≪小学生=イジメ≫は、あまりにも月並み。 この主人公はイジメに負けていませんが、現実には、こんなにうまい具合に、イジメは収まりますまい。

  正直に言わせて貰えば、大人が読んで面白い作品とは思えません。 「で、結局、歯医者のお姉さんやペンギン達は何だったの?」 と、素朴な疑問が最後まで残り、もやもやした気分で本を閉じる事になります。 しかし、そこは、石橋を叩いて壊す森見さんの事とて、何か、深謀遠慮があるのかもしれません。 たとえば、出版社に対して、「児童文学も書けますよ」 という布石を打ったとか。 科学的研究方法を紹介している点、児童文学としては、特別な価値がある作品なのです。

  「いつまでも、京都と腐れ大学生の話だけでは、先細ってしまう」 という不安も大きいと思われるので、いろんな作風を試してみるのは、悪い事ではないと思います。 新たな境地への探索という意味でなら、この作品には、大きな意義があると思います。





≪四畳半王国見聞録≫
  森見登美彦さんの、最新単行本。 例によって、図書館で借りたものですが、新し過ぎて、ずっと貸し出し中だったので、予約を入れて順番を待ちました。 私の前に3人も予約が入っていたにも拘らず、割と早く回って来ましたが、本を読んでみて納得。 そんなに、ボリュームのある内容ではありませんでした。

  短編集というには、各話の相関が強く、さりとて、一つの話を章分けした物とは到底言えないほど、独立性が強い作品を、7話収録してあります。 単行本としての印象は、×。 なまじ、相関など気にせず、バラバラの話を並べて、純粋な短編集にした方が、すっきり受け入れられたと思います。


【四畳半王国建国史】
  シュレジンガー方程式に負けて講義から逃げ、サークルで人間関係に負けて大学から逃げた男が、四畳半の下宿に閉じこもり、内的世界を開拓していく話。 というと、壮大なスケールの叙事詩のように聞こえますが、20ページ足らずの枚数で、そんなに壮大な話が書けるわけもなく、≪方丈記≫に於ける、方丈の庵の説明程度で終わってしまいます。 初出は、短編として、雑誌に掲載されたようですが、読んだ人は、何が何やら、途方に暮れた事でしょう。

【蝸牛の角】
  これは、以前、≪短編ベストコレクション 現代の小説2008≫という文庫本に収録されていた短編と同じ作品名ですが、大幅に加筆されており、全く別の話になってしまった観があります。 旧作では、入れ子式構造を読ませ所にした纏まりのいい話だったのが、こちらでは、他の6話との関連性を強めるために、エピソードを大量に追加しており、入れ子式構造が読み取り難くなってしまっています。 何とも、勿体無い事をしたものです。

【真夏のブリーフ】
  連鎖構造とでも言うべき形式。 女子大学生が、水玉模様のブリーフ一丁で空き地に立っている男を目撃した話から始まり、奇人揃いの知人達の、異常な生態が順に語られる話。 主人公は決まっておらず、緩く関連した登場人物達が、パートパートで中心になります。 分かったフリをせずに、正直に言わせて貰えば、何が言いたいのか、さっぱり分からないです。 

【大日本凡人會】
  この作品は、白眉。 といっても、他のレベルが低いので、相対的な白眉ですが。 ささやかな幸せを掴むために凡人になりたがっている4人の非凡な青年が、ある女性との奇妙な戦いをきっかけに、自分達の非凡な才能をプラス方向に使う事を受け入れていく話。 短編の王道とも言える、あっと驚く仕掛けが施してあって、本当に、あっと驚きます。

【四畳半統括委員会】
  四畳半統括委員会という、正体がはっきりしないが故に闇雲に畏れられている組織に関する情報を、断片的に並べたもの。 この作品が、一番纏まりが無く、「よく、こんなんで、原稿を受け取ってもらえたなあ」と、編集部の度量の大きさに感心したくなります。 読者は、一人も感心しなかったと思いますが。

【グッド・バイ】
  ≪恋文の技術≫の番外編みたいなスタイルの作品。 大学を辞めて、京都を離れる事を、友人・知人達に告げて回る青年が、誰からも気に留めてもらえず、次第に自分の人間的魅力に対する自信を失っていく話。 面白いというほどではありませんが、作者の意図がはっきり分かるので、読んでいて安心感があります。

【四畳半王国開国史】
  最初に出た【建国史】と対になっています。 四畳半内世界に閉じこもっていた青年が、似たような境遇の青年と出会ったり、阿呆神に跡目を継がされそうになったりして、開国を決意する話。 これも、初出は、雑誌掲載らしいですが、【建国史】とは、別の雑誌だったらしく、いきなり読まされた読者は、さぞや、混乱した事でしょう。


  森見登美彦さんは、慢性的に締め切りに追われているらしく、短編に全力を注ぎ込む余裕が無いのだろうという事は推測に難くないのですが、それはそれとして、こういう完成度が低い単行本は、出さない方がよいのではないかと思うのです。 森見作品を最初に読んだ本がこれだったら、たぶん、二冊目は買わんでしょう。 中身の小説よりも、表紙イラストの方に価値を感じるようでは、文字通り、話になりません。

  単行本にする時に、加筆・修正する習慣もいかがなものか。 作品が書かれた時の鮮度を、わざわざ殺しているように見えないでもなし。 単行本内の整合性などより、初出の時の文章が永久に読めなくなる方が、ずっと重大な問題だと思うのですがねえ。



  今回で、森見作品感想文シリーズは、ひとまず、おしまい。 今のところ、刊行されている単行本は、全部読んでいます。 という事は、沼津の市立図書館が、全部購入しているという事ですな。 もし、自分で買うとしたら、単行本は金額的に問題外で、文庫のみとなりますが、≪四畳半神話体系≫、≪夜は短し歩けよ乙女≫、≪有頂天家族≫、≪宵山万華鏡≫、といった辺りになりますか。

  やはり、腐れ大学生ものが、断トツに面白いのであって、他は駄目、とは言いませんが、腐れ大学生ものと同レベルの魅力を作り込むのは、難しいでしょう。 森見さんは、作家以外に、定職にもついていて、二足の草鞋を履いているわけですが、宮仕えの制約で、その定職の方のネタを書くわけには行かないのが厳しいところ。 また、学生と社会人では、得られる経験のボリュームが、質・量ともに違いますから、腐れ大学生ものに匹敵する分野を、これから開拓するのは、至難の業だと思います。

  そういえば、≪ペンギン・ハイウェイ≫ですが、私が上の感想を書いた後で、≪日本SF大賞≫と、≪本屋さん大賞 3位≫に選ばれて、いささかならず、仰天しました。 まあ、≪本屋さん大賞 3位≫の方は、森見さんの人気を考えれば、納得できない事もないですが、≪日本SF大賞≫の方は、私でなくても、意外に感じた人が多かったと思います。

  逆に考えると、森見さんのネーム・バリューを頼まなければ、人気の沈降を留められないほど、日本のSFが衰えているという証明でしょうか。 「では、昨年の受賞者は?」と訊かれて、答えられる人間は、まずいないわけで、森見さんの作品が選ばれたから、「ああ、そんな賞があったのか」と、思い出した、もしくは、初めて知った人も多いはず。 SF業界は、人気作家が欲しくて、仕方ないんでしょう。

  だけど、森見さんに、「今後は、SFも書いて下さい」と望むのは、酷ですぜ。 SF風のファンタジーなら、いけると思いますけど。 大体、レムを読むなら、≪エデン≫や、≪無敵(砂漠の惑星)≫の方が、遥かに面白いのですが、そこを、≪ソラリス≫なのが、森見さんの趣味をよく表しています。